拠点に戻った僕らはゼスの執務室で、フォルトゥナでの任務結果を報告した。
異世界人の女を一名殺害。しかし、もう一人の男は取り逃がしたこと。そして、街が陥落したこと。
ゼスは僕たちの報告を無表情のまま、ただ黙って聞いていた。
彼の顔には以前にも増して、深い疲労の影が刻まれている。
「……そうか。ご苦労だった」
長い沈黙の後、彼は、それだけを言った。
「新たな命令があるまで、待機しておけ。……下がれ」
彼の声は、いつものようにひどく乾いていた。
僕たちは無言で執務室を後にした。
与えられた休息日は二日。
僕は、いつものように資料室へと足を運んだ。
しかし、そこにはもう目新しい情報は無かった。読みたい資料は、全て読み尽くしてしまった。
この部屋には基本的に、報告書や、アルシオンから見た他国の情勢、歴史などしか保存されていない。すべての報告書を読む気は起きないし、自分に関係のある内容、もしくは興味のある内容のだけをえり好みしていたら、尽きてしまった。
なので、僕は資料室を出て、街の中を歩いてみることにした。
この目で、この国の終わりを見ておこう。そんな気持ちが、僕を突き動かしていた。
王都アルクスの様子は、以前拠点に戻ってきた時よりも、さらに悪化していた。
わずかに営業を続けているパン屋の前には、蛇のような長い行列ができていた。人々は、一切の言葉を交わすことなく、ただ、自分の番が来るのを、虚ろな目で待っている。店の壁には、「パン一斤、銀貨五枚。お一人様一つまで」という、絶望的な張り紙がされていた。僕が初めてこの街に来た時の十倍以上の値段だ。
路地裏では些細なことで、男たちが掴み合いの喧嘩をしていた。周囲の人々は、それを遠巻きに眺めているだけで、誰も止めようとはしない。衛兵の姿も見当たらない。もはや、この街の治安は完全に崩壊していた。
以前は子供が遊び、多くの屋台が出ていた広場は、避難民たちが集まって暮らす巨大なキャンプができていた。
薄汚れた布を繋ぎ合わせただけの粗末なテントが、所狭しと並んでいる。幼い子供の泣き声、病人の呻き声、そして、時折聞こえる誰かの死を告げる、短い悲鳴。そこは、生きるための場所ではなく、ただ、死を待つための場所だった。
僕は、その光景を目に焼き付けた。。
この国は終わる。
ガリア帝国によって滅ぼされるのだろう。そう思ったから。
そして、僕はこの戦争の結末を見届けたら、ここを去ろう、と心に決めた。
ロマナちゃん達を探す旅に出るのだ。彼女たちに、マリアさんの最期を伝えなければならないし、精霊の継承もできるなら、やってしまいたい。
幸い、暗部から支給される給金には、ほとんど手をつけていない。危険な任務をこなしてきた分、その額は、かなりのものになっているはずだ。金貨や銀貨であれば、多少の両替手数料はあれど、どの国であっても使えるだろうし、旅の資金には困らないだろう。
そんなことを思いながら、この街を彷徨った。
しかし、予想に反して休息日が明けても、新たな任務が下されることはなかった。
一日、また一日と、無為な時間が過ぎていく。
ひっきりなしに任務をこなしていた頃が、嘘のようだ。まるで、嵐の前の静けさ。あるいは、死刑執行を待つ囚人の、最後の猶予期間のようだ。
五日目の午後、僕は地下にある、暗部隊員たちのためのささやかな酒場兼談話室――通称『たまり場』にいた。
いつもは、任務の合間に、刹那的な快楽を求める隊員たちの、騒がしい声で満ちているこの場所も、今は閑散としていた。ほとんどの隊員が前線か、あるいは、国内の反乱鎮圧に駆り出されているのだろう。
僕は隅のテーブルで、ぬるいエールを口に運んでいた。
あまり、ここは利用してこなかったが、静かならいい場所かも…とか考えながら椅子に深く腰掛けて時間を潰す。
そこに、クロウがふらりと現れた。
「よう」
彼は僕の向かいの椅子に、どかりと腰を下ろした。その手には、僕と同じエールの入った木製のジョッキが握られている。
「……あぁ」
僕は短く答えた。
普段は休息日に誰とも話さないから、新鮮な気持ちだ。
「へっ。しけた顔しやがって」
クロウは自嘲するように笑うと、ジョッキを一気に煽った。
「で、どうだ? この、くそみてえな待機時間は。いつもこんなに暇ならいいのによぉ」
「……そうだね」
虚ろをみながら、適当に返事を返す。
クロウは、空になったジョッキを、テーブルに叩きつけるように置いた。
「あーあ。これで最後かねぇ」
彼は達観したような声でそう呟いた。
「どうして……そう思うの?」
「勘だよ、勘。俺みたいな、裏路地のドブネズミはな、そういう勘だけは鋭いんだ」
彼は、ニヤリと、いつもの皮肉な笑みを浮かべた。だが、その目の奥は笑っていない。
「この王都も、もう長くは持たねぇだろうな。あと一週間……いや、早ければ、数日中にはガリアの連中が、街の壁の外までやってくるって噂だ。つまり、だ。次に俺たちに下される任務は、十中八九、最後の決死の任務ってわけだ。
――賭けてもいいぜ」
彼の言葉は妙な説得力を持っていた。
この国の終わりを、誰もが肌で感じ取っている。
「まあ、俺にとっちゃ好都合だがな」
クロウは自分の首筋を指でなぞった。そこには、僕とおそろいのの首輪が嵌められている。
「俺たちは所詮、消耗品だ。どうせ、この国が滅びるんなら、派手に散ってやるのも、悪くねえ」
彼は僕の顔を、じっと見つめたて口を開く。
「……お前は、どうなんだ? 」
その問いは何を聞こうとしているのか。彼は何を思っているのか。
濁った眼からは何もわからない。
僕は静かに答えた。
「僕が逃げたところで、この国の結末は変わらないよ。なら、最後まで付き合うさ」
僕の答えに、クロウはしばらくの間、黙り込んでいた。
彼は何かを言いたそうに口を開きかけたが、結局何も言わずに、ふっと息を吐いた。
「……そうかよ」
彼はそれだけを言うと、立ち上がった。
「まあ、好きにしろ。だが、無駄死にだけはやめとけよ。死ぬなら、派手にだ」
彼が背を向けて立ち去ろうとした、その時だった。
「――クロウ、リン。ゼス様がお呼びだ」
たまり場の入り口に立つ連絡係が僕たちに告げた。
クロウは僕の方を振り返り、肩をすくめてみせた。
その顔には、「言った通りだろ?」と、書いてあった。
僕たちは無言で頷き合うと、ゼスの待つあの執務室へと向かった。
地下の冷たい廊下に、響く足音は、ここに来た時とは違う響き方をしていると感じた。
ゼスの執務室の空気は、いつものように重苦しい空気がへばりついていた。
というか、これは魔道具なんじゃないかと、やっとこの世界の不思議現象に慣れてきた僕は、そう思いながら、部屋を観察していた。
彼は机に広げられた地図を、ただ、見つめていた。微動だにしない。
僕とクロウが部屋に入っても、彼はしばらくの間、何の反応も示さなかった。
やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。
「……来たか」
彼の声は終わりを告げるのか。それとも――
「新たな任務を、お前たちに与える」
クロウがにやりと笑いながら僕を見る。
僕は彼の仕草を無視して、ゼスを見つめる。
最後の任務。それは、一体、どんな終わりを迎えるのだろうか。
「――海岸都市『ポルト』へ向かえ」
しかし、ゼスの口から出た言葉は僕たちの予想を裏切るものだった。
「ポルト……?」
クロウが訝しげに問い返す。
「こんな時に、なんで、王都から離れた港町に?」
ポルトはアルシオン王国の南西に位置する、この国最大の港湾都市だ。そして、ガリア帝国との前線とは、全くの逆方向にある。
「ポルトに他国の息がかかった、不審な船が出入りしているとの情報が入った。積荷を検査し、必要であれば、船員を拘束、あるいは処分せよ」
ゼスは淡々と、任務内容を告げた。
それは、これまでに僕たちがこなしてきた、数多の調査任務と、何ら変わりないものだった。あまりにも地味で、あまりにも平穏な任務。
僕とクロウは思わず顔を見合わせた。
拍子抜け、という言葉がこれほどしっくりくる瞬間はなかった。
だが、一方でそんなことをしている余裕など、この国には無いはずだ。ポルトの問題を解決しても、王都が制圧されたら意味がない。
「……なぁ、一つ、聞いてもいいか?」
クロウが藪の蛇を突く様子で口を開いた。
「戦況は、どうなってるんだ? 俺たちを、こんな――どうでもいい任務に回して、大丈夫なのか?」
「前線のことは、貴様らが気にすることではない」
ゼスは冷たく言い放った。
「貴様らの仕事は、私の命令に従うことだ…それとも、不服か?」
「……いや」
クロウは、慌てて首を横に振った。
僕もまた、この不可解な任務に、言いようのない違和感を覚えていた。
だが、彼の指示に従うことが、最初の契約で交わされたこと内容だった。だから文句など言わない。
「……ミラは?」
僕は別の質問を口にした。
「彼女は、どうしたんたの? 今回の任務には同行しないのか?」
アルクスに帰還してから、見かけてない。
別チームとしての行動かもしれないけど、話題を変えるために聞いておく。
僕の問いに、ゼスは初めてその表情をわずかに歪めた。
それは、初めて見る苦渋と、ほんの少しの諦めが混じったような複雑な顔だった。
「……ミラは、辞めた」
「辞めた……?」
この組織にそんな制度があったなんて驚きだ。というか、他のチームや組織への移動ならまだしも、辞めることなんてできるのだろうか。
「ああ。…数日前に退職を申し出てきた。…他の隊員であれば、暗部からの離脱など断じて認めん。だが、
ゼスは忌々しげに吐き捨てた。
僕は正式な精霊使いじゃないから、自主退職はできそうにない。ラクサ村に所属しているわけではないから。
「平時であれば、追手を放ち、秘密保持のために始末するところだがな。……今の我々にはそのための人手すらない。……だから、特別に見逃してやった」
退職はできるけど、その後に…ってやつかな。
彼の言葉の端々に、この国がもはや末期的な状況にあることが、滲み出ていた。
「……時間がない」
ゼスは立ち上がると、窓の外に広がる灰色の空を見上げた。
「さっさと出発しろ。馬と必要な物資は、すでに用意させてある」
彼の背中は、いつもよりもひどく、小さく見えた。
こうして、僕とクロウは首を傾げながらも、新たな任務地である、ポルトへと出発することになった。
王都の城門を出る時、僕は一度だけ振り返った。
巨大な壁に囲まれた王都アルクスは、まるで、巨大な棺桶のように静かに沈黙していた。
僕たちの、最後の任務が始まろうとしていた。
それが、本当にただの船の検査で終わるのか。
僕にはわからない。