あなたの能力は時間停止です   作:ハスキー大根

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焚き火の炎が、ぱちぱち、と静かにはぜる。

その小さな音が森の深い静寂の中で、やけに大きく響いた。

 

「……すこし、よろしいでしょうか」

 

そう言って寝床から出てきたタリアは、僕から数歩離れた場所に腰を下ろした。その手には、冷えた体を温めるためか、外套が固く握りしめられている。

 

しばらくの間、僕たちの間には沈黙が流れた。

揺らめく炎が、彼女の横顔を、淡く照らし出す。気丈に結ばれた唇、真っ直ぐに前を見つめる瞳。その奥に隠された、深い悲しみと、そして、諦めにも似た静けさを、僕は感じ取っていた。

 

「……リン、という名でしたね」

 

先に沈黙を破ったのは、彼女からだった。

その声は夜の静寂に、凛として響いた。

 

「――うん」

 

「あなたは、不思議な力をお持ちですね」

彼女は、僕が操る黒い水のことを言っているのだろう。王都を脱出して以来、幾度となく、この力で追手や検問を排除してきたのを、彼女も目撃しているはずだ。

 

「あれは――精霊の力、なのでしょうか」

「……そう、だね。あれは精霊の力で間違いない」

 

彼女が何を思って、こんな夜中に起きてきたのかはわからない。

ただ、敵意はなさそうだった。

 

僕の答えに、彼女はふと、遠い目をした。

その視線は、揺れる炎の向こう側、星々がきらめく夜空だ。

 

それは、僕には見えない遠い過去を見つめているようだった。

 

「……かつて、この国――いいえ、その前身であるアリステアの地には、様々な神がいたと、王家の記録には記されています」

 

彼女は静かに、語り始めた。

それはまるで、古い物語を紐解くような、厳かな響きを持っていた。

 

「山の神、音の神、戦の神、そして、月の神。人々は、自然を敬い、神々と共に生きていた、と記されています。……ですが、私たちの祖先はその神々を討伐し、その力を地に封印した。そして、神々の欠片は『精霊』となった。私たちの祖先は、その力を独占し、利用することでこのアリステアの地を統一し、繁栄を築き上げてきたのだ、と」

 

彼女の言葉は、僕が資料室で断片的に読んだ歴史と、どこか重なる部分があった。

だが、彼女の口から語られるそれは、ただの記録ではなく、彼女自身の血肉となった、重い真実として響いた。

 

「私はこれまで、精霊使いと呼ばれる方と直接お話するのは、初めてなのです。――リン、あなたにお聞きしたい。……この伝承は真実なのでしょうか」

 

彼女の問いに、僕はどう答えるべきか、言葉に詰まった。

僕の内に宿る精霊としての知識は、その伝承を肯定も、否定もしなかった。ただ、ひどく古い、忘却の彼方にある記憶の断片が、かすかに疼くような感覚があるだけだ。

 

それにそれが真実だったとして、僕には関係のない話でもあった。

 

「……もし、真実だったら?」

僕は、問いを問いで返す。

 

タリアは自嘲するように、ふっと、か細い笑みを浮かべた。

その笑顔は、ひどく、痛々しかった。

 

「もしも、その伝承が、真実であるならば……」

彼女の喉が、小さく震える。

 

「……我々の国が、いえ、このアリステアの地に連なる国々が、今、こうして滅びゆくのは、定められた運命だったのかもしれない、と思ったのです。

神々の力を奪い、偽りの繁栄を築き上げてきた結果。この地が、とうの昔に、神々から見放されていたのだとしたら……ガリアに滅ぼされるという、この国の結末もまた、始めから、決まっていたことなのだと……そう、思えるのです」

 

彼女は気丈に振る舞ってはいるが、その心は王都の陥落と共に折れているのだろう。

国の行く末を案じ、民の未来を憂い、そして、自らの無力さに、打ちひしがれている。

 

そして、無理にその理由を探し出そうとしている。

 

 

僕が彼女にかけるべき言葉なかった。

それを肯定する材料を、僕はも落ち合わせていない。慰めも、激励も、今の彼女には無意味だろうと思った。

 

「精霊は国の行く末に興味ないよ」

僕にできるのは、僕が継承した湖の精霊の知識を与えるだけ。あの精霊は村が滅ぼされ、巫女が死んでもガリア兵を滅ぼさなかった。彼らは、人間同士の争いには興味ないのだ。

 

「……そろそろ寝た方がいい。明日に響くよ」

僕は、寝るように勧めた。

 

僕の言葉に、彼女はハッとしたように顔を上げた。

そして、静かに頷いた。

 

「……そう、ですね。……夜分にすみません」

彼女は立ち上がると、僕に深く頭を下げ、そして、眠る仲間たちの元へと戻っていった。

 

一人残された僕は、再び、揺れる炎を見つめた。

神々の罰。定められた運命。

もし、それが本当にそうだとしたら、ラクサ村が滅びたのも運命だとでもいうのだろうか。

そして、僕の軌跡は運命に抗う、無駄な足掻きか。

――それとも。

 

答えは見つからない。

 

 

夜が明け、僕たちは進行を続けた。

不幸中の幸いか、人数が減ったことで、僕たちの行軍速度は、わずかに上がった。

食料の消費は減り、移動の際の気配も、以前より格段に消しやすくなった。

 

僕たちは、ガリア帝国の追手の目を逃れながら、ひたすらに西へと移動した。

昼は、鳥の声と木々のざわめきだけが聞こえる森の中を、夜は、満天の星空の下でじっとし続けた。

 

そして、王都を脱出して、一ヶ月が過ぎた頃。

僕たちは、ついに、アルシオン王国の西の国境線となる川にたどり着いた。

 

だが、僕たちの目の前に広がっていたのは、希望ではなく、ガリア兵の厳重な警備だった。

 

「……なんだ、これは……」

森の中に身を隠し、川の方を見つめるガイウスが、呻くように言った。

 

国境線となる川に沿って、どこまでもガリア帝国軍の天幕が、まるで巨大な蛇の尾のように伸びていた。

一定間隔で設置された監視塔には、常に複数の兵士が立ち、鋭い目で周囲を警戒している。この国境を越えようとする者を、蟻一匹たりとも通すまいという、鉄の意志が、そこにはあった。

 

夜になっても、その警戒網が緩むことはない。

無数の焚き火が、闇夜を赤々と照らし出し、昼間と変わらないほどの視界を確保している。

 

「……どうやら、王女殿下が西へ逃亡するという情報を、既に掴んでいるようだな」

ゼスが、苦々しげに吐き捨てた。

「王都陥落から、これだけの時間が経っている。我々の動きが読まれていても、不思議ではないか」

 

僕たちはもう一度、森の中へ戻り、作戦会議意をした。

 

「どうする、ゼス殿。このままでは、リステリア公国へは行けそうもないぞ。目的地を変えるか?」

ガイウスが、焦りの色を浮かべて尋ねた。

リステリア公国は、アルシオンの西に位置する小国で、川を越えた先にある。そこまでたどり着けば、ガリアの手が及ぶことはないだろう。

 

だが、この厳重な警備網を、王女や侍女を連れて突破するのは不可能に近い。

川幅は30メートルはあるので、走り抜けることは今の僕たちにはできない。

 

僕らの間に流れる空気は、鉛のように重かった。

皆、ここまでの旅路を無駄な労力だと感じていたのだろう。

 

場を沈黙が支配する。

誰もが、次の言葉を見つけられずに、ただ、今の絶望的な状況に頭を悩ませていた。

 

 

そして、その静寂を破ったのは、僕だった。

 

「――僕が陽動役になるよ」

僕のその言葉に、その場にいた全員の視線が、一斉に僕へと突き刺さった。

 

「僕が奴らの注意を、できるだけ大きく引きつける。その隙に、皆で川を越えるんだ。簡単でしょ?」

 

それは、あまりにも単純で、そして、あまりにも難しい提案だった。

だが、今の僕たちに残された、唯一の可能性でもあった。

 

「……正気か、貴様」

ガイウスが、信じられないといった目で、僕を睨みつけた。

「あの数の敵を、一人で相手にするというのか。それは、陽動などではない。ただの、自殺行為だ」

 

「死ぬつもりはないよ。それに、水場があるなら、なんとかなると思う」

僕は静かに言い返した。

 

僕の言葉に、ガイウスはぐっと言葉を詰まらせた。

彼らはこの旅を通して、僕の力の異質さを、嫌というほど見てきた。僕がただの人間ではないことを、彼らは実感していたのだ。

 

しばらく沈黙していたゼスが、ゆっくりと口を開いた。

彼は僕の目を、真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥では、激しい思考の火花が散っていた。

 

「……いいだろう」

 

やがて、彼は短く、そう言った。

その決断は彼らしく、最も合理的だった。

 

「なっ……ゼス殿! 本気ですか!?」

ガイウスが、驚愕の声を上げる。

 

「声を荒げるな。――では、他に手はあるか」

ゼスの低い声が、ガイウスの反論を封じ込めた。

「いつまでも、ここに居るわけにもいくまい。結論は早く出すべきだ」

「ですが!」

 

ゼスとガイウスが言い合う。結論など決まっているのに。

 

「待ってください」

ガイウスの言葉を遮ったのは、王女タリアの静かな声だった。

彼女はその青い瞳で、僕を真っ直ぐに見つめた。

 

「……そのような、危険な役目を彼一人に負わせるわけにはいきません。」

彼女の声は震えていた。それは、僕の身を案じる心からの叫か、それとも精霊の怒りを買うことを恐れた恐怖心か。

 

僕は静かに答えた。

「犠牲って……死ぬ前提で話すのはやめてくれる?それに、これは単純な役割分担だよ」

 

僕の言葉に、彼女は唇を噛み締めた。

その瞳の色が暗くなる。大丈夫。彼女は状況を正しく理解できている。

彼女は尊い血を引く一族なのだ。その身に流れる血が、多くの犠牲の上に成り立っていることなど、百も承知だろう。

 

「……それでも、私は、反対です」

 

彼女の頑なな態度に、ゼスが、重い口を開いた。

「……王女殿下。これは、多数決で決めさせていただく。この作戦に、賛成の者は?」

 

ゼスがゆっくりと、手を上げた。

ガイウスは苦渋の表情で、しばらくの間葛藤していたが、やがて、諦めたように重々しく手を上げた。

侍女のクネルと騎士のリカルドも、迷いながらも、それに続いた。

 

結果は、決まった。

 

「……頼むぞ」

ガイウスが僕に向かって短く言った。その声には謝罪と、そして、奇妙な信頼が複雑に混じり合っていた。

 

僕は何も言わずに、頷いた。

そして、立ち上がると、彼らから離れようとした。

 

「……リン」

ゼスが、僕を呼び止めた。

「……一つ、言い忘れていたことがある」

 

「なに?別れの言葉はいらないよ」

僕らは命令する側とされる側。それだけの関係だった。そしてそれは、今も変わらない。

 

「貴様への、これまでの給与だが……まだ、支払われていないものが、かなり残っている」

彼の口から出た、あまりにも場違いな言葉に、僕は、思わず足を止めた。

正直、お金は余っているので必要ないが、彼がそういうなら仕方がない。

 

「……そう。それは困ったな」

僕がそう言うと、彼は口の端を吊り上げた。それは、彼がほとんど見せない不器用な笑みだった。

あんまり似合わないな、という感想しか出てこない。

 

「だから、いつか私に請求しに来い……いいな」

 

「……わかった。いつかね」

 

そして、それが、僕たちの最後の会話になった。

 

なんだか、いつか会う約束ばかりしてるな、と思いながら、一人歩き出す。

森を迂回して、ガリア帝国軍が築いた、警戒網へと向かって。

 

僕のアルシオンでの、本当の最後の任務が始まった。

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