あなたの能力は時間停止です   作:ハスキー大根

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タザニアを離れて、数日が過ぎた。

季節は夏から秋へと、その姿を変えようとしている。

日中の日差しはまだ暖かいが、朝晩の空気はひやりと肌を刺すようになった。

アルシオンよりも、北に位置するこの地域では、季節の移ろいが早いのかもしれない。

 

街道沿いの木々の葉が、少しずつ、色づき始めている。

赤、黄、橙。

その鮮やかな色彩が、僕の孤独な旅路を、静かに彩っていた。

 

僕は碌に整備もされていなさそうな、森や丘を越えるルートを歩いていた。

もちろん、進んでこんな道を選んだわけでは無い。

ただ、目的地はまだまだ遠く、適当に道を選んでいたら、いつの間にかこんな細道を歩く羽目になったのだった。

 

だが、ほとんど人とすら会わないこの道は、むしろ気が楽だった。

 

そんな、ある日の昼下がりだった。

森の中を、静かに歩いていた僕の耳に、不意に甲高い悲鳴が飛び込んできた。

 

「―――ひぃぃぃっ!」

 

明らかに人間の声だった。それも、恐怖に染まった、助けを求める声だ。

 

僕は咄嗟に足を止め、気配を探る。

声がした方向は、この道の先だ。

複数の人間の気配。そして、その中には殺気も混じっている。

 

――面倒だな。

 

それが、僕の最初の感想だった。

タザニアでの面倒ごとに巻き込まれた僕は、しばらく静かに過ごしていたかった。

それに、今の僕はただの旅人だ。誰かを助ける義理も、義務もない。

 

――だが、明らかにこの道の先で事は起きている。

つまり、このまま歩いていけば、必ず遭遇するのだ。

 

もちろん、道を外れて、森の中を進めば回避は可能だろう。しかし、その労力は、トラブルに首を突っ込むのとどちらが面倒だろうか。

 

僕は、そんな天秤を揺らしながら、歩みを進めた。

やがて、視界が開け、小さな休憩所に使われているであろう、広場のような場所に出た。

 

そこで、僕は先ほどの悲鳴の原因を目撃することになる。

 

数人の見るからに粗野な格好をした男たちが、一台の荷馬車を取り囲み、荷物を漁っている。

その手には、錆びついた剣や斧が握られている。

盗賊か、あるいは追い剥ぎの類だろう。

 

荷馬車のそばでは、一人の小太りな男が頭を抱え込んで、その場にうずくまっている。

冒険者には見えない。おそらく、商人だろうと僕は予想した。

 

「命だけは……」

 

商人は、震える声で命乞いをしていた。

だが、男たちは下卑た笑みを浮かべるだけだ。

 

「おい、思ったよりもいいもん持ってるじゃねぇか。こんな時化た道、通る割にはよ」

「だが、それだけじゃ、つまらねえよな?」

「ああ。久しぶりに、楽しませてもらおうじゃねえか」

 

男たちの一人が、商人にゆっくりと近づいていく。

その目に浮かぶのは、残虐な嗜虐の色。

 

――ああ、もう。

 

僕は静かにため息をついた。

なぜこうも、僕は面倒事に好かれるのだろうか。

 

もしくは、この世界での平均的な面倒事への遭遇率は、このぐらい高い可能性もある。

 

 

わざと小枝を踏みしめ、ながら姿を現す。

 

「――誰だ!?」

 

男たちが、一斉にこちらを振り返った。

その顔には、警戒の色が浮かぶ。

 

「……通ってもいい?」

僕は、フードを目深に被ったまま、静かに言った。

 

僕の言葉に男たちは、一瞬顔を見合わせた。

そして次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。

 

「ッハ! なんだ、このこいつ!ああ、いいぜ、有り金全部おいていったらな!」

 

男たちの一人が、脅すように斧を振り回す。

だが、僕は動かなかった。それは当たらない。

 

まぁ、いいか。丁度、試したいこともあったし。

 

そう気持ちを切り替えて、僕は小さく呟いた。

その言葉に反応するように術式が展開され、氷の矢が斧を持った男に向かって飛んでいく。

 

「ぐふっ!?」

 

そのまま、矢は腹に突き刺さり、短い悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。

他の男たちが、何が起こったのか分からず呆然としている。

 

「て、てめえ……!」

 

ようやく、我に返った二人が剣を振りかざし、僕に斬りかかってきた。

僕はその剣をひらりとかわすと、小さく呟く。

 

男の背後から氷の矢が放たれて、鈍い音と共に命を終わらせる。

 

想像していたことだけど、あまり使い勝手は良くないなぁ。

やっぱり魔法のほうが、手足を使うように意識しなくても力を行使できる。

 

それに比べて、今使った魔術は飛ぶ方向や初速度、形状、材質など、細かく指定する必要があった。

でも、タザニアでの一件は、不用意に魔法を見せたことが発端だった。

この先も、同じようなことが起きないとは限らない。

 

だから、僕は今のうちに魔術の練習をしてみようと思ったのだ。

 

最後の、一人になった男は、仲間たちが次々と倒れていくのを見て、完全に戦意を喪失した。

彼は武器を放り出すと、悲鳴を上げて森の奥へと逃げていく。

僕はその背中に向けて、再度氷の矢を展開し放つ。

 

風を切る音共に、背中に吸い込まれていくのを確認した。

 

 

後に残されたのは静寂と、その場にへたり込んでいる商人の男だけだった。

 

僕は商人にゆっくりと近づいた。

彼は僕の姿を認めると、信じられない、といった表情で、僕の顔をじっくりと眺めた。

 

「え、え?あ、えっと……あ、ありがとうございます……?」

「……ああ。気にしなくていいよ」

 

僕がそう言うと、商人はわっと声を上げて泣き出した。

そして、僕の足元に、何度も頭を擦り付け始めた。

 

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! 命の恩人です! このご恩は、一生、忘れません!」

 

その大げさな感謝の言葉と、年上の人に低い物腰からしゃべられることに、僕は居心地の悪さを感じた。

僕はただ、自分の気まぐれで動いただけなのに。

 

「……もう、いいから。立てる?」

僕がそう言うと、商人はようやく顔を上げた。

その顔は涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃだった。

 

 

「は、はい! おかげさまで、商品も無事で……」

 

彼はよろよろと立ち上がると、改めて僕に向かって深々と頭を下げた。

「私は、マルコと申します。しがない、行商人ですが……名前を伺ってもいいでしょうか?」

「……僕はリン」

「リン様! この度は、本当に、ありがとうございました!」

 

マルコと名乗る商人は、興奮冷めやらぬ様子で、勢いよくまくし立てる。

その陽気で、騒々しい態度は、さっきまで命の危険に晒されていた人間とは、到底思えなかった。

 

「しかし、リン様はお強いのですね! まるで、偉大な魔術師のようでしたぞ!」

「……大げさだよ。まだ、魔術は使い始めたばかりなんだ」

「いえいえ! 私はこの目で、しかと見ました! あなた様は、偉大なる魔術師になられるに違いない!」

 

僕は彼の、その底抜けの明るいトークに、少しだけ毒気を抜かれた。

「……それより、なんで、こんな危険な道を?」

僕は、ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。

この道は人通りも少なく、盗賊も出れば魔物も出る。なぜ、わざわざこんな場所を通るのだろうか。

 

僕の質問に、マルコはにやりと、商人らしい笑みを浮かべた。

「リン様。商売というものはですね。人が行かない場所にこそ、儲け話が転がっているものなのですよ」

 

彼は得意げに胸を張る。

儲け話と共に、命も転がり落ちそうだったのに。

 

「この道は確かに危険です。ですが、検問もなく、関税もかからない。さらには、競争相手も少ない。そして、この道の先にある街は、今、ちょっとした好景気に沸いているのです。危険を冒してでも、行く価値がある、というわけですな」

 

なるほど。

つまりは、ハイリスク・ハイリターン、か。

商人というよりも、賭博師と名乗った方が良いのではないだろうか。

 

「リン様はなぜこの道を?」

「……僕はただ、最短経路を選んで、歩いていただけなんだけど」

 

正直、あまりにも便利なこの体は、どんな過酷な場所でも生きていける自信があった。

だから、道なんて気にすることが無かったのだ。

 

「なんと! それはそれは、神が私に微笑んだということでしょうか」

マルコは、心底驚いたように、目を見開いた。

「ですがそれは、あまりにも無謀というものですぞ! この辺りは、最近、特に物騒になっているというのに……」

 

被害者本人の口から語られる、警告というのはこれほどまでに、信憑性があるのだな、と僕は聞き流した。

彼はいい人そうだったけど、話は長いみたいだ。

 

「……ちなみに、その、好景気に沸いている街というのは?」

「おお、ご興味が? それは、『音楽の街ヤラン』ですぞ! この東部でも、有数の美しい街だと、評判の街です!ここから、東へと道を曲がった先にあるのです」

 

音楽の街、ヤラン。

その名前は、僕もどこかで聞いたことがあった。

昔、ミラが話してたような、そんな気がする。

 

「私はそのヤランに、新しい楽器を届けに行く途中だったのです。いやあ、リン様がいなければ、今頃、私の楽器も、私の命も、あの者たちの手に……おお、神よ、感謝します!」

 

マルコは再び、天を仰いで大げさに感謝の祈りを捧げ始めた。

僕はその姿を、ぼんやりと眺めながら、考えていた。

 

ヤランか。

 

僕の旅の経路上からは、少し東に外れている。

だから、目的地までの最短経路にはならない。

 

だが――。

エリアナとの出会いを、思い出す。

あの、予期せぬ足止めが、僕に新しい知識と出会いをもたらしてくれた。

 

急ぐ旅でも、ないのかもしれない。

ロマナちゃんたちを探すという、最終的な目的は、確かに変わらない。

だが、今更急いだところで、早く会える保証などないのだから。

 

そう思うと、少しだけ寄り道をしてみるのも、悪くないのかも。

 

「……マルコさん」

「はい! なんでしょうか、リン様!」

「そのヤランという街まで、僕も同行させてもらえないかな。護衛として」

 

僕の提案に、マルコは一瞬きょとんとした顔をした。

そして、次の瞬間、顔をくしゃくしゃにして、満面の笑みを浮かべた。

 

「ほ、本当ですかな!? それは、願ってもないことです! リン様のような、腕利きの用心棒がいてくだされば、これほど、心強いことはない!」

 

こうして、僕は、マルコと名乗る陽気な商人と、奇妙な二人旅を始めることになった。

目指すは、音楽の街ヤラン。

そこは、僕の心を、少しだけ、軽くしてくれる場所だといいのだけど。

 

 

 

マルコの荷馬車と一緒に歩くこと、四日。

途中、何度か盗賊が現れたけど、簡単な魔術で追い払えるほどの実力しかなかったため、旅路は順調だった。

 

やがて、僕たちの目の前に、その街は姿を現した。

 

谷間に寄り添うようにして、築かれた美しい街。

白い壁とオレンジ色の屋根が、夕日に照らされて暖かく輝いている。

街のあちこちから、煙突の煙が細く、長く、空へと昇っていた。

 

そして――。

街に近づくにつれて、風に乗って何かが聞こえてきた。

 

それは音楽だった。

 

どこからともなく、聞こえてくる、多種多様な楽器の音色。

軽やかな、リュートの爪弾き。

陽気な、フィドルの旋律。

心躍るような、太鼓のリズム。

それらが、混じり合い、溶け合って、谷に響いている。

 

「さあ、リン様! あれが、音楽の街ヤランですぞ!」

マルコが誇らしげに、街を指さした。

 

僕たちは街の門をくぐり、中へと足を踏み入れた。

 

街は、これまでのどの街よりも元気だった、表現するのがよいと思った。

商人や生活の活気だけじゃない。そこには、笑顔と楽しさが音楽と共にそこら中に溢れていた。

 

広場では吟遊詩人が、朗々と英雄の物語を歌い上げ、その周りには人々の輪ができていた。

酒場からは、楽団が奏でる、陽気なダンスが、溢れ出してくる。

路地裏に目をやれば、若い音楽家たちが、即興のセッションを繰り広げ、互いの技を競い合っていた。

 

この街の誰もが、音楽を愛し、音楽と共に生きている。

その自由で、生命力に満ち溢れた光景に僕はただ圧倒された。

 

そして、僕の脳裏に一人の少女の姿が鮮やかに蘇った。

 

――ミラ。

 

アルシオンの暗部で、僕と同じチームだった精霊使い。

いつも、口数は少なかったが、やさしいリュートの音を響かせる人だった。

彼女が月夜の下で、静かに竪琴を奏でていた姿を思い出す。

 

『――音楽はいいの。嘘をつかないから』

 

そう話す、彼女の少しだけ寂しそうな横顔。

 

「……ミラも、こんな街を旅しているのかな」

 

僕は思わず、そう呟いていた。

 

もし、彼女が、今ここにいたら。

きっと、目を輝かせて、街の音楽に聞き入っていたに違いない。

 

そして、いつの間にか誰かのセッションに加わって、自身の腕を披露していたかもしれない。

 

彼女は今どこで、何をしているのだろうか。

あの、アルシオンの騒乱を生き延びて、どこかの街で音楽を続けているといいけど。

 

僕は空を見上げた。

ヤランの空は、どこまでも青く澄み渡っている。

 

「リン様? どうかされましたかな?」

僕が、黙り込んでいるのを、不思議に思ったのだろう。

マルコが心配そうに、僕の顔を覗き込んできた。

 

「……いや、なんでもない」

僕は小さく首を振った。

「ありがとう、マルコさん。ここまで送ってくれて」

「いえいえ! こちらこそ、護衛していただき、ありがとうございました! おかげで、無事にたどり着くことができました」

 

マルコは、これから取引先に行くのだという。

僕たちは、街の広場で別れることになった。

 

「もし、またどこかでお会いすることがあれば、その時は、ぜひうちの商品を買ってくださいね!」

彼はそう言うと、人の波に揉まれながら荷馬車を引いて、雑踏の中へと消えていった。

 

一人になった僕は、改めて街を見渡した。

長旅で張り詰めていた心の糸が、この街の陽気な音楽によって、ゆっくりと解きほぐされていくのを感じる。

争いや陰謀とは無縁の世界。

まるで、おとぎ話の中に迷い込んでしまったかのようだ。

 

「……三日、くらいかな」

 

僕は、小さく呟いた。

三日くらいは、この街で羽を伸ばしてみるのも、悪くない。

ただ、音楽に耳を傾け穏やかな時間を過ごす。

そんな日があっても、たまにはいいだろう。

 

僕は宿を探すために、ゆっくりと歩き始めた。

どこからか聞こえてくる、陽気な音色が、僕の旅の疲れをそっと癒してくれるようだった。

 

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