あなたの能力は時間停止です   作:ハスキー大根

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テレジアと教会で話してから、二日が過ぎた。

 

ヤランの街は、相変わらず音楽と活気に満ち溢れていた。

僕はその二日間、ただあてもなく街を散策して過ごした。

 

小さな笛も買った。鳴らすのはすこしコツがいるけれど、大きさの割には良い音が出るので気に入っていた。

 

音楽院のコンサートホールで学生たちの演奏に耳を傾け、広場で吟遊詩人が歌う英雄譚に足を止め、路地裏のカフェで、遠くから聞こえてくる即興のセッションをBGMに、ただ、時間を過ごした。

 

それは、僕がこの世界に来てから、初めて経験する、本当の意味での休息だったのかもしれない。

戦いも、陰謀も追われる恐怖もない。

ただ、穏やかに流れていく時間。

 

だが、そんな時間も永遠には続かない。

僕には、まだやるべきことがある。

 

ヤランを発つ日の朝、僕はもう一度、あの荘厳な教会を訪れていた。

特別な理由があったわけではない。

最後に、もう一度だけ彼女に会っておきたいと思った。それだけだった。

 

だが、聖堂の中に彼女の姿はなかった。

他のシスターに尋ねてみると、彼女は早朝から、街の貧民街へ炊き出しの手伝いに行っているという。

 

そうか。

 

僕は少しだけ、残念な気持ちになった。

だが、同時にそれが彼女らしいとも思った。

ただ祈るだけでは、何も変わらない。彼女は、彼女自身のやり方で、この街と人々に向き合おうとしているのだろう。

 

僕が最後に投げかけた言葉が、彼女の中でどんな意味を持ったのか。

それは分からない。

だが、彼女ならきっと自分自身の答えを見つけ出すだろう。

 

僕は静かに教会を後にした。

ステンドグラスから差し込む朝日が、僕の背中を静かに見送っているような気がした。

 

 

ヤランの街の門をくぐる。

マルコさんと一緒にこの門をくぐった時とは全く違う、晴れやかな気持ちだった。

心に溜まっていた澱が、この街の音楽と人々の笑顔によって、綺麗に洗い流されたような気がする。

 

振り返ると、谷間に広がる美しい街並みが見えた。

いつか、また、この街を訪れる日が来るだろうか。

その時は、僕の旅が終わりを迎えた時であってほしい。

 

僕は、再び北へと歩き始めた。

目指すはソノミス。

そこへ行けば、何か変わるかもしれない。

そんな、漠然とした期待を胸に。

 

 

 

ヤランを出てから、数週間が過ぎた。

旅は順調だった。

危険な魔物や盗賊に遭遇することも、ほとんどなかった。

 

季節はすっかり秋の様相を呈していた。

街道沿いの木々は、燃えるような赤や鮮やかな黄色に染まり、風が吹くたびに、色とりどりの葉がはらはらと舞い落ちる。

空気は澄み渡り、空はどこまでも高く青い。

 

僕は、そんな美しい景色の中を、ただ黙々と歩き続けた。

ソノミスまで、あと二つの都市を越えれば着く。

地図の上ではだいぶ近づいてきた。

 

だが、近づくにつれて僕の心の中には、期待と同じくらいの漠然とした不安が広がっていた。

本当に人探しのための、手がかりは見つかるのだろうか。

もし、何もなかったとしたら、僕は次にどこへ向かえばいいのだろう。

 

それに、季節は僕が思っているよりも、早く冬へと向かっているようだった。

朝晩の冷え込みは、日増しに厳しくなっている。

このまま雪が降り積もってしまえば、ソノミスへ向かう道が、閉ざされてしまうかもしれない。

寒さは僕には関係ないが、道が雪で閉ざされてしまったら、さすがに歩けない。

 

そうなれば、この辺りのどこかの街で、冬を越さなければならなくなる。

 

そんなことを考えながら歩いていると、やがて、前方に大きな街の城壁が見えてきた。

 

都市国家ラモス。

ソノミスへと至る、最後から二番目の中継都市だ。

 

街の第一印象は、これまで見てきた他の都市国家と、大して変わらなかった。

高く、堅牢な城壁。その上には、等間隔に監視塔が並び、兵士たちの姿が見える。

門の前には、街へ入ろうとする人々の長い行列ができていた。

 

だが、よく観察すると、いくつか他の街とは違う点があることに気づいた。

まず、兵士たちの装備がやけに新しい。

彼らが身につけている鎧や手にしている槍は、どれも陽の光を浴びて、鈍い輝きを放っている。まるで、つい最近、一斉に支給されたかのようだ。

これまでの街の兵士とは、ずいぶん待遇が違うみたいだ。

 

そして、門を行き交う人々の中にも、どこか他の街とは違う空気があった。

活気はある。だがそれはタザニアのような、商売の活気とは少し違う。

もっと、武骨で荒々しい。

屈強な体つきをした、傭兵や冒険者風の男たちの姿が、やけに目についた。

 

僕は行列に並びながら、前の男たちが交わす会話に、それとなく耳を傾ける。

 

「相変わらず、ラモスは物騒な連中が多いな」

「ああ。なんでも、領主様が腕利きの傭兵を、高い金でかき集めているらしいぜ」

「軍備拡張か。最近どこもきな臭いからな」

 

軍備拡張。

その言葉に、僕はわずかに眉をひそめた。

 

やがて、僕の番が来た。

兵士にギルド証を提示すると、彼は手早くそれを確認し、僕をじろりと見ると、無言で中へ通してくれた。

 

街の中は、外から見た印象通り、どこか殺風景で武骨な雰囲気に満ちていた。

建物の多くは、実用性だけを重視した石造りの簡素なものばかり。

道行く人々の顔にも不幸そうではないが、ヤランで見たような陽気な笑顔は少ない。

 

僕は、この街に長居はしない方がいいと、直感的に思った。

すぐに、必要な物資だけを補給して宿に籠り、明日の朝にはここを立ち去ろう。

 

そう思いながら、大通りを歩いていると、ふと、鍛冶屋が軒を連ねる一角が目に留まった。

カン、カン、と、リズミカルに、金属を打つ音が響き渡っている。

店先には、様々な種類の武器や防具が並べられていた。

 

その中に、ひときわ人だかりができている店があった。

人々が興奮したように、何かを語り合っている。

 

「おい、見たか? あの剣の切れ味。鉄の塊を豆腐のように、切り裂いていたぞ」

「ああ。噂の新しい金属とやらで作られているらしいな」

「なんでも、最近、『異世界人』ってのが、革新的な技術をもたらしたんだとよ」

「その『異世界人』様のおかげで、ラモスの武具は、今や東部で一番の品質だと、もっぱらの評判だ。ガリア帝国も、喉から手が出るほど、欲しがっているらしいぜ」

 

異世界人。

 

その言葉が、僕の耳に鋭く突き刺さった。

途端に、僕の心の中に嫌悪の感情が広がっていく。

 

またか。

また、国に利用されているのか。

この世界に召喚された、僕と同じ地球の人間が。

 

アルシオンでの苦い記憶が蘇る。

国という、巨大なシステムに組み込まれ、その駒として使い潰されていく人々。

 

――嫌な気分だな。

そう思いながら、足早にその一角を抜ける。

 

 

フードを、さらに深く被り直し、顔を隠す。

この街では、できるだけ目立たないようにしなければ。

僕が「異世界人」であると知られれば、面倒なことになるのは分かり切っていた。

 

人通りの多い大通りを抜け、少し寂れた裏通りへと入る。

今夜、泊まるための安宿を探そうと思った。

 

この際、多少質が悪くてもいい。とりあえず人目が避けられれば――

そう思いながら、石畳の道を歩いていた。

 

その時だった。

 

「―――七瀬…?」

 

不意に、背後から僕の名前を呼ぶ声がした。

信じられない、といった響きを含む、聞き覚えのある声。

 

この世界の人間が知らない、僕の苗字。

それを知っているのは、僕の知り合い以外にいないはずだ。

 

心臓がどくん、と大きく跳ねた。

全身の血が逆流するような感覚。

時間が止まったかのように感じられた。

 

いや、むしろ時間を止めて逃げるべきか考えた。

 

 

僕は錆びついた機械のように、ぎこちなく、ゆっくりと振り返った。

 

そこに立っていたのは。

 

僕の幼馴染――の彼氏だった。

 

「……大野」

 

僕の唇から、かすれた声で、その名前が漏れた。

 

彼は僕の姿を認めると、その大きな目をさらに大きく見開いた。

その顔には、信じられないものを見たかのような、純粋な戸惑いが浮かんでいる。

 

「やっぱり……七瀬、だよな…? その髪……どうしたんだよ。ひさしぶりだな……ほんとに」

 

大野は、僕の肩まで伸びた黒髪と、唐突な再会に言葉を失っているようだった。

 

僕もまた、言葉を発することができなかった。

 

異世界で、日本の知り合いに会う。

 

そんな、偶然が今、現実として僕の目の前で起こっていた。

 

 

 

新井真理。

僕と同じ年に生まれ、物心ついた頃には、いつも一緒に遊んでいた幼馴染。

彼女との関係は、決して良好なものではない。

むしろ、腐れ縁、という言葉が一番しっくりくる状態だ。

 

小学生の頃は、まだ違った。

僕と真理と、そして、もう一人。

『あの子』がいた頃は。

 

僕たち三人はいつも一緒にいた。

 

駆け回り、笑い合い、ふざけ合い、分かち合った。

 

だが、『あの子』が突然姿を消したあの日から。

僕たちの関係は砕けて散った。

 

それ以来、僕たちは互いに距離を置きながら、ただ時間だけを共有してきた。

 

大野昇は、真理が高校に入ってから付き合い始めた彼氏だった。

前に一度、真理から紹介されたことがある。

クラスが違ったこともあり、ほとんど話したことはなかった。

ただ、真理が心から彼に惹かれていることだけは分かった。

いつも、どこか棘を隠し持っていた真理が、彼の前ではただの恋する少女になっていたから。

 

そんな、過去の記憶が僕の脳裏を走馬灯のように駆け巡る。

 

 

 

異世界の寂れた裏通り。

そこで僕たちは、ただ互いの顔を見つめ合ったまま、立ち尽くしていた。

時間の流れだけが、僕たちを置き去りにして過ぎていく。

 

どれくらいの沈黙が続いただろうか。

 

先に口を開いたのは、大野の方だった。

 

「……とりあえず、場所、変えねえか。こんなとこで、立ち話もなんだし」

 

その声は、まだ戸惑いの色を隠しきれていなかったが、彼の人の好さを感じさせる、落ち着いた響きを持っていた。

 

僕は黙って頷いた。

僕らは、互いの生存を喜び合う、という関係ではない。

それよりも先に、この混乱した状況を整理する必要があった。

 

 

僕は大野の知っていた一軒の、古びた酒場へと吸い込まれるように、入っていった。

騒がしい店内を抜け、奥にある薄暗い個室へと通される。

 

木の扉が重い音を立てて、閉まった。

外の喧騒が、嘘のように遠ざかる。

 

後に残されたのは、僕と大野と、そして、沈黙だけだった。

 

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