七瀬の姿が、森の木々に完全に溶けて見えなくなるまで、俺はその場に立ち尽くしていた。
やがて、彼の気配が完全に消えたことを確認すると、俺の全身から張り詰めていた糸が切れたように、力が抜けていく。
「はぁ……」
安堵のため息。
それと同時に激しい自己嫌悪が、胃の底からせり上がってくるようだった。
地面には、俺の仲間たちが人形のように転がっている。
七瀬の、あの得体の知れない黒い水(?)の魔法によって、意識を刈り取られた者たち。
もし、彼が本気を出していたら、俺たちは、一瞬で塵になっていたかもしれない。
あの黒い水はただの魔法じゃない。もっと、根源的で抗いようのない、死そのもののような気配を纏っていた。
俺は仲間たちを揺り起こしながら、ラモスの領主に拾われてからの日々を思い出していた。
西部での終わりのない戦争。
血と裏切りに塗れた、地獄のような日々から逃げ出し、東部へと流れ着いた俺たち。
そんな俺たちを、ラモスの領主は拾ってくれた。
住む場所と食事と、そして、「異世界人部隊」という、俺たちの力を活かせる場所を与えてくれた。
感謝はしている。
傍から見れば、東部で軍に使われていた日々と変わらないように見えるかもしれない。
でも、ラモスでは俺たちを
だから、これは最善の選択だったはずだ。
だが、その選択は俺を随分と縛り付けている。
いつから、こんな風になってしまったのだろうか。
「……う、うぅん……」
最初に目を覚ましたのは、木下だった。
彼は頭を振りながら、ゆっくりと身を起こす。
「……いってぇ……何が……?」
「七瀬に、やられたようだ。全員眠らされた」
「は、はぁ!? あんな奴に……全員!? 冗談だろ」
木下は信じられない、といった表情で周囲を見渡す。
この世界に転移してきた異世界人は、体の強い奴が必然的に生き残った。
前からスポーツをやってた奴や、肉体強化系のスキルを貰った奴らだ。
逆に俺みたいな非戦闘系のスキルや、魔法系のスキルを貰った奴は、ずいぶんと減ってしまったように感じる。
西部では、多くの人間が転移してきたから、雑に扱われた結果だ。
その弊害が、弱そうな雰囲気の奴に舐めてかかることなのだとしたら……もしかしたら、今後の任務で大きな失敗をするかもしれない。
そんな考察を、今回の戦闘から考えながら、他の仲間が目を覚ますのを待っていた。
「……撤退するぞ」
全員が起き上がると、俺はなるべく感情を表に出さないように命じた。
「領主様には俺から報告する。『対象は、予想を遥かに超える力を持っており、捕獲は不可能だった』と」
幾人かは不満そうな顔を浮かべているが、追手を出すことは明らかな悪手だった。
「これは、隊長命令だ」
だから、俺は有無を言わせぬ口調で、そう言い放った。
不満そうな顔した仲間も、俺の強い意志を感じ取ったのか、黙って頷く。
理不尽な命令。
だがそれに俺たちは、どうしようもなく慣れてしまっていた。
仲間たちが、撤収の準備を始めるのを横目に、俺は再び七瀬が消えていった森の闇を見つめた。
七瀬凛。
俺が彼と初めて会ったのは、高校に入学してから、半年ほどが過ぎた秋の日のことだった。
いや、正確に言えば、彼の存在は入学当初から一方的には知っていた。
白い髪に、赤い瞳。
まるで、童話の中から抜け出してきたかのような、現実離れした容姿。
入学してすぐに、彼は学校中の女子生徒たちの話題の中心になった。
「別のクラスに、めっちゃイケメンがいる」
そんな話題が、俺のいたクラスでも毎日のように交わされていた。
俺はそんな噂を、どこか別の世界の出来事のように聞いていた。
住む世界が違う。
そう、本気で思っていし、実際に会うまではそうだった。
噂だけ聞くのであれば、容姿端麗で頭脳明晰らしい。だが、人付き合いは少なく、誰とも仲良くならないことで有名だった。
だからまぁ、どっかのアニメの登場人物を眺めるようにしか、捉えていなかった。
そんな別世界の人間と、俺が関わりを持つようになったのは、一人の少女がきっかけだった。
新井真理。
俺が所属していた演劇部の同級生。
最初は、気が強い面倒な奴、という印象だった。
いつも不機嫌そうな顔で、俺たちを睨んで、文句を言う。
俺は、演劇部の仲間と彼女を仲介する役目にいつも追われていた。
そのくせ、誰よりも演劇に対して、真剣で情熱的だった。
だから、俺がそんな彼女の姿に、いつしか惹かれていったのも、必然だったのかもしれない。
そして、文化祭の日。
俺は、勇気を振り絞って、彼女に告白した。
結果は……まあ、何が影響したのか良く判っていないが、付き合えた。
そんな真理に、「紹介したい奴がいる」と、引き合わされたのが七瀬だった。
ちなみに、紹介されたとは言っても、俺と七瀬が特別親しくなることはなかった。
クラスも違えば、趣味も合わない。
演劇に興味も無ければ、アニメもプロレスも見ないし、趣味らしい趣味も持ち合わせていないようだった。
学内で、たまに顔を合わせた時に軽く話す程度の、そんな希薄な関係。
ただ、真理からは、よく彼の愚痴を聞かされていた。
「あいつ、一人だと、本当に何もしないんだから」
「何もしないくせに、何でもできちゃうのが、マジでむかつく」
最初は、少しだけ嫉妬もした。
真理が彼のことを話す時の、その親密な雰囲気に。
しかし、真理の言葉を聞いているうちに、俺は七瀬に対して、少しだけ人間味を感じるようになっていた。
完璧に見える彼にも、欠点があるのだと。
そして、真理が彼に向ける感情は、家族が引き取ってきた大きな犬の面倒を、仕方なく見ているような感じに、近いものだと気づいたからだ。
ありふれた、そして充実した、平和な高校生活。
俺はそんな日常を、ただ謳歌していた。
それが、この先もずっと続くものだと、信じて疑わなかった。
だが、そんな日常は、唐突に終わりを告げた。
二年に上がってすぐ。5月になって、中だるみが訪れつつあった放課後。
『――おめでとう。君たちは選ばれた』
頭の中に直接響いてくる、不思議な声と雑な説明。
混乱も収まらないうちに、俺たちは、見知らぬ石造りの広間に、クラスメイト全員と立たされていた。
何が起こったのか、理解できなかった。
ただ、目の前に広がるファンタジー小説のような光景と、王を名乗る男が語る非現実的な言葉に、俺たちは、呆然とするしかなかった。
異世界への召喚。
与えられた、ユニークスキル。
そして――その国での、俺たちの処遇。
俺に与えられたスキルは、『見定め』。
自分より弱い相手のステータスや状態を見ることができる。
一見すると地味なスキルだ。他のクラスメイトが自慢していたような魔法や派手な身体能力強化を、俺も使ってみたかった。
だがこのスキルは、この地獄のような世界で、俺が生き残るための唯一頼れる武器となった。
転移した時点で、俺はクラスメイトのほとんどのステータスを見ることができた。
何をもって自分より弱いと、スキルが判断しているのかはわからなかったが、そのおかげでうまいこと立ち回ることができた。
誰がどんなスキルを持っているのか。
誰が、戦闘に向いていて、誰がそうでないのか。
不要な衝突は避け、自分より強いスキルを持ってるやつには従う。
その時までは、クラスメイトを裏切ってまで、叶えたい願いが無かったのも大きな要因だった。
だけど、最初の戦いで、数人のクラスメイトがあっけなく死んだ。
その時、俺はやっと悟った。
この世界で生き残るためには、非情にならなければならない、と。
俺は戦場でも戦場外でも、このスキルを最大限に活用した。
敵兵のステータスを見る。
弱点を見つける。古傷、持病、苦手な属性。
そこを、的確に突く。
死にかけたら、敵や味方のスキルを看破して、命を繋いだりした。
不要なクラスメイトや、無駄な軋轢を生むクラスメイトのスキルをこっそりと奪う。
そうやって、自分が生き残れるようにスキルを最大限活用した
1人分の願いを叶える石では、大したことは叶えられられないということを知ったのも、この頃だった。
叶えられる願いには制限があるらしく、真理と会うといった、物理的に不可能なことは叶えられないらしい。
この世界の金は、そんなに要らない。地球に帰るのも、真理を置いて一人帰るなんて……意味ないと思ってたから。
だから俺は、それからも戦い続けた。
その結果、生き延びた。
心がゆっくりと麻痺していくのを感じながら。
真理のことが気にならなかったわけではない。
自由時間を見つけては、冒険者ギルドへ通い、何度も人探しの依頼を出した。
幸いにも異世界人の情報は、比較的手に入りやすかった。
彼女のクラスメイトが、西の端っこの国にいることまでは、突き止めることができた。
おそらく、真理もそこにいる。もしくは、何かの手掛かりがある。そう思って、国を抜ける準備をしていた。
――その矢先に、国が滅んだ。
俺は命からがら脱出し、真理に会うために旅を始めた。
結局、彼女と逃げる事は叶わなかった。
だが、緊急用の連絡手段だけは、なんとか確保して渡すことができた。
そして、長い旅路を終えて、俺はこのラモスへと流れ着き、今に至る。
この世界に来てから、もう三年近くが経つ。
今更、元の世界に戻ったところで、俺たちに居場所はないだろう。
受験勉強にも、ついていけないし、ニートになる未来しか見えない。
だから、俺はこの世界で骨をうずめる覚悟で働いた。
少しだけなら、願いを叶える石が残っていたので、今後の生活は何とかなる見通しがあった。
そんな時だった。
真理から、異常事態を知らせる、緊急の連絡が届いたのは。
彼女がいる国が、大規模な戦争に巻き込まれた、と。
すぐにでも駆けつけたかった。
だが、俺は既にラモスの駒だった。
領主の許可なく国を離れることなど、できはしない。
仮に、離れたとしても、彼女と戻る場所が無くなってしまうのであれば、意味が無いように思った。
そんな葛藤の中で。
一筋の救いのように、七瀬が再び俺の前に現れたのだ。
正直に言えば、彼を自分の部隊に誘ったのは、悪手だったと、今は思う。
部下という形にすれば、彼を別の国へ派遣するという名目で、真理の様子を見に行かせることができる、と。
そう、考えてしまったのだ。
手痛い反撃を受けて、俺も随分とこの世界に染まったな、と思った。
純粋な頼み事ではなく、利益や上下関係による命令を、最初に思いついたのだから。
結局、その浅はかな考えは、彼圧倒的な力の前に打ち砕かれた。
そして、俺は素直に真理のことを頼むことになった。
彼は承諾してくれた。
面倒な顔をしたが、何の見返りも求めずに。
自分の選択を、後悔することはある。
もっと、違うやり方があったのではないか、と。
だが、俺はその時その時の、最善を尽くしてきたつもりだ。
過去には戻れない。今を生きるしかないんだ。
「……大野?」
木下の声で、俺は長い回想から、現実へと引き戻された。
仲間たちは、撤収の準備を終え、俺の指示を待っている。
「……ああ。帰ろう」
俺は短くそう答えた。
そして、仲間たちと共にラモスの街へと歩き始めた。
七瀬に全てを託してしまった。
無責任な願い。
だが、不思議と心は少しだけ軽くなっていた。
彼なら、きっと何とかしてくれる。
そんな、根拠のない確信が俺の中にあった。
今なら、真理の愚痴を言う気持ちが少しだけわかる。
――結局、あいつは一人でなんとかしちゃうのよ
俺は空を見上げた。
空はどこまでも高く、そして青く澄み渡っていた。