あなたの能力は時間停止です   作:ハスキー大根

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小屋でロマナちゃんの悩みを聞いてから、数日が過ぎた。降り積もった雪が少しずつ溶け始め、冬の終わりと春の訪れを告げる微かな匂いが、森を包み込んでいた。

 

僕は、先日ロマナちゃんが漏らした悩みを、マリアさんに話すべきか迷っていた。彼女のプライベートな告白を、たとえ母親であっても勝手に話してしまうのは、プライバシー的にどうなんだろうと。

 

しかし、僕が一人で抱え込んでいても、何も解決しない。それに、自分より長く娘と付き合ってきたマリアさんのほうが、この悩み事に優しく寄り添ってくれると思って、僕は意を決した。

 

月が雲に隠れ、暖炉の火だけがリビングを揺らす静かな夜。夜の祈りの帰り際だったマリアさんに声をかけて、小屋の中へ案内した僕は、淹れたての薬草茶をマリアさんに手渡しながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「先日、ロマナちゃんから悩みを聞いてしまいました……」

僕の言葉に、マリアさんは静かにこちらを見つめる。その瞳は、波一つ立たない湖のようで話しやすかった。

 

「ミトラちゃんの魔法の才能に、少し嫉妬してしまった、と。自分は巫女に相応しくないのかもしれない、と……」

 

僕の言葉を聞き終えると、マリアさんはふわりと微笑んだ。その笑みは、まるで春の陽だまりのように優しく、この人が湖の精霊なんじゃないかとすら思えた。

 

「――そう。あの子は本当に、優しい子だから。自分のことよりも、妹のことを想って、心を痛めてしまうのね」

マリアさんの声は、古い物語を紡ぐ語り部のように静かで、この狭い小屋を包み込むようだった。

 

「でも、心配はいらないのよ、リン君。ロマナは、このラクサの村の巫女の後継者。それはもう、あの子が生まれた時から決まっていたことなの」

 

その言葉に、僕は少なからず驚いた。後継者は生まれた時から決まっているらしい。

では、ミトラちゃんは?成長すれば、この才能の歪みは大きくなるような気がしたのだ。

 

僕の疑問を察したかのように、マリアさんは言葉を続ける。

 

「ミトラはね、もう少し大きくなったら、私の姉が住む都市へ行かせるつもりなの。あの子には、そこで魔法を本格的に学んでほしい。きっと、素晴らしい魔法使いになるわ。あの子の才能は、こんな小さな村に留めておくべきではないの。これも、あの子たちが生まれる前から決まっていたことよ」

 

 

流れるように話し出したマリアさんの声は、この湖の巫女の継承にかかわる話を紡いだ。

 

「この湖の巫女はね。結婚すると必ず二人の女の子を授かるの。これは古から伝わる決まりごとのようなものなの。実際、私にも姉がいて、母にも妹がいたわ。

 

そして、巫女となる方にはその資格を与え、次代とするの。代わりに、ならない方には魔法の才を与えて、湖から離れたところで暮らすように決められているのよ。

 

だから、あの子たちの才能と継承は生まれる前、いえ、私が生まれるよりもずっと前から決まっていたことなの」

その言葉は、母親としての深い愛情と、湖の巫女としての役割を両立させるための葛藤が含まれているように感じた。

 

「それに、ロマナは精霊の巫女となれば、今よりもずっと強く、そして深く魔法を使えるようになる。

知ってる?私も昔は全然魔法が使えなかったのよ」

 

そう言いながら水の球を手の上に浮かべて、花火のように散らすマリアさんは昔を懐かしむ顔をしていた。

 

「だから、ミトラの才能に心を痛める必要なんて、これっぽっちもないのよ。あの子は、あの子だけの素晴らしい力を持っているのだから」

 

言い終わると、マリアさんは僕の淹れた薬草茶を一口飲んだ。その横顔は、神聖な雰囲気をまとっているように見えた。まるで、遠い昔からこの村を守ってきた。そのもののように。

 

静寂が部屋を支配する。暖炉の薪がぱちりと音を立てるのが、やけに大きく聞こえた。

 

そして、マリアさんは、思いもよらない言葉を続けた。その言葉は、静かな湖に投げ込まれた小石のように、僕の心に波紋を広げた。

 

「リン君。あなたさえよければ、ロマナと結婚してくれないかしら」

「……え…っと?」

 

僕は思わず間の抜けた声を出してしまった。僕が、ロマナちゃんと?なんだって?

あまりにも唐突な提案に、思考が停止する。脳内で、言葉の意味を何度も反芻するが、うまく理解が追いつかない。

 

確かに、この村に来てから、僕にはどこかへ行く目的など既になかった。この穏やかな場所で、この優しい人々と共に生きていくのも悪くない。そう思い始めていたのは事実だ。元の世界に帰る方法も無く、平穏は日々が続けばいいとすら思っていた。

 

でも、ロマナちゃんは、僕にとって妹のような存在だ。生意気で、意地っ張りで、でも本当は優しくて、寂しがり屋で。そんな彼女を、恋愛の対象としてなんて考えたこともなかった。

 

なんなら、こっちの世界に来てから性欲すらも無くなってしまったので、今から考えるのもかなり難しい。

 

 

僕の戸惑いを読み取ったのか、マリアさんは穏やかな声で付け加える。

 

「――湖の巫女はね。旅人と婚姻することが多いの

もちろん、絶対じゃないし、村人と結ばれることも多いわ。父もこの村の人だったと聞いていますし。

それにすぐに、結論を出す必要はないわ。ロマナもあなたも、まだ若いし、時間はたっぷりあるわ。でも、心の片隅に、留めておいてくれると嬉しいわ」

 

 

笑いながらそう言うマリアさんの目は、真剣だった。その瞳の奥には、娘の幸せを願う母の祈りなのか、古からの決まり事を守る巫女の祈りなのか、僕には判別がつかない。

 

「……もう遅いから、私は行くわね」

そう言って、マリアさんは静かに立ち上がり、小屋を出ていった。夜の闇に、その白い姿が溶けていく。まるで、最初に出会ったあの夜のように。

 

 

一人残された僕は、新しい状況に頭を悩ませていた。結婚なんて、考えたこともなかった。僕のろくに考えられていない人生設計に、そんな項目は存在しなかったのだ。

 

 

僕の心は、静かな嵐に見舞われていた。穏やかだったはずの湖面に、大きな石が投げ込まれ、波紋がどこまでも広がっていく。

 

メリットとデメリット、自身の感情、ロマナちゃんがどう思うか。マリアさんの狙いは何か。

そんなことをずるずると考えていたら、夜が明けて昼になっていた。

 

こういうとき、寝て忘れるという行為ができない自身の体は実に不便だなと思った。

そして、そんな僕の思考を中断させたのは、小さな訪問者だった。

 

「リン、なにしてるの?」

ミトラちゃんだ。いつの間にか、僕の隣にちょこんと座っていた。その小さな手には、きらきらと輝く水の玉が浮かんでいる。その純粋な瞳は、僕の心のざわめきを見透かすように、まっすぐに僕を見つめていた。

 

「魔法、見せてあげる」

 

そう言って、ミトラちゃんが何かを呟くと、手のひらの上で水の玉を自在に操り始めた。イルカの形になったり、鳥の形になったり。その動きは、まるで命を宿しているかのようだった。光を受けてきらめく水滴は、さながら小さな宝石のようだ。

 

少し前に教わったばかりなのに、もう自由に魔法が使えているのだから、才能は残酷なんだと思う。

でも、その無邪気な姿を見ていると、僕の心の中の嵐が、少しだけ和らいでいくのを感じた。

 

そういえば、この村に来る前は、魔法をもっと知りたいと思っていたんだった。自分の体に宿った、この不思議な力について。森での孤独な日々、僕の心を支えてくれたのは、魔法という未知への探求心だった。

 

「すごいね。まるで生きているみたいだ」

僕がそう言うと、ミトラちゃんは得意げに胸を張った。

 

「ふふふ」

その表情は、自分の作品を褒められた芸術家のように、誇らしげだった。

 

「リンもやってみて。こうやって、心の中で『お願い』するの。水さんと、お友達になるみたいに」

 

ミトラちゃんの感覚的な教えは、まるで詩の一節のようだ。理論や理屈ではない、もっと根源的な何か。僕はその言葉に導かれるように、自分の得意な影魔法を試してみることにした。

 

『お願い』か。そんな風に魔法を動かしてみようと思ったことはこれまで無かったな。

手のひらに意識を集中させる。

そうなるのが良いと。僕中のイメージに近づくように何者かに願う。

 

すると、影が伸びていき実態を持つ。それは、夜の闇そのものを切り取ったかのような、深い黒色をしていた。

 

以前よりも、ずっとうまくいった。影は、僕の思った通りに形を変え、ハリネズミのようにな形をとる。以前はただ伸び縮みさせることしかできなかった影が、今は明確な意志を持って動いている。

 

この違いは、一体何なのだろう。お願いしたから?それとも、ミトラちゃんの隣にいるからか?

「なにこれー」

 

丸くなるハリネズミをミトラちゃんがつつくと、飛び上がって床に落ちる。

 

僕の影から、影蜥蜴が飛び出して。ハリネズミを追いかける。そして、ミトラちゃんが水で作り出した白いイルカの周りをくるくると回り始める。

 

光と影が織りなす幻想的な舞踏会というには、ただの追いかけっこのようにも思える。

興味深いね。この魔法で作り出したハリネズミには感情があるのかな?

 

その後も、僕たちは、時間の経つのも忘れて、魔法で遊び続けた。マリアさんの提案した結婚話も、ロマナちゃんの悩みも、その瞬間だけは、僕の頭からすっかり消え去っていた。

 

「水遊びは外でやりなさい!」

 

突然、背後から聞こえた凛とした声に、僕たちはびくりと体を震わせた。いつの間にか戻ってきたマリアさんが、腰に手を当て、仁王立ちで僕たちを叱る。

 

小屋の中は飛び散った水滴で水浸しになっていた。

僕とミトラちゃんは顔を見合わせて、笑い合った。

 

こうして、ラクサ村での穏やかな日々は、ゆっくりと、しかし確実に過ぎていく。僕の心の中に、新しい感情が芽生え始めていることにも気づかないまま。それは、家族愛なのか、それとも……。まだ名前のないその感情は、春の雪解け水のように、静かに僕の心を満たしていくのだった。

 

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