治癒スキル幼女は医薬品です。   作:月生あひめ

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3-11 鬼ごっこ

「待て待て〜! 鬼さん、待てぇ〜っ!」

 

 ウタリは鬼たちの後を追いかける。一人が転んで後退りながら木に背を押し付け、身体を縮こませながらウタリを見上げる。ウタリは彼に近寄り、べ〜ッと下を出した。

 

「アアァッ⋯⋯アッ、アアアアァァァーッ!」  

 

 狂ったような叫び声を上げながら、鬼は四つん這いになり逃げていく。

 

「きゃはははっ! へたれねっ!」

 

 すぐそばで動揺するような声が上がった。言葉はわからないのに、びっくりしているような声色なのはわかる。

 

 振り返ると、鬼の何人かが立ち止まって、木の棒の先っぽについた包丁をウタリに向けていた。ウタリはにっこり笑って手を振り、また挨拶する。

 

「はぁい! 鬼さんこーちら!」

 

 ウタリの顔を見た彼らもぎょっとしたように表情を引きつらせて、後ずさる。あの人たちも叫ぶのかしら? 期待してウタリは駆け出した。

 

「お〜ば〜け〜だ〜ぞ〜!」 

 

 叫ぶと彼らは木の棒を投げ出し、絶叫しながら一目散に逃げていった。

 

 遠くにいた鬼たちも、ウタリが近づけば情けなく叫び散らして、どっかにいってしまう。なんか、ちょっぴり寂しくなってくる。

 

「ねー! ねー! ウタリそんなに怖い?」

 

 あちこちから鬼たちの素っ頓狂な悲鳴が、花火みたいに響いていた。

 

「ギャアアアアアアーッ!」

 

「ウワアアアアアアーッ!」

 

「ママァァァァァァッ!」

 

 全身の血が熱を帯びてたぎり、ウタリは喉が枯れるくらい笑い狂って、うきうきステップを踏みながら鬼たちを追いかける。

 

 村のお祭りを思い出す。年の近い子供たちが、花火や太鼓の音に合わせて駆け回っていた。

 

 あの時も、みんなきゃあきゃあと叫びながら、笑っていたっけ。

 

 最後に聞いたのは、いつだったろう。もう忘れちゃったけど。

 

 でも今、またお祭りが始まった。

 

 鬼たちは走り回ってくれてる。転んで、叫んで、騒いでて、とっても楽しそう。

 

 並んで歩いていた鬼たちは、ウタリが近づけば蜘蛛の子を散らすようにバラバラになり、鬼ごっこみたいに逃げ惑い、転び、おもらしして、もうめちゃくちゃだった。

 

 バキュンッと爆発するような音がして、ウタリの額を何かが素早く貫通していった。血がたらたら落ちてくる。

 

「ん?」

 

 正面の木の陰から、木の棒をこちらに向けた鬼がいた。

 

 何が起きたかわからないが、あの木の棒から何か飛んできてウタリの頭を貫いたようだ。

 

 ウタリはヒヒッと自慢げに笑い、木の陰の鬼に向かって走り出す。

 

「こんなのへっちゃらだもん!」

 

 鬼は木の棒を投げ出し、悲鳴を上げて逃げていった。

 

 バキュン、バキュンとあちこちから耳が痛くなるような破裂音が響く。草むらに隠れた鬼たちが、木の棒をウタリのほうに向けている。

 

「だーかーらー! ウタリには効かないんだってば〜!」

 

 草むらに向かっていくと、やはり彼らも悲鳴を上げて逃げていく。

 

「よわっちーの!」

 

 バキュン、とまたこりずに音が鳴って、目の前を横切っていく鬼が倒れる。

 

 バキュン、バキュン、バキュンと連続してうるさい音が鳴り、悲鳴を上げ逃げ惑う鬼たちが次々と倒れていく。ウタリを狙っているけれど、間違って仲間を壊してしまっているみたいだ。

 

 ウタリはキャッキャと笑いながら鬼たちに突っ込む。

 

「仲間壊してどーすんのさ!」

 

 鬼たちは何が何だかわからなくなっちゃったようにお互いを壊し合い、落ち葉の上に血の海をたくさん広げていった。

 

 生き残った鬼たちはみんな森の奥へ逃げていき、倒れた鬼たちは白い泡を口から吹いてお空を見上げていた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ファディルは、医薬品に追いかけ回されて逃げ惑う敵兵の姿を、拡大視及び生体反応感知レイヤーで同時確認していた。

 

 木立の間に、敵兵たちの放つ生体反応粒子が赤い霧のように立ち込めている。粒子は体熱、水蒸気、脳から僅かに放たれる神経発火分子などで構成されるものである。

 

(敵の生体反応粒子、『興奮』『神経高揚指数平均九十パーセント』『内臓温度五パーセント低下』生理学的観点における『恐怖』に分類される現象発生中)

 

 計画通り、撃退に成功した。

 

「作戦成功です。皆さん、敵が完全に撤退するまで、警戒態勢は解除しないでください」

 

 島兵たちは、ファディルの指示通り警戒を崩さず、誰も一言も発しない。ただ粛々と、命令を待っているようだった。

 

「あああっ⋯⋯うぅっ⋯⋯」

 

 隣にいるノリが、情けない嗚咽を漏らしていた。泣いている理由を解析する余裕は、今のファディルにはない。

 

 ノリが涙声で言った。

 

「⋯⋯クル⋯⋯オッキディス⋯⋯ティ⋯⋯」

 

 ノリの口から敵国語が飛び出し、ファディルは彼を振り返る。

 

 クル・オッキディスティ──どうして殺した、という意味だ。

 

「どうしたのです、ノリ」

 

 ノリは見開かれた目から大粒の涙を流し、敵国語で子供のように喚き散らした。

 

『いぎだがっだのに、もっといぎだがったのに、おうぢにかえりだがったのに、ままとぱぱにあいだがっだのに、むすこがいるのにむすめがいるのにつまがいるのにしごとがあるのにもっとやりかたかったことがあったのにゆめがあったのにかえせよおれのいのちをじんせいをかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせ──』

 

 止まらない言葉が、数値では表現できない感知熱を持ってファディルの脳を打つ。

 

『かえせかえせかえせ──』

 

 観測停止。拡大視レイヤーを解き、ファディルは黙ってノリの横顔を見つめた。

 

 ノリは皮膚が裂けんばかりに表情を歪め、顎が外れそうなぐらい口を開け、白目を剥いている。明らかに異常をきたしたノリの様子に、ファディルは一歩後退る。

 

(──身体冷却式)

 

 ノリは泡を吹きながら、必死に言葉を振り絞るように言った。

 

「はん、ちょ⋯⋯れいの、ひょーいが、ああああぁぁぁ⋯⋯おもすぎる、たくさん、はいってくる⋯⋯」 

 

「ひょーい?」  

 

「せんしした、てきの、れいに⋯⋯からだ、のっと、られ⋯⋯」

 

 ノリの発言を整理した瞬間、ファディルの身体冷却式が暴走した。定数が、関数が、論理記号が──制御不能の熱量で脳内を奔流する。

 

 ──戦死した敵の霊に、身体を乗っ取られている。 

 

 非科学的な単語。文脈。法則の外。ファディルの理解は、そこで立ち止まる。原因、解明不能。

 

 だが、現実にノリは、数式化できない何かに襲われていた。原因が定義できなくても、それが彼を破壊しかけていることは、感覚でわかる。

 

「いくら、ぼくが、れい、ばいたいしつ、だからって⋯⋯こんなに、はいられたら⋯⋯はれつ、するぅっ⋯⋯」

 

 ファディルはしゃがみこみ、ノリの肩に触れようとした。

 

「ノリ⋯⋯」

 

 ノリは苦しそうに荒い息を吐きながら言った。

 

「さわ、ないで⋯⋯はん、ちょも、のっ、とられ、る⋯⋯」

 

「何に?」

 

「れいに⋯⋯れい、だよ⋯⋯れい、わか、る⋯⋯?」

 

 霊。死者の魂。概念としては把握している。だが、そこから先に思考が進まない。原因不明、構造不明、論理化不可能。ファディルの思考式は、そこで完全に途切れていた。

 

「う、うた、り⋯⋯ちゃんが、あぶ、ない⋯⋯」

 

「医薬品がどうかしたのですか?」

 

 ノリは弱々しく首を振る。涙と鼻水に濡れた顔を上げ、訴える。

 

「いやく、ひん、じゃない⋯⋯う、た、り、ちゃ、ん⋯⋯」

 

 医薬品ではない、「ひと」の名前。その言葉は、ファディルの思考式に異常な負荷をかけた。

 

 医薬品。それ以外の分類。何だ。人間。個人。固有名詞、情動、人格、主観。数式が、乱れる。感情の干渉因子。定義不能。

 

 数式が乱れる。認知式がエラーを返す。警告が点滅する。

 

 ──異常デエタ入力。計算不能。 

 

 ──再定義を求む。再定義を──

 

 その瞬間、脳内で過去の音声が再生される。

 

『ばけもの!』

『魔女の子!』 

 

 ザザザザザッ──

 

 思考を損なうノイズ。

 

 それをかき消すように、幼い頃の自分の声が再生された。

 

『私はばけものではありません。魔女の子でもありません。そんなもの存在しない。人間の妄想です』

 

 ──音声停止、思考停止。

 

 正常値に戻った聴覚に、ノリの呟きが触れる。

 

「うた、り、ちゃん、が⋯⋯れいに、くわ、れる⋯⋯」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「あ〜あ、みんな帰っちゃった」

 

 鬼たちは森の向こうへ逃げていき、もう姿も見えない。腰を抜かして木にもたれかかってる人が何人か残っているけど、大半はどっかに行ってしまった。

 

 ウタリはその中の一人、木に寄りかかって震えている鬼に近づいた。

 

「ばあっ!」

 

 鬼は泡を吹いてぶるぶるがたがた震える。ウタリはおかしくなって、腹を抱えて笑った。

 

 でも──ふいに、その鬼の身体が仰け反る。

 

 喉を詰まらせたような呻き声。四肢がばたついて、地面をひっかくように暴れだした。

 

 そして、びたん、と全身を投げ出して動かなくなる。

 

「ん? どーしたの?」

 

 そう訊いたときだった。

 

 鬼の目が、かっと見開かれる。

 

「な、なっ、何よ、いきなり!?」

 

 目玉が今にも落ちそうなほど見開かれ、その瞳が──紫色に光り出した。

 

 次の瞬間、身体の内側から漏れるように、黒い炎のような光が立ち上る。髪を、肌を、衣服をなぞるようにして、それは全身を黒く染め上げていく。

 

 何かが、変わった。

 

 黒い塊は獣のような咆哮を上げ、飛び上がるように立った。

 

「え、えっ? 何、何──」

 

 困惑するウタリを鬼は紫色の瞳で睨み、片手を振り上げた。五本の指が植物のツルのようにびょんと伸びる。ウタリは仰天して、ひっくりがえってしまう。

 

「ゆ、ゆびが⋯⋯」

 

 ツルのような指は、まるで鍬の矛先のように折れ曲がり、次の瞬間。

 

 ──びゅっ

 

 指先が槍のように鋭く伸び、ウタリの腹を貫いた。  

 

 腹の中を引き裂かれるような感触とともに、爆発するような衝撃が走る。かゆいのとは違う、いや、かゆいのよりもっと凄まじくて強烈な何かが、ウタリの全身を襲った。

 

「あああああああああああああぁぁぁっ!」

 

 絶叫がほとばしる。ウタリは手足をばたつかせた。落ち葉が舞い上がり、土ぼこりが着物に降りかかる。

 

 鬼が、狼のようなギザギザの歯をむき出しにして口を開けた。

 

 紫に光る瞳が揺れている。

 

 そして、わけのわからない言葉を吐き出した。

 

 訴えるような、苦しそうな、悲しそうな、そんな声色で。

 

 ウタリの視界が、ゆっくりと歪んでいく。頭上の木々が歪んで、突然、大きな葉っぱが視界いっぱいに広がる。カラリヤの葉だろう。葉と葉の隙間から光がこぼれている。

 

 いきなり、目鼻立ちの彫り深い青年の顔が横から現れた。彼の被っている逆さどんぶり帽子には、赤い十字のマークがついている。誰だろう?

 

 青年は血まみれの手で破片を抜き取り、投げ捨て、そして両手でウタリの腹の中をぐちゃぐちゃ、と探るように動かした。

 

 うぶっ、と喉が勝手に動く。吐き気。異物感。お腹の中で何かが爆ぜて、悲鳴が勝手に喉から吹き出した。

 

「あ、あああああああああっ!」

 

 ふと、頭の奥に、誰かの言葉が流れ込んでくるようだった。

 

 手当て。苦しい。破片。腹。刺さった。助けて。死にたくない──。

 

(これ、もしかして⋯⋯)

 

 ウタリはふと、気づく。

 

 鬼の記憶。

 

 怪我をして、苦しんでいる時の記憶。

 

 ノリの声が蘇る。

 

 ──そうだよ。ウタリちゃんが今感じているのは、この怪我した兵隊さんの『イタミ』だよ。

 

 イタミ。ウタリが今、感じているのも、それだった。

 

 でも、これはウタリのイタミじゃない。

 

 ウタリの口から、ウタリじゃない男の声がもれた。

 

 苦しそうな涙声だった。

 

 そうか。この鬼も、いたかったんだ。

 

 血が出て、さけびたくなるくらい痛くて、泣きそうで。

 

 島の兵隊さんたちと、おんなじ。

 

 なのに──

 

 なんで、こんなにいたいのに、刺しちゃったんだろ。

 

 おなかを刺されて、何か、よかったことあったのかな。

 

 意味、あったのかな。

 

 おなかの中、ぐちゃぐちゃになって、鬼のお医者さんのしごと、ふえちゃっただけなのに。

 

 わかんない。

 

 ──へんなの。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 敵部隊に向かって走っていったウタリを探して、ラフマンは彼女を呼んでいた。

 

「ウタリー! どこだー!」

 

 叫び声が林の遠くまで反響するのも意にかさず、ラフマンはウタリを探し続ける。

 

 太陽はほぼ山の峰に沈み、暗い青色の宵闇が林を包み込み始めていた。消えかかりそうなくすんだ橙色の木漏れ日が、落ち葉に輪を描いている。

 

 輪に照らされるように、敵兵たちが倒れていた。血溜まりの上で陸に打ち上げられた魚のように飛び跳ね、痙攣している者。木に背を預けて座り込み、ぶつぶつ呟いている者。腹に滲んだ血を手で押さえて絶命している者。

 

 ゾンビ姿のウタリが駆け回ったことで、敵兵たちはこの世のものではない恐怖の存在に直面し、極限の混乱状態に陥ったようである。

 

「ウタリ! ウタリィィィー!」

 

 呼んでも返事はない。再生のために眠ってしまったのだろうか。

 

 ラフマンは腰を屈めてハァ〜と長い息を吐き、無限に続く紺色の闇に閉ざされた疎林を見回した。

 

 闇の中からウタリを探し出すのは、真っ暗闇の中で豆一粒を拾い上げるようなものだ。

 

「一体、どこに⋯⋯」

 

 獣の唸り声が突如茂みから発せられ、ラフマンは硬直し鳴き声のしたほうを見た。敵兵が一人立っていた。自分と同じく軍服を身に纏い、ヘルメットを被り、歩兵銃を握っている。

 

 眉間に開いた創痕から血が垂れ落ちている。明らかに頭を撃たれているにも関わらず、彼は生きていた。

 

「は⋯⋯?」

 

 ラフマンの全身の筋が石のように強張っていく。

 

 敵兵の片腕があらぬ方向へゴキゴキと音を立ててネジ曲がり、ラフマンは悲鳴を上げて腰を抜かす。

 

「ぎ、ぎぃぃぃぃぃーっ」

 

 敵兵の口から、人間とは思えない木の軋むような異音が発せられる。

 

 螺旋の皺を描いて捻じれた片腕が、生々しい音を立ててツルのように伸びていく。袖が千切れて、血が雑巾を絞ったように勢いよく垂れ落ちる。

 

 ラフマンは暴れるように四肢をばたつかせながら、落ち葉を巻き上げ後退る。

 

「な、な⋯⋯っ」

 

 死んだはずの敵兵が動き、腕を捻じ曲げながら茂みから出てきた──途端、風切り音とともに彼の姿が消え失せる。

 

 上から猿の悲鳴のような叫び声が聞こえ、見上げた瞬間、血の雨の生温かい雫がラフマンの顔面に被った。

 

 上下が真っ二つに千切れた敵兵の胴体が空から降ってきて、落ち葉を巻き上げて内臓をぶち撒ける。

 

「ウタリはこっちだ」

 

 しわがれた不気味な声が背後から聞こえ、ラフマンは後ろを振り返る。

 

 黒い人影が紺色の闇に溶けていた。腰辺りまで伸びた長髪に全身を覆う外套──イルハム兵長だ。

 

 音もなく現れた彼に頭がとうとう沸騰してどうかしてしまいそうになり、から笑いしながらラフマンは「へ、兵長殿⋯⋯」と呟く。

 

 イルハムの片手には血濡れた軍刀、もう片手には肩に担がれたウタリがいた。彼女の姿を見た途端すぐさま意識が研ぎ澄まされ、口を押し開いて声が出た。

 

「ウタリ!」

 

「大丈夫だ、眠っているだけだ」

 

 イルハムは溜め息を付いて、宙に視線を向ける。

 

「全く、お前らはいつもそうだ。肝心な時にこっち側の世界に俺を出してくれない。出してくれたら追撃部隊も瞬殺できたのによ」

 

 ラフマンはイルハムの視線の先を見たが、何もない。ノリと同じく、イルハムも見えない何かと話せるようであった。

 

 お前ら、こっち側の世界に出られなかった、追撃部隊を瞬殺できた、言葉の節々から読み解くに、イルハムは見えない何者かによって戦闘を制御されていたようである。

 

 イルハムは視線を足元へ落とし、死んだ敵兵を見下ろした。

 

「奴は魔物化していた」

 

 魔物。人々に害をなす悪の異形たちのことだ。魔物は人に憑依して悪さをするが、人自体が魔物化するとは聞いたことがない。

 

「どういうことです? 人が魔物化するって⋯⋯」

 

 ノリを通じてあちら側の見えない世界を覗いてしまってから、イルハムの言うことも頭にスッと入ってくる。

 

 イルハムはどこか哀れみを滲ませたような声色で答える。

 

「死んだのが悲しすぎて、肉体ごと魔物になっちまったんだよ」

 

「悲しすぎて、魔物に?」

 

 イルハムは、宵闇に現れ出した雲間のおぼろ月を見上げる。

 

「未練たらたらだと、魂は肉にしがみついて離れなくなるのさ。あの世へ行くことを拒絶した魂は、そのまま肉体ごと化け物になって永遠に地をさまよう。時間感覚が無くなり、生きているのか死んでいるのかわからない空白の時間が無限に続く。さっさと死んだことを受け入れれば楽になれるのにな、人間そうもいかねぇな」

 

 話していて幾分頭が回るようになり、ラフマンはイルハムに訊く。

 

「あなたは何者です?」

 

 イルハムは長い髪の毛の隙間からラフマンを見た。

 

「──人間か化け物か、生きているのか死んでいるのか⋯⋯俺もわからん。どっちなのかな」

 

 確かにイルハムは人間と呼べるものではないだろう。音もなく突如現れては、消える。幽霊でもなければできないことだ。だが人間と全く同じように話せるので、完全に化け物というわけでもないらしい。

 

 イルハムがこちらへ近寄ってきて、ウタリをラフマンに託した。ラフマンはウタリを両手で抱える。

 

「ウタリを連れて、隊列に戻れ」

 

「兵長殿は?」

 

「俺は一旦、別次元に戻る」

 

 イルハムの姿が突如その場から消え去り、ラフマンはよろけそうになった。

 

(兵長、幽霊か? いや、ウタリを担いでたし⋯⋯何なんだろうな)

 

 とにかく隊列へ戻らなければ。ラフマンは眠るウタリを抱えながら、元来た道をたどった。

 

 

 

 

 円型防衛陣の外周に戻ると、ファディルの声がした。

 

「医薬品の回収、ごくろうさまです」

 

 完全にウタリをもの扱いする外道に、胃の焼けるような不快感を覚えた。

 

「敵部隊、完全に沈黙。それでは、撤退陣形に移行します。──前衛、後衛、左右翼開け」

 

 ファディルは一つずつ、陣形を変形させる指示を出していく。言った通りに円型防衛陣が撤退陣形へ変形していった。偵察班、前衛、前衛後衛左右翼、その中に非戦闘員、後衛、殿──。鳥が翼を広げたような形の陣形が整う。

 

「────総員、撤退」

 

 棒読みで、しかし凛とした響きのある声でファディルは号令をかける。

 

 前方から少しずつ島兵たちが歩き出し、前衛部隊にいるラフマンもウタリを背負いながら進む。

 

 

 

 

 

 こうして、ファディル考案の撃退作戦は終わりを迎えた。

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