治癒スキル幼女は医薬品です。   作:月生あひめ

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4-12 私のジビエ

 いつものやたら単語の発声を引き伸ばす「班長」が聞こえた。 

 

「⋯⋯ノリ」 

 

 身体の硬直が一気に解れ、ファディルの肩が自然とがっくり落ちる。

 

(──胸部安定式)

 

 ノリがファディルのそばにしゃがみこみ、微笑みかける。

 

「何で水溜りにおっちゃんこしてるの?

 ほら、班長」

 

 ノリは両手に持つ盆の上のアイスコーヒーを突き出した。

 

「疲れているみたいだね? ちょっと僕とコーヒーブレイクしない?」

 

 ファディルはカップの中で揺れるアイスコーヒーを見つめた。

 

(最優先事項︰アイスコーヒー)

 

 急激に脳内の各演算機能が復活してくる。千切れていた数式が形を取り戻し、ファディルの意識は通常状態へ移行した。

 

 ファディルは立ち上がり、カップのソーサーを摘んで一口飲む。焙煎された豆の香ばしい香りと舌を刺激する苦みが、口いっぱいに広がり脳を刺激する。

 

「脳内、完全復活しました」

 

 ファディルはカップを両手で包み、貴重品を抱えるようにきゅっと握り締める。

 

 もう一口こくりと飲んで、ファディルはハァと小さく溜め息をついた。

 

「あなたが淹れたアイスコーヒーは、美味しいです」

 

「よかった〜」

 

 ノリも立ち上がった。

 

「ここじゃ水滴ぼたぼた冷たいし」

 

 ノリはすぐそこの壁に開いた小さな穴ぐらを指さす。

 

「あそこで雨宿りしよ? コーヒー飲みながらさ」

 

 

 

 

 

 穴倉に腰を下ろしたファディルとノリは、アイスコーヒーを堪能した。 

 

 ファディルはコップに注がれたコーヒーを一口飲む。煎りたてのような香ばしい香りが口いっぱいに広がり、身体を強張らせていた緊張が抜けていく。

 

「なぜ私がここにいるとわかったのですか?」

 

「なんとなく、だよ」

 

 とぼけるようにノリが答える。

 

「こうやって二人でコーヒー飲むの、久々だね」

 

「そうですね。前回は、消灯前の小隊長執務室の窓際でノリと飲んでいました」

 

「よく覚えているね。懐かしいね」

 

 ノリはコーヒーを一口啜った後、暫し沈黙してから口を開いた。

 

「班長に話しかけてきたおじいさんの声で、だいぶ緊張していたみたいだね」

 

 ファディルはコーヒーを噴き出し、激しくむせる。コーヒーの垂れ落ちるファディルの口を、ノリが袖で拭った。

 

「げふっ、げふっ⋯⋯なぜ、それを⋯⋯」

 

「あのおじいさんは、カイラス岳の神様。この山に来てから、すぐ友達になったんだ」

 

「神⋯⋯」

 

 やはりあの声は、神と呼ぶに相応しい高度な知性を持つ非物質的知的生命体だったのだ。

 

 蒸し暑い熱気で三十七度に達していた体熱が、一気に三十四度に下がった。寒気の走る腕をファディルは両手で擦る。

 

「肉体を持たぬ未知の知的生命体、ですか。⋯⋯キノコ並みに恐ろしいですね」

 

「神とキノコ一緒にすんなよ」

 

「つまりカイラス岳全体が、知的生命体の肉体ということでしょうか?」

 

「うーん⋯⋯肉体というか、家というか」

 

 頭の中に次々と「知的生命体」の考察が浮かび上がり、ファディルは独り言を呟く。

 

「木に意識はありませんが、それは人間の勝手な思い込みであり、実は意識が存在するかもしれない。それと同じく、山という無機物にも意識が宿る。その意識が、あの知的生命体でしょうか。山を覆う草木の意識の集合体?⋯⋯しかし、脳を持たぬ植物に言語野などありはしない。人語を理解できるほどの知能を持っているかと思うと、それは否⋯⋯」

 

「神は人間の常識じゃあ理解できねぇって」

 

「なるほど。分析難易度と不可解さはキノコほどですか」

 

「だからキノコと一緒にすんなってば」

 

 ファディルはコーヒーを一口飲んで訊いた。

 

「その知的生命体と、友人に?」

 

 友人という言葉は知っているが、具体的にどういう関係性なのか、ずっと孤独だったファディルにはわからなかった。

 

「班長、神には緊張するんだね。普段は全然動じないのにさ〜」

 

「非科学的なもの及びキノコは数学的、物理学的に理解不能です」

 

「まぁ、確かに神は数学でも物理学でも理解できんわな」

 

「なぜあなたは、その⋯⋯知的生命体と話せるのですか?」

 

「僕ね、巫女の一族だから神とか精霊とか霊とか非科学的なものと、話せるんだ」 

 

「み、こ⋯⋯?」

 

 脳内辞書検索。神に仕える使者。知的生命体と友人になれたことに整合性あり。

 

「僕の索敵能力も、実は巫女の力なんだ」

 

 巫女の力。非科学的能力により、全方位三百メートルを目視なしで索敵できることに整合性あり。

 

「⋯⋯そう、だったのですね。理解はできませんが、納得はできます」

 

「びっくりした?」

 

 ファディルは小さく首を横に振る。

 

「演算式にノイズがかかりません。おどろくほどノリの会話を理解可能です」

 

「よかった。神に頼んでよかった。班長落ち込んでたみたいだし、励ましてって頼んだの。あと、班長には僕や神のこといつか話そうって思ってたし。ちょうどいい機会だと思って」

 

「はぁ⋯⋯」 

 

 今までのノリの不可解な言動は、非科学的ゆえに理解不能だったのだ。

 

(⋯⋯理解はできませんが、納得はできます)

 

 ノリはまた一口コーヒーを飲んだ。

 

「⋯⋯献血機関、残念だったね」

 

「はい。不完全に終わりました」

 

「この山に敵が押し寄せて来た時、結構、大変になりそうだね。ウタリちゃん、も」

 

「ウタリ⋯⋯医薬品ですか?」

 

「医薬品じゃなくて、ウタリちゃん。呼んでごらん、ウタリちゃんって」

 

 呼びたくないと拒否するように、喉に閉塞感を覚える。ファディルは閉じようとする唇を必死にこじ開け、言った。

 

「ウ⋯⋯」

 

 喉が震えた。言うな、と脳が拒否反応を起こしていた。

 

「ウ、タ⋯⋯」

 

 声が震える。

 

「ウ、タ⋯⋯リ⋯⋯」

 

 はぁ、と緊張の溜め息が漏れる。

 

「はい、よくできました」

 

 ノリは制帽越しからファディルの頭を撫でた。帽子越しに感じるノリの指の感覚に、ファディルは無言で集中する。 

 

「私は⋯⋯いや、⋯⋯いや、ウ、ウタ、リ⋯⋯ウタ、リ⋯⋯ちゃ⋯⋯さん⋯⋯を、物資として扱っていました」

 

「どうして? 自分でも、わかる?」

 

「これは憶測ですが⋯⋯耐えられなかったのです。自分と同じ『ばけもの』が目の前にいるのが」 

 

 言葉が止まらなくなる。胸部に内蔵されていたあらゆるものが勢いよく放出するように、ファディルは吐き出す。

 

「私は小さい頃からばけもの、ばけものと数多くの人々から罵られてきました。この髪が、目が不気味だからと。ばけものと否定され続けて、自認識確立定義がいつもぶれて苦痛でした。その苦痛を取り除くために、今まで非科学的なものを全排除してきました」

 

 七歳のあの日、ファディルは木に言った。

 

『私はばけものではありません。魔女の子でもありません。そんなもの存在しない。人間の妄想です。私はただ、特殊体質なだけ。この銀髪と赤目も、科学と論理で証明できる範疇のもの⋯⋯そうですよね?』

 

『数字と科学と論理だけが、この世界を定義してくれます⋯⋯あなたのことも』

 

 あの日から自分の中の感情などが硬く閉ざされて以降、数字、科学、論理だけでファディルは世界を認識しようとしてきた。そうしなければ、精神的安定性を保てず自我崩壊してしまいそうだったから。

 

「いや、く⋯⋯いや、ウタリ、さん⋯⋯を物資扱いすることで精神的安定性を図っていたのです」

 

 ノリがファディルを抱き締めた。

 

「そうか⋯⋯だから医薬品呼ばわりしていたんだね」

 

「医薬品の呼称を解除するのは、精神的負荷を上昇させます」

 

「じゃ、医薬品のままでいいんじゃない? 班長が、辛いならさ」

 

「⋯⋯はい」

 

 ノリの体温を感じながら、ファディルは目を閉じる。

 

 胸の奥の硬く閉じられた部分が、音を立ててひび割れだす。泣きも笑いもしない木になろうと誓ってから、ずっとずっと硬く分厚く覆ってきた鉄壁に亀裂が生じ始める。

 

(自動演算器)=(精神的鉄壁)

 

 よくわからない式が頭に浮かんだ。

 

「班長はいじめられすぎて、心を閉ざしてしまったんだね」

 

「心⋯⋯精神ですか? おそらくその通りだと思われます」

 

「心を閉ざして、数式や合理性で世界を解釈することで精神が傷つかないようにしてきた。しかしその代償に、数式に頼り切った演算器のような思考回路になってしまったんだね、たぶん」

 

「あなたの考察、だいぶ的を射ているかと」

 

 泣きも笑いもしない木になろうと誓って以来、ファディルの思考の大半は数式化されていった。あれは精神的安定性を保つための防御策だったのだろう。

 

「⋯⋯あとね」

 

 ノリは抱き締める腕に力を込める。指先がきゅっと肌に食い込むのをファディルは感じた。

 

「班長は、ばけものじゃないよ」

 

 どくん、と心臓が跳ね上がるように高鳴る。

 

 ファディルは横目でノリを見た。

 

「ばけものと話せる僕がいうんだから、本当さ。班長は、普通の人間だよ。目と髪の色素が、変わっているだけ。ウタリちゃんとたまたま似ていただけさ⋯⋯そして、ウタリちゃんもばけものじゃない。あの子は神によって特殊体質に改造されただけで、元々は普通の女の子だよ」

 

「元は普通の人間だったと?」

 

「そう」

 

「ウタリさんという名称に対して胸部安定式検出。精神安定性を確保」

 

 ノリはにっこり笑って頷く。

 

「ウタリちゃんって呼ぶことに安心できた? よかったよかった」 

 

「これにより、医薬品という呼称の解除が精神安定性を乱さずに実行可能になりました」 

 

「じゃあ、もう一回言ってみよう。ウタリちゃんって」

 

「⋯⋯ウタリさん」

 

 今度は声が震えなかった。

 

「言えたね、やっと」

 

「はい⋯⋯」

 

「ウタリちゃんの印象、変わった?」

 

 ファディルはウタリの観測情報を引き出し、印象⋯⋯つまり定義の変化を確認する。

 

 定義:

 変数『医薬品』→『食材』変更

 味覚指数『限界値突破、解析不能』

 

「はい、変わりました」

 

「そっか、よかった」

 

 脳内スクリーンに、ウタリの内臓、肉片、眼球、髪の毛が山盛りにされた映像が浮かび上がる。

 

 食事時の生理現象レベルの 胃液、唾液分泌を確認。

 

(ウタリさん──また、あなたの内臓を食べたいです)

 

 治癒薬の精製のみならずジビエも提供できるウタリが、ファディルにとってとても価値あるものに思えた瞬間だった。

 

 それは利用価値とは違う、貴重品に対する価値のような、異質なものだった──。

 

 屋敷に住んでいた頃、時々ディナーに出されたジビエ料理を思い出す。

 

 鹿、穴熊、猪、雉、山鳩、鴨、上流階級しか味わえない高級肉料理を、ファディルは日常的に食べていた。

 

 低温ローストされた鹿肉のヴェニソン、濃厚な脂の乗った穴熊肉、山鳩を赤ワインで煮込んだピジョンラミエ──ウタリの肉はそのどれとも違う、異次元の濃厚さと深いコクと甘みを誇る。

 

 他のジビエとは比較にはならない、脳と舌が痺れるような、理屈を超えた陶酔感を伴う味。もはや食事ではなく、存在そのものを体内に刻み込む儀式のようだった。

 

 血潮の甘美は鹿肉の芳香を凌ぎ、臓腑の余韻は猪の脂をも越え、ただ一口で世界のあらゆる味覚体系を塗り替えてしまう。

 

 ウタリ──『この世で唯一無二のジビエ』という名を冠すべき、史上最高級の食材だ。

 

 ファディルは唇から漏れ出た唾液を拭い、ハァ⋯⋯と深い吐息を吐く。

 

「ウタリさん。あなたは、私の唯一無二の『ジビエ』です」  

 

「ははっ、ジビエ?」

 

「はい。ウタリさんはジビエです」

 

「ジビエというか、()というか」

 

「贄?」

 

「何でもないよ。ところで、ラフマン二等兵がウタリちゃんの壕で班長を待っているみたいだよ? ウタリちゃんも衛生壕から戻っているのが見える」

 

「見える?」

 

「巫女の血による透視能力でね、遠くのものでも見えるんだ」

 

「ラフマン二等兵が私を待っているですって?」

 

 ノリはいじわるそうな笑みを浮かべた。

 

「うん。班長のために、楽しいパーティーを開くみたい」

 

 

 

 

 ファディルはノリに連れられて、医薬品──否、ウタリ壕に続く鍾乳洞の道を進んでいく。

 

 真っ暗な道は、空気に含まれる塵や水分の粒子で白い霧がかかっているように見えた。

 

「何です、パーティーとは」

 

「ついてからのお楽しみ」

 

 鍾乳洞の放つ粒子の流れの中に、煙の粒子が混じっていた。

 

(煙⋯⋯?)

 

 湿気が九十パーセントを超える壕で火がつくなど、あり得ない。

 

 それに、香ばしい匂いもしてくる。木の焼けるような匂いに近い臭気だ。

 

「この匂いは⋯⋯」

 

 嫌な予感に背筋が凍てつく。ファディルにとって最も忌まわしいあの物体が放つ匂いと酷似している。

 

(まさか、そんな⋯⋯()()があるのですか?)

 

 やがて壕の入口前にたどりつくと、ファディルの心臓ははち切れんばかりに高鳴り、冷や汗が止まらなくなっていた。身体全体が、あの忌まわしい物体を予期し拒絶反応を示している。

 

(嫌だ⋯⋯断じてお断りします⋯⋯)

 

 帰ろうと踵を返すも、ノリに袖を掴まれて拘束される。

 

「行かせないよ、班長」

 

 額から冷たい汗雫が垂れ落ちる。

 

「離してください、ノリ」

 

「ラフマン二等兵をいじめた罰、受けないとね?」

 

「罰?」

 

「うん。⋯⋯ほら」

 

 ノリは布をめくった。視界に飛び込んできたのは、血で真っ赤に濡れた寝袋。その上にラフマンとウタリが向かい合って座っている。

 

 二人がこちらへ視線を向ける。

 

「来ましたか、ファディル少尉殿」

 

「ファディルッ!」

 

 二人の間には、皿に大量に盛られた──焼きキノコの山。茶色い焼目のついたキノコが、ほんのり湯気を立ち昇らせている。

 

 キノコを見た途端、膝から力が抜け、ファディルはその場に倒れ込む。神経異常が発生したように手足に激しい震えが生じる。

 

「キ、キノコ⋯⋯ッ」

 

 ラフマン二等兵がファディルを睨みながら、言った。

 

「ようこそ、恐怖のキノコパーティーへ」

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