ダンジョンのカードショップ   作:ちくわ

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『踏み切れぬ心』

 

「失礼いたします」

 

凛とした声と共に現れたのは、銀の鎧に身を包んだ女騎士だった。腰に下げた剣は手入れが行き届き、騎士団の紋章が刻まれた鍔が薄暗いランタンの光を反射している。

 

「いらっしゃいませ」

 

店主が迎える。エレナと名乗った女騎士は、カウンターの店主を見て深く一礼した。

 

「こちらがかのカードショップでございますね。お噂は聞いております」

 

丁寧な口調。その礼儀正しさに、フードの奥で店主の表情が僅かに緩む。一方、リリィの眉がぴくりと動いた。

 

エレナは真摯な瞳で店主を見つめる。

 

「私は王の命を受けこの塔の攻略を託されました」

 

エレナの瞳に強い意志が宿る。

 

「このダンジョンを平定し、王国に平和をもたらす。そのためには確実に勝てる戦法で臨みたいのです」

 

その言葉に、店主の瞳が輝く。これまでの冒険者とは違う。私欲ではない、使命感に燃える騎士——

 

フードの奥で、店主の瞳に光が宿る。

 

店主が答えようとした時、リリィが横から口を挟んだ。

 

「だったらこれがおすすめ!」

 

リリィが明るい笑顔でカードを掲げる。しかしその瞳の奥で、店主がエレナを見つめる熱意を監視していた。

 

「『防刃の一閃』!攻撃しながら防御もできるんだよー!」

 

店主が口を開きかけるが、リリィが先手を打つ。

 

「王様の命令なんだったら、おねーさんも絶対確実な方がいいよねー?」

 

リリィがエレナの使命感を逆手に取る。王への忠誠を盾にして、安全策を推す。

 

「確かに便利そうではありますが、一枚で与えるダメージが少ないようですね……」

 

エレナが迷う。騎士としての直感が、何か違和感を感じ取っていた。

 

「もう少し、攻撃や防御に特化したカードはございませんか?」

 

エレナの言葉にリリィの表情が微かに曇る。しかしすぐに笑顔を取り戻し、リリィは答える。

 

「この塔にはいろーんな敵がいるの!あんまり特化しすぎると、相性の悪い敵が出た時に対応できないかも……」

 

リリィの言葉は理にかなっている。

 

「それに……」

 

リリィが棚の陰から『憤激の誓約』を取り出す。

 

「たとえばこんなカードを使って、万が一反撃を受けたら……」

 

リリィが不安そうに首を振る。その演技は完璧だった。

 

エレナはその効果を読み、身震いする。与えるダメージを倍にし受けるダメージも倍になる、そんなハイリスクな戦術は使命を課せられた今の立場では選べない。

 

「だからー、おねーさんにはやっぱりこういうバランス型のカードが断然おすすめ!どんな状況にも対応できて、安全確実!」

 

リリィがエレナの使命感を最大限に煽りながら押し切る。

 

店主の瞳はリリィの手がエレナから攻撃カードを隠した瞬間を見逃さなかった。しかし、呪いがその口を縛り、警告の言葉は声にならない。

 

「えぇ……そうですね」

 

結局、エレナはリリィに勧められた器用なカードばかりを購入した。

 

「お買い上げありがとうございます。くれぐれも、お気をつけて……」

 

店主の警告は、いつものように精一杯のものだった。

 

「ご親切にありがとうございました」

 

エレナは深々と頭を下げて店を出ていく。その後ろ姿を見送りながら、店主の胸に不安が募る。

 

一方、リリィは満足そうに微笑んでいた。

 

    ◇ ◆ ◇

 

エレナは購入したカードを手に、塔の上層へと向かっていた。

 

骸骨兵士、案山子の化け物、巨大なゴーレム、そして氷の竜——立ち塞がる敵を着実に倒し、ついに塔の最上層域まで歩みを進める。

 

エレナがその階層に足を踏み入れた瞬間、背後で重い音が響く。振り返ると、扉が固く閉ざされていた。奥の出口も同様に頑丈な魔法の鍵がかかっている。両方の扉から微かに魔力が漏れ出ており、部屋の中央に佇む魔人と連動しているのが分かる。

 

「逃げ道はない、ということですね」

 

呟きながら、エレナは巨大な雷の魔人と対峙した。

 

魔人は体を丸め、深い眠りに落ちている。その身体から滲み出る魔力が空気を震わせ、エレナの肌がぴりぴりと痺れる。部屋の四隅で小さな雷が時折はぜる。規則的な呼吸の奥で、何かが蓄積され続けているのを感じ取った。

 

「眠っている間に決着をつけるしかありませんね」

 

エレナは手札を確認し、戦術を組み立てる。

 

『防刃の一閃』を発動。薄い防御がエレナの体を包むと同時に、魔法の刃が魔人の皮膚を浅く切り裂く。しかし、致命傷には到底至らない。

 

魔人は依然として眠ったまま。エレナはカードを順番に使い回しながら、じわじわと魔人の体力を削っていく。

 

十分が経過。魔人の傷はようやく目立つようになったが、その呼吸がわずかに乱れ始める。同時に、部屋の隅で跳ねる小さな雷光が少しずつ大きくなっていく。

 

「おそらく、まだ体力の半分も削れていない……」

 

エレナの心拍が速まる。汗で湿った手のひらがカードに湿り気を残す。これでは間に合わない。だが手元には大きなダメージを与えるためのカードが一枚もない。

 

二十分が経過。魔人の傷が深くなり、その巨体がかすかに震え始めた。室内の雷光がより激しく明滅し、石壁に焼け焦げの跡を残していく。

 

「あと少し……あと少しで……」

 

その瞬間、魔人の寝息が止まった。雷の跳ねる音だけが室内に響く。

 

「そんな……」

 

魔人がゆっくりと立ち上がる。巨大な体が天井近くまで聳え立ち、その双眸が雷光を宿して見開かれる。

 

電撃が魔人の全身を覆い、室内の空気がジリジリと鳴り始める。焦げた匂いがエレナの喉を刺し、息苦しさを覚える。石の床に走る雷の筋が、彼女の足元まで這い寄ってくる。

 

──時間切れだ。眠っている間に倒し切れなかった。

 

魔人の巨大な拳が雷撃を纏って迫る。エレナは『防刃の一閃』を展開し、剣で受け流しを試みる。防壁が雷撃を逸らし、剣戟が魔人の拳を弾く。

 

「まだ!」

 

エレナは即座に反撃に転じる。剣先に光を宿し、魔人の胸部に斬撃を叩き込む。確実に傷を負わせた。

 

しかし次の瞬間、魔人の全身から青白い光が迸る。

 

「なに——」

 

雷の暴風が室内を席巻した。エレナを包む防壁は瞬く間に砕け散り、続く雷撃の奔流が彼女を呑み込む。

 

電流が全身を駆け抜け、剣を握る手から力が抜ける。焼け焦げる匂いが鼻腔を満たし、意識が薄れていく。

 

「我が剣は……民のために……我が……命は……王のため……に……」

 

エレナの瞳から一筋の涙が頬を伝う。王が「民を救え、エレナ」と握りしめた手の温もり、酒場で仲間が「必ず帰ってこい」と笑った夜、村の子供が「お姉ちゃんが帰ってきたら遊ぼうね」と言った約束——全てを背負って挑んだ塔で、自分の慎重すぎる判断が仇となった。騎士団の誓いを守れなかった無念が、最後まで彼女の心を苛んだ。

 

騎士団の紋章が刻まれた剣だけが、雷に焼かれた石の床に残された。

 

    ◇ ◆ ◇

 

「てんちょー、たーだいまー」

 

リリィがいつものように店に戻ってくる。その手には、一枚のカードが握られていた。

 

「……そうか」

 

店主はカードを受け取る。

 

『踏み切れぬ心』——そのカードには、銀の鎧に包まれた女騎士の姿が描かれていた。

 

店主の手が微かに震える。

 

「リリィ、なぜあんなことをした」

 

初めて見せる店主の怒りに、リリィがびくりと身を竦ませる。

 

「て、てんちょー……」

 

「彼女は王の命を受けた騎士だった。他の冒険者たちとは違う、私欲ではない、使命のために戦っていた!」

 

店主のフードの奥で、瞳が怒りに震える。

 

「彼女であれば攻略できた。そしてこの塔の呪いを解いてくれただろう」

 

「でも……でも……」

 

リリィの瞳に涙が滲む。小さな拳を握りしめながら、震え声で続ける。

 

「そしたら、てんちょーはいなくなっちゃうでしょ!」

 

リリィの本当の恐怖が表れる。

 

「私、カードから生まれた存在だから、塔の外には出られないの。てんちょーがいなくなったら、私、また一人ぼっちになっちゃう……」

 

声が震え、涙がカウンターに染みて冷たい音を立てる。

 

「てんちょー、あの女の人を見てる時、すごく熱い目してたもん!まるで恋してるみたいに!」

 

「なにを……」

 

「それに!」

 

リリィが振り返る。涙で濡れた頬に、怒りと洞察が宿っていた。

 

「本当は自分で塔を攻略できるんでしょ」

 

その声は、低く響いた。

 

店主の身体が硬直する。

 

「だって、カードを全部使えるじゃない!『蛮勇の一撃』も『完璧の代償』も『守護の決意』も!それに、中途半端なカードだけじゃ勝てないって、てんちょーも知ってたくせに!」

 

リリィの声が震える。手にしたカードの角を強く握りすぎて、紙が折れる音が響いた。

 

「てんちょーは……怖いから、誰かが代わりに攻略してくれるのを待ってるだけなんでしょ」

 

「私は……」

 

店主の言葉が途切れる。反論できない自分に愕然とする。

 

「呪いで店を離れられないなんて嘘!私が来る前は、どうやってカードの仕入れに行ってたの?塔からは出られなくても、店は離れられるんでしょ!」

 

リリィの息が荒い。小さな身体に怒りが溢れすぎて、震えが止まらない。

 

店主は答えられない。全てを看破されていた。

 

「てんちょーも私に嘘ついてたくせに!私だけが悪いみたいに言って!」

 

小さな身体を震わせながら、リリィは最後の言葉を紡ぐ。

 

「私は……私はてんちょーと一緒にいたいだけなのに……もう……もういい!てんちょーなんて!」

 

リリィは泣きながら店を飛び出していく。

 

扉が勢いよく閉まり、店内に静寂が戻る。

 

残された店主は一人、『踏み切れぬ心』を陳列棚に並べた。

 

フードの奥で、表情が哀しみに覆われていく。

 

確かに自分は、恐怖から逃げ続けていた。失敗への恐れから動けずにいた。

 

誰かが代わりに攻略してくれることを、どこかで期待していた自分がいる。

 

店主は静かに、認めたくなかった真実を口にする。

 

「私は……ただの臆病者だ」

 

そう呟いた声は、棚に並ぶ無数のカードに吸い込まれていった。

 

その日、リリィは店に戻らなかった。

 

    ◇ ◆ ◇

 

塔の上層部に、一人佇む少女の影があった。

 

小さな手には、騎士団の紋章が刻まれた剣が握られている。

 

「ごめんなさい……エレナさん」

 

か細い声が空っぽの部屋に響く。

 

少女は剣を大切そうに抱きしめると、塔の奥へと姿を消した。

 

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