ダンジョンのカードショップ 作:ちくわ
静寂が店内を支配していた。
カウンターの向こう側、いつもリリィが座っていた小さな椅子が空っぽのまま置かれている。店主は『踏み出せぬ心』のカードを手に取る。
自分の嘘も、リリィとの喧嘩も、全てが後悔の種となって胸の奥で疼いている。あの時もっと素直になっていれば。あの時正直に話していれば。
そんな重苦しい空気を破って、明るい声が響いた。
「こんにちは!」
振り返ると、金髪碧眼の少年が店の入り口に立っていた。まだあどけなさの残る端正な顔立ちに、純粋そうな笑顔を浮かべている。腰には立派な白銀の剣を佩いていた。
「いらっしゃいませ」
店主は慌てて『踏み出せぬ心』をカウンターの下にしまった。
「僕、ルイっていいます」少年は店内を見回し、首を傾げた。
「あれ、噂の店員さんはいないんですね。小さな女の子の」
フードの奥の店主の表情が一瞬強張った。
「彼女は……仕入れに行っています」
嘘だった。リリィが店を出て数日、彼女はいまだに戻ってきていない。
店主は初めて本当の孤独を味わっていた。今まで当たり前だった彼女のおしゃべりや、時々見せる悪戯っぽい笑顔。それらすべてが失って初めて、どれほど大切だったかを思い知らされた。
「そうですか」ルイは少し心配そうな顔をした。
「一人だと、やっぱり寂しいですよね。僕も村のみんなと離ればなれで……でも、きっとすぐ帰ってきますよ。大切な人だから」
その優しさに、店主の胸が温かくなった。この少年は本心から、他人のことを心から思いやっている。
店主は、カウンターの下の『踏み出せぬ心』をチラリとみて、口をひらく。
「こちらのカードはどうでしょう。『黎明の一撃』、発動に時間がかかりますが、その分絶大な威力があります。お客様なら使いこなせるかと」
「これは……ありがとうございます!」
ルイの瞳が輝いた。その純真な喜びを見て、店主の心に久しぶりに温かいものが灯った。
店主はさらに、数枚のカードを薦める。
期待を込めた眼差しを向ける店主に、ルイは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「店主さんも、僕に期待してるんですね」
「君は……」
「みんな、僕のことを勇者って呼ぶんです。おかしいですよね、僕はただの子供なのに」
少年は少し寂しそうにそう答える。
店主は、ルイの純粋な言葉とその重荷に胸を締め付けられ、思わず声を上げる。
「お客様、もしどこかでリリィに会ったら伝えてくれますか……早く戻ってきて欲しい、と」
「リリィさんですね。任せてください!人から頼まれごとをするのは慣れてるんです!」
ルイは笑顔で頷いて店を後にした。
◇ ◆ ◇
塔の上層階で、ルイは目の前で力尽きる雷の魔人を見る。
今まで戦った魔物と格が違う。しかし、店主が選んでくれたカードの組み合わせは完璧だった。攻撃と防御のバランス、タイミング。全てが噛み合っている。
「まるで、この敵が待っていることを知っていたみたいだ」
ルイは一人呟く。
階段を上るルイの頬を風が撫で、進む先に空が見える。
そこは塔の頂上だった。
広大な円形の石床が広がり、周囲には古い石柱が等間隔に並んでいる。風が絶え間なく吹き抜け、石床に刻まれた複雑な魔法陣が淡く光を放っている。空は不自然なほど暗く、雲が渦を巻いて塔を取り囲んでいた。
その荒涼とした空間の中央に、微かな声が響く。
「助けて……てんちょー……」
それは小さな少女だった。
「もしかして、リリィさん?」
ルイが近づくと、リリィがゆっくりと振り返った。その瞳は虚ろで、まるで魂が抜けてしまったかのようだった。
「……てんちょーは、元気?」
「ええ。心配してましたよ。あなたが『仕入れ』に行ったって……早く戻って欲しい、と言っていましたよ」
ルイは優しく言う。しかし、
「嘘つき」
リリィの小さな肩が震える。怒りと悲しみが混ざり、店主が自分に直接言わず、誰かに言わせて安心していることへの苛立ちが滲んでいた。
「てんちょー、やっぱりまた嘘ついたんだ」
「え?」
瞬間、リリィの瞳が真っ黒に染まった。
「リリィさん!?」
飛びかかってくるリリィに対し、ルイは本能的に白銀の剣を抜いた。
闇の弾丸がルイの頬をかすめ、石床に黒い焦げ跡を残す。ルイは転がりながらそれを躱し、剣に光を宿らせた。
リリィの放つ闇の触手を剣で切り払いながら距離を詰めるルイ。不思議と体が軽く、店主が勧めたカードが完璧に噛み合うのを感じた。
隙を見つけて光の刃を放つ。リリィの肩に浅い傷がつく。
「いける!」
そして、ルイの渾身の一撃がリリィを捉えた。
少女がふらり、と倒れる。
「これで……!」
ルイは安堵の息をついた。だが、その安堵はほんの束の間、彼の胸に不吉な予感が走った。
その瞬間、倒れたリリィの体から禍々しい闇のオーラが溢れ出す。
リリィがゆっくりと立ち上がる。その瞳はより深い闇に染まり、全身から放たれる魔力は先程とは比較にならないほど濃密で邪悪だった。
咄嗟に、ルイは『黎明の一撃』を発動させる。
しかし、雷の魔人をも屠ったその一撃が発動されるよりも早く、リリィの闇がルイの白銀の剣を折る。
「そんな……」
ルイの血の気が引いた。復活したリリィの魔力の前では、自分の力など塵芥に等しい。
ルイは振り返ることもせず、階段を駆け下りた。
◇ ◆ ◇
店の扉が勢いよく開かれ、傷だらけのルイがよろめきながら入ってきた。
店主は慌ててルイを支えた。
「あの小さな女の子が……塔の頂上で……」
ルイの声は震えていた。
「リリィが!?」
「そうです、リリィさんです……彼女が、彼女こそが塔の最後の番人です」
店主の顔が青ざめた。
「すみません……僕は救世主なんかじゃない」ルイが頭を下げた。「みんなの期待に応えられない。僕は……僕は……」
店主は何も答えず、無言でルイの傷を手当てする。
その時、ルイが傷だらけの鎧の中から一枚のカードを取り出す。
「このカードを、途中で見つけました。あなたが持っていてください」
『孤高の覚悟』と書かれたそのカードに描かれるのは、闇に立ち向かう一人の勇者の姿。
「これは……」
「僕は一度撤退して、もっと強くなって出直します」
ルイの表情は意外にも前向きだった。
「店主さん……リリィさんは、あなたに助けを求めていましたよ」
ルイの言葉が店主の胸に突き刺さる。
少年は深々と頭を下げて店を去った。
◇ ◆ ◇
静寂が戻った店内で、店主は一人カードを見つめていた。
「もう人任せはやめだ」
『孤高の覚悟』を握りしめる。
「私自身の手で、決着をつける」
店主は棚からいくつかのカードを取り、ローブを着替える。長い間封印していた、かつて塔を攻略した時の装備を。
久しく袖を通していなかった黒衣は、埃の匂いと共に、かつての自分を呼び覚ますようだった。