蒼海を裂く異邦の影   作:-_-

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祈りは曇天の下で

 翌日。

 母港で温もりに満ちた一夜を過ごした艦娘たちは、重い足取りで帰路についた。

 桟橋に響く靴音は、どこか後ろ髪を引かれるような響きを帯びている。

 それでも彼女たちは、自分たちの“帰るべき場所”──横須賀鎮守府へと向かわざるを得なかった。

 

 空は一面を灰色の雲で覆われ、濁った海は鈍い光を反射しながら揺れている。

 昨日見た母港の澄んだ青と、柔らかな光の入り混じる景色とは、あまりにも違っていた。

 

「……戻ってきちゃった……」

 

 暁が、押し殺したような声でぽつりと呟く。

 昨日、柔らかな布団に身を沈め、夢のように笑った時間が嘘のように遠ざかっていく。

 

 吹雪は俯いたまま、震える声で答えた。

 

「でも……報告しなきゃ……提督に……」

 

 言葉に力はなく、彼女自身がそれを理解していた。

 報告を果たしても、待っているのは冷たい現実だけだと分かっているから。

 

 桟橋を渡り、錆びた鉄のゲートをくぐると、横須賀鎮守府の全貌が目に映った。

 崩れかけた倉庫、歪んだ鉄骨、ひび割れたコンクリート。

 雨漏りを防ぐために貼られたブルーシートが風に打たれ、湿気を孕んだ空気が重苦しく広がっている。

 

「……牢獄みたい」

 

 綾波が小さな声で漏らした。

 その言葉に誰も反論できなかった。

 

 

 

 

 鎮守府の司令室。

 重々しい扉を押し開けると、そこには一人の男がいた。

 

 ──横須賀鎮守府司令、“風間 直哉”。

 

 四十代半ば。

 深く軍帽をかぶり、鋭く痩せた顔には疲弊と冷徹が刻み込まれている。

 彼は椅子に沈み込み、机上の報告書へ視線を落としたまま顔を上げようとしなかった。

 壁には無機質な戦況図と損耗率の表。

 そこに記されているのは、名前ではなく「数字」──誰が沈み、誰が残ったかだけだった。

 

「帰投か……?」

 

 低く呟いた声に、吹雪たちの胸がざわめく。

 それは安堵や喜びを示す調子ではなく、あたかも異物を見たかのような声音だった。

 

「……貴様ら、まだ生きていたのか」

 

 その冷徹な言葉が空気を凍らせる。

 吹雪の胸が鋭く痛み、暁が唇を噛む。

 赤城は眉を寄せ、加賀は目を伏せた。

 長門だけが冷静を装い、進み出て報告する。

 

「提督。我らは外洋にて“深海ではない存在”と遭遇しました」

 

 風間はペンを走らせたまま反応を見せない。

 まるで「沈んだはずの兵が偶然戻っただけ」のように。

 

「深海でない……? 詳細を述べよ」

 

 長門が静かに応じる。

 

「黒霧の中に現れた異形の艦影。触手のごとき砲塔、無数の赤い眼。

 我らの知るどの敵とも異なる……そして」

 

 言葉が途切れる。

 吹雪と暁、綾波たち駆逐艦が背後で不安げに寄り添う。

 

 代わって加賀が進み出た。

 

「その怪物を討ち果たしたのは──我らではなく、“異邦の艦隊”でした」

 

 室内の空気が一瞬で凍り付く。

 風間の瞳がぎらりと光り、冷たく彼女たちを見据える。

 

「異邦……? 沈んだと思った貴様らを救った者がいると?」

 

 驚愕ではなく、不快と苛立ち。

 艦娘が自力で戻らず、他者に救われた──それは彼にとって恥であり屈辱だった。

 

「……異邦の者が指揮官を名乗り、我が艦娘を助けたと?」

 

 長門は口を結び、そして力を込めて答えた。

 

「助けられたのは事実。

 その力は我らを凌駕していた。……提督、我らだけでは到底──」

 

 乾いた音。

 風間が机を拳で叩いた。

 衝撃が室内を震わせ、吹雪や暁は思わず肩を震わせる。

 

「沈んだと思っていた者が戻っただけでも異常事態だというのに!

 その上、異邦の艦隊に助けられただと? 笑わせるな!」

 

 冷徹な声が響き渡る。

 艦娘たちの命は、彼にとって数字であり、奇跡は計算を狂わせる“ノイズ”でしかなかった。

 

「我らに必要なのは勝利と存続! 異邦の艦隊など信用できるものか!」

 

 吹雪は涙を堪えながら拳を握る。

 「生きて帰った」ことすら否定される現実が、胸を締め付けていた。

 

 だが──その心には、昨夜見た「笑顔」と「温もり」の記憶が、まだ強く灯っていた。

 

 

 

 

 司令室の空気は張り詰め、重く淀んでいた。

 風間直哉の机上には、分厚い作戦記録が幾重にも積まれ、その表紙には「損耗率」「帰還率」と赤い文字が刻まれている。

 艦娘は兵器。人ではなく、数字。

 彼の眼差しは冷たく、そこに情は欠片も宿ってはいなかった。

 

「沈んだと思っていた者が戻る……それは計算外だ」

 

 吐き捨てるような声に、吹雪の心臓が痛烈に締め付けられる。

 “計算外”──それは「生き延びた奇跡」を否定する響き。

 彼女は唇を噛み、勇気を振り絞って声を震わせながら口を開いた。

 

「……私たちは……沈んでなんかいません」

 

 その言葉に、暁と綾波が小さく頷き、彼女の肩を支える。

 けれど返ってきたのは、冷徹な視線だけだった。

 

「沈んだと思われていた者が帰還すれば、作戦計画は狂う。

 補給の再計算、損耗率の修正、報告の訂正……全てが無駄になる。

 それが何を意味するか分かるか?」

 

 低く響く声は、まるで罪を突きつける判決のよう。

 駆逐艦たちの唇が震え、赤城が一歩進み出た。

 

「……提督。ですが、彼女たちは“生きて”戻ってきました。

 それは無駄などではなく、確かな戦力の維持です」

 

 その言葉に、風間の眉がわずかに動く。

 

「戦力の維持……? 違うな。

 命令を破り、勝手に“異邦の勢力”と接触した時点で、その価値はマイナスに転じている」

 

 赤城の瞳が一瞬だけ鋭く光る。

 だが、その刃を突き立てることはできない。

 提督への反抗は、自分だけでなく仲間をも危うくするからだ。

 

 重苦しい沈黙を破ったのは、長門だった。

 その声音は静かでありながら、胸の奥に秘めた炎を滲ませていた。

 

「……提督。ならば問います。

 沈んだと思った者が戻った時、まず放つべき言葉は“計算外”ですか。

 それとも──“よく帰った”ではありませんか」

 

 その瞬間、空気が震えた。

 吹雪と暁、綾波の瞳に涙が溢れ、赤城と加賀も顔を上げる。

 それは彼女たちが心の底でずっと願いながらも、決して口にできなかった問いだった。

 

 風間の視線が長門に突き刺さる。

 だが、長門は微動だにせず、霊力を宿した瞳で冷徹な眼差しを真正面から受け止めていた。

 

「……感傷に価値はない」

 

 風間は低く呟く。

 だが、その声にはわずかな揺らぎが混じっていた。

 “よく帰った”──口にできないその言葉が、胸の奥で燻っている。

 

「異邦の艦隊……無視はできん。

 次に遭遇した時は徹底的に調査せよ。

 必要とあれば利用し、危険と判断すれば排除する。……心を許すな」

 

 命令は冷酷。だがその裏に潜むのは、“恐れ”だった。

 風間自身、異邦の艦隊の力を恐れている。

 自らが握ってきた均衡が、容易く崩される未来を直感していた。

 

「……承知しました」

 

 長門の答えは低く、従順ではなく、押し殺した怒りの響きを帯びていた。

 

 司令室を後にする時、吹雪が小さく呟く。

 

「……わたしたち、あの人たちに……もう一度会えるかな」

 

 暁がそっと手を握り返す。

 

「きっと……また会える。絶対に」

 

 その言葉には祈りが込められていた。

 曇天の横須賀の空の下、彼女たちの胸には──

 母港の青空と笑顔の記憶が、確かに刻まれていた。

 

 

 

 

 司令室の扉が閉ざされ、艦娘たちの足音が遠ざかると、重苦しい静寂が部屋に沈殿した。

 風間直哉は椅子に深く身を沈め、机上の報告書を虚ろに見下ろしていた。

 そこに並ぶ数字は冷たい。損耗率、出撃回数、帰還率──ただの統計。

 

 だが、その隙間から、過去の記憶が不意に滲み出す。

 

「……よく帰った、か」

 

 長門の投げかけた言葉が、頭から離れない。

 唇がかすかに震える。

 

 ──あの日の光景。

 

 まだ横須賀鎮守府に灯りが残っていた頃。

 桟橋の向こうで、白い制服を翻した一人の少女が笑顔で手を振っていた。

 

「ただいま戻りました、提督!」

 

 それは、彼の初めての旗艦──雪風。

 無邪気で明るく、強運で仲間を幾度も救った少女。

 だが、最後の出撃から戻ることはなかった。

 

 深海棲艦の奇襲。

 補給の遅れ。

 そして──無謀な出撃を強いたのは、他ならぬ自分だった。

 

「必ず帰る……そう言ったのに」

 

 机に額を伏せ、低く呟く。

 胸を焼き尽くすあの光景。

 桟橋に雪風の姿はなく、残されたのは赤字で記された「轟沈」の二文字だけ。

 

 その日以来、風間は決めた。

 感情は不要。

 “よく帰った”などと口にすれば、次は必ず裏切られる。

 笑顔で送り出した者が帰らなかった時の痛みに、二度と耐えられない。

 

 だから彼は数字だけを見た。

 艦娘を名前で呼ばず、出撃数で測り、損耗率で評価した。

 感情を切り捨て、兵器として扱った。

 そうでなければ、自分が壊れてしまうから。

 

「……雪風」

 

 誰に聞かれることもなく、その名を吐き出す。

 部屋には雨漏りの滴る音だけが響いていた。

 

 やがて彼は顔を上げ、無表情の仮面をかぶり直す。

 記憶を心の奥底に封じ込め、冷徹な眼差しを取り戻す。

 

「異邦の艦隊……流元澪……」

 

 その名を、噛み締めるように呟く。

 あの存在は、自分の築き上げた秩序を揺るがす。

 艦娘が“笑って帰る”などという未来を与えられるなら──

 それは、自分の全否定だ。

 

「……利用するか、排除するか……」

 

 冷たく吐き出した声には、しかし震えが混じっていた。

 

 窓の外。

 横須賀の海は濁り、遠い水平線には深海棲艦の影が蠢いている。

 鎮守府の灯は弱く、いつ消えてもおかしくはなかった。

 

 その中で、風間直哉の胸の奥に封じ込めた「雪風の笑顔」は、

 なおも消えずに燻り続けていた。

 

 

 

 

 夜。

 横須賀鎮守府の廊下は湿気に沈み、天井からは絶え間なく雨漏りが滴り落ちていた。

 その音は鎖のように艦娘たちの心を縛りつける。

 食堂には粗末な干物と冷えた米だけが並び、香りも温もりもなかった。

 

 赤城は俯いたまま箸を動かす。

 味がするのかも分からず、ただ義務のように噛み続ける。

 隣の加賀も同じように黙々と口へ運んでいたが、その横顔に疲労の色は隠せなかった。

 

 吹雪は手元の茶碗を見つめ、小さく息を吐いた。

 

「……昨日の食堂を、思い出しちゃう……」

 

 目に浮かんだのは、アズールレーン母港での光景。

 焼き立てのパンの香り、煮込んだスープの湯気、ベルファストの丁寧な給仕。

 暁と綾波が頬張りながら笑い、ユニコーンが「おかわりありますよ」と小さな声で勧めてくれた。

 その温もりが、胸にまだ鮮烈に残っている。

 

「……あれは夢だったのかな」

 

 呟く吹雪に、暁が顔を上げた。

 目の下には隈があり、笑おうとしても震えが混じる。

 

「夢じゃない……。だって、あんなに柔らかい布団、わたし初めてだったんだから……」

 

 暁の声は涙で濡れていた。

 綾波は黙って頷き、両手を胸に当てた。

 ユニコーンから受け取ったぬいぐるみの感触を思い出していた。

 

「ユニコーン……」

 

 名を口にしただけで、綾波の目から涙が零れる。

 昨日確かに触れた安らぎの温度が、胸に広がっていく。

 しかし、目の前の冷え切った食事との落差が、心を痛めた。

 

 赤城は箸を置き、低く息を吐いた。

 

「……あの母港は異常よ。笑って、食べて、眠る……そんな余裕、戦場にはない。

 私たちに許されたのは、生き残ることだけ」

 

 言葉は冷たい。だが、その声は揺れていた。

 赤城自身、分かっていた。異常なのはここであり、本来の姿はあちらだと。

 

 加賀が静かに言葉を継ぐ。

 

「……それでも、心は覚えてしまった。

 一度触れた温もりは、決して忘れられない」

 

 その声音には、抑えきれぬ悔しさが滲んでいた。

 冷徹に徹しようとしても、心は嘘をつけない。

 

 部屋の隅で長門は正座し、瞼を閉じていた。

 仲間の声はすべて届いていた。

 そして、あの時自分が提督へ投げかけた言葉──「よく帰った」──が脳裏から離れなかった。

 

「……もしも」

 

 長門はゆっくりと目を開き、仲間たちを見渡す。

 

「もしも、あの異邦の指揮官が言ったように……“笑って戦い、笑って休む”ことが叶うなら。

 それは、我らの願いではないか?」

 

 沈黙が落ちた。

 吹雪が真っ先に頷き、暁が目を潤ませ、綾波が小さく「……そう」と答える。

 赤城も加賀も否定はしなかった。

 ただ、答えを認めれば、現実がさらに辛くなると知っていた。

 

「願えば願うほど、この場所が地獄に見える」

 

 赤城の呟きは、誰に向けられたものでもなかった。

 

 長門は窓の外を仰ぐ。

 濁った海と曇天の空。

 青い空はなくとも、胸に灯った小さな火は消えなかった。

 

「……次に出撃すれば、また彼らに会えるかもしれぬ」

 

 長門の声に、吹雪が小さく笑った。

 涙に濡れたその笑顔は、確かに“希望”と呼べるものだった。

 

「……うん。もう一度……会いたい」

 

 暁と綾波も頷く。

 赤城と加賀は目を合わせ、長門は静かに瞼を閉じた。

 

 その夜、横須賀鎮守府の小さな部屋で交わされた言葉は、

 彼女たちにとって初めての“祈り”だった。

 

 そして遠いアズールレーン母港でも──

 流元澪と仲間たちが静かに作戦を練りながら、彼女たちを思い出していた。

 世界は隔たれていても、その絆は確かに芽生え始めていた。

 

 

 

 

 翌朝。

 横須賀鎮守府の桟橋には「帰還した艦娘たちがいる」という報が走り、整備区画や兵舎から次々と人影が集まってきた。

 霧の中から長門、赤城、加賀、吹雪たちが姿を現すと、その場の空気が一気に揺らぐ。

 

「吹雪ちゃんっ……!」

 

 真っ先に駆け寄ってきたのは白雪だった。

 瞳に涙を溜め、吹雪の両手をぎゅっと握りしめる。

 

「本当に……本当に帰ってきてくれたんだね!」

 

 吹雪は驚いたように瞬きをして、それから小さく微笑んだ。

 

「……うん。信じられないくらいのことがあったけど……帰ってきたよ」

 

 白雪の涙が頬を伝い、桟橋にぽたりと落ちる。

 その温かさが、吹雪の胸を締め付けた。

 

「よかった……本当によかった……!」

 

 隣では暁が雷と電に飛びつかれていた。

 

「暁ちゃん! 本当に帰ってこなかったらどうしようかと……!」

 

「電……泣いてばっかりなのです……!」

 

「ば、ばかっ……泣くな! 暁は絶対帰ってくるって言っただろ!」

 

 暁は強がるが、彼女の目にも涙が浮かんでいた。

 

 綾波のもとには響が静かに歩み寄る。

 言葉を交わさず、そのまま抱きしめられた。

 響の肩が小さく震えているのを感じ、綾波も目を閉じた。

 

「……ただいま」

 

 短い一言。だがそれだけで胸が熱くなった。

 

 赤城と加賀の姿を見つけた翔鶴と瑞鶴は声を上げて駆け寄った。

 

「姉さんっ!」

 

「赤城さん……無事で……!」

 

 翔鶴の声は震え、瑞鶴は堪えきれずに泣き出した。

 赤城は二人を抱き寄せ、優雅な笑みを浮かべながらも、その頬に光るものを隠せなかった。

 

「ふふ……沈んだと思っていたのでしょう。でも、こうして帰ってきたわ」

 

「赤城さん……!」

 

 翔鶴は声を詰まらせ、瑞鶴はその胸に顔を埋める。

 加賀は隣で黙したままだったが、その瞳には確かな安堵が宿っていた。

 

 長門の姿を見た扶桑と山城も駆け寄ってくる。

 

「長門様……! この鎮守府にとって、あなたの帰還は何よりの光です」

 

「よくぞ……戻ってくださった……」

 

 長門は静かに頷き、二人の頭に手を置いた。

 

「私は沈まぬ。だが……心配をかけたな」

 

 その一言に、扶桑と山城の瞳が涙で潤む。

 

 桟橋のあちこちで歓声と涙が溢れた。

 駆逐艦たちは抱き合い、巡洋艦たちは肩を叩き合い、戦艦たちは静かに頷き合う。

 笑いと涙が交錯する光景は、いつもの鎮守府とはまるで別世界だった。

 

「……こんなに、みんなが……喜んでくれるなんて」

 

 吹雪が呟くと、白雪が涙を拭いながら笑った。

 

「当たり前よ。みんな、ずっと信じて待ってたんだから」

 

 その言葉に、吹雪の胸が熱くなる。

 異邦の母港で感じた温もりとは違う。

 けれど、ここにも確かに仲間を想う心があった。

 

 ただ、その喜びの影には冷徹な提督の存在がある。

 この再会は祝福されても、再び戦場に立てばまた兵器として扱われる。

 艦娘たちはそれを理解していた。

 

 それでも今だけは。

 無事を喜び合う声を、心に刻み込むように抱きしめていた。

 

 

 

 

 曇天の横須賀鎮守府に、突如けたたましいサイレンが鳴り響いた。

 錆びついたスピーカーが軋み、緊急出撃を告げる声が荒々しく廊下に反響する。

 まだ昨夜の記憶を胸に抱いていた吹雪や暁たちは、まるで夢を引き裂かれるように肩を震わせた。

 

「……出撃……?」

 

 吹雪の声は細く、だが確かな絶望を滲ませていた。

 あの青空の母港で交わした笑みが、音を立てて崩れていく。

 

 艦娘たちは重い足取りで司令室へと向かう。

 扉を押し開けた先にいたのは、冷徹な瞳を光らせた提督──風間直哉だった。

 机上には作戦図と命令書が広がり、彼は視線を一切上げぬまま命令を読み上げる。

 

「次の作戦海域は東方外縁。深海棲艦の大規模な群れが確認された。

 主力艦隊、即時出撃せよ」

 

 その声は機械のように感情を欠き、昨夜の温もりを否定する冷たい響きに満ちていた。

 

 長門が一歩進み出て低く問う。

 

「提督……補給も整っておりません。艤装の損耗も大きい。猶予を……」

 

 風間は顔を上げ、鋭い眼差しで彼女を射抜いた。

 

「猶予などない。深海は待たぬ。資材が足りぬなら知恵で補え。

 疲労が残っているなら根性で凌げ。お前たちに求められるのは休息ではない、戦果だ」

 

 その言葉に、吹雪の胸が締め付けられる。

 ユニコーンの優しい声、ベルファストのもてなし、ニュージャージーの豪快な笑い──

 あの夜の全てが否定されるようだった。

 

 暁が思わず声を荒げる。

 

「でもっ……昨日の戦いで私たちは──!」

 

「黙れ」

 

 風間の声は刃のように鋭く、暁は口を閉ざし震えた。

 

「異邦の艦隊に助けられた件はすでに報告を受けている。だが、それは我が鎮守府の恥だ。

 我らは他者に頼らず、自らの力で勝利を掴まねばならん」

 

 加賀が静かに言葉を挟む。

 

「……誇りで命は救えません。昨日の存在は現実にありました。その力を否定するのは──」

 

「否定ではない。利用するのだ」

 

 風間の眼が細まり、声が低く響いた。

 

「異邦の指揮官、流元澪……奴は危険だ。

 この世界を揺るがす存在となるだろう。

 次の出撃で遭遇すれば、詳細を徹底的に調査せよ。

 接触し、観察し、必要とあれば──排除する」

 

 その冷酷な命令に、室内の空気が凍り付く。

 昨夜灯された小さな希望が、容赦なく踏み潰されていく。

 

「……そんな……あの人たちは……敵じゃ……」

 

 吹雪のかすかな声は、雨漏りの滴に紛れて消えていった。

 

 長門は深く息を吸い込み、押し殺したような声で答える。

 

「……承知した。横須賀艦隊、出撃準備に入る」

 

 背は堂々としていたが、その瞳の奥では激しい葛藤が渦巻いていた。

 仲間を守りたい心と、提督に従わねばならぬ現実──その狭間で。

 

 赤城と加賀は無言で視線を交わし、吹雪たちは互いの手を強く握りしめる。

 「大丈夫」と震える声で言い合いながらも、その胸に残るのは昨夜の母港の灯だけ。

 

 提督の命令は絶対。

 祝福は過去。

 現実は、再び戦場へと引き戻す。

 

 重苦しい足音が廊下に響いた。

 艦娘たちは冷たい曇天の下、再び戦場へ駆り立てられていった。

 ──昨夜の笑顔を、胸の奥に閉じ込めたまま。

 

 

 

 

 灰色の雲が垂れ込み、風は重く湿っていた。

 横須賀鎮守府を発った艦隊は、波間を切り裂くように進んでいく。

 吹雪たち駆逐艦は、曇天に閉ざされた水平線を見つめながら黙り込んでいた。

 昨夜の母港の光景──青空、笑い声、柔らかな布団──それらが胸に蘇るたび、今の現実がよりいっそう苦しくのしかかる。

 

「……昨日のこと、夢なんかじゃないよね」

 

 吹雪の呟きに、暁が前を見据えたまま答える。

 

「夢じゃない! 絶対に! ……でも、もう遠くなっちゃった気がする……」

 

 強がる声だったが、彼女の小さな肩はかすかに震えていた。

 

 綾波が口を開いた。

 

「……あの人たちと、また会えるのかな」

 

 その声は海風に消え入りそうに弱く、誰もすぐには答えられなかった。

 

 加賀が矢を番えたまま低く言う。

 

「再び会えるとしても……それは戦場だろう。私たちに許されるのは、敵か味方かを見極めることだけ」

 

 赤城は唇を歪めて笑みを作る。

 

「ふふ……戦場での再会。それが運命なら受け入れるわ。でも……もし“味方”でいてくれるなら、それは奇跡ね」

 

 彼女の声には、皮肉の奥に淡い願いが混じっていた。

 

 長門は皆の声を黙って聞きながら、心の奥に静かな炎を抱いていた。

 提督の冷酷な言葉と、異邦の指揮官の温かな声──その対比が、彼女の胸を締め付ける。

 

「……どちらが真実なのか。私が見極めねばならぬ」

 

 その呟きは、波の音に紛れて誰にも届かなかった。

 

---

 

 やがて、濁った海を割るように影が浮かび上がった。

 低く唸るような音と共に、黒々とした艦影が次々と姿を現す。

 異形の砲塔、禍々しい艤装、血のように赤い光を宿した眼窩。

 

「深海棲艦……!」

 

 吹雪の声が震える。

 

 水平線を覆うほどの群れが海面を割り、濁流のように押し寄せてきた。

 数は数十、いや数百か。

 まるで海そのものが敵へと変貌したかのようだった。

 

 長門は矢を構え、声を張る。

 

「全艦、陣形を整えよ! ここが正念場だ!」

 

 霊力を込めた矢が放たれ、海を裂く閃光が深海棲艦の一体を貫く。

 爆炎と共に水柱が立ち、黒煙が空を覆った。

 

「吹雪、暁! 左舷を抑えよ!」

 

「了解!」

 

 二人は必死に魚雷を装填し、青白い航跡が海を走った。

 爆発が連続して起こり、三体の深海棲艦が爆炎に呑まれる。

 

「やった……! 暁、見た!?」

 

「見たよ! でも、まだまだ来るんだからっ!」

 

 勝利の声を上げる暇もなく、濁流から新たな影が現れる。

 

 綾波は刃を抜き放ち、波上を駆ける。

 鋭い一閃が敵艦を切り裂き、血のような黒い体液が海に広がった。

 

「……数が……多すぎる……」

 

 彼女の息は荒く、手の震えが止まらない。

 

 赤城と加賀は矢を連ね放ち、炎と光の雨が敵群を焼き払った。

 だが、その群れは途切れることなく押し寄せる。

 矢筒は空になりかけ、艤装は焦げ付き悲鳴を上げていた。

 

 長門はさらに霊力を解放し、閃光の矢を十数本同時に放つ。

 夜空に咲いた光の花が敵を焼き払うも、その代償に彼女の頬は蒼白に染まる。

 

「……これ以上は……持たぬ……」

 

 その瞬間、吹雪が悲鳴を上げた。

 

「右舷に突破される!」

 

 黒い巨影が隊列を抜け、吹雪と暁に迫る。

 暁が必死に盾となり、吹雪を押し倒す。

 次の瞬間、砲弾が水柱を立て、轟音が夜を揺るがした。

 

「暁っ!」

 

 吹雪の叫びが戦場に響く。

 

 彼女たちはなお必死に抗うが、敵影はなお増え続けていた。

 海そのものが黒い瘴気を吐き、艦娘たちを飲み込もうとする。

 

「数が……止まらない……!」

 

 綾波の刃が閃くが、切っても切っても湧き出す影。

 戦場は、まるで底なしの地獄だった。

 

 

 

 

 砲声が絶え間なく夜空を裂いていた。

 深海棲艦の群れは次から次へと湧き出し、まるで海そのものが敵意を持ったかのように押し寄せてくる。

 轟音と爆炎、飛沫と黒煙が混じり合い、戦場は地獄と化していた。

 

「これじゃ……数で押し潰される……!」

 

 加賀の声が荒くなる。矢を放ち続けるが、その手は汗で滑り、腕は重く痺れていた。

 

「まだ沈まない! ここで退けば……本当に終わる!」

 

 赤城が声を張り上げる。だが、その瞳にも焦燥と疲労の影が濃く滲んでいた。

 

 吹雪は魚雷を再装填しながら、震える指を必死に動かした。

 目の前には、海を埋め尽くすような影。

 その圧力に胸が押し潰されそうになりながらも、彼女は声を絞り出す。

 

「暁、綾波! 一緒に撃とう!」

 

「うん……やるっ!」

 

「了解……!」

 

 三人の魚雷が夜の海を奔り、敵群を連続して爆砕した。

 炎と水柱が立ち上がり、一瞬だけ戦場が開ける。

 しかし、その隙間を埋めるように、さらに巨大な艦影が迫ってきた。

 

「長門様! 後方に突破されます!」

 

 駆逐艦たちの悲鳴が飛ぶ。

 振り返れば、戦艦級の深海棲艦が砲塔をこちらへ向けていた。

 赤い光が砲口に溜まり、轟音と共に放たれる。

 

「全員、回避──っ!」

 

 長門の声が響いた刹那、爆炎が広がり、衝撃波が艦娘たちを薙ぎ払った。

 吹雪と暁の身体が波間に投げ出され、濁った海へ叩きつけられる。

 

「きゃあっ……!」

 

 吹雪の視界が水と煙に覆われる。

 耳に響くのは、鼓膜を裂く爆音と仲間たちの悲鳴。

 必死に顔を上げたその目に映ったのは、綾波の小さな背中だった。

 

「……まだ……足りない……!」

 

 綾波は刀を握り直し、血を流しながら敵影へと駆け込んでいく。

 彼女の刃が再び閃き、黒い体液が海へと飛び散った。

 

 だが、その背に新たな砲撃が迫る。

 

「綾波っ!」

 

 吹雪が必死に叫び、魚雷を撃ち込む。

 白い航跡が敵弾を逸らし、爆炎が海を覆う。

 だが、綾波の身体は衝撃で大きく揺らぎ、膝を折りそうになる。

 

「もう……限界……なのか……」

 

 長門が霊力を込めた矢を放ちながら、奥歯を噛み締める。

 光の雨が戦場を覆い、十数体の深海棲艦を一掃した。

 だが、その代償に膝が沈み、吐息が白く漏れる。

 

「私も……持たないかもしれぬ……」

 

 その言葉が波に飲まれると同時に、さらに多くの影が海面を割って現れた。

 群れは無限に増殖し、戦場は赤と黒に塗り潰されていく。

 

「もう……駄目かもしれない……」

 

 吹雪の目に涙が溢れる。

 暁がその手を掴み、必死に叫ぶ。

 

「まだ! まだ沈んでない! 立ってる限り……私たちは戦えるんだ!」

 

 その声は爆炎にかき消されながらも、確かに仲間の胸に届いた。

 

 それでも──

 戦場に広がるのは、圧倒的な“死”の予感だった。

 

 

 

 

 轟音と閃光が渦巻く戦場。

 深海棲艦の群れは止まらず、吹雪たちの隊列はもはや崩壊寸前だった。

 綾波は血を流しながら刀を振るい、暁は必死に盾となり吹雪を庇う。

 赤城と加賀の矢は尽きかけ、長門の霊力も削り尽くされていた。

 

「もう……立てない……!」

 

 吹雪の足が震え、艤装が悲鳴を上げる。

 その瞬間、漆黒の巨艦が迫り、砲塔が赤い光を帯びた。

 放たれた砲撃が一直線に吹雪へと向かう──。

 

「いやっ……!」

 

 叫びと共に、世界が白に染まった。

 轟音が響いた次の瞬間、吹雪の目に映ったのは──

 敵艦が爆散し、黒い炎を噴き上げながら崩れ落ちていく光景だった。

 

「な、何……? 援軍……?」

 

 暁が息を呑む。

 長門も矢を構えながら辺りを見渡すが、そこに味方艦の影はない。

 ただ、霧の向こうから重苦しいノイズが響き渡る。

 

「……違う……これは……」

 

 赤城の声が震えた。

 波間に浮かび上がるのは、深海棲艦とは異なる異形の艦影。

 宙に浮かぶ球体のような艤装、蠢く触手砲塔、無数の複眼。

 空気を裂く電子ノイズが耳を刺し、海面が不自然に泡立っていく。

 

「セイレーン……!」

 

 加賀の目が鋭く光る。

 だが、その声音には警戒と同時に恐怖が混じっていた。

 

「ま、まさか……深海棲艦だけじゃなく……異形まで……!」

 

 吹雪が絶望に近い声を上げた。

 その瞬間、セイレーンの触手砲塔が唸りを上げ、海面へ閃光を放つ。

 

 轟音。

 爆発と共に、そこに残っていた深海棲艦が一斉に引き裂かれた。

 敵味方の区別などない。

 セイレーンは深海棲艦を屠りながら、その余波で駆逐艦たちをも巻き込んでいく。

 

「ひっ……!? な、なんで……!」

 

 綾波の叫び。至近弾の衝撃で身体が吹き飛ばされ、必死に艤装を支える。

 海面は沸騰し、黒い体液と油が混じって泡立ち、まるで死の泥沼のように変わっていく。

 

「……見境がない……!」

 

 長門の声が震えた。

 赤城と加賀も矢を放つが、光の盾のような結界に阻まれて弾かれる。

 深海棲艦と艦娘、その両方を敵として見据える怪物。

 

「こ、これじゃ……私たち、全滅……!」

 

 吹雪の目に涙が滲む。

 暁は声を失い、綾波は歯を食いしばって立ち上がる。

 だが、その瞳の奥には希望の光はなかった。

 

 空が裂ける。

 蒼白の閃光が夜を薙ぎ、海と艦隊を呑み込もうとしていた。

 

 絶望が、彼女たちの心を完全に支配しつつあった。

 

 

 

 

 セイレーンの複眼がぞっとするほど赤く染まった。

 それはまるで夜空そのものが目を持ち、彼女たちを見下ろしているかのようだった。

 次の瞬間、無数の光線が奔り、濁った海面を一斉に薙ぎ払う。

 海は蒸発し、白い蒸気が爆ぜ、衝撃波が戦場全域を蹂躙する。

 

「きゃああっ!」

 

 暁の身体が宙を舞い、吹雪が思わず叫ぶ。

 綾波がその手を必死に掴み、海へ叩き落とされる寸前で引き寄せた。

 だが、衝撃で腕が痺れ、力が抜けていく。

 

「くっ……! こんな、深海なんかとは比べものにならない……!」

 

 暁の震える声。

 その耳に突き刺さるのは、金属の軋む音と、空気を裂く電子ノイズ。

 耳障りで、理性すら侵食していく。

 

 赤城は矢を番え、炎を纏わせて放つ。

 だが、燃え盛る矢はセイレーンの前で光の盾に阻まれ、煙のように霧散した。

 加賀の鋭い矢も同じく弾かれ、逆に弾けた火花が彼女の手を焼き、血が滴る。

 

「……効かない……? 私の矢が……!」

 

 加賀の瞳が揺れる。

 その横で長門が唸りを上げ、霊力を全力で込めた矢を天に掲げた。

 矢は雷鳴のように光を放ち、空を裂いてセイレーンの外殻に突き刺さる。

 

 ──だが。

 

 金属が砕ける音はしない。

 代わりに淡い波紋が装甲を走り、静かに光が吸収されていった。

 

「な……何も……傷一つ付いていない……!」

 

 長門の声が震える。

 その背を見守る駆逐艦たちの顔から血の気が引いていった。

 

「うそ……もう、どうすれば……」

 

 吹雪が呟き、胸が潰れるような痛みに顔を歪める。

 希望が霧散し、残るのは底なしの絶望だけ。

 

 セイレーンの触手砲塔が蠢き、複眼が再びぎらついた。

 今度は数百の光線が一斉に照射され、戦場を覆い尽くす。

 その光は星空を塗り潰し、空も海も区別がつかない。

 

「全員──退避せよ!」

 

 長門が声を張る。

 だが逃げ場などなかった。

 どこを見ても光と爆炎、海は泡立ち、逃げる隙間さえ存在しない。

 

 吹雪は震える手で仲間の手を掴んだ。

 暁の手を、綾波の手を、強く。

 

「……誰か……助けて……!」

 

 そのか細い声は轟音に呑まれ、空へと消えた。

 

 光線が迫る。

 空気が裂け、世界そのものが終わろうとしていた。

 

 暁の頬に涙が伝う。

 綾波は血に濡れた刀を最後の力で構えた。

 赤城と加賀は互いに視線を交わし、歯を食いしばる。

 長門は矢を番え、だが霊力はもう残っていなかった。

 

「……これまで、か……」

 

 長門が吐き出した声は、諦観に沈んでいた。

 その言葉が、艦娘たちの心を沈めていく。

 

 蒼白の光が収束し、ひときわ大きな閃光が艦隊を呑み込もうとする。

 その輝きは、死そのものの顕現。

 彼女たちを一瞬で消し去るために集められた、純粋な破壊の奔流。

 

「……いやだ……!」

 

 吹雪の悲鳴。

 彼女は目を閉じ、涙を流しながら祈った。

 戦いではなく、生きるために。

 

 その祈りに答える者は、まだ現れない。

 

 光が奔り、艦娘たちの影が白に溶けていく。

 世界が、終わろうとしていた。

 

 

 

 

 轟音と閃光が全てを呑み込もうとした、その刹那だった。

 

 ──空気が震え、海面に煌めく光の壁が立ち上がった。

 

 蒼白の光線が直撃する寸前、透明な結界が艦娘たちを包み込む。

 雷鳴のような衝撃が障壁を揺らし、波が砕け、砲撃が弾かれる。

 それでも──艦娘たちの身体はまだ立っていた。

 

「な、何……!?」

 

 吹雪が目を見開く。

 眩しい光の中から、艦影がひとつ、またひとつと浮かび上がってくる。

 

 真紅のドレスを纏い、女王然とした威厳を放つ“クイーン・エリザベス”。

 その隣には、騎士のように毅然とした佇まいを見せる“ウォースパイト”。

 そして、白銀の翼を広げるかのように艤装を展開し、光の結界を張る“イラストリアス”。

 

「ほら、私が来たからにはもう安心なさい! このロイヤルの女王陛下、クイーン・エリザベスよ!」

 

 女王の高らかな声が戦場に響く。

 艦これの艦娘たちは、その圧倒的な存在感に言葉を失った。

 

「……信じられない……こんな力、見たこともない……」

 

 長門の声が震える。

 彼女の知る世界に、ここまで強固な防御を誇る艦など存在しなかった。

 

 ウォースパイトが前へと進み出て、凛とした声で告げる。

 

「陛下に仇なす敵は、このウォースパイトが許さないわ。覚悟なさい!」

 

 その言葉と同時に、鋭い光が戦場を切り裂いた。

 彼女の一挙一動は、まさしく女王を守る騎士そのものだった。

 

 イラストリアスは静かに祈るように手を組み、柔らかな声で告げる。

 

「皆さま……どうかご安心くださいませ。このイラストリアスが、必ずお守りいたします」

 

 白き障壁はさらに厚みを増し、セイレーンの光線をことごとく弾き返す。

 絶望に沈みかけていた艦娘たちの胸に、初めて安堵の炎が灯った。

 

 さらに霧の奥から、豪快に笑う声が響き渡る。

 両手の砲を構えるのは“ニュージャージー”。

 その背後には、重厚な気配を纏い、低く響く歌声を放つ“フリードリヒ・デア・グローセ”。

 

「ふっふーん! 最強のビッグジェイ、登場だよ! 派手にいっちゃおっか!」

 

「……奏でよ、鋼鉄の調べを。異形を討ち果たすは、我らが宿命……」

 

 フリードリヒの歌声は電子ノイズを掻き消し、海そのものを震わせる。

 

 そこへ、背に巨大な刃を負う“吾妻”が静かに進み出た。

 その瞳には、冷ややかだが確かな光が宿っている。

 

「指揮官様……吾妻は、貴方に託された刃。必ず、この異形を断ち切ってみせます」

 

 そして最後に、柔らかな光をまとった“ユニコーン”が姿を現す。

 ぬいぐるみを抱きしめながら、負傷した吹雪と暁の傍らへ駆け寄った。

 

「もう……大丈夫。お兄ちゃんの仲間として……わたしが守るから」

 

 その言葉に、駆逐艦たちの頬を涙が伝った。

 

「ユニコーン……! 本当に……!」

 

 吹雪の声は震えながらも、喜びに溢れていた。

 絶望の闇に差し込んだ光──それが、彼女たちを再び立ち上がらせた。

 

 セイレーンの複眼が再び光を帯び、砲塔を蠢かせる。

 だが、艦娘たちはもはや恐怖で膝を折ることはなかった。

 

 イラストリアスの障壁が揺るぎなく立ちはだかり、

 ニュージャージーの砲声が戦場を震わせ、

 フリードリヒの歌声が空を支配し、

 吾妻の刃が閃きを放つ。

 

「異形の怪物よ! ここはロイヤルとユニオン、そして鉄血の誇りにかけて……通さないわ!」

 

 エリザベスが高らかに宣言する。

 

 その瞬間、戦場に新たな秩序が刻まれた。

 艦これの艦娘たちは、その圧倒的な光景にただ息を呑む。

 

 昨夜、夢のように過ごした母港の艦船たち──

 その力が、今まさに現実を覆しつつあった。

 

 

 

 

 戦場に立ち込めていた蒼白の閃光は、今や別の輝きに押し返されていた。

 

 イラストリアスが張った防御結界は、まるで聖堂の壁のように堅固で、セイレーンの放つ光線をことごとく弾き返す。

 海面には散った光の欠片が舞い、星屑のように煌めいては波に沈んでいった。

 

「……この防御力、まるで別次元だ……」

 

 長門が呆然と呟く。

 彼女の霊力の矢ですら押し切れなかった絶望的な攻撃が、今、目の前で防がれている。

 

 ニュージャージーが豪快に笑い、巨大な主砲を構えた。

 

「ふっふーん! 最強のビッグジェイ様のお通りだよ!

 さーて、ここからはあたしたちのターンだ! まとめて吹き飛ばしてやる!」

 

 轟音。

 空気そのものを震わせる砲撃が放たれる。

 弾丸は空を裂き、蒼白の尾を引きながらセイレーンの外殻に突き刺さった。

 爆炎が膨れ上がり、鉄の悲鳴のようなノイズが戦場に響く。

 

「見た!? これがあたしの全力だよ!」

 

 ニュージャージーの声は雷鳴のように響き渡り、戦場の空気を一変させた。

 

 そこに、真紅の衣を纏った小柄な女王が進み出る。

 その瞳には誇りと気高さが宿り、声は澄んだ鐘の音のように響いた。

 

「フン! よく見ておきなさい!

 ロイヤルネイビーの誇り、このクイーン・エリザベスが直々に指揮を執るのだから!

 お前たち異形風情、私の前を通れると思わないことね!」

 

 その傍らで、白銀の髪を揺らした騎士──ウォースパイトが優雅に弓を構えた。

 

「陛下の御前で不覚を取るわけには参りません。

 このウォースパイト、必ずや道を切り拓きましょう……!」

 

 矢が放たれ、光の尾を引いてセイレーンの眼の一つを撃ち抜く。

 電子ノイズが短く悲鳴を上げ、怪物の動きが鈍った。

 

 続いて、フリードリヒ・デア・グローセが一歩進み出る。

 その長身が揺らめくたび、海風すら彼女に従うように吹き寄せる。

 低く重厚な歌声が紡がれると、周囲の艦船たちの心拍が不思議と整い、恐怖で乱れた鼓動が再び規律を取り戻していった。

 

「恐れるな……これは宿命だ。

 鋼鉄の旋律を奏でよ、運命をも穿つ刃と化せ……」

 

 その声は呪詛のようにセイレーンを蝕み、装甲にひびが走る。

 電子ノイズが掻き消され、代わりに彼女の旋律が戦場を支配する。

 

「……っ、力が……戻ってくる……!」

 

 吹雪が驚きに息を呑む。

 疲労で震えていた手が再び力を宿し、瞳に光が戻る。

 艦娘たちの心に宿った絶望が、少しずつ溶け始めていた。

 

 その隙を逃さず、吾妻が静かに前に出た。

 巨大な刀剣を携え、氷のような眼差しでセイレーンを見据える。

 

「……異形の存在よ。

 あなたがこの海を汚すのなら……吾妻はただ、指揮官様のために斬り払うのみです」

 

 一閃。

 青白い刃が闇を切り裂き、セイレーンの触手砲塔が一つ斬り落とされる。

 黒い体液が噴き出し、海に毒のような波紋が広がった。

 

「嘘だろ……あの触手を……!」

 

 暁の声が震える。

 彼女たちが必死に退けようとして果たせなかった敵を、まるで容易く削ぎ落としていく。

 

 イラストリアスの結界が揺れながらも光を保ち、ユニコーンの治癒の光が駆逐艦たちの傷を癒す。

 温かな光が吹雪の肩を包み、痛みが和らいでいく。

 

「……大丈夫。わたしが……守るから……」

 

 ユニコーンの小さな声に、吹雪の瞳から涙がこぼれる。

 それは痛みの涙ではなく、絶望の淵から救い出された安堵の涙だった。

 

 セイレーンは怒り狂い、複眼を血のような赤に染め上げた。

 全砲塔が一斉に艦娘とアズレン艦隊へ向けられる。

 大気が震え、海が逆巻き、次の瞬間、幾百もの光線が放たれた。

 

 だが、その光景に怯える者はいなかった。

 

 ニュージャージーが前に出て笑い、フリードリヒの歌声が一層響きを増す。

 吾妻の刃が再び蒼光を放ち、イラストリアスが翼を広げて結界を強める。

 その先頭には、女王とその騎士の姿もあった。

 

「ロイヤルネイビーの誇りを示しなさい!

 私の艦隊に敗北の二文字は存在しないわ!」

 

「陛下のお言葉の通りです。

 ならば──全員、前進! セイレーンを討ち払います!」

 

 イラストリアスの声が続き、戦場が一気に光に満ちた。

 

 セイレーンと艦隊の衝突。

 それは、絶望から希望へと塗り替える“決戦”の幕開けだった。

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