戦闘後。
戦闘終了後、“出雲”は無事に「建御雷」へ帰還した。
艦尾の艦娘収容区画へ入ってきた彼女を、海斗と美香が出迎える。
「出雲!」
「おかえり! 怪我はない?」
「はい。無傷です!」
そう答えた通り、“出雲”の身体にも艤装にも、目立った損傷はなかった。
初めての実戦。それも、一部では自分以上の性能を持つ敵を含む七体を相手にしての戦闘だった。それを、ほぼ一方的に撃破して帰ってきたのだ。
「よく頑張ったな」
海斗がそう言うと、“出雲”は小さく首を横へ振った。
「司令官の指揮が良かったからです。敵に気付かれないまま近付けましたし、向こうも建御雷の砲撃で混乱していました」
「そう言ってもらえるなら、やった甲斐はあったけどな」
海斗は笑った。だが、“出雲”の表情は晴れなかった。
「……でも」
「どうしたの?」
美香がすぐに気付く。
「どこか痛い?」
「いえ。そうじゃなくて……」
“出雲”は一度言葉を止め、それから小さく呟いた。
「……守れなかった」
海斗と美香の表情が変わる。
「私が着いた時には、守りたかった艦隊はもうほとんど沈んでいました」
横須賀警備艦隊は五隻で出撃し、戻れたのは「那珂」だけだった。しかも、その「那珂」も前後を失った大破状態である。
「最後の一隻は守れたって思ったんです。でも……乗っていた人達の全員を助けられたわけじゃない」
“出雲”は自分の手を見つめた。その手で深海棲艦を殴り、沈め、「那珂」を救った。それでも、助けられなかった人間はいる。
「……もっと」
彼女は拳を握った。
「もっと私に力があれば」
「出雲」
海斗が遮る。
「お前のせいじゃない」
「十分やったよ」
「でも」
「お前が来なかったら、那珂も沈んでた。俺達が敵部隊を見つけるのがもっと遅れてたら、首都圏まで入られてたかもしれない」
「だから───」
そう言いながら、海斗自身も胸の奥に同じ思いを抱えていた。
もし「建御雷」の機関が壊れていなければ、もっと早く到着出来ていたのではないか。もし、もっと早く敵を発見出来ていれば、警備艦隊を失わずに済んだのではないか。
美香も同じだった。
実際には、仮に「建御雷」が完全な状態だったとしても、作戦開始時点の位置関係から考えれば、警備艦隊の被害を完全に防ぐことなど難しかっただろう。
だが、三人ともまだ若かった。「仕方なかった」と頭だけで割り切れるほどには、戦場に慣れていなかった。
「君が司令官だね?」
その時、声を掛けられた。
振り返ると、「那珂」から「建御雷」へ移乗していた横須賀警備艦隊司令官、小林直樹が立っていた。
「あっ、小林司令官」
海斗が姿勢を正す。
「お身体は大丈夫ですか?」
「ああ。お陰様でな」
「田村艦長は?」
「今、乗組員達と一緒に治療を受けている。怪我はしているが、命に別状はないよ」
「……良かった」
海斗と美香が胸を撫で下ろす。“出雲”も、少しだけ表情を緩めた。
そんな海斗の様子を見ていた小林は、ふっと笑った。
「なるほど」
「?」
「似ているな」
「誰にです?」
「父親にだよ」
海斗が目を見開く。
「父と面識が?」
「ああ」
小林は頷いた。
「兵学校の同期だった。それに、後年はお互い横須賀を拠点にしていたからな。あいつが第一艦隊、俺が警備艦隊。顔を合わせる機会はいくらでもあった」
小林は少し懐かしそうな表情を浮かべた。
「君と美香ちゃんの話も、よく聞かされたよ」
「……俺達の?」
「『もうすぐ結婚するんだ』って」
小林は笑った。
「楽しみにしてたぞ。亡くなる少し前までな」
「…………」
海斗と美香は何も言えなかった。
既に知っていたことではある。それでも、他人の口から改めて聞かされると、胸の奥へ違う形で届いた。
しばらくして、海斗が口を開いた。
「……司令官」
「何だい?」
「一つ、聞いてもいいですか?」
「ああ」
海斗は少し迷った。それでも、尋ねる。
「湾岸戦争の時、父の部隊も何度も激しい戦闘を経験したって聞いています」
洋一が指揮していた日本国防軍中東派遣艦隊。
当時の乗艦は、第一艦隊旗艦「蒼龍」だった。後に『冷戦最後の戦い』とも呼ばれる戦争を戦い抜いた部隊である。
「味方の戦死者も、出ていたんですよね」
「……ああ」
「その時、父はどう思ってたんでしょうか」
小林は、すぐには答えなかった。
「……君は」
小林が逆に尋ねる。
「洋一なら、今日、全員を助けられたと思うのか?」
「…………」
海斗は答えられなかった。
だが、心の何処かではそう思っていた。
湾岸戦争の英雄、神崎洋一。
もし父だったなら、もっと上手く指揮して、もっと早く動いて、警備艦隊も、その乗組員も、全部助けられたのではないか。
そんな根拠のない期待だった。
「無理だよ」
小林は、あっさりと言った。
「……え?」
「洋一でも無理だ」
その声は強かったが、冷たくはなかった。
「アイツは確かに優しかった。自分の命を投げ出してでも誰かを助けようとするところがあった」
小林は一度言葉を切り、それから続けた。
「だが、同時に現実を見る奴でもあった」
湾岸戦争のある戦闘で、洋一の艦隊は激しい攻撃を受けていた。味方艦が損傷し、別の友軍部隊も救援を求めていた。
誰かを助けようとすれば、艦隊の一部を敵の攻撃圏へ戻さなければならない。助けられるかもしれない。だが、救援へ向かった艦まで失う可能性もあった。
『救難部隊を出しますか?』
そう問われ、洋一は暫く戦況を見ていたという。
そして、こう答えた。
『今は出すな』
助けたい。だが、今動けば、守るべき艦隊全体へさらに損害が広がる。
まず敵の攻撃を止める。味方主力を守る。救難部隊を安全に入れられる状況を作る。それまで待つ。
結果として、救助が間に合わなかった者もいた。
戦闘後、洋一は何度もその報告書を読んでいたという。それでも次の作戦では、また司令官として同じ席に座った。
「助けたくなかったわけじゃない」
小林が言った。
「助けられなかった奴のことを、何とも思ってなかったわけでもない。むしろ、逆だ。悔しがってたよ。何度もな」
海斗は静かに聞いている。
「でも」
小林は続けた。
「司令官が、一人助けられなかった度に立ち止まってたら、その次に守れるはずだった百人、千人まで死ぬ。洋一は、それを分かってた」
小林は少しだけ言葉を選んだ。
「だから、割り切ったんだ」
「……仕方ないって?」
「ああ」
小林は頷いた。
「仕方ないものは、ある。どれだけ強くても、どれだけ正しい判断をしても、救えないものはある。それを無理に救おうとして、もっと大きな犠牲を出すことだってある」
小林は海斗を見る。
「だから、救えなかったものだけを見るんじゃない。今、まだ守れるものを見る。洋一は、そういう司令官だったよ」
その場が静かになった。
海斗も、美香も、“出雲”も、それぞれにその言葉を考えていた。
少し落胆もあった。父なら全てを救えた。そんな答えを、何処かで期待していたからだ。
だが、それが幻想だったからこそ、分かったこともある。
強さには限界がある。指揮にも限界がある。どれだけ頑張っても、救えない命は存在する。
「……ありがとうございます」
海斗が頭を下げた。
「少し、気が楽になりました」
「礼を言うのは俺の方だよ」
小林が笑う。
「君達が来なかったら、俺は今頃、海の底だからな」
そして、“出雲”を見る。
「それと、君が“出雲”だね」
「……はい」
「乗組員達から、伝言を預かっている」
小林は一拍置いてから、真っ直ぐに言った。
「ありがとう」
“出雲”が顔を上げる。
「君が来てくれたから、助かった人間がいる。俺も、田村も、『那珂』の乗組員も、随伴艦から救助された連中も」
小林は続けた。
「確かに、助けられなかった奴はいる。だが、君が助けた奴も、確かにいるんだ」
“出雲”の表情が揺れる。
「だから、落ち込むななんて無責任なことは言わん。忘れなくてもいい。悔しがってもいい。でも」
小林は笑った。
「助けた命まで、無かったことにしないでくれ」
「…………」
“出雲”は少しだけ俯いた。やがて顔を上げると、小さく笑った。
「……ありがとうございます。本当に、良かったです」
ようやく彼女は、自分が救えたものへ目を向けることが出来た。
数時間後
横須賀
帰還後の処理に追われていた三人のところへ、洋平がやってきた。
「海斗! 美香! 出雲!」
「兄貴!」
「兄さん!」
「長官」
「よくやったな!」
洋平は開口一番、そう言った。
「大戦果じゃねぇか!」
「はは……まあな」
「うん……」
「…………」
「……何だよ」
洋平が足を止める。
「この空気。普通、喜ぶところだろ?」
“出雲”が答えた。
「……たくさんの人を、守れませんでした」
「ああ」
洋平は少しだけ表情を変えた。
「そういうことか」
そして頭を掻く。
「気にするな……って言っても、無理だろうな」
洋平は“出雲”を見る。
「でも、守れた人間もいるだろ?」
「どう足掻いたって間に合わないものはある。そこまで全部、自分のせいにしてたら、そのうち頭おかしくなるぞ」
「兄さん……もう少し言い方」
「いや、でも本当だろ」
美香に呆れられながら、洋平は続けた。
「戦死した人達だって、出雲に恨み言を言うより、生き残った仲間を守ってくれてありがとうって言うんじゃねぇかな」
「……たぶん」
「たぶん?」
「いや」
洋平が真顔になる。
「俺、本人じゃないし。勝手に代弁する方が失礼だろ」
「…………」
「兄さんって、妙なところで真面目よね……」
「何だよそれ」
海斗は、そんな兄を見ながら少しだけ笑った。
洋平は犠牲を何とも思わないわけではない。むしろ、自分達と感じ方自体はそう変わらない。
だが、必要な時には、感情と指揮官としての判断を切り離せる。犠牲者をただの数字だと思っているのではない。数字として扱わなければならない時に、そう出来るのだ。
(……やっぱり)
海斗は思う。
(兄貴は、上に立つ方が向いてるのかもな)
普段はあまり認めたくないが、そう思わざるを得なかった。
その後、日本近海では半年以上、比較的平穏な状態が続いた。
深海棲艦が消えたわけではない。世界各地では戦闘が続いている。
だが、少なくとも日本には、失った戦力を立て直す時間が与えられた。
そして、艦娘技術も大きく進んだ。
“出雲”と希空、二人を対象として得られた研究成果が、第一世代艦娘の建造技術へ次々に反映された。
その結果、ファーストロットで問題となっていた艤装との接続、同調、人体への負荷は、完全ではないながらも大きく改善された。
新たな建造方式、第一世代セカンドロット。
最大の利点は安定性だった。ファーストロットほど、素体との相性に極端に左右されにくい。
その代わり、扱える艦魂の複雑さには制約が増えた。
秋吉の見立てでは、戦艦なら前弩級戦艦級、巡洋艦なら出雲型以前、おおむね1900年前後まで。より新しい艦ほど、建造が難しい。
ただし、駆逐艦だけは少し事情が違った。いわゆる二等駆逐艦に分類される世代まで、広く建造可能だった。
性能だけを見れば、ファーストロットより後退した部分もある。それでも、セカンドロットには圧倒的な利点があった。
数を揃えられる。
そして、その技術は日本だけで独占されなかった。
深海棲艦は全人類の敵である。各国へ艦娘建造技術が共有され、世界規模で艦娘建造が始まった。
もちろん、無制限に作れるわけではない。
艦魂、素体、適性、訓練、基地、補給、指揮官。必要なものはいくらでもある。
それでも、素体となる少女の志願者は少なくなかった。
深海棲艦に家族を奪われた者。軍人の父や母を失った者。そして、自分も戦いたいと望む少女達が、艦娘となる道を選んだ。
その結果、艦娘の数は急速に増えていった。
だが、人類が一つの切り札を手に入れたからといって、世界が一つになるわけではない。
艦娘建造には、一つ決定的な条件があった。
艦魂。
過去にその国、あるいはその国の前身国家が保有していた艦艇の魂である。
つまり、かつて巨大な海軍を持っていた国ほど、多くの艦娘を作れる。
二十世紀前半に海軍大国だった国々。
アメリカ、イギリス、日本。
そして、当時イギリスと建艦競争を繰り広げるほどの大海軍を持ったドイツ。
現代の経済力、人口、工業力だけでは測れない新しい軍事資産が、突然、世界へ現れた。
海軍史。過去にどれほどの軍艦を持っていたか。それ自体が国家の力となった。
そして、艦娘を大量に保有出来る国は、十分な艦魂を持たない国へ艦娘を供与する。
軍事援助、安全保障、同盟、政治的影響力。
かつて戦艦が砲艦外交へ使われ、その後、核兵器が国家間の力関係へ巨大な影響を与えたように、艦娘もまた戦場だけの兵器ではなくなった。
国際的な力関係は、僅かな期間で百年近く前の姿へ、奇妙なほど引き戻され始めていた。
2006年7月
八か月前の初実戦から、第一、第二両特務艦隊は大きく姿を変えていた。
第一特務艦隊。特務艦隊司令部直属で、主任務は日本本土防衛。本拠地は陸上だった。
艦娘は船ではない。歩ける。陸路で移動出来る。
航空機から空挺降下することすら出来る。
そのため、一特艦は港を本拠地としない異例の艦隊となった。
もっとも、書類上「母港なし」では色々と面倒なため、東京港が便宜上の所属港とされた。
所属艦娘は以下の通りである。
戦艦、富士型二隻、敷島型四隻。
装甲巡洋艦、浅間型二隻。
防護巡洋艦、浪速型二隻、吉野型二隻、千代田、和泉。
駆逐艦、雷型六隻、東雲型六隻、暁型二隻、白雲型二隻、春雨型七隻、神風型三十二隻。
その他、補助艦艇多数。
第二特務艦隊は横須賀鎮守府所属で、主な活動範囲は日本近海外周、そして外洋だった。
戦艦、香取型二隻、薩摩型二隻。
装甲巡洋艦、八雲、吾妻、出雲型一隻。
防護巡洋艦、松島型三隻、秋津洲、須磨型二隻、笠置型二隻。
駆逐艦、桜型二隻、樺型十隻、桃型四隻、楢型六隻、樅型二十一隻、若竹型八隻。
その他、補助艦艇多数。
僅か数か月。それでも、第一世代艦娘ならここまで増やせた。造船所で軍艦を一隻ずつ、何年も掛けて作るわけではないからだ。
もちろん、制約はある。
セカンドロットの性能限界によって、河内型戦艦、出雲型二番艦以降の装甲巡洋艦、さらに後の世代の防護巡洋艦など、建造出来ない艦も数多い。
一方、駆逐艦は予想以上に新しい世代まで扱うことが出来た。
そこで、比較的旧式で低性能な艦娘は本土即応の第一特務艦隊へ、比較的高性能な艦娘は外洋作戦を担う第二特務艦隊へ、そうした形で配備されていった。
なお、二か月ほど前に南シナ海方面へ第二特務艦隊が派遣された際、巡洋艦「畝傍」の艦魂サルベージも試みられたが、結果は失敗だった。
そもそも「どこで、いつ、どういう状態になったのか分からない」のもあって、見つけられなかったのである。
そんなことがありながらも、艦娘は少しずつ、人類の対深海棲艦戦力の中核になり始めていた。
そして、数が揃えば比較も出来る。
第二特務艦隊、演習海域。
「……やっぱり」
海斗が呟いた。
「出雲だけ、頭一つ抜けてるな」
複数の艦娘が同時に模擬戦を行っている。同じ第一世代の中でも、“出雲”の動きだけが明らかに違った。
判断が速い。射撃が正確。敵の動きを読む。攻撃される前に位置を変える。必要なら躊躇なく近距離へ飛び込む。
戦闘開始から終了まで、常に一手早い。
「ファーストロットだからかな?」
美香が言う。
「それもあるかもしれないけど」
海斗は首を傾げた。
「それだけか?」
「分かんない。秋吉に聞いてみる?」
「だな」
この時点では、まだ誰にも分からなかった。
ファーストロットだからなのか。艦魂の影響なのか。素体となった少女本人の才能なのか。実戦経験なのか。或いはその全てなのか。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
“出雲”は基本的な戦闘技術以外、まだ何一つ知らない。
それでも、既に強かった。
やがて演習が終了した。
しばらくして、執務室へ足音が近付いてくる。
コンコン。
「出雲です。演習の報告に来ました」
「入っていいよー」
美香が答える。
「失礼します」
“出雲”が入室する。
「艦長もご一緒でしたか」
「この目で見てたよ」
海斗が笑う。
「凄かったぞ、出雲」
「本当」
美香も笑った。
「ほとんど無双だったじゃん」
「ありがとうございます」
だが、“出雲”の顔はあまり嬉しそうではなかった。
「ただ、そのことで相談があります」
「ん?」
「何?」
少し間を置いて、“出雲”が言った。
「もっと強くなるには、どうすればいいでしょうか」
海斗と美香が顔を見合わせる。
「今より?」
「あれだけ強いのに?」
「はい」
迷いはなかった。
「もっと強くなりたいです」
海斗の表情が少しだけ曇る。
「出雲。前の戦いのことなら、あれはお前のせいじゃないって、もう何度も───」
「分かってます」
“出雲”が遮った。
「分かってます。でも、あの時のことだけじゃないんです」
彼女は一度息を吸った。
「私は艦娘です。戦うために作られました。だったら、強い方がいい。一人でも多く、守れる方がいい」
美香は黙って彼女を見た。
「他のみんなもいるんだよ? 一人で全部背負わなくていい」
「分かっています」
“出雲”はそう答えた。それでも拳を握る。
「でも、守りたいんです。みんなを」
静かな声だった。だが、そこには何を言われても引かない、強い意志があった。
美香が小さく息を吐く。
(……無理だね)
(止めても、絶対やる)
「……分かった」
「美香?」
「いいよ」
美香は“出雲”を見る。
「ただし、無理はしないこと。絶対」
「はい!」
「いいのか?」
海斗が聞く。
「いいじゃん」
美香は肩を竦めた。
「この子、どうせ止めても勝手に何か探すよ」
「……それは」
“出雲”が少し目を逸らす。
「否定出来ません」
「ほら」
「お前なぁ……」
海斗は頭を掻いた。
「まあ、やるなら止めない。無茶しない範囲でな」
そして首を傾げる。
「で? 具体的に何するんだ? 今だって艦娘用の訓練方法自体、まだ作ってる途中だぞ」
そう。艦娘という兵器がこの世に生まれて、まだ一年程度しか経っていない。
普通の艦艇なら百年以上積み重ねてきた戦術、教育、訓練がある。だが、艦娘にはその蓄積がない。
ただ闇雲に演習量だけ増やしても、どこかで限界が来る。
だが、“出雲”には既に考えがあった。
「司令官。御実家に、代々伝わる強力な戦闘術があると聞きました」
「…………」
海斗が止まる。
「……神崎流か」
“出雲”が頷いた。
神崎流戦闘術。
元々が武力で地位を築いた一族なだけあって、神崎家、そして分家である東堂家の内部で、長く継承されてきた独自の戦闘体系である。
徒手格闘、武器術、身体操作、戦場での動き。時代ごとに使える技術を取り込み、変化し続けてきた一族の戦闘技術だった。
「でも」
海斗は少し困った顔をする。
「あれ、一応門外不出なんだよ。神崎家と東堂家、基本、その二家の人間にしか教えない」
「そういえばそうだったね」
美香が言う。
「私は普通に教わってたから、忘れてた」
「お前は養子で来た時点で家族だったからな」
美香は血こそ繋がっていない。だが、幼い頃から神崎家の娘として育った。当然、神崎流も教えられている。
その会話を黙って聞いていた“出雲”が、少し考えてから言った。
「……じゃあ、私も家族になれば、教えてもらえますか?」
「「はい?」」
「神崎家の一員なら大丈夫なんですよね? でしたら、養子縁組とか───」
「……待て待て待て!!」
「出雲ちゃん!?」
海斗と美香が同時に止めた。
「早まるな!」
「そうだよ! そんなもののためだけにすることじゃないから!」
「…………」
“出雲”の眉が動いた。
「……そんなもの?」
「え」
「『そんなもの』って」
“出雲”が珍しく、明確に不満そうな顔をする。
「何ですか、そんなものって! 神崎流だから言ってるんです! 普通の戦闘術だったら、養子になってまで教えてほしいなんて言いませんよ!」
「いや、だからって」
「色々調べました!」
“出雲”は止まらなかった。
「神崎家に伝わってる戦闘術は、古い記録にも何度も出て来ます。原型まで含めれば千年近く前から。戦乱の時代には、神崎家の人間が異常な強さを見せたという記録が何度もあります」
もちろん、“出雲”自身も、それが昔の記録だということは分かっている。
「誇張も、伝説も混ざってると思います。でも、同じような話が何百年も残り続けている。それに、太平洋戦争の記録にも、神崎流を使った人の異常な戦闘能力について記述があった」
近代。記録の精度が、それ以前とは違う時代である。
「全部が作り話だとは思えません」
海斗と美香は黙った。
「もし、普通の人間でもそこまで出来るなら、艦娘の身体で使えば、もっと出来るんじゃないですか?」
“出雲”は二人を見つめた。
「私は、もっと強くなれますよね?」
最後の言葉には、少しだけ焦りが混じっていた。何かに追われているような、何かを失うことを恐れているような焦りだった。
海斗と美香は暫く何も言わなかった。そして、海斗が先に折れた。
「……分かった。教える」
“出雲”の顔が明るくなる。
「本当ですか!?」
「ああ。門外不出ってのも、結局は昔からの決まりだ」
今、“出雲”は俺達の部下で、仲間で、人類の切り札だ。そこまで口にはしなかったが、海斗の中では既に、ただの他人という距離ではなかった。
「ただし」
海斗が指を立てる。
「覚悟はしろよ。神崎流を完全に会得するなんて、並大抵じゃない。お前が読んだ記録みたいなことが本当に出来るかどうかは、正直、俺達にも分からん」
美香も苦笑する。
「その凄かったご先祖様達も、最初から全部出来たわけじゃないみたいだからね。修行して、実戦へ出て、そこで突然何かを掴んだ、みたいな記録ばっかり」
「だから、その何かを掴める時代……平安末期や戦国時代、太平洋戦争辺りでしか完全会得の記録が残ってないのよね」
“出雲”が首を傾げる。
「……“何か”?」
「そこなんだよ」
海斗が苦い顔をした。
「神崎流は、普通に使う分にはちゃんとした戦闘術なんだ。格闘、武器、身体の使い方、戦場での立ち回り。そういうのは今でも普通に教えられる」
海斗はそこで言葉を切った。
「問題は、その先だ」
「その先?」
「古い指南書に、どう考えてもおかしい部分がある」
「おかしい?」
美香が思い出すように言った。
「前に、奥義ってすごく仰々しく書いてあるところを読んだことがあるんだけど」
「何て書いてあったんです?」
「ものすごく簡単に言うと……」
美香は少し考えた。
「身体に眠ってる力を全部引き出せ。そうすれば究極の力を得られる、みたいな」
「…………」
“出雲”が固まる。
「何ですか、それ」
「だろ?」
海斗が言う。
「身内の俺達でも、そうなるんだよ。胡散臭いって思っていいよ?」
美香が笑う。
「私達もかなり思ってるから」
「…………」
だが、“出雲”は数秒考えた後、言った。
「……それでも、やってみたいです」
声が少し震えていた。
「無理すんな。胡散臭いって言っていいんだぞ」
「やってみなきゃ分かりません!」
強引に押し切られ、海斗は思わず笑った。
「まあ、それもそうか。それに、奥の領域へ行けるかどうか以前に、前提条件がある」
“出雲”の表情が少し強張る。
「……条件?」
「ああ」
海斗が笑った。
「素の状態で、既に圧倒的に強いこと」
「…………」
“出雲”が瞬きをする。
「ほら。お前なら問題ないだろ」
「……まあ」
少し考えてから、“出雲”は答えた。
「そうですね」
今度は明らかに安心していた。
「最低条件を満たしてない俺達が奥義の話しても、仕方ないしな」
「そうね」
美香も頷く。
「出雲ちゃんなら、少なくとも挑戦する資格はあると思う」
「はい!」
そして、“出雲”はすぐに次の質問をした。
「では、いつから教えていただけますか?」
「…………」
海斗と美香が止まった。
「あれ?」
「司令官?」
「艦長?」
「…………」
「どうしました?」
海斗が目を逸らす。
「……弁明してもいいか?」
「?」
「はい」
「その……」
海斗は非常に言いづらそうに口を開いた。
「教えられないんだ。俺と美香じゃ」
「…………え?」
美香も苦笑する。
「私達、神崎流を完全には会得出来てないの」
「……神崎家なのに?」
「ぐっ」
何の悪意もない純粋な疑問だった。だからこそ刺さる。
「出雲ちゃん、それ、思ったより効く」
「す、すみません」
だが、問題は海斗と美香だけではなかった。
「夢壊して悪いんだけどさ」
海斗が頭を掻く。
「ここ数世代、神崎流を完全に会得した人間、いないんだよ」
「……え?」
「最後に完全に使えてたって言われてるのが、太平洋戦争の時に暴れ回ったって、出雲ちゃんが調べてた人」
美香が続ける。
「私達の曽祖父。それ以降、誰も完全なところまでは行けてない」
“出雲”の顔が本気で心配そうになる。
「……それ、継承、大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃない気はする」
「海斗」
「いや、実際そうだろ」
神崎流そのものが失われたわけではない。基本、型、武器術、身体操作。そうした実戦的な部分は今も継承されている。
ただ、その最深部。先祖達が到達したとされる異常な領域だけが、何世代も再現出来ていない。
「だから」
海斗が言った。
「俺達だって、本当にそんなもんがあるのか半信半疑なんだよ」
「でも」
“出雲”が言う。
「教えること自体は出来るんですよね?」
「ああ。俺達より、ずっと適任がいる」
「司令長官ですか?」
「いや。兄貴は真逆」
即答だった。
「洋平兄さん、一族の中でも会得からかなり遠い方だから」
美香まで容赦がない。
「…………」
遠く東京の司令部で、洋平が何となくくしゃみをしたかもしれない。
「じゃあ」
“出雲”が身を乗り出す。
「誰ですか?」
「北海道」
海斗が答えた。
「釧路。東堂家」
“出雲”がその名を思い出す。神崎家の分家だ。
「そこに、今の神崎流で一番、完全会得に近い奴がいる」
“出雲”の目が輝く。
「連絡はこっちからしておく」
海斗は紙へ住所を書き始めた。
「明日にでも行ってこい。しばらく非番扱いにする」
「防衛任務は?」
「こっちにいる艦娘でやる」
美香が答えた。
「大丈夫。出雲ちゃん一人が全部守る必要はないんだから」
「…………」
“出雲”は少しだけ迷った。それでも二人を見る。
「……分かりました」
海斗が笑う。
「表向きの理由は……そうだな。『強化改造のためドック入り』。そんなところでいいだろ」
「改造じゃないじゃん」
「強くなって帰ってくるなら、似たようなもんだ」
「雑」
そして海斗が“出雲”を見る。
「行ってこい。もっと強くなりたいんだろ?」
「はい」
「だったら、強くなって帰ってこい」
美香も笑った。
「無理だけは絶対駄目だからね?」
「了解しました!」
“出雲”は姿勢を正した。
「装甲巡洋艦“出雲”、『強化改造』へ行ってきます!」
「いってらっしゃい」
「頑張ってこい」
こうして、“出雲”は北海道へ向かうこととなった。
目的地は釧路、東堂家。
そこには現在、神崎流現代最強の継承者と呼んでよい少年が待っていた。
そして、その少年の隣には、非常に彼へ依存気味な年下の婚約者もいた。
「へへっ」
「前に写真で見た“出雲”さんが来るのか……!」
士は明らかに浮かれていた。
「しかも、俺が神崎流を教えるんだろ?」
「……いやぁ」
嬉しそうに笑う。
「こんなオカルトじみた戦闘術も、極めとくもんだなぁ───」
「…………士」
背後から低い声がした。
「ん?」
次の瞬間、腕が首へ回る。
「ぐぇっ!?」
加奈のチョークスリーパーだった。
「ちょっ、加奈!」
「苦し」
「締まってる!」
「何で!?」
「…………」
「悪かった! 何か分かんないけど、悪かったって!」
「加奈ぁぁぁぁ!!」
神崎流現代最強の継承者は、今日も年下の許嫁にはまるで勝てなかった。
続く
あ と が き
「神崎流戦闘術」
本作に登場するいくつかの非現実的要素の一つです。
一応それっぽい理論理屈はありますが、
ぶっちゃけ『強キャラの強さの理由付け』ってだけなので、あんまり気にせず見てください。
次回 特訓&世界情勢説明