自我持つ兵器の英雄譚   作:Nyappy-

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“出雲”の強化イベント。



9. 神崎流戦闘術

 

羽田を発ち、飛行機で釧路へ向かう。

 

“出雲”にとって、北海道を訪れるのはおよそ一年ぶりだった。

 

もっとも、以前ここにいた頃は艦娘技術研究所の中で生活していたため、こうして普通に空港へ降り立ち、街を歩いて自分の足で目的地へ向かうのは、ほとんど初めてと言っていい。

 

空港からバスに乗り、しばらく揺られる。指定された停留所で降り、海斗から渡された地図を頼りに歩くこと数分。

 

「……ここかぁ」

 

足を止めると、目の前には大きな屋敷があった。

 

古くから続く家らしい落ち着いた造りだが、敷地そのものが広い。門の向こうにも建物が続いている。

 

「凄い大きい……。まあ、司令官達の家の分家って話だし、こういうものなのかな」

 

そこまでは良かった。

 

 

 

問題は、その先である。

 

「……どうやって入ればいいんだろう」

 

門を見上げ、周囲を見回し、もう一度門を見る。

 

「一応、この紙が紹介状代わりにもなってるって言われたけど……そもそも、誰に渡せばいいの?」

 

呼び鈴らしきものはある。押せばいいのだろう。多分。

 

だが、“出雲”の指はそこまで伸びなかった。

 

戦場では七体の深海棲艦を相手に出来る。砲撃も出来る。魚雷も撃てる。敵重巡を殴って沈めることさえ出来る。

 

なのに、知らない家の呼び鈴一つ押せない。

 

元々、彼女はまともな家庭生活をほとんど知らない少女だった。艦娘になる以前には路上で暮らした時期すらあり、その後は艦娘技術研究所、軍施設、「建御雷」、そして艦隊と、常に戦いに近い場所で生きてきた。

 

礼儀そのものは教わっている。だが、誰かの家を訪ねるという、普通なら子供でも経験するようなことには慣れていなかった。

 

「…………」

 

どうしよう。

 

そう考えながら立ち尽くしていた、その時だった。

 

 

 

何かが目の前を通り過ぎた。

 

「きゃっ!?」

 

反射的に身を引く。直後、手元を見た。

 

───無い。

 

地図と住所。そして、海斗から預かった紹介状代わりの紙が消えている。

 

「……え?」

 

「誰!?」

 

周囲を見回す。右、左、後ろ。誰もいない。

 

足音すら聞こえなかった。

 

「どこ!?」

 

 

その時、頭上から声がした。

 

「流石だね。今のでちゃんと『何かが横切った』って分かったんだ」

 

“出雲”が見上げると、近くの木の枝に一人の少年が腰掛けていた。年齢は自分より明らかに下で、十三歳ほど。その手には、自分が持っていた紙がある。

 

「───!」

 

「返して!」

 

反射的に声が出た。

 

「それ、大事な物なの!」

 

少年は笑う。

 

「どんな?」

 

「えっ」

 

“出雲”は言葉に詰まった。説明出来ない。

 

東堂家、神崎流、艦娘、特務艦隊。

 

どれも気軽に口へ出していい情報ではない。

 

「それは……」

 

困っている“出雲”を見下ろしながら、少年は内心ほくそ笑んでいた。

 

ここまでは完璧だった。

 

海斗から聞いている。今日、世界初の艦娘である“出雲”がここへ来る。神崎流を教えてほしいと言っているらしい。

 

なら、最初くらいは次期当主らしく、神崎流の継承者らしく、格好良く決めたい。

 

紙を一瞬で奪う。相手が驚く。そして――。

 

『これが東堂家への紹介状だってことは知ってるぜ。だから俺が受け取った』

 

『え?』

 

『俺の名は東堂士。神崎流戦闘術の継承者だ!』

 

完璧。そうなる予定だった。

 

「ゴホン」

 

少年───東堂士は、予定通り格好をつけて口を開く。

 

「これが東堂家への紹介状ってことは───」

 

そこで言葉が止まった。

 

「……あれ?」

 

“出雲”が泣いていた。

 

「おねがい……します……」

 

「え」

 

「返して……ください……」

 

目から涙が溢れている。鼻まで赤くなっていた。

 

「返して……」

 

「ちょっ」

 

「司令官に……預かった、大事なものなの……」

 

「ま、待って」

 

「なくしたら……駄目なのに……」

 

もう完全に泣いている。

 

「返してよぉ……!」

 

「ご、ごめん!!」

 

士は木から飛び降りた。格好をつける計画など、一瞬で消し飛んでいた。

 

「返す! 返すから!」

 

紙を即座に差し出す。

 

「ほら! 何もしてない! ちゃんとそのままだから!」

 

“出雲”は紙を受け取ると、両手で握り締めた。

 

「あと、えっと……」

 

士がポケットを探る。

 

「これ!」

 

取り出したのはハンカチだった。

 

「使って! いいから!」

 

「…………」

 

「本当にごめん!」

 

ただ驚かせるつもりだった。こんな反応をされるとは思っていなかった。士は完全に狼狽していた。

 

(海斗兄ちゃんからは、『とんでもなく強い戦士だ』って聞いてたんだけど……)

 

目の前にいるのは、泣きながら鼻を啜り、ハンカチで顔を拭いている少女だった。どう見ても、自分より少し年上程度の女の子。むしろ今だけ見れば、年下にすら見える。

 

(……これが、七体のSUEを一人で沈めた人?)

 

とてもそうは思えない。

 

だが、それこそが艦娘だった。

 

兵器としての強さと、人間としての強さは同じではない。“出雲”は強い。戦えば恐ろしく強い。だが、だからといって、その心まで鋼鉄で出来ているわけではなかった。

 

何より彼女は、まだ生まれてから一年と少ししか経っていない。素体となった少女の人生を含めても、決して恵まれた環境で育ったわけではなかった。

 

士は、そのことを出会って数分で思い知らされたのだった。

 

 

 


 

 

 

しばらくして、“出雲”はようやく落ち着いた。

 

「あの……」

 

「はい」

 

「本当にごめんなさい」

 

「いやいや!」

 

士が勢いよく首を振る。

 

「謝るの俺だから!」

 

紙を取ったのは自分である。

 

「ただの悪戯だったんだ。捨てるとか、破るとか、そういうつもりは全然無かったから」

 

「……うん」

 

「本当にごめん」

 

「もう大丈夫」

 

まだ少し目は赤い。それでも“出雲”は笑った。士は心底安心した。

 

「じゃあ」

 

改めて、“出雲”が尋ねる。

 

「あなたが、神崎流の継承者?」

 

「ああ」

 

士も姿勢を整えた。今度は変に格好をつけず、素直に名乗る。

 

「東堂士。東堂家の次期当主だ」

 

「私は“出雲”」

 

「知ってる」

 

「あ」

 

「海斗兄ちゃんから聞いてたから」

 

「そっか」

 

妙な始まり方ではあった。それでも二人は、ここで初めてきちんと名乗り合った。

 

 

 

その日のうちに、士は“出雲”を東堂家の訓練場へ連れて行った。「今日くらい休んでもいいんじゃないか?」という士の提案を、“出雲”が「早く始めたい」の一言で押し切った結果だった。

 

「じゃあ、まずは一回、手合わせしてみよう」

 

士が構える。“出雲”も構えた。

 

「よろしくお願いします!」

 

「……あー」

 

「?」

 

「敬語、別にいいよ」

 

士が苦笑する。

 

「俺の方が年下なんだから」

 

「でも、先生になるんでしょう?」

 

「先生って柄でもないし」

 

「じゃあ……」

 

少し考えてから、“出雲”は言った。

 

「手合わせお願い、士」

 

「おう!」

 

士が笑う。

 

「遠慮はいらないぜ」

 

もっとも、殺し合いをするわけではない。“出雲”も、艦娘としての最大出力で人間を殴るつもりなど当然なかった。

 

だが、訓練として互いに手を抜かない。その意味での「本気」で、模擬戦が始まった。

 

開始直後、“出雲”はすぐに違和感を覚えた。

 

速い。

 

士が踏み込む。拳を“出雲”が受ける。

 

重い。

 

「……っ!」

 

「どうした?」

 

「いや」

 

“出雲”が笑う。

 

「凄いなって」

 

今度は“出雲”が前へ出る。士は正面から受けず、僅かに身体をずらして力を逃がし、そのまま腕を取りに来た。

 

“出雲”は腕力で振りほどく。士が距離を取った。

 

「やっぱ艦娘は凄いな……!」

 

「そっちこそ!」

 

再びぶつかる。

 

「普通の人間で、何でそこまで出来るの!?」

 

単純な身体能力なら、比べるまでもなく艦娘の方が上である。艤装を付けていなくても、艦娘として作り変えられた“出雲”の身体は通常の人間とは違う。

 

それなのに、士は戦えている。

 

真正面から力比べをすれば負ける。

 

だから、真正面からは行かない。身体を捌き、力を逸らし、潜り込む。一瞬だけ妙に大きな力を出し、また離れる。

 

(これが……神崎流?)

 

 

結局、模擬戦そのものは“出雲”が勝った。流石に人間と艦娘では、純粋な身体性能差が大きい。

 

だが、“出雲”にとって重要だったのは勝敗ではなかった。

 

 

 

訓練後、二人は並んで座って休んでいた。一度殴り合ったからか、最初に出会った時より随分話しやすくなっている。

 

「士、色々聞いていい?」

 

「もちろん」

 

“出雲”は、ずっと気になっていたことを尋ねた。

 

「神崎流って、結局どういう戦闘術なの?」

 

「うーん……」

 

士は腕を組む。

 

「説明しろって言われると、結構難しいんだよな。柔道とか剣道とか、そういうものじゃないし」

 

「敢えて分類するなら?」

 

士は少し考えた。

 

「総合戦闘術……かな」

 

「総合?」

 

「何でもやるんだよ」

 

士は指を折りながら説明する。

 

「殴る、蹴る、投げる、関節。刀、槍、弓、銃、銃剣。それ以外でも、使えるものなら何でも」

 

「……全部?」

 

「全部」

 

 

神崎流。その原型は、遥か昔、神崎家が武力をもって生きていた時代まで遡る。

 

だが、千年前の戦い方を千年間そのまま守ってきたわけではない。時代が変われば武器も変わり、戦場も変わる。ならば神崎流も変わる。

 

刀が主力の時代には刀を取り込み、槍が有効なら槍、弓、火縄銃。近代になれば小銃、拳銃、銃剣、軍隊格闘術。使えるものを学び、取り込み、自分達の戦い方へ混ぜていく。

 

「だから、神崎流って『この武器を使って、この型で戦えば神崎流』ってものじゃないんだ」

 

「型が無いの?」

 

「いや」

 

士は首を横へ振った。

 

「個々の技や基本動作にはある。でも、それ一個だけに縛られないってこと」

 

状況、相手、自分の身体、持っている武器。その全てを見て、一番使えるものを使う。その人に合う戦い方まで、みんな同じではない。

 

「なるほど……」

 

“出雲”は考え込んだ。

 

「でも、それだけなら、色んな戦闘技術を集めただけじゃない?」

 

「そう」

 

士が笑う。

 

「そこなんだよ。神崎流らしい部分は、技の種類じゃない」

 

士は自分の腕を見る。

 

「身体の使い方だ」

 

「身体?」

 

「その中でも、一番分かりやすいのが」

 

士は答えた。

 

「身体のリミッター解除」

 

“出雲”が少し目を細める。

 

「リミッター……」

 

「神崎流では、人間の身体って普段から出せる力を全部出してるわけじゃないって考えるんだ。筋肉も反応も、身体を壊さないように無意識に抑えてる」

 

もちろん、無理矢理力を出せばいいわけではない。筋肉、骨、腱、関節、内臓。人間の身体には限界がある。

 

だから神崎流では、姿勢、呼吸、筋肉の使い方、重心移動、意識の集中といった身体操作を徹底的に鍛える。そして、普段なら抑えられている力を、必要な時に必要な量だけ引き出す。

 

「ものすごく簡単に言うなら」

 

士が笑った。

 

「火事場の馬鹿力を、狙って出す」

 

「……なるほど」

 

“出雲”は、さっきの模擬戦を思い出した。

 

「だから、一瞬だけ凄く力が強くなったのね」

 

「そういうこと。じゃなきゃ、艦娘相手に素手であんなこと出来るわけないだろ」

 

「十分おかしいと思うけど……」

 

「俺もそう思う」

 

だが、そこには当然代償がある。

 

「人間がやり過ぎると」

 

士は自分の腕を軽く叩いた。

 

「普通に壊れる。筋肉切れたり、関節やったり、骨折したり。場合によっちゃ内臓まで痛める」

 

「それは……かなり危なくない?」

 

“出雲”が引く。

 

「危ないよ。だから、解除出来れば完成ってわけじゃないんだ」

 

どこまでなら自分の身体が耐えられるか。どこで止めるか。それを知ることまで含めて、神崎流なのである。

 

「ただ」

 

士の表情が少し変わった。

 

「そこから先があるらしい」

 

「……奥義?」

 

「多分」

 

 

海斗と美香から聞いた。

 

潜在能力の完全解放。神崎流の最深部。かつて完全会得者と呼ばれた人間達が到達したという領域。

 

「普通のリミッター解除とは、全然違うらしい」

 

士が言う。

 

「昔の記録を見ると、完全会得者が本気で戦った時の身体能力って、明らかに人間の範囲じゃないんだ」

 

「そんなに?」

 

「そんなに」

 

だが、理屈が分からない。

 

仮に人間の潜在能力を完全に引き出したとしても、身体そのものの強度を超える力など出せば自滅する。骨が砕け、筋肉が裂ける。

 

「だから」

 

士は肩を竦めた。

 

「俺も分かんない。今のところ、指南書に書いてあるのは『潜在能力を完全に解放しろ』みたいな、それで分かったら苦労しないって内容ばっかり」

 

「……昔の人」

 

“出雲”が真顔になる。

 

「説明下手?」

 

「多分」

 

二人で笑った。

 

「士も、それを目指してるの?」

 

「ああ。全然届かないけどな」

 

士は自分の掌を見る。

 

「どうやったら、そこまで行けるんだろうな」

 

“出雲”も自分の手を見た。人間より遥かに強い身体。なら、神崎流を使えばどこまで行けるのか、まだ分からない。

 

 

だからこそ、試してみたい。

 

 

 

「……ちなみに」

 

“出雲”が顔を上げる。

 

「ん?」

 

「気功波とか、エネルギー弾とか、撃てる?」

 

「…………」

 

士が真顔になる。

 

「逆に聞くけど、現実で撃てると思う?」

 

「……ですよね」

 

「でも」

 

士は少し考えた。

 

「撃てたら絶対格好いいよな」

 

「うん」

 

 

 


 

 

 

しばらく二人は、“出雲”の初陣や士のこれまでについて、互いの話を続けていた。

 

そこへ声がした。

 

「士?」

 

振り返ると、少女が一人、訓練場へ来ていた。

 

「加奈」

 

士が手を上げる。

 

加奈は“出雲”を見る。

 

「あの……」

 

「こんにちは」

 

「こんにちは」

 

少し遠慮がちに、加奈が尋ねる。

 

「えっと、貴方がお兄ちゃんの艦隊にいる……?」

 

「うん」

 

“出雲”が頷く。

 

「私は“出雲”。海斗さんと美香さんには、いつもお世話になってるわ」

 

「こちらこそ」

 

加奈が頭を下げた。

 

「いつも、お兄ちゃん達を守ってくれてありがとう」

 

「そんな」

 

“出雲”は少し照れたように笑う。

 

「それが私の役目だから」

 

 

一通り話した後、士が唐突に提案した。

 

「出雲、今度は加奈ともやってみない?」

 

「え?」

 

“出雲”が加奈を見る。

 

「加奈ちゃんと?」

 

「うん」

 

士が笑う。

 

「こう見えて、加奈も結構強いんだぜ。一緒にずっと鍛えてるからな」

 

「士には敵わないけどね」

 

加奈も少し笑った。

 

「どうします?」

 

“出雲”は考える。相手はさらに年下で、見るからに普通の女の子だ。

 

「……いいよ」

 

笑って答える。

 

「やってみよう」

 

内心では、流石に今度は無難に勝てると思っていた。

 

 

 

───数分後。

 

「…………」

 

“出雲”は軽く息を吐いていた。

 

「加奈ちゃん」

 

「はい?」

 

「強いね……」

 

「でも」

 

加奈は笑う。

 

「負けちゃった」

 

勝ったのは当然、“出雲”だった。だが、思っていたよりずっと苦労した。

 

士ほど完成されてはいない。動きもまだ荒い。それでも、踏み込み、身体の使い方、間合いに迷いがなく、加奈は真っ直ぐに攻めて来る。

 

普通の十一歳ではない。

 

「だろ?」

 

士が得意げに笑う。

 

「よく頑張ったな、加奈」

 

「えへへ」

 

加奈も嬉しそうだった。

 

その姿を見ながら、“出雲”は考える。

 

(この二人、本当に人間なのよね……?)

 

流石に、深海棲艦と正面から戦わせる気にはならない。身体の耐久力が違い過ぎるからだ。

 

だが、技量だけなら、将来どこまで強くなるのか想像出来ない。二人とも、まだ子供なのだ。

 

(もし艦娘みたいな身体を持ったら)

 

そこまで考えて、士を見る。

 

(……士は男の子だから、そもそも無理か)

 

少なくとも、当時の艦娘技術ではそうだった。

 

翌日から、本格的な修行が始まった。

 

ただし、士は最初から神崎流の全てを教え込もうとはしなかった。理由は単純で、“出雲”が求めているのは今すぐ使える力だったからだ。

 

既に“出雲”自身の戦闘センスは非常に高く、艦娘としての戦い方も彼女なりに出来上がり始めている。

 

ならば、一度全てを崩して神崎流の標準的な戦闘機動へ作り直すより、今持っているものへ一番効果の出る部分を上乗せした方がいい。

 

だから最初に徹底して教えたのは、身体操作とリミッター解除だった。

 

力を出す。止める。一瞬だけ上げる。連続して使う。身体の一部分だけへ集中する。足、腕、腰、背中。全身を一つの動きとして繋げる。

 

最初、“出雲”はかなり苦労した。人間と艦娘では身体の感覚が違う。そもそも士が教えている神崎流は、基本的には人間の身体を前提としている。

 

だが、“出雲”は異常な速度で学習した。そして一度感覚を掴むと、状況は一気に変わった。

 

「うわっ!?」

 

士が吹き飛ぶ。地面を転がり、慌てて受け身を取った。

 

「……大丈夫?」

 

“出雲”が心配そうに覗き込む。

 

「大丈夫……」

 

士が起き上がる。

 

「いや」

 

笑いながら首を振った。

 

「大丈夫じゃない。もう普通に勝てねぇ」

 

“出雲”がリミッター解除をある程度使えるようになった瞬間、それまで成立していた二人の模擬戦は成立しなくなった。

 

当然だった。素の身体能力で既に艦娘の方が遥かに高い。その艦娘がさらに、身体能力を効率的に引き上げる方法を覚えたのだ。

 

人間である士が、技術だけで埋められる差ではない。

 

それからは、士がまともに正面から相手をすることは少しずつ減っていった。代わりに動きを見て修正し、考え方を教え、時々は自分自身ももっと強くなるために一緒に鍛える。

 

加奈もそこへ加わった。三人で毎日修行した。

 

だが、それだけではなかった。

 

ゲームをした。一日中部屋に籠もって、三人で遊んだ日もある。買い物へ行き、街を歩き、食べ物を買い、服を見た。“出雲”が値札を見て真剣な顔になり、加奈に笑われたこともあった。

 

時には釧路から離れ、道内の色々な場所へ出掛けた。旅行もした。

 

“出雲”にとって、その全てが新しかった。

 

艦娘になる以前、普通の家庭生活はほとんど知らなかった。艦娘になった後、最初に知った世界は研究所、軍、艦隊、戦闘、訓練、任務だった。海斗、美香、秋吉、妖精達。皆、彼女に優しく、大切な人達だった。

 

だが、それでも生活の中心は常に「艦娘」だった。

 

ここでは違った。

 

朝起きて、一緒に食事をする。修行して、疲れて、休む。ゲームをして、加奈と買い物へ行き、士をからかい、逆にからかわれる。三人で笑い、時には喧嘩もする。そして、また同じ家へ帰る。

 

 

それは“出雲”にとって、恐らく初めて知る、家族に近い時間だった。

 

 

いつしか、門の前で呼び鈴を押せずに立ち尽くしていた少女はいなくなっていた。

 

東堂家へ帰れば、自然に「ただいま」と言う。加奈も「おかえり」と返す。士も、それを何も特別なことのようには思わなくなった。

 

 

 


 

 

 

ある日、誕生日を祝ってもらった。

 

大きなことをしたわけではない。三人でケーキを囲み、加奈がプレゼントを渡す。士も少し照れながら、用意したものを差し出した。そして、笑った。

 

「俺達も、もっと強くなるから」

 

“出雲”が顔を上げる。

 

「いつか」

 

士は真っ直ぐに言った。

 

「一緒に戦う。だから待ってろよ、出雲」

 

「…………」

 

あの日、紙を取られただけで泣いてしまった自分を、慌てて慰めていた少年。その隣で、いつも彼にくっついている少女。

 

気付けば、二人は“出雲”にとって、とても大切な存在になっていた。

 

「うん」

 

“出雲”は笑った。

 

「待ってる」

 

 

 


 

 

 

それから、さらに時間は流れた。

 

修行開始からおよそ一年。“出雲”は神崎流の身体操作、とりわけ身体能力を引き上げる技法を高い水準で身につけていた。

 

ただし、完全会得ではない。

 

神崎流が千年以上掛けて蓄積してきた標準的な戦闘機動、武器ごとの技術、そして伝説じみた「奥義」。そこまでは、まだ届いていなかった。

 

むしろ“出雲”の戦い方は、依然としてかなり我流だった。世界初の艦娘として、教本すら無い時代に自分で作り上げた荒削りな戦い方。そこへ神崎流の身体強化を強引に載せた。そんな形である。

 

だが、だからといって弱いわけではない。

 

元々、第一世代艦娘の中でも突出して強かった少女が、自分の身体能力をさらに引き出す方法を身につけたのだ。単純な戦闘力だけなら、一年前とは比べものにならない。

 

そして何より、変わったのは心だった。

 

強くなりたい。守りたい。その気持ちは変わっていない。

 

だが、以前のように「自分一人が強くなれば」とは、少しずつ考えなくなった。

 

自分が誰かを守る。同時に、自分も誰かに支えられている。

 

海斗、美香、士、加奈。自分には帰る場所がある。

 

それを知った。

 

“出雲”にとって、この一年で得た一番大きなものは、神崎流でも新しい強さでもなかったのかもしれない。

 

 

 


 

 

 

一方、世界では、そんな穏やかな時間とはまるで違う戦いが続いていた。

 

2007年、日本周辺では島嶼部を中心とした小規模な交戦こそ続いていたものの、大規模攻勢は比較的少ない状態が続いていた。

 

だが、大西洋は違った。

 

欧州、北米、西アフリカ、南米を結ぶ巨大な海。

 

その海上交通と制海権を巡り、人類と深海棲艦は何度も大規模海戦を繰り返していた。

 

特に、地中海への入口となるジブラルタル海峡周辺では激戦が続いていた。通常艦隊、航空部隊、艦娘。投入出来る戦力が次々に送り込まれ、そして失われていく。

 

後に、長い戦争の中でも特に凄惨な戦域として語られることになる大西洋戦線。その地獄は、既に始まっていた。

 

南大西洋、さらにインド洋でも、人類側は苦境に立たされていた。

 

ブラジル、アルゼンチン、チリ。

 

南米諸国も艦隊を出し、抗戦している。だが、旧海軍大国から遠い地域では、艦娘戦力を十分な数集めにくい。

 

インド洋では、マダガスカル近海やスリランカ近海を拠点とする深海棲艦部隊が、広大な海域へ影響力を広げていた。

 

ただ、不気味なこともあった。

 

インド洋方面の敵は拠点を築いた後、必要以上に動こうとしない。大西洋、太平洋、他方面の部隊へ積極的に合流する様子もなかった。

 

何を考えているのか、人類側にはまだ分からなかった。

 

 

 

そして、2007年6月初頭。太平洋でも大きな動きが起きた。

 

ミッドウェー島。

 

対深海棲艦戦争の開始後、再び米軍の重要拠点として機能を強化されていた島が襲撃された。

 

激しい攻撃に対し、防衛部隊は抗戦した。

 

だが、持ちこたえられなかった。

 

ミッドウェー陥落。

 

ほぼ同時刻、ハワイ諸島にも大規模な深海棲艦部隊が襲来した。

 

米海軍、艦娘、航空隊、現地守備部隊。

 

激戦の末、ハワイそのものは何とか守り切った。

 

だが、代償は大きかった。

 

通常艦艇、艦娘ともに多数が失われた。

 

さらに北太平洋、アラスカのダッチハーバーにも敵が現れ、そして陥落した。

 

ミッドウェー、ダッチハーバー。

 

二つの重要拠点をほぼ同時に失い、ハワイでも大損害を受けたことで、米軍の太平洋方面における作戦能力は一気に低下した。

 

 

日本国防軍もすぐに動いた。

 

日本周辺、太平洋側の防衛態勢を強化すると同時に、米軍との共同作戦を決定した。

 

出撃するのは、第二特務艦隊。

 

目標はミッドウェー島。敵占領部隊の排除、周辺海域に展開する深海棲艦艦隊の撃滅、そしてミッドウェー奪還。

 

命令は横須賀へ届いた。

 

東堂家での修行を終えようとしていた“出雲”にも、帰還命令が届く。

 

一年、ずっと強くなるために鍛えてきた。その力を試す時が来ようとしていた。

 

 

 

だが、作戦前、奇妙な報告が日本側へ共有された。

 

ミッドウェー陥落直前、辛うじて脱出した兵士達の証言によれば、敵の攻撃はこれまでの深海棲艦による砲撃とは少し違っていたという。

 

上空から、次々に攻撃が降ってきた。まるで航空攻撃のようだった。

 

そして一部の兵士は、戦闘中に声を聞いた。

 

無線ではない。耳からでもない。頭の中へ直接響いてくるような、女の声。

 

混乱の中で聞いた証言を、原語から翻訳し、解釈し、報告書へまとめる過程で、表現には幾つもの違いが生まれた。

 

だが、その中にはこんな訳も残されていた。

 

 

 


 

 

 

「火の…塊となって…沈んでしまえ……!」

 

 

 

 

 

続く





あ と が き

この世界に就役済みの『空母艦娘』はまだ居ません。


次回 ミッドウェー島奪還作戦
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