前回の続きから。
数分後。
先ほどまでシミュレーション上の“ゼロ”を見て盛り上がっていた“出雲”と“磐手”も、ようやく落ち着きを取り戻していた。
研究室の大型モニターには、“ゼロ”の戦闘映像に代わって無数のグラフや数値が表示されている。推定出力、反応速度、運動性能、情報処理能力、艤装制御能力。どれも現時点では計算上の数字でしかないが、それでも第一世代との隔絶した性能差を示すには十分だった。
「───大体、こんな具合だね」
秋吉が表示を切り替えながら説明する。
「“ゼロ”を含む第二世代は、第一世代よりかなり高い基礎性能を持つ予定だ。身体能力だけじゃない。神経系、情報処理、艤装との同期速度、その全部を最初から艦娘用に設計出来る」
「そこだけ聞けば、良いこと尽くめに思えるけどな」
洋平が腕を組む。
「ああ。問題は、その性能を本人が扱えるかどうかだ」
画面に、“ゼロ”が急加速する映像が表示された。
人間サイズの身体が一瞬で進路を変え、高速で接近してきた砲弾を回避する。直後には姿勢を戻し、複数目標へ反撃を加えていた。
「これだけ反応が速くて、これだけ自由に身体を動かせるようになっても、扱う側がその動き方を知らなければ意味がない。最悪の場合、自分自身の性能に振り回される」
「高性能な戦闘機を素人に渡したところで、エースにはならねぇってことか」
「そういうこと」
秋吉が頷いた。
「知識を入れることは出来る。でも、知識と技能は同じじゃない。それに、技能と経験も違う」
第二世代艦娘には、建造時点から一定量の知識を持たせる予定になっている。一般常識や言語、学問だけでなく、艤装操作や戦闘に関する基本情報もそこへ含める。
しかし、『こう動けば避けられる』という情報を知っていることと、本当に敵弾を前にして身体を動かせることは別問題だった。
「だから、少なくとも最初の一歩になる戦闘マニュアルが欲しい」
「それで?」
洋平が聞く。
その瞬間、待ってましたと言わんばかりに希空が前へ出た。
「そこで、士の出番!」
「……俺?」
突然自分を指差され、士が目を丸くする。
「うん!」
「俺、なのか?」
希空は元気良く頷いた。
今日が初対面である。先ほどまでは海斗と美香の娘、つまり加奈の姪に当たる少女だと頭の中で整理していた士だったが、その本人からいきなり指名されるとは思っていなかった。
「……そういえば」
希空は少し考える。
「士って、私からだとおじさん?」
「…………ああ」
士も考えた。
海斗は加奈の兄、希空は海斗の娘であり、自分と加奈の関係まで考えれば、確かにそういう立場になる。
「まあ……そうなる、のか?」
「じゃあ、おじさん!」
「いや、士でいい」
即答だった。
「そっちの方が嬉しい?」
「まだ十七だからな、俺」
「分かった! 士!」
希空としても、元々は海斗から「士はお前から見たら叔父さんみたいなもんだぞ」と聞かされて試してみただけらしい。本人も名前で呼ぶ方が気に入ったのか、その後はあっさり定着した。
士も初対面の緊張が少し解けたところで、本題へ戻る。
「それで、俺の出番って?」
希空は迷うことなく答えた。
「神崎流!」
「……神崎流?」
「士が今、一番使えるんでしょ?」
「まあ、継承者だからな」
「だったら、その技術を貸してほしいの!」
「貸すって……誰に?」
希空が指差した先には、モニターの中で停止している、まだ存在しない少女の姿があった。
「“ゼロ”に!」
「……あの子に?」
士は画面を見た。
……意味が分からない。“ゼロ”は、まだコンピューター上の設計データでしかない。身体どころか脳すら現実には存在していない相手へ、どうやって武術を教えろというのか。
そんな士の表情を見て、秋吉が説明を引き継いだ。
「さっき話した、知識のインストールだよ」
「まさか……」
「そのまさか。第二世代へ入れる基本戦闘データを作るために、君達の動きを計測したい」
秋吉は別の資料を表示する。
「第二世代は、最初からある程度の知識を持った状態で建造する予定だ。言語や一般常識、艤装の操作方法と一緒に、戦闘時にどう身体を動かすかという基礎も入れておきたい」
「で、その基礎に神崎流を使う?」
「ああ」
神崎流戦闘術。
およそ千年に及ぶ歴史の中で、素手、刀剣、槍、弓、銃、銃剣、そして時代ごとに現れた様々な武器へ対応し続けてきた総合戦闘体系である。
単一の型だけを繰り返す武術ではなく、その根底にあるのは身体の使い方と、状況へ合わせるための原理だった。
「もちろん、神崎流を全部そのまま入れるわけじゃない」
秋吉は念を押す。
「そんなことをしたって、建造された瞬間から達人になれるわけじゃないからね。欲しいのは身体の使い方、回避、間合いの取り方、姿勢制御、敵との位置関係、武器を使う時の基本的な動き……いわば土台だ」
士は少し考え、納得したように頷いた。
「なるほど。俺が第二世代の脳に神崎流を直接教えるんじゃなくて、教本を作るための見本になるわけか」
「そういうこと」
「教育型コンピューターに、最初から基本マニュアルを入れとくようなもんだな」
「理解が早くて助かるよ」
士はもう一度“ゼロ”を見る。画面の少女は高性能だが、その身体をどう使うのかは、まだ白紙に近い。
「……面白そうじゃん」
口元を緩め、そのまま隣を見る。
「加奈」
「え?」
士は加奈の手を取った。
「一緒にやろうぜ」
「私も?」
「当然だろ。俺一人で戦闘動作だけ見せたって、相手がいなきゃ出来ないことも多い」
加奈は少し戸惑ったものの、やがて頷いた。
「うん。士と一緒なら」
「それに」
希空が嬉しそうに付け加える。
「最初から二人にやってもらうつもりだったよ!」
「やっぱり?」
「うん。士と加奈って、セットなんでしょ?」
「……誰から聞いた?」
「お父さん!」
士が海斗を見ると、海斗は視線を逸らした。
「兄ちゃん……」
「事実だろ」
「否定出来ないけどさ」
加奈も否定しなかった。
数十分後、研究所内のシミュレーター区画。
「二人とも、準備はいいかい?」
『おう!』
『大丈夫です』
士と加奈は、それぞれ専用のシミュレーション装置を装着していた。以前、“鳳翔”の空母運用試験に使用された全感覚型VRシステムの改良型である。
当時の装置は艦娘の艤装系統を経由しなければ感覚情報へ接続出来なかったため、普通の人間には使用出来なかった。
だが、希空がその後も改良を続け、人間用の非侵襲型インターフェースを新たに開発したことで、士や加奈でも仮想空間へ入れるようになっていた。
もっとも、安全上の理由から艦娘用ほど深い感覚接続は行わず、痛覚なども大きく抑制されている。
「……希空、こういうのも半年くらいで普通に人間用へ直すんだな」
管制室で洋平が呟く。
「私、頑張ったよ!」
「知ってる」
もう驚くのにも少し慣れてきた。
ちなみに、“鳳翔”の試験時に見つかった細かな不具合も修正されている。ただし、
「高角砲で水上目標を撃つ、あれは?」
“鳳翔”が気になって聞くと、秋吉は平然と答えた。
「残した」
「……やはりですか」
「あれ、意外と有用だったから」
バグは仕様になったらしい。
今回の目的は、士と加奈の戦闘動作を採取することにある。そのため二人へ与えられた装備は、艦娘用艤装ではなかった。
アサルトライフル、携行型ロケットランチャー、コンバットナイフ、その他、一般的な歩兵用装備。弾薬には対SUE特殊徹甲弾───APAS系弾薬を想定した性能が設定されている。
対する敵は深海棲艦だが、敵側の火力は訓練用として大幅に下げられていた。
士と加奈は生身の人間を再現したアバターである。深海棲艦本来の火力をそのまま適用すれば、16インチ砲どころか小口径砲の至近弾一発で即座に撃破判定となり、戦闘データを取る以前の問題になってしまう。
それでも直撃を受ければ撃破されるため、回避しなければならないことに変わりはない。
「それじゃあ始めよう」
秋吉が操作卓へ手を置いた。
「戦闘開始」
最初、二人は苦戦した。
「うわっ!?」
士が急制動を掛けると、すぐ脇を砲弾が通過し、その先の海面で大きな水柱が上がった。
「士、右!」
「分かってる!」
加奈が撃つ。ライフル弾が駆逐型深海棲艦へ命中するが、一発では止まらない。
「硬っ!」
「もう一発!」
二射、三射と撃ち込み、ようやく敵が撃破判定となって姿を消す。
陸上の戦闘とは、まるで勝手が違った。何より足場が水面である。
VRシステム側が艦娘の海上機動を人間へ疑似的に再現しているため、水面を高速で移動すること自体は出来る。しかし、二人にそんな経験は当然ない。踏み込み、加速、減速、旋回、その全ての感覚が違っていた。
しかも敵は、人間と同じ形をしているとは限らない。人型に近い個体でも、身体の各所に砲塔や魚雷発射管が付いている。一人を見ているつもりでも、実際には複数の射線が同時にこちらを向く。
「やり辛ぇ……!」
「士、後ろ!」
「っと!」
士が屈むように身体を落とすと、頭上を機銃弾が通り過ぎた。今度は転身しながら射撃し、士の弾が敵の頭部へ集中して撃破する。
開始から暫くは、その繰り返しだった。それでも十分、二十分と時間が経つにつれ、二人は少しずつ海上での動きに慣れていった。
管制室では、“磐手”がモニターへ食い入るように見入っていた。
「……凄い」
隣の“出雲”も、静かに二人を見ている。
「これが、本来の神崎流……」
“磐手”の言葉に、“出雲”は少しだけ首を振った。
「まだ」
「え?」
「二人とも、まだ慣れてる途中。多分、ここから」
士に直接教わった彼女には分かる。今の二人は、持っている技術を環境へ合わせることに意識を割いているのだ。神崎流そのものを、本格的にはまだ使っていない。
そして直後、画面の中で士が笑った。
『へへっ……やっと分かってきた』
「来る」
“出雲”が呟く。
「出雲が言ってた通りだな」
士は水面を滑りながら、自分の足元を見る。
「スケートに近い」
「最初から信じれば良かったのに」
加奈が隣へ並ぶ。
「いや、スケートと砲撃戦を同列に語られても普通信じねぇだろ」
それでも、今はもう感覚を掴んでいた。水面をどう踏み、どこへ重心を置けばどう曲がるのか、減速にはどこまで限界があるのかも分かってきた。
なら、後はいつもの戦い方を持ち込むだけだ。
「加奈」
「うん」
「行けるな?」
「もちろん」
二人が同時に前を見る。
残存する敵は、まだ多数いた。駆逐型、巡洋艦型、そして後方には二隻の戦艦型。
『じゃあ』
士が身体を沈めた。
『こっから本番だ!』
二人は敵艦隊へ真正面から突っ込んだ。
「えっ!?」
“磐手”が思わず声を上げる。
「突っ込んだ!?」
一見すれば、自殺行為だった。
二人には装甲がなく、艦娘用の防御装備もない。対して敵は、主砲、副砲、魚雷、機銃と複数の火器を持ち、しかも数でも負けている。
今まで慎重に距離を取り、地道に一隻ずつ削っていたのに、突然その全てを捨てるように中央へ突入した。
“鳳翔”も疑問を口にする。
「……何故、二人には艤装を用意しなかったのですか?」
「今回の目的と合わないからだよ」
秋吉が答える。
「シミュレーションなら、どんな艤装でも持たせること自体は出来る。でも、それをやったら意味が薄れる」
「どういうことでしょう?」
「艦娘の艤装は全員違うだろ?」
“鳳翔”が気付く。
「あっ……」
戦艦、巡洋艦、駆逐艦、空母、潜水艦。同じ艦種の中ですら、砲の数や配置、魚雷、対空火器、航空兵装、艤装の形状は一人ずつ異なる。
「士君達に特定の艤装を渡したら、当然その艤装に合う戦い方をする。そのデータを別の艦娘へ入れても、同じようには使えない」
「だから、極力単純な武装だけを?」
「ああ」
今回欲しいのは、艤装の使い方ではない。人間の身体をどう使い、敵をどう見て、どの距離を取り、どう回避し、複数の敵をどう捌くかという、もっと根本的な部分だった。
「それに」
秋吉は“出雲”を見る。
「既に一つ、神崎流を艦娘へ応用した例はある」
“出雲”が自分を指す。
「私?」
「ああ。ただし君の場合は、少し特殊だ」
“出雲”が士から神崎流を学んだ時、最優先された目的は『出来るだけ短期間で戦闘力を引き上げること』だった。
そのため、呼吸、姿勢、筋肉、重心、意識、そして本来なら無意識に掛かっている身体の制限を意図的に制御し、身体能力を引き上げる部分に重点を置いた。
一方、神崎流としての標準的な戦闘機動そのものは、ほとんど習っていない。
“出雲”には既に、彼女自身の戦い方があった。艦娘の初期にはまともな教本がなかったため、実戦と訓練を積み重ねる中で自然に出来上がったものだ。
荒削りではあったが、彼女の戦闘センスに合った動きへ神崎流の身体運用を重ねた結果、今の“出雲”の戦闘スタイルが出来上がった。
「だから、君は神崎流を使ってはいるけど、神崎流そのものの動きをしているわけじゃない」
“出雲”は少し考えてから頷いた。
「確かに」
「今回欲しいのは、もっと基本形に近い方なんだ」
千年の間に武器が変わり、戦場が変わり、時代が変わっても神崎流が残ったのは、特定の武器に依存しなかったからだった。
「極端な話、二人が銃を使っていようが刀を使っていようが、もっと別の武器を使っていようが、根底にある身体運用は共通する。だから第二世代へ入れる『基本マニュアル』の土台に向いてる」
“鳳翔”が画面を見ると、士と加奈は敵中央へさらに深く入り込んでいた。
「では、今の突撃も?」
「多分ね」
「……多分?」
「僕は神崎家の人間じゃないから」
秋吉は素直だった。
「何を狙ってるかまでは分からない」
“鳳翔”は少し呆れながらも、再びモニターへ視線を戻した。
「それで……一体、何をするつもりなのでしょう」
その答えは、すぐに分かった。
二人がここまでの戦闘で最も苦しめられていたのは、単純な性能差ではなく、手数だった。
士と加奈が持つ武器は、せいぜい一度に一方向へ攻撃出来る程度である。対して深海棲艦は、一体で複数方向へ火力を向けられる。主砲、副砲、機銃、魚雷と、複数の敵が同時に攻撃してくる以上、正面から撃ち合う限り二人は不利だった。
なら、その大量の火力を敵自身へ向ければいい。
それが、二人の出した答えだった。
「加奈、右のリ級!」
「見えてる!」
砲声が響く。
士は撃たれた瞬間、わずかに進路を変えた。砲弾は士のいた場所を通過し、その先にいた別の敵へ命中する。
「一隻!」
「次来る!」
二人は敵陣中央を縫うように走った。直進はせず、大きく逃げもしない。敵の砲塔がどちらを向いているかを見て、発砲間隔を覚え、射線を予測し、撃たれる瞬間だけ進路を外す。
その結果、敵弾は別の敵へ次々と命中していった。
「嘘でしょ……」
“磐手”が呟く。
敵が多いことを、逆に利用している。
狭い敵陣の中へ入り込めば、火力があるほど同士討ちの危険が増える。そして敵側がそれを避けようとして射撃を躊躇すれば、今度は士と加奈が自由に動ける。
「これが……」
“出雲”も目を離せなかった。
自分が習った神崎流とは違う。しかし、確かに根は同じだった。
相手の動きを利用し、相手の力を逆用する。自分にとって不利な条件を、戦場の構造を変えることで消していく。それもまた、神崎流が持つ一面だった。
士と加奈が狙ったのは、敵艦隊中央にいる二隻の戦艦型だった。
重装甲、高火力。まともに撃ち合えば二人に勝ち目はない。だからこそ、敵同士を盾にする。
ここまでの戦闘で、二人は既に主砲の装填時間や発砲条件を観察していた。一定距離まで近付けば撃つ。標的を捕捉出来ていれば、射線上に味方がいても撃つ。実戦記録を基に設定されたAIの動きだった。
「来るぞ!」
戦艦型の砲塔が士へ向く。
主砲が発砲する瞬間、士は急旋回した。砲弾は背後の巡洋艦型へ直撃する。
そのまま加奈が別方向から接近し、もう一隻の戦艦型の向きを変えさせた。
「士!」
「今!」
二人が同時に急制動を掛ける。
戦艦型の主砲が火を噴いたが、その場所には既に誰もいない。砲弾は一直線に進み、向こう側に立っていたもう一隻の戦艦型へ叩き込まれた。
同時に反対側から発射された砲弾も、こちらの戦艦へ直撃する。
巨大な爆発が起こり、二隻同時に撃破判定が表示された。
「……マジか」
海斗が思わず呟く。
主力を失った敵は急速に崩れた。後方の個体は射撃に消極的になり、士と加奈は次々に距離を詰めて仕留めていく。
ライフル、ロケット、ナイフ、使えるものは全て使った。
最後の敵に撃破判定が表示され、シミュレーターが戦闘終了を告げた。
現実へ戻ってきた士は、ゴーグルを外すなり両腕を上げた。
「っしゃあ!」
「疲れたぁ……」
隣では加奈が深く息を吐きながら座り込んでいる。
「手加減されてたとはいえ、勝ちは勝ちだ!」
「士は元気ね……私、途中から本当に撃たれると思ってた」
「それだけリアルだったってことだろ」
「褒めてないから」
秋吉が笑いながら二人へ近付く。
「お疲れ様。かなり良いデータが取れたよ」
「使えそう?」
「十分過ぎるくらい」
今回記録されたのは、単に『敵陣へ突撃して同士討ちさせる戦法』だけではない。
視線、重心、足運び、身体の向き、回避直前の予備動作、武器の持ち替え、敵を見る順番、複数目標の位置を把握する仕方、攻撃の間合いの取り方。士と加奈が無意識に行っている細かな動作まで、全てが記録されている。
それらを解析し、汎用化出来る部分を抽出して、第二世代の基本戦闘マニュアルへ組み込む。
「ただし」
秋吉は続けた。
「これを入れれば、第二世代全員が君達みたいに戦えるようになるわけじゃない」
士が頷く。
「そりゃそうだろ」
「知識は入れられる。基本動作も教えられる。でも、実際にどう使うかは本人が訓練して身に付けるしかない」
「それでいいんじゃない?」
加奈が言った。
「最初から全部出来ちゃったら、練習する意味無くなっちゃうし」
「その通りだね」
神崎流のデータは、第二世代を完成させるものではない。最初の歩き方を教えるものだ。そこからどう育つかは、本人次第になる。
そしてこの日取得されたデータは、後に“ゼロ”、その先に生まれる多くの第二世代艦娘の基本戦闘機動へ、基礎として使われていくことになる。
第一世代が生まれた当初には存在しなかった、『艦娘としてどう戦うか』という教本が、ここでようやく形を持ち始めたのだ。
一仕事を終えた後、希空は一人、自分の研究室へ戻っていた。
士と加奈に頼みたかったことは終わった。だが、JK-2-X計画に必要な研究は、まだ山ほど残っている。
自室兼研究室の扉が開く。
中は一般的な研究室と少し違っていた。大型端末が複数並び、デスクがあり、壁際には本棚がある。そこまでは秋吉の部屋にも似ているが、本棚に並んでいるのは学術論文や専門書だけではない。
SF小説、科学雑誌、宇宙や未来技術を扱う一般書、さらにアニメや映像作品のディスクまで大量に詰め込まれている。
窓際の棚には、希空が自作したプラモデルが並んでいた。宇宙戦艦、巨大ロボット、宇宙船、未来兵器など、現実には存在しないものばかりである。
その中でも一番気に入っている模型が、デスクのすぐ横に飾られていた。巨大な砲口を艦首へ備えた宇宙戦艦だ。
希空はこの艦が好きだった。格好良いからというだけではない。そこに描かれた『現代科学では出来ない技術』を考えるのが好きだった。
何故出来ないのか、どうすれば出来るのか、何が足りないのか。そうやって考えることが、希空は好きだった。
「希空、ここがお前の部屋か?」
背後から海斗の声がする。
「うん!」
今日は、両親も中へ呼んでいた。
美香は棚の模型を眺めている。
「これ全部、希空が作ったの?」
「そうだよ!」
「上手いじゃない」
「えへへ」
希空は嬉しそうに笑った。
「でも、お父さんとお母さんの方が上手だと思うよ」
「そりゃ大人だからな」
海斗が模型を覗き込む。
「むしろ五歳に負けたら、俺の方が立ち直れん」
「私も自信無くすわ」
三人で笑い合う。
暫く模型の話をした後、希空は本題へ入った。
「ねえ、お父さん、お母さん」
「ん?」
「どうしたの?」
希空は、自分の端末に“ゼロ”の設計モデルを表示した。先ほど皆へ見せた少女の姿である。
「“ゼロ”のことで、聞きたいことがあるの」
「ああ」
「何?」
「“ゼロ”は、お父さんとお母さんの子になるでしょ?」
「予定ではな」
「希空にとっては妹ね」
「うん!」
そこが嬉しいのか、希空はすぐに笑顔になった。
「いっぱい遊んで、いっぱい勉強教えて、いっぱい甘えさせてあげるんだ!」
「良いお姉ちゃんになれそうじゃない」
「でしょ!」
希空は誇らしそうに胸を張ったが、すぐに首を振った。
「あっ、違う。今聞きたいの、そこじゃなかった」
「何だ?」
希空は少し考えてから、質問した。
「お父さんとお母さんは、“ゼロ”にどんな子になってほしい?」
「どんな子……」
海斗と美香が顔を見合わせる。
研究上の質問だと思ったのかもしれない。だが、希空の聞き方は、これから生まれる子供にどんな子へ育ってほしいかを尋ねる、完全に親へ向けたものだった。
「別に……元気に育ってくれれば、それでいいんじゃないか?」
海斗が答える。
美香も頷く。
「そうね」
「もっとないの?」
希空が食い下がる。
「例えば、すっごく強い子がいい、とか!」
「そりゃ、艦娘として生まれるなら強いに越したことはないけどな」
海斗は腕を組み、少し考えた。
「でも、強さだけなら別に一番じゃなくてもいいだろ」
「そうなの?」
「ああ」
海斗は笑った。
「強いて言うなら……優しい子かな」
「優しい?」
「誰かが困ってたら手を伸ばせる。誰かが危ないなら、助けようと思える」
その言葉に、希空は耳を傾ける。
「それで」
海斗は続ける。
「いざって時、その優しさを貫けるだけの強さがあれば最高だな」
「強くて、優しい……」
「私はもっと単純よ」
美香が笑う。
「どんな子でも、私達の娘なら大切な子。それで十分」
「とっても強くなくても?」
「いいわよ」
「プロトタイプなんだろ?」
海斗も言う。
「現実の試作機なんて、アニメみたいに完成型より強いのが普通ってわけでもないしな」
「そうそう」
美香が笑う。
「それに、もし失敗したところがあったって、その子自身が失敗作になるわけじゃないでしょ?」
希空は少し目を見開いた。
「……うん」
「だから、あんまり一人で背負わなくていいの」
美香は娘の頭を撫でる。
「予算ならもう結構集まってきてるし」
「本当に凄い額らしいな」
海斗も苦笑する。
「日本だけじゃなくて、各協力国に研究機関まで金を出してるから、誇張抜きで国家予算みたいな規模になってる」
「そんなに?」
「だから」
海斗は希空の頭を軽く撫でた。
「思い切ってやれ」
「……うん」
「でもちゃんと寝なさいよ?」
「はーい」
返事は素直だった。ただ、何かを考えている顔をしていたため、海斗と美香は少し気になったものの、今はそれ以上聞かなかった。
「じゃあ、俺達は秋吉のところ戻るぞ」
「また後でね」
「うん!」
扉が閉まると、研究室は静かになった。
希空は暫く、何もせずにモニターの少女を見つめていた。
JK-2-X-00、仮称“ゼロ”。
まだ存在しない妹を、世界中が期待している。次世代の入口、人類と深海棲艦の戦争を終わらせるかもしれない希望。
「……“ゼロ”」
希空は小さく名前を呼んだ。
もちろん、返事はない。
「世界中が期待してるんだよ」
画面の少女は、止まったままだった。
「人類の希望」
そして、希空は少し笑う。
「もうすぐ、私の妹になる子」
技術試験個体、プロトタイプ、研究材料、戦闘データ収集個体。言い方はいくらでもある。
でも、希空にとって一番大事なのは、そこではない。
「私が造る、私の妹」
希空は椅子へ座った。足が床へ届かない小さな身体で、大きな机へ向かう。
「お父さんとお母さんは、ああ言ってたけど……」
強さは一番でなくていい。優しい子であればいい。どんな子でも大切な娘、それが両親の願いだった。
希空も分かっている。分かっているからこそ、別のことを思った。
「どうせなら、強く産んであげたいな」
優しいだけでは守れない。強いだけでは意味がない。だったら、両方あればいい。
「誰かを守りたいって思った時に、絶対に守れるくらい」
希空の目が、モニター上の性能表へ移る。
現在の設計でも、“ゼロ”は既に第一世代を遥かに上回っている。それでも希空には、表示された数字が足りないように見えた。
「他の誰にも負けないくらい」
指がキーボードの上を動く。
「一番強くて」
ファイル一覧が開く。
「一番優しい」
大量の研究フォルダが並んでいる。
核融合、反物質、生体工学、神経接続、艤装、妖精技術、物質縮小、余剰次元。一つずつ開いては閉じていき、やがてカーソルが一つのフォルダの上で止まった。
通常の研究員にはアクセス出来ない、希空個人の最高機密領域である。
「最強無敵の艦娘に」
まだ少女だった五歳の希空が、自分の妹を強くしてあげたいと思った。ただ、それだけの気持ちが出発点だった。
「───だから、ね?」
希空がクリックすると、サブモニターへ資料が表示された。
他の研究論文と比べれば、体裁はまだ稚拙だった。文章や言葉の選び方には子供らしい部分が残り、数式も途中で、未整理の項目や仮説も多い。技術の完成品ではなく、理論と呼ぶにもまだ荒削りだった。
だが、そこに書かれている内容は問題だった。
妖精達が当たり前のように使う物質縮小。『ここではない場所へ物を逃がす』という現象を、人類の物理学では説明出来ない。
なら、余剰次元を考えればどうか。M理論と結び付ければ、物質、エネルギー、空間を、もっと違う形で扱えるのではないか。
さらに、極小領域から莫大なエネルギーを取り出すため、人工的な微小ブラックホールを安定生成、制御出来れば、核融合や対消滅、その先にある機関を作れるのではないか。
そして、それらを一つに繋げたら、何が起きるのか。
希空はまだ知らない。誰も知らない。
その資料の一頁目に、大きく表示されている。
『最高機密 取扱注意』
その下に、幼い少女が一人で書いた研究題目が記されていた。
『BHエンジン及びM理論に基づく発展型の基本理論』
画面の光が、希空の幼い顔を照らす。
人類史が数十年、数百年を掛けて辿り着くはずの場所へ、その少女は既に手を伸ばし始めていた。
神崎希空。
後に人類科学の歴史そのものの特異点となる少女。
その本当の異常さは、まだ片鱗を見せたばかりだった。
続く
あ と が き
最後の部分は、神崎希空という少女の真の力、その片鱗を示す描写。更に言えば、本作における艦娘技術の理論理屈の延長。
次回 深海棲艦攻勢