修理と共に“改”になる3人。
どちらかと言えば“改”になるまでの話。
その日の深夜。
一度は敗北寸前まで追い詰められた宗谷海峡での夜戦も、希空の介入と、実戦初使用となった浮沈特火点によって、どうにか勝利へ辿り着いた。
日付が変わった頃、“出雲”と“磐手”は、ようやく艦娘技術研究所へ帰還した。
二時間後
艦娘技術研究所 修理用ドック
艦娘用の『ドック』と言っても、通常艦艇が入る巨大な船渠とは全く違う。人間大の艦娘に合わせて造られたその設備は、見た目だけなら大浴場に近かった。
浴槽を満たしているのは、当然ながら普通のお湯ではない。特殊な修理液だ。その液体へ身体を浸すことで、含まれている成分が艦娘の身体組織へ作用し、数時間を掛けて損傷部分の修復を促す。
現在、その浴槽には二人の艦娘が入っていた。
“出雲”。
そして、“磐手”。
「……………………」
“磐手”は肩口まで修理液へ浸かりながら、隣を何度も見ていた。
(出雲……)
そこには、意識を失ったままの姉がいる。
目覚めるまで待てるような傷ではなかったため、帰投後すぐに修理が始められた。戦闘の痕は、まだ身体中へ残っている。擦過傷、火傷、砲弾や破片によって裂けた皮膚。
そして何より、右肘から先と、右膝から先。そこにあるべきものが、無かった。
「……」
“磐手”は目を逸らしかけた。けれど、すぐにまた見る。
つい数時間前まで、そこには姉の腕と脚があった。
暫くして。
「……ん?」
“磐手”は、自分の腕を見た。
(痛みが……)
少しずつ、消えている。
先程まで焼けるように痛んでいた傷が、いつの間にか鈍い痛みへ変わっていた。皮膚の裂けた部分も、目に見えて塞がり始めている。
(……面白い)
こんな時に不謹慎かもしれない。それでも、初めて体験する感覚に好奇心を抑えられなかった。
艦娘として生まれてから、ここまで大きな損傷を受けたことはない。当然、本格的な入渠も初めてだった。
「本当に治ってる……」
そっと腕を動かしてみる。つい先程まで痛みでまともに動かなかった場所が、かなり自然に動いた。
艦娘の修復能力については、話に何度も聞いていた。通常艦艇なら数週間、数か月を要するような損傷でも、艦娘なら数時間から数日で復帰出来る。
『革命的な修理システム』
そう呼ばれる理由が、ようやく実感出来た。
そのまま三時間ほどが経った頃には、“磐手”自身の傷はほとんど塞がっていた。横で眠る“出雲”も同じで、火傷や裂傷、擦過傷といった傷は、確実に消えていく。
だから、最初は気付かなかった。
「……あれ?」
“磐手”が隣を見る。
“出雲”の右腕、肘の先。傷口そのものは、もう塞がっていた。皮膚に覆われ、血も出ていない。
だが、それだけだった。
その先には、何もない。
右脚も同じだった。
「……」
さらに時間が経っても、変わらない。傷口は綺麗になる。でも、手足は戻ってこない。
「出雲……?」
“磐手”の声が震えた。
「大丈夫……だよね?」
返事はない。
「治るんだよね……?」
艦娘の入渠は凄い。何でも治る。そんな話を、ずっと信じていた。
なのに、目の前の現実は違った。
「……多少の傷なら治せる」
不意に、入口から声がした。
“磐手”が振り返る。
「でも、完全に無くなった身体までは戻せないんだ」
そこにいたのは希空だった。
「───え?」
希空は自身の定期メンテナンスも兼ねてドックへ来たらしい。服を脱いで二人と同じ浴槽へ入り、そのまま“出雲”の隣まで行くと、すっかり皮膚に覆われた右肘の先へ、そっと手を添えた。
「どういう……こと?」
“磐手”が聞く。声の震えは隠せなかった。
希空も、いつものように明るく答えなかった。
「今使ってる修理方法には、限界があるの」
『新陳代謝式』
現在、世界中の艦娘部隊で主流となっている修復法。人間が本来持つ生体修復能力を、艦娘の身体へ合わせて極端に強化した技術だった。
切れた傷は塞がる。火傷した組織は置き換わり、骨折も治る。損傷した筋肉や血管、神経も再生出来る。その速度は、人間とは比較にならない。
しかし、根本原理は生物の治癒だった。
「人間だって、切り傷は治るでしょ?」
「……うん」
「骨も、折れただけなら繋がる」
希空は“出雲”の腕を見る。
「でも、無くなった腕が生えてきたりはしない」
“磐手”は何も言えなかった。まさに今、目の前で起きていることだった。
「今の新陳代謝式は、残っている身体を治す技術なんだ」
希空の手が、“出雲”の肘を撫でる。
「無くなったものを、一から作り直す技術じゃない」
「じゃあ……」
“磐手”が聞く。
「出雲の腕と脚は……?」
希空は一瞬、答えるのを躊躇した。
「……この方法じゃ、戻らない」
「…………」
「ごめんね」
希空は俯いた。
「もっと良い方法、考えてるんだけど……まだ出来てないの」
次世代型の修理方式。その構想自体は、既に存在する。
艦魂には、その艦娘がどういう姿だったのか、どんな身体だったのか、そうした『記憶』が刻まれている。なら、その記憶を読み取り、失われた身体を再構築出来るのではないか。
理論上、完成すれば、腕や脚どころか身体のほぼ全てを失っても、艦魂の宿るコアユニットさえ残っていれば、元の姿を再現出来るはずだった。
究極の修理技術。
ただ、希空はそこで行き詰まっていた。
物質を扱うだけなら出来る。細胞を造るだけなら出来る。問題は『記憶』だった。
形のないものを読み取り、工学的な身体の設計図へ変換する。今の希空が持つ科学では、まだ足りなかった。
「……絶対、出来るようにするから」
希空は小さく言った。
誰へ言っているのか、“磐手”へなのか、眠る“出雲”へなのか、それとも自分自身へなのか、分からなかった。
その後も、希空は二人の側を離れなかった。
やがて、“出雲”の瞼が動く。
「……ん」
「出雲!」
“磐手”が身を乗り出した。
「分かる!? 私だよ!」
「……磐手?」
「うん!」
“出雲”はぼんやりと天井を見て、それから少しして、自分の身体へ視線を落とした。
右腕の途中から先がない。右脚も同じだった。
「……ああ」
一瞬、沈黙する。
「あの時、意識がほとんど飛んでたから……ちゃんと分かってなかったけど」
“磐手”は何も言えない。
“出雲”は右腕を眺めた。
「そっか」
呟く。
「無くなっちゃったか。私の手足」
「出雲……」
「そんな顔しないでよ」
“出雲”は、ほんの少し笑った。
「生きてるから」
その言葉が、かえって“磐手”の胸を締め付けた。
修復処置が一通り終わった後、三人は研究室へ向かった。
“出雲”は車椅子に乗り、その後ろを“磐手”が押している。右腕と右脚がない以上、自力歩行は出来ない。それでも、意識ははっきりしていた。
研究室の扉が開いた瞬間、海斗が声を上げる。
「出雲!」
続けて、美香、洋平、“鳳翔”、士、加奈、秋吉が集まってきた。
そして、何故か次々に謝り始めた。
「すまなかった」
「出雲ちゃん、ごめん……」
「俺達がもっと早く───」
「本当に、ごめんなさい」
“出雲”は暫くぽかんとしていたが、やがて少し笑った。
「何でみんなが謝るんですか」
「いや……」
海斗は言葉に詰まる。
「戦わせたのは俺達だ」
「司令官」
“出雲”は、ゆっくり首を振った。
「私は自分で戦いました」
「でも」
美香が言う。
“出雲”は一瞬、視線を落とした。それから、珍しく弱い声を出す。
「……正直」
皆が黙る。
「もう、お別れかなって」
“磐手”が息を呑んだ。
「こんな身体になったら、もう艦娘として使えないから……いらないって言われるのかなって、ちょっとだけ思ってました」
「何言ってんだ」
海斗はすぐにしゃがみ、車椅子に座る“出雲”と目線を合わせた。
「お前の代わりなんか、誰にも出来ねぇよ」
美香も横から抱き締める。
「そうよ」
「……艦長」
「私達にとって、出雲ちゃんは兵器じゃない」
美香は強く抱き締めた。
「仲間で、家族なんだから」
海斗も、その肩へ手を置く。
「戦えるとか戦えないとか、そんな話でお前との関係が変わるかよ」
“出雲”は暫く黙っていた。
「……そっか」
そして、小さく笑う。
「良かった」
自分が人間として必要とされている。それを改めて確認出来ただけでも、嬉しかった。
しかし、家族としての気持ちと、軍事上の現実は別だった。
“出雲”は、日本艦娘のトップエースである。その戦力が、今は失われている。
右腕、右脚、そして爆発によって失った右舷艤装。現状では従来の戦闘力を発揮出来ないどころか、艦娘として戦線へ復帰することそのものが難しい。
三十分ほど経ち、皆が少し落ち着いた頃、秋吉が口を開いた。
「……ここから先は、あまり聞きたくない話になる」
室内の空気が変わる。
「世界的には、出雲みたいに四肢欠損級の損傷を負った第一世代艦娘は、ほとんどの場合、退役になる」
士が眉を寄せた。
「ほとんど?」
「戦い続ける本人もいる。でも、軍側から強制的に退役させられる場合の方が多い」
秋吉は少し言葉を選ぶ。
「嫌な言い方をするよ」
そして、続けた。
「兵器として考えるなら、大金を掛けて壊れた一機を直すより、新しい一機を造った方が安い」
誰も反論出来ない。
「だから、壊れた兵器は捨てる」
言葉は冷たい。だからこそ、現実だった。
「もちろん、人間として放り出すわけじゃない。退役後の補助金や生活支援を設けている国は多い」
それでも、第一世代艦娘本人の視点から見れば話は違う。
昨日まで国を守るために戦っていたのに、今日、身体を失い、明日には軍を去る。
特に大西洋戦域では、その数が多かった。
「……そんなに酷いの?」
加奈が聞く。
秋吉はすぐには答えなかった。
「太平洋より、ずっと厳しい」
大西洋は深海棲艦の数が多く、欧州や北米の沿岸には多数の戦線が存在する。艦娘が足りないから、使える艦魂は片っ端から使う。
近代戦艦、巡洋艦、駆逐艦が足りないなら、もっと古い艦を使う。装甲艦まで投入し、それでも足りなければ、帆走戦列艦まで戦場へ出す。
ロイヤルネイビーでは、“ヴィクトリー”の名を持つ艦娘が現役部隊の指揮を執っている。ロシア沿岸では、“ノヴゴロド”までもが実戦哨戒へ回されている。
数百年前の艦魂を現代の戦場へ引っ張り出すことが、それほど珍しくない。そこまで艦娘が不足しているのだ。
「……戦列艦?」
士が聞き返す。
「帆船の?」
「ああ」
秋吉は頷いた。
「本当に、それくらいまで使ってる」
投入される艦が古くなれば、性能は低くなる。当然、損害も増える。損害が増えれば、さらに艦娘が不足し、また古い艦魂を使う。
その悪循環だった。
「退役した子達自身も」
秋吉は続ける。
「『生きて軍を辞められただけ幸運だった』って思ってることが珍しくない」
“磐手”は何も言わなかった。
数時間前、自分も死にかけた。“出雲”は、もっと酷い状態だった。
それが日常に近い場所が、この世界にはある。
「……でも」
士が疑問を口にする。
「そんなに退役させてたら、艦娘の数が減るんじゃないですか?」
秋吉は一度、目を伏せた。
「減らない」
「え?」
「正確には」
秋吉は“出雲”を見る。
「同じ名前の艦娘は、また造れる」
室内が静かになる。
「第一世代艦娘が重傷で退役する時、その身体からコアユニット───艦魂を回収する」
そして、別の少女を用意し、その艦魂を接続する。
「そうすれば」
秋吉はゆっくりと言った。
「新しい“同名艦娘”が出来る」
士の表情が変わる。
「……新しい?」
「同じ艦魂を使う。でも」
秋吉は明確に言った。
「同じ人間が戻ってくるわけじゃない」
艦魂から原艦の記憶や能力は引き継がれる。だが、素体となる少女が別なら、人間としての人生、人格、身体、才能、経験も別のものになる。
例えば、今ここにいる“出雲”の艦魂を別の少女へ移せば、その少女は『出雲』を名乗れるし、兵器体系上は同じ艦を扱えるだろう。
しかし、海斗達の前に座るこの少女ではない。
「撃沈された場合も、艦魂を回収出来れば再建造は可能だ」
秋吉は続ける。
「だから軍事運用だけで考えれば、一人の重傷者へ途方もない金を掛けて治療する意味が薄くなる」
壊れた艦娘を退役させ、コアを抜き、新しい少女へ接続し、また戦場へ送る。
それが、第一世代艦娘を使い捨てに出来る最大の理由だった。
そして、
「それが」
秋吉の声が少し低くなる。
「修理技術が、ここで止まった理由でもある」
“磐手”が希空を見る。
先程、ドックで次世代修理を研究していると言っていた。
「今の新陳代謝式で治せないほど壊れたなら、退役させて造り直せば良い」
その考えは、軍事的には合理的だった。
だから、大規模欠損を治す高価な技術への需要は消え、世界中で本気になって研究する人間も減っていった。
希空は、今いるその子を助けたいという発想から、研究を続けている。だからこそ、例外に近い存在だった。
「……酷いね」
“磐手”が呟いた。
秋吉は否定しなかった。
「酷いよ」
ただ、軍の予算は有限で、戦争は続き、敵は待ってくれない。それもまた、現実だった。
結論だけを言えば、今の新陳代謝式では“出雲”の欠損を治せない。そして、通常の世界標準の運用に従うなら、ここで退役だった。
その事実に、皆の顔が曇る。
だが、秋吉はそこで話を終えなかった。
「───ただ」
“出雲”が顔を上げる。
「入渠で治せないってだけで」
秋吉は少し笑った。
「治す方法が無いわけじゃない」
“磐手”が身を乗り出す。
「あるの!?」
「ある」
「どうやって?」
「一つだけ」
希空が、そこで気付いた。
「あ……」
秋吉を見る。
「所長、それって」
「うん」
秋吉は頷いた。
「大規模改装」
“出雲”が目を瞬く。
「改装……?」
「治せないなら」
秋吉は、いかにも研究者らしいことを言った。
「身体ごと、新しく造り直せばいい」
艦娘の大規模改装。
それは単に主砲を交換したり、機関を強化したりするだけのものではない。
少なくとも第一世代では、身体、艤装、機関、神経接続、同調系を全面的に造り替える、大手術に近いものだった。
そして、その基礎となる技術は、新陳代謝式よりも古い。
「外科手術式」
秋吉が説明する。
「艦娘が出来たばかりの頃、新陳代謝式はまだ存在しなかった」
なら、傷付いた艦娘をどう治すのか。普通の人間と同じように、手術をするしかなかった。
「名前通りだ。損傷した場所を開いて、切って、繋いで、交換して、再建する」
通常艦艇の修理で部品を交換するように、人間の身体を置き換える発想だった。
「当時は、それしかなかったから」
秋吉は苦笑する。
「何が何でも治せるようにしようとして、研究者達もかなり無茶した」
再生医療、人工組織、臓器、神経、血管、骨格。身体部品の製造と交換に関する技術は、最終的にほとんどクローン技術に近い領域まで進んだ。
「結果として」
秋吉は“出雲”の右腕を見る。
「本人が生きているなら、これくらいの欠損でも治せるところまでは行った」
“磐手”が目を見開く。
「じゃあ、何でそれ使ってないの?」
当然の疑問だった。
「そんな技術があるなら、さっきの話みたいにみんな捨てなくてもいいじゃん」
「高いんだ」
「……え?」
「とてつもなく」
秋吉はため息を吐いた。
外科手術式には、専用設備、高度な医療資材、妖精、作業量、人員、時間、そして交換する身体組織の製造が必要になる。全てが高価だった。
対して、後発の新陳代謝式は、修理液へ入渠するだけで大抵の傷が数時間で治る。治せる範囲が狭い代わりに、圧倒的に安く、速い。
「出雲が実戦投入される頃には、日常修理はほぼ新陳代謝式へ置き換わっていた。だから外科手術式は、それを必要とする存在が現れた頃には旧式化していた」
「……結局、お金なんだ」
“磐手”が少し複雑な顔をする。
「軍隊だからね」
秋吉も苦笑した。
「何十、何百って艦娘を維持するなら、一人に使える金には限界がある」
そこには、どうしようもない現実があった。
「でも」
“出雲”が聞く。
「それなら、どうして私には?」
秋吉の表情が変わる。
「君だから」
「……私?」
「そう」
秋吉は真っ直ぐに“出雲”を見る。
「普通の艦娘なら、別の少女を使って同じ艦魂を再建造しても、戦力として極端には変わらない」
もちろん、性格や技量には個人差がある。それでも軍全体の平均で見れば、新しい素体を訓練すれば、同じ艦種の戦力へ戻せる可能性は高い。
「じゃあ」
秋吉は続ける。
「対象が、他の艦娘と明確に隔絶したトップエースだったら?」
“出雲”は何も言わない。
「別の少女へ「出雲」の艦魂を接続すれば、“出雲”という艦娘は戻せる」
……だが。
「今の君は戻ってこない」
神崎流を扱う身体の使い方、戦場での判断、射撃技量、近接戦闘の勘。何年も積み重ねた実戦経験と、何より最初から他の艦娘より一段抜けていた、少女本人のセンス。
それは、艦魂を移植するだけでは再現出来ない。
「性能は金で買える」
秋吉は言った。
「艤装だって、機関だって、主砲だって強く出来る」
一拍置いて、続ける。
「でも、それを使い切れる人間までは金で買えない」
海斗が静かに頷く。
「つまり」
秋吉は“出雲”を指す。
「君は、使い捨てる方が合理的だという理屈の外にいる」
“出雲”は少し目を見開いた。
「トップエース“出雲”を捨てて、新しい“出雲”を造る」
秋吉は首を振る。
「それじゃあ駄目なんだ」
海斗と美香がさっき言った、『代わりなんかいない』という言葉は、家族としての意味だけではなかった。軍事的な意味でも、本当に代わりがいなかった。
「政府に掛け合う」
秋吉は言った。
「改装費、取ってくる」
「……取れるの?」
“磐手”が聞く。
「分からない」
秋吉は即答した。
「でも、理由はある」
そして、“出雲”を見る。
「ダメ元でも、やる価値はある」
その後、秋吉は数日を掛けて提言書をまとめた。
“出雲”大規模改装案。
それは単なる治療申請ではなく、日本の最重要艦娘戦力を一つ復活させるための、戦力再建計画として書かれた。
まず国防省の信頼出来る高官を回り、そこから政府へ上げ、最終的には首相の目を通ることになった。
首相は、あれからまだ交代していなかった。
前年、“鳳翔”と洋平の結婚を通して艦娘の実際の姿を知った首相は、以前以上に彼女達の人格を意識するようになっていた。
それでも、政治は感情だけでは決まらない。
次世代艦娘の研究に莫大な予算が必要な時期に、旧式装甲巡洋艦を原型とする艦娘一人へ、さらに大金を投入する。普通に考えれば、優先順位は低い。
だからこそ、第二世代の研究を進めている。旧式艦娘を何人改装しても、物量不足という根本は解決しない。
国会では当然、議論が紛糾した。
だが、最終的に議論は一点へ収束する。
『では、“出雲”を退役させるのか』
そして、
『誰が代わりを務めるのか』
誰も答えを出せなかった。
同じ艦魂を使えば、新しい“出雲”を建造することは出来る。しかし、その少女は今のトップエース、“出雲”ではない。
装備は量産出来る。技術も移転出来る。
だが、才能、実戦経験、センスを本人ごと複製することは出来ない。
結果、予算は異例の速度で承認された。
なお、秋吉は提言書を作る際、一つ小細工をしていた。
「“出雲”大規模改装に必要な関連予算」
その項目には、かなり幅を持たせていた。
大規模改装に必要な金額の正確な相場を知る政治家は、ほとんどいなかった。そもそも、ほとんど行われない処置なのだから当然だった。
だから、その中に“磐手”の改装費を入れ、ついでに“鳳翔”の改装費も入れ、さらに別の『とあること』に必要な予算まで少しだけ紛れ込ませた。
誰も気付かなかった。
後で海斗が知った時、こう聞いた。
「お前、それ大丈夫なの?」
秋吉は言い切った。
「必要経費だよ」
希空も横から真似をする。
「必要経費!」
海斗は、それ以上何も言えなかった。
2月11日
申請から約一か月後、三人の大規模改装はほぼ同時に行われた。
“出雲”。
“磐手”。
そして、“鳳翔”。
身体、艤装、機関、兵装、神経接続系など、各部が徹底的に見直される。
それは単なる修理ではない。古い身体を一度解体するに近い領域まで手を入れ、より強い状態へ組み直す、初めての本格的な『改』だった。
改装後、最も分かりやすく変化したのは、“出雲”と“磐手”だった。
火力、防御、速力のいずれも大幅に向上し、元々は装甲巡洋艦を由来とする二人が、今では重巡洋艦級と呼んでもそれほど違和感のない水準へ到達していた。
そして、“鳳翔”。
こちらも全面的に性能が引き上げられたが、特に大きいのは艦載機の運用能力だった。
搭載可能数が増え、艦戦、艦爆、艦攻の三兵種を同時に実用的な形で運用出来るようになった。
以前は、どれを多く積み、どれを減らすか悩む必要があった。しかし今は、制空、急降下爆撃、雷撃の全てを、一人でより柔軟に組み立てられる。
戦術の幅は大きく広がった。
だが、何より重要なことは別にあった。
「……」
“出雲”は自分の右手を見る。
指を開き、握る。もう一度、開く。
次に立ち上がり、右脚で床を踏む。
一歩、二歩、少しずつ歩く。
「……戻った」
“磐手”が隣で、泣きそうな顔をする。
「出雲!」
抱き付いた。
「良かった……!」
「ちょ、磐手、まだ慣熟前───」
言いながら、“出雲”は笑う。
右腕を妹の背中へ回す。一か月前には無かった手だった。
「……うん」
少し強く抱き返す。
「戻ってきた」
トップエース“出雲”は、一か月の戦線離脱を経て復帰した。
壊れたから直しただけではない。壊れたからこそ、以前より強くなって帰ってきた。
そして、改装作業が一段落した後、秋吉と希空にはもう一つやることが残っていた。
“出雲”の改装予算へ紛れ込ませた『とあること』のための資金が、手元にある。
「じゃあ」
希空が嬉しそうに端末を開く。
「始めよっか!」
秋吉も苦笑しながら隣へ座った。
「ここまでやったんだ。ちゃんと成功させないとな」
資料が画面に表示される。
そこに何が書かれているのか、まだ誰も知らない。
二人は確保した予算を使い、新しい準備を始める。
その『とあること』とは───。
続く
あ と が き
本文にもある通り、
“ヴィクトリー”がロイヤルネイビーの指揮を取り、
ロシア沿岸では“ノヴゴロド”が回る───
これが現在の大西洋戦域です。
“鳳翔改”は艦載機がまだ九六式艦戦以前の代物ですが、
本人のスペックはゲーム内と同等のイメージです。
次回 水増し予算の使い道