(比較的)ほのぼの回。
3月25日
横須賀 「建御名方」執務室
特務艦隊司令部の正式な移設まで、残り一週間となっていた。
書類上では新年度となる4月1日をもって、特務艦隊司令部と第一特務艦隊司令部の機能を国防省から艦娘母艦「建御名方」へ移すことになっている。
だが、指揮機能そのものの移転に加え、洋平達の生活拠点までこちらへ移す必要があったため、実際の引っ越し作業はほとんど終わっていた。
そして今、洋平が新しい住環境を一刻も早く整えたかった最大の理由は───。
「おー、パパだぞ〜。いないいない……」
洋平が両手で顔を隠す。
一拍置いてから、勢いよく両手を開いた。
「バァ!!」
「…………」
片方は、むすっとした顔のまま洋平を見つめている。
もう片方は、
「きゃ〜!」
楽しそうに手足を動かした。
「おお、穂乃果は今日も大ウケだなぁ。凛は……」
洋平は隣へ視線を移す。
「……もしかして、飽きた?」
「…………」
当然、返事はない。
ただ、何となくそんな顔をしているように見えた。
「まだ生まれて二週間なのに、もう性格が出過ぎじゃないか?」
洋平は苦笑しながら、二人の娘を交互に見つめる。
神崎穂乃果。
神崎凛。
予定外に双子として誕生した、洋平と“鳳翔”の娘達である。
二人を迎え入れたことで、「建御名方」に設けられた洋平達の居住区画は、一気に家らしくなっていた。ベビーベッドに衣類、ミルク、大量のおむつ。それまで軍人夫婦二人が暮らすだけだった部屋へ、これまで存在しなかった物が次々と増えている。
洋平自身も、最初は何をどう扱えば良いのか分からず右往左往していたが、毎日世話をしているうちに、少しずつ慣れ始めていた。
“鳳翔”は艦娘であり、それも現在の日本では極めて貴重な空母艦娘である。訓練に航空隊運用、各種試験や警戒任務と、どうしても家を空ける時間は長くなる。
そのため、後方で司令部勤務を行う洋平の方が、日中の育児を担当する時間は自然と長くなっていた。
もっとも、
「よーし凛。今度はこっちだぞ」
洋平が指を動かすと、凛の目がそれを追い、小さな手が伸びてきた。
「おっ、掴んだ!」
「……」
「よしよし、凄いぞ〜」
本人が楽しんでいるので、洋平自身も別に苦ではなかった。むしろ、かなり楽しんでいる。
穂乃果と凛は、建造後も研究所に留め置かれることなく、すぐに両親との生活へ移っていた。
希空の場合は事情が違った。彼女は生まれた時点から、身体そのものの長期的な変化や、遺伝子操作によって与えられた能力の発現、艦娘技術への適性など、成長過程そのものが重要な研究対象だったからである。
それに対して穂乃果と凛は、今回の建造試験において最も重要だった目的が、『新型建造方式で、一つの生命を正常に成立させられるか』という部分にあった。
もちろん経過観察は続けられるし、成長記録も取る。定期検査も行う。だが、研究所で四六時中管理しなければならないほどではなかった。
何より、洋平と“鳳翔”の子供である。普通に親元で育てることに、秋吉も希空も異論は無かった。
そして二人の赤ん坊は、あっという間に横須賀の人気者になった。
艦娘母艦「建御名方」という、どう考えても赤ん坊とは縁遠そうな巨大軍事施設の一角に、生後二週間の双子がいる。しかも、可愛い。
そうなれば、毎日のように誰かが見に来るのも当然だった。
今日も、
「空いてるか?」
「邪魔するぞー」
執務室の扉が開いた。
洋平がそちらを見ると、
「……小林司令官に田村艦長」
少し呆れた声が漏れる。
「一昨日来たばっかりじゃないっすか」
「許せ」
田村が真顔で言った。
「上から面倒な仕事を山ほど押し付けられてるんだ。俺達にも癒しが必要なんだよ」
「それで赤ちゃんを見に来るんですか?」
「悪いか?」
「いや、悪くはないっすけど……」
この数日だけで、二人の訪問回数は既に二桁へ届きかけていた。
「おー」
小林は洋平との会話など半分しか聞いていない。その視線は、完全に穂乃果と凛へ向いていた。
「やっぱり赤ん坊は良いな」
「こんにちは」
田村も隣から顔を覗かせる。
すると、穂乃果が手を伸ばした。
「お?」
小林も掌を出す。
穂乃果の小さな手が、ぺち、とその掌へ触れた。
「おおっ、ハイタッチか」
「きゃっ」
「元気だなぁ」
隣では、凛も相変わらずむすっとした表情のまま二人を見ている。だが、田村が指を近付けると、小さな手でしっかり掴んだ。
「こっちも満更でもなさそうだぞ」
「……本当に爺さんみたいっすね、お二人とも」
洋平が笑うと、小林も笑った。
「実際、私にとってはそんな感覚だよ」
穂乃果の小さな手を見ながら、さらに続ける。
「何せ、一緒に戦った親友の孫だからな」
「……」
洋平の表情が僅かに変わった。
小林が言っているのは、父、洋一のことだった。
「しかし」
小林の笑みが、少しだけ寂しそうなものへ変わる。
「こうして気軽に毎日見に来られるのも、あと少しか」
「え?」
洋平が顔を上げる。
「それ、どういうことです?」
「ああ」
小林は穂乃果から手を離した。
「異動だよ」
「異動?」
「今度、呉へ行くことになった」
田村が続ける。
「艦隊ごとな」
「……は?」
洋平は、一瞬理解が追い付かなかった。
来年度、国防海軍ではかなり大規模な艦隊再編が予定されていた。
理由そのものは、極めて現実的なものだった。
深海棲艦との戦争が始まってから、間もなく十年。その間、日本国防海軍も無傷では済んでいない。撃沈、大破、長期修理、戦力不足。新造艦による穴埋めも進められてはいたが、それでも全ての艦隊を従来の編制定数へ戻せるほどではなかった。
結果として、各地の艦隊には歯抜けになった編制が幾つも残っていた。
「だから、一旦全部見直すらしい」
田村が説明する。
「生き残ってる艦を振り分け直して、少なくとも部隊として機能する形へ組み直す」
小林も頷いた。
「うちなんて、再編対象としては筆頭だろうな」
横須賀鎮守府警備艦隊。
かつては複数の艦艇を抱えていた部隊だが、数年前の戦闘で壊滅的な損害を受け、その後、新たな艦艇は補充されていない。
そもそも警備艦隊という性格上、主力艦隊から外れた旧式艦が回されることも多い。主力艦隊の再建すら充分ではない現状で、横須賀警備艦隊へ優先的に新造艦を回す余裕など無かった。
その結果、現在、艦隊に残っているのは、大破から奇跡的に復帰した巡洋艦「那珂」、ほぼ一隻だけである。
「……まあ」
洋平も苦笑した。
「確かに、それで『艦隊』って呼ぶのも無理がありますね」
「だろう?」
小林も苦笑する。
「だから、再編そのものに文句があるわけじゃない」
「必要なのは分かってる」
田村も言った。
「うちだけじゃない。他も似たようなもんだ。戦力配置を整理する時期なのは確かだよ」
そこは、二人とも疑っていなかった。
「ただなぁ」
田村が腕を組む。
「何で俺達まで呉へ行く必要があるんだ、とは思うけどな」
「呉の警備艦隊は、現状でもそれなりに形になっているからね」
小林が続ける。
「横須賀側へ戦力を回して、こちらで再編する方法だってある」
「一応、そう言ったんだけどな」
「通らなかった、と」
「そういうこと」
洋平は少し考えた。
以前なら、単なる人事としか思わなかったかもしれない。だが、ここ最近、海斗と美香から何度も聞かされている。
国防省の空気が妙だ。
具体的に何かがあるわけではない。だからこそ、気を付けろ。
「……それって」
洋平が少し声を落とした。
「艦隊再編そのものは本当だけど、小林司令官達を呉へ動かすことには、何か別の理由がある……とか?」
小林と田村は顔を見合わせた。
「分からん」
小林は即答した。
「そこまで疑い始めたら、何でも陰謀に見えてしまう」
「ですよね」
「再編が必要なのは事実だ」
田村も言う。
「俺達の異動先にも、一応ちゃんと理由はある。そこは間違いない」
そう前置きした上で、少しだけ声を落とす。
「ただ」
「?」
「最近、上の空気が変わってきてるのも事実だ」
洋平の表情から笑みが消えた。
「やっぱり、そう感じます?」
「ああ」
小林が答える。
「だが、それも全部が悪い意味じゃない」
開戦から十年。国防軍上層には、戦争以前から長く軍を支えてきた高官が多い。
その中には、2000年のミレニアム・ショックを経験し、対SUE兵器研究を支え、妖精との協力を認め、艦娘という前例のない存在の実用化を後押ししてきた者達も多かった。
しかし、彼らも歳を取る。
「そろそろ引退の時期なんだよ」
小林が言った。
「誰かに追い出されるとかじゃない。普通に定年を迎える人間が増えてきた」
「十年前から既に上にいた人達ですもんね」
「ああ」
「むしろ、ここまで現役だったのが凄い人もいる」
田村が苦笑する。
当然、空いた席はその下にいた人間が埋める。それまで準トップ層にいた将官達が、一つずつ上へ昇進する。
その大半は、これまでの方針を知っている人間だった。艦娘の成立過程にも関わり、妖精との協力関係も知り、小林達とも付き合いが長い。
「だから」
小林は言った。
「明日いきなり全部が変わるなんてことは無いよ」
「そうなんですか?」
「ああ。上が総入れ替えになるわけじゃない」
田村も続ける。
「一番上にいた爺さん達の何人かが退いて、そのすぐ下にいた連中が上へ上がる。基本はそれだけだ」
「……なら」
洋平は少し安心した。
「今までとそんなに変わらないんじゃ?」
「すぐにはな」
小林が答える。
「ただ、人事ってのは椅子取りゲームみたいなところがある」
最上層の席が一つ空けば、その下から一人が上がる。さらにその下の席が空き、そこへ別の誰かが上がる。そうやって連鎖していく。
「一番上だけ見れば、知ってる人間がそのまま上がっただけでも」
小林は言った。
「下の方では、結構な数の席が動く」
「なるほど……」
洋平はようやく理解した。
「それで、今までとは少し違う人も上に入ってくる」
「そういうこと」
田村が頷く。
「それ自体は悪いことじゃない」
「むしろ組織としては普通だよ」
小林も言った。
「若返りは必要だし、戦争が始まって十年も経てば、当時の人間だけで回し続けられるわけもない」
「……ただ」
洋平は、国防省で感じた妙な空気を思い出した。
小林も、僅かに表情を曇らせる。
「最近入ってくる人間の中に、どうも艦娘に冷たい人間が増えているような気はする」
「露骨じゃないけどな」
田村も続ける。
「『艦娘は兵器なんだから、そこまで特別扱いする必要があるのか』とか、『予算配分をもっと通常戦力へ戻すべきだ』とか、『人間の軍人を優先すべきだ』とか」
どれも、それだけを聞けば即座に異常と断じられる意見ではない。
軍事組織である以上、予算の議論も、通常戦力との配分も、人員の優先順位も当然行われる。
「意見として存在するだけなら、別におかしくはない」
小林は言った。
「問題は」
少し間を置いてから、続ける。
「以前より、その声が通りやすくなっている気がすることだ」
「……」
洋平は黙った。
「まあ」
田村が少し明るい声へ戻す。
「まだ『気がする』って程度だ」
「今から全部を疑っていたら仕事にならん」
小林も笑った。
「何より、我々だって消えるわけじゃない」
「そういえば」
洋平が尋ねる。
「お二人、呉では何を?」
田村がニヤリとする。
「司令官は呉鎮守府のトップ」
「え?」
「私は呉鎮守府司令長官として赴任することになった」
小林が言った。
「田村は補佐として一緒だ」
「それ」
洋平は目を瞬く。
「普通に栄転じゃないっすか」
「だから言っただろう?」
小林が笑う。
「異動自体を陰謀扱いするのは馬鹿らしいって」
「中枢への影響力も、むしろ増えるかもな」
田村も笑った。
洋平は大きく息を吐く。
「じゃあ、当面はそんなに心配しなくても良さそうですね」
「そういうことだ」
もちろん、洋平達にとって小林と田村が近くにいなくなる意味は小さくない。
二人は、父・洋一の時代から続く重要な協力者である。神崎家そのものは歴史も名前もあるが、洋平達の世代はまだ若い。
軍や政府へ働き掛ける際、長年の実績と人脈を持つ小林達の存在は、大きな後ろ盾だった。
だが、場所が離れたからといって、その繋がりまで消えるわけではない。
「それより」
小林が表情を一変させる。
「今はもっと重要な問題がある」
「何です?」
「呉へ行くまで、あと一週間しかない」
「はい?」
「つまり」
田村が穂乃果を抱き上げる。
「今のうちに、この可愛さを摂取しておかなければならん」
「そういうことだ」
「……」
洋平は二人を見た。
そして思う。
(これ、異動するまで毎日来る気か……?)
……多分、来る。
その日の夜
「〜〜〜♪」
洋平は鼻歌を歌いながら、穂乃果を抱いていた。
執務は珍しく定時で終わり、早めに居住区画へ戻ってきている。“鳳翔”も既に帰宅しており、今は夕食の支度中だった。
凛は少し前に眠ってしまったため、起きている穂乃果の相手をするのが洋平の役目である。
「んー……」
穂乃果を抱いたまま、少しだけ身体を揺らす。
「これくらいか?」
「きゃ〜!」
「あ、これ好きか」
少し大きく揺らそうとして、洋平はすぐに動きを止めた。
「いや、やり過ぎると良くないか」
本当に手探りだった。
二週間前まで、赤ん坊の扱いなどほとんど知らなかった。それでも毎日抱き、ミルクを作り、おむつを替え、泣けば理由を考え、寝なければ抱いて歩く。
そうしているうちに、少しずつ穂乃果と凛が何を嫌がり、何を喜ぶのか分かるようになってきた。
「きゃっ、きゃっ」
「はいはい。楽しいな〜」
完全に親馬鹿だった。
「ご飯出来ましたよー」
台所から“鳳翔”の声がする。
洋平が振り向くと、料理を運びながら彼女が笑っていた。
「……ふふっ」
「何だよ」
「いえ」
“鳳翔”は少し嬉しそうに言った。
「日が経つごとに、様になっていきますね」
「毎日やってるからな」
「最初の日なんて、抱く時に随分緊張していたのに」
「仕方ないだろ。首も据わってない赤ん坊だぞ?」
「今は?」
「だいぶ慣れた」
言いながら、洋平は慎重に穂乃果を赤ちゃん用の椅子へ移した。凛も少し前に目を覚ましたらしく、隣で大人しく座っている。
二人で食事を始めてから暫くした頃、“鳳翔”が少し申し訳なさそうに口を開いた。
「……すみません」
「ん?」
「本当は、私がもっと二人のお世話をするべきなのに」
洋平は箸を止めた。
「何で?」
「何で、と言われましても……」
“鳳翔”は少し困る。
「母親ですから」
「俺も父親だぞ?」
「それはそうですが……」
「それに」
洋平は普通に食事を再開する。
「前線へ出るお前と、基本後ろで指示を出してる俺じゃ、仕事の負担が違うだろ」
「ですが」
「非番の日は、家のことほとんどやってくれてるじゃん」
「それは」
「なら、これくらい俺がやらないと釣り合わん」
“鳳翔”は少し考えた。
「そういうものでしょうか?」
「そういうもんだ」
洋平は断言した。
そして、少しだけ笑う。
「まあ」
「?」
「こういう言い方するとアレだけど、一応仕事でもあるしな」
「仕事?」
「二人の様子」
洋平が穂乃果と凛を見る。
「秋吉と希空から、出来るだけ細かく記録してくれって頼まれてる」
「ああ」
“鳳翔”も納得した。
「研究データですね」
「そう」
穂乃果と凛は、家族であると同時に、第二世代建造方式で成立した世界で最初期の二個体でもある。
成長、身体能力、知能、艦魂との関係、通常の人間との差、第一世代艦娘との差。その全てが、今後の第二世代艦娘研究にとって貴重な情報になる。
「希空の時みたいに、研究所でずっと観察するほどじゃないけどな」
洋平は言った。
「それでも、データは欲しいだろうよ」
「なるほど……」
「だから俺が二人の面倒見るのも、半分は仕事」
「半分?」
“鳳翔”が聞き返した。
洋平は少し黙る。
「……いや」
穂乃果を見る。
穂乃果は何故か笑っている。
凛を見る。
凛は相変わらず少しむすっとしている。
「一割くらい仕事」
“鳳翔”が吹き出した。
「ふふっ」
「仕方ないだろ」
洋平も笑う。
「可愛いんだから」
「はい」
“鳳翔”も娘達を見る。
「可愛いですね」
食事の後、二人を風呂へ入れ、着替えさせ、ミルクを飲ませてから寝室へ連れていく。
部屋の一角には、二人用のベビーベッドが置かれていた。希空からの誕生祝いである。
軍事用の高性能3Dプリンターを使って、わざわざ自分で設計して作ったらしい。
「……あいつ」
完成品を初めて見た洋平は、少し呆れていた。
市販品を買えば良いだけではある。だが、希空にとっては、従姉妹二人への贈り物を自分で作りたかったのだろう。
細かいところまで妙に凝っている。安全性、強度、角の処理、通気性、転倒防止。何故か軍用品並みに頑丈だった。
「ここまで頑丈なベビーベッド必要か?」
以前そう聞いた時、希空は、
『丈夫な方が良いでしょ?』
とだけ答えた。
確かに、丈夫で困ることはない。
「……寝たな」
洋平が小さな声で言った。
ベッドの中では、穂乃果と凛が並んで眠っている。今日は二人とも疲れていたらしい。
「取り敢えず、暫くは大丈夫そうだな」
「夜中には一度起きるでしょうね」
「ミルクだな」
「その時は一緒にやりましょうか」
洋平が“鳳翔”を見る。
「無理すんなよ?」
「大丈夫です」
「眠かったら寝てて良いからな」
「提督」
“鳳翔”が少しだけ頬を膨らませた。
「私も母親ですよ?」
「分かってるって」
「そのくらいは出来ます」
「はいはい」
洋平は笑った。
二人もベッドへ入る。
少し離れた場所には、二人の娘がいる。まだ、その小さな寝息が聞こえていた。
「……じゃあ、電気消すぞ」
「はい」
洋平が枕元の照明を落とす。
部屋が暗くなる。
「おやすみなさい」
“鳳翔”が言う。
「おやすみ」
洋平も答えた。
新しい家、新しい生活、新しい家族。
騒がしく、慣れないことばかりで、それでも今は穏やかだった。
4月1日
予定通り、特務艦隊司令部および第一特務艦隊司令部は、正式に艦娘母艦「建御名方」へ司令部機能を移設した。
同日、国防海軍でも大規模な艦隊再編が実施される。
長年、横須賀鎮守府の警備を担当してきた横須賀警備艦隊は解隊され、残存戦力は呉方面の警備戦力と統合されて、新たな編制へ組み込まれた。
他の鎮守府、艦隊でも同様だった。
十年近く続いた戦争によって、各地には編制上の穴が生じていた。損耗した部隊、定数を大きく割り込んだ艦隊、逆に新造艦の配備によって戦力が集中した地域。それらを整理し、限られた戦力を少しでも効率良く配置し直す。
再編は必要だった。
誰かが裏から作り出した理由ではない。国防海軍が戦争を続けていくために、いずれどこかで行わなければならなかった整理だった。
そして、同じことが人事でも起きていた。
2000年の開戦前後から国防軍の最上層を支えてきた古参高官達。その中には、対SUE研究を支え、妖精との協力を進め、艦娘計画を承認し、特務艦隊の設立を後押ししてきた者が多かった。
だが、十年という年月は長い。彼らの多くは、純粋に現役を退く年齢へ達していた。
定年、勇退、健康上の理由、後進への世代交代。それ自体に、何の陰謀も無い。
空いた最上位の席へは、それまでそのすぐ下にいた高官達が昇進した。長く軍中枢にいた経験豊富な者達であり、旧来の方針をよく知る者達でもある。艦娘計画そのものへ理解を示す者も多かった。
だから、この日を境に国防軍上層部が突然全く別の組織へ変わったわけではない。
古い体制は、人を入れ替えながらもまだ充分に残っている。小林や田村のような、神崎家や特務艦隊と繋がる人間も、むしろ昇進し、より大きな権限を持つようになった。
少なくとも表面だけを見れば、健全な世代交代だった。
いや、実際、その大部分は本当に健全な世代交代だった。
ただ、一つだけ、誰も意識していなかったことがある。
最上層の古参が高齢を理由に退いていく一方で、その下にはまだ退役するには若い世代がいる。彼らは当然、今回の世代交代で軍を去ることなく、そのまま残った。
そして、その中には既に以前から別の繋がりを持つ者達が、ごく僅かに混ざっていた。
秘密結社『ReBuilD』
───RBD。
彼らが今回の艦隊再編や人事異動そのものを作り出したわけではない。戦力再配置は必要だったし、古参幹部の引退も自然だった。次席の高官達が昇進するのも、組織として当然のことだった。
ただ、当然に生じた人事の動きに、以前から国防省や軍中枢へ潜んでいたRBD関係者が、少しだけ付け入る余地が生まれた。
誰か一人を露骨に最高位へ押し込む必要などない。そんなことをすれば、むしろ目立つ。
最上層には、まだ古参の方針を継いだ高官達がいる。その一段下にも、特務艦隊へ理解を示す者は多い。今、RBDが国防軍を自由に動かせるような状況ではない。
だから、もっと小さく、一つ、また一つと空いた席へ、自分達に近い人間を入れていく。
既に中枢にいる人間が候補者を紹介し、推薦し、人脈を繋ぐ。能力のある者なら普通に昇進させ、そこへほんの少し、自分達に都合の良い方向を混ぜる。
ただ、それだけだった。
元々、国防省に漂い始めていた、あの説明しにくい妙な空気。
洋平、海斗、美香、小林、田村。彼らが感じていた違和感の正体の一部は、既にそこにあった。
だが、まだ誰にも見えない。
RBDの人間ですら、今すぐ何かを起こそうとはしていなかった。今はまだ、古参の影響力が強過ぎる。
特務艦隊も健在。
神崎家も、小林も、田村も、秋吉も、艦娘技術研究所も、何一つ排除出来ていない。
だから、待つ。
少しずつ人を増やし、繋がりを作り、自分達の言葉が以前よりほんの少しだけ通りやすい組織へ変えていく。
この4月1日は、国防軍がRBDに掌握された日ではない。
国防軍が彼らにとって、以前より少しだけ入り込みやすい場所になった日だった。
そして、その変化は、今、二人の娘を抱き、新しい生活を始めたばかりの洋平達には、まだあまりにも小さ過ぎて、見えるはずもなかった。
続く
あ と が き
少しずつ、変わっていく。
次回 “本当の第二世代”へ