希空と産まれたばかりの零の日常。
そして、艦娘研究は新たな段階へ。
8月25日
神崎希空の「弟」、零が生まれてから、一か月と三週間が経っていた。
誕生直後から暫くの間は、身体形成に異常がないか、生命維持系が正常に働いているか、そして何より、あの規格外の機関を抱えた身体が安定しているかを確かめるため、連日のように様々な検査が続いていた。
それらも一通り終了し、研究所全体がようやく平常運転へ戻りつつある。
しかし、零自身は今も研究所にいた。
本来なら、両親である海斗と美香と一緒に暮らしているべきなのだろう。だが、そう簡単にはいかない。
零は極秘裏に建造された特殊個体であり、その存在そのものが最高機密に近い。現状、研究所の外へ自由に連れ出せるような立場ではなかった。
一方で、海斗と美香には第二特務艦隊の任務がある。二人とも時間さえあれば研究所へ足を運んでいたものの、ずっとここへ滞在して子育てに専念することも出来ない。
そこで、当面の育児担当として白羽の矢が立ったのが、研究所に常駐している姉、希空だった。
「……すぅ……すぅ……」
希空の研究室、その一角に置かれた小さなベビーベッドの上で、零は気持ち良さそうに眠っていた。
つい少し前までは盛大に泣いていたのだが、単純に寂しかっただけらしい。希空があやすと満足したように目を閉じ、そのまま再び眠ってしまった。
研究机の前へ戻った希空は、端末へ向かいながらも、時折ベッドの方へ視線を送っている。
「……ちゃんと寝てる」
そう確認してから、また画面へ向き直った。
今取り組んでいるのは、艦魂を使用しない人体建造における、性別固定技術の改良だった。
言ってしまえば、“ゼロ”として女児になる予定だった零が、男児として生まれた原因となった『バグ』の修正である。
ただ、希空はしばらく数式を追った後、手を止め、眠っている零へ視線を向けた。
「……これ、本当に直す必要あるのかなぁ」
自分で言っておきながら、苦笑する。
零が男児として誕生したのは、艦魂を使用しなかったことで、これまで見えなかった性別固定技術の不完全さが表面化したからだった。
逆に言えば、艦魂を用いる通常の第二世代艦娘建造では、ほぼ問題にならない。艦魂そのものが女性としての身体形成へ強く作用する以上、現在の技術でも実用上は充分だった。
それでも希空が研究を続けているのは、途中まで直したものを、『別に困らないから』という理由だけで放置するのが、何となく気持ち悪かったからだ。
「嫌だよね、技術者の性ってさ……」
まだ言葉も理解出来ない弟へ同意を求めるように、希空はそう呟いた。
もっとも、最初から完全な自己満足だったわけではない。
零の建造後、秋吉から一つの構想を聞かされていたからである。
G5の会合に参加した、イギリス、アメリカ、ドイツ、イタリアの四人の司令官。彼らの国でも第二世代艦娘技術を発展させるため、日本側で培った技術を供与すると共に、各国における第二世代の初期実証個体を建造する。
その候補として挙がったのが、彼ら自身の子供だった。
普通の人間を両親に持つ場合、零と同じく、艦魂以外の遺伝情報を利用した建造研究も必要になる可能性がある。
だからこそ、希空は妙に張り切っていた。
「海外のみんなにプレゼントするなら、ちゃんと女の子になるようにしてあげたい!」
ところが、八月に入ってから前提がひっくり返った。
「……まさか、みんな奥さんが艦娘だったなんてねぇ」
希空は頬杖をつく。
秋吉が伝え忘れていただけで、四人の司令官の妻は、それぞれ自分達の指揮下にいた艦娘だった。
つまり、その子供を建造するなら艦魂側の作用が期待出来る。性別固定技術が未完成でも、今のところ大きな問題にはならない。
「そうと分かったからには、別に急がなくても良いんだけど……」
画面へ戻った希空は、少し考えてから続けた。
「でも、ここまでやったんだもん。完成させたいよね」
結局のところ、完全に自己満足だった。
それでも、未完成と分かっている技術をそのまま放置しておくことを、希空には出来なかった。
何はともあれ、JK-2-X計画は一つの大きな山を越えていた。
穂乃果と凛によって、艦魂の情報から人間の身体そのものを建造する技術が成立し、零によって、艦魂すら使用しない完全な新規個体を一から構築出来ることも証明された。
特殊技術実験個体である零は、量産型第二世代艦娘そのものではない。むしろ逆だった。
量産性も、整備性も、コストも、既存の軍事体系との整合性も、様々な制約を一度横へ置き、『第二世代という技術で、どこまで行けるのか』を追求した、極端な特殊試作個体である。
零が道の上限を示す存在なら、次に必要なのは、その道を誰でも通れるようにすることだった。
つまり、本格的な第二世代艦娘建造体制の確立である。
その準備も、既に進んでいた。
建造装置、身体形成、艦魂情報の読み出し、基礎戦闘動作、各艦種ごとの艤装設計、そして何より、建造に必要な艦魂の確保。
世界各地で失われた旧軍艦からのサルベージ作業も進められており、候補となる艦名は少しずつ増え始めていた。
最初に誰を建造するか、それについても、そろそろ決めなければならない。
「国防海軍にとって、大切な艦名……」
希空は候補資料をめくる。
以前、秋吉から言われていた。
最初の一人なのだから、単純に強い艦、有名な艦、造りやすい艦というだけではなく、この国の海軍にとって意味のある名を選びたい、と。
「そうなると……」
画面上には、幾つもの艦名が並んでいた。
駆逐艦、巡洋艦、戦艦、空母。
その中で、希空は一度、陽炎型駆逐艦の項目を開いた。
一番艦、二番艦、三番艦と順番に流し、八番艦のところで指を止める。
「───“雪風”」
陽炎型駆逐艦八番艦、雪風。
他の姉妹艦と比べると、その推定データは妙に少なかった。それでも、名前だけなら説明する必要もないほど有名だった。
1940年就役。
太平洋戦争の数々の激戦を潜り抜け、生き残った駆逐艦。
戦後は中華民国へ引き渡され、「丹陽」として新たな生涯を歩んだ。
史実ならば、その後は台風によって大きく損傷し、1970年代初頭には解体される運命にあった。
だが、この世界では、そこから先が違った。
戦後日本に、日本国防海軍という、帝国海軍の系譜を制度的にも人材的にも受け継ぐ海軍が存在していたからである。
日本国内では早い時期から、『雪風を日本へ帰してほしい』という声が上がっていた。
それは、単なる旧日本軍艦の返還ではない。
数え切れないほどの戦場を生き残り、敗戦を経験し、その後は台湾へ渡り、さらに別の戦争さえ生き延びた。『雪風だからこそ帰してほしい』という運動だった。
日本と台湾の政治、安全保障関係、丹陽として過ごした歴史、保存や所有権の問題など、様々な事情が絡み、一筋縄にはいかなかったものの、最終的には政治的な合意が成立した。
大きく損傷していた船体も、文字通り半ば意地で修復され、「雪風/丹陽」は日本へ帰還した。
ただし、完全に日本だけのものへ戻ったわけではない。
『雪風』であり、『丹陽』でもある。
二つの海軍で歩んだ歴史そのものを保存するように、二つの名を持ったまま、日本と台湾の間を行き来する記念艦となった。
それで話は終わらなかった。
記念艦なのに、普通に航海する。海外へも行く。訓練にも使う。
ならば、安全に航海出来るようにしなければならない。
結果として、船体内部には何度も手が加えられた。
外見上は、出来る限り往年の雪風らしい姿を残しながら、機関、通信、航法、電装、安全設備といった中身は、時代と共に少しずつ更新されていった。
さらに、国防海軍にとって、実艦として残る旧帝国海軍駆逐艦は研究上も極めて貴重だった。
そのため、新装備、新型弾薬、省力化装置、対深海棲艦装備などの実験にも使われるようになり、いつしか雪風は、記念艦、練習艦、兵装実験艦、その全てを兼ねる不思議な存在になっていた。
2010年現在、艦齢は実に七十年。
それでも、まだ海に浮かんでいる。
「雪風なら……」
希空は資料を眺めながら呟いた。
「反対する人、いないよね」
帝国海軍、国防海軍、台湾、戦前、戦中、戦後。その全てを繋いできた、生きた歴史。
世界で最初の制式第二世代艦娘、その名に『雪風』を選ぶ。
物語としてなら、出来過ぎなくらいだった。
「今すぐ造ったって良いくらいだけど……」
希空はページの空白部分を見る。
「艦魂があれば、ね」
そこが問題だった。
雪風は、まだ生きている。
正確には、通常艦艇として現役運用されている。呉鎮守府の管理下で、江田島を中心に練習艦として活動し、新装備の試験にも参加している。
そのため、艦魂のサルベージはまだ行われていなかった。
そして、行わない方が良いと考えられる理由もあった。
「雪風」では、以前から妙な話が絶えない。
操艦中、突然、誰かに肩を叩かれたような感覚がした。そこで振り向く代わりに、その方向へ舵を切ると危険を避けられた。
消えていたはずの探照灯が勝手に点灯し、その光を追うと必要なものが見つかった。
機器が、何故か人間が操作するより少し早く反応する。
演習中、理解出来ない違和感に従って行動した結果、明らかに格上の相手を出し抜いた。
単なる偶然、老朽艦特有の機械的不具合、乗員達の思い込み。そう説明することも出来る。
少なくとも、艦娘が存在しない世界なら、そう片付けられていただろう。
だが、この世界には艦魂が存在する。そして、軍艦の魂を実際に人の身体へ宿らせる技術まである。
ならば、
「……“雪風”自身が、まだ船の中にいる」
そう考える方が、艦娘関係者には自然だった。
幾つもの戦場を、最高峰の乗組員達と共に生き抜いた艦。その“彼女”が今も、自分の身体を最も上手く動かす方法を、乗員へ伝えている可能性は否定出来ない。
だから、艦娘技術研究所側は結論を出した。
今、無理に艦魂を抜く必要はない。
雪風が雪風としてまだ海へ出られるのなら、その魂はそこへ残しておくべきだ。
推定性能表の内容が他の陽炎型より妙に薄い理由も、同じだった。
第二世代艦娘用の詳細情報は、本来、サルベージした艦魂から直接取り出す。
だが、雪風については、それをまだしていない。
今あるのは、実艦資料、姉妹艦、過去記録、そこから計算した推定値だけだった。
「……うん」
希空は画面を閉じる。
「まだ、雪風じゃなくて良い」
最初の第二世代艦娘が、必ずしも一番有名な艦である必要はない。
何より、『雪風』以外にも、最初の一人に相応しい名はある。
「帝国海軍から受け継いだ魂が、雪風なら……」
希空は別の資料群を開いた。
「国防海軍自身の魂は、こっち」
戦後、何もないところから新しい海軍を作り直した時代。
供与艦に頼り、旧式艦を使い、残された技術を拾い集め、再び自分達の手で巡洋艦を造った。
その最初の一隻。
戦後日本、初の新造国産巡洋艦。
昭和30年代、国防海軍がまだ発展途上だった時代、米国から供与されたフレッチャー級などと共に戦後日本の海を守り、後に続く川内型ミサイル巡洋艦、そしてさらに多くの国産水上戦闘艦へ、技術と経験を繋いだ艦。
戦前から残された存在ではない。
戦後日本が、自分達自身の手で生み出した、新しい海軍の象徴だった。
「……こっちだ」
希空の指が止まる。
帝国海軍の象徴なら、他にもいる。世界的な知名度だけなら、もっと上もいる。性能だけ見れば、別の選択肢もある。
だが、今回造るのは、『昔の軍艦を人間として蘇らせるだけの艦娘』ではない。
人類が自分達の技術で次の時代へ進むための、新しい世代。
なら、最初の一人には、『受け継いだもの』だけではなく、『戦後に自分達で作り上げたもの』を象徴する名前が相応しい。
雪風は、いつか必ず造りたい。
でも、最初は、この子だ。
希空は新しい登録画面を開いた。
試作段階を示すXではない。
制式建造個体、最初の一人。
JK-2、その後に続く番号01。
それを入力する。
『JK-2-01』
その横、艦名欄へゆっくり文字を打ち込む。
「……よし」
希空は少し満足そうに頷いた。
まだ建造日は決まっていない。
艦魂側の状態、装置、量産設備、艤装、予算。解決することは山ほどある。
零のように、全ての制約を無視して一人へ技術を詰め込むわけにはいかない。
ここからは、一人を最強へする研究ではなく、何十人、何百人、その先へ同じ技術を渡すための研究が始まる。
ベビーベッドの方から、小さな寝息が聞こえる。
希空は振り返った。
「零」
当然、返事はない。
「今度は、零の後に続く子達を造るよ」
静かに眠る弟へ、姉は笑った。
「最初は───」
零には、まだその意味も分からない。
それでも、少しだけ嬉しそうに見えた。
希空は、そう思うことにした。
JK-2-X-00“零”。
その誕生によって、第二世代艦娘研究は一つの頂点へ辿り着いた。
そして今、研究は次の段階へ進む。
『一人の最高傑作』から、『新しい世代』へ。
まだ見ぬ量産型第二世代艦娘達の時代が、静かに動き始めていた。
続く
あ と が き
在りし日の帝国海軍において、
「川内」「神通」「那珂」と並び立つ事のあった艦。
……それは一体、誰でしょう?
「雪風」返還時の“政治的取引”については、日本国防軍設定集をご覧ください。
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