この世界の“日本面”、その代表。
「───我々は『震電保存会』!!」
「我々国防空軍の御神体、『震電』を御守りしている団体だ、お嬢ちゃん!」
「…………」
昨日今日初めて会った人間へ向けるものとしては、少々強過ぎる熱量だった。
名乗った男達の目は揃って妙に輝いており、対する希空は何度か瞬きをしてから、少し困ったように首を傾げる。
「震電……保存会?」
「そう!」
「結成は1960年! 今年で丁度半世紀!」
「現役軍人、退役軍人、技術者、企業関係者から政財界まで! 我らが同志は今なお各所に───」
「……出た」
後ろから、美香の低い声が飛んできた。
男達の勢いが、僅かに止まる。
美香は深い溜め息を吐き、うんざりしたように額へ手を当てた。
「国防空軍を裏から牛耳ってるカルト宗教」
「カルトではない!」
「違うの?」
「断じて違う!」
「御神体とか言ってる時点で怪しいでしょうが」
「それは愛称のようなもので───」
「昔から軍の中枢やら企業やら政治家やらに会員作って、国産兵器へジャブジャブお金流して魔改造してる集団じゃない」
「人聞きが悪い!」
「だいたい合ってるじゃない」
何の躊躇もなく言い切る美香に、男達は言葉に詰まった。
そのやり取りを見ていた洋平は、やはりか、と小さく息を吐く。
今回、わざわざ危険を承知で希空を航空祭へ連れて来た理由は、招待状に、存在そのものが秘匿されている希空を指しているとしか思えない一文があったからだ。
それを美香へ相談した時、彼女はかなり早い段階で、
『どうせアイツらの仕業よ』
と言っていた。
希空の存在を知ることが出来るほど国防軍上層へ食い込んでいて、同時に常識外れの新技術へ強い興味を示す。そんな集団に、美香は一つしか心当たりが無かったのである。
実際、その本人達が目の前にいた。
「でも」
希空は男達を見上げる。
「震電を保存するためだけの団体なの?」
「……おっ」
今度は彼らの方が少し驚いた。
「どうしてそう思うんだい?」
「だって、半世紀もあるんでしょ?」
希空は先ほど歩いてきた歴史展示区域へ視線を向ける。
「震電だけずっと触ってるならともかく、国防空軍って、その間にいっぱい技術変わってるもん。機体一種類を残すだけなのに、政治家とか企業の人までそんなに必要なのかなって」
「…………」
「それに、震電を強くしようとしたって、エンジンだけじゃなくて、材料とか加工機械とか、レーダーとかコンピューターとか、ミサイルとかも研究しなきゃ駄目でしょ?」
男達の表情が変わった。
先ほどまでの妙な勢いが、ほんの少しだけ真面目なものになる。
「……流石だな」
一人が感心したように笑った。
「その通りだ、お嬢ちゃん」
『震電保存会』
その名前だけを聞けば、旧式戦闘機一機種を保存する愛好団体にしか見えない。
確かに、震電を守り、改良し続けることは組織の大きな目的であり、半世紀を経た今も変わっていない。
だが、それだけではなかった。
1960年当時、国防空軍ではF-86を始めとした米国系航空機の比率が急速に高まりつつあった。それ自体は、決して悪いことではない。敗戦によって大きく立ち遅れた日本の航空産業にとって、世界最先端の航空機を導入し、ライセンス生産し、整備し、実際に運用することは、技術を取り戻す最短経路の一つだった。
後にはF-104、F-4、F-15。海軍航空隊を含めればF-14なども導入されることになる。
しかし、旧陸海軍航空から国防空軍へ移った軍人や技術者達の一部は、一つの危惧を抱いていた。
完成した外国製兵器を買う。外国の設計図を基に造る。外国が生み出した技術を輸入する。それだけでも、強い軍隊を維持することは出来る。
では、自分達で次の戦闘機を考える人間はどうなるのか。
新しい発動機を作る人間は?
高温に耐える材料を研究する人間は?
試作機を飛ばし、失敗し、原因を探し、改善する組織は?
工作機械は?工場は?試験場は?
そして、自分達が欲しい兵器を自分達自身で作るという、技術体系そのものは?
一度途絶えたものを取り戻すことは、決して容易ではない。
震電保存会は、その危機感から生まれた組織だった。
「じゃあ」
希空が尋ねる。
「どうして“震電”保存会なの?」
「良くぞ聞いてくれた!」
保存会員の一人が嬉しそうに胸を張る。
「当時、一番分かりやすかったからだ!」
「分かりやすかった?」
1960年当時、戦後に再生された旧軍由来の兵器の多くは、既に世代交代を始めていた。
疾風や紫電はジェット機へ主力の座を渡し、51式戦闘機のような高性能レシプロ機も、時代そのものには抗えない。陸海軍でも、戦時型兵器から戦後設計への更新が進み始めていた。
その中で震電だけは、戦争末期の試作機から始まり、戦後型、ジェット型、超音速型へと発展しながら、なお第一線級の国産兵器として改良を続けていた。
『日本が自分達で兵器を造り続ける』
その象徴として、これほど分かりやすい存在は無かったのである。
だから、震電保存会という名前は本来、
『震電だけを永久に保存する会』
という意味ではない。
当時、国産兵器の中でも特に強く第一線に立ち続けていた震電を旗印として、
『国産兵器を自力で研究し、設計し、製造し、運用し、次へ発展させられる力そのものを残す』
その目的を掲げた組織だった。
「つまり、震電は代表選手みたいなもの?」
希空が聞く。
「そういうことだ」
「勿論、震電そのものも死ぬほど大切だがな!」
「そこは強調するんだ……」
加奈が苦笑した。
実際、この組織には震電への異様な愛着を持つ人間が大量にいる。だが、構成員はそれだけではなかった。
航空機や機関を設計する技術者、材料研究者、電子技術者、整備員、試験搭乗員、現役の戦闘機パイロット、退役軍人、軍需企業の技術者や経営陣、大学や研究機関、国防軍上層、そして研究開発へ金を出せる政財界の人間。
技術者だけでもない。金持ちだけでもない。軍人だけでもない。
保存会は、それらを意図的に混ぜていた。
「だから、名前ほど震電一辺倒じゃない」
会員の一人が説明する。
「震電のために開発した耐熱材が、別の航空機へ行く。高速機用の工作技術が戦車や艦艇の製造へ回る。レーダー、電子計算機、制御装置、赤外線センサー、データリンク───そういうものは、そもそも空軍だけで独占しても意味が無い」
「陸海にも普通に噛んでるものね」
美香が腕を組む。
「水上戦闘機の研究を切らさなかったのにも、あんた達かなり絡んでるでしょ。蒼風とか海嵐とか」
「……まあ」
「ほら」
「必要な研究だと判断したから支援したまでだ!」
「そうやってすぐ正当化する」
だが、実際に国防陸軍が四式中戦車改から61式、74式、74G型、90式へと繋いできた戦車開発そのものを、保存会が行ったわけではない。
国防海軍が巡洋艦や駆逐艦、潜水艦、空母を開発してきた系譜も、当然ながら海軍自身のものだ。
しかし、そこへ使われる高性能材料、精密加工、電子計算、デジタル制御、レーダー、熱線映像、サーボ、通信、データリンク、電子戦装置などの基礎技術に目を向ければ、保存会周辺の研究と無関係なものばかりではない。
一つの高性能戦闘機を本気で強くしようとすれば、その周囲にある何十種類もの産業と技術も、一緒に伸ばさなければならない。そして伸びた技術は、航空機だけのものではなくなる。
だからこそ後世、一部では冗談半分に、
『震電保存会による国産兵器バフ』
などと呼ばれることさえあった。
「じゃあ」
希空が少し考える。
「震電保存会って、“震電を保存する会”っていうより……日本が、自分で強い兵器を作れる状態を保存する会?」
一瞬、保存会員達が黙った。
そして、
「……百点だ」
一人が嬉しそうに笑った。
「その上で震電を世界一格好良くする会でもある!」
「余計なもの足した」
海斗が笑う。
そんな震電保存会が、震電そのものへも莫大な労力を注ぎ続けてきたことは言うまでもない。
「……もう諦めれば良いのに」
美香が、少し離れた場所に展示された機体へ視線を向ける。
「震電七八型が正式に退役したの、もう十二年前よ?」
1998年、日本国防軍創設五十周年。その節目をもって、震電七八型は通常部隊から形式上退役した。
戦後半世紀以上を飛び続けた『震電』は、そこで一度、第一線から降りたのである。
もっとも、完全に消えたわけではない。少数が戦技教導・アグレッサー部隊へ残され、今でも仮想敵機として飛び続けている。しかも、退役後も改修は終わらなかった。
「とは言ってもさ」
洋平が展示された震電を見る。
「第二世代ジェットどころか、元を辿れば戦争中の機体なのに、湾岸戦争じゃMiG-29やSu-27まで墜としてたんだろ?」
「退役後にNATO演習へ呼ばれて、F-22相手に勝てないまでも食らいついた、なんて話もあるしな」
海斗も続ける。
「今でも局地的に使うなら普通に戦えるんじゃないか?」
「だから否定し切れないのが腹立つのよ!」
美香は勢いよく振り返った。
「何なのよアレ! 帝国海軍が造ったレシプロ迎撃機が、何で六十年以上経ってもスーパーエース用の特殊戦闘機として通用するのよ!?」
「流石に中身は全然違うだろ」
「分かってるわよ!」
「むっ!」
その言葉へ、保存会員の一人が即座に食い付く。
「そうとも! 震電は単にプロペラを外してジェットエンジンを積んだだけの機体ではない!」
「言われなくても知ってる!」
「ならば改めて聞いてもらおう!」
「何で!?」
だが、始まってしまった。
『震電』
後に、人はこの機体を『国防空軍の魂』と呼ぶ。
始まりは第二次世界大戦末期。独特なエンテ型配置、後部に置かれた推進式発動機、機首へ集中配置された四門の30ミリ機関砲。日本本土へ飛来する大型爆撃機を迎撃するために造られながら、僅かな試験飛行だけで終戦を迎えた。
本来なら、そこで終わるはずだった。
しかし、1948年に日本国防軍が創設され、旧陸海軍の航空技術者達が再び集められると、震電は息を吹き返した。
最初に造られた震電一一型、J7W1。それは戦争末期の試製震電を、戦後の材料、工作精度、品質管理、そして十分な試験環境を使って、
『本当に完成させる』
ことを目的とした機体だった。
戦時中の試作機と見た目は近い。だが、戦争末期の混乱した環境では満足に出来なかった試験と改良を、一つ一つ積み重ねた。
「まずは、“震電という飛行機は、本来なら何処まで出来たのか”を確かめた」
保存会員が語る。
「その次が二二型だ」
震電二二型、J7W2。
二重反転プロペラ、過給機、発動機、電装、武装。戦後に使える技術を投入し、レシプロ震電を徹底的に煮詰めた。
しかし、時代は既にジェットへ向かっていた。
そこで、震電が元々持っていた『後部発動機配置』が生きる。
「後ろにエンジンがあるなら」
希空が言う。
「プロペラを外して、ジェットエンジンを置けば良い?」
「物凄く大雑把に言えばそうだ!」
もちろん、実際にはそんなに簡単ではない。吸気、排気、重量配分、熱、構造、振動、操縦性、ほぼ全てを見直す必要がある。
それでも、普通のレシプロ戦闘機をジェット化するより、震電の機体配置には余地があった。
そうして生まれた震電三三型、J7W3。震電初の実用ジェット型である。
だが、三三型には強力な競争相手がいた。
J9N2、橘花二二型。
最初からジェット機として設計された橘花系列は、戦後に改めて入手したMe262系の資料や欧米の技術を吸収し、完成度を大きく高めていた。
「で、コンペでは橘花が上だった」
美香が横から口を挟む。
保存会員が少しだけ悔しそうな顔をする。
「……機体としての完成度では、な」
「当たり前でしょ。片方は元からジェット機なんだから」
「その通りだ!」
「認めるんだ」
希空が少し笑った。
だが、このコンペには事情があった。
既に、量的主力にはF-86セイバーの
国防空軍が国産機へ求めたのは、F-86と同じことを少し上手くこなす機体ではなかった。F-86では出来ないこと、あるいは一部の任務だけでも、F-86より高い能力を発揮出来ることだった。
そこでは、尖った特性を持つ震電が強かった。
急上昇、局地迎撃、機首への集中火力、近距離での機首指向能力。限られた任務へ性能を集中させるなら、震電には価値があった。
「だから三三型は残った」
保存会員は続ける。
「一方で橘花も戦闘攻撃機として残って、最終型の三五型まで発展した。どちらかが勝って、どちらかが消えたわけじゃない」
二つの国産ジェット機は、違う道を選んだ。
1953年、震電三三型が制式化された。
だが、その頃には世界で音速の壁が破られていた。
ならば、震電も越える。
1955年、三三型を基礎として一機の実験機が造られる。後世、『震電三三型改』と通称されるJ7W4。ただし、正式な制式型ではない。量産も部隊配備もされず、純粋に超音速飛行のためのデータを取る実験機だった。
「でもJ7W4って、一つ番号を使ってるんだ」
希空が言う。
「それだけ中身を変えたからな」
吸気、機体強度、操縦系、発動機、振動、空力加熱、高速域での安定性。改修内容は、単なる三三型の小改造という範囲を大きく超えていた。
一度音速を越えれば終わり、でもない。
飛ぶ。調べる。壊す。直す。また飛ぶ。条件を変える。また越える。
そうやって、超音速飛行を一度だけ起きた奇跡ではなく、工学的に再現出来るものへ変えていった。
かつて、400ノットを目標としていた戦闘機。その十年ほど後、同じ血を引く機体が音速を越えた。
J7W4は、一機も敵を撃墜していない。実戦にも出ていない。
しかし、その膨大なデータは全て次の世代へ渡された。
「……格好いい」
希空が小さく呟く。
美香も、そこだけは何も言わず、僅かに笑った。
その成果を受けて、次の世代の技術者達が震電をさらに先へ進めた。
五四型、五五型、そして五六型。
戦争中の震電を造った世代は、少しずつ実務から退き、次の技術者達へ設計を託していく。
震電は、一人の天才が六十年間作り続けた機体ではない。世代から世代へ、技術者から技術者へ、パイロットからパイロットへ、その時代の新しい技術を加えながら渡され続けた機体だった。
武装も更新された。30ミリ四門という基本思想を残しつつ、後には56式30ミリ回転薬室式機関砲を搭載。発動機、空力、電子装備、いずれも改良され、1970年の五六型で、ついにマッハ2級へ到達した。
だが、同じ時代にはF-104JやF-4EJが存在する。普通に考えれば、専用の新型戦闘機を一から造った方が早い。
それでも震電が生き残った背景にいたのが、1960年に発足した震電保存会だった。
「ただし」
今度は、少し落ち着いた声が割って入った。
一同が振り向く。
四十代後半ほどの男が、こちらへ歩いて来ていた。先ほどから熱弁を振るっている会員達とは違い、態度は比較的静かである。ただ、腕に飛行服を抱えている姿を見る限り、机に座っているだけの人間には見えない。
「保存会が出来た理由を、『爺さん達が昔の飛行機を捨てたくなかったから』だけで済ませられると、少し困るな」
「あっ」
会員達が姿勢を正した。
「会長」
「その呼び方、航空祭の日くらいやめてくれないか」
男は心底嫌そうに答える。
「私は、書類を読んでるより飛んでる方が好きなんだ」
「……会長?」
希空が見上げる。
男は軽く笑い、手を差し出した。
「野崎栄秀。震電保存会の現会長だ」
「のざき……えいしゅう?」
「そう。1962年生まれ。今は偉そうな椅子に座らされているが、元々はただの震電乗りだよ」
「ただの、ねぇ」
美香が少し呆れた顔をする。
どうやら名前を知っているらしい。
野崎栄秀。
湾岸戦争時、震電七八型を運用していた二個飛行戦隊。その片方を率いていた人物である。そして、当時の震電隊を代表するスーパーエース二人、その片割れ。
「保存会を作った世代が恐れていたのは」
野崎が震電へ視線を向ける。
「震電が消えることだけじゃない」
米国製機を導入することは必要だった。海外の優れた技術を学ぶことも重要だった。保存会は、外国製兵器を嫌うために作られた組織ではない。むしろ、使えるものなら何処の国の技術だろうと積極的に取り込んだ。
ただ、外国で造られたものを買うだけの国になることを恐れた。
「だから、震電を残した」
野崎は続ける。
「正確には、震電のような兵器を、自分達で考えて造り続けられる人間と場所を残したかったんだ」
技術者、試験設備、工場、材料、工作機械、企業、金、制度、軍人、そして実際に使う現場の人間。全てが無ければ、兵器開発は続かない。
「だから保存会は、技術者や金を出す人間だけでは作られていない。然るべき位置には、必ず現場経験者も置く」
「野崎さんが会長なのも?」
希空が聞く。
「その理由が大きいな」
湾岸戦争を実際に戦った。震電の長所も欠点も、パイロットが何処で苦しむかも、整備員が何を嫌がるかも知っている。
だから、技術や金の専門家が別に存在していても、組織の顔の一つとして野崎が必要だった。
本人は、あまり望んでいないらしいが。
「書類より飛行計画書の方が好きなんだよ、私は」
「会長、それいつも言ってますね」
「事実だからな」
震電保存会の活動は、震電だけには留まらなかった。
1960年代、高温、高圧、高速飛行へ耐える材料、高出力機関、電子装置、高速航空機用の加工技術、そうした研究が支援される。
1968年に高高度高速戦略偵察機『星雲』が完成すれば、そこで突破した大型機向けの技術を小型化し、別の航空機へ戻す。
電子計算機やレーダーを研究すれば、戦闘機だけでなく戦車の射撃統制にも、艦艇のセンサーにも使える。高速で高精度なアクチュエータを作れば、飛行制御にも、戦車砲の駆動にも、艦砲の旋回にも応用出来る。
保存会そのものが戦車や艦艇を設計しているわけではない。各軍種には、それぞれ独自の技術系譜がある。
ただ、それらを底から支える共通技術の研究へ、保存会が金や人材を入れることは珍しくなかった。
「御神体は震電」
野崎が言う。
「だが、震電だけ強くして、国防軍全体が弱いままなら意味は無い」
「……意外」
希空が呟く。
「もっと震電しか見えてない人達なのかと思ってた」
「震電は大好きだぞ?」
「そこはそうなんだ」
「当然だ」
真顔だった。
1970年代、震電はまた大きく姿を変える。
五六型までの震電は、まだ主力戦闘機として使える範囲の機体だった。しかし、F-4EJが普及し、次にはF-15Jも見えてくる。普通の戦闘機として戦うなら、震電である必要は無くなった。
だから、普通を捨てた。
安定性を意図的に削る。操縦しやすさを捨てる。下手なパイロットなら、容易に墜落しかねない。
その代わり、本当に上手い人間が乗れば、異常なまでの機動性を引き出せる。
1977年、震電六七型。
『殺人機』
そう呼ばれるほど、極端な機体だった。
「……人間が機体に合わせるの?」
希空が聞く。
「そういう考え方だった」
野崎は頷く。
「普通なら、兵器としては欠点よね」
美香が言う。
「乗れる人が少な過ぎる」
「ああ。だから普通の主力戦闘機として使うのは止めた」
震電はF-4EJへ主力の座を渡す。その代わり、運用部隊を精鋭二個飛行戦隊へ限定した。
スーパーエースだけが乗る、特殊戦闘機。
それが、震電の新しい生き残り方だった。
そして1983年。
震電七八型、J7W8。
六七型の極端な機動性を、フライ・バイ・ワイヤ、高性能ターボファン、推力偏向技術、電子制御、それらを使って、より人間が扱えるものへと変えた。
『殺人機』から、『制御された殺人機』へ。
「どっちにしても怖い名前だね……」
加奈が苦笑する。
「まあ、褒め言葉みたいなものだった」
野崎も苦笑した。
七八型は1983年に制式化された後も、細かい改良を続けた。
レーダー、電子戦装置、データリンク、飛行制御、エンジン、材料、ミサイル。
1990年、湾岸戦争が始まる頃には、当初とは比較にならないほど成熟していた。
機首には、震電伝統の大口径機関砲、56式30ミリ回転薬室式機関砲四門。そこへ50G級の高機動空対空ミサイル、ヘルメット照準、推力偏向、異常な機首指向能力を組み合わせる。
それを使うのは、選りすぐりのパイロット達だった。
近距離戦、とりわけ視界内へ入った後の戦闘なら、第四世代戦闘機すら危険な相手となる。
だからこそ、震電はF-15Jの代わりに全戦線を守るような使われ方はされなかった。
数が少ない。整備も重い。乗れる人間も限られる。
そのため、危険な場所へ選んで投入された。
『普通の部隊でも対処出来る』
そんな相手なら、F-15JやF-4EJ改が戦えば良い。
だが、敵の精鋭がいる。どうしても、そこだけは落とさなければならない。
そんな場所には、震電隊が向かった。
AWACSとなった連山が広い空を見渡し、主力戦闘機隊が戦域全体を支える。その間に震電が敵の精鋭を狩る。
制空権が確保された後には、F-1、流星、その他の攻撃隊が地上戦力を叩く。
古い名前、新しい技術、現代の戦争。それらが入り混じった姿は、敵側、特にソ連兵士から、
『帝国海軍の亡霊』
と呼ばれた。
そして、その中でも湾岸戦争で異様な存在感を示した震電へ、一つの異名が付いた。
『Gulf Thunder』
───湾岸の稲妻。
「……だから、震電七八型は、ただ昔の機体をジェット化しただけじゃないんだ!」
最初に語り始めた保存会員が、満を持して話へ戻ってきた。
「空力特性の洗練! 高性能レーダー! 電子戦! データリンク! 推力偏向!」
「五十G級の空対空ミサイル!」
「伝統の30ミリ四門!」
「さらにスーパークルーズ───」
「〜〜〜っ!」
美香のこめかみが、ぴくりと動いた。
「本っ当に長ったらしい話ね! 言われなくても知ってるわよ! 私のお父さん空軍にいたんだから!」
声色が変わった。
海斗はすぐに気付く。
「あっ、おい、美香」
「なんで……」
美香は、展示された震電を見る。
「なんで湾岸戦争でも、そんなに活躍しちゃったのよ」
誰も答えなかった。
「MiG-29もSu-27も墜として、損失も少なくて、“伝説”なんて呼ばれて……」
握った手に力が入る。
「お父さんのF-1は……地上攻撃で対空砲火の中へ突っ込んで、何機も落とされて……」
美香の父は、F-1のパイロットだった。彼女が航空機を好きになった原点とも言える存在である。
湾岸戦争では、危険な対地攻撃任務を飛び、そして……帰ってこなかった。
「お父さんだって、震電好きだったよ」
美香は吐き出す。
「若い頃は、震電パイロットになりたいって言ってた。だけど、後期型の震電には適性が無かった」
六七型以降の震電は、単純な技量だけでは乗りこなせない。身体能力、空間認識、反射、感覚、そして機体との相性、それらまで要求された。
「ただ、適性が無かっただけなのに」
美香は震電を見る。
「お父さん、弱かったわけじゃないのに……」
「美香」
海斗が手を伸ばす。
だが、美香は一歩下がった。
「……ちょっと、向こう行ってくる」
そのまま歩いていってしまった。
「おい、美香!」
海斗が追おうとするが、洋平が肩を掴む。
「少し待て」
「でも」
「今は、一人にした方が良い」
海斗は迷った後、足を止めた。
残された空気は重かった。
つい先ほどまで嬉々として震電を語っていた保存会員達が、一斉に気まずそうな顔をしている。
「……やっちまった」
誰かが小さく呟いた。
洋平は、美香の背中を見送りながら溜め息を吐く。
「F-1が大好きだったからな」
父親の愛機。だから、後継機F-2の初配備式典にも、家族を連れて見に行った。
ただ、それだけではないことも洋平は知っていた。
美香は、震電が嫌いなわけではない。むしろ好きだからこそ、比較してしまう。
生きて帰り、伝説となった震電乗り達と、帰ってこなかった自分の父親。
理屈で割り切れるものではなかった。
「“伝説”って?」
空気を変えようとしたのか、加奈が士へ尋ねる。
「私、空軍のことはあんまり詳しくなくて」
「俺もそこまで詳しくないけど……」
士は少し考える。
「震電って、湾岸戦争じゃF-15Jみたいに戦域全体の制空をする主力じゃなくて、敵の精鋭がいる場所に重点投入されてたんだろ?」
「うん」
「それで、第四世代機相手に近距離戦を仕掛けて落としまくった」
湾岸戦争の時には生まれていなかった世代だから、士が知っているのも歴史や伝説として伝わった姿である。
「その戦い方から、“湾岸の稲妻”───Gulf Thunder」
「……格好良いね」
「格好良いけど」
士は美香の消えた方向を見る。
「今は言わない方が良さそうだな」
先ほどまでなら絶対に食い付いてきただろう保存会員達も、今は誰も乗ってこない。
その様子を見ていた希空が、小さく声を掛けた。
「あの……」
男達が振り向く。
「後で、お母さんに謝っといて下さいね」
「あ、ああ……」
「ちゃんと謝れば、たぶん大丈夫だから」
六歳児とは思えない、妙に大人びた対応だった。
二十分後。
美香は、展示地区から少し離れたベンチに座っていた。
そこへ、保存会員数名と野崎栄秀、そしてもう一人、飛行服を着た若い男がやって来る。
「神崎美香さん」
野崎が声を掛ける。
「……何?」
「こうなってからでは今更だが」
野崎は頭を下げた。
「すまなかった」
美香は少し驚いた。
相手は湾岸戦争を戦った大先輩である。それでも野崎は、明確に謝った。
「我々が震電の話になると周りを見なくなるのは、昔からの悪癖でね」
「……否定しないんだ」
「出来ないからな」
美香は、少しだけ笑った。
時間が経ったこともあり、既に怒りそのものはかなり収まっているらしい。
「別に、震電が嫌いなわけじゃないの」
「うん」
「むしろ好き」
美香は続ける。
「お父さんも好きだった。震電に乗りたいって、本気で思ってた」
だが、適性が無かった。だからF-1へ行った。
「でも、F-1でもすっごく上手かった」
美香は言い切る。
「お父さん、弱かったわけじゃないんだから」
「知っている」
野崎は即答した。
「……知ってるの?」
「湾岸戦争へ出た空軍部隊の記録くらい、何度も読んでいる」
野崎は震電隊の指揮官だった。だからこそ、自分達だけで戦争に勝ったわけではないことを良く知っていた。
「震電隊が自由に敵の精鋭を狩れたのは、F-15JやF-4EJ改が広い戦線を支えていたからだ」
F-1、流星、その他の対地攻撃部隊。彼らが地上を叩いていた。
「俺達が空で派手な撃墜記録を作っていた間、F-1の連中は、地上から弾が飛んでくる場所へ自分から入っていった」
美香は黙って聞いている。
「戦闘機は、派手なエースを生みやすい」
野崎は少し笑った。
「だが、戦争そのものを動かすのは戦闘機だけじゃない。攻撃機も、爆撃機も、輸送機も、救難機も、管制機も、それぞれの仕事をやらなければ勝てない」
一拍置いて、野崎は続けた。
「君のお父上がF-1で任務を果たさなければ、助からなかった味方は間違いなくいる。湾岸戦争を戦い抜き、冷戦を終わらせた軍人の一人だ」
そして、はっきりと言った。
「我々空軍の誇りだよ」
美香の表情が変わる。
「……本当?」
「本当だ」
「本当に?」
「何度でも言う」
「……えへっ」
急に、嬉しそうに笑った。
「そうでしょ?」
「……ああ」
「私のお父さん、最強のF-1パイロットだったんだから!」
「そうだな」
「凄かったんだから!」
「うん」
「でしょ!?」
「そうだとも」
野崎も、少し面食らいつつ笑った。
少し離れた場所でその光景を見ていた若いパイロットが、困惑したように呟く。
「……あの謝罪、あれで良いんですか?」
隣にいた海斗が答えた。
「大丈夫だよ」
「そうなんですか?」
「美香は昔からああなんだ。父親とF-1をちゃんと評価してやれば、大抵機嫌直す」
「旦那さんが言うと説得力ありますね……」
「そもそも本人だって、震電へ八つ当たりしてるだけなのは分かってるからな。震電自体は普通に好きだぞ」
「まったく、アラサーにもなって何やってんだか……」
海斗は苦笑した。
「───そういえば」
改めてその若者を見て、海斗は尋ねた。
「アンタ、パイロット?」
「はい」
若者は姿勢を正す。
「榊電翔です」
「でんしょう?」
「電気の『電』に、飛翔の『翔』です」
「……まさか」
海斗が、展示されている震電を見る。
電翔は、少しだけ照れくさそうに笑った。
「そのまさかです」
1990年生まれ、二十歳。国防空軍の若手パイロットであり、それでいて既にアグレッサー部隊で震電七八型を操縦するルーキーだった。
父の名は榊
「父さんが震電乗りだったので」
電翔が言う。
「名前も、まあ……こうなりました」
「英才教育の極みだな」
洋平が苦笑する。
「嫌じゃなかったのか?」
「全然」
即答だった。
「むしろ、震電以外に乗る気があんまり無かったです」
「身も心もじゃねぇか」
父に憧れ、空軍を目指し、父に負けず劣らずの操縦適性を示した。
保存会との縁があったことは確かだが、それだけでアグレッサー部隊へ入れるほど、国防空軍は甘くない。本人の実力が、それを可能としたのである。
新世代の震電乗りだった。
「猛の息子だからって、甘やかした覚えは無いぞ」
野崎が戻ってきた。
「野崎さん、それ俺の親父にも同じこと言いましたよね?」
「実際そうだからな」
「小さい頃から飛行場へ連れ回したのは?」
「教育」
「震電の模型を大量にくれたのは?」
「情操教育」
「マニューバの映像を何度も見せたのは?」
「……教育」
「娘さんが震電に乗らなかったから、俺で遊んでません?」
「何のことだ」
野崎は目を逸らした。
電翔は苦笑する。
「
「…………」
「それも、今じゃ霊山の情報処理担当でしょう?」
野崎は少しだけ視線を戻した。
「……それとこれとは別だ」
「どう別なんです?」
「親としては、一度くらい『私も震電に乗る』と言ってほしかった」
「それ本人に言ったら怒られますよ」
「知っている」
野崎楓。
1990年生まれ、栄秀の娘。そして電翔と同い年。
父親のように震電へ乗る気は無かった。パイロットになるつもりも無かった。
だが、国防空軍そのものから離れたわけではない。結局、彼女もまた軍人の道を歩み始めていた。
選んだのは操縦席ではなく、その遥か後方、多数の航空機と戦場全体を見渡す席だった。
早期警戒管制機『霊山』。
そこでレーダー、通信、データリンク、電子戦情報、味方機、敵機、空域、それら膨大な情報を処理し、戦闘機隊へ渡す。
楓が選んだのは、そういう仕事だった。
そして、その能力は高かった。
父親のような操縦技量とは全く別の形で、空戦へ向いていたのである。
状況把握、優先順位、情報整理、判断速度、複数機の同時誘導。彼女は、それらに高い適性を示した。
さらに、震電保存会の強力な人脈も存在した。
その結果、若手でありながら、楓が乗る霊山はアグレッサー部隊付きで運用されることになった。
訓練、戦技研究、仮想敵戦術。そこへ霊山による情報支援が加わる。
そして、その部隊には電翔がいる。
栄秀と猛が親友であり、ライバルであり、同じ震電で湾岸戦争を戦った以上、その家族同士の付き合いも深かった。
当然、楓と電翔も物心が付くより前から、互いの存在を知っている。
───幼馴染。
一言で表すなら、そうなる。
だが、実際の関係をその一言だけで説明するには、少し足りない。
互いの家へ入るのに特別な理由は要らない。互いの両親を昔から知っている。父親達の戦争の話も、震電の話も、家族の事情も、子供の頃の思い出も、かなりの部分を共有している。
家族ではない。兄妹でもない。
しかし、赤の他人と呼ぶにはあまりにも近い。両家そのものが、二人の人生の一部だった。
そして、進む道は違った。
電翔は父と同じ、震電の操縦桿を握った。
楓は父とは違い、霊山の中から空全体を見る。
だが、二人とも同じ空軍にいる。
なら、いつか楓が霊山から状況を読み、指示を出す。その声を聞いて、電翔が震電で敵へ向かう。
そんな戦い方が成立する日は、そう遠くない。
栄秀と猛は、密かにそれをかなり楽しみにしていた。
自分達の頃は、二人の震電乗りが並んで戦った。子供達は、同じ形を真似する必要など無い。
一人が空全体を見る。一人が最前線を飛ぶ。
父親達とは全く違う、新しい二人組になる。それで良い。むしろ、それを見てみたい。
二人の父親は、そう思っていた。
「ちなみに」
電翔が言う。
「今朝も楓から連絡来てますよ」
「何て?」
「『航空祭だからって調子に乗って無茶するな』」
野崎が僅かに眉を動かす。
「……私と同じことを言っているな」
「親子ですねぇ」
「お前に言われたくない」
「何でですか」
野崎にとって、電翔は親友の息子だけではない。ほとんど甥に近い。
そして、電翔にとっての野崎も、父親の戦友だけではなかった。幼い頃からずっと隣にいた、もう一人の大人である。
そこへ楓もいる。
三人の距離感を、外から一言で説明することは少し難しかった。
「さっ」
海斗が電翔の背を軽く叩く。
「そろそろ航空ショーだろ? アンタも飛ぶんだよな」
「あっ……はい!」
電翔の表情が、一瞬でパイロットのものへ変わる。
「期待してるぜ、震電」
「見せてやります」
自信に満ちた笑みを浮かべた。
「七八型の極限機動を」
「死ぬなよ〜」
「俺もアグレッサーです。ご心配なく」
そこへ野崎が入る。
「電翔」
「はい」
「調子に乗って機体を潰すなよ」
「分かってます」
「お前まで潰れたら猛に殺される」
「楓にも殺されますね」
「……あいつは本当に容赦無いからな」
「野崎さんの娘でしょう?」
「どういう意味だ」
電翔は笑いながら、飛行準備へ向かっていった。
その背中を、野崎は暫く見ていた。
ほんの少し羨ましそうに、そしてほんの少しだけ未来を楽しみにするように。
いつか、あの震電の無線へ娘の声が飛んでくる。
『電翔、右二時方向。高度差三千。二機、来るよ』
そんな指示に、電翔が当たり前のように、
『了解、楓』
と答える。
自分と猛が二機で作った関係。その次の世代は、もっと違う形で同じ空を飛ぶ。
そんな日も、近いのかもしれない。
希空は、野崎の表情の意味までは分からなかったが、その視線だけは見逃さなかった。
二時間後、航空ショーは佳境に差し掛かっていた。
疾風、紫電、橘花、そして現代の主力機。国防空軍が歩んできた時代を象徴する航空機達が、次々に空へ上がっていく。
そして、いよいよ最後の目玉が来た。
『───お待たせしました。本日のメインイベントです!』
場内アナウンスが響き、観客が一斉に空を見る。
『我が国防空軍最精鋭、戦技教導・アグレッサー部隊所属───震電七八型による機動飛行!』
遠方から低い轟音が近付く。
特徴的なエンテ型のシルエットが、滑走路上空を横切った。
震電七八型。
二十年前、湾岸の空で伝説を作った特殊戦闘機。
ただし、今飛んでいる機体は湾岸戦争当時の姿そのままではない。
1998年に通常部隊から退役した後も、アグレッサー部隊では細かな改修を受け続けている。
2010年型、震電七八型だった。
最初は、比較的穏やかな機動から始まる。
低空高速通過、急上昇、旋回、ロール。航空祭の観客へ見せることを意識した、安全域の飛行である。
それでも、機首の動き、上昇の鋭さ、加速は、普通の戦闘機とは明らかに違っていた。
「……すご」
希空が空を見上げる。
「飛行機って、あんな動きするんだ」
「普通はあそこまでしないわよ」
美香が即答した。
震電は一度、高空へ上がる。
そして、十分な高度を取ったところから加速を始めた。
アフターバーナーが点火し、機体がさらに上へ駆け上がる。
『震電七八型、加速!』
実況が響く。
マッハ1、マッハ2。
そして、
『公称最高速度域───マッハ2.8!』
観客席がどよめいた。
「相変わらず速いな」
近くにいた観客の一人が、双眼鏡を覗きながら呟く。
「今飛んでる七八型って、湾岸戦争の時そのままじゃないんだろ? あれから二十年近く手を入れ続けてるらしいぞ」
「だからあの加速か」
「マッハ2.8って……ノットにしたら、2000ノットくらい?」
「昔の震電が400ノットを目指してたって聞いたことあるし、五倍かよ」
「いや、それ海面高度の音速でかなり雑に計算してるだろ。今みたいな高高度なら、気温にもよるが1600ノット前後じゃないか?」
「じゃあ四倍くらい?」
「それでも充分頭おかしいけどな」
そんな会話が、観客の間で交わされていた。
希空も同じように頭の中で計算し、小さく呟く。
「……四倍」
かつて400ノットを目標としていた震電。その名を継ぐものが、今、マッハ2.8で飛んでいる。
公に知られている性能だけを見ても、六十年という時間がどれほどのものか、良く分かった。
野崎は何も言わず、その震電を見上げていた。
高速飛行を終えた七八型は速度を落とし、機動展示空域へ戻ってくる。
ここからが本領だった。
高迎角で機首を上げる。通常機なら失速に入る領域で、震電は推力偏向とFBWを使い、異常な姿勢を維持する。
「コブラ……?」
希空が呟く。
「まだだ」
野崎が目を細めた。
「電翔なら、ここからやる」
コックピットで、榊電翔は一度大きく呼吸した。
「……よし」
操縦桿を握る。
父が飛んだ震電。野崎が飛んだ震電。その末裔。
「先輩達から貰ったもの、ちゃんと見せようぜ」
ふと、朝に楓から届いたメッセージが頭をよぎる。
『航空祭だからって調子に乗って無茶するな』
電翔は少し口元を緩めた。
「……無茶じゃなきゃ良いんだろ」
震電が急激に機首を上げる。
速度を殺し、そこから推力偏向を使って後方へ倒れ込む。クルビットに似た回転の途中へロールを混ぜ、旋回面を崩す。
一回、二回。さらに姿勢が変わる。
ピッチ、ヨー、ロールが入り乱れ、機体の進行方向と機首の向きが予測出来なくなる。
そして、速度を失った旋回頂点で僅かな姿勢変化が入る。
古くから日本の戦闘機乗りへ伝わる『捻り込み』。その思想を知る者が見れば、そこに残された形が分かる。
最後に機首を地平線へ戻し、再加速。震電は再び上空へ駆け上がる。
『───出ました! 震電七八型、スーパーエース達が受け継ぐ複合空戦機動群、“震空乱舞”!』
歓声が爆発した。
『震空乱舞』
それは、一つの決まったマニューバではない。
コブラ、クルビット、バレルロール、ヨーヨー、そして旧日本軍時代から伝わる捻り込み。
歴代のパイロット達が積み上げてきた空戦技術を、震電七八型の高推力、推力偏向、FBW、高迎角能力、そして一人一人の技量へ合わせて再構成した、個人専用の複合機動群。その総称だった。
同じ震空乱舞は存在しない。
野崎栄秀のもの、榊猛のもの、そして今、新たに作られていく榊電翔のもの。それぞれ違う。
それでも、何故かかなりのものに『捻り込み』の血が残る。
初代戦技教導隊、零戦、隼、古参パイロット達が伝えた、敵の予測する旋回面を外す思想。それはジェット機、ミサイル、FBW、推力偏向と時代が変わっても、形を変えながら残り続けた。
「───流石」
美香がうっとりと震電を見る。
「何度見ても格好良いわね……」
先ほど怒っていたのと同じ人間とは思えない。
その隣で、希空はさらに露骨だった。
「……かっこいい」
瞳を完全に奪われている。
野崎はそれを見て、僅かに口元を上げた。
一時間後、飛行展示を終えた電翔が戻って来る。
ヘルメットを脇へ抱え、額には薄く汗が残っていた。
「どうでした?」
開口一番、尋ねた。
「震空乱舞」
「完璧だったよ!」
洋平が笑う。
「ルーキーなのにやるなぁ!」
「良かったぜ」
海斗も続ける。
「本当に良く回ってた」
「そこ褒めるところですか?」
電翔も笑う。
しかし、呼吸は少し重い。
飛行展示といえど、七八型の高G機動を人間が無傷で済ませられるわけではない。
野崎は、それを見ていた。
自分もかつて同じだった。
湾岸戦争で七八型に乗り、身体の限界近くまで使って飛んだ。
だが、今は四十八歳。若い頃と同じことが出来るかと言われれば、難しい。訓練程度ならまだ飛べる。だが、本当の震電乗りとして機体性能を限界近くまで引き出すには、肉体がもう追い付かない。
それが、野崎には寂しかった。
そして、同じ世代の震電乗り達の多くも同じだった。
だから、希空へ会いたかった。
保存会が得た断片的な情報によれば、艦娘技術研究所で造られた極秘の存在には、従来では考えられない『慣性制御』技術が使われているらしい。
もし本当なら、震電の意味は変わる。
七八型は既に、機体より先に人間の方が限界を迎える兵器だった。そこを緩和出来るなら、若い現役パイロットはさらに先へ行ける。
それだけではない。
かつて震電に乗った野崎自身や榊猛、同世代のパイロット達が、再び震電乗りへ戻れるかもしれない。
それが、野崎個人が希空へ強い興味を抱いた最大の理由だった。
「神崎希空さん」
野崎が声を掛ける。
「ん?」
「今日、君を招待したのは私達だ」
洋平達の表情が引き締まる。
「やっぱりか」
「すまない。かなり回りくどい招待状になった」
「それ以前に」
洋平が目を細める。
「何で希空を知ってた?」
「そこは言える範囲に限界がある」
野崎は誤魔化さない。
「保存会には国防軍上層の人間もいる。とはいえ、研究所へ侵入したわけでも、機密資料を盗んだわけでもない。我々が知っているのは、必要性が認められた、ごく限られた話だけだ」
「例えば?」
「慣性そのものへ干渉する技術が、既に存在するらしいこと」
希空の目が僅かに開いた。
「……それ」
声が小さくなる。
「零に使ってるやつ」
「やはり、本当にあるのか」
「あるには、あるよ。でも零の身体や機関に合わせたものだから、普通の飛行機へそのまま付けられるかは分かんない」
「それで良い」
野崎は七八型を見る。
「可能性があるだけで良い」
「何に使いたいの?」
野崎は自分を指した。
「こっちだ」
「人?」
「震電はもうずっと、機体よりパイロットの肉体の方が先に限界へ来る」
希空は、野崎が先ほど空を見ながら言ったことを思い出す。
「Gを減らしたいんだ」
「ああ」
「パイロットに掛かる慣性だけ、制御する?」
「出来るか?」
希空は数秒黙った。
頭が動く。研究者の顔になる。
そして、
「……考えたことなかった」
震電を見る。
「でも」
僅かに笑う。
「出来るかも」
野崎も笑った。
「そうか」
短く息を吐く。
「なら、今日ここまで来た甲斐はあった」
少し離れた場所では、保存会上層部が様子を見守っていた。
技術者、企業関係者、軍人、OB。立場の違う人間が集まっている。
(悪くない)
(興味は持っている)
(後は正式に協力を───)
この日、希空を千歳へ呼ぶため、計画は何週間も前から練られていた。
そもそも航空祭を千歳で開くところから始める。航空祭を見せる。国防空軍史を見せる。震電を見せる。七八型を飛ばす。その後、新技術への協力を持ち掛ける。
本命は、そこだった。
野崎が最後の一押しをするため、希空へ話しかけた。
「希空ちゃん」
「なに?」
「今日の震電、どうだった?」
「すごかった!」
即答。
「その……もし良かったら」
ここから本題だ。
「我々と一緒に、震電を───」
「ねぇ、おじさん!」
希空が先に声を上げた。
「ん?」
「あの子」
七八型を指差す。
「私が、もっと強くしてあげたい!!」
「…………」
野崎が止まる。
保存会員も、海斗も、美香も、洋平も止まった。
「……ダメ、かな?」
希空が少し不安そうに見上げる。
野崎は暫く反応出来なかった。
そして、
「……おっ、おう」
珍しく噛んだ。
「良いぞ」
「本当?」
「むしろ、大歓迎だ」
「やったぁ!」
希空が嬉しそうに両手を上げる。
保存会が何週間も掛けた接触作戦、懐柔、説得は必要無かった。
震電を飛ばした。それだけで充分だった。
海斗が野崎を見る。
「アンタ達」
「ああ」
「希空の性格、ちゃんと調べてた?」
「調べたつもりだった」
「まだ甘かったな」
「……そのようだ」
一悶着はあったが、航空祭は終わってみれば大成功だった。
希空は国防空軍の戦後六十年の歴史に触れ、そして震電保存会を知り、交流する中でその印象も変わった。
確かに、震電大好き集団ではある。だが、それだけではない。
1960年、外国製航空機が増えていく時代の中で、当時最も第一線で活躍し続けていた国産兵器、震電を旗印に、自国の兵器を自国で作り続ける能力を残すために生まれた。
技術者、研究者、軍需企業、政財界、軍上層、現役とOB、整備員、パイロット。それら全てを雑多に混ぜた巨大なネットワークだった。
震電のために伸ばした技術は航空機の別機種へ流れ、陸軍の戦車や海軍の艦艇へも流れる。また、そこから得た技術が震電へ戻る。
それを半世紀にわたって繰り返すことで、保存会は『国産兵器を作れる国そのもの』を保存してきた組織だった。
そして、保存会側も新しいものを手に入れた。
艦娘技術という、今まで全く別系統だった技術体系。その中心にいる天才少女が、震電を気に入ったのである。
野崎栄秀にとっては、歳を重ね、一度は諦めかけていた『もう一度、本気で震電を飛ばす』という夢が、再び現実味を帯びた。
榊電翔にとっても、その技術は自分達の世代の震電をさらに先へ進める可能性を持つ。
そして、そうなれば、アグレッサー部隊付きの霊山へ乗る野崎楓、彼女との連携も今まで以上に重要になる。
楓が霊山から戦場を見渡し、敵と味方を全て整理して、電翔へ最適な進路を渡す。電翔がその指示を信じ、震電で敵陣へ切り込む。
父親達が二機の震電を並べて作った『野崎と榊』という関係を、その子供達は全く違う形で作るかもしれない。
栄秀と猛は、そんな未来をかなり楽しみにしていた。
まだ本人達がどこまで意識しているかは分からない。けれども、その日はそう遠くない。
この出会いは、震電一機を強くするだけでは終わらない。
艦娘技術、震電保存会、そして国防軍が六十年にわたって積み上げた巨大な技術体系が、初めて本格的に接続する切っ掛けになる。
───そして、一つだけ確かなことがあった。
『艦娘派は、新たな仲間、震電保存会を手に入れた!』
……ということである。
続く
あ と が き
美香は震電に対して若干のコンプレックスを拗らせてた感じです。好きは好き、なんですけどね。
次回 あの髪型ってどうやってセットするんだろう?