戦闘開始。
深夜から未明にかけて、深海棲艦日本方面軍は複数の部隊に分かれていた。
先行するのは、“空母棲鬼”率いる機動部隊。
その後方、やや距離を置いて、“戦艦棲姫”率いる水上打撃部隊。
そしてさらに別方向から、深海棲艦らしからぬ静けさで進む影の群れ。
だが、この時点で人類側が捉えたのは、“空母棲鬼”の機動部隊から放たれた航空戦力だけだった。
豊後水道を抜け、呉・江田島方面へ向けて開けた海域に出た瞬間、“空母棲鬼”の艤装から無数の艦載機が飛び立つ。
月明かりの薄い空へ、黒い影が次々と舞い上がっていく。
その全てが、同じ方向を向く。
瀬戸内海。
呉。
江田島。
まだ眠りの中にある軍港へと。
“空母棲鬼”は、飛び立っていく自らの攻撃隊を見上げるでもなく、ただ静かに呟く。
「……行キナサイ」
それが、後世に『呉襲撃事件』と呼ばれることになる大規模戦闘の、最初の一手だった。
最初に異変を察知したのは、豊後水道周辺の警戒網だった。
レーダー上に現れた多数の小型反応。
それも、一つや二つではない。
最初、一瞬だけ鳥やノイズの可能性も疑われた。
しかし、反応は明らかに編隊を組んでいる。
進路は北〜北東。
呉・江田島方面。
確認のために飛ばされた哨戒機「暁雲」からの通信は、途中で激しいノイズに呑まれた。
深海棲艦特有のジャミング。
その時点で、疑いは確信に変わった。
「深海棲艦航空隊、豊後水道突破!」
「進路、呉方面!」
「各基地へ緊急通達! 空襲警報発令!」
呉鎮守府に警報が鳴り響く。
江田島でも、兵学校の敷地内に警報が鳴る。
士は即座に目を覚まし、隣で寝ていた加奈を起こす。
「加奈、起きろ」
「んぇ……?」
寝ぼけ気味だったが、士の緊迫した様子を見て加奈もまたただ事ではないと悟る。
一瞬前まで、部屋の中にはまだ夜の静けさが残っていた。
だが、窓の外から響く警報と、遠くで慌ただしく動き出す兵学校の気配が、その静けさを一瞬で押し流していく。
士は既に完全に目を覚ましていた。
寝起きの迷いはない。
加奈も、まだ頭はぼんやりしていたが、士の表情を見た瞬間に理解する。
これは、ただの訓練ではない。
関西〜九州方面の国防空軍基地に、次々と緊急発進命令が出る。
築城、新田原など距離の近い部隊から順次発進。百里を含む後方基地にも、増援待機命令が下った。
呉防空を共に担う、艦娘技術による基地航空隊も即応体制に入る。
それぞれの滑走路では、整備員たちが怒号を飛ばしながら機体を送り出していた。
深海棲艦相手の航空戦は、通常の航空戦とは違う。
敵機は小さく、機動は不規則で、レーダー反応も安定しない。
おまけにジャミングによって誘導兵器の信頼性は落ちる。付近の海上に艦艇級がいるなら尚更。
だからこそ、国防空軍のパイロットたちは、訓練で何度も叩き込まれていた。
近づきすぎるな。
だが、距離を取りすぎれば当たらない。
敵は機械ではない。
だが、生物としても読めない。
「対深海棲艦戦闘、開始!」
F-15J、F-4EJ改を中核とする国防空軍の戦闘機群が、夜明け前の空へと上がっていく。
同時に、呉所属の第二艦隊にも迎撃命令が下る。
旗艦は航空母艦「翔鶴」。
呉における主力艦隊の一角であり、艦載機戦力を持つ最大の迎撃手段でもある。
約14年前、ミレニアム・ショックで2番艦「瑞鶴」が撃沈されてからも、末妹「大鳳」や、先輩空母である蒼龍型と共に国防海軍通常艦艇の中核を担ってきた、太平洋方面防衛の中枢。
現在では、機関を希空製の核融合炉に換装したことで性能が向上。
電磁カタパルトの装備なども相まって、艦載機運用能力は格段に増している。
艦橋では、空襲警報と同時に戦闘配置が命じられていた。
飛行甲板では、F/A-18EJ/FJが次々と発艦準備に入る。本艦所属の暁雲は少し前に飛び立ち、周辺空域の警戒に向かった。
深海棲艦による航空攻撃に対し、空軍だけでなく海軍航空隊も迎撃へ出る。
「翔鶴航空隊、発艦準備急げ!」
「敵攻撃隊、瀬戸内海上空へ侵入予測!」
「空軍部隊と連携、呉上空到達前に叩き落とす!」
翔鶴の甲板から、艦載機が飛び立つ。
夜明け前の海に、エンジン音が重なっていく。
呉はまだ撃たれていない。
だが、戦闘はもう始まっていた。
瀬戸内海上空で、国防空軍と翔鶴航空隊は“空母棲鬼”の第一次攻撃隊と接触する。
最初に見えたのは、海面すれすれを這うように飛ぶ小型の敵機群だった。
深海棲艦の艦載機は、通常の航空機のように美しく編隊を組むわけではない。
群れとしては動く。
しかし、一機一機の軌道はどこか歪で、生物的だった。
迎撃側のミサイルが放たれる。
敵編隊スレスレで弾頭が開き、子弾を撒き散らしながら次々に爆発。
かなりの数が命中する。
しかし、ジャミングと敵機の不規則な回避機動によって、全てを落としきることはできない。
だがそれでも、巧みな連携によって敵機を追い込んでいく。
空軍機が敵機を追い、翔鶴航空隊がその隙を埋める。
海面近くで火球が上がり、撃墜された深海艦載機が黒い煙を引いて落ちる。
しかし敵は多い。
撃墜数だけを見れば、迎撃側は確かに押していた。
だが、深海棲艦の航空隊は数で隙間を埋める。落としても落としても、黒い影は海面すれすれを抜けようとしてくる。
さらに、“空母棲鬼”の艦載機は爆撃機だけではない。
迎撃機へ正面から噛みついてくる、戦闘機型の個体も混じっていた。
瀬戸内海の上空は、短時間で混戦になっていく。
この時点では、防衛側はまだ善戦している。
少なくとも、第一次攻撃隊をそのまま呉へ通すことは防いでいる。
だが、空に目を奪われている間に、別の脅威が迫っていた。
航空戦の最中、哨戒機の一機が海上に大型反応を捉える。
豊後水道を抜けた先。
“空母棲鬼”の機動部隊とは別方向から、明らかに重い反応が北上していた。
水上打撃部隊。
その中心にいるのは、“戦艦棲姫”。
周囲には戦艦・重巡級を含む相当数の深海棲艦が展開し、まるで正面から艦隊決戦を仕掛けるかのように進んでいる。
報告を受けた呉鎮守府は、即座に判断を迫られる。
空襲への対応だけなら、空軍と翔鶴航空隊で凌ぐこともできる。
だが、水上打撃部隊が呉へ接近すれば、軍港そのものが砲撃圏内に入る。
第二艦隊に出撃命令を発すると共に、横須賀の第一・第二特務艦隊にも出撃要請を出す。航空機相手はともかく、この規模の水上戦力に対しては通常兵器のみでの撃退は困難だからだ。
もっとも、横須賀から呉までは距離がある。要請を出したところで、今この瞬間に間に合うわけではない。
だからこそ、まずは呉の現有戦力で時間を稼ぐしかなかった。
旗艦「翔鶴」を中心とした第二艦隊は、航空隊と連携して“戦艦棲姫”の水上打撃部隊を迎撃することになる。
第二艦隊が出撃する。
呉から出ていく艦隊の姿は、軍港に残る者たちにとって希望そのものだった。
岸壁に残る兵士たちが、その後ろ姿を見送る。
空は既に戦場になっている。
海の向こうには“戦艦棲姫”がいる。
それでも、艦隊が出ていく姿には確かな重みがあった。
呉はまだまだ戦える。
充分守れる。
そう思わせるだけの力が、出撃していく第二艦隊にはあった。
また、既に交戦中の翔鶴航空隊は一部を防空に残し、残る機体を水上打撃部隊への攻撃支援へ回す。
国防空軍も“空母棲鬼”の攻撃隊を相手にしながら、可能な範囲で対艦攻撃へ加わった。
護衛艦艇は対空戦闘と水上戦闘の双方に備え、第二艦隊全体が“戦艦棲姫”を中心とする水上打撃部隊へ向かっていく。
“戦艦棲姫”は、それを見て笑う。
彼女にとっては、こういう正面からの戦いこそ本領だった。
防衛側の視線は、否応なく彼女へ吸い寄せられていく。
艦砲が火を噴く。
瀬戸内海へ侵入しようとする深海棲艦の水上部隊に対し、第二艦隊の砲撃と航空攻撃が集中する。
しかし“戦艦棲姫”は堅い。
砲弾を受けても、爆撃を受けても、彼女は全く怯まない。
至近で爆炎が膨れ上がり、黒い水柱が彼女の姿を呑む。
だが、次の瞬間にはその中から、何事もなかったかのように主砲がこちらを向く。
彼女は攻撃を受けるほどに戦意を高めていく。
だが、何故か第二艦隊はまともに“戦艦棲姫”と渡り合えていた。特に瞬殺されることもなく、砲撃を続けられていた。
後から振り返れば、この時の“戦艦棲姫”は明らかに“何かを待っている”動きをしていた。
だが、この時の第二艦隊にその違和感へ気づく余裕はない。
目の前の敵を沈める。
それだけで精一杯だった。
結果として、第二艦隊は“戦艦棲姫”のわざとらしい暴れっぷりに徐々に引きつけられていくのだった。
その頃、呉の警戒網の端で、別の反応が一瞬だけ浮かんでいた。
だが、空襲と水上打撃部隊への対応に追われる中、その反応はすぐに別の報告に埋もれた。
小規模。
低速。
脅威度不明。
本来なら確認すべき反応だった。
だがその時、呉にはそれを確認する余裕がなかった。
呉鎮守府では混乱が続いていたからだ。
ほぼ同時刻 呉鎮守府庁舎
空では航空戦。
海では第二艦隊と戦艦棲姫の水上打撃部隊。
各地から報告が飛び交い、通信回線は過負荷気味になっている。
小林長官と田村参謀長は、執務室で状況を整理していた。
本来なら地下のCICに行くべきだが、目まぐるしく変わっていく戦況に加えて、2000年代以降国防海軍が抱え続ける慢性的な人手不足も祟って、移動する暇すらなかった。
状況は深刻。
第二艦隊だけでは厳しい。
ならば、太平洋方面警備艦隊も動かす必要がある。
旗艦は「那珂」。
本来なら後方・警備任務寄りの艦隊。
だが、呉を守るためなら使えるものは全て使うしかない。
この時点で、小林と田村は既に“阿武隈”と川内型三人を護衛付きで避難させている。
まだ幼く、戦力としては使えない。
だが、将来的には重要な艦娘たち。
何より、守るべき子供たち。
「阿武隈は?川内たちは?避難はどうなっている」
「護衛を付けて現在退避中。川内たち三人も同様だ」
「よし。なら……」
指揮官として留まるべきか。
艦隊旗艦へ移るべきか。
小林は迷わない。
通信が乱れ、状況が変わり続けている以上、旗艦に移って直接指揮を執る方がいい。
そして何より「那珂」は長年慣れ親しんだ、もっとも信頼できる存在だった。
「俺たちも那珂に行こう!ここに留まるよりマシだ!」
「そうだな。行くぞ!」
そう言って執務室から駆け出した2人であったが、直後にどこかから飛来した砲撃が鎮守府に直撃。
慣れ親しんだ艦へと向かう事は叶わなかった。
数十年に渡り日本を守り続けた名司令官は、
再び潮風に当たる事もないまま、
長年連れ添った相棒共々
爆炎が庁舎を呑み込み、遅れて衝撃波が港へと抜けた。
何が起きたのかを理解するより早く、呉の空気そのものを引き裂くような咆哮が響いた。
「ヴェアアアアアアアア!」
その咆哮は、ジェリコのラッパが如き“悪魔のサイレン”。
砲撃の正体は、“重巡棲姫”率いる強襲上陸部隊だった。
続く
あ と が き
陸軍さん、出番です……
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