自我持つ兵器の英雄譚   作:Nyappy-

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無理ゲーを運ゲーに変える“技量”と、
その運ゲーを生き残る“幸運”。



42. 風に舞う雪のように

 

 

江田島の空は、既に戦場の色を帯びていた。

 

遠く、呉の方角で幾度も爆炎が上がる。

遅れて届く轟音が、海を渡り、山肌を震わせ、兵学校の敷地にいる者たちの胸を打った。

 

それは、ただの空襲ではない。

豊後水道を突破した深海棲艦機動部隊による、呉軍港と江田島への同時攻撃だった。

 

国防海軍と国防空軍は迎撃に出ていた。

戦闘機隊も、防空艦も、沿岸部の対空火器も、持てる限りの火力を注ぎ込んでいる。

 

だが、深海棲艦の艦載機は小さかった。

通常の航空機よりもはるかに小さく、低く、そして奇妙な軌道で飛ぶ。

機影を捉えたと思った次の瞬間には、ふっと高度を落とし、建物の陰や山の稜線を這うように抜けていく。

 

江田島にも対空火器はあった。

だが、ここは本来、前線基地ではない。

 

ここは学校だ。

未来の士官を育てる場所であって、機動部隊の空襲を正面から受け止めるための要塞ではなかった。

 

鳴り響く警報。

走る教官たち。

避難誘導を受けて移動する生徒たち。

 

その混乱の中を、黒い影がいくつもすり抜けてくる。

 

最初から江田島へ向かっていた編隊。

そして、呉上空で激しい迎撃を受け、進路を変えた編隊。

 

それらが合流するように、兵学校の上空へと殺到していた。

 

少し離れた山中。

 

木々の隙間から兵学校を見下ろせる場所に、数名の男たちが伏せていた。

 

彼らは国防軍の制服を着ていた。

正式な身分もある。

その気になれば、兵学校の敷地内に立ち入ることも不可能ではない。

 

だが、彼らはそこにいなかった。

 

深海棲艦の攻撃目標が、この一帯であることを知っていたからだ。

どれだけ味方を装っていようと、誤爆されて死んでは意味がない。

 

「……始まったな」

 

双眼鏡を覗く男が、小さく呟いた。

 

兵学校の敷地に爆炎が上がる。

だが、攻撃は妙に限定的だった。

市街地や民家へ向かう機体は少ない。爆撃の中心は、あくまで兵学校の施設とその周辺に絞られている。

 

“空母棲鬼”側が、民間人への積極攻撃を避けている。

この場の観測員たちは、その判断をありがたがる気などなかった。ただ、自分たちが巻き込まれないことにだけ安堵していた。

 

「東堂士と神崎加奈は?」

 

「まだ確認できません。避難者の列にも、山側へ向かう一団にも、それらしい姿はありません」

 

「逃げ遅れたか。あるいは……」

 

男は双眼鏡を動かす。

爆煙の上がる兵学校から、視線を港の方へ移した。

 

港は、まだ大きな被害を受けていない。

艦影がいくつか見える。

その中に、一隻だけ古い影があった。

 

大戦の名を引きずった、旧式駆逐艦。

 

「……まさかな」

 

男は眉をひそめた。

 

 

 


 

 

 

「……加奈!?」

 

「あっ、士!」

 

爆音と悲鳴が飛び交う中で、士はその姿を見つけた。

 

避難しているはずの加奈が、そこにいた。

軍の敷地内で、周囲を見回しながら、今にもどこかへ走り出しそうな顔をしている。

 

「バカ、避難しろって言われてただろ!」

 

「でも……!」

 

言い返しかけた加奈の声を、爆発音がかき消した。

 

すぐ近くで土煙が上がる。

深海棲艦の艦載機が、低空で校舎の屋根を掠めるように飛び抜けていった。

 

「「うわ……っ!」」

 

衝撃に煽られ、二人は思わず身を伏せた。

 

「爆撃……!?」

 

「迎撃しなきゃ! 対空砲とか無いの!?」

 

「あるにはあるけど、この状況じゃあ……!」

 

また爆発。

建物の陰で、誰かが怒鳴っている。

避難誘導の声と、行方知れずの者を呼ぶ声と、対空火器の射撃音が重なって、何が起きているのかすら分からない。

 

士は歯を食いしばった。

 

「取り敢えずここから逃げるぞ!」

 

「う、うん!」

 

だが、そう言って加奈が走り出した方向は、山側ではなかった。

 

「……っておい加奈!? そっちは港だ───」

 

港。

普通に考えれば、今この状況で最も危険な場所の一つだ。

 

艦艇が停泊しているなら、敵に狙われる。

開けた場所なら、空から見つかりやすい。

避難先としては最悪に近い。

 

だが、加奈は立ち止まらなかった。

 

「港は、攻撃されてない!」

 

「何……?」

 

士は走りながら港の方を見た。

 

確かに、妙だった。

 

兵学校の敷地や建物からは黒煙が上がっている。

それなのに、港方面はまだ大きな火の手が見えない。

 

まるで、敵が意図的に避けているように。

 

加奈はその光景を見て、昨日のことを思い出していた。

 

士が得意げに指差した、港に佇む一隻の艦。

 

士は言っていた。

呉へ行くための“足”がある、と。

 

 

「士!」

 

「何だよ!」

 

「昨日言ってたよね!? あの艦、1人でも動かせるって!」

 

「……は?」

 

一瞬、士は加奈が何を言っているのか分からなかった。

 

だが、すぐに理解した。

理解してしまった。

 

「お前、まさか……!」

 

「そのまさか!」

 

「あれは呉に行って帰るだけならって話だ! 戦闘なんか想定してない!」

 

「でも、何もしないよりはマシでしょ!」

 

「そういう問題じゃ───」

 

言い返そうとした士の言葉が、再び爆発音に飲み込まれた。

 

加奈は止まらない。

港へ向かって走る。

昨日、二人で歩いた道を、今度は爆煙と悲鳴の中で逆走する。

 

やがて、視界が開けた。

 

そこに、昨日と同じ艦がいた。

 

かつて数々の激戦を戦い抜き、名前を変え、二つの国を渡り歩いた武勲艦。

記念艦であり、練習艦であり、艦艇半自動化計画の試験艦。

 

昨日見た時と同じように、静かに。

けれど今は、まるで二人を待っていたかのように。

 

その艦は、港の端に佇んでいた。

 

 

「──────雪風」

 

士の口から、自然とその名が零れた。

 

 

2人は停泊する「雪風」に駆け寄っていく。

 

その中で、士には船体後部が僅かに音を立てているのが分かった。

 

「雪風」の主機が。

核融合炉が、動いている。

 

「……なんで機関が動いてんだ? さっきまで誰か乗ってたのか?」

 

「私は特に誰ともすれ違ってないよ?」

 

「昨日見た時は普通に停まってたよね……?」

 

「ああ。少なくとも、出港準備なんかしてなかったはずだ」

 

「じゃあ……」

 

加奈は、艦内へ踏み込む直前に、少しだけ船体を見上げた。

 

「雪風が、動く気になってくれたのかな」

 

「……そんなわけあるかって言いたいところだけど」

 

士は、昨日自分が言ったことを思い出す。

 

希空が全面的に関わった高性能な制御システム。

自我を持っているんじゃないかと思えるほどの完成度。

 

もちろん、本当に自我があるなどと本気で思っていたわけではない。

だが、艦娘という存在を知っている以上、完全に否定することもできなかった。

 

「まぁ良い。考えてる時間はない!」

 

二人は艦内へ飛び込み、士の記憶を頼りにCICを目指した。

 

古い艦だ。

だが、完全な旧式艦ではない。

 

艦艇半自動化計画のテストベッド。

練習艦でありながら、装備そのものは現代化されている。

見た目こそ昔の駆逐艦に近く残されていたが、その中身は別物に近かった。

 

「昨日聞いた時は、便利な練習艦って感じだったのに……」

 

「俺だって、こんな使い方するとは思ってなかったよ!」

 

「でも、動かせるんでしょ?」

 

「動かすだけならな。艦のほとんどが自動化されてるから、やろうと思えば俺たち二人でもいける。けど……」

 

「問題あり、な感じ?」

 

「大ありだ。確かに装備は最新だ。けど、こんな老朽艦一隻で何が出来るってんだよ……」

 

「おばあちゃん、だもんね」

 

「そのおばあちゃんで空襲部隊相手にしようとしてるんだからな、俺たちは」

 

「でも、ただのおばあちゃんじゃないでしょ?」

 

「……まあな」

 

士は端末を叩き、システムの状態を確認する。

 

機関、起動済み。

操舵系、反応あり。

火器管制、初期化中。

対空兵装、使用可能。

 

あり得ないほど、都合よく準備が進んでいる。

 

「まぁこうなりゃヤケクソだ。やるだけやってみるけどさ!」

 

「私も協力する!……一緒なら、きっと大丈夫だから!」

 

二人がCIC併設の艦橋へ駆け込んだ瞬間、待っていたかのように艦の制御システムが完全に起動した。

 

照明が灯る。

モニターに外部映像が映る。

各部の状態表示が一斉に流れ始めた。

 

「はぁ? なんで……加奈、何か触った?」

 

「ううん、何も」

 

「じゃあ、勝手に起動したのか……!?」

 

「昨日、士が言ってたじゃん」

 

「何を」

 

「自我を持ってるんじゃないかってレベルだ、って」

 

「いや、あれは制御システムの話で……!」

 

「じゃあ、その制御システムが戦いたがってるんじゃない?」

 

「んなわけ……」

 

士はそう言いかけて、言葉を止めた。

 

艦娘が存在する。

艦艇の魂が、人の姿を取って戦う時代だ。

 

それなら。

 

「……いや、充分あり得る話か」

 

「取り敢えず結果オーライ、って感じじゃない? これですぐにでも戦えそうだよ!」

 

「そうだな。……居るのか分かんないけど、よろしくな、雪風」

 

 

───その瞬間。

 

二人は、目の前に一人の少女が立っているのを見た気がした。

 

茶色の髪。

白いワンピース。

首から下げた大きな双眼鏡。

 

少女は、何も言わなかった。

 

ただ、小さく頷いたように見えた。

 

 

「雪風、出撃します!」

 

加奈が叫ぶ。

士は火器管制席に着き、半自動システムへ可能な限りの命令を叩き込んでいく。

 

「俺は火器管制をやるから、加奈は舵を頼む!」

 

「───私が操艦!? 無理だよ!」

 

「大丈夫! 制御システムが補助してくれる。回避運動とかもある程度自動でやってくれるから!」

 

「それなら出来る、かも?」

 

「かも、じゃなくてやるんだよ!」

 

古い駆逐艦の船体が、ゆっくりと岸壁を離れる。

 

その動きは、練習艦のものとは思えないほど滑らかだった。

まるで、艦そのものが久しぶりの戦場に身を震わせているように。

 

港を離れた直後、敵機の動きが変わった。

 

これまで兵学校の建物へ向かっていた数機が、進路を曲げる。

海上へ出た「雪風」へ向けて、低く、鋭く突っ込んでくる。

 

「……おい、なんかこっち来てないか?」

 

「来てるよね!?」

 

「くっそ、やっぱ動けば目立つか!」

 

士は歯を食いしばり、対空火器を起動する。

近代化改修を受けた機関砲が旋回し、接近する艦載機へ火線を伸ばした。

 

何発かが空を裂き、一機の敵機を海面へ叩き落とす。

 

「当たった!」

 

「まだ喜ぶな、次が来る!」

 

敵は一機ではなかった。

二機、三機、さらに後続。

 

「雪風」の船体を、爆風が叩く。

海面に水柱が立ち、破片が甲板を弾いた。

 

それでも雪風は進む。

港から離れ、兵学校から敵機を引き剥がすように、外海へ向かっていく。

 

「出港を確認」

 

山中の観測員が、低い声で告げた。

 

「艦名は?」

 

「雪風。記念艦兼練習艦です」

 

「乗員は?」

 

「不明。ただ……東堂士と神崎加奈が港方面へ移動した後、姿が確認できません」

 

男は双眼鏡の向こうで、海へ出ていく旧式駆逐艦を見た。

 

あり得ない。

だが、状況はそれを示している。

 

「昨日、東堂士が神崎加奈を港へ案内していたな」

 

「はい。雪風の前で会話していたところまでは確認しています」

 

「なら、乗っている可能性は高い」

 

「空母棲鬼側へ送りますか」

 

「送れ。標的は雪風に乗艦した可能性大。攻撃を集中しろ、と」

 

通信員が短く返事をする。

 

数十秒後。

江田島上空を旋回していた敵機の一部が、明らかに「雪風」へ向けて針路を変えた。

 

「ぐあっ……!」

 

「きゃ……!!」

 

直撃ではない。

だが、至近弾だった。

 

爆風に煽られ、艦橋が大きく揺れる。

モニターの一部が乱れ、警告音が鳴り響いた。

 

「被弾したか……! 加奈、怪我してないか!?」

 

「大丈夫……! 雪風は?」

 

「航行に支障は無い! 制御システムは……ちっ! 少し壊れたか!」

 

「何がダメそう?」

 

「ご丁寧に火器管制だけぶっ壊れやがった……。こっから先は全部手動でやらなきゃダメか!」

 

「行けそう?」

 

「なんとかやってみる。……それよりも、加奈! こっから先は制御システムに頼るな! もう回避アルゴリズムが読まれてる!」

 

「じゃあどうすれば良いの?」

 

「全部手動だ! 自分の感覚で舵を切るんだ!」

 

「手動って、嘘でしょ……!?」

 

 加奈の顔が引きつる。

 

そもそも彼女は、本来ここにいるべき人間ではない。

軍人でもなければ、訓練を受けた操舵手でもない。

昨日まで、雪風を「士が呉へ行くために使う足」として聞いていただけの大学生だ。

 

そんな彼女が今、75年の艦齢を持つ駆逐艦の舵を握っている。

 

「……っ!! やべぇ、爆撃来るぞ!!」

 

「そんな事言われたって!? ああ〜もう! どうすれば……!」

 

その時だった。

 

加奈の右肩に、何かが触れた。

 

小さな足。

それが、右肩を強く押す。

 

「……えっ? うわぁ!?」

 

堪えきれず、加奈の身体が傾いた。

その衝撃で、舵が面舵へ切られる。

 

「ちょ……っ!!」

 

直後。

急降下してきた敵機の爆弾が、「雪風」の左舷側へ外れた。

 

海面が爆ぜる。

水柱が上がる。

だが、船体への直撃はない。

 

「なんなの、もう……!」

 

加奈は立ち上がり、再び舵を握る。

息を整える暇もなく、また敵機が来る。

 

今度は左肩に衝撃が走った。

 

「ぐぅっ……!」

 

取舵。

今度も、爆撃は外れた。

 

加奈は歯を食いしばって踏ん張る。

今度は倒れなかった。

だが、肩を蹴った相手を確かめようとして振り向く。

 

「えっ……?」

 

そこにいたのは、先ほど見えた気がした少女だった。

 

白いワンピースを揺らし、艦橋上部の開いたハッチから身を乗り出すようにして、空を睨んでいる。

首から下げた大きな双眼鏡が、光を反射した。

 

少女は何も言わない。

 

けれど、加奈には分かった気がした。

まるで、考えるより先に答えだけが頭に落ちてくるように。

 

「蹴られた肩の方に舵を切れ……そういう事なの?」

 

少女は答えない。

 

だが、次の瞬間、また加奈の左肩を蹴った。

今度は、思い切り。

 

「ぐぇぇ、すっごい強く蹴るじゃん……!」

 

加奈は涙目になりながら叫ぶ。

 

「分かったよ、取舵一杯!!」

 

「雪風」の船体が大きく左へ傾く。

敵機の機銃掃射が、直前まで彼女がいた空間を裂いていった。

 

「くっそぉ……当たれ!!」

 

一方、士も苦戦していた。

 

CICから各火器を手動で管制し、対空射撃を行っている。

だが、成果は芳しくなかった。

 

元々が自動追尾を前提とした火器だ。

それを、本来の仮想敵よりはるかに小型で、軌道も読みにくい深海棲艦の艦載機相手に手動で撃つ。

簡単に当たるはずがない。

 

「当たらねぇ……。どうすりゃ良いんだよ……」

 

その時、士の腕を小さな手が掴んだ。

 

「っ!? おい、何だよ!? ……って」

 

そこにいたのは、加奈のところにいたはずの少女だった。

 

いや、違う。

同じ存在なのか。

それとも、「雪風」という艦そのものが、艦内のあちこちにいるのか。

 

士には分からない。

 

少女は声を出さなかった。

ただ、士の袖を強く引っ張り、どこかへ連れていこうとする。

 

「……ついてこい、って事か……?」

 

どうせ、今のままでは当たらない。

士は一瞬迷った後、火器管制席を離れた。

 

少女に導かれるまま、艦内を走る。

そして辿り着いた先で、士は眉をひそめた。

 

「コイツは、探照灯?」

 

少女は探照灯を指差していた。

 

「本当にコイツを使えっていうのか? でも、何のために───」

 

言いかけた瞬間、士の脳裏にひらめきが走った。

 

撃つのではない。

当てるのでもない。

 

見えなくすればいい。

 

「まさか……」

 

士は探照灯の操作系へ手を伸ばした。

 

横を見ると、少女は首から下げた双眼鏡で空を見ている。

敵機の動向を監視しているのだ。

 

しばらくして、少女が双眼鏡から目を離した。

そして士の腕を叩き、右舷から接近する敵機を指差す。

 

低い。

速い。

狙いは恐らく機銃掃射。

 

装甲など無いに等しい「雪風」にとっては、それだけでも充分な脅威だった。

 

「目標はアレか? 分かったよ!」

 

士は探照灯を敵機の進路へ向ける。

そして、照射した。

 

昼間の空に、眩い光が突き刺さる。

 

ただ明るいだけではない。

現代改修を受けた高出力の照射装置が、真正面から敵機の視界を焼く。

 

最終進入中だった艦載機が、一瞬だけ姿勢を乱した。

機銃の射線がずれる。

そのまま「雪風」の上空を掠め、制御を失ったように海面へ突っ込んだ。

 

水柱が上がる。

 

「……ははっ!」

 

士の口元に、笑みが浮かんだ。

 

「そういう事か!何であれ結局、目視が全てだもんな!」

 

少女は、少しだけ満足そうに頷いた。

 

「加奈! こっちは探照灯でいける! そっちは避け続けろ!」

 

「言われなくてもやってる!」

 

「蹴られてるの間違いじゃないのか!?」

 

「うるさい! こっちはこっちで大変なの!」

 

叫び合いながらも、二人は戦い続けた。

 

士は探照灯で敵機の進入を崩し、時に機関砲で追い撃ちをかける。

加奈は「雪風」の艦魂に蹴られるまま、舵を切る。

 

面舵。

取舵。

取舵。

さらに取舵。

 

「───ちょ、ちょっと!? さっきから取舵ばっかりじゃない? 大丈夫なの?」

 

少女は答えない。

だが、これが答えだと言わんばかりに、また加奈の左肩を蹴飛ばした。

 

「分かったってば! 取舵一杯!!」

 

「雪風」が旋回する。

敵機の爆弾が外れる。

海面が爆ぜる。

 

古い駆逐艦は、信じられないような粘りで空襲を躱し続けた。

 

それでも、完全に無傷とはいかない。

甲板は焼け、艦橋の外装は傷つき、いくつもの機器が沈黙した。

だが、沈まない。

 

「雪風」は沈まない。

 

その姿は、もはやただの練習艦ではなかった。

艦齢75年の老いた船でもなかった。

 

かつて幾度もの戦場を潜り抜け、それでもなお生き残った艦。

その記憶が、今、二人の手足となっていた。

 

やがて、敵機の数が減り始めた。

 

江田島への攻撃そのものが終わったわけではない。

呉方面の戦況も、“重巡棲姫”の進撃も、何一つ解決していない。

 

それでも、「雪風」へ向けられた攻撃は確実に江田島から逸れていた。

 

兵学校の敷地には被害が出た。

負傷者もいる。

炎上した建物もある。

 

だが、「雪風」が港を離れ、敵を引きつけたことで、守られた命も確かにあった。

 

最後の一機が、探照灯に進入を崩され、機関砲の弾幕に絡め取られて海へ落ちる。

 

士は肩で息をしながら、操作盤から手を離した。

 

「……やった、のか?」

 

「多分……!」

 

加奈も舵を握ったまま、力が抜けたように座り込む。

 

その肩は、左右ともに赤くなっていた。

何度も蹴られたせいだ。

 

「絶対あとで痣になる……」

 

「生きてるだけマシだろ」

 

「それはそうだけど……!」

 

二人は顔を見合わせた。

 

そして、同時に笑った。

 

「やったな!」

 

「ありがとう!」

 

二人の視線の先に、白いワンピースの少女がいた。

 

少女は、少しだけ微笑んだ。

 

けれど、その表情はどこか悲しそうだった。

 

勝ったからといって、全てを守れたわけではない。

生き残ったからといって、失ったものが消えるわけではない。

そんなことを、彼女は誰よりも知っているようだった。

 

「あっ……」

 

少女の輪郭が薄れていく。

 

加奈が手を伸ばす。

士も、何かを言おうとした。

 

だが、声になる前に、少女の姿は消えた。

 

艦橋には、傷だらけの操作盤と、焦げた匂いと、まだ微かに震える船体だけが残された。

 

士はしばらく黙っていた。

 

そして、静かに呟いた。

 

「……本当にありがとな、“雪風”」

 

返事はなかった。

 

けれど、船体の奥深くで、何かが小さく鳴った気がした。

 

まるで、老いた武勲艦が、まだ大丈夫だと告げるように。

 

「雪風」は、静かに海の上に浮かんでいた。

傷つきながら。

それでも、沈まずに。

 

 

 

 

 

続く





あ と が き

不沈艦の名は、伊達ではないのです。


次回 艦隊決戦
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