“戦艦棲姫”を突破するための戦い。
淡路島付近の海は、砲煙と水柱に覆われていた。
瀬戸内海の東。
紀伊水道へと続く海域。
本来なら、呉を守るために展開していたはずの第二艦隊は、そこまで押し込まれていた。
いや、引き剥がされていたと言うべきだった。
呉を母港とし、呉を守るために出撃した艦隊。
その艦隊が、今や守るべき場所から遠ざけられている。
それは敗走ではない。
少なくとも、第二艦隊はまだ戦っていた。
だが、戦場の位置そのものが、防衛側にとって不利な事実を突きつけていた。
「由良、航行不能! 沿岸部へ座礁済み!」
「鬼怒も戦闘継続不能! 乗員退艦作業中!」
「敷波、朝霧、夕霧、天霧、狭霧、いずれも推進系に損害! 各艦、浅瀬へ乗り上げています!」
「東雲、白雲、薄雲、磯波、浦波、応答あり! 沈没は回避!」
旗艦「翔鶴」の艦橋に、次々と報告が飛び込んでくる。
長良型ミサイル駆逐艦二隻。
綾波型汎用駆逐艦五隻。
そして、本来は太平洋方面警備艦隊所属でありながら、砲撃戦能力向上のため第二艦隊に随伴していた吹雪型汎用駆逐艦五隻。
彼女たちは、まだ沈んではいない。
瀬戸内海という海域の性質上、損傷艦を浅瀬や沿岸へ向け、意図的に座礁させることは不可能ではなかった。
実際、それによって多くの艦は沈没を免れている。
だが、それは言い換えれば、艦隊戦力としては既に脱落したということでもあった。
戦列に残っている艦は、もう多くない。
そして、本来なら砲撃戦の中心から離れているはずの旗艦「翔鶴」にも、敵の砲火が届き始めていた。
「右舷前方、水柱!」
「対空戦闘継続! 敵艦載機、低空から来ます!」
「翔鶴航空隊、残存機を再編! F/A-18EJ、F/A-18FJ、対艦攻撃隊を援護へ!」
翔鶴の甲板から発艦した艦載機が、砲煙の上を駆け抜けていく。
F/A-18EJ/FJ。
国防海軍の空母航空隊における標準的な主力艦載機。
既に何度も出撃と帰投を繰り返し、機体もパイロットも消耗している。
それでも、彼らはまだ戦っていた。
空には、国防空軍の機影もあった。
F-2AS/BS。
対深海棲艦戦闘へ大きく振り切った改修型、通称スーパー改。
彼らは翔鶴航空隊と連携し、深海棲艦の随伴戦力へ攻撃を繰り返していた。
航空爆弾が落ちる。
高G対応対艦ミサイルが海面すれすれを走る。
機関砲の火線が、黒い艦影を切り裂く。
下位個体には効いていた。
“ル級”。
“リ級”。
“イ級”や“ロ級”といった小型個体。
護衛に回っていた“ヌ級”の艦載機。
決して、通常兵器が無力なわけではない。
翔鶴航空隊も、空軍のスーパー改も、確かに敵を削っていた。
だが。
「撃破確認! ル級一、沈黙!」
「続けろ! 次は右舷側のリ級を叩け!」
「待て、敵主砲旋回!」
その瞬間、海が割れた。
爆発というより、海面そのものが巨大な拳で殴りつけられたようだった。
「翔鶴」の前方に立ち上がった水柱が、艦橋の窓を白く染める。
「っ……!」
艦橋の人員が、衝撃に耐える。
直撃ではない。
だが、外れたという安心感はなかった。
その砲撃を放った存在が、こちらを見ている。
水柱の向こう、砲煙の奥。
巨大な艤装を背負った、白い影が立っていた。
“戦艦棲姫”。
彼女は笑っていた。
爆撃を受けても、ミサイルを受けても、艦砲射撃を浴びても、その笑みは消えない。
下位個体が削られていくことなど、意にも介していないかのように。
いや、違う。
削らせているのだ。
自分が前に出るための道さえ残っていれば、随伴の何隻かが沈むことなど、彼女にとっては大きな問題ではない。
彼女は、この戦場の中心にいた。
その一隻だけが、戦況そのものを押し返している。
「敵戦艦級上位個体、なおも前進!」
「こちらの攻撃、効果限定的!」
「くっ……!」
「翔鶴」艦橋の空気が重くなる。
止まらない。
止めているはずなのに、止まらない。
下位個体は削れる。
艦載機は落とせる。
随伴艦も、時間をかければ沈められる。
だが、“戦艦棲姫”だけが別だった。
彼女が一歩前へ出るたびに、第二艦隊は一歩下がる。
彼女が主砲を向けるたびに、艦隊は回避を強いられる。
彼女が笑うたびに、戦線は呉から遠ざかる。
「……引き剥がされてる」
誰かが、ぽつりと呟いた。
それは敗北宣言ではなかった。
ただ、事実だった。
第二艦隊は、呉から引き剥がされている。
呉を守るために出たはずの艦隊が、呉から遠ざけられている。
その意味を、艦橋にいる全員が理解していた。
その時だった。
「東方より大型反応二!」
「識別信号、味方!」
「艦娘母艦です! 建御名方、ならびに建御雷!」
艦橋内の空気が、僅かに変わった。
遅れていた増援。
横須賀から出撃した第一・第二特務艦隊が、ようやく戦場へ到着したのだ。
海の向こうに、二隻の巨影が現れる。
艦娘母艦「建御名方」。
艦娘母艦「建御雷」。
人類側が保有する、艦娘運用のための中核艦。
その到着は、第二艦隊にとって間違いなく救いだった。
だが、それで全てが解決するわけではない。
「建御名方」艦橋
洋平は、戦況表示を睨んでいた。
第二艦隊の損耗は、想定よりも大きい。
長良型、綾波型、吹雪型の随伴艦はほぼ戦闘不能。
「翔鶴」は健在だが、既に敵砲撃圏内へ晒されている。
そして、“戦艦棲姫”。
その一点だけが、戦場の形を歪めていた。
「艦娘部隊、即時投入準備」
「了解」
「豊後水道側への迂回案は?」
参謀妖精の一人が確認する。
洋平は、迷わず首を横に振った。
「却下だ」
「理由は」
「一つ。第二艦隊が持たない」
洋平は表示を切り替える。
淡路島付近から紀伊水道方面へ押し込まれた第二艦隊の位置。
呉方面の混乱。
豊後水道付近に残る敵反応。
「二つ。豊後水道には、まだ推定空母棲鬼の機動部隊がいる。そちらへ回れば、呉到達前に余計な航空攻撃を受ける可能性が高い」
「三つ目は?」
「時間だ」
それだけで十分だった。
迂回している間に、第二艦隊が崩れる。
呉へ戻れなくなる。
新型の推定上位個体……“重巡棲姫”の上陸部隊が、さらに内陸へ入り込む。
安全な道など、最初からなかった。
「艦娘のみを空挺投入する案は」
「無理だ」
洋平の返答は早かった。
「これまでの運用で、第一世代艦娘はパラシュートなしの空挺投入に向かないと分かっている。高度、姿勢制御、着水時の衝撃、どれも不確定要素が多すぎる」
「パラシュート使用なら?」
「撃ち落とされる」
洋平は短く言い切った。
この空域には、まだ敵艦載機がいる。
対空砲火もある。
艦娘をパラシュートで吊るして降ろせば、ただの的だ。
「母艦から通常展開する。時間を惜しむな。焦って戦力を失えば、それこそ終わりだ」
「了解」
指示が飛ぶ。
「建御名方」の各部で、艦娘出撃準備が進む。
一方、「建御雷」。
艦橋にいた海斗は、表示された戦況図を黙って見ていた。
その隣には、美香がいる。
どちらも、言葉は少なかった。
目の前の戦況は、あまりにも悪い。
第二艦隊はまだ戦っている。
翔鶴航空隊も、空軍も、下位個体を削っている。
だが、“戦艦棲姫”は止まっていない。
そして呉では、“重巡棲姫”が暴れている。
「出雲と磐手を出す」
海斗が言った。
それは命令というより、確認に近かった。
美香は小さく頷く。
「……二人なら、戦艦棲姫を受け止められる」
「倒せるとは言わないんだな」
「今の状況で、軽々しく言えない」
美香の声は静かだった。
だが、その目は戦況表示から離れていない。
「それでも、あの子たちは行くわ」
海斗は短く息を吐いた。
「出雲、磐手。出撃準備」
通信が開かれる。
《了解》
返ってきた声は、落ち着いていた。
それだけで、海斗の胸が僅かに痛んだ。
戦場へ出す。
危険な場所へ向かわせる。
もう何度もやってきたことではある。
それが必要だということも分かっている。
だがそれでも、心が痛まないわけがなかった。
「建御名方」の甲板に、“鳳翔”が立っていた。
彼女は、荒れる海と砲煙の空を見ていた。
その表情は穏やかだった。
けれど、穏やかなだけではない。
そこには、日本唯一の戦闘可能な空母艦娘としての静かな覚悟があった。
「鳳翔、航空隊発艦準備完了」
彼女の周囲で、艦載機が形を成していく。
九五式艦上戦闘機。
九六式艦上爆撃機。
九六式艦上攻撃機。
現時点における、最新鋭の艦娘航空機。
通常の艦載機とは異なる、艦娘の力によって運用される航空戦力。
それらが、数本の矢として“鳳翔”の矢筒に納められていた。
「防空担当のヌ級を狙います」
“鳳翔”は静かに告げた。
「敵の空を削らなければ、出雲さんと磐手さんが戦艦棲姫へ届きません」
その声に、迷いはない。
「第一次攻撃隊、発艦」
艦載機が飛び立つ。
九五艦戦が先行し、敵艦載機を抑える。
九六艦爆が高度を取り、爆撃進路へ入る。
九六艦攻が海面近くを這うように進み、雷撃態勢へ移る。
深海棲艦側も即座に反応した。
防空のために随伴していた“ヌ級”が、艦載機を放つ。
黒い機影が、鳳翔航空隊へ向けて群がっていく。
だが、鳳翔航空隊は乱れなかった。
九五艦戦が敵機を引き剥がす。
翔鶴航空隊のF/A-18EJ/FJが、その隙へ割り込む。
空軍のF-2スーパー改が、遠方からミサイルを叩き込む。
海と空が、同時に火を噴いた。
「ヌ級一、艦載機発艦能力低下!」
「第二波、突入します」
九六艦爆が降下する。
爆弾が落ちる。
“ヌ級”の甲板部に黒い爆炎が走る。
続けて九六艦攻が雷撃進路へ入った。
海面を走る魚雷。
回避しようとする“ヌ級”。
だが、その進路はすでに鳳翔航空隊によって塞がれていた。
命中。
黒い水柱が上がり、“ヌ級”の艤装が大きく傾く。
さらに、翔鶴航空隊の対艦攻撃が重なった。
爆炎。
黒煙。
崩れる艦影。
「ヌ級、撃破確認!」
防空の目が、ひとつ潰れた。
それは“戦艦棲姫”を倒す一撃ではない。
だが、艦隊決戦の形を作るには十分だった。
日本艦娘戦力が、海へ広がっていく。
「建御名方」から出撃した艦娘たち。
「建御雷」から出撃した艦娘たち。
第二艦隊を守る翔鶴航空隊。
それを支える国防空軍。
人間の艦隊。
艦娘母艦。
艦娘。
航空隊。
通常兵器。
今この海域に、日本が即座に投入できる戦力が集まりつつあった。
その総力が、“戦艦棲姫”率いる水上打撃部隊を迎え撃つ。
「敵ル級、前進!」
「任せなさい!」
艦娘の砲撃が、海面を裂く。
深海棲艦の随伴部隊が押し返される。
艦載機が落ちる。
“リ級”が爆炎に呑まれる。
小型個体が、機銃と砲撃に砕かれていく。
第二艦隊だけでは崩れかけていた戦線が、持ち直す。
「翔鶴」が航空隊を再編する時間を得る。
損傷艦からの退艦作業が進む。
座礁した艦の乗員救助にも手が回り始める。
戦場は、確かに変わった。
だが。
「……来る」
“出雲”が呟いた。
その視線の先で、“戦艦棲姫”が動く。
随伴艦が沈んでも、航空隊が削られても、彼女の歩みは止まらない。
むしろ、雑音が消えたとでも言いたげに、まっすぐこちらを見ていた。
その視線の先にいるのは、“出雲”と“磐手”。
そして、彼女たちの背後にいる母艦。
「磐手」
「分かってる」
二人は並んだ。
“磐手”が砲撃戦のために砲塔を指向する一方で、“出雲”は左右の腰へ手を伸ばした。
そこに吊られていたのは、二振りの刀だった。
13式対艦刀。
国防陸軍が1998年に採用した「98式軍刀」を基に、秋吉が艦娘運用向けに再設計した近接兵装である。
国防陸軍の軍刀は、帝国陸軍以来の軍刀文化を受け継ぐものだった。
国防軍設立50周年を記念して新規開発された98式軍刀は、儀礼用ではなく、本格的な実戦使用まで視野に入れた装備である。
だが、13式対艦刀はそれをさらに別の領域へ押し上げた。
艦娘は、艤装に搭載された機関出力を四肢へ伝達できる。
ならば、その出力を砲撃だけではなく、腕で振るう刃にも乗せられるのではないか。
それが、13式対艦刀の基本思想だった。
艦艇級の出力を、艦娘の腕を通じて刀身へ伝える。
ただの刃ではなく、艦娘の筋力、踏み込み、艤装出力を一点に束ね、敵の装甲や艤装へ叩き込むための対艦近接兵装。
その運用試験において、“出雲”は早い段階から高い適性を示していた。
本来なら、刀は主兵装ではない。
艦娘にとっての主兵装は、あくまで砲であり、魚雷であり、艦載機である。
それでも“出雲”は、この刀を好んだ。
一本ではなく、二本。
理由を問われた時、彼女はただこう答えた。
その方が、前に出られるから。
だから今、“出雲”は二振りの13式対艦刀を抜く。
かつてよりも、彼女たちは強くなっている。
大規模改装を経て、艤装も、身体も、戦い方も変わった。
以前のままではない。
だが、相手もまた、以前の記憶だけで測れる敵ではなかった。
“戦艦棲姫”は笑っている。
だが、その笑みには慢心がない。
遊びではない。
試しでもない。
彼女は本気で、目の前の敵を撃ち砕こうとしていた。
「……いいわね、磐手」
「了解、出雲」
鳳翔航空隊の艦載機が、二人の上空を抜ける。
九五艦戦が敵機を押さえる。
九六艦爆が戦艦棲姫の周囲へ爆撃を加える。
九六艦攻が雷撃進路へ入る。
だが、“戦艦棲姫”は怯まない。
爆炎の中から、主砲が動く。
「散開!」
“出雲”が叫ぶ。
次の瞬間、海面が爆ぜた。
直撃ではない。
だが、砲弾の着弾だけで周囲の海が荒れ狂う。
爆風が艦娘たちの身体を叩き、飛沫が視界を奪う。
その中を、“磐手”が抜けた。
低く、速く。
水面を滑るように、“戦艦棲姫”の側面へ回り込む。
同時に、“出雲”が正面へ出る。
役割は明確だった。
“出雲”が引きつける。
“磐手”が崩す。
“鳳翔”が空から隙を作る。
その三つが噛み合えば、上位個体相手でも届く。
「はああああっ!」
“出雲”が斬り込む。
艤装の出力が上がり、海面が割れる。
“戦艦棲姫”の主砲が出雲を向く。
だが、撃つより早く、上空から九六艦爆が突入した。
爆弾が炸裂する。
“戦艦棲姫”の視線が僅かに逸れる。
その一瞬に、“出雲”の刃が届いた。
金属音。
重い音が、海上に響いた。
斬撃は通った。
だが、浅い。
“戦艦棲姫”の艤装表面に傷が走る。
しかし、それだけだった。
「硬い……!」
“出雲”の顔が歪む。
次の瞬間、“戦艦棲姫”の副砲が動いた。
「出雲!」
“磐手”の砲撃が割り込む。
連続した砲撃が、“戦艦棲姫”の副砲基部に叩き込まれる。
狙いは正確だった。
装甲の厚い主部ではなく、可動部。
関節。
接合部。
“戦艦棲姫”の副砲が僅かに跳ねる。
“出雲”への射線がずれた。
その隙に“出雲”が離脱する。
「助かった!」
「まだ!油断しないで!」
“磐手”の声と同時に、“戦艦棲姫”の主砲が彼女へ向いた。
砲口が開く。
海が震える。
“磐手”は避けた。
だが、避け切れない。
至近弾。
爆風が彼女の身体を叩き、海面へ弾き飛ばす。
「磐手!」
「……っ、大丈夫!」
そう叫び返しながら、“磐手”は立ち上がる。
無傷ではない。
だが、沈んではいない。
“戦艦棲姫”は、少しだけ目を細めた。
その顔に浮かんでいるのは、苛立ちではなかった。
楽しげな余裕でもない。
評価。
目の前の敵が、ただ潰せば終わる相手ではないと改めて認めた目だった。
《鳳翔航空隊、第二波入ります!》
再び上空から艦載機が突入する。
九五艦戦が弾幕を引きつける。
九六艦爆が爆撃する。
九六艦攻が雷撃を仕掛ける。
“戦艦棲姫”は、その全てに対応する。
主砲。
副砲。
対空火器。
そして、自身の艤装そのものによる強引な防御。
爆炎が彼女を包む。
魚雷が水柱を上げる。
砲撃が装甲を叩く。
それでも、彼女は沈まない。
だが、前進も止まった。
“出雲”と“磐手”が食い止めている。
“鳳翔”が支えている。
「翔鶴」の航空隊と空軍が随伴を削っている。
「建御名方」と「建御雷」が艦娘たちを送り出し続けている。
戦線は、崩れていない。
しかし、押し返せてもいなかった。
「戦艦棲姫、なおも健在!」
「敵水上打撃部隊、後退せず!」
「こちらも戦線維持! ですが、突破は困難!」
「建御名方」艦橋に、報告が積み重なっていく。
洋平は戦況図を睨んだまま、表情を変えなかった。
悪くない。
少なくとも、最悪ではない。
第二艦隊は救えた。
「翔鶴」も沈んでいない。
艦娘部隊も展開できた。
“戦艦棲姫”は止まっている。
だが、呉へ辿り着けない。
この一言が、全てを台無しにしていた。
「呉方面から緊急通信!」
通信士の声が、艦橋に響いた。
洋平が振り向く。
「内容は」
「新型上位個体、陸軍防衛線を突破しつつあり。敵強襲上陸部隊、港湾区画から市街地方面へ拡大の恐れ」
艦橋の空気が凍った。
海では、戦艦棲姫が止まっている。
“空母棲鬼”の機動部隊も、完全には突破できていない。
日本側は、確かに持ちこたえている。
だが、呉の地上では違う。
“重巡棲姫”が進んでいる。
上陸部隊が広がっている。
このままでは、呉市街が戦場になる。
さらに悪ければ、西日本一帯へ深海棲艦の侵攻路を開くことになる。
「……海斗」
洋平は、「建御雷」との回線を開いた。
画面に、海斗と美香の姿が映る。
海斗は、既に報告を受けていたのだろう。
その表情は硬かった。
《聞いた》
短い言葉だった。
それだけで十分だった。
「こちらも呉へは辿り着けない。戦艦棲姫を放置すれば第二艦隊が崩れる」
《分かってる》
「建御雷側は」
《出雲と磐手が戦っている。鳳翔の援護もある。だが、決着までは遠い》
美香が静かに言った。
《今すぐ呉へ回せる戦力はないわ》
その言葉を、誰も否定しなかった。
誰もが分かっていた。
この海域の戦力は、もう全て投入されている。
第二艦隊も。
特務艦隊も。
艦娘も。
航空隊も。
全て出して、ようやく膠着しているのだ。
ここから呉へ向かえる戦力など、残っていない。
少なくとも、この戦場には。
洋平は、しばらく黙っていた。
海斗も、美香も、何も言わなかった。
画面越しに、三人の沈黙だけが続く。
遠くで、“戦艦棲姫”の砲撃が海を裂いた。
「建御名方」の艦橋が、小さく震える。
「……艦娘技術研究所へ、緊急電を送る」
洋平が言った。
海斗の表情が、僅かに変わった。
《本気か》
「本気だ」
返答は早かった。
だが、軽くはなかった。
美香が唇を噛む。
《文面は》
「救援要請だ」
洋平はそう答えた。
それ以上は言わなかった。
言う必要がなかった。
文面上は、ただの救援要請。
呉方面の危機を伝え、即応可能な対上位個体戦力の派遣を求めるだけ。
誰の名も書かない。
誰を出せとも書かない。
だが、受け取る者には分かる。
この状況で、その条件を満たす戦力が何を意味するのか。
洋平は司令官だった。
判断しなければならない立場だった。
だが、それだけではない。
彼は家族でもあった。
海斗も、美香も同じだった。
戦場へ出せば、危険に晒すことになる。
それも、上位個体との戦場へ。
誰も止められなかった“重巡棲姫”の前へ。
だが、出さなければ。
呉が死ぬ。
市街地が焼かれる。
日本本土が食い破られる。
天秤は、最初から傾いていた。
それでも、選ぶ痛みが消えるわけではない。
「……送るぞ」
洋平は言った。
海斗は目を伏せた。
美香も、何も言わなかった。
それが同意だった。
洋平は自ら端末を操作する。
短い電文が作成される。
呉方面防衛線、新型上位個体により突破の恐れあり。
市街地被害拡大、ならびに西日本方面への侵攻拡大を警戒。
即応可能な対上位個体戦力の緊急派遣を要請する。
単なる救援要請。
それ以上のことは、何一つ書かれていない。
だが、洋平の指は、送信の直前で一瞬だけ止まった。
砲声が響く。
海が荒れる。
艦娘たちが戦っている。
そして、呉が燃えている。
洋平は、目を閉じた。
次に目を開けた時、その迷いは消えていた。
「送信」
緊急電が、艦娘技術研究所へ向けて放たれた。
その直後にも、海上では砲撃が続いていた。
“出雲”と“磐手”は、なおも“戦艦棲姫”の前に立っている。
鳳翔航空隊は空から支援を続けている。
翔鶴航空隊と空軍は、残る下位個体を削り続けている。
「建御名方」と「建御雷」は、艦娘たちを支え続けている。
日本艦娘の総力を挙げた戦いは、まだ終わらない。
勝ってはいない。
負けてもいない。
ただ、膠着していた。
そしてその膠着の向こう側で、別の戦場が限界を迎えようとしていた。
続く
あ と が き
……いよいよ、ですかね。
※ここ数話で流石にやることやってるので
念のため言っておくと、
先日、呉&江田島にソロ旅行に行きました。
純粋な旅行+若干ロケハン気分。
その時はまだ大和ミュージアムは“サテライト”の方がやっていた時期。
零式観測機が展示されていたり、
歴代日本空母の図面も見れたりと楽しめました。
改装中の大和ミュージアムの近くにも行きました。
瑞雲はやはりロマン。
艦艇ツアーでは、
「かが」や10隻近くの潜水艦などに会えました。
江田島にも行って、
第一術科学校の見学もしてきました。
泊まったのはクレイトンベイホテル。
本当にとても楽しかったです。
呉と江田島の地理も頭に入りました。
次回 絶体絶命