自我持つ兵器の英雄譚   作:Nyappy-

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カーン カーン カーン



48. 2-4-11

 

 

8月

 

艦娘技術研究所の夏は、外の世界よりも少しだけ静かだった。

 

北海道の山中に隠されたその施設は、昼間でも涼しい風が通る。

地上施設の窓から見える緑は濃く、遠くの山肌にはまだ薄い雪の名残さえ見えた。

 

外の世界では、呉襲撃事件から四ヶ月が経とうとしていた。

 

ニュースは少しずつ別の話題を扱うようになり、国防軍の責任問題も、新体制の構築という形で日々上書きされていった。

だが、ここにいる者たちにとって、呉の炎はまだ過去になっていない。

 

それでも、研究所の中には日常があった。

 

廊下を走る等身大の妖精整備員。

資料を抱えて歩く研究員。

地下区画から聞こえる機械音。

訓練区画で響く足音。

 

そして、子供たちの声。

 

「零、そっち行った!」

 

“川内”が叫んだ。

 

研究所内の小さな運動室。

訓練用というよりは、艤装を持たない第二世代艦娘たちの身体機能確認と、気分転換を兼ねたスペースである。

 

床は柔らかい素材で覆われ、壁には衝撃吸収材が張られている。

隅には妖精たちが作ったボールや簡易遊具が置かれ、訓練器具というよりも、どこか子供向けの遊び場に近い雰囲気があった。

 

その中央を、小さなボールが転がっていく。

 

“那珂”がそれを追いかけた。

 

「待って待って、那珂が取るから!」

 

「那珂、そっちじゃないです。右です」

 

“神通”が少し慌てた声で言う。

 

「分かってるってば!」

 

そう言いながら、“那珂”は見事に反対側へ走った。

 

“川内”が笑う。

 

「分かってないじゃん!」

 

「わ、分かってるもん!」

 

“那珂”が慌てて向きを変える。

だが、その前に零が軽く足を伸ばし、転がってきたボールを止めた。

 

普通なら、それで遊びは終わる。

 

だが、零はそのまま動かなかった。

 

「はい」

 

零は足元のボールを“那珂”の方へ軽く蹴った。

 

強すぎない。

速すぎない。

“那珂”が少し頑張れば取れるくらいの速度。

 

“那珂”は両手でそれを受け止めた。

 

「取った!」

 

「今のは零が取らせてくれたんじゃないかな」

 

“阿武隈”が小さく笑う。

 

「いいの! 取ったの!」

 

“那珂”は胸を張る。

 

“川内”が零を見る。

 

「零、本気出してないでしょ」

 

「出したら遊びにならない」

 

零が真顔で答える。

 

「それはそう」

 

“川内”は納得した。

 

零が本気で動けば、この部屋の広さでは誰も追いつけない。

そもそも彼は、深海棲艦の下位個体を素手で破壊できる存在である。

そんな相手が本気でボール遊びをすれば、遊具も壁も無事では済まない。

 

だから、零は手加減していた。

 

走る速度も。

投げる力も。

受け止める動きも。

 

それでも、四人にとっては十分に速い。

 

「次、阿武隈ね!」

 

“川内”がボールを放る。

 

“阿武隈”は反応した。

だが、ボールが壁に跳ねた瞬間、彼女の肩が小さく震えた。

 

ただの反射音だった。

 

柔らかい素材に当たっただけの、軽い音。

爆発でも、砲撃でもない。

 

それでも、“阿武隈”の身体は一瞬だけ固まった。

 

ボールが足元を転がっていく。

 

「あ……」

 

“阿武隈”が小さく声を漏らす。

 

運動室の空気が、少しだけ止まった。

 

零はそのボールを拾わなかった。

“川内”も、急かさなかった。

“神通”は一歩近づきかけて、そこで止まった。

 

“那珂”が、ゆっくりと“阿武隈”の横へ行く。

 

「阿武隈、大丈夫?」

 

“阿武隈”は目を伏せた。

 

「……うん。大丈夫」

 

そう言う声は、少しだけ震えていた。

 

呉から戻ってきてから、何度かこういうことがあった。

大きな音。

焦げた匂い。

急に開く自動扉。

訓練区画から響く金属音。

 

それらが、“阿武隈”をあの日へ引き戻す。

 

瓦礫。

炎。

黒煙。

砲口。

目の前で消えた護衛の艦娘たち。

 

忘れられるはずがなかった。

 

小林長官と田村参謀長を喪ったのは、“阿武隈”だけではない。

“川内”も、“神通”も、“那珂”も同じだった。

だが、“阿武隈”はそれに加えて、自分を守ろうとして死んだ先輩艦娘たちを、目の前で見ている。

 

心の傷が癒えたとは、とても言えなかった。

 

零はボールを拾い、静かに言った。

 

「休む?」

 

“阿武隈”は首を横に振る。

 

「……もう少し、遊ぶ」

 

「無理しなくていい」

 

「無理じゃない」

 

“阿武隈”は、少しだけ零を見る。

 

「あたし、動いてた方がいい」

 

その言葉に、零は小さく頷いた。

 

「分かった」

 

遊びは再開した。

 

けれど、さっきより少しだけ静かになった。

 

誰も無理に明るくはしない。

だからといって、黙り込むわけでもない。

 

“川内”がわざと大きく転び、“那珂”が笑う。

“神通”が呆れながら手を貸す。

“阿武隈”が少しずつ表情を戻す。

零は、全員の動きを見ながら、強すぎないように、速すぎないように、ただそこにいる。

 

 

 

しばらくして、妖精が飲み物を持ってきた。

 

「休憩だって」

 

“川内”が真っ先に座り込む。

 

「……はあ、疲れた!」

 

「一番走り回ってましたから」

 

“神通”が隣に座る。

 

“那珂”はボールを抱えたまま、床にぺたりと座った。

“阿武隈”も、その横に腰を下ろす。

零は少し離れた場所に座ろうとしたが、“阿武隈”が袖を掴んだ。

 

「こっち」

 

「うん」

 

零は素直に、四人の近くへ座った。

 

紙パックの飲み物を受け取り、しばらく誰も話さなかった。

窓の外では、夏の光が揺れている。

遠くから、整備区画の低い機械音が聞こえた。

 

最初に口を開いたのは、“川内”だった。

 

「……小林さんさ」

 

その名前に、全員の視線が向く。

 

“川内”は紙パックを両手で持ったまま、少しだけ笑った。

 

「私が夜に訓練したいって言うと、いっつも駄目って言ったよね」

 

“神通”が頷く。

 

「まだ早い、と言っていました」

 

「そうそう。夜戦は大事だって言ったら、まず昼にちゃんと走れるようになれって」

 

“川内”は口を尖らせる。

 

「ひどくない?」

 

「正しいと思います」

 

“神通”が即答した。

 

「神通まで!」

 

“那珂”が少し笑った。

 

「でも、小林さん、川内のことちゃんと見てたよね。夜戦夜戦って言うと怒るけど、訓練の後はいつも褒めてた」

 

“川内”は一瞬だけ黙る。

 

「……うん」

 

その声は、少しだけ小さかった。

 

“神通”は紙パックを見つめながら言った。

 

「田村さんは、予定をよく確認してくれました。訓練が続きすぎていないか、食事は取れているか、眠れているか。私たちが大丈夫と言っても、あまり信用してくれませんでした」

 

「それ、神通が大丈夫って言いながら無理するからじゃん」

 

“川内”が言う。

 

“神通”は否定しなかった。

 

「……そうかもしれません」

 

“阿武隈”は、自分の膝を見ていた。

 

「阿武隈?」

 

零が声をかける。

 

“阿武隈”は少しだけ顔を上げた。

 

「あたし、小林さんに、焦らなくていいって言われたことある」

 

「焦らなくていい?」

 

“那珂”が聞く。

 

“阿武隈”は頷く。

 

「艤装がまだなくて、みんなより遅れてる気がして……早く実戦に出られるようにならなきゃって言ったら、小林さんが怒った」

 

“阿武隈”は小さく息を吐く。

 

「子供が戦場に出ることを急ぐなって。戦う力があることと、戦場に出ていいことは違うって」

 

零は、その言葉を黙って聞いていた。

 

胸の奥が、少しだけ痛む。

 

それは、自分にも向けられているような言葉だった。

 

“阿武隈”は続ける。

 

「でも、その後で言ってくれた。阿武隈は阿武隈の速さでいいって。ちゃんと強くなるからって」

 

そこで、彼女の声が途切れた。

 

「……あたし、まだ何も返せてない」

 

誰も、すぐには答えられなかった。

 

小林はもういない。

田村もいない。

呉のあの日、二人は帰ってこなかった。

 

返したくても、返せない。

 

それが、ここにいる全員の胸に残っている。

 

“那珂”が、膝の上で指を握った。

 

「那珂はね」

 

少しだけ、声が明るかった。

けれど、その明るさは作ったものではない。

泣かないために、いつもの調子へ戻ろうとしている声だった。

 

「小林さんと田村さんに、よく艦の話を聞いた」

 

“川内”が顔を向ける。

 

「那珂の話?」

 

「うん。ミサイル巡洋艦の「那珂」の話」

 

“那珂”は少し照れたように笑う。

 

「二人とも、その「那珂」のことが好きだって。愛艦って言ってた」

 

「だから那珂には甘かったんですね」

 

“神通”が言う。

 

「やっぱり?」

 

“那珂”が目を丸くする。

 

“川内”は即答した。

 

「うん。那珂には甘かった」

 

「そんなことないもん!」

 

「あるよ。那珂が何かすると、小林さん、顔が緩んでたし」

 

“阿武隈”も小さく頷く。

 

「田村さんも、那珂を見る時だけちょっと優しかった」

 

「ええー……」

 

“那珂”は困ったように頬を膨らませた。

けれど、嫌そうではなかった。

 

むしろ、その記憶を大事そうに抱えているように見えた。

 

「それでね」

 

“那珂”は少しだけ姿勢を正す。

 

「二人とも、昔のアイドルの話もしてた」

 

「アイドル?」

 

零が聞き返す。

 

“那珂”は頷いた。

 

「うん。ソロで歌って踊るタイプの、昔のアイドル。テレビの映像とか、古い録画とか、こっそり見せてくれた」

 

「こっそり?」

 

“神通”が眉を寄せる。

 

「だって、訓練時間じゃなかったし」

 

“那珂”は少しだけ目を逸らした。

 

「でも、小林さんが、那珂にはこういうのも似合うかもなって。田村さんも、那珂は人を笑顔にできる子だって言ってくれた」

 

その言葉を口にした瞬間、“那珂”の表情が揺れた。

 

人を笑顔にできる子。

 

そう言ってくれた人たちは、もういない。

 

“那珂”は、少しだけ目を伏せる。

けれど、すぐに顔を上げた。

 

「だから、那珂、覚えてる」

 

そう言って、彼女は立ち上がった。

 

“川内”が首を傾げる。

 

「何を?」

 

「歌と踊り」

 

“那珂”はボールを床に置き、少し離れた場所に立つ。

 

「小林さんと田村さんが好きだったやつ。全部は覚えてないけど、ちょっとだけ」

 

“神通”が少し不安そうに見る。

 

「無理しなくても」

 

「無理じゃないよ」

 

“那珂”は笑った。

 

その笑顔は、まだ少し頼りない。

けれど、ちゃんと自分で立とうとしている笑顔だった。

 

「那珂、やる」

 

そう言って、彼女は両手を胸の前で握った。

 

最初の一歩は、少しぎこちなかった。

 

足の向きが違う。

手の角度も曖昧。

リズムも少しずれている。

 

けれど、“那珂”は真剣だった。

 

古い映像で見た振り付けを思い出しながら、懸命に身体を動かす。

口元が小さく動く。

歌詞は曖昧で、ところどころ途切れる。

音程も安定していない。

 

それでも、彼女は歌おうとしていた。

 

“川内”は最初、笑いかけた。

だが、すぐに笑えなくなった。

 

“神通”は静かに見ている。

“阿武隈”は、膝の上で手を握っていた。

零も、黙って“那珂”を見ていた。

 

その歌は、小林と田村が好きだった歌だった。

 

少なくとも、最初は。

 

だが、途中から少しずつ違っていった。

 

“那珂”が覚えていない部分を、彼女自身の言葉にならない音が埋める。

見よう見まねの振り付けが、少しずつ彼女自身の動きへ変わっていく。

誰かの真似だったものが、ぎこちなくても、“那珂”のものになっていく。

 

 

 

零は、その姿を見ながら、ふと思い出した。

 

“那珂”が建造された時のこと。

 

正確には、建造されるはずだった最初の時のこと。

 

……あの時は失敗した。

 

妖精たちが首を傾げ、希空が記録を見直し、秋吉が眉間に皺を寄せていた。

建造釜から出てきたのは、艦娘ではなかった。

 

燃料:約2kg。

砲弾:4発。

鋼材:約11kg。

 

零は、その数字をなぜか覚えていた。

 

小さな失敗。

誰かが笑って流してもおかしくない記録。

だが、それは“那珂”が生まれる前に残した、最初の痕跡のようにも思えた。

 

零は、ぼそりと呟いた。

 

「───2-4-11」

 

“那珂”の動きが止まった。

 

「え?」

 

“川内”が零を見る。

 

「何それ」

 

零は少しだけ考える。

 

「那珂が建造される前に、釜から出てきたもの」

 

「え、何が?」

 

“那珂”が聞く。

 

「燃料約2kg。砲弾4発。鋼材約11kg」

 

零は真面目に答えた。

 

“川内”が吹き出した。

 

「それ失敗じゃん!」

 

“那珂”の頬が赤くなる。

 

「失敗じゃないもん!」

 

「いや、それは失敗だよね?」

 

“阿武隈”が少しだけ笑った。

 

“神通”も口元を押さえている。

 

“那珂”はむっとして零を見た。

 

「零くん、それ覚えてたの?」

 

「うん」

 

「なんで?」

 

「覚えてたから」

 

「理由になってない!」

 

久しぶりに、運動室に笑い声が響いた。

 

完全な笑いではない。

まだ、どこかに痛みは残っている。

小林と田村のことを思い出せば、胸は締めつけられる。

呉のことは、誰の中でも終わっていない。

 

それでも、笑えた。

 

“那珂”はしばらく頬を膨らませていたが、やがて小さく呟いた。

 

「にー、よん、いちいち……」

 

零が首を傾げる。

 

“那珂”は、言い方を変えてもう一度呟く。

 

「つー、ふぉー、いれぶん」

 

今度は少しだけリズムがついた。

 

“川内”が笑う。

 

「何それ、歌にするの?」

 

“那珂”は一瞬だけ考えた。

 

「……できるかも」

 

「できるんですか?」

 

“神通”が驚く。

 

「分かんない。でも、なんか、言いやすい」

 

“那珂”は指で小さく拍子を取る。

 

「つー、ふぉー、いれぶん。つー、ふぉー、いれぶん」

 

それは歌と呼ぶには、まだあまりにも拙かった。

 

ただの数字。

ただのリズム。

失敗した建造記録を、子供が面白がって口ずさんでいるだけ。

 

けれど、“那珂”の声には、少しだけ熱があった。

 

小林と田村が好きだった歌。

二人が笑って見せてくれた古いアイドルの映像。

「人を笑顔にできる子」だと言ってくれた言葉。

そして、自分自身が生まれる前の、小さな失敗の記録。

 

それらが、少しずつ混ざっていく。

 

“那珂”は、たどたどしく手を動かした。

さっき真似した振り付けとは違う。

でも、どこか似ている。

誰かの真似から始まった動きが、少しずつ“那珂”自身のものになっていく。

 

「つー、ふぉー、いれぶん……」

 

声は小さい。

音程も定まらない。

歌詞と呼べるほどのものもない。

 

それでも、“那珂”は歌っていた。

 

“阿武隈”が、目元を拭った。

 

泣いているのか、笑っているのか、自分でも分からないような顔だった。

 

“川内”は膝を抱えて、少しだけ笑っている。

“神通”は静かに、“那珂”を見守っていた。

 

零は、その場に座ったまま、耳を澄ませる。

 

“那珂”の歌は、まだ未完成だった。

形もない。

名前もない。

誰かに聞かせるためのものですらない。

 

けれど、その歌を聞いている間だけ、運動室の空気は少しだけ軽くなった。

 

小林はいない。

田村もいない。

呉で失われたものは戻らない。

“阿武隈”の目の前で消えた先輩艦娘たちも、帰ってこない。

 

それでも、そこには歌があった。

 

失敗の数字から生まれた、たどたどしいリズム。

喪われた人たちの思い出からこぼれ落ちた、小さな声。

 

それはまだ、誰かを救うには弱すぎる歌だった。

 

けれど、その日。

 

“那珂”は初めて、誰かの前で歌った。

 

 

 

 

 

続く





あ と が き

まだ“那珂”に持ち歌はありません。

でも、“那珂”ちゃんは、いつか───。


次回 年下の長兄
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