恐怖のボスラッシュ。
北方海域へ向かう「建御雷」の艦橋では、途切れることなく新しい情報が入っていた。
北海道東方からオホーツク海にかけて、深海棲艦の活動が急激に活発化している。確認されている下位個体だけでも相当な数に達していたが、それらは散発的に沿岸へ向かっているわけではなかった。
複数の群れが、まるで何かに引き寄せられるように、一つの海域へ集まりつつある。
「また随分と集めたな……」
海図へ次々と追加される敵性反応を見ながら、海斗が眉を寄せる。
数が多いこと自体は初めてではない。これまでにも第二特務艦隊は大規模な深海棲艦群と幾度となく戦ってきたし、呉襲撃事件のように上位個体を伴った攻勢も経験している。
だから、目の前の情報だけで恐慌に陥る者はいなかった。
「通常艦隊だけじゃないみたいね」
隣で情報を追っていた美香が言う。
「分かるのか?」
「動きがおかしい。普通の深海棲艦だけなら、もう少しバラけるでしょ?」
海斗も同じことを感じていた。
ただ数を揃えただけの攻勢にしては、統制が取れ過ぎている。複数の群れが別々の方向から接近しているにもかかわらず、速度も進路も、どこか一つの意図へ従っているように見えた。
「上がいるな」
「でしょうね」
海斗は短く息を吐き、通信系統を開く。
「第二特務艦隊各艦へ。敵上位個体の存在を想定して警戒を厳とせよ。特に単独で突出するな。これまで通り、複数で一体を抑える」
返答が次々と返ってくる。
“出雲”、“磐手”、そして今も第二特務艦隊に残っている第一世代艦娘たち。
数は減った。傷も増えた。
それでも彼女たちは、これまで幾つもの戦場を生き残ってきた者たちだった。
上位個体が一体や二体混ざっている程度なら、戦えないわけではない。
最初に敵影を捉えたのは、艦隊前方へ展開していた哨戒部隊だった。
「敵艦隊確認! 数、多数!」
艦橋へ緊迫した声が響き、海斗が身を乗り出す。
「詳細!」
「駆逐艦級、軽巡級多数! 重巡級も確認……まだ増えます!」
海面を埋めるように、黒い影が次々と現れていく。
一体一体なら珍しくもない下位個体。しかし、その密度が異常だった。
第二特務艦隊も即座に展開し、「建御雷」を中心とする陣形を組む。砲塔が旋回し、ミサイル発射機へ目標情報が送られ、艦娘たちもそれぞれの艤装を展開していった。
そこまでは、いつもの戦闘と変わらない。
「敵上位個体らしき反応!」
その報告で、艦橋の空気が僅かに変わった。
「何体だ?」
「一……いえ、二!」
二体。
それでも、まだ想定の範囲内だった。
「待ってください、三体目確認!」
今度こそ、空気が固まる。
「三?」
「さらに反応! 四……五───」
報告していた隊員の声が止まった。
海斗も言葉を失う。
大型モニター上では、通常個体とは明らかに異なる反応が、次々と識別されていた。
そして目視可能な距離まで近付いた時、それが機器の誤認ではないことが分かった。
先頭付近にいる一体は、知っている。
白い肌。
巨大な異形艤装。
そして、通常の深海棲艦とは比較にならない砲火力を持つ上位個体。
“戦艦棲姫”。
過去にも幾度となく人類側と交戦し、自らそう名乗った存在だった。
少し離れた位置には、もう一つ見覚えのある姿がある。
「……あれ、空母棲鬼か?」
海斗の声には確信が無かった。
顔立ちや特徴には覚えがある。しかし、姿が違う。以前とは異なる艤装を纏い、漂わせる圧力そのものまで明らかに増している。
「似てる……でも、違い過ぎない?」
「別個体って可能性は?」
「分からん」
そう答えるしかなかった。
さらに別の報告が飛ぶ。
「重巡級上位個体を確認! 呉襲撃時の個体と一致します!」
“重巡棲姫”。
その名は、呉で彼女自身が口にしたものを零が戦闘中に聞き、戦闘後に報告していたため、人類側も把握している。
これで三体。
それだけでも、十分に異常だった。
だが、本当の問題はその後ろにいた。
見たことのない上位個体がいる。
それも、一体や二体ではない。
異様なほどの対空兵装を纏った、小柄な駆逐艦級と思しき個体。その近くには、同じく駆逐艦級と推測される別の個体が一体。
さらに軽巡洋艦級らしき二体が、奇妙なほど近い距離を保ちながら並走している。
その奥には、水上機母艦、あるいは航空巡洋艦に近い性質を持つと思われる上位個体が二体。
知っている三体を含めれば───
九体。
「……九?」
誰かが呟いた。
海斗は答えなかった。
答えようがなかった。
これまで姫級や鬼級と呼んできた存在は、一体だけでも通常の深海棲艦とは明確に別物だった。
そんな存在が九体も、同じ戦場にいる。
「海斗」
美香の声が低くなる。
「これ、まずいなんてもんじゃないわよ」
「ああ」
海斗にも分かっていた。
これまでの常識なら、上位個体一体へ複数の艦娘を当て、「建御雷」や通常戦力が援護する。
一対一で勝つ必要はない。
包囲し、牽制し、削り、隙を作り、全体で一体を倒す。
それが人類側の対上位個体戦術だった。
だが、九体を同時に相手取ることなど、その戦術は最初から想定していない。
最初の砲声が海上へ響くより早く、空でも戦闘が始まった。
第二特務艦隊からの緊急要請を受け、北海道方面の国防空軍部隊が既にこちらへ向かっている。
低空を高速で進入してきたF-2AS/BS。そのさらに上空にはF-15Jが展開し、艦隊から少し離れた空域で編隊を組み替えると、深海棲艦側航空戦力への攻撃態勢に入った。
「航空支援、入りました!」
「よし、上位個体の航空戦力を───」
海斗が言い終えるより先に、空の様子が変わった。
最初のミサイルが発射される。
続いて二発、四発。さらに後方の機体からも中距離空対空ミサイルが放たれ、海上を越えて敵航空隊へ向かっていった。
だが、届かない。
深海棲艦側航空機へ到達するより先に、次々と空中で爆発した。
「何だ!?」
レーダー画面が一気に騒がしくなる。
敵側から放たれた火線。迎撃弾。深海棲艦側航空機の機動。
その中心にいるのは、先程確認した小柄な上位個体だった。
全身と言っていいほどの対空兵装を纏い、接近するミサイルを次々と撃ち落としている。
「駆逐艦級……なのか、あれ?」
判別すら怪しい。
それでも、一つだけははっきりした。
あの個体が、航空隊を止めている。
F-2ASが高度を下げ、海面近くから攻撃経路を取る。
上空のF-15Jは大きく回り込み、別方向から敵航空戦力を引き剥がそうとした。
しかし、どちらにも砲火が届いた。
ただ闇雲に撃ち上げているのではない。
侵入方向を先回りするように弾幕が形成され、そこへミサイルまで重ねられる。攻撃態勢へ移ろうとした機体だけを狙い澄ましたように、次々と進路を潰していった。
一機のF-2ASが激しく機体を捻り、迫る火線を辛うじてかわす。
直後、翼端近くで迎撃弾が炸裂した。
「被弾した!」
『まだ、まだ行ける!』
姿勢を崩しながらも、完全な撃墜には至っていない。
パイロットは機体を立て直し、僚機に守られながら戦域を離脱する。
別方向ではF-15Jが一機撃墜され、脱出したパイロットのビーコンが海上に灯った。
それでも、空軍部隊は退かなかった。
敵を倒せていないからといって、何もしていないわけではない。
敵機へ回避を強制し、こちらへ注意を向けさせる。
海面の艦隊へ向かう攻撃を一つでも減らすため、自分たちに出来ることを続けていた。
そこへ、新しい通信が割り込む。
『第二特務艦隊、聞こえるか!』
海斗が振り返った。
「この声……」
『大湊第五艦隊所属、「飛龍」航空隊だ。これより戦闘空域へ入る!』
美香が目を見開く。
「第五艦隊まで?」
少なくとも、海斗が受け取っている増援情報に「飛龍」の名は無かった。
事情を聞く暇もないまま、北から新たな機影が現れる。
F/A-18EJ/FJ。
大湊から出た「飛龍」より発艦した、国防海軍航空隊だった。
『空軍だけにやらせるな。艦娘が戦ってるんだ、こっちも行くぞ!』
明らかに現場判断の匂いが強い。
しかし、今の海斗に文句を言う理由はなかった。
「助かる! 敵航空戦力の排除を頼む!」
『了解!』
F/A-18EJ/FJが低空へ降り、F-2AS/BSと挟み込むように突入する。
その瞬間だけは、人類側の航空戦力が押し返した。
深海棲艦の航空機が回避へ移り、そのうち数機が撃墜される。
だが、例の小柄な上位個体は空を見上げ、新たに飛来した機体を眺めると、僅かに首を傾げた。
探していたものが、いない。
「……アノ空母ハ?」
返事は無い。
彼女が待っていたのは、今飛んできた戦闘機ではなかった。
これまで幾度も深海棲艦の航空隊を阻み、その搭乗員たちと共に戦ってきた空母艦娘。
───“鳳翔”。
だが、今回の第二特務艦隊に彼女はいない。
「……イナイノ?」
少しだけ、つまらなそうな声だった。
とはいえ、目の前には代わりがいる。
空軍のF-2AS/BSとF-15J。
そして、「飛龍」から来たF/A-18EJ/FJ。
「……マァ、イイカ」
次の瞬間、再び空が火線で埋まった。
人類側航空隊は崩れなかった。
一機、また一機と損害を出しながらも編隊を維持し、負傷機を逃がし、脱出した搭乗員の位置情報を救難部隊へ送り続けている。
しかし───攻撃が通らない。
対艦ミサイルを撃てば迎撃される。
誘導爆弾を投下出来る距離まで近付こうとすれば、侵入経路そのものを火力で潰される。
戦闘機同士の空戦なら戦える。敵航空機も落とせる。
それでも、第二特務艦隊を襲う上位個体へ有効な攻撃を通すことが出来ない。
「くそっ……!」
海斗がモニターを睨む。
航空支援は来ている。
確かに、来ている。
それでも、艦隊を救うための火力を届かせられない。
しばらく航空隊を相手にしていた小柄な上位個体は、人類側がこれ以上攻撃を通せないと判断したのか、それ以上深追いしなかった。
逃げる航空機をわざわざ追い回すこともなく、海面へ視線を落とす。
そこでは既に、別の上位個体たちが動き始めていた。
駆逐艦級と思われる個体。
軽巡級と推測された二体。
その三体が、第二特務艦隊の戦列へ一気に食い込んでいく。
小柄な上位個体は少し考えるようにそちらを眺めた後、彼女たちの方へ向かった。
「右舷! 軽巡級上位個体!」
“磐手”が叫び、海面を蹴る。
直後まで彼女がいた場所へ砲弾が突き刺さり、巨大な水柱が上がった。
水飛沫を突き抜けた先に、別の影がいる。
「っ!?」
駆逐艦級と思われる未知の上位個体。
異様な速度で接近してきたその個体が砲撃し、“磐手”は咄嗟に身体を捻った。
避け切れない。
砲弾が艤装の一部を削ぎ飛ばす。
「磐手!」
“出雲”の主砲が火を噴いた。
未知の駆逐艦級が即座に回避し、その隙に“磐手”が距離を取る。
しかし、“出雲”がそちらへ意識を向けた瞬間、今度は別方向から重い砲撃が飛んできた。
「っ!」
海面を蹴ってかわす。
砲弾がすぐ脇へ着弾し、水面を抉った。
撃ったのは、“重巡棲姫”。
「次から次へと……!」
“出雲”が主砲を向ける。
本来なら、ここで複数の艦娘が“重巡棲姫”へ火力を集中する。
しかし、それが出来ない。
“出雲”を援護しようと動いた艦娘の前へ、水上機母艦級と思われる未知の上位個体が割り込む。
別の場所では“戦艦棲姫”が砲撃を開始し、その上空では以前“空母棲鬼”と名乗った個体に酷似した存在が航空攻撃を仕掛けていた。
単に敵が多いのではない。
どこへ戦力を集めても、その横から別の上位個体が来る。
「一体ずつ抑えろ!」
海斗が叫ぶ。
「チームを崩すな! 一体につき最低三───」
そこで、言葉が止まった。
三人ずつ、九体。
最低でも二十七人。
今の第二特務艦隊に、そんな余裕など無い。
そもそも下位個体が消えたわけでもなく、上位個体の周囲には通常の深海棲艦が大量にいる。
「……無理だ」
誰かが呟いた。
海斗にも聞こえた。
否定出来なかった。
直後、一人の艦娘が軽巡級らしき上位個体の砲撃を受け、艤装を吹き飛ばされて海面へ叩き付けられた。
「救助!」
「建御雷」から救命艇が出る。
だが、その方向へ下位個体が向かい、別の艦娘が割って入って砲撃で押し返す。
その瞬間だった。
背後から駆逐艦級の上位個体が飛び込んでくる。
「後ろ!」
遅い。
凄まじい衝撃を受けた艦娘の身体が海面を何度も跳ね、そのまま動かなくなった。
味方識別反応が、一つ消える。
「……っ!」
海斗の拳が強く握られた。
一体へ集中すれば、その横から別の上位個体が来る。
距離を取れば砲撃型に狙われる。
航空攻撃を受ければ空の味方へ援護を求めたいのに、その航空隊は対空戦闘へ特化した未知個体によって封じられている。
前へ出れば撃たれる。
退けば追われる。
集まれば砲撃を受け、散れば各個撃破される。
第二特務艦隊がこれまで積み上げてきた戦い方は、間違っていなかった。
ただ、その前提となる敵の数が、完全に壊されていた。
同じ頃。
北海道の艦娘技術研究所では、戦場から送られてくる情報を希空が食い入るように見つめていた。
モニター上には、大破、通信途絶、行動不能。
損害情報が並び、その数が増えるたび、室内の空気が重くなる。
「……九体?」
希空の声は低かった。
「上位個体だけで?」
「推定です。名称が判明しているのは三体のみ。残りは全て未知個体です」
報告を聞きながら、希空は歯を食いしばった。
零も隣にいた。
その表情は、既に普段の子供らしいものではない。
「姉さん」
「分かってる」
返事は早かった。
考えるまでもない。
第二特務艦隊には“出雲”がいる。“磐手”がいる。
海斗も、美香も。
今この瞬間も戦っている。
「星雲を出す」
室内の人間が一斉に動いた。
かつて呉で使った方法。
戦略偵察機「星雲」へ零を乗せ、高速で戦場まで運び、上空から直接投入する。
通常の輸送機より遥かに速く、現地へ着陸させる必要もない。
零なら、戦場の真上へ直接落とせる。
「機体準備、最優先。燃料は?」
「即時発進可能です!」
「零、装備は?」
「いける」
答えながら、零はもう動き始めていた。
「ダメだ」
低い声が響いた。
秋吉だった。
希空が振り返る。
「何?」
「星雲は出すな」
一瞬、誰もその意味を理解出来なかった。
希空だけが、すぐに表情を変える。
「……今、何て?」
「出すなと言った」
「二特艦が潰されかけてるんだよ」
「ああ」
「なら───」
「呉と同じだ」
その一言で、希空の言葉が止まった。
秋吉はモニターへ目を向ける。
異常な数の深海棲艦。
九体もの上位個体。
追い詰められている第二特務艦隊。
そして、ここにいる零。
「呉で零をどうやって送り込んだ?」
誰も答えない。
答えは全員が知っている。
───「星雲」。
「敵が知らないと思うか?」
希空の目が細くなる。
「……まさか」
「反艦娘派の連中だよ。国防軍の中にもいるらしいって話は、もう出てるだろ?」
秋吉は海図へ視線を向ける。
「そいつらがどこまで深海棲艦と繋がってるかは分からない。呉の記録をどこまで見られるかも分からない。だけど、零が突然戦場へ現れたことも、星雲から降下したことも、知られている可能性はある」
希空の表情が険しくなる。
「研究所の場所はまだ掴めてない。だから、探してる?」
「可能性はある」
秋吉の声が低くなる。
「二特艦を追い詰めれば、零が助けに出てくる。“呉と同じ方法”で」
希空は何も言わなかった。
断定は出来ない。
反艦娘派が深海棲艦と繋がっているという確証も、まだ無い。
それでも、否定するには状況が出来過ぎていた。
研究所そのものを探すのではなく、零を研究所から引っ張り出す。
もし本当にそれが狙いなら、「星雲」がここから飛び立った時点で発進地点を追われ、研究所の所在を教えることになりかねない。
「……なら」
零が口を開く。
「俺だけワープする」
希空が振り向いた。
確かに出来る。
「星雲」を使わず、零だけを戦場へ送り込むこと自体は不可能ではない。
だが、秋吉は首を横へ振った。
「それもダメだ」
「何で」
「出た先で、何体相手にするつもりだ」
零が黙った。
九体。
上位個体だけで、それだけいる。
さらに大量の下位個体まで存在する。
ワープそのものは一瞬だ。
移動だけを考えれば、これ以上便利な方法はない。
だが、到着した瞬間から戦闘になる。
敵味方が入り乱れる戦場へ単独で飛び込み、状況を把握する間もなく九体もの上位個体に認識されれば、その全てを相手取ることにもなりかねない。
「一人であれ全部相手にして、二特艦まで守れるのか?」
秋吉の問いに、零は答えられなかった。
強い。
零は確かに強い。
それでも、万能ではない。
まして、今はまだ。
「それに、敵がどこまで見てるか分からない」
秋吉が続ける。
「ワープなら絶対に安全だって保証もない。零が戦場へ出れば、少なくとも向こうは『零が出てきた』ことを知る。そこから何を拾われるか、どんな観測手段を持ってるかも分からない」
通信。
エネルギー反応。
出現前後の僅かな異常。
こちらが知らない観測手段。
分からないからこそ、研究所そのものを賭けることは出来なかった。
「……くそ」
零の拳が震える。
目の前では、助けを必要としている人たちがいる。
行ける。
移動するだけなら、行ける。
それなのに、行った先で守り切れる保証がなく、行くこと自体が別の人間を危険へ晒すかもしれない。
力があるのに、使えない。
希空も黙ったままモニターを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「星雲、発進中止。零も待機」
室内が静まる。
「姉さん」
「分かってる」
希空は零を見なかった。
「分かってるから」
それ以上は言えなかった。
発進準備を止められた「星雲」の機影が、別のモニターに映っている。
希空はしばらくそれを見ていた。
やがて、誰へ向けるでもなく呟く。
「……見えないところを通れれば」
秋吉が彼女を見る。
希空自身も、それ以上は続けなかった。
ただ、頭の中には既に一つの機能が浮かんでいる。
最初からタキオンドライヴに存在するもの。
今はまだ、零を実戦へ送り出す移動手段としてまともに使っていない機能。
通常空間から外れ、亜空間へ潜る。
外から姿を捉えられないまま移動する。
「……すぐにでも、訓練増やすから」
希空が小さく呟いた。
零には、その意味がまだ分からなかった。
戦場では、さらに一人が倒れていた。
「建御雷」の周囲には救助された艦娘が増え、自力航行出来る者もいれば、出来ない者もいる。
出血している者。
意識を失っている者。
それでもまだ、海上には拾い切れていない者が残っていた。
「海斗!」
美香の声が響く。
「これ以上は無理!」
海斗にも分かっていた。
既に、敵を倒すことを考えている段階ではない。
今は、一人でも多く帰す。
それしかない。
「全艦、撤退! 生存者を回収しつつ南下する! 動ける艦娘は建御雷周囲へ集結! 深追いするな!」
命令が飛び、艦娘たちが後退を始める。
深海棲艦側も、それを見逃さない。
軽巡級の未知個体二体が追う。
その後ろから駆逐艦級が続き、少し遅れて、航空戦力を封じ終えた小柄な上位個体まで合流した。
「追撃来る!」
「分かってる!」
“磐手”が振り向きざまに砲撃する。
だが、数が多い。
一体を止めても、次が来る。
そのさらに後ろには“戦艦棲姫”、“重巡棲姫”、そして変貌した“空母棲鬼”らしき存在までいる。
まだいる。
まだ来る。
「このままじゃ、建御雷が捕まる……!」
誰かが言った。
海斗も同じことを考えていた。
「建御雷」には多数の負傷者が乗っている。
自力で戦えない艦娘もいる。
ここで沈むわけにはいかない。
しかし、このままでは追撃を振り切れない。
その時だった。
「磐手」
通信に、“出雲”の声が入る。
「何?」
「建御雷の護衛をお願い」
一瞬、“磐手”には意味が分からなかった。
「……何言ってるの?」
「聞こえなかった?」
“出雲”の声は、妙に静かだった。
「建御雷を守って」
“磐手”の表情が変わる。
「待って」
「行って」
「出雲」
「早く」
“磐手”が速度を落とそうとする。
その瞬間、“出雲”の声が強くなった。
「磐手!」
思わず、“磐手”の動きが止まる。
「司令官たちをお願い」
「嫌だよ」
「お願い」
「嫌」
まるで子供のような返事だった。
それでも、“出雲”は笑わなかった。
怒りもしない。
「今、磐手まで残ったら意味がないでしょ」
「だったら二人で───」
「二人残ったら、建御雷を誰が守るの」
“磐手”は言葉に詰まった。
「建御雷」には、多くの負傷者がいる。
自力で戦えない艦娘もいる。
そして、追撃してくる敵は一体ではない。
「行きなさい」
「……出雲」
「行け!」
砲声が重なる。
もう、会話を続けている時間など無かった。
“出雲”が進路を反転させる。
“磐手”は───反転出来なかった。
出来るはずなのに。
身体を向ければ、追えるはずなのに。
それでも、「建御雷」の横を離れることが出来ない。
「……馬鹿」
絞り出すような声が漏れる。
「大馬鹿……!」
返事は無い。
“出雲”は、もう前を向いていた。
「建御雷」と“磐手”、そして生き残った艦娘たちは南へ向かっている。
その流れに、ただ一人逆らう影があった。
“出雲”。
前方には、名を知っているだけでも“戦艦棲姫”、“重巡棲姫”、そして姿を変えた“空母棲鬼”らしき個体がいる。
さらに、その周囲には名前すら知らない上位個体たち。
勝てるなどとは思っていない。
倒し切れるとも考えていない。
やることは一つだけ。
あいつらが「建御雷」を追えなくなるまで、ここに止める。
“出雲”は静かに息を吐いた。
背後へ遠ざかっていく仲間たちを、一度だけ振り返る。
それから正面へ向き直った。
───艤装が開く。
主砲が、追いすがる姫・鬼級へ向いた。
続く
あ と が き
“出雲”の運命や如何に。
次回 機関臨界