進歩したが故に。
“出雲”を横須賀から運び出すにあたり、最初に動いたのは、彼女を搬送する人間ではなかった。
横須賀から離れた場所に設けられた、艦娘技術研究所の地下ドック。
研究所本体からも相応の距離があり、地上から見れば、独立した国防海軍の施設にしか見えない。実際、通常の出入口や運用区画をいくら調べたところで、研究所へ辿り着くことは出来なかった。
本当のアクセス経路は、さらに奥の秘匿区画に隔離されている。
研究所の存在を隠したまま、人員や物資を出入りさせるための施設。外部から監視されることを前提に、見せても構わない部分と、絶対に見せてはならない部分を徹底して分離した構造だった。
その巨大な地下空間で、三隻の潜水艦が静かに動き始めていた。
「伊-480」「伊-481」「伊-482」。
希空製核融合炉を搭載する伊-480型潜水艦である。
いずれも通常の潜水艦とは一線を画する規模と性能を持ち、もはや水中主力艦と呼んだ方が実態に近い。そんな三隻が、ほぼ同時に出港準備へ入っていた。
さらに、その傍ではもう一隻、古い駆逐艦が機関を始動している。
「雪風」。
かつての陽炎型駆逐艦であり、中華民国海軍の「丹陽」としても長く運用された後、日本へ帰還した記念艦兼練習艦。
既に艦齢は相当なものだったが、幾度もの改修によって今なお航行能力を維持している。近年では、希空が開発を進める艦艇用統合制御システムの実験艦としても、重要な役割を担っていた。
もっとも、今日の「雪風」は少々様子が違っていた。
艦橋にも、機関室にも、操舵室にも。
乗員の姿が、どこにも無かったのである。
それでも機関出力は上がり、各部の状態が確認され、出港準備は滞りなく進んでいく。
岸壁側の設備によって係留索が外されると、「雪風」はゆっくりと動き始めた。
『……お願い、雪風』
地下ドックの管制室。
希空は通信回線を開き、静かに呼び掛けた。
『今日はちょっとだけ、自分で動いてみて。前みたいに、手伝ってくれる?』
返事は無かった。
無線機の向こうに、誰かが座っているわけではない。艦内の各種機器を統括する制御システムが存在するだけで、人間の乗員は一人もいなかった。
ただ、その制御システムが、今の問い掛けに対して単なる命令処理以上の反応を返してくれるのではないか。
希空には、そんな期待があった。
数秒後。
航行状態を表示していた画面上で、「雪風」の舵角が僅かに変化した。
続いて機関出力が微調整され、船首が予定された針路へ向けられる。
いずれも制御システムによって実現可能な動作だった。
しかし、希空が今まさに指示しようとしていた操作を、まるで先回りするように実行したのである。
「……ふふ」
希空の口元に、小さな笑みが浮かんだ。
「やっぱり、いるよね」
思い出すのは、数年前。
呉が深海棲艦の襲撃を受けた時のことだった。
あの時の「雪風」は、乗り込んだ二人を助けるように、誰にも命令されていない動作を繰り返したという。
自ら戦闘準備を進め、必要な機器を作動させ、操艦する者を補助した。
さらには、誰かに身体を触れられたような感覚や、探照灯の操作を教えられたような体験まで報告されている。
そして何より。
白いワンピース姿の、少女。
あの時、確かに見えたという存在。
希空は、それを単なる制御システムの異常動作や、極限状態で生じた錯覚として片付けるつもりは無かった。
艦には、艦魂が宿る。
それは既に艦娘技術の根幹として確立された事実だった。
ならば、現役の艦体に残っている艦魂が、自らの意思を持ち、船体へ組み込まれた制御システムを介して何かを伝えようとすることも、決して有り得ない話ではない。
だからこそ、「雪風」の艦魂は、今もサルベージされていなかった。
艦娘を建造するための資源としてではなく、一隻の艦そのものに宿る存在として。
艦魂と、高度な艦艇統合制御システム。
本来なら別々の研究分野である二つが結び付けば、何が起こるのか。
「雪風」は、その可能性を確かめる上で、他に代え難い存在だったのである。
無論、目の前の現象だけで、艦魂が全てを操っていると断定することは出来ない。希空自身、制御システムの自律判断と艦魂由来の反応を切り分ける難しさは理解していた。
それでも。
無人の艦橋を持つ老駆逐艦が、自ら針路を定め、巨大な潜水艦たちと共に動き始めている。
その光景は、彼女にとって十分過ぎるほど魅力的だった。
「……ありがとう」
今度も、言葉による返事は無い。
それでも「雪風」は、何事もなかったかのように出港を続けた。
やがて伊-480型の三隻と共に、地下ドックの外へ向かっていく。
これだけでも、外部から見れば異常な動きだった。
超大型潜水艦三隻に、特殊改装を施された「雪風」。
それらが揃って動けば、何らかの重要な人員か物資が移送されていると考えるのが自然だろう。
まして艦娘技術研究所と関係の深い艦艇であることまで把握している者なら、なおさらだった。
そして、それで良かった。
誰かが見ているなら、そちらへ注目してくれればいい。
今回の本命は、そこにはいなかった。
同じ頃。
横須賀では、零が静かに“出雲”を抱き上げていた。
残された身体は、あまりにも小さかった。
両腕は失われ、腹部から下もほぼ残っていない。艤装に至っては、原形を保った部分を探す方が難しいほどだった。
何より、その損傷の凄まじさを物語っていたのは、残された頭部と胸部である。
既に応急処置は施されている。
しかし、それが無ければ今にも崩れてしまいそうな姿だった。
「…………」
零は、腕の中の“出雲”を見下ろした。
幼い頃から、何度も世話になってきた相手。
自分が生まれるより前から戦い続け、幾度も傷つき、それでも必ず帰ってきた姉のような存在。
そんな彼女が、今は自分の腕の中で意識を失っている。
零は一度だけ目を伏せた。
だが、すぐに顔を上げる。
「……行ってくる」
周囲へ短く告げると、“出雲”の身体を抱え直した。
次の瞬間───二人の姿が、その場から消えた。
艦娘技術研究所。
隔離された医療区画の空間が、僅かに揺らいだ。
直後、何も無かった場所へ、腕の中に“出雲”を抱いた零が現れる。
「到着確認!」
「受け入れ準備完了!」
「生命反応、継続しています!」
待機していた白衣姿の研究員たちが、一斉に動き始めた。
その外見は、人間とほとんど変わらない。
だが、彼女たちは人間ではなかった。
等身大まで身体を大きくした、妖精たちである。
艦娘技術研究所に恒常的に勤務している人間は、所長の秋吉智明と神崎希空だけだった。
それ以外の研究、整備、通信、施設管理、医療補助に至るまで、その大部分を妖精たちが担っている。
技術研究所という名称から想像されるような、大勢の人間の研究員が行き交う施設ではない。
だからこそ、外部から秘匿したまま膨大な研究活動を続けることが可能だった。
「零君、こっち!」
一人の妖精に促され、零は処置台へ近付いた。
“出雲”の身体を慎重に寝かせる。
「……頼む」
「はい!」
それだけを言い残して場所を空けると、妖精たちは即座に処置を開始した。
「残存組織の状態確認!」
「生命維持系、接続します!」
「再生槽、準備完了!」
「異物反応、まだ残っています!」
次々と指示が飛び、医療機器が作動していく。
零は暫くその様子を見守っていたが、やがて踵を返した。
彼の仕事は、まだ終わっていなかった。
それから何度か、横須賀と研究所の間をワープで往復する。
必要な人員。
搬送しなければならない資材。
そして、今後の処置に必要となる各種記録や機器。
外部へ露出する搬送経路を使うことなく、それらを直接研究所へ送り届けていった。
その間も、伊-480型の三隻と「雪風」は、それぞれ予定された航路を進み続けている。
目立つ移送部隊と、誰にも見えない搬送経路。
二つが同時に動くことで、今回の移送が行われたのである。
それから十数時間が経過しても、研究所の医療区画では処置が続いていた。
“出雲”の損傷は、通常の艦娘が想定する重傷の範囲を遥かに越えていた。
頭部と胸部。
そして、そこから僅かに下まで残された身体。
人間なら、生命活動が続いていること自体が有り得ない。
艦娘であっても、普通なら助からない状態だった。
それでも、彼女は生きている。
その理由の一つが、横須賀へ帰還する前に施されていた、正体不明の処置だった。
「……やっぱり、私たちの修復とは違うね」
観測画面を見つめながら、希空が呟いた。
本来なら大きく開いているはずの傷口が、黒い組織のようなもので塞がれている。
ただ覆っているだけではない。
内部へ入り込み、損傷した組織を支え、最低限の形で生命維持機能を保っている。
失われた部分が再生したわけではなかった。
腕が戻ったわけでもなければ、腹部や脚が作り直されたわけでもない。
ただ、これ以上壊れないように。
血液と、艦娘特有の赤黒い油が流れ出し続けないように。
致命的な損傷を受けた場所を、応急的に封じ込めているのである。
「深海棲艦側の反応に近いな」
秋吉が画面を見ながら言った。
「……近い、だけだけど」
「ああ。断定するには材料が足りない」
検出された反応は、研究所が扱う艦娘の修復技術とは明らかに異なっていた。
一方で、その性質には深海棲艦の身体や艤装を構成する物質と似た部分がある。
だが、実際に何が行われたのかまでは分からない。
誰が処置したのか。
何故、人類側の艦娘を助けたのか。
そして、そもそも何故これほど異質なものが“出雲”の身体へ馴染んでいるのか。
疑問はいくつもあった。
それでも、今は一つだけ確かなことがある。
「……これが無かったら、助からなかったかもしれないね」
希空の言葉に、秋吉は黙って頷いた。
処置が完全だったわけではない。
異物反応も残っており、今後どのような影響が出るかも分からない。
だが、この応急処置が“出雲”の生命活動を繋ぎ止めていたことは、ほぼ間違いなかった。
ならば、今はそれを利用する。
原因の究明より、目の前の命を守ることが先だった。
医療区画の外。
海斗と美香、そして“磐手”は、処置が終わるのを待っていた。
三人とも、ほとんど休んでいない。
特に“磐手”は、自身も決して軽くない負傷をしているにもかかわらず、どうしてもこの場所を離れようとしなかった。
長い時間が経った。
やがて扉が開き、一人の妖精研究員が姿を現す。
その手には、検査結果を表示した端末があった。
「……状態は、安定しました」
美香が大きく息を吐いた。
海斗も、ようやく肩の力を抜く。
だが、“磐手”はすぐに立ち上がった。
「出雲は……?」
「生命活動は安定しています。残存した脳や神経系にも、現時点で致命的な異常は認められません」
「……目は、覚ますんですか?」
「時間は必要だと思います。でも、十分に可能性はあります」
“磐手”の表情が僅かに緩んだ。
それでも、まだ聞かなければならないことがあった。
「……身体は?」
妖精が顔を上げる。
「身体は……治るんですか?」
その問いに、妖精研究員は迷わず頷いた。
「治せます」
「……本当に?」
「はい」
即答だった。
“出雲”の損傷は、確かに凄まじい。
しかし、艦娘の身体は単なる人間の肉体ではない。
残された身体に保持されている情報と生命維持機能。
艦魂との接続。
記憶再現式による再構築。
そして研究所の再生処置。
それらを組み合わせれば、失われた腕も、腹部も、脚も、時間を掛けて取り戻すことが出来る。
何より、まだ生きた身体が残っている。
再構築の基準となる部分が存在している以上、完全に新しい身体を一から造るわけではない。
「相応の時間は掛かりますし、経過観察も必要です。でも、最終的には以前とほとんど変わらない姿へ戻せるはずです」
「…………」
“磐手”は、暫く何も言えなかった。
それから俯き、両手で顔を覆う。
「……良かった」
震えた声だった。
「良かった……本当に……」
海斗も、美香も、同じ気持ちだった。
昨日までなら、生きて帰ってくることすら望めなかった。
今は生きている。
意識が戻る見込みもある。
身体まで元に戻せる。
それだけなら、まさに奇跡だった。
ただ。
妖精研究員は、まだ端末を閉じていなかった。
少し後。
研究所内の説明室には、関係者が集められていた。
海斗、美香、“磐手”。
そして、秋吉と希空。
壁際には零も立っている。
室内の大型ディスプレイには、“出雲”の身体構造が表示されていた。
過去の全身記録と現在の状態が重ねられ、失われた部位が赤く示されている。
秋吉は暫くその画面を見つめてから、静かに口を開いた。
「……身体の方は、戻せる」
“磐手”が頷く。
「聞きました」
「ああ。時間は掛かるが、そこは何とかなる」
秋吉が操作すると、画面が切り替わった。
今度は、失われる前の“出雲”の艤装が映し出される。
主砲、補助兵装、装甲、機関、推進装置、火器管制系、そして身体との接続構造。
それらのほぼ全てに、赤い表示が重なっていた。
───喪失。
「……艤装」
“磐手”が呟いた。
秋吉は、小さく頷く。
「ほぼ全損だ。回収された破片はあるが、修理に使えるような状態じゃない。主機関も配管も、兵装も制御系も、ほとんど残っていない」
以前なら、まだ話は違った。
砲塔が破壊されようと、機関が損傷しようと、少なくとも艤装そのものは残っていたからだ。
だが、今回は違う。
戦闘艤装としての実体が、ほぼ丸ごと失われていた。
“磐手”は暫く画面を見つめていた。
それから、何かを思い出したように顔を上げる。
「……でも、記憶再現式がありますよね?」
秋吉の目が僅かに動く。
「いつもみたいに、あれで直せば……」
「試したよ」
「……え?」
「もう試してる」
思い掛けない返答だった。
“磐手”が目を見開く。
秋吉は操作を続け、画面へ複数の検査結果を表示した。
「身体の方は問題ない。再生処置も進んでる。けど……艤装が駄目なんだ」
「どうして……?」
「必要な情報が、上手く取り出せない」
“磐手”は首を傾げた。
そこで秋吉は、一度説明を区切った。
「……記憶再現式が、どういう技術かは知ってるな?」
「はい。艦魂とか、私たち自身の記憶から、壊れた身体を元に戻すんですよね?」
「そうだ。ただし、その『記憶』ってやつは、人間が物を思い出すのとは少し違う」
記憶再現式。
神崎希空が中心となって研究を進め、秋吉と共に実用化へ漕ぎ着けた、次世代型の艦娘修復技術。
艦魂が保持する情報。
身体や艤装に残された構造情報。
そして、本人が持つ自己認識。
それらを統合し、失われた部分を再構築する。
理論上は、従来の修理方式では到底対応出来なかった大規模欠損にさえ対処出来る技術だった。
だが、そのためには一つ、重要な条件がある。
再構築する対象について、十分な精度を持つ情報を取得しなければならない。
「例えば、腕一本を再生する場合なら、残ってる身体が基準になる。神経も、血管も、骨も、元の身体から連続しているからな」
秋吉が“出雲”の身体側のデータを指し示す。
「けど艤装は違う。今回は、その基準になる現物がほとんど残ってない」
「……でも、出雲自身が覚えているんじゃないの?」
美香が尋ねた。
秋吉は頷く。
「覚えてる。そこが今回、一番厄介なところなんだ」
「……どういうこと?」
秋吉が希空へ目を向けた。
その意味を察した希空は、小さく頷いて説明を引き継いだ。
「まず、出雲ちゃんたち第一世代と、第二世代では、そもそも成り立ちが違うんだよ」
“磐手”が顔を上げる。
「第二世代……」
「うん。第二世代は、最初から艦娘として生まれてくる。でも、第一世代はそうじゃないでしょ?」
第一世代艦娘。
それは、元々人間だった少女へ、後天的に艦魂を接続することで生まれた存在だった。
少女自身の身体と精神を基礎に、艦魂を定着させ、艤装と同調させる。
つまり、その一人の中には、出自の異なる複数の記憶が存在している。
人間だった頃の記憶。
実艦だった頃の記憶。
そして、艦娘となってから積み重ねた記憶。
「でも、それって……私も同じじゃないですか?」
“磐手”が尋ねた。
「そうだな」
秋吉が答える。
「ただし、全員が同じ状態ってわけじゃない」
その言葉に、“磐手”は眉を寄せた。
秋吉は少し考え込んでから、さらに説明を続ける。
「第一世代の建造技術は、最初から完成していたわけじゃない。ファーストロット、セカンドロット、サードロット……少しずつ改良してきたのは知ってるだろ?」
「はい」
「その改良の中で、一番苦労したのが、元の少女と艦魂をどうやって安定して同調させるか、って問題だったんだ」
第一世代艦娘は、人間の少女を艦娘へ作り替える技術である。
当然ながら、人間の身体は、最初から艦艇の機関や砲塔を動かすようには出来ていない。
まして、その脳に艦の情報処理中枢としての役割まで担わせるとなれば、負荷は極めて大きかった。
艤装との接続不良。
神経系への負担。
接続部位の拒絶反応。
そして、艦魂との同調の不安定さ。
最初期のファーストロットには、そうした問題が数多く残されていた。
「だから、後のロットでは、同調しやすい状態を最初から作るようになった」
希空が言った。
「その一つが、記憶への干渉だったんだよ」
“磐手”は、何も言わなかった。
元の少女の記憶を、部分的に消去する。
そうすることで、それまでの人生によって形成された自己認識の一部を弱め、艦魂を受け入れやすくする。
極端に言えば、人間としての記憶を部分的に初期化した少女へ、艦魂を植え付ける。
もちろん、単純に過去の出来事を忘れさせれば全て解決するわけではない。
強烈な感情やトラウマ、深く刻まれた記憶は残ることもあったし、そもそも処置の程度は一人ひとり異なっていた。
しかし、それでも後続ロットの安定性向上には一定の効果があった。
「セカンドロットの後期から、サードロットにかけては、比較的強く干渉してる個体が多い」
秋吉はそこで、一度“磐手”を見た。
「……お前も、その一人だ」
“磐手”は、ゆっくりと視線を落とした。
自分が艦娘になる前のこと。
覚えていないことは多い。
何もかも完全に消えているわけではないが、思い出そうとしても輪郭の掴めないものがある。
その一方で、艦娘となってからの人生は、今の自分にとって疑いようもなく自分自身の記憶だった。
「……じゃあ、出雲は?」
希空が、少しだけ表情を曇らせた。
「出雲ちゃんは、ファーストロットだから」
その一言で、秋吉の説明が何を意味するのか、少しずつ見えてきた。
“出雲”は、世界で最初に完成した艦娘だった。
艦魂と人間の少女を接続すること自体が、まだ手探りだった時代。
何が問題を引き起こし、どうすれば安定するのか。
後に確立される技術の多くが、まだ存在していなかった。
当然、記憶への干渉によって同調を安定させるという方法も、本格的には確立されていなかったのである。
「出雲は、元の少女としての記憶が比較的多く残ってる」
秋吉が言った。
「後のロットと比べても、かなりな」
「……そう、だったんですか」
「ああ。そもそも、出雲を造った頃には、そこまで手を加える技術も無かったしな」
それは、ファーストロットゆえの未成熟さだった。
ただし。
「……勘違いするなよ」
秋吉が、静かに付け加えた。
「それが出雲の欠陥だったって話じゃない」
“磐手”が顔を上げる。
「元の少女の記憶が残っていることと、艦娘として優秀かどうかは別の問題だ。少なくとも、出雲はあれだけ長い間、第一世代の中でも最強格として戦ってきた」
事実だった。
“出雲”は、誰よりも早く艦娘となった。
それから長い年月を掛けて、艤装との同調を深め、実戦経験を積み重ね、第一世代艦娘の中でも突出した技量を身につけてきた。
初期の不安定さを抱えたまま、いつまでも戦っていたわけではない。
彼女自身が、その問題を乗り越えながら成長してきたのである。
だから、人間だった頃の記憶が比較的多く残っていることも、それだけで艦娘としての欠陥にはならなかった。
「問題は、ここからなんだ」
希空が操作すると、画面へ複数の波形が表示された。
“出雲”と“磐手”。
そして、比較対象として用意された第二世代艦娘の情報。
「第一世代艦娘は、長く生きていると、自分自身と艦魂の認識が少しずつ馴染んでいくの」
最初は、別々の存在だった少女と艦魂。
しかし、同じ身体で暮らし、同じ経験を積み重ねていくうちに、それぞれの記憶と自己認識が少しずつ結び付いていく。
かつて人間だった少女。
かつて艦だった存在。
そのどちらか一方が消えてしまうのではない。
両方が、一人の艦娘として統合されていくのである。
「理論上は、ずっと同調が進めば、最初から艦娘として生まれてきた第二世代に近い状態まで到達するはずなんだ」
「……そんなことが?」
“磐手”が呟く。
「うん。ただ、時間は掛かるよ。それも、元の少女としての記憶がどの程度残っているかで、随分と違ってくる」
記憶への干渉が比較的大きかった後続ロットは、艦娘としての自己認識が形成されやすい。
長年の生活によって同化も進み、艦魂の持つ情報と現在の自分の姿とを、比較的一体のものとして扱えるようになっていく。
一方で、“出雲”は違った。
元の少女としての記憶。
実艦としての記憶。
そして艦娘としての十年以上の経験。
そのいずれもが、今なお比較的はっきりとした形で残っている。
「出雲ちゃんも同調は進んでる。でも、磐手ちゃんたちと比べると、まだそれぞれの記憶が独立してる部分が多いんだよ」
“磐手”は、ディスプレイを見つめた。
「……それが、記憶再現式に?」
「うん」
希空が頷いた。
「普段は問題にならないの。出雲ちゃんが自分のことをどう感じてるかも、艦娘としてどう戦うかも、それで困ってなかった」
ただし、記憶再現式は違う。
再構築のために、本人の記憶と自己認識を、工学的な情報として読み出す。
その際、どの情報が現在の身体や艤装を示しているのか、正確に識別しなければならない。
「出雲ちゃんの中には、実艦だった頃の『出雲』も、艦娘になったばかりの『出雲』も、何度も改装を受けた後の『出雲』も残ってる」
希空が説明を続ける。
「それに、元々の女の子としての記憶もある。自分の身体として感じているものと、艦魂が覚えているものが、必ずしも同じ形をしているわけじゃないんだよ」
人間の記憶は、設計図ではない。
ある物を覚えているからといって、その寸法や内部構造を寸分違わず再現出来るわけではない。
艦魂の記憶も、単純な機械図面とは異なっている。
そこへ、後年の改装によって新しく与えられた装備の情報まで加われば、なおさらだった。
「例えば砲塔なら、実艦時代の砲塔と、今の艤装の砲塔は別物だろ?」
秋吉が補足する。
「見た目も中身も違う。機関だって、今のものは原艦の機関とは全然違う。それでも本人の中では、全部『自分の砲』『自分の機関』として記憶されてるんだ」
そして、記憶再現式が扱うのは、その「自分」という認識でもある。
「いつもの修理なら、問題にならないんだけどね」
希空が言った。
画面に、以前の修理記録が表示される。
砲塔の破損。
装甲の欠損。
配管の断裂。
機関系の損傷。
いずれも、過去に“出雲”が実際に受けた損傷だった。
「この時は、艤装そのものが残ってるでしょ?」
「……はい」
「だったら、今残っているものを基準に出来るの。記憶から取り出した情報が多少曖昧でも、現物と照らし合わせて補正出来るから」
砲塔が一基失われても、他の砲塔が残っている。
配管が途中で断たれても、前後の構造が存在している。
外部に保管された設計情報も利用しながら、現物を基準として再構築していけばいい。
しかし、今回は違った。
「艤装が、ほとんど全部無い」
希空は、現在の“出雲”の状態を表示した。
赤い表示ばかりが並ぶ。
「何を基準にすればいいのか、分からなくなっちゃうんだよ」
“磐手”は、何も言わなかった。
“出雲”の中には、今までの人生が残っている。
人間だった頃の記憶も。
艦だった頃の記憶も。
艦娘として戦ってきた記憶も。
本来なら、失ってほしくないものばかりだった。
だが、それらが今は、艤装を再構築するための情報を読み出す際に、ノイズとなってしまっているのである。
「……じゃあ」
“磐手”が、ゆっくりと口を開いた。
「出雲が昔のことを覚えているから、直せない……ってことですか?」
その言葉に、希空はすぐには答えなかった。
少しだけ考えてから、首を横に振る。
「……それだけじゃないよ」
そして、秋吉へ視線を向けた。
「私たちの問題でもあるから」
秋吉は、黙って目を閉じた。
記憶再現式の開発は、第一世代が抱えていた問題を解決するためにも始まった研究だった。
しかし、実際に技術が成立していく過程では、第二世代艦娘の存在が大きくなっていた。
最初から艦娘として生まれ、艦魂と身体が一体となっている第二世代。
彼女たちには、第一世代のように、元の少女と艦魂という二つの存在を後から接続する問題が無い。
そのため、自己認識を基準とした再構築を行う際にも、前提となる条件が比較的整理されていた。
「……記憶再現式は、基本的に第二世代への対応を前提に開発してきたんだ」
希空が言った。
「第一世代にも使えるようにしてきたけど、全ての個体に十分対応出来ていたわけじゃない」
そして、第一世代の中でも後続ロットへの対応が先行していた。
記憶への干渉を受け、長年の同調によって艦娘としての自己認識が比較的まとまっている個体。
そうした相手なら、記憶再現式も機能させやすい。
実際、“磐手”たちの修復には、それで十分な成果が得られていた。
だが、出雲は違う。
「……想定してなかったわけじゃない」
秋吉が、低い声で言った。
「出雲が特殊な条件を抱えてることは、分かってた。記憶再現式を使う時に問題が出る可能性も、考えてはいた」
“磐手”が、ゆっくりと秋吉を見る。
「……だったら」
「ああ」
その先を言わせることなく、秋吉は頷いた。
「対策を後回しにした」
部屋が静まり返った。
秋吉は、画面から目を逸らさなかった。
「第二世代の建造と実用化。新しい艤装。研究施設の維持。第一世代全体の修復設備……やらなきゃならないことは山ほどあった」
技術的な理由だけではない。
政治的な事情もあった。
限られた予算の中で研究を続けるには、将来性を示さなければならない。
既に長年戦ってきた第一世代を維持することより、これから生まれてくる第二世代を完成させること。
そうした研究の方が、予算を確保しやすくなっていた。
希空も、秋吉も、それを望んでいたわけではない。
第一世代を切り捨てようと考えていたわけでもない。
それでも、研究開発の優先順位を決めなければならなかった。
そして、その結果として。
「……出雲なら、何とかなると思ってた」
秋吉が呟いた。
「あいつは、今まで何度も無茶な戦闘から帰ってきた。それに、度重なる改修で強化してもいたんだ、そう簡単には……」
そこで言葉が止まる。
最高レベルの技量と現状出来る最大限の艤装性能を併せ持った今の“出雲”なら大丈夫。
だから、差し迫った問題にはならないと考えていた。
実際、普通の敵ならどうにかなっていた。
そして……普通の敵ではなかった結果、こうなった。
「……甘かったな」
秋吉は、自嘲するように呟いた。
誰も、何も言わなかった。
暫くして。
“磐手”が、小さく口を開いた。
「……でも」
秋吉が顔を上げる。
「記憶再現式で直せないなら、作ればいいんじゃないですか?」
「……作る?」
「はい」
“磐手”は、ディスプレイを指し示した。
「最初から図面を引いて、部品を作って……新しく艤装を作れば」
“出雲”の艤装は、失われた。
それでも、彼女自身は生きている。
ならば、失われた装備を新しく造ればいい。
複雑な記憶を無理に読み出そうとせず、普通の兵器と同じように、一から設計して製造すればいいのではないか。
その問いに、秋吉は迷わず答えた。
「出来る」
“磐手”が目を見開く。
「……出来るんですか?」
「ああ。出来る」
秋吉が画面を切り替える。
そこには、既にいくつもの設計案が並んでいた。
新しい艤装。
失われた部分の再建。
そして、現在の技術水準を踏まえた改装案。
「身体が治った後の出雲に合わせて、接続部を設計し直す。機関を選んで、配管を引き、火器管制を組んで、主砲も装甲も作り直す」
必要なら、以前と全く同じ艤装へ戻すことに拘る必要さえない。
新しい技術を利用し、より高性能な艤装を造ることも可能だった。
「昔だって、同じようなことをやってる。あの時の大規模改装だって、根本的にはそうだったからな」
“磐手”も、覚えていた。
以前、“出雲”が大きな損傷を受けた際に実施された大規模改装。
あの時は、失われた装備を修復するだけでなく、戦闘能力の大幅な向上まで実現していた。
だから、今回も。
「……だったら!」
“磐手”が、思わず身を乗り出した。
「だったら、直せるじゃないですか!」
「……ああ」
秋吉は頷いた。
そして、次の言葉を口にした。
「金が無い」
それだけだった。
“磐手”の表情が止まる。
「…………え?」
「今回必要になるのは、修理じゃない。ほぼ新造だ」
秋吉が、画面へ費用試算を表示した。
既存の艤装を補修するのではない。
“出雲”一人のために、専用の戦闘艤装を新しく設計し、試作し、製造する。
それだけでは終わらない。
完成した装備が、治療後の“出雲”へ正しく接続出来るか。
機関を安全に稼働させられるか。
火器管制が正常に機能するか。
必要な強度と防御力を確保出来るか。
実際に装備させ、試験し、調整し、場合によっては設計そのものを修正する。
それら全てを、ほぼ一から行わなければならなかった。
「……いくら掛かる?」
海斗が尋ねる。
秋吉は暫く黙っていた。
そして、画面に表示された数字へ視線を向ける。
そこには、決して小さくない金額が並んでいた。
「……今の研究所の予算じゃ、無理だ」
沈黙が落ちた。
現在、艦娘関連予算は厳しい状況にあった。
既に海軍では、核融合機関を搭載する新世代艦艇の整備が進められている。
通常戦力も、深海棲艦戦争の戦訓を踏まえた更新が続いていた。
そして何より、第二世代艦娘。
まだ本格的な実戦投入には至っていないものの、第一世代が抱えていた根本的な欠陥を解決するための次世代兵器として、研究開発が進められていた。
それらを維持するだけでも、相応の予算が必要だった。
研究所そのものの運営費。
既存艦娘の修理。
第二世代艦娘の建造。
訓練設備の整備。
新型艤装の開発。
希空と秋吉は、それらを止めないために、日々各方面との交渉を続けている。
そこへ、さらに“出雲”一人のための新規艤装を造るとなれば。
「……昔は」
“磐手”が、ぽつりと言った。
秋吉が顔を上げる。
「昔は、出雲を直してくれたのに」
その言葉に、秋吉の表情が歪んだ。
誰もが覚えていた。
以前、“出雲”が大きな損傷を受けた時のことを。
あの時も、修理費用は決して安くなかった。
むしろ、通常の艦娘を何人も建造出来るほどの費用が必要だったはずである。
それでも改装が認められたのは、“出雲”という存在が持つ価値を、単純な建造費用だけでは測れなかったからだった。
世界で最初の艦娘。
長年の実戦経験。
第一世代随一とも言える技量。
そして、数多くの戦場で培われた判断力。
たとえ同じ艦魂を使って新しい艦娘を建造出来たとしても、それまで“出雲”が積み重ねてきた経験まで引き継げるわけではない。
ならば、既に完成された熟練艦娘を修復し、さらに強化する方が合理的だった。
そう判断されたのである。
結果として、“出雲”は大規模改装を受け、以前よりも強くなって帰ってきた。
あの時は、壊れたことが、強くなるきっかけにさえなった。
だが。
今は違った。
「……状況が変わった」
海斗が、低い声で言った。
秋吉は、何も返さなかった。
否定出来なかったのである。
今の日本には、未来の戦力がある。
まだ未熟であっても、第二世代艦娘という新しい兵器体系が存在している。
通常の国防軍戦力も、かつてとは比較にならないほど発展した。
かつての“出雲”は、失うには惜し過ぎる存在だった。
それは今も変わらない。
だが、予算を配分する側の目には、違うものが映っていた。
旧式装甲巡洋艦を原型とする第一世代艦娘。
その一人へ、ほぼ新造に等しい費用を投入する。
それだけの予算があれば、将来の第二世代艦娘を何人建造出来るのか。
新型艤装の研究を、どれほど進められるのか。
あるいは、通常艦艇の整備へ回した方が有効ではないか。
数字だけを並べれば、そうした判断は成立してしまう。
“出雲”が築いてきた実績も、海斗たちが寄せている信頼も、その評価書の上では十分な重みを持たなくなりつつあった。
「……そんなの」
“磐手”の声が震えた。
「そんなのおかしい……」
誰も否定しなかった。
否定出来なかった。
同時に、誰もが理解していた。
限られた予算を“出雲”へ投入すれば、別の研究や建造計画が遅れる。
その結果として、未来の戦場で失われる命が増えるかもしれない。
だから、単純に予算を出すべきだと言い切ることも難しい。
ただ、それでも。
目の前にいる一人を救う技術が、確かに存在している。
なのに、使えない。
それが、あまりにも残酷だった。
やがて、海斗の前へ一枚の書類が置かれた。
医療上の診断書ではなかった。
戦力としての評価書。
損傷状況。
修復可能な範囲。
必要となる再建規模。
現行技術での復帰可能性。
そして、予算と認可の見通し。
海斗は、無言で最後の欄へ目を落とした。
美香も、その隣から書類を覗き込む。
“磐手”は、少し遅れてその文字を見た。
再起不能。
「…………」
何も言えなかった。
暫くして、“磐手”が小さく呟く。
「……違う」
秋吉が顔を上げる。
「出雲は、生きてる」
「ああ」
「身体も、治るんですよね?」
「ああ」
「目だって、覚ますんですよね?」
「その可能性は高い」
「……だったら」
そこで、声が止まった。
何が「再起不能」なのか。
もう、分かってしまっていたからだ。
一人の少女としての“出雲”は、帰ってくる。
時間は掛かるが、失われた身体も再生出来る。
意識も戻るだろう。
そして、再び皆と話し、笑い、生活することも出来るはずだった。
だが。
海を駆け。
砲を撃ち。
仲間と並んで戦ってきた、艦娘“出雲”。
その姿へ戻るために必要なものを、今の日本は与えてやれない。
技術が無いわけではない。
不可能なわけでもない。
ただ、必要な予算が認められない。
それだけで、“出雲”は再起不能と判定されてしまったのである。
処置室では、“出雲”が静かに眠っていた。
失われた部分の再生は、既に始まっている。
まだ目に見えるような変化は僅かだったが、修復は確実に進んでいた。
腕も、腹部も、脚も、時間を掛ければ元に戻る。
生きた身体が残っている限り、艦娘としての肉体は再生可能だった。
だが、その身体へ接続する戦闘艤装は、もう無い。
“磐手”は、ベッドの傍へ椅子を寄せた。
そして、暫くの間、何も言わずに姉の顔を見つめていた。
「……出雲」
返事は無かった。
目も開かない。
いつものように、笑ってくれることもない。
それでも、生きている。
“磐手”は、そっと手を伸ばした。
触れても問題の無い場所を確かめ、ようやく“出雲”の髪へ指先を寄せる。
「……治るって」
声が震えた。
「ちゃんと、身体は元に戻るって……」
笑おうとした。
だが、上手く出来なかった。
生きているだけでいい。
それだけで、十分なはずだった。
“出雲”が帰ってきた。
それ以上、何を望むというのか。
そう考えれば、少なくとも間違ってはいない。
だが、“磐手”には、どうしてもそう言い切れなかった。
“出雲”が、どれほど長く艦娘として戦ってきたのか。
どれほど多くの敵を倒し、どれほど多くの仲間を守ってきたのか。
そして、どれほど海を愛し、艦娘として生きることを当然のように受け入れてきたのか。
それを、誰よりも近くで見てきたからだ。
戦うことが、人生の全てではない。
艦娘である前に、一人の少女でもある。
だから、もう戦わなくてもいい。
そう言ってあげることだって、出来るはずだった。
しかし。
艦娘として生きてきた自分には、その言葉がどれほど重いものなのかも分かってしまう。
艤装を失うこと。
海を走れなくなること。
仲間と共に戦場へ出られなくなること。
それらを失ってなお、何も変わらないなどと。
自分には、とても言えなかった。
「…………」
“磐手”は、俯いた。
そして、漸く声を絞り出す。
「……ごめん」
それだけだった。
何に対して謝っているのか、自分でもよく分からなかった。
あの時、戦場に残れなかったことか。
“出雲”だけを置いて帰ってきたことか。
それとも、帰ってきた姉を元の姿へ戻してやれないことか。
答えは出なかった。
ただ、“磐手”は暫くの間、その場を離れようとしなかった。
その夜。
研究所の一室で、秋吉は一人、ディスプレイを睨んでいた。
表示されているのは、“出雲”用新規艤装の仮設計。
必要な材料、機関、兵装、接続構造、製造設備、試験工程、そして費用。
何度計算しても、現実的な数字にはならなかった。
性能を落とせば、確かに費用は削減出来る。
しかし、それでは意味が無い。
今の戦場へ戻せない艤装を造ったところで、また同じことを繰り返すだけだった。
中途半端な性能のものを持たせ、次の戦いで再び壊れる。
そんな結果を招くくらいなら、最初から造らない方がましである。
「…………」
秋吉は、椅子の背もたれへ深く身体を預けた。
そして、天井を仰ぐ。
「……畜生」
作れる。
それが、一番腹立たしかった。
技術が無いのなら、研究すればいい。
理論的に不可能なら、別の方法を考えればいい。
そもそも何が分からないのかさえ分からないなら、そこから調べ始めればいい。
そうしてきた。
今まで、ずっと。
世界で最初の艦娘を造った時も。
その欠陥を改善しようとした時も。
第二世代の研究が始まった時も。
出来ないことを、一つずつ出来るようにしてきたのである。
だが、今回は違う。
出来るのだ。
必要な技術は、既にある。
設計も出来る。
材料も、設備も、揃えようと思えば揃えられる。
時間さえ掛ければ、もう一度“出雲”を海へ戻すことが出来る。
それなのに。
「……金が出ない、か」
低い声が、部屋へ落ちた。
自分たちは、技術者だった。
出来ないことを、出来るようにする。
それが仕事だった。
だが、出来ることを実行していいかどうかは、別の誰かが決める。
その現実を、秋吉は嫌というほど理解していた。
だからこそ、余計に腹立たしかった。
ふと、机の端に開かれた別の画面が目に入った。
今日行われた、「雪風」の無人航行試験。
誰も乗っていないにもかかわらず、航路変更、機関出力調整、操舵、周辺監視などが正常に実施された記録が残っている。
制御システムが下した判断。
そして、その判断だけでは説明し切れない、僅かな挙動。
そこには、希空が長年追い求めてきた可能性があった。
艦魂。
意思を持つ存在。
そして、その意思を機械へ伝えるための制御システム。
両者が結び付いた時、従来の艦艇では実現出来なかったことが起こる。
まだ完成した技術ではない。
実用化までに、どれほどの時間が必要になるかも分からない。
それでも、今日、確かに一つの成果が得られた。
秋吉は、その画面を暫く見つめていた。
それから、ゆっくりと視線を戻す。
“出雲”の新規艤装。
そして、その設計案の隣に表示された、記憶再現式の解析結果。
「…………」
今の技術では、難しい。
それなら、技術を進めればいい。
記憶再現式が“出雲”に十分対応出来ないのなら、対応出来るように改良すればいい。
今の艤装再建が高過ぎるのなら、もっと効率の良い方法を考えればいい。
第二世代のために進めてきた技術を、第一世代へも十分に使えるようにすればいい。
そもそも、第一世代と第二世代を、いつまでも別々のものとして扱う必要があるのか。
そんな考えまで、頭を過ぎった。
秋吉は、小さく息を吐いた。
今すぐ答えが出る問題ではない。
だが、答えが無いと決まったわけでもない。
少なくとも、あの少女が生きている限り。
自分たちに、まだ出来ることはある。
「……だからと言って」
秋吉は、ゆっくりと立ち上がった。
「諦めるものか……」
誰もいない部屋に、その声が響く。
ディスプレイには、眠ったままの“出雲”が映し出されていた。
彼女は、まだ生きている。
ならば、終わっていない。
秋吉は、その姿を見つめたまま言った。
「絶対に助けてやるからな、出雲」
返事は無かった。
その言葉を、眠っている本人が聞くことも無かった。
そして、その約束が果たされるまでには───まだ、長い時間が必要だった。
続く
あ と が き
事実上、戦力が払底した特務艦隊。
次回 終わりの始まり