あまりにも露骨。
2016年7月 横須賀
艦娘母艦「建御名方」
「……もう一度、言ってくれ」
神崎洋平の声は、低かった。
執務机を挟んで立つ司令部要員は、手にした端末へ一度だけ目を落とすと、改めて報告を繰り返した。
「統合作戦司令部より、正式な作戦命令です。艦娘母艦『建御雷』は指定海域へ出撃し、現地における警戒及び情報収集任務に従事すること」
そこまでなら、特におかしな命令ではなかった。
「建御雷」は第二特務艦隊の旗艦であると同時に、独立した航行能力と戦闘能力を持つ国防海軍の艦艇でもある。
先の北方海域における戦闘で第二特務艦隊は壊滅的な損害を受けたが、「建御雷」そのものが戦闘不能になったわけではない。
艦体には応急修理や本格的な整備を必要とする箇所もあったものの、既に必要な処置は進められ、航行能力も維持されていた。通常の哨戒や情報収集であれば、艦艇単独で任務を遂行することも不可能ではなかったのである。
問題は、その次だった。
「なお、今回の任務に随伴する艦娘戦力は……無し、と指定されています」
執務室が静まり返った。
洋平は、暫く何も言わなかった。
隣にいた“鳳翔”も、すぐには口を開けなかった。
「……艦娘母艦を」
やがて、洋平がゆっくりと口を開く。
「艦娘無しで出せと?」
「……はい。命令書には、そのように記載されています」
「見せろ」
差し出された端末を受け取り、内容を確認する。
作戦番号、発令元、認証情報、出撃日時、任務区域、実施すべき警戒及び情報収集の内容。
必要な項目は全て揃っていた。
誤記でもなければ、伝達の過程で内容が抜け落ちたわけでもない。正式な手続きを経て発令された作戦命令書であり、その中には艦娘戦力の随伴を認めない旨まで、はっきりと記されていたのである。
「……理由は?」
「現在の艦娘戦力を、本土周辺の防衛、部隊再編、教育訓練へ優先的に配分するため、とされています」
「……なるほど」
洋平は小さく息を吐き、乾いた笑いを漏らした。
「ご丁寧なことで」
理由そのものは理解出来た。
つい先日、第二特務艦隊は十四体もの深海棲艦上位個体と遭遇し、壊滅的な損害を受けたばかりだった。
生き残った第一世代艦娘の多くは、いまだ治療や修理を必要としている。
第二世代艦娘の育成は順調に進んでいるものの、現時点では本格的な実戦投入を行える段階に達していない。
残された艦娘戦力は貴重だった。
日本本土の防衛も、今後の部隊再編も、新しい世代の教育訓練も、決して疎かにしてよいものではない。
だからこそ、限られた艦娘戦力を無闇に外洋へ出すわけにはいかない。
そこまでは、洋平も同意見だった。
しかし。
「……だったら」
洋平は端末を机へ置いた。
「建御雷まで出す必要が、どこにある?」
司令部要員は、何も答えなかった。
答えられなかったのだろう。
それも当然だった。
そもそも「建御雷」は、艦娘母艦である。
艦娘たちを収容し、必要な海域まで輸送し、補給と整備を行い、作戦指揮を支援する。その能力によって、従来の艦艇では実現出来なかった艦娘部隊の長距離作戦を可能にしてきた。
無論、艦娘を運用しなければ何も出来ない船ではない。
砲もある。
装甲もある。
独立した航行能力や情報処理能力も、通常の水上戦闘艦と比較して決して見劣りするものではなかった。
実際、これまでの戦闘でも「建御雷」自身が砲撃を行い、艦娘たちの戦いを支援してきたのである。
だが、それは艦娘部隊を運用する能力と両立させてきたからこそ意味があった。
艦娘を一人も伴わず、直接護衛すら付けず、危険な外洋へ送り出す。
しかも、それを命じられたのは、つい先日、壊滅的な損害を受けて帰投したばかりの第二特務艦隊旗艦だった。
警戒と情報収集が必要なのであれば、他にも方法はある。通常艦艇や航空機、あるいは潜水艦を利用することも出来るはずだった。
それなのに、わざわざ「建御雷」を指定している。
「……ふざけてやがる」
洋平は、思わず呟いた。
先月までなら、こんな命令がそのまま第二特務艦隊へ下りることは無かった。
特務艦隊司令部が内容を精査し、必要であれば修正を求める。危険性が高いと判断すれば、艦娘による護衛を追加することも、出撃そのものを再検討することも出来た。
しかし、今は違う。
特務艦隊司令部の独立裁量は、大幅に縮小されてしまっている。
出撃の承認、戦力の配分、作戦区域の決定。
そのほとんどを、統合作戦司令部が握っていた。
先月、書類の上で奪われた権限が、今度は具体的な作戦命令という形になって目の前へ置かれていたのである。
「……統合作戦司令部に繋げ」
洋平が命じた。
「既に回線を確保していますが……」
「もう一度だ」
その声に、司令部要員が姿勢を正した。
「俺から直接話す」
数分後。
執務室の通信画面に、見覚えのある将官が現れた。
先月、特務艦隊司令部の権限縮小について説明してきた、あの男だった。
『神崎長官』
「あんたら、本気なのか?」
洋平は、挨拶すら省いた。
画面の向こうの将官は、僅かに眉を動かす。
『……何についてでしょうか』
「建御雷だよ」
洋平は、命令書の表示された端末を持ち上げた。
「艦娘母艦を、艦娘無しで出撃させる。しかも直接護衛も無し。これのどこがまともな作戦なんだ?」
『単艦での行動ではありません。指定区域への進出に際しては、通常艦艇及び航空戦力による間接的な支援が───』
「屁理屈はいい」
洋平は、相手の言葉を遮った。
「直接護衛は?」
『……ありません』
「艦娘は?」
『命令書に記載されている通りです』
「敵の上位個体が活動している可能性は?」
『承知しています』
「なら、分かってるだろうが!」
思わず、声が大きくなった。
傍に立つ“鳳翔”が、僅かに目を伏せる。
洋平自身、声を荒らげたところで何も変わらないことは分かっていた。
それでも、抑えられなかった。
「ついこの間、第二特務艦隊が何と戦ったと思ってる!? 普通の深海棲艦だけじゃない。上位個体が十四体も集まって、こっちの艦娘戦力を叩き潰したんだぞ!」
『今回の任務は、敵艦隊との積極的な交戦を目的としたものではありません』
「……戦場で、敵がこっちの都合を聞いてくれるのか?」
画面の向こうで、将官が一瞬だけ黙った。
だが、すぐに口を開く。
『敵との交戦を回避することも、今回の任務における重要な要件です』
「回避出来るなら苦労はしない!」
洋平は、机へ片手をついた。
「建御雷は戦える艦だ。俺だって、それは分かってる。だが、限度があるんだよ。そもそも艦娘母艦ってのは、艦娘を運用して初めて本来の能力を発揮する船なんだぞ!」
『承知しています』
「だったら───」
『しかし、今回の任務に艦娘戦力を投入する必要性は認められていません』
あまりにも事務的な返答だった。
洋平は、奥歯を噛み締めた。
必要性が無い。
そう言い切ってしまえば、全てが片付く。
「建御雷」の存在意義も、これまでの戦歴も、通常艦艇とは異なる運用上の制約も、書類上の一文で処理出来てしまう。
しかし、本当に必要性が無いのなら、何故「建御雷」を出すのか。
その疑問には、誰も答えようとしなかった。
「……取り消せ」
洋平は、低い声で言った。
『出来ません』
「なら、せめて護衛を付けろ。一特艦から出す。必要なら俺が直接調整する」
『認められません』
「俺の指揮下にある艦娘だぞ」
『現在、特務艦隊の広域運用については、統合作戦司令部の承認が必要です』
「…………」
先月聞いた言葉だった。
特務艦隊司令部に与えられていた裁量を、軍全体の効率化のために整理する。
あの時は、まだ制度の話だった。
だが、今は違う。
その制度によって、目の前の命令を変えることさえ出来なくなっている。
しかも、相手は一度も洋平を更迭しようとはしていない。
特務艦隊司令長官という役職を残し、第二特務艦隊の指揮官へ命令を伝える立場も残したまま、実際の決定権だけを奪っていた。
命令を下したのは中央。
しかし、それを現場へ伝え、実行させるのは特務艦隊司令部。
その構造が、今ほど腹立たしかったことは無かった。
『これは、正式な命令です。神崎長官』
「……そうかよ」
『予定通り、実施してください』
洋平は、暫く画面を睨み付けていた。
だが、相手の表情は変わらない。
もう、何を言っても無駄なのだろう。
「……分かった」
短く答え、通信を切った。
画面が暗くなる。
それから暫くの間、洋平はその場に立ち尽くしていた。
やがて端末を机へ置き、両手を強くつく。
「……提督」
“鳳翔”が、静かに近付いた。
「分かってる」
洋平は、俯いたまま答えた。
「……分かってるよ」
ここで第一特務艦隊を独断で動かせば、命令違反になる。
「建御名方」を護衛へ付けても同じだった。
だからといって、海斗たちへ命令拒否を促せば、今度は特務艦隊司令部そのものが軍中央の統制へ反抗したと見なされかねない。
そこまで行けば、もはや単なる作戦運用上の対立では済まなくなる。
査察、指揮官の更迭、部隊の再編、研究施設への介入。
理由はいくらでも付けられる。
そして、その先には、希空がいる。
零がいる。
第二世代艦娘たちや、生き残った第一世代艦娘たちもいる。
今、自分が強引に動けば、何が起こるのか。
それを考えるだけで、洋平は身動きが取れなくなっていた。
「……くそ」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
“鳳翔”は、何も言わなかった。
彼女も、今の状況を理解していた。
自分が出撃することさえ、簡単には認められない。命令の合理性に疑問があっても、それを理由に軍中央の指揮を無視するわけにはいかない。
まさに、先月から危惧していたことだった。
「……提督」
“鳳翔”が、静かに声を掛ける。
洋平は、ゆっくりと顔を上げた。
その表情には、先ほどまでの怒りとは別のものが浮かんでいた。
怒りを抑え、今出来ることだけを考えようとしている。
そんな顔だった。
「……海斗に繋いでくれ」
横須賀港。
艦娘母艦「建御雷」。
艦長室の通信画面に映し出された兄の顔を見ながら、神崎海斗は暫く言葉を失っていた。
隣には、美香もいる。
二人の前には、統合作戦司令部から送られてきた作戦命令書が表示されていた。
「……艦娘無し?」
最初に口を開いたのは、美香だった。
『……ああ』
「一人も?」
『一人もだ』
「磐手も?」
『駄目だ』
「……一特艦から借りるのも?」
『認めないそうだ』
美香は、再び命令書へ視線を落とした。
海斗も、何も言わなかった。
今回の任務は、指定された海域での警戒と情報収集。
ただそれだけなら、必ずしも異常な内容ではない。
しかし、今の状況で、わざわざ「建御雷」を出撃させる意味があるのか。
まして、艦娘を一人も伴わずに。
二人とも、その疑問を口にする必要さえ無かった。
「……兄貴」
やがて、海斗が小さく息を吐いた。
『何だ』
「これ、兄貴が出した命令じゃないんだよな?」
通信画面の向こうで、洋平の表情が僅かに歪んだ。
『……ああ』
それだけで、十分だった。
海斗は椅子の背へ身体を預け、天井を仰ぐ。
「……そっか」
『海斗』
「分かってるって」
『何がだ』
「兄貴が、どうにも出来ないってこと」
『…………』
「そういう顔すんなよ」
『こっちの顔なんか気にしてる場合か』
「だからこそだろ」
海斗は、少しだけ笑おうとした。
だが、上手くいかなかった。
洋平がどれほど今回の命令を嫌がっているのか、画面越しでも分かる。
そして、その兄がどうにも出来ないと言っている。
ならば、事態は相当に深刻なのだろう。
『……命令拒否も、選択肢としてはある』
洋平が口を開いた。
美香が、僅かに顔を上げる。
『だが、俺から勧めることは出来ない。拒否した場合に何が起こるか、正直、予測が付かん』
「……拒否したら?」
海斗が尋ねた。
『分からん』
「……だよな」
海斗は、静かに頷いた。
何が起こるか分からない。
それが、最も分かりやすい答えだった。
命令を拒否した結果、自分と美香だけが処分されるのなら、それでも構わないと思えた。
だが、そうなる保証はどこにもない。
第二特務艦隊、第一特務艦隊、特務艦隊司令部、艦娘技術研究所、そして神崎家。
一つの命令拒否を切っ掛けに、そこまで影響が広がる可能性もある。
以前なら、考え過ぎだと笑えたかもしれない。
しかし、今は違った。
先月から続いている一連の動き。
そして、今回の出撃命令。
偶然だと考えるには、あまりにも都合が良過ぎた。
「……兄貴」
『何だ』
「命令通り、出るよ」
『……海斗』
「俺たちが拒否したところで、何も終わらないだろ」
『だからって───』
「兄貴」
今度は、少し強く遮った。
「悪いけど、決めた」
画面越しに、兄弟の視線がぶつかった。
洋平は何かを言い掛けたが、結局、口を閉じた。
海斗の考えていることが、分からないわけではなかった。
自分がここで抵抗すれば、他の誰かが巻き込まれるかもしれない。
ならば、少なくとも自分たちは命令に従う。
それが、海斗なりの判断なのだろう。
だが、兄として。
何より、特務艦隊司令長官として。
簡単に納得出来ることではなかった。
『……すまん』
掠れた声だった。
海斗は、すぐに首を振った。
「謝んなよ」
『……』
「兄貴が出した命令じゃないだろ」
『だが、俺は特務艦隊司令長官だ』
「だから?」
『お前たちを守る立場だ』
海斗は、暫く黙っていた。
それから、少しだけ表情を緩める。
「……だったらさ」
『……何だ』
「残ってる奴を、守ってくれよ」
洋平が、言葉を失った。
「一特艦もいる。鳳翔もいる。研究所だって、希空も零もいるだろ」
『…………』
「他にも、いくらでもいるじゃないか」
海斗は、画面の向こうにいる兄を見つめた。
「そっちを守ってくれ」
それだけだった。
自分たちは大丈夫だとも、必ず帰るとも言わなかった。
そんな保証が無いことくらい、分かっている。
ただ、残される者たちを頼んだ。
洋平は、暫く何も言えなかった。
やがて、ゆっくりと目を伏せる。
『……分かった』
その声は、少しだけ震えていた。
「……ありがとな、兄貴」
『海斗』
「ん?」
『……必ず帰ってこい』
海斗は、ほんの少しだけ笑った。
「……ああ」
通信が切れた。
艦長室に、静寂が戻る。
「……まいったな」
海斗は、通信画面が暗くなったことを確認すると、椅子へ深く座り込んだ。
美香は何も言わず、その隣へ腰を下ろした。
暫くの間、二人とも口を開かなかった。
机上には、依然として作戦命令書が表示されている。
正式な認証を受けた、国防軍の命令。
そこに書かれた通りに動く。
軍人としては、ごく当たり前のことだった。
ただ、その結果として何が待っているのか。
それについては、何一つ保証されていなかった。
「……なあ、美香」
海斗が声を掛けた。
「うん?」
「どう思う?」
「何が?」
「この命令」
少し意地悪な聞き方だった。
美香は、呆れたように小さく笑う。
「……聞かなくても分かってるでしょ」
「まあな」
二人とも、同じところへ辿り着いていた。
あまりにも露骨だったのである。
第二特務艦隊が壊滅した直後に、独立裁量を奪う。
艦娘戦力の再編と本土防衛を理由に、残存戦力の運用を制限する。
その上で、艦娘母艦「建御雷」だけを出撃させる。
しかも、艦娘の同行は一切認めない。
普通に考えれば、危険を減らすための戦力整理が、かえって最も危険な形での出撃を生み出している。
だが、その矛盾を指摘したところで、正式な命令そのものは変わらなかった。
「……ま、罠だよな」
海斗が呟く。
「でしょうね」
美香も、あっさりと頷いた。
「少なくとも、そう疑っておいた方がいいと思う」
「……だよなぁ」
具体的に何が待っているのかは分からない。
どこまでが軍内部の政治的な思惑で、どこからが明確な敵意なのか。
それさえ、まだ見えていなかった。
ただ、何かがおかしい。
その感覚だけは、二人とも同じだった。
「……これも運命なのかな」
不意に、美香が呟いた。
海斗が顔を向ける。
「……美香?」
美香は、机上の命令書を見つめていた。
その表情は、思いのほか落ち着いている。
「例えここで逃げても、いつかは殺されるよ。どんな惨い死に方をするか、想像もしたくない」
淡々とした声だった。
だが、海斗には分かった。
怖くないわけではない。
むしろ、怖いからこそ、こうして言葉にしているのだろう。
「……だから、せめて」
美香は、ゆっくりと顔を上げた。
「『英雄』として、戦場で死にたい」
海斗は、何も言わなかった。
「例え後世で、その最期がどう利用されたとしても……今、誰かを守ることには繋がるはずだから」
その言葉に、海斗は小さく息を呑んだ。
美香は、死にたいわけではない。
それは、誰よりもよく知っている。
生きて帰れるなら、それが一番いい。
零の次の誕生日も祝いたい。
希空の成長を見守りたい。
家族と食事をして、どうでもいい話で笑い合っていたい。
何年も、何十年も。
そうして生きていけるのなら、それ以上に望むことなど無かった。
だからこそ、怖かった。
自分たちが命令を拒否した結果、別の誰かが危険に晒されることが。
自分たちが助かるために、守るべき家族や仲間たちへ危険が及ぶことが。
そして何より。
何も分からないまま、誰かの都合で殺されることが。
「……だからって、簡単に死ぬつもりは無いけどね」
美香は、少しだけ笑った。
「帰れるなら、帰りたいに決まってる」
「……そうだな」
海斗も、小さく息を吐いた。
「英雄、ねぇ……」
「うん」
「俺、そういう柄じゃないんだけどな」
「知ってる」
「……即答かよ」
「だって、海斗だし」
「お前なぁ……」
美香が、少し笑った。
海斗も、つられて笑う。
それだけで、張り詰めていたものが僅かに緩んだ。
長い付き合いだった。
戦場でも、日常でも、何度となくこうして顔を合わせてきた。
互いの考えていることが分からない時もある。
だが、今のような場面で何を優先し、何を守ろうとするのか。
それだけは、ほとんど説明する必要が無かった。
「……まあ」
やがて、海斗が立ち上がった。
「出るからには、帰ってくるぞ」
「うん」
「建御雷だって、戦えない艦じゃないんだ」
「……それも、よく知ってる」
美香も、椅子から立ち上がる。
二人は顔を見合わせた。
そして、いつものように。
「準備しよっか」
「───ああ」
短く頷き合った。
数時間後 艦娘技術研究所
「……なんで?」
通信画面に映し出された父と母を、零は納得出来ない顔で見つめていた。
開口一番、それだった。
「なんで俺は駄目なんだよ」
『さっき説明しただろ』
海斗が答える。
『今回は、俺たちだけで行く』
「だから、なんで!」
零は、すぐに言い返した。
通信設備の前に立つ小さな少年は、つい先日、六歳になったばかりだった。
その横には希空がいる。
彼女も、今回の命令については既に説明を受けていた。
さらに少し離れた場所には、研究所の妖精たちが何人か集まっている。
零が本気で動き出した場合、今の彼を力尽くで止められる者がほとんどいないことは、全員が理解していた。
それでも、黙って見ているわけにはいかなかったのである。
「……軍の命令なんだろ?」
『ああ』
「艦娘を連れていくなって?」
『そうだ』
「だったら、俺は関係ないじゃん」
『……零』
「俺、艦娘じゃないし。そもそも軍人でもない」
返答は、あまりにも早かった。
その理屈自体は、間違っていない。
零は艦娘ではない。
国防軍の正式な軍人でもない。
通常の部隊編成へ組み込まれた戦闘要員でもなかった。
だが、それで話が終わるわけではない。
『そういう問題じゃないんだ』
海斗が答える。
「じゃあ、どういう問題なんだよ」
『……』
「俺なら行ける」
零は、一歩前へ出た。
「建御雷に乗らなくても追いつけるし、艦内にいなくたって守れる。敵が出てきたら、俺が戦えばいい」
その言葉は、決して幼い子供の強がりではなかった。
実際に出来るのである。
零は、通常の艦艇とは比較にならない移動能力を持っている。
必要ならワープによって長距離を移動し、艦艇の航行速度に縛られることなく行動出来る。
そして、その戦闘能力もまた、普通の六歳児という枠組みからは完全に外れていた。
何かが現れたとしても、零なら対処出来る可能性は十分にある。
いや、敵の規模によっては、彼一人で状況そのものを覆しかねなかった。
だからこそ。
『……駄目だ』
海斗は、はっきりと首を横に振った。
「なんで!」
『駄目なものは駄目だ』
「理由になってないだろ!」
零の声が強くなる。
「俺がいた方が安全なのは、父さんだって分かってるだろ!」
『……分かってるよ』
「だったら!」
『零』
美香が、静かに名前を呼んだ。
零の動きが、一瞬だけ止まる。
『今回は、来ないで』
「……母さんまで」
『お願い』
「でも……」
『零』
今度は、海斗だった。
その声には、普段よりも強いものが混じっていた。
『来るな』
零の表情が固まった。
怒鳴られたわけではない。
声を荒らげられたわけでもない。
だが、その一言が、どれほど強い意思で告げられたものなのかは分かった。
「……俺が行ったら、迷惑?」
零は、少しだけ声を落とした。
『違う』
海斗は、即答した。
『お前が弱いからでもない』
「……じゃあ、何で」
海斗は、暫く黙っていた。
画面の向こうで、美香が彼の横顔を見つめている。
やがて海斗は、静かに口を開いた。
『……父さんと母さんが、来てほしくないんだ』
「…………」
零は、何も言えなくなった。
軍の命令ではない。
艦娘だから駄目だという話でもない。
まして、零に戦う力が無いからでもない。
父と母が、来てほしくないと言っている。
それだけだった。
しかし、零にとっては、それが一番納得し難い理由でもあった。
自分が行けば、守れるかもしれない。
何かが起きても、自分が戦えばいい。
少なくとも、何もせずに見送るよりはずっといいはずだった。
それなのに。
「……俺がいた方が、安全なのに」
零は、小さく呟いた。
『……かもしれないな』
海斗は否定しなかった。
『それでも、だ』
「…………」
『今回は、残れ』
零は、俯いた。
両手が、強く握り締められている。
自分の力が足りないと言われたのなら、まだ良かった。
もっと強くなればいい。
もっと上手く使えるようになればいい。
そうすれば、今度は連れていってもらえる。
だが、今回は違う。
父も母も、零の力を理解している。
その上で、来るなと言っているのだ。
「……嫌だ」
零が呟いた。
『零』
「……嫌だけど」
そこから先が、続かなかった。
横にいた希空が、そっと零の肩へ手を置く。
零は、振り払わなかった。
ただ、俯いたまま動かない。
希空も、何も言わなかった。
彼女自身、海斗と美香の判断を簡単に受け入れられるわけではない。
だが、だからといって今ここで零を送り出すことが、本当に二人の望む結果へ繋がるのか。
その答えを、彼女も持っていなかった。
『……悪いな』
海斗が言った。
零は、顔を上げなかった。
暫く、沈黙が続いた。
やがて。
「……絶対、帰ってきて」
小さな声だった。
零は、ゆっくりと顔を上げる。
画面の向こうには、いつもの父と母がいる。
ほんの少し前まで、誕生日を一緒に祝ってくれた二人だった。
あの日と、何も変わらないように見える。
だからこそ、零はその言葉を口にした。
「……絶対だから」
美香が、僅かに目を細めた。
『……うん』
そして、優しく頷く。
『分かってるよ』
海斗も、静かに頷いた。
『……行ってくる』
零は、それ以上何も言わなかった。
通信が切れる。
画面が暗くなった後も、零は長いことその場から動かなかった。
希空も、彼の肩に置いた手を離さなかった。
横須賀
艦娘母艦「建御雷」
艦内では、出港準備が進められていた。
通路を行き交うのは、人間と変わらない大きさまで身体を拡大した妖精たちである。
艦娘技術研究所と同様、「建御雷」でも多数の妖精たちが乗組員として勤務していた。
機関、兵装、航法、通信、各種艦内設備。
それぞれの部署で最終確認が続けられ、艦内放送には、いつものような報告の声が流れている。
『第一機関、異常ありません!』
『主砲及び補助兵装、点検完了!』
『弾薬庫、確認終了!』
『通信設備、問題無し!』
慌ただしい。
だが、それは出港前の艦艇として、ごく普通の光景だった。
妖精たちは、今日も自分たちの仕事をこなしている。
何か特別なことが起きているようには見えなかった。
ただ、一つだけ。
いつもと明らかに違う場所があった。
艦娘収容区画である。
そこは、驚くほど静かだった。
普段なら、出撃準備を行う艦娘たちの声が聞こえてくる。
艤装を点検する者。
武装を確かめる者。
出撃前の作戦確認を行う者。
時には、これから戦場へ向かうとは思えないほど賑やかな会話が交わされることもあった。
だが、今日は違う。
艦娘の姿が、一人も無かったのである。
収容区画は空のまま。
整備設備も、待機区画も。
本来なら、この艦が最も活発に使うはずの場所が、今は静まり返っていた。
「……変な感じ」
艦橋で報告を確認していた美香が、ぽつりと呟いた。
隣にいた海斗が顔を上げる。
「ん?」
「……静かだなって」
「ああ」
海斗は、少しだけ苦笑した。
「そうだな」
「こいつだけで出ることなんて、ほとんど無かったもんね」
「そりゃ、艦娘母艦だからな」
海斗は、艦橋の窓から甲板へ視線を向けた。
そこには、いつもと変わらない設備が並んでいる。
艦娘を運用するために造られ、何度となく改修されてきた巨大な艦。
長年、第二特務艦隊の旗艦として戦い続けてきた「建御雷」。
その能力は、決して艦娘の輸送だけに留まるものではなかった。
火力もある。
防御力もある。
指揮通信能力も、普通の艦艇とは比較にならないほど充実している。
しかし。
「……今更だけどさ」
海斗が、ぼそりと呟いた。
「艦娘を一人も乗せない艦娘母艦って、名前に偽りありだな」
「……今回だけでしょ」
「そう願いたいもんだ」
海斗が肩を竦める。
美香も、小さく笑った。
だが、それ以上は何も言わなかった。
二人とも、今回の任務がどれほど不自然なのかを理解している。
それでも、今ここで出来ることは限られていた。
艦長として。
艦隊司令として。
出撃する以上は、艦を万全の状態にしておかなければならない。
「艦長!」
妖精の一人が、報告にやってきた。
「出港準備、完了しました!」
「了解」
美香の表情が、すぐに引き締まった。
「各部署、離岸準備」
「了解!」
命令が艦内へ伝えられる。
岸壁側でも作業が進み、係留索が順次外されていった。
曳船が所定の位置へつき、巨大な「建御雷」の船体が、ゆっくりと岸壁から離れ始める。
艦橋から見える横須賀の景色は、いつもと変わらなかった。
軍港に停泊する艦艇。
岸壁を走る作業車両。
遠くに見える施設群。
それらの向こうには、普段通りの日常が広がっている。
海斗は、暫くその光景を眺めていた。
何度も、ここから出撃してきた。
何度も、帰ってきた。
北方海域での戦いから戻ってきた時も、そうだった。
大きな損害を受け、艦内には多くの負傷者がいた。
帰ってこなかった艦娘たちもいた。
それでも、「建御雷」は横須賀へ帰ってきた。
今回も、同じようにすればいい。
出撃し、任務を終え、帰投する。
ただ、それだけのことだった。
「……建御雷、出港します」
美香が告げた。
それに続いて、各部署へ命令が伝えられる。
機関出力が上がり、船体がゆっくりと前進を始めた。
岸壁が遠ざかっていく。
やがて「建御雷」は、港外へ向けて進路を取った。
出港から、暫く経った頃。
「建御雷」の艦内通路を、一人の妖精が歩いていた。
人間と変わらない大きさまで身体を拡大した、乗組員の一人である。
出港準備に伴う物資搬入は、既に終了していた。
現在は、各区画の状態を確認し、必要に応じて積載物の固定状況を再点検しているところだった。
そんな彼女が、物資庫の一つを通り掛かった時だった。
「……ん?」
足が止まる。
扉が、僅かに開いていた。
本来なら、出港前に施錠されているはずの区画である。
閉め忘れだろうか。
不思議に思いながら、妖精は扉へ近付いた。
そして、そっと中を覗き込む。
「……え?」
思わず、そんな声が漏れた。
───人がいた。
物資の積まれた区画の隅。
壁へ背中を預けるようにして、一人の少女が座り込んでいる。
普通の服を着ていた。
艤装も無ければ、武器も持っていない。
その姿だけを見れば、どこにでもいる少女だった。
───だが。
妖精は、目を丸くした。
見覚えがある……どころではない。
何年も一緒に過ごし、何度も戦場で顔を合わせてきた相手だった。
そして、ほんの少し前まで研究所で療養していたはずの人物でもある。
「……い、出雲さん?」
「……あ」
“出雲”は、少しだけ困ったように笑った。
それから、そっと人差し指を口元へ立てる。
「……しーっ」
妖精は、数秒ほど固まった。
状況を理解するまでに、少しばかり時間が必要だった。
何しろ、そこにいるはずのない人物が、何食わぬ顔で座っているのである。
しかも、今の“出雲”は戦闘艤装を失い、艦娘としては再起不能と判定されている身だった。
何故、その彼女が、誰にも知らせず、出撃中の「建御雷」に乗っているのか。
「……え、ええっ!?」
妖精の表情が変わった。
“出雲”も、それを見て嫌な予感を覚えたらしい。
「……あの、落ち着いて───」
「司令官ーーーーーっ!!」
「ちょっ!?」
直後。
艦内へ、盛大な叫び声が響き渡った。
「…………お前」
海斗は、額を押さえていた。
目の前には“出雲”。
普通の服を着た少女が、少しばかり居心地悪そうに立っている。
隣では美香が、呆然とした表情で二人を見比べていた。
「……何でいるんだ?」
海斗が尋ねる。
“出雲”は、一度だけ視線を動かした。
それから、静かに答える。
「……乗りました」
「見りゃ分かる!」
「……はい」
「はいじゃない!」
海斗の声が、艦内へ響いた。
美香は暫く黙っていたが、やがて大きく息を吐いた。
「……出雲」
「はい」
「……何してるの?」
「一緒に行こうと思いまして」
「だから、それが駄目なんでしょうが……」
“出雲”は、少しだけ視線を逸らした。
その反応に、海斗はますます頭が痛くなる。
「……お前なぁ」
「……はい」
「そもそも、どうやって乗ったんだよ」
「出港直前です。搬入作業で人の出入りが多かったので、その時に……」
「方法を聞いてるんじゃない!」
「……さっき、聞きましたよね?」
「そういう意味じゃねぇよ!」
海斗が、とうとう声を荒らげた。
“出雲”は、少しだけ困ったように眉を寄せる。
だが、悪びれた様子はあまり無かった。
その態度が、余計に腹立たしい。
「……今回、艦娘戦力は随伴禁止だって分かってるだろ?」
「はい。分かってます」
「だったら、何で乗った!」
“出雲”は、暫く黙っていた。
そして、妙に落ち着いた表情で口を開く。
「……今の私は、戦力として数えられていないんですよね?」
「……は?」
海斗の眉が、ぴくりと動いた。
“出雲”は、そのまま続けた。
「艤装もありませんし、戦闘復帰の見込みも立っていません。公式な判定も、再起不能です」
「……だから?」
「今回、随伴が禁止されているのは、艦娘戦力ですよね?」
「…………」
「私は、戦力としては数えられていません」
少しだけ間を置いて。
「ですから、随伴艦娘戦力には該当しません」
「……屁理屈にも程があるだろ!!」
海斗の声が、一段と大きくなった。
“出雲”は、僅かに身を引いた。
だが、引き下がるつもりは無いらしい。
「……でも、間違ってはいません」
「間違ってる! 少なくとも、そういう意味で書かれた命令じゃない!」
「……そうでしょうか?」
「そうだよ!」
美香が、とうとう額へ手を当てた。
どうにも、笑いそうになっている。
しかし、笑っている場合ではない。
今の“出雲”は、艦娘として戦闘不能なだけではない。
あれほど酷い損傷から、ようやく身体が戻ってきたばかりなのだ。
普段の生活を送れる程度には回復しているものの、長時間の活動や無理な運動は、まだ避けなければならない。
まして、戦場へ連れていくなど、論外だった。
「……出雲」
美香が、改めて口を開いた。
「はい」
「……研究所には?」
「言ってません」
「特務艦隊司令部には?」
「言ってません」
「兄さんには?」
「言ってません」
「……私たちには?」
“出雲”は、ほんの少しだけ首を傾げた。
「……言ったら、止めるでしょう?」
「当たり前でしょ!!」
今度は、美香の声が艦内へ響いた。
海斗は、とうとう天井を仰いだ。
「……あー、もう」
“出雲”が、少しだけ困ったように笑う。
「……ごめんなさい」
「謝るなら、最初からやるなよ……」
「でも、今ここにいるのは、私の意思ですから」
海斗が、ゆっくりと顔を戻した。
“出雲”の表情は、先ほどまでと少し変わっていた。
相変わらず穏やかで、落ち着いている。
しかし、その目には、はっきりとした意思があった。
「……戻るぞ」
海斗が言った。
「今からでも横須賀へ引き返す」
「……もう、随分離れましたよ?」
「お前一人を降ろすためにでも戻る」
「そうしたら、出撃命令で指定された時刻に遅れます」
「……誰のせいだと思ってんだ!」
「私です」
「分かってんじゃねぇか!」
美香が、また額を押さえた。
今度こそ、笑いを堪えるのが難しくなっていた。
「……本当に、もう……」
海斗も、暫く“出雲”を睨んでいた。
その上で、改めて口を開く。
「……お前、今の自分がどういう状態か分かってるのか?」
「はい」
「艤装は無い。まともな戦闘能力も無い。身体だって、まだ完全に治りきってないんだぞ」
「……分かってます」
「分かってるなら、何で来たんだよ」
今度は、すぐに返事が無かった。
“出雲”は、少しだけ俯いた。
それから、ゆっくりと顔を上げる。
「……今まで、命令は聞いてきました」
海斗の動きが止まった。
「でも、今回は聞きません」
「……出雲」
「戦えないのは、分かってます。艤装も無いし、今の私がいたところで、戦力にはなれません」
その声は、静かだった。
「……それでも、行きます」
美香が、“出雲”を見つめた。
「……何も出来ないかもしれないよ」
「はい」
「本当に、何も」
「……それでもいいです」
少しだけ、間が空いた。
“出雲”は、海斗と美香を交互に見た。
「一緒にいます」
その言葉に、二人とも何も返せなかった。
“出雲”は、長い間、第二特務艦隊の旗艦艦娘として戦い続けてきた。
誰よりも早く艦娘となり、誰よりも長く実戦経験を積み、幾度となく仲間たちを守ってきた存在だった。
そして、彼女にとって海斗と美香は、単なる上官ではなかった。
出会った時から家族だったわけではない。
血の繋がりがあるわけでもない。
それでも、長い年月を共に過ごしてきた。
海斗、美香、希空、そして零。
今では、家族と呼んでも何ら不思議ではないほど、深い繋がりがある。
その二人が、明らかに危険な任務へ向かおうとしている。
何も出来ないかもしれない。
守ることさえ、出来ないかもしれない。
それでも、一緒にいたい。
ただ、それだけだった。
海斗は、暫く何も言わなかった。
やがて、大きく息を吐く。
「……兄貴に、何て説明すりゃいいんだよ」
“出雲”は、少し考えた。
そして、平然と答えた。
「……知らなかった、でいいと思います」
「実際、知らなかったよ!」
「……なら、問題ありません」
「問題しかねぇよ!!」
また、盛大な声が艦内へ響いた。
美香は、とうとう堪えきれず、小さく笑ってしまった。
海斗が振り向く。
「……笑うなよ」
「ごめん。でも……」
美香は、再び“出雲”へ目を向けた。
そして、呆れたように溜め息を吐く。
「……本当に、勝手なんだから」
“出雲”は、何も返さなかった。
ただ、少しだけ微笑んだ。
海斗は、そんな二人を暫く見比べていた。
帰港して“出雲”を降ろす。
それが、最も確実な方法なのだろう。
だが、そのために出撃を中断すれば、中央から何を言われるか分かったものではない。
ただでさえ、今回の命令は不自然なのだ。
些細な口実すら与えたくないという思いもあった。
そして何より。
“出雲”が、簡単に引き下がるとは思えなかった。
長年付き合ってきたからこそ、分かる。
普段は冷静で、滅多なことでは我を通さない。
だが、一度本気で決めたことについては、驚くほど頑固になる。
今回も、そうなのだろう。
「…………はぁ」
海斗は、深く息を吐いた。
それから、“出雲”を見据える。
「……絶対に、戦うなよ」
“出雲”が顔を上げた。
「……はい」
「今のお前に戦わせる気は無い。何が起きても、勝手に外へ出るな。俺たちの指示に従え」
「……分かりました」
「今度は、ちゃんと聞けよ」
“出雲”は、少しだけ考えた。
そして。
「……努力します」
「そこは即答で聞け!!」
美香が、また笑った。
“出雲”も、今度は少しだけ笑みを浮かべた。
海斗は、とうとう諦めたように天井を仰ぐ。
「……まったく」
何故、こんなことになっているのか。
ほんの少し前まで、再び目を覚ますかどうかさえ分からなかった相手だった。
それが今では、勝手に密航し、命令書の文言を盾に屁理屈を並べ、自分たちと一緒に行くと言って聞かない。
普通なら、呆れるところだった。
実際、呆れている。
だが、それでも。
こうしてまた、彼女と話せている。
いつものように、少しばかり困らされている。
そのことが、どこか嬉しくもあった。
「……とにかく」
海斗が、改めて口を開いた。
「艦内で大人しくしてろ。体調が悪くなったら、すぐに医療班へ言え。勝手な判断もするな」
「……はい」
「それから、今後は絶対にこんな真似するな」
「…………」
「……おい」
「……善処します」
「だから、そこは即答しろって!」
今度は、美香も声を上げて笑ってしまった。
その笑い声を聞きながら、“出雲”は、少しだけ安心したように表情を緩めた。
艦橋の窓の向こうでは、既に横須賀の港は小さくなっていた。
青い海が、どこまでも広がっている。
「建御雷」は進路を変えることなく、指定された海域へ向けて航行を続けていた。
その艦内には、海斗と美香がいる。
大勢の妖精乗組員たちがいる。
そして、誰にも知られず乗り込んできた、艤装を持たない一人の艦娘がいた。
かつて第二特務艦隊を率い、長年にわたって仲間たちを守り続けてきた少女。
今はもう、戦場へ立つ力を失った“出雲”。
それでも彼女は、自分の意思でこの艦に乗ることを選んだ。
続く
あ と が き
再起不能だったが故に「艦娘」カテゴリで監視されていなかったのが、功を奏した形。
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