自我持つ兵器の英雄譚   作:Nyappy-

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強くなった艦娘母艦。



61. 静けさの中で

 

太平洋上

 

艦娘母艦「建御雷」は、予定された航路を東へ進んでいた。

 

出港直後に発覚した“出雲”の密航騒ぎも、ひとまずは落ち着いている。

 

 

もっとも、海斗の機嫌まで直ったわけではなかった。

 

「……出雲」

 

「はい」

 

「もう一回言っとくぞ」

 

艦内通路を歩きながら、海斗が隣へ視線を向ける。

 

“出雲”は普通の服を着たまま、何食わぬ顔で後ろをついてきていた。

 

「甲板には勝手に出るな。戦闘になっても艦内から出るな。何かあったら、必ず俺か美香の指示に従え」

 

「はい」

 

「本当に分かってるか?」

 

「分かってます」

 

「さっき『善処します』って言った奴の返事は信用出来ないんだよ」

 

「今回はちゃんと聞きます」

 

「今回はって何だよ」

 

少し前を歩いていた美香が振り返り、呆れたように笑った。

 

「もういいじゃない。乗っちゃったものは仕方ないでしょ」

 

「そういう問題じゃないんだよなぁ……」

 

「帰ったら洋平兄さんにも怒られるだろうし」

 

「多分、俺まで一緒に怒られるぞ」

 

「どうして?」

 

「監督責任とか言われる」

 

そこで、“出雲”が口を挟んだ。

 

「私は誰にも言わずに乗ったので、司令官は悪くないですよ」

 

「お前がそれ言っても何の慰めにもならん」

 

「そうですか」

 

「そうだよ」

 

美香が小さく笑った。

 

「まあ、帰ったら三人で怒られようか」

 

「何でお前まで巻き込まれるんだよ」

 

「夫婦だから?」

 

「そこだけ妙に律儀だな」

 

「当然でしょ」

 

いつものような会話だった。

 

“出雲”も、少しだけ笑う。

 

戦場へ向かっているという事実そのものは変わらないが、それでも「建御雷」の中は、今までと大きく変わらないようにも見えた。

 

通路では妖精たちが行き交い、機関部では計器の確認が続けられ、弾薬庫では主砲弾の数量と状態を改めて調べている。通信室からは定時報告が上がり、艦橋では航法担当の妖精が海図と現在位置を照合していた。

 

艦内の至るところで、いつも通りの仕事が行われている。

 

ただし、そこには決定的な違いがあった。

 

 

第二特務艦隊の艦娘たちがいない。

 

 

違いは、その一点だけだった。

 

「……静かですね」

 

“出雲”が呟く。

 

海斗も、周囲を見回した。

 

「妖精たちはいつも通り騒がしいけどな」

 

「そうじゃなくて」

 

「分かってる」

 

いつもなら、艦娘たちの声もそこへ混ざっていた。

 

廊下ですれ違い、食堂で騒ぎ、出撃準備をする。装備の調子について文句を言う者もいれば、これから戦場へ向かうというのに、何でもない話で笑っている者もいた。

 

そうした光景が、今は無い。

 

“出雲”自身も、普段ならその中にいる側だった。

 

「……変な感じです」

 

「お前が普通の格好で歩いてるから、余計にな」

 

「似合いません?」

 

「そういう意味じゃない」

 

「じゃあ、どういう意味ですか?」

 

「艤装背負ってないお前を見る機会が、今まであんまり無かったってこと」

 

「ああ……」

 

“出雲”は、自分の身体へ目を落とした。

 

何も無い。

 

背負うものも、手に持つものも無い。肩や背中に掛かっていた重量は消え、身体の動きを妨げる装備も無くなっている。

 

本来なら、随分と身軽になったはずだった。

 

しかし、今の“出雲”には、どうにもそうは思えなかった。

 

長年、当たり前のように身につけていたものが無い。

 

むしろ、何か大切なものを忘れてきたような感覚の方が強かったのである。

 

 

「そういえば」

 

美香が、ふと思い出したように口を開いた。

 

「出雲、機関室とかってあんまり行ったことないよね」

 

「無いですね」

 

「見てく?」

 

“出雲”が顔を上げる。

 

「いいんですか?」

 

「邪魔しないなら」

 

「それくらいなら問題無いだろ」

 

海斗も頷いた。

 

「どうせ暇だろ」

 

「暇って言わないでください」

 

「戦うなって言われてる艦娘が、戦場で暇じゃなかったら困るんだよ」

 

「……それはそうですけど」

 

“出雲”は、少しだけ不満そうな顔になった。

 

もっとも、反論出来るわけでもない。

 

戦闘艤装を失い、身体も完全には回復していない今の自分に、出来ることなど限られていた。

 

まして海斗たちからは、何が起きても戦闘へ参加するなと、繰り返し釘を刺されている。

 

そのことについて、今回ばかりは言い返すつもりも無かった。

 

三人は、そのまま機関区画へ向かった。

 

 

 


 

 

 

「───お?」

 

機関室へ入ってきた“出雲”を見て、妖精の一人が目を丸くした。

 

「珍しいのが来たな」

 

「お邪魔します」

 

「艤装は?」

 

「ありません」

 

「知ってる」

 

「じゃあ聞かないでください」

 

妖精が笑った。

 

機関室では複数の妖精たちが各種計器を確認し、配管や補機類の状態を点検していた。

 

巨大な艦体を動かす、「建御雷」の心臓部。

 

その中心にあるのが、二基の核融合機関だった。

 

「建御雷」と「建御名方」。

 

艦娘母艦として建造された二隻は、既に双方とも従来の機関から核融合機関への換装を終えている。

 

従来の機関設備を基礎として改良を重ねるだけでは、もはや対応し切れなくなった性能要求。それに応えるため、艦内の機関構成そのものへ大規模な手が加えられていたのである。

 

「……へぇ」

 

“出雲”は、しばらく周囲を見回した。

 

人間と変わらない大きさの妖精たちが、忙しそうに働いている。

 

計器を読み取る者。

 

端末へ数値を入力する者。

 

機関の状態を確認し、互いに報告を交わす者。

 

その様子は、艦橋や整備区画で見慣れた光景と大きく変わらない。

 

ただし、扱っている設備の規模が違った。

 

「……前と音が違いますね」

 

「分かるのか?」

 

機関担当の妖精が、少し驚いた顔をした。

 

「何となくですけど。昔はもっと、こう……」

 

“出雲”が言葉を探す。

 

「五月蝿かったような」

 

「雑だなぁ」

 

「でも、合ってるだろ」

 

海斗が笑う。

 

妖精も、苦笑しながら頷いた。

 

「まあな。主機を核融合機関に換えたから、以前とは随分違うぞ」

 

「二基とも?」

 

「ああ。第一機関も第二機関も、調子はいい」

 

「建御名方の方も?」

 

「とっくに換装済み。二隻揃ってな」

 

「へぇ……」

 

当然ながら“出雲”も、機関が換装されたという話自体は知っていた。

 

しかし、こうして機関室まで足を運び、実際に稼働している設備を見学する機会はほとんど無かったのである。

 

艦娘にとって「建御雷」は、長く戦場を共にしてきた母艦だった。

 

普段はそこで生活し、補給や整備を受け、必要になれば発艦する。

 

戦いが終われば帰投し、再び次の出撃へ備える。

 

もちろん、艦そのものの性能や設備について全く知らないわけではない。

 

だが、自分たちを運ぶ艦艇が、内部でどのように動かされているのか。その全てを意識する必要までは無かった。

 

「これ、ずっと見てるんですか?」

 

“出雲”が、計器を覗き込みながら尋ねる。

 

「まあ、監視自体は常時だな。何かおかしな数字が出れば、すぐ分かるようになってる」

 

「今は?」

 

「問題無し。第一機関、第二機関とも快調。出力も予定通り、異常な振動も無し」

 

「……凄いですね」

 

「何が?」

 

「いや、こういうのをちゃんと見るの、初めてだなって」

 

「お前らは出て撃って帰ってくるだけだからな」

 

「酷くないですか?」

 

「間違ってないだろ」

 

「……間違ってないですけど」

 

また笑い声が起きた。

 

妖精はそのまま別の計器へ目を戻し、“出雲”も邪魔にならない位置から、興味深そうに設備を眺めている。

 

海斗は少し離れた場所で、その様子を見ていた。

 

隣へ、美香が並ぶ。

 

「楽しそう」

 

「そうだな」

 

「出雲も、こういう時間くらいあっていいでしょ」

 

「まあな」

 

戦い続けてきた艦娘が、普段は見ない機関室を見学している。

 

それだけのことだった。

 

だが、考えてみれば、“出雲”にはそうした時間があまり無かったのかもしれない。

 

世界で最初の艦娘として生まれ、以来、何年もの間、戦場に立ち続けてきた。

 

海斗たちも、その姿に慣れてしまっていた。

 

強く、頼りになり、何かあれば誰よりも早く前へ出る。

 

そういう存在だったからこそ、今のように何も持たず、普通の少女として船内を見て回る姿が、妙に新鮮に映るのである。

 

「……それはそれとして」

 

海斗が、腕を組んだ。

 

「帰ったら、二度と密航させないけど」

 

「そこは譲らないんだ」

 

「当たり前だろ」

 

美香は、呆れたように笑った。

 

その頃には、機関担当の妖精が何やら別の設備について説明を始めていた。

 

“出雲”は熱心に耳を傾け、時折質問もしている。

 

随分と珍しい光景だった。

 

海斗は、そんな彼女を暫く眺めていた。

 

出撃命令が下った時には、こんな時間を過ごすことになるとは思ってもいなかった。

 

だが、悪い気分ではなかった。

 

少なくとも今は、艦内に何の異常も起きていない。

 

機関は快調。

 

航行にも問題は無い。

 

妖精たちも、いつも通りの仕事を続けている。

 

 

戦場へ向かっているということを除けば、ごく普通の航海だった。

 

 

 


 

 

 

その頃。

 

艦娘技術研究所では、零が端末に表示された「建御雷」の位置情報を見つめていた。

 

「……今ここ?」

 

「そうだね」

 

希空が、隣から画面を覗き込む。

 

「さっきの定時報告を基準にすると、この辺りかな」

 

「通信は?」

 

「さっき連絡があったばかりでしょ」

 

「もう一回してもいいだろ」

 

「用も無いのに?」

 

「…………」

 

零は黙った。

 

希空は、少し困ったように笑う。

 

「心配なのは分かるけど」

 

「別に」

 

「じゃあ、その画面をずっと見てるのは何?」

 

「暇だから」

 

「はいはい」

 

零は反論しなかった。

 

画面上では、「建御雷」を示す表示が予定航路に沿ってゆっくりと移動している。

 

定時報告によって更新される位置情報と、そこから推定された現在位置。

 

それ自体は、何の変哲も無いものだった。

 

だが、零は何度もその表示へ目を向けていた。

 

今からでも、行ける。

 

そう考えていないわけではなかった。

 

自分なら追いつける。

 

何かあれば戦える。

 

父も母も守れる。

 

その自信には、相応の根拠があった。

 

零は、既に自分がどれほど普通の人間とかけ離れた存在なのかを理解している。

 

長距離を一瞬で移動することも、人間には到底扱えないような力を振るうことも、今の自分なら出来る。

 

だから、なおさら納得出来なかった。

 

何故、父と母は自分を連れていってくれなかったのか。

 

危険なら、守ればいい。

 

敵が強いなら、自分が戦えばいい。

 

単純な話のはずだった。

 

……しかし。

 

『来るな』

 

海斗の言葉が、まだ頭に残っている。

 

自分の力を知らないから、そう言ったわけではない。

 

何が出来るのかを理解した上で、来るなと言ったのだ。

 

そして、美香も同じだった。

 

零は、握り締めていた拳をゆっくりと開いた。

 

「……絶対、帰ってきてよ」

 

誰に聞かせるつもりでもない、小さな呟き。

 

その声が、遠く離れた「建御雷」へ届くことは無かった。

 

だが、隣にいた希空には聞こえていた。

 

彼女も、画面へ目を向ける。

 

そこに表示された、小さな艦の位置。

 

その中には、父と母がいる。

 

何年も一緒に暮らしてきた、かけがえのない家族だった。

 

希空自身も、今回の命令に疑問を感じていないわけではない。

 

出来ることなら、自分たちが何かをしてあげたい。

 

しかし、海斗も美香も、それを望まなかった。

 

少なくとも今は、二人の意思を尊重するしかなかったのである。

 

「……そうだね」

 

希空は、零の隣で小さく呟いた。

 

「ちゃんと帰ってきてほしいね」

 

零は、何も答えなかった。

 

ただ、もう一度画面へ視線を戻した。

 

 

 


 

 

 

同じ頃。

 

別の場所でも、「建御雷」の航行状況が確認されていた。

 

「予定航路を維持」

 

「遅延は?」

 

「ありません」

 

「随伴艦娘は?」

 

「確認されていません。命令通りです」

 

端末には、「建御雷」の出港時刻、現在位置、予定航路、そして任務区域までが表示されていた。

 

そこに、“出雲”の名前は無い。

 

乗艦名簿にも、随伴戦力一覧にも。

 

艦娘の欄は、空白のままだった。

 

そもそも彼女は、正式な手続きを経て乗艦したわけではない。しかも、現在の戦力評価では再起不能と判定されている。

 

したがって、この場で確認されている作戦資料に、彼女が随伴戦力として記載されているはずも無かった。

 

「予定通りか」

 

「はい」

 

男は、表示された航路を指でなぞった。

 

現在位置。

 

予定通過時刻。

 

航行速度。

 

そして、その先にある海域。

 

全てを確認すると、別の端末を操作した。

 

「……送れ」

 

短い命令だった。

 

担当者が頷く。

 

必要な情報が整理され、転送用の形式へ変換されていく。

 

「送信準備、完了しました」

 

「実行しろ」

 

「了解」

 

それだけだった。

 

画面から情報が消え、別の経路へ流れていく。

 

出港時刻、航路、速度、任務区域。

 

そこに記されているのは、ごく普通の艦艇運用情報に過ぎなかった。

 

ただし、その情報が誰の手に渡るのか。

 

それを知っている者は、限られていた。

 

 

 


 

 

 

「艦長」

 

「ん?」

 

美香が顔を上げる。

 

艦橋では、航法担当の妖精が海図と端末を見比べていた。

 

「支援航空隊、予定通り離脱します」

 

「了解」

 

「近傍を航行中の通常艦隊からも、これ以降は定時情報共有のみとなります」

 

「そっちも了解」

 

美香が答え、海斗へ目を向けた。

 

「ここから先は、本当に私たちだけだね」

 

「みたいだな」

 

海斗は、艦橋の窓から外を眺めた。

 

海は穏やかだった。

 

天候も悪くない。

 

視界も良好。

 

青い海面には、緩やかな波が立っている。

 

少なくとも、見える範囲には何も無かった。

 

「……妙だな」

 

ふと、海斗が呟いた。

 

「何が?」

 

「静かすぎる」

 

「静か?」

 

美香も、窓の外へ目を向ける。

 

「敵がいないなら、良いことでしょ」

 

「まあ、そうなんだけどな」

 

海斗は、艦橋内の情報端末へ近付いた。

 

ここまでに受信した索敵情報。

 

通常艦隊から送られてきた周辺海域の情報。

 

航空偵察の結果。

 

「建御雷」自身の探知記録。

 

それらを、一通り確認する。

 

深海棲艦の活動が完全に無いわけではない。

 

しかし、妙に薄かった。

 

この海域周辺でも、以前は小規模な反応が断続的に確認されていた。

 

ところが、今は違う。

 

直近の報告を追っていくと、それまで存在していた反応が、まるで「建御雷」の進路を避けるように分布を変えている。

 

もちろん、単なる偶然かもしれない。

 

敵が別の場所へ移動しただけという可能性もある。

 

実際、深海棲艦の行動が常に一定の規則へ従っているわけではなかった。

 

しかし。

 

「……何か、避けられてるみたいだな」

 

海斗が呟いた。

 

「私たちが?」

 

「いや……分からん」

 

美香も隣へ立ち、表示された情報を眺める。

 

「偶然じゃない?」

 

「ならいい」

 

海斗はそう答えたものの、端末から目を離さなかった。

 

戦場で敵がいないことは、決して悪いことではない。

 

むしろ、望ましい状態である。

 

だが、本当に敵が存在しないのか。

 

それとも、何らかの理由で見えなくなっているのか。

 

その違いは、あまりにも大きかった。

 

「司令官」

 

後方から声が掛かった。

 

振り返ると、“出雲”が艦橋の入口に立っていた。

 

「お前、何しに来た」

 

「艦内なら移動してもいいって言ったじゃないですか」

 

「……甲板に出るなとは言ったな」

 

「なので、艦橋に来ました」

 

「理屈ばっかり覚えやがって」

 

海斗が、呆れたように息を吐いた。

 

“出雲”は気にした様子もなく、二人へ近付いてくる。

 

「何かあったんですか?」

 

「今のところ、何も」

 

海斗が答える。

 

「だから気持ち悪い」

 

“出雲”が、表示された索敵情報へ目を落とした。

 

暫く眺める。

 

そして、僅かに眉を寄せた。

 

「……確かに」

 

「お前もそう思うか」

 

「はい。少し、気になります」

 

“出雲”は、画面に表示された反応の分布を見つめた。

 

北方海域での戦闘を経験した彼女にとって、多数の深海棲艦が集結する際の状況は、決して忘れられるものではなかった。

 

あの時は、前衛だけでも十四体もの上位個体が展開し、さらに多数の下位個体まで存在していた。

 

対する今の海域には、ほとんど何も見えない。

 

もちろん、北方海域と今いる太平洋上を単純に比較することは出来ない。

 

しかし、深海棲艦が何らかの作戦行動を取る際、必ずしも全ての個体が同じ場所へ固まるわけではないことも、“出雲”は理解していた。

 

周辺に敵がいないからといって、その先まで安全とは限らない。

 

「……何か、待たれているみたいですね」

 

“出雲”が静かに言った。

 

海斗は、その言葉を否定しなかった。

 

「俺も、そんな気がしてる」

 

「……嫌な感じね」

 

美香が呟いた。

 

そのまま、艦長席へ向かう。

 

「警戒、上げよう」

 

「そうだな」

 

海斗も頷いた。

 

「各部署、警戒態勢を一段階引き上げ。索敵、監視を強化」

 

「了解!」

 

命令が艦内へ伝えられる。

 

艦橋内の妖精たちが端末を操作し、各部署への連絡を始めた。

 

機関室では出力変更へ備え、兵装区画では各種火器の状態を再確認する。

 

まだ戦闘配置ではない。

 

だが、必要になれば即座に移行出来るよう、準備が進められていった。

 

“出雲”は、艦橋の窓から外を眺めた。

 

穏やかな海。

 

青い空。

 

遠くまで広がる水平線。

 

何も見えない。

 

だからこそ、落ち着かなかった。

 

 

 


 

 

 

それから、暫く経った時だった。

 

「司令官!」

 

艦橋へ、鋭い声が飛んだ。

 

「前方海域に反応!」

 

海斗が振り返る。

 

「距離は!」

 

「約七十キロメートル! 単一反応です!」

 

「艦種識別!」

 

「照合中!」

 

美香が、即座に艦長席へ戻った。

 

「針路は?」

 

「こちらへ向かっています!」

 

「速度は?」

 

航法担当の妖精が、数値を読み上げる。

 

その瞬間、海斗の表情が変わった。

 

───速い。

 

通常の深海棲艦と比べても、明らかに異常な数値だった。

 

相手がこちらへ向かっていることは、既に分かっている。

 

だが、その速度では話が違ってくる。

 

「航空索敵は?」

 

「該当空域に機体無し!」

 

「電探反応、かなり大きいです!」

 

美香も、表示された情報を確認した。

 

通常の水上目標ではない。

 

少なくとも、これほど高速で移動する巨大な反応を、通常兵器と判断することは出来なかった。

 

「……深海棲艦か」

 

海斗が呟いた。

 

「その可能性が高いです!」

 

「針路変更を検討。相手の動きを見ろ」

 

「了解!」

 

「こちらが動いた時、向こうも合わせてくるか確認しろ」

 

艦橋内の妖精たちが、一斉に作業を始める。

 

現在の針路。

 

相対速度。

 

目標の予測進路。

 

それらが次々と画面へ表示されていった。

 

そして、ほどなくして。

 

「司令官!」

 

「何だ!」

 

「目標、針路を変更!」

 

「……どう動いた?」

 

「本艦へ向けて、再び接近針路を取っています!」

 

海斗は、奥歯を噛み締めた。

 

偶然、同じ海域を通過しているわけではない。

 

少なくとも、相手は明確に「建御雷」を追っている。

 

「……やっぱりかよ」

 

美香も、険しい表情で表示を見つめていた。

 

「距離、五十キロメートル!」

 

妖精の声が飛ぶ。

 

「識別照合、上位個体の可能性大!」

 

「光学観測は!」

 

「継続中! 映像解析を行っています!」

 

前方海域へ向けられた観測装置が、目標の姿を捉えようとする。

 

しかし、相手は高速で移動している上に、まだ距離もある。

 

単一の巨大な反応であることは分かっても、その正体までは容易に特定出来なかった。

 

 

一方、表示された数値を見つめていた“出雲”は、僅かに目を細めていた。

 

───速い。

 

あまりにも速い。

 

そして、単独で行動している。

 

その情報だけで、嫌な記憶が蘇り始めていた。

 

だが、まだ決め付けるわけにはいかない。

 

深海棲艦の上位個体には、常識外れの速度や戦闘能力を持つものがいる。

 

単独で現れたというだけで、相手を特定することなど出来なかった。

 

「……司令官」

 

“出雲”が、小さく声を掛けた。

 

「何だ」

 

「これ、もしかしたら……」

 

そこで、言葉が止まった。

 

観測画面に、何かが映り始めたのである。

 

最初は、輪郭の曖昧な影だった。

 

しかし、距離が縮まり、観測条件が改善されるにつれて、その姿が少しずつ明瞭になっていく。

 

大きい。

 

明らかに通常の深海棲艦よりも巨大な艤装を備えている。

 

そして、その中心には、人型の個体が存在していた。

 

「……あいつ」

 

“出雲”が呟いた。

 

海斗が振り返る。

 

「何?」

 

美香も、“出雲”へ目を向ける。

 

「もう分かるの?」

 

“出雲”は答えなかった。

 

目の前の観測映像を、食い入るように見つめている。

 

艦娘の身体能力は、人間のそれを大きく上回る。

 

視覚情報の処理能力も例外ではなく、細かな輪郭や動きの違いを識別する能力は極めて高かった。

 

まして“出雲”は、長年の実戦経験を積んだ第一世代艦娘である。

 

かつて幾度となく戦った敵の姿を、そう簡単に忘れるはずがなかった。

 

画面の中で、巨大な艤装の輪郭が徐々に明瞭になっていく。

 

人型の身体。

 

周囲へ展開する砲塔。

 

そして、その特徴的な配置。

 

“出雲”の表情が固まった。

 

見間違えるはずが無かった。

 

ほんの少し前、自分が直接戦った相手。

 

どれほど攻撃しても倒し切れず、最後には自分の全てを叩き潰した相手だった。

 

 

あの北の海で。

 

自分を、海の底へ沈めた存在。

 

 

「……司令官」

 

“出雲”が、ゆっくりと口を開いた。

 

「……あいつです」

 

海斗の表情が変わった。

 

「……まさか」

 

「はい」

 

“出雲”は、画面から目を離さなかった。

 

その声には、先ほどまでの穏やかさが無かった。

 

「間違いありません」

 

「識別急げ!」

 

海斗が叫ぶ。

 

「照合中です!」

 

艦橋内の空気が、一気に張り詰めた。

 

相手との距離は、なおも縮まり続けている。

 

観測映像が更新され、過去の交戦記録との照合結果が次々と表示されていった。

 

 

……やがて。

 

「照合完了!」

 

妖精の声が響いた。

 

 

 

「敵上位個体、“戦艦棲姫”!」

 

 

 

艦橋が静まり返った。

 

美香が海斗を見る。

 

海斗も、無言で前方を見つめていた。

 

 

“戦艦棲姫”。

 

先の北方海域戦において、第二特務艦隊を壊滅状態へ追い込み、“出雲”を戦闘不能にした個体。

 

その相手が、今、こちらの正面にいる。

 

しかも、今回は違う。

 

第二特務艦隊の艦娘たちはいない。

 

“磐手”も、他の艦娘たちもいない。

 

艦娘戦力の随伴を禁じられた「建御雷」には、敵の上位個体と正面から戦うための切り札が存在しなかった。

 

そして、たった一人乗っている“出雲”も。

 

今は、艤装を持たない。

 

「……随分と」

 

海斗が、小さく呟いた。

 

「出来すぎてんな」

 

美香は、何も返さなかった。

 

海斗は、改めて海図へ目を落とした。

 

予定航路、現在位置、任務区域、そして敵の出現位置。

 

さらに、こちらの針路変更へ反応した敵の動き。

 

一つ一つなら、偶然で説明出来る部分もあるだろう。

 

しかし、それらが全て重なっている。

 

壊滅的な損害を受けた第二特務艦隊。

 

中央によって奪われた独立裁量。

 

艦娘戦力を一切伴わない、不可解な出撃命令。

 

そして、指定された航路上に現れた“戦艦棲姫”。

 

あまりにも、出来すぎていた。

 

「……なるほどな」

 

海斗は、低い声で呟いた。

 

「そういうことかよ」

 

最初から、妙な命令だとは思っていた。

 

偶然ではないかもしれないとも、考えていた。

 

だが、その疑念が今、目の前の光景によって現実味を帯び始めている。

 

少なくとも、この戦場へ「建御雷」が誘い込まれた可能性を、もはや無視することは出来なかった。

 

そして、それが事実なら。

 

この出撃命令は、単なる無謀な作戦ではない。

 

もっと別の意味を持っていたことになる。

 

「……海斗」

 

美香が、静かに声を掛けた。

 

「ああ」

 

海斗は頷いた。

 

「分かってる」

 

目の前にいるのは、つい先日“出雲”を叩き潰した相手である。

 

こちらは艦娘戦力を伴っていない。

 

戦力差は、あまりにも大きかった。

 

 

しかし、だからといって、何も出来ないわけではない。

 

「建御雷」は、単なる輸送艦ではない。

 

長年にわたって第二特務艦隊を支え、自らも幾度となく砲火を交えてきた艦だった。

 

大口径の主砲を持ち、高い防御力を備え、艦娘たちの作戦を支援するための優れた情報処理能力も有している。

 

そして、その艦を誰よりも知り尽くしている乗組員たちがいる。

 

ただし。

 

それでもなお、“戦艦棲姫”との戦力差が埋まるわけではなかった。

 

「敵、減速!」

 

妖精が叫んだ。

 

「前方海域で、ほぼ停止しました!」

 

海斗が顔を上げる。

 

観測映像の中で、“戦艦棲姫”が動きを止めていた。

 

その巨大な艤装が、ゆっくりと向きを変える。

 

砲塔が旋回し、砲身がこちらへ向けられていく。

 

「敵、砲撃態勢!」

 

艦橋内の緊張が、さらに高まった。

 

「……逃がす気も無いってか」

 

海斗が呟いた。

 

回避行動を取ったとしても、相手は追ってくるだろう。

 

先ほどの動きから見ても、こちらを明確に標的としていることは疑いようが無い。

 

そして、あの速度である。

 

不用意に背中を向けたところで、簡単に逃げ切れる相手ではなかった。

 

「……出雲」

 

海斗が口を開いた。

 

「はい」

 

「下がれ」

 

“出雲”は、僅かに顔を上げた。

 

その表情には、悔しさが滲んでいた。

 

目の前には、つい先日自分を倒した相手がいる。

 

今度こそ。

 

そう思わないわけではなかった。

 

だが、今の自分には艤装が無い。

 

砲を撃つことも、海面を高速で移動することも出来ない。

 

何より、今は海斗たちから、絶対に戦うなと命じられている。

 

“出雲”は、暫く海斗を見つめていた。

 

そして。

 

「……分かりました」

 

短く答えた。

 

今度は、屁理屈を並べなかった。

 

海斗は小さく頷く。

 

「医療区画の近くにいろ。何かあったら、指示を出す」

 

「……はい」

 

“出雲”は、もう一度だけ観測画面へ目を向けた。

 

“戦艦棲姫”。

 

その姿を見つめた後、静かに艦橋を後にした。

 

扉が閉じる。

 

美香が艦長席へつき、妖精たちもそれぞれの持ち場へ収まっていく。

 

海斗も、自分の席へ移動した。

 

「……各砲塔、起動」

 

「了解!」

 

命令が伝えられる。

 

艦内の兵装区画では、主砲の装填機構が作動を始めた。

 

巨大な砲塔が旋回し、砲身がゆっくりと前方へ向けられていく。

 

機関室でも、二基の核融合機関が出力変更へ備えた。

 

通信担当の妖精は、各部署との連絡状態を再確認している。

 

航法担当は、周辺海域の情報を更新し、回避可能な針路を検討していた。

 

誰も、持ち場を離れなかった。

 

今まで、何度も繰り返してきたことである。

 

敵が現れれば警戒する。

 

攻撃されるなら、防ぐ。

 

必要なら撃ち返す。

 

ただ、それだけだった。

 

もっとも、今回ばかりは相手が悪過ぎた。

 

海の向こうには、“戦艦棲姫”がいる。

 

その巨大な艤装は、既に「建御雷」へ向けられていた。

 

海斗は前方を見据えた。

 

「……総員」

 

艦橋内の妖精たちが、顔を上げる。

 

美香も、艦長席から海斗へ視線を向けた。

 

海斗は、一度だけ大きく息を吸った。

 

そして。

 

 

「総員、戦闘配置!」

 

 

艦内へ、警報が響き渡った。

 

 

 

 

 

続く





あ と が き


第二章 Ep.1

日本動乱



───最後まで、諦めない。


次回 「建御雷」vs “戦艦棲姫”
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