ポケモン生態探偵局 作:ライ考
ライトが落ち、壁の色温度が白から琥珀に沈む。デスクの端に、崖肌から削いだ薄片が三枚、月の欠けのように並ぶ。カメラの赤点がひとつ灯り、空調の微風が紙端を揺らす。マスカーニャが画面に顔を差し込み、カードを一枚、指先で跳ね上げてモニタの隅へ滑らせる。視線は自然にスライドへ誘われる。床ではガラルマッギョがぺたんと平たい。寝息は波紋のように一定で、センサーの基準値みたいに動かない。ドードリオは背後を小さく一周し、三本の首のうち一本だけが垂れたまま戻る。
「どうも、ライ考です。今夜はひとつ、崖で暮らすガケガニの“これから”を並べます。鍵は《進化圧》、つまり環境と相手の押し引きが形を選ばせる力。反転で腹を見せるあの脆い瞬間を、どうやって消すか。H1~H4の四つの線で見ていきましょう。H1は反転不要の待ち伏せ、H2は逆さ戦闘特化、H3は床面の地雷化、そしてH4はリージョンフォームの極端適応の内容でいきますね」
〈タイトルだけで勝ち〉
〈ガケガニ進化くる?〉
マスカーニャが指先で矢印を空に描き、カードの裏をひらりと返す。裏面は等高線だ。彼女がそれをカメラへ寄せると、線は崖の息遣いみたいに明暗を帯びる。ドードリオはその様子を一瞥して途中で足を止める。残りの二首が互いを見て、小さくため息を合わせた。
「順番はまず“姿勢”で解決する二本、H1とH2。次に“感覚と戦略”で場所を変えるH3。最後に生息域そのものが形を変えさせるH4。どれも一枚の絵空事で終わらせず、生態まで含めて考えてきたので楽しんでもらえたらな、と。決めつけず、反証もできるように並べていこうと思うのでコメントでやいのやいの行ってみてくださいね」
〈進化したらって誰もが考える鉄板ネタよな〉
「鉄板ネタですね~。やっぱり皆好きですよ」
ドードリオがぶつけた模型が床にころりと転がり、マッギョの縁に触れて止まる。それでも動かないのが、マッギョらしいといえばらしいだろう。基準は静かな方がいい。マスカーニャが袖口から小さな吸盤を取り出し、天井カメラの土台にぱちんと当てる。光がわずかに揺れ、琥珀が深くなる。
「では、最初は現状の生態についてです。天井から逆さあるいは傾斜で張り付き、死角から刺す。腹を守りつつ、待ち伏せするという生態の弱点についておさらいしましょう」
ドードリオの垂れた首の一本が、カメラの赤点を見た。もう一本は窓の外へ、最後の一本は机上の石をそっと覗く。三つの視線がばらけて、やや体を大きく見せた。
「えぇと、次のスライドはこれだったかな」
崖の写真が画面に映し出される。砂色の画素がざらつき、岩面に張り付くガケガニの姿が見せられる。ライ考は矢印のオブジェクトを幾つか配置し、ガケガニの体が反転する位置に赤い円を描く。マスカーニャがカメラ前に顔を寄せ、カードをカメラの間近で消して見せた。床のマッギョは相変わらず平たく、鼻提灯を作って眠っていた。ドードリオは画面奥で首を三つとも同じ角度に傾け、次の瞬間、一本だけがしゅんと下がる。
「ここが“落とし穴”です。崖で移動から転身の一拍で弱点の腹側が露出する。まあ、もちろん甲殻だから柔らかいというわけではないので、背面に比べてではあるんですけどね。しかも、図鑑にもある通り、天井面での長時間待ち伏せは循環器官の限界で頭に血が昇るため長時間は難しい。だから“張り付いて待つ”という単純な答えが、実は完全には成立してないんですね~」
〈そういえば図鑑にそんなこと書いてあったな〉
〈じゃあ待ち伏せは時間限定?〉
「実はパルデア現地に取材に行ってみたんですが、今の個体群では天井面は“一時的な滞在”の場で、実際には長時間待つのは斜面か張り出しの腹側というのが実情のようでした。何にせよ、待ち伏せから反転の瞬間を避けられない構造になっていますよね。崖の風は読みづらいですし、《環境圧》で足場が揺れ、《捕食圧》は上からも下からも来ます。そこで反撃に転じると腹甲が晒されてしまう。奇襲に失敗したり、先に存在を察知されてしまうと痛烈な反撃で弱点を突かれてしまうリスクを背負ってしまっていると言えますね」
マスカーニャが壁に爪を立てて天井近くに登ってみせ、ライ考はちらりと見てげんなりした顔をする。ドードリオは忙しなく部屋の中を歩き回り、伸びなのかマッギョはぐいーんと平べったく伸びてまた戻った。
「結果、奇襲は短時間だけ許された生態に限定され、反撃も受けやすい。崖という立体空間で、待つ・動く・受けるの三つが噛み合っていないと言えます。―??だから、次の形を考える価値があるでしょう」
〈腹側を見せないで済む形は?〉
〈循環を強くする方向もある?〉
「二つの道筋が見えます。一つは、反転そのものをやめる。正姿勢? といえばいいのか、逆さにならず、腹を装甲化して天井の死角から“刺す”。もう一つは、逆さのまま戦える体に作り替える。循環と把持を強めて反撃は強固な背で受ける。どちらも、この待ち伏せという諸刃の剣を片刃に打ち直す選択です」
音もなく天井から飛び降りたマスカーニャが踏ん付けたマッギョが放電して飛び跳ねる。ドードリオの垂れた一本がそれを目で追い、窓の外で飛び去る飛行ポケモンの影に気づいてまたしょんぼりする。ライ考はペンで短く矢印を描き足す。風が机上の薄片を撫で、琥珀の光が机の艶を輝かせた。
照度を一段落として、配信用の地図がモニターに広がる。色分けされた帯が海沿いから内陸へ、崖の向きと風の道を示す。ドードリオは写真スタンドの前で足を止め、三つの首が順にかすかに傾く。
「まず、いま分かっていることを揃えます。図鑑の項では、ガケガニは崖面の徘徊が得意ですが、天井での長時間待機ができないとされています。これは先ほど触れた循環の問題とつながりますね。次に地域差です。これは私が直に見た主観ですが、海霧の多い帯では甲殻の艶が強く、わずかに色が濃い傾向がありました。乾いた内陸の崖では、逆に明度が上がって反射が鈍いように見えます」
〈沿岸の子つやつや分かる。おいしそう……〉
〈内陸は粉っぽい感じする〉
「基質の好みも分かれます。塩を含む湿った岩肌では、足先の滑りを嫌って粗い面を選びやすいです。火山性の黒い岩帯だと、熱の逃げやすい影列を縫って動きます。時間帯は、沿岸型で薄明の活動がやや強く、内陸型は日中の短いラッシュと夜の巡回が混ざります。どれも《環境圧》の押し引きの現在地としては納得できる動きです」
マスカーニャがベッドに寝転がって静かになり、ほっとライ考が溜め息をこぼす。それに共鳴するようにドードリオも溜め息を漏らした。
「ただ、ここにギャップがあります。図鑑は“今の形の運用”を丁寧にまとめていますが、生態の弱点を塞ぐ方向性までは踏み込んでいません。地域差も“慣れ”や“行動の選び方”の範囲にとどまっています。つまり、腹側の露出と反撃リスクは、どの地域でも未解決のまま残っているようでした。ここを形そのものの変更で埋めるのが、これからの仮説群です」
〈フォーム分けるほどの差はない?〉
〈タイプ変化までは行ってないんだ〉
「現状は同一種内の習性の偏りで調整している段階です。リージョンフォームが生まれるような飛躍は圧の方向と強さが強く持続しないと起きにくいと推測できます。だからこそ、H1?H4では《適応放散》の入り口まで含めて、どの圧が続けば形が変わるのかを比べていきます。ここからは姿勢を変える線と、場所を変える線を順に見ていきますね」
関節模型のミニチュアが机上で光る。マスカーニャがそれを指先で弾き上げ、空中で一度回して、掌でそっと止める。カメラはモデルの膝と脚端を寄りで抜く。床ではマッギョがカメラを見つめ、ドードリオは三つの首を順に持ち上げ天井を見上げる。
「ここからは“形態変化”を主軸にした仮説を揃えます。脚・腹甲・背甲、そして感知の配線です。まず脚です。役割は三つ。支える/掴む/跳ぶ。崖ではこの配分が《機能分化》することが予想できるでしょう。今のガケガニは支え七、掴む二、跳ぶ一くらい。H1やH2の線では、掴むのウェイトをもう少し上げる必要がありそうですね」
〈指が増えるってこと?〉
「そうですね。脚端の鉤や吸着の微細構造を足すだけでも、姿勢の自由度が変わります。可動域は“どこで力を逃がすか”の肝です。逆関節に変化したり、逆向き脚を増設する場合、側面荷重のときに膝が折れず、爪先が面に沿って滑らないことが条件になります」
マスカーニャが模型の脚端をカメラへ寄せ、爪の角度を動かして見せる。
「次は腹甲です。腹側は“守る/魅せる”の役割を担っているかなと考えられます。今は守ることが中心ですが、H1では魅せるが繁殖のシグナルになるとしています。腹面を背面同等の強固な甲殻にして、反転せずに守って魅せるができる構えですね。逆関節や逆向きの脚を獲得することで腹面甲殻と正姿勢で弱点を塞ぐわけです。本体が逆さにならないから頭に血が昇ることも防げるわけですね」
〈腹見せが求愛のシグナルになるのね〉
〈逆向きの脚はキモいから逆関節にしようw〉
「ふふ。腹面甲殻の傷の並びや艶の質は“強さ”を物語るでしょう。崖での擦過痕や敵との戦いでついた傷が戦いの歴史そのものになる。歴戦のガケガニの甲羅はさぞ格好良くなるでしょうね」
ドードリオがスタンドの前で二歩進み、一本の首だけをゆっくり伏せる。残る二首が左右へ揺れて、音の方向を探す仕草を挟む。
「さて、H2ではここが要です。循環器官をより強く、逆さのままでも血流を末端まで送り返せるように構造を変化させます。背面甲殻はより強固な形へ、飛び掛かるようなことはせずに全ての攻撃を背で受け流して戦うようなイメージかな。甲殻の内部梁を扇状に配し、力が一点に溜まらないようにする。これで“逆さの組み”でも反撃の余地が生まれます」
〈甲羅に筋みたいなの増える?〉
「もしくは甲殻を分離して鱗のように分離プレート化するかも知れませんね。ここは見た目にも現れるので、ビジュアルの差分としても出てくると思います」
かちかちとクリック音が鳴り、スライドが切り替わる奥でマッギョが目を覚ましてぺたんぺたん移動する。
「最後に知覚能力の話です。崖では視覚が強いですが、H3の線では振動が主役になります。触角や体表の感圧毛を腹側へ再配置して、浅い埋没潜伏のまま接近を感知します。視覚依存を下げると、夜間や薄明の感知も安定しそうですね。逆にH1/H2は視覚と触の統合が肝。死角からの奇襲や張り付き状態での格闘は距離の誤差が致命的になりそうなので視覚は重要になるんじゃないかと思います。私はバトルに造詣が深くないので的外れかも知れませんが」
〈配線って変えられるの?〉
「進化によって全く異なる体内器官を構築することは当然の如くあると思います」
ドードリオが三首を床に投げ出して中央の首が窓の外へアンニュイな視線を向ける。マッギョが心配そうにドードリオに寄り添う。
「まとめると??―脚は“掴む”を足すと姿勢の幅が広がります。腹甲は“守る”に“魅せる”を加えた第二の甲殻になる可能性がありますし、背甲は順当な強化で戦闘能力向上に向かうこともできます。感知は触覚を主役に据えるか、視覚と触覚の統合を行うか。ここまでがざっくりした各器官の進化パターンです。次からはこれをH1の図面に組みますね」
〈なんかドードリオ元気ない?〉
〈H1早く見たい〉
カメラのアームが小さく軋み、琥珀の光が壁面を浅く撫でる。起き出したマスカーニャが手帳の端でモニタの右半分をそっと隠し、左側に顔を覗かせる。マッギョとドードリオは静かに窓の外を眺めて黄昏る。
「H1は“反転をやめる”線です。通常の姿勢のまま天井に張り付きます。脚は逆向きの補助脚を増やしたり、通常の脚を逆関節にも曲がるような構造にしたり、脚先もより掴む力を増やす構造になるといいですね。腹側の甲殻は背中と同じ板厚にして、腹を見せても弱点にならない体にします。これで弱点を構えそのものでカバーできると」
〈横移動のまま待てるの強い〉
〈腹側装甲って重くならない?〉
「重さは課題ですが、静止のコストが低い構えにすれば釣り合います。掴むのではなく岩に爪を打ち込む形にしたりもいいですね。そうして待つ時間を増やして、成功率と消費の効率を上げる狙いです。攻め方は奇襲で、天井や側壁で身を隠し、相手の視界の縁から素早く襲う。反転の手間が無いだけ初動が鋭くなりそうな気がしますね」
マスカーニャがライ考の首元を肉球で擦りながら頭の上に顎を乗せる。
「重いよ……。空間の使い方は、天井面から垂直面に帯状のテリトリーを確保すると考えられます。等高線に沿って占有するイメージです。下からの奇襲に強い腹甲で受けて、側面ステップで回避する。“上にいれば勝ち”ではなく、横で粘る戦い方になります。理想的なのは奇襲で一方的に上から叩きつけるように初撃を与えるのが良いでしょう」
〈崖下を歩く獲物に強そう〉
〈ひこう狩れる?〉
「ええ、滑空してくる小?中型への対応力は上がります。下方に飛びついたり、横からぐさっと刺すので、無理な跳躍を要しません。動かず持久できるので薄明から夜の張り付きで成果が出やすいんじゃないでしょうか」
ドードリオがごろんと逆さまになって3つの首が長い長い溜め息を吐いた。マスカーニャはカメラの角度を変えて窓の外を映してライ考が画面外に消える。
「群れの社会面ではテリトリーが分かりやすいです。同じ等高線上で並ぶと、腹甲を横見せするディスプレイ効果が強くなります。艶や傷の並びは“歴戦”の証ですから、異性に生存能力の強さを伝えられますよね。H2であれば従来通り背面甲殻になりますが。タイプは“かくとう”か“はがね”が順当な候補です。装甲と近接の重みが増すので、技もそれに沿いやすいですね」
〈腹甲ディスプレイ見たい〉
〈サイドステップで受けるのカッコいい〉
「見せ場はここです。横移動で死角を維持しながら、《捕食圧》へは腹甲をチラ見せして威圧する。受けは甲殻、逃げは側面への素早い移動で対応する姿が想像できるかなと。姿勢を変えない戦い方は、失敗時の立て直しも速いのが強みですね」
ライトがわずかに落ち、壁の陰影が深くなる。床の端でガラルマッギョの縁が光を吸う。マスカーニャはカメラのレンズにつけた汚れを擦って元の場所に戻した。
「検証の方法も考えてみましょう。まず、張り付き姿勢での代謝測定です。呼吸数と熱画像で“静止時のコスト”を測るのが良さそうですね。次に脚先の負荷かな。進化した脚でどのくらい負荷を軽減して張り付いていられるのか。最後に視界の縁を使った反応時間の実験。死角からの刺突で、ガケガニの回避が間に合うかどうかを確認するのもいいですね」
〈逆関節の脚がどのくらい活躍するのか見てみたいわ〉
〈腹甲の厚さとか重さはどう測る?〉
「まあ、遺骸から測るのが早いんじゃないでしょうか」
マスカーニャが身軽に跳び、指先で電気の傘を揺らす。ドードリオは揺れる電灯を見上げて首で追いかけ、三つの首が順にため息を落とす。
「H2は“逆さで戦う”進化です。全身の循環器官を強くして、逆さ姿勢でも血流が頭に偏らない体に進化することを想定します。脚の先はH1と同じようにアンカー指等に分かれ、面に指を“掛ける”握り方に切り替えます。背中の甲は厚く強化して衝撃を拡げる走向を増やして、防御を前提に戦うイメージです」
〈ぶら下がったまま戦うの?〉
〈正統派進化って感じだ〉
「はい、張り付き状態の近接戦を想定します。まずは拘束。脚と腕の役割を分け、体をがっしり固定、腕で痛烈な打撃を入れる。甲殻で防御し、把持を切らずに殴り合うようなイメージですね」
マスカーニャがにぎにぎとライ考の肩を握る。少し爪が食い込んで顔をしかめたライ考が引き出しから爪やすりと渡すと、マスカーニャは自分で爪にやすりをかけ始めた。画面上では背甲の写真に扇状の線が手書きで書き込まれ、力の広がりが等高線のようにで可視化されている。
「空間は天井からのオーバーハングが主戦場になります。ぶら下がりからの近接は相手の上面を奪いやすい一方で、基礎代謝はややコストが高そうですね。ですが、奇襲が決まったときの損耗は小さい。張り付いたまま制圧できれば、追撃や移動のコストが抑えられますし、失敗した時も相手からの反撃が届かない可能性もあってそれなりの利点はあります」
〈頭上の死角からいきなり爪でぶん殴られたり挟み切られたりするのこえー〉
〈落ちない工夫は?〉
「落ちないための肝がアンカーです。爪の角度が面に食い込み、自分の攻撃の反動なんかで滑りにくくなります。さらに背甲の衝撃拡散で受けた力を一点に溜めないことでこれで踏ん張って戦う構えがとれますね」
ドードリオが天井を見上げたまま小さく足踏みして首を三本下げる。マスカーニャはやすりがけした爪を舐めたり噛んだりして整えながら光にかざして確かめる。。
「テリトリーはある程度近くはなりますが、点在になりやすいです。良いスポットが“点”で散るからです。求愛や威嚇では背面甲殻の立派さが要になります。どれだけ長く落ちずに、なおかつ甲殻を見せる姿勢を崩さずにいられるか。ここは根性が活きてくる競争になりますね」
〈進化で獲得するタイプはやっぱり“かくとう”とか“はがね”?〉
「装甲と近接が主役になるからその線が濃いです。技も、張り付き状態で出せる格闘系や、タフな戦いができるはがね系がフィットすると思うので」
画面にガケガニの血液循環の図が出る。血流の矢印が上下で色を変え、頭から全身の末端へと逆流させる流れも図示する。マッギョが大きく跳ねてベッドに上がり、ブランケットの下へずりずりと潜っていった。
「検証の段取りも考えてみましょう。まず、逆さ姿勢での循環安定を見ます。非侵襲のセンサーで体表近くの血流の揺れを可視化して、姿勢ごとの安定時間や循環の様子を比べます。次に、指の摩擦角と耐荷重、剪断方向にどれだけ強いかを測ります。最後に、背甲の衝撃拡散の防御について打点を一定化して、受けた後の体勢復帰時間を計測します」
〈検証の話聞くと現実味あっていいよね〉
〈天井に張り付かないとじゃバトルで弱そうって思ったけど、別に普通に殴り合いしてもいいのか〉
「映えも大事なんですが、反証も可能にしておきましょう。もし循環の安定が得られなければ、この線は弱いですよね。逆に安定と強い把持が両立できれば、上方という死角を支配する利点が明確に立ちます。崖の《環境圧》と《捕食圧》が強い場所ほど、H1よりもH2が選ばれやすくなるはずです。逆に狩猟の機会が少ない場合はよりアグレッシブに襲い掛かるH1の方が選択されそうな気がしますね」
ライトがわずかに上向き、天井の影が薄くなる。ドードリオは揺れ動く天井の影を見上げ、気怠そうに体を起こして窓際に立って空を見上げる。砂トレイが机上に置かれ、マイクに土の微かな擦れる音が拾われる。マスカーニャが指球で表面を撫で、細い波紋を幾筋か走らせた。
「H3は“大地に潜る”線です。浅く埋没して真上に来た相手へ痛烈な一撃を加えるようなイメージです。視界としては見える場所にいるだけ迷彩が鍵になりますね。甲殻の色を周囲へ寄せて自分の甲殻のフォルムは砂をかぶったり、岩石の付近に身を寄せてカモフラージュして待ち伏せするということです。感知は振動が主役になると考えていいでしょう。腹側や縁に感圧毛を配置して、踏まれる前の微細な揺れを拾います」
〈それもうマッギョの仕事では〉
「系統は違っても戦略が寄ることはありますよ。《収斂進化》というものですね。ここは《戦略的収斂》とでも呼んでおきますか。“床の罠”は致命的な初撃を確実に与える進化です。一撃で仕留めることができない場合でも相手は無視できない痛手を負っているでしょうから、追撃に移行して勝ちうる可能性が高いと思います」
マスカーニャが砂に親指で小さな窪みを作り、色の違う砂をふわりとかける。窪みの縁がぼやけ、凹みが消えていく。
「テリトリーは捕食対象が通過するエリアの暗所や狭路が最適で、群れの生態は無くなるかも知れません。食性は地上を徘徊する節足/小型哺乳/爬虫が中心で……ああ、群れを維持できるだけのサイズの獲物が多い地域では群れの生態を維持する可能性もありますね」
〈捕食者に見つかったら終わりじゃない?〉
「どれだけ捕食者から厄介な存在だと認識させられるかに掛かっているでしょう。『こいつは食えるが、食おうとすれば手痛いしっぺ返しを受ける可能性があるぞ』と思わせることができれば食物連鎖の均衡を保つことができます」
ドードリオが珍しくカメラ前まで来てライ考の体に首を絡みつかせた。ライ考は空いている方の手でドードリオの頭を撫でてやり、片方の眉を上げて微笑んだ。
〈やっぱドードリオの様子変じゃない?〉
〈病気とか? ポケセン行った?〉
「ああ、心配させてすみません。原因は分かってて……後で話しますが、病気とかじゃないので気にしないでください。……さて、次は社会性の面でしたね。それほど特別な習性は構築しない可能性もありますが、一番派手なのは求愛の季節に皆で飛び跳ねたりする習性かな」
〈新しい技とかタイプは?〉
「“だいばくはつ”なんて効果的ですね。自身を踏んだ瞬間に爆発。相手は直下から不意打ちの痛撃を受けて瀕死になる可能性が高いでしょう。とにかく一撃の威力が高い技を覚えたり、相手の視界を遮るような技を覚えるのが効果的だと感じられますね」
〈怖すぎだろw〉
〈脚ないなるてw〉
三本の細い首を摩ってもらったドードリオがころころと喉を鳴らしながら頭を振った。
「この説の検証は簡単ですね。テリトリーが大きく変わりますから。強いて言うなら……確かめようとして踏んでしまわないように気を付けましょう」
〈えぐいてw〉
〈う~んこの進化は地雷!wむぎゅっw〉
「一見派手さは少ないですが、待伏効率は高い線です。崖の足元や転石帯で、目立たず息を潜める。H1/H2が“死角”で待ち伏せるのに対して、H3は“気配”で待ち伏せる。崖の《環境圧》が荒く、捕食者が多い地域では、とても現実的な選択肢になります」
小環境メゾコスムが三つ、机上に並ぶ。左は塩霧を再現した透明水槽、中央は霜の降りた白箱、右は砂を浅く敷いた熱板。マスカーニャが煙のカートリッジを軽く押し、左の水槽に白い霧が満ちる。
「H4はリージョンフォームの仮説です。地域特有の進化圧が長く続くと、リージョンフォームを獲得するというのが私の考えで、《適応放散》の起こりですね。今日は三つ、代表例でも考えてみましょう」
〈俺普通の進化よりリージョンフォームのが好きだわ〉
〈タイプも変わる?〉
「リージョンフォームは通常の進化よりタイプが動きやすいはずだと思いますね。先鋭進化で対応できる進化圧であればそもそもリージョンフォームには到達しないでしょうし。」
左の水槽にカメラが寄る。霧の粒がライトを散らし、ガラスに水路のような筋が走る。マスカーニャが吸盤つきのミニ脚モデルをピンセットで持ち、内側壁に貼りつける。
「H4aとしましょうか。海食崖・塩霧帯型です。濡れた面に吸着脚を合わせ、沿岸のひこうタイプを狩ります。撃ち落とすための“みずでっぽう”系の技が新しい選択肢に入るでしょう。塩で滑る基質なので、脚端は微細な溝で排水しつつ吸着する構造になるかも知れません」
〈霧の時強そう〉
〈みずタイプくる?〉
「みずタイプの可能性が高いですね。もちろん、装甲と近接の選択肢は残る可能性が高いので、みずタイプにいわやはがねなどが合わさるのが現実的です」
中央の白箱にライトが落ちる。面は冷たく、空気中の水分が白くなる演出が重なる。マスカーニャがスノースプレーで甲殻模型に薄い白を載せる。それを遠目に見ていたドードリオがくしゃみを二回、小さく首を振る。
「H4bは氷壁・寒冷型です。低温での省エネ徘徊に最適化し、貯食の傾向が強まる可能性が高く、甲殻は白化し、表面に雪を載せてカモフラします。最低限の放熱を抑えるため、関節周りは細く締まり、動きは短いスプリントと停止の繰り返しになると思います。スプリントと言ってもかなり緩慢な動きになるでしょうけど」
〈こっちはこおりタイプか~〉
「ですね。技は順当に寒冷地方の環境を活かしたものになっていくでしょう」
右の熱板にカメラが寄る。砂が薄く波立ち、赤外の表示がじりじりと揺れる。マスカーニャが小さな反射板を立て、砂面に影列を作る。ドードリオはその影だけを踏んで進む。
「H4c:砂漠・熱岩棚型です。甲殻は高アルベドで光を弾き、背には薄い放熱フィン。行動は薄明・夜行化。日中は影や砂の下を潜行して移動します。浅い砂へ半潜行して周囲の様子を探りながら待ち伏せと移動を繰り返す。ここでは主感覚が視覚と触覚から温度感覚に少し寄るのではないかと思います」
〈ほのおタイプかな~普通にじめんタイプかな~〉
〈放熱フィン見た目最高〉
「じめんとほのおなんて組み合わせもいいですね。技は砂を巻き上げて視界を切る砂幕や、熱の流れを利用する技がフィットしそうかな」
三箱を一度に映す俯瞰へ。ライ考は指で三角形を描き、各頂点に小さな点を置く。
「フォームの肝は、習性から生態へ変わることです。まず進化圧に対して習性が対応しようと変化し、次に肉体やライフサイクルが変化し、最後に求愛や威嚇の見せ方が適応していきます。圧が途切れるとある程度の時間をかけて収束してしまいますが」
〈どのフォームが一番ありそう?〉
「現実的なのは圧倒的に海食崖・塩霧帯型です。ロマンがあるのは氷壁・寒冷型なんですけど……う~ん、発生するかは結構怪しいですね。そもそもそんな環境にガケガニが留まり続ける可能性がちょっと」
マスカーニャが三箱の切替スイッチを並べ、ボタンにSEA/ICE/SANDと書かれた小さいラベルを貼る。
〈映えるフォーム多すぎ〉
〈結局どれが本命?〉
「本命はあくまでH1/H2で、H4は各地域でガケガニが確認できるかどうかですねぇ。H3は私としては好きなんですけど、本命にするには進化圧の説得力が少し弱いかなという感じがします」
ライトがゆっくり水平に戻り、三箱の色温度が揃う。マスカーニャがSEA/ICE/SANDの札をひと撫でして電源を落とす。
「コメント返ししていきましょうか」
コメント欄が一気に流れ、配信画面に帯が走る。マスカーニャがカードを扇でさばき、束を三つに分けて机上へ置く。ドードリオはカメラ脇でカードを覗き込み、左の首がマスカーニャとカードの間で視線を行き来させる。
〈他に増えそうなタイプは?〉
〈H1/H2は“かくとう/はがね”?〉
〈いわタイプは残らなそう?〉
「タイプの質問まとめて答えていきますね。H1とH2は装甲と近接が軸なので、“かくとう/はがね”や“いわ/はがね”、“いわ/かくとう”などが良い線かなという見立てです。H4は環境に引かれて、みず・こおり・ほのお・じめんが候補になります」
マスカーニャが“TYPE”と書いたカードを見せ、次の束を指で滑らせる。カードの角がライトを拾う。ドードリオの一本が札を見て小さく頷く。
〈H3ってマッギョと被らない?〉
〈床罠なら競合しそう〉
〈棲み分けの根拠を聞きたい〉
「H3は確かにマッギョに近いんですが、生息域などで棲み分けはできるでしょう。更に言えば、棲み分けせずに闘争を挑んだり、共生関係に至る可能性も充分考えられます。最近では共生関係を構築したポケモンも確認されていますからね」
〈見た目の推しは?〉
〈映えるの教えて〉
〈推しポイント語って〉
「ビジュアルの話でいうとH2とH3はあまり見た目の変化は大きくないのではないかと思います。H1は腹部甲殻が背面と同等に進化しているので大きな変化と言えますよね。H4は環境によっては大きく変化するので楽しみですね。特に雪原や砂漠、火山地帯に適応した場合は現在のガケガニとはかなり違った姿になるんじゃないでしょうか? 個人的にはH3が生態が想像しやすくて好きですね」
〈いきなり足元で“だいばくはつ”されるのきち~w〉
〈最近のバトルでもマッギョの強みが話題だったし強いかもな〉
〈別の決め手はない?〉
「そうですね。甲殻の棘を発射するとげミサイルなんていいんじゃないでしょうか。足元からバババっといきなり四方八方からとげミサイルが飛んでくる、みたいな」
〈ドードリオ元気出して〉
〈そういえばドードリオの話は?〉
〈元気ない理由何だったの?〉
「ああ、そういえばまだでしたね。ガケガニの取材でパルデア地方に行ったことはお話したと思いますが、現地で色々なポケモンたちと交流する機会もありまして。その時に出会ったクエスパトラに一目惚れしたみたいなんですよ。ただ、手酷くフラれてしまったようで、種族が違うので仕方ないことなんですけどね」
〈かわいそうw〉
〈そういうね?なんかポケモンってたまに違う種族好きになるよな〉
〈クエスパトラは美人だし恋しちゃうのも仕方ない〉
ドードリオが悲し気な鳴き声を上げてうなだれる。
「さてと、今回の資料は配信概要欄にも掲載しておきますね」
〈ガケガニがテーマになると思わんかったから面白かったわ〉
〈次回の遠征楽しみ〉
〈計測機材ってどんなの持ってるの?〉
「計測機材ですか? 多分皆が思うような大層なものは持ってないですよ。あくまで個人で研究しているだけですからね」
ドードリオはカメラへ一歩だけ近づき、三つの首がカメラに向かって小さく会釈した。帯の流れが落ち着き、次の数値スライドが静かに滲む。
マスカーニャが「おわり」と書かれたカードを指先で回し、画角の隅へ置く。ドードリオはカメラを一瞥した後、部屋の外へゆっくり歩いて出て行った。
「今夜はここまでです。また現地に行って取材してみたいですね。自然の環境で生きているポケモンを直に見ながら記録を取って研究するのは面白いものでした」
〈おもしろそ~〉
〈ボランティアいる?〉
「あ~、また今度やる時は募集しても良いかも知れませんね。そんな大したことやってもらうつもりはないですが、パルデアで道に迷ったことがあったので現地の道案内とかしてもらえたら助かるかも知れません」
〈ドードリオも遠征行く?〉
〈元気出してね〉
「行きます。ね、ドードリオ。あれ……」
ライ考が振り向くが、既に出て行ってしまったドードリオは部屋にいなかった。
「まあ、いいか。たまにはこういうキャッチーなテーマもいいかなと思ってやってみましたが、どうでしたか? 人気があればまたやってみようかなと思います」
〈楽しみにしてます〉
〈たまにはこういうのもいいね〉
〈高評価済み〉
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