このキヴォトスには変革が必要だ!だが、変革には犠牲が伴う! 作:王朝万歳
大雨の降りしきるトリニティ領内の裏路地。
「こっちだ。姫! ミサキ!」
「そっちにいったぞ! 先回りしろ!」
自治区内の企業が撤退し、治安が悪化した廃地区内。アリウススクワッドは自分たちを追うアリウス分校からの追手から必死に逃げていた。
エデン条約で先生たちに敗れ、敗走し、アツコの命を守るため故郷であるアリウスすらも捨てたサオリたち。
あの場を逃げてから、数日後にはマダムの命令で彼女たちに追手が差し向けられ、何度も交戦とそこからの逃走を余儀なくされていた。
長い逃亡生活。迫る追手。倒しても倒しても増援は駆けつけ。打てる手は被害を抑えながらの退却のみ。
物資は補給できず、負傷しても傷を癒すことはできず、増すばかりで。日々、サオリたちは気力や体力を削られていった。
「……ツッ! 回り込まれていたか」
「鬼ごっこもここまでだ」
「……もう、ここら一帯は我々が包囲している。おとなしく投稿しろ!」
負傷したアツコに肩を貸しながら走るヒヨリや後方を警戒するミサキに代わって。
彼女たちを先導して走るサオリが建物の角を曲がった先には追手たちが待ち構えていた。
「動くなよ。指一本でも動かそうものなら。その瞬間にお前たちの頭に銃弾を撃ちこむ」
建物上部にスナイパーたちが配置され、前方にはアリウス生徒たちはアサルトライフルをこちらに向けている。
「ここまでか。まあ、私たちにしては頑張った方かもね」
「諦めるな。ミサキ」
もう、限界だった。
ミサキの諦めの言葉を歯噛みしながら否定するサオリだったが、現実はどこまでも虚しい。家族を守るために厳しい特訓を積んできたサオリだからこそ、一番この状況が詰んでいることを理解していた。
「……私がおとりになる。その間に姫を連れて逃げろ」
「ちょっと何考えてんの、あんた」
「そ、そうですよ! 自分を犠牲にするだなんて!」
自分を犠牲にその間に逃げるように隊員たちに苦し紛れの特攻を提案するサオリ。
そんなふざけた提案を呑めるわけもないとミサキやヒヨリはその提案に反発する。
「もういい、諦めよ。サッちゃん。あなたたちの狙いは私。そうでしょ。大人しく捕まるから、三人の事は見逃してあげて」
「……少し待ってろ。マダムに連絡する」
黙っていたアツコが喋った。
アツコの言葉に追手のアリウス生徒たちは顔を見合わせながら相談を始めた。
『……マダム、捕縛対象はこのように言っていますが』
『いいでしょう、大人しくついていくのなら、その要求は飲んで差し上げましょう』
無線からマダムの声が少しだけ聞こえた。
「もう少しで彼女たちが来る。そのまま、連れて行ってもらえ」
マダムとの会話を終えた生徒がアツコに告げてきた。
「……彼女たち? あなたたちが私を運ばないの?」
「ああ、そうか、あんたたちは知らないのか。あんたたちがアリウスを去ってから、スクワッドを新生したんだよ」
その生徒の口ぶりに疑問を覚えたアツコがそれを聞くと、その生徒はそれに答えた。
曰く、抜けたアリウススクワッドの代わりに残った小隊の中から最も優秀な一つの隊を新しいアリウススクワッドに挿げ替えたとのことだった。
「噂をすればだな。ほら、来たぞ。あいつらだ」
「久しぶりですね、スクワッドの皆さん。こうして、顔を合わせるのは初めてですね。改めて、自己紹介させていただきましょう。新生スクワッドのリーダー、罪織タバネです。よろしく」
丁度、後続に小隊のメンバーたちを引き連れ、再編されたスクワッドのリーダーが現れた。新しいスクワッドのリーダーはリボルバーを持ったあの妙に印象深い生徒だった。
「では、彼女の下まで連れて行かせてもらいます」
「うん。わかった。代わりに、彼女たちのことお願いだよ」
「ええ、任せてください」
そのまま、タバネの手によって腕に縄をかけられ拘束されていくアツコ。
「もしかして、私たち、どこかで会ったことがある?」
「……それはないでしょう。私たちは遂最近知り合ったのですから」
その捕縛の手つきにアツコはどこか既視感を覚えた。
「さあ、行きますよ」
拘束は完了し、アツコはマダムの下へと連れて去られていく。
「指揮官命令だ。気絶させるだけでいい。後は放置しておけ! マダムには私から説明しておく」
タバネからの命令。
アリウス生徒たちが一斉に銃を振り上げ、サオリたちの後頭部に銃のストックを打ち付けた。
「……ぐっ、姫」
「アツコちゃん」
「……アツコ」
大雨でできた水たまり。後頭部への強い衝撃で意識を飛ばされかけた三人はそこへとに叩きつけられる。
そうして、アツコたちが去った後、暫くの間、三人組だけがその場に取り残されていた。
雨に打たれ続ける三人。幼馴染の辿る過酷な運命を悟り、三人の心はこの土砂降りの雨模様のようで、深く深く底へと沈んでいった。
「「……サオリ姉さん」」
道に迷った迷子のようなヒヨリの目。普段からより一層ひどくなったこの世のすべてに対して絶望したようなミサキの目。
(……馬鹿か! 私は!)
「先生、頼ろう」
──ー私はリーダーだ。
行く当てもなく困ったような、希望を失った二人を見て、サオリの胸中を占めていた絶望は消え失せた。
「私たちに味方はもういない。先生に頼ろう」
たとえ、その行いがどれだけ厚顔無恥なことだとしても二人の、いやスクワッド全員の笑顔の為ならサオリにとってそれは実行に移す価値があった。
「お願いだ、先生。もう頼れるのは先生しか……」
「……え!?」
五体投地。ダメもとでかけた電話からの要請に駆け付けた先生にサオリは全身全霊の土下座をする。
「私からもお願い。先生、姫を助けて」
「お、お願いします。何でもは、む、無理ですけど、出来る限りのことはします! アツコちゃんを助けてあげてください!」
「……な!? お前たち」
「私たち、スクワッドは一連托生。そうでしょ」
当然、リーダーだけに謝罪させるはずもなく。ミサキもヒヨリもアツコの救出を願って真摯に頭を地面にこすりつけて先生に土下座する。
「“任せて”」
「いいのか? 先生? 私たちはお前を殺そうとしたんだぞ」
「“でも、今はそうじゃないんでしょ。なら、私は君たちを助けるよ! 生徒に頼まれたら、答えるのが先生の義務だからね! ”」
サオリたちは先生を連れマダムに囚われたアツコを救出すべくアリウス自治区へと向かって言った。
◇
アリウス自治区、中央区。
「離反したスクワッドの連中が来ました。スバル含めた他の連中には侵攻してきたトリニティ正義実現委員会や救護騎士団への対応をするようにマダムの指示ということで命令を出しておきました」
「それは冗長。これで、マダムの居ぬ間に弱みを握れるというものですね」
アツコをマダムの下へ送り届けたタバネたちの小隊はマダムの弱みとなる書類を探るべく、彼女の書斎に訪れていた。
「おや、ここは輝かしき物語が綴られる舞台裏、まさか、こんな場所に私以外の
「私も予想外でしたよ。私以外に脚本家がいただなんて」
しかし、書斎には先客がいた。
「私はゴルゴンダ、そしてこちらがデカルコマニー」
「そういうこった!」
首のない肖像画を持った紳士。ゲマトリアの一人がそこにいた。
ゴルゴンダと名乗った男の手にはタバネたちが探していた。ベアトリーチェが彼らと交渉して手に入れたエデン条約で使用したラムジェット・エンジンを搭載した高性能ミサイルの取引記録らしき資料が握られていた。
舞台に上がらず、決して注目を浴びない陰から盤面を操作する二人の会合。そんな二人が出会ったのなら、結論は決まっていた。
「脚本家は二人も要りません。退場していただきましょう」
「同感です。ジャンルも書き方も異なる二人の脚本家がいては者が
「そういうこった!」
二人の行動が重なった。ゴルゴンダは手元から自作のヘイローを破壊する爆弾を虚空から出現させ、それの起爆スイッチを入れる。タバネは腰ポケットからリボルバーを引き抜き、無謀の顔を持つ紳士へと弾丸を撃ち抜く。
「……うぐ、それではさようなら、機会が合えばまた、会いましょう」
飛来した弾丸がゴルゴンダの左わき腹を貫通し、ゴルゴンダはくぐもった声をあげた。腹を弾丸が貫通したことによる激痛。それによって手の書類を落とす、見切りをつけてタバネたちごと爆破を試みる。
ゴルゴンダは消え、マダムを追い詰める為の書類が残された。
「皆さん、逃げてください」
ーこの書類さえ守り抜けばアリウスはマダムの支配から解放される。ならば、どちらを選ぶべきかは明白だ!
タバネの行動は決まっていた。落ちている書類を乱雑に投げ捨て、爆弾に覆いかぶさる。
「……ぐあああああ!」
至近距離から体を抉る爆炎。古聖堂でタバネがハスミに仕掛けたブラフの爆弾でなく、本物のヘイローを破壊する爆弾が爆発した。
「リーダー! 大丈夫か!?」
漏れ出た爆弾の爆発で髪を焦がした小隊員たちがタバネへと殺到する。
「ええ、なんとか。それより、資料は」
「安心してくれ、リーダー。資料なら無事だ」
小隊員たちは誇らしげに自分の腹部に抱えていた書類をひらひらとタバネに見せつけた。それに、怪我を負ったことで険しい表情を浮かべていたタバネの顔が緩んだ。
それにつられて小隊の隊員たちも次々に笑う。
―マダムの破滅は確定した。
「本当は指揮をしたかったんですがね」
「この怪我では仕方ないだろ。退却指揮はスバルに任せよう。スクワッドがいた時は百人隊長だったんだ、問題ないだろう」
そこからは作戦を一部変更して、重傷を負ったタバネと重要参考書類を戦場から遠ざけるのを目標に。
マダム・ベアトリーチェをアリウスから追い出す口実を手に入れたタバネの小隊はアリウス自治区を抜け出した。
◇
カタコンベを抜けた先のトリニティ自治区の辺境の旧聖堂前。
「ふむ。これは配役が私に流されたと言うことでしょうか?」
「何を冷静に考察しているのです! 私たちは先生までならまだしも、子供にまでいい様にされたのですよ!」
先生率いるアリウススクワッドに敗れたベアトリーチェと彼女を回収したゴルゴンダ&デカルコマニー。腹部から出血しているゴルゴンダに自身の手駒に反逆されたことで怒り狂ったベアトリーチェが狂気を帯びた目で彼らを叱責する。
「マダム。今のあなたは冷静ではないご様子。落ち着いてください。大人の淑女らしく」
「腑抜けたことを! 支配され搾取されるべき子供たちに手を噛まれたのですよ、彼女たちをしつけるのが正しい大人としての姿でしょう! 虚像と真実だの、そんな言葉遊びをしているから、現実を見れなくなるのです!」
ゴルゴンダはベアトリーチェを冷静になだめようとするが、それが逆効果だった。自分が見下していた存在に反逆され怒り心頭のマダムは遂に彼らに手を出した。
マダムの顔が怪物に変わり、その顔から放たれた熱戦がデカルコマニーとゴルゴンダを掠めた。
「どうやら、今のマダムには時間が必要なようですね。ここで別れましょう」
「そう言うこった!」
「いいでしょう。今の私にはあなたの一人芝居に付き合っていられませんから」
生徒たちへの憎悪を募らせたベアトリーチェの様子に危機感を覚えたゴルゴンダとデカルコマニーはここからは別行動ということで彼女をその場に置いていくのだった。
「よくも裏切ってくれましたね。タバネ!!」
「初めに裏切ったのは貴方でしょう、マダム。我々から不当に簒奪した生徒会長の座で企てた今回のエデン条約襲撃計画。その主犯格としての責任は果たしてもらいますよ」
数週間後、ヴァルキューレ警察、トリニティやゲヘナ学園から追跡され続けた末。
前代未聞の大人の生徒会長としてエデン条約を襲ったアリウス分校の生徒会長として、マダム・ベアトリーチェは善意の協力者の手によって捕らえられ、ヴァルキューレ警察に護送されるのだった。
◇
トリニティ総合学園、大講堂。
重厚なステンドグラスから差し込む光すらも冷たく感じられるその空間で、かつてトリニティを揺るがした大事件。エデン条約襲撃事件の主犯格である聖園ミカの聴聞会が執り行われていた。
無数の生徒たちが固唾を呑んで見守る中、壇上の中央でミカは力なく俯いている。
張り詰めた静寂を破り、ティーパーティーのホストを務める桐藤ナギサが、手に持った裁定書をゆっくりと読み上げた。
「以上の情状と経緯を鑑み、聖園ミカさんにはティーパーティーの権限剥奪および退団を申し渡します。 ただし、退学処分は免除とし、今後は監視の下、
言葉を区切り、ナギサは小さく安堵の息を吐いた。
同席していた百合園セイアも、静かに目を閉じて深く頷く。 ミカもまた、裁きを受け入れるように身を縮めていた。
退学という最悪の結末は避けられた。
傷ついた生徒たちの『情』と、ティーパーティーとしてのギリギリの調整によって、事件は一つの穏便な結末へと収束しようとしていた。
「異議あり」
だが、その安堵は、冷ややかでよく通る声によって一刀両断された。
大講堂の席から、一人の少女が立ち上がる。
赤い長髪と優雅なドレス。 彼女は先日、退団するミカの代わりにパテル分派からの代表として『パテル分派の新首長』の座に就いたばかりの令嬢だった。
「ナギサ様、セイア様。 事件を矮小化しないでいただきたい」
令嬢は扇子を手に、壇上の首脳陣を氷のような視線で射抜いた。
「ミカさんがやった行いは、外部の武力勢力であるアリウスを自国へ引き入れた『外患誘致』。 そして、トリニティの首脳陣を暗殺し、国家体制を転覆させようとした『内乱罪』に他なりませんわ。 …… ティーパーティー退団とボランティア? そんな生ぬるい処分で済まされるはずがありません。 私は、法に則った『厳罰(退学)』を求めます」
「な…… っ!?」
令嬢の容赦のない言葉に、ナギサとセイアは目を見開いて怯んだ。
外患誘致に、内乱罪。 法治国家の基準に照らし合わせれば、死刑にすら相当する絶対的な重罪だ。 その事実を、パテル分派のトップという公的な立場から突きつけられたのだ。
「待ってください! 確かにミカさんの行いは許されるものではありません! ですが、彼女もまたアリウスの大人に利用され、苦しんでいた被害者の一面が!」
「詭弁ですわね、ナギサ様」
必死に反論しようとするナギサの言葉を、令嬢は嘲笑うかのように切り捨てる。
「彼女が苦しんでいたから、何なのです? ミカさんが、アリウスと共謀してトリニティでクーデターを引き起こした事実は変わりません。それによって、多くの生徒に混乱と恐怖をもたらしたことも。 あなたたちはただの『ミカ様のお友達』ではなく、トリニティを統治する『国家元首』でしょう」
「それは…… っ」
「国家の根幹を揺るがす大罪人を、『お友達だから』『反省しているから』という私情で、自身の立場を利用しながらティーパーティーという自分たちの立場を切り離して弁護する。 それが為政者のやることですか? その甘さが、トリニティにどれほどの禍根を残すか…… 計算すらできないのですか」
ぐうの音も出ない正論だった。
令嬢の言葉は、ナギサとセイアが意図的に目を背けようとしていた『政治的責任』を的確に抉り出していた。
「キミの意見には一理あるよ。 ティーパーティーという立場を思えば、私の言葉はひどく身勝手なのかもしれない。 …… しかし、どこかで断ち切らなければ、この報復の連鎖は終わらないんだ。 ミカはもう、自身の罪に苦しみ、十分な代償を支払ったはずだ。 これ以上の罰は…… 彼女にとって、あまりにも酷というものだよ」
「許すための刑罰が必要なのです。法を曲げ、大罪人を野放しにすることこそが、被害者たちにとって酷というもの。それで被害者は納得するはずがありませんわ、セイア様。 それにミカさんの対するいじめは問題ですが、それとこれとは別です。私刑を行った彼女たちも別に裁く必要があります。あなたたちのやっていることは、傷を絆創膏で隠して治ったと言い張る、見事なまでの『責任逃れ』です」
令嬢の一歩も引かない理詰めの追及に、ナギサもセイアも言葉を失い、目に見えて追い詰められていく。
大講堂の生徒たちの間にも、「確かに新首長の言う通りだ」「なぜミカ様だけが許されるんだ」という疑念のざわめきが広がり始めていた。
「このまま判決を出せば、ティーパーティーの信頼は地に堕ちることでしょう。それにミカさんがもう一度、クーデターを企てたら? それらへの「責任」は取れるのですか? ミカさんを退学させることこそが正しいことなのでは?」
「……それは」
法と論理による完全なるチェックメイト。
令嬢が勝利を確信し、冷酷にミカへの断罪を言い渡そうとした、その時だった。
「“私はそうは思わない”」
大人の落ち着いた声が講堂に響いた。
シャーレの先生が、ナギサとセイア、そして震えるミカを庇うように、令嬢の前へと進み出た。
「あら。 シャーレの先生。大人のあなたがトリニティの司法に横槍を入れるおつもりですか? 法と真実を捻じ曲げてまで、彼女を庇うと?」
令嬢の刺すような視線を受け止めたまま、先生は静かに首を横に振った。
「“君の言う『法』や『真実』はティーパーティーの生徒として正しいのだろう。だけど、私は教師だ”」
「……」
「“私はどんな生徒にだってやり直す機会があるべきだと思ってる。だからたった一度の失敗で生徒が絶望に突き落とされるくらいなら、優しい『嘘』で生徒が守られ、明日をやり直せる未来の方がいいかな”」
それは、法という絶対的なシステムを真っ向から否定する、とてつもなく身勝手で、しかしどこまでも真っ直ぐな『大人のエゴ(責任)』だった。
「“もし、ミカがもう一度誤りを起こしても責任は私が取る。今回、被害を受けた生徒に対しても皆でゆっくり話し合って理解してもらうつもりだ。そうでしょ、ミカ、ナギサ”」
「……先生、ありがとう」
「ええ、納得させるのが政治ですから」
先生の言葉に、ミカは涙ぐんで頷き。ナギサも同意する。
全員でゆっくりと歩み寄り理解を求め。苦しみを分かち合いながら、罪を償ってエデンへとたどり着くのだ。
「…… 優しい嘘、ですか。 その嘘のツケを、いつか誰かが血を流して払うことになっても?」
「“ああ。 その時は、私が支払う”」
先生の瞳には一切の迷いがなかった。
国家の法よりも一人の生徒の未来を重んじる。 どんなにそれが政治的に間違っていようとも、生徒を守る盾となる。
その揺るぎない覚悟。そして、その行動を保障する超法規的権限。
「先生が保証してくれるなら」、「まあ、最悪。ティーパーティーが堕ちても打倒して新政権は樹立できますかしら」、「なら、今回の判決はこれでいいのでは?」といった声が会場に聞こえ出した。
令嬢はしばらく黙り込み。やがて、小さく息を吐いた。
「…… なるほど。 これが、あなたという『劇薬』の正体ですか」
令嬢は扇子を閉じ、ふっと口角を上げた。
先生の言葉に込められた圧倒的な『嘘(建前)の強さ』。 それを前にしては、これ以上の論争は無意味だと悟ったのだ。
「いいでしょう。 シャーレの先生がそこまで覚悟を背負うというのであれば、パテル分派の首長として、今回の裁定にはこれ以上異議を唱えません。 …… ですが、先生」
令嬢は踵を返し、講堂の出口へと歩き出す。
そして去り際、ナギサたちと先生へ向けて、冷たく、そしてどこか哀れむような言葉を残した。
「その『優しい嘘』が、いつかキヴォトスというシステムをどう腐らせていくのか。 私は特等席で、ゆっくりと見物させていただきますわ」
重い扉が閉まり、令嬢の姿が消える。
静寂が戻った大講堂で、ミカの退学は免除され、当初の予定通りの処分が下されることとなった。
先生の『優しい嘘』は、確かに一人の生徒の未来を守った。 だが、その背後に残された令嬢の冷たい予言は、静かな呪いのように講堂の空気に溶け込んでいた。
「また、また、私の力不足でトリニティを守れませんでした」
会場から出た令嬢の目尻に涙が走っていた。
恐れていた事態はとうに起こっていた。友達だからと法の適応、不適応が定められる政治が始まっていた。
令嬢がパテル分派の首長になり、しかし、令嬢の守ろうとした公平な政治は守られず。
ナギサとセイアを率いる先生と令嬢との戦いは一勝一敗の結果になった。
◇
リバティスクール、射撃訓練場。
「狙いが定まりませんわね」
令嬢はこの後、リバティスクールに帰り、トリニティの法が『お友達の情』で歪められたことへの怒りや悲しみに暮れ、射撃訓練場で黙々と銃を撃ち続けていた。
ターン、ターンと、令嬢の持つコンテンダーの乾いた銃声だけが冷たい空間に響く。
どんなに正論をぶつけても、絶対的な大人の権力(システム)には敵わなかった。 その無力感に手が震え、次弾の装填が上手くいかず、手間取ってしまう。
「頑張ったみたいだな。 お疲れ様」
「きゃあ!?」
背後から不意に伸びてきた腕が、令嬢の震える体を優しく、力強く抱きしめた。
振り返らなくともわかる。 ゲヘナの新生雷帝派総裁だった。
「人払いは済ませてある。 ここには誰もいない。何でもいい、私に話を聞かせてくれ」
振り返れば先ほどまで訓練場にいたはずの生徒たちがどこかに消えていた。
余りに没頭しすぎて、周囲への関心を向けていなかった。
唖然とする令嬢を総裁が正面から再び抱きしめた。
令嬢の顔が総裁の胸に収まる。熱を帯びていた顔が総裁の上着の鉄製のボタンに当たり、ヒンヤリとした感触を与える。
「うああああああああああああ…… っ」
自分を包み込む温かくてほっとする感覚に、令嬢は堪えていた糸が切れ、総裁の胸に顔を埋めて子供のように泣きじゃくった。
「正しい者が常に勝つわけではないからね。 とは言え、辛かったね。 何かしてほしいことはあるかい?」
「でしたら、もう少しだけこのまま」
「いいとも」
心の内に抱えていたことを打ち明け。
令嬢は気恥ずかしそうに頬を染めながらも、総裁の腕の中で静かに二人の時間を過ごしたのだった。
そうして、暫くそのまま抱きあっていると。
「昏睡状態だったタバネさんが目を覚ましました! ノボリ社長が『快気祝いで今日の夜、BBQパーティーをする。 お前たちも来い!』とのことです! ……と、これは失礼しました。私から断っておきましょうか」
伝令の生徒が息を切らせて駆け込んできた。
二人を見たその生徒は、頭をかいて断りを入れてそんなことを提案してくる。
「いい。了解した」
「じゃあ、伝えておきますんで! ごゆっくり~」
総裁がBBQに行くことを伝えると、伝令の生徒は伝えておくと去っていった。
「……ふふ」
「はは、それじゃ行こうか」
「ええ、行きますわ」
二人は並んでBBQ会場へと向かっていった。
「よう、二人ともよくやってくれた!」
「ありがとうございます。 …… ですが、私はトリニティの法は守れませんでしたわ」
「ああ、それに関しては残念だったな! だが、先生の特権ってやつは反則じみてきついからな! ズルい大人がいたもんだ」
二人の向かったBBQ会場。そこでは大量の肉と野菜がグリルで焼かれ、集まった生徒たちに取り分けられていた。
遅れてやってきた二人と挨拶をかわした後。ノボリは肉を焼きながら、心底愉快そうに皮肉を言った。
「ええ、あなたの計画も分かりますわ。あれでは、私たちがいくらルールに従って盤面を整えて戦っても、テーブルごとひっくり返されてしまいますもの」
「ハッハッハッハッハ!」
「ふふふ」
肉の爆ぜる音と煙の中、令嬢とノボリは悪びれる様子もなく笑い合った。
法で裁けないシステムがあるなら、法ごと世界を壊して作り直すしかない。 令嬢の心を占めていた重い靄は、その笑い声と共に綺麗に吹き飛ばされていった。
「待て! その肉は私の分だ。返せ、フカメ」
「タバネ、君は病院上がりだろう。この肉は難敵だ。私が預かっておこうじゃないか。あはははははは!」
「あの素晴らしき連邦生徒会長にいない時代が帰ってきた! ビジネスのチャンスの到来だ!」
肉を奪い合うタバネとフカメ。ダウとヨウコは新しく出てきたPMC事業が勢力を伸ばしてきたことに興奮した様子で連れ添った部下たちに話しかけている。
集まった生徒たちが仕事や日常についてが大いに語り合い、楽しくその日を過ごした。
◇
翌日、ゲヘナの総裁、トリニティの令嬢、私を含めたデスペラード社の幹部陣がスクール内の会議室でテレビを眺めていた。
「来たな。これでマコトは終わりだ」
クロノス放送局のニュースが始まった。あのエデン条約襲撃から、総裁は雷帝派の情報部に集めさせ、マコトがアリウスと会談している写真を確保。クロノスにリークし、マコトがアリウスと関わっていたことを知らしめた。
そして、今日、タバネが集めてきた証拠によって、ベアトリーチェの存在が明るみに出る。これによって、アリウスと取引していたマコトは生徒を搾取するベアトリーチェのような黒い大人とまで関わっていたのかと。更に、追い詰められる予定だ。
これでマコトの政権は終わり、新たに総裁がゲヘナの最高指導者となるだろう。
『皆さん、おはようございます! 今日は大ニュースが二つも入りました!』
二つだと? 今日は世間の関心がベアトリーチェとマコトの件にだけ向くよう、他のニュースはつまらないゴシップで埋まるように調整したはずだ。
予想外の事態に、勝利を確信していた会議室の空気が微かにざわついた。
『一つ目はあのエデン条約襲撃の主犯が明らかになりました! マダム・ベアトリーチェというそうですよ!』
一つ目の話題、ベアトリーチェのことだった。
はあ、全員が一先ずは安心だ。息をこぼす。そして、淹れられたコーヒーを飲む。
『二つ目の話題を紹介していきますが。なんと特別ゲストが来てくれました! どうぞ!』
『どうも。ミレニアム学園、兵器開発部所属のヒュイ博士だよ。今日はキヴォトスの皆の為に、覆い隠されようとしている真実を話しに来た。これを見てくれ! AL1S、キヴォトスを破壊する危険な兵器だ!』
手に持っていたコーヒーカップが落ちた。
フカメも驚愕の表情を浮かべていた。
ゲストで訪れた車椅子に乗ったメガネをかけた生徒は兵器開発部の部員だった。
「どういうことだ! フカメ!」
「な!? あれは私の部屋に保管していたはずまさか、盗んだのか! ……いや、以前から彼女はAL1Sについて危惧していたが」
狼狽した様子のフカメから話を聞くと、彼女はあのアリスの暴走した一件に関わっていて、それ以来、恐怖を抱えていたとのこと。
そして、アリスをどうにかしろと、しつこくフカメに頼まれていたらしい。
「時期を考えろと、彼女には伝えていたはずだが。まさか、ここまで愚かだったとは。いや、私が忘れていたのか。ミームに染まりやすい、人間の愚かしさを」
わなわなと腕を振るわせながらフカメが話す。
最悪だ。部員の暴走で。いずれ起こす改革時にミレニアムの動きを制限する為の札が一枚減らされた上に話題もバッティングした。
大衆の関心が分散されてしまった。
『皆、聞いてほしい。これは先生の声だ。わかっただろ、皆。兵器開発部の仲間も、セミナーや他の部活も、先生さえも。僕以外のすべてがこの危機に対して、黙認したんだ! まともなのは僕だけだった! この危機に立ち上がれるのは僕しかいなかった!』
『そ、そうだったんですね。呼ぶ人、間違えたかも』
なおも、ゲストで来たヒュイは、興奮した様子でスタジオの生徒に向かって語り掛けていた。
録音した先生との会話記録の一部が流されている。
……ふざけやがって!
ここまでタバネや総裁、令嬢がどれだけの覚悟や命を支払ってきたと思っているんだ!
「急いで、ミレニアムに戻るぞ!」
「ああ、そうしよう!」
これから、ミレニアムや各地に置いてある兵器開発部の研究室にヴァルキューレ警察の監査が入る。
アリスに関しての資料以外にも見られて不味い物は大量にある。
私たちはこの事態を招いた馬鹿に対して恨みを抱きながら騒々しく移動を開始した。