Flamme Blue 作:どらぐらど
週末、兵藤礼二は何をするでもなく自室で積み本の消化を行っていた。
性欲に極振りした兄の一誠に対して、礼二は只管に読書が好きだった。それも、読書家というよりも乱読家と呼べるほどにジャンルは幅広い。
純文学に始まり、長編短編の小説、ラノベ、新書、評論文、専門雑誌、研究記録、漫画に絵本と幅広い。
最近では、ドイツ語の辞書にまで手を伸ばすあたり、ある種の変態の領域へと足を踏み入れているだろう。
「…………ふぅ。お腹空いたな」
壁際に寄せられたベッドの上で、今しがた読み終えた本を傍らに置き礼二は時計を確認した。
本を読み始めてから、ざっと数時間は経過しているだろうか。一度読み始めると読書以外の一切が削ぎ落ちてしまうのがいつもの事。
空腹感を覚えて、礼二は部屋を出ると一階へ。
「…………あれ?誰もいない」
覗いたキッチンに母は居らず、その他の気配も無し。
よくよく見れば、食卓の上に一枚の紙が置かれていた。
「夕飯どうしようか」
そこに書かれていたのは、両親揃って留守にする旨。そして、夕飯は各自でお願いするというもの。
とりあえずメモを戻してから、礼二は再度時計を確認。
「…………ラーメンでも食べようかな」
そう決めて、財布と携帯電話の必要最低限のモノだけポケットに突っ込み、玄関に鍵をかけて彼は外へと繰り出した。
夕焼けが空を染める時間帯。道を歩きながら、礼二はふと兄の事を思い出した。
「…………彼女と食べてくるかな」
うん、と頷き思考をカット。
ついでに散歩でもしようと足を向けたのは、公園。
休日といえども、今は夕暮れ。子連れは既に家族の団欒に移っており、夕焼けに染まった園内に人影はほとんど見られない。
静かなその場所へと足を踏み入れた礼二。
「――――…………え?」
はたとその足が止まる。
彼が見つけたもの。それは、夕焼けに照らされて地面に転がる何か。
遠目であったが、それでも礼二は眼鏡越しにその転がる何かの正体がわかった。同時に、彼の足は自身の意思関係なく駆けだしていた。
徐々に影の中に鮮明になるソレは、最早視認できる距離。
「ッ、兄さん!!」
変わり果てた、
胸元を真っ赤に染め上げて、仰向けに倒れた少年。その表情は、深い絶望の色が見て取れて、尚且つ悲愴に満ちていた。
駆け寄った礼二は、己の手が汚れる事も厭わずに傍に付くと、膝をついて兄の上半身を持ち上げる。
まだ、服越しにも分かる温かさ。そして手や服を汚していく赤い血潮。
「何があったんだよ……!」
「――――あら、また消さないといけないわね」
呻くような礼二の言葉に、答えたのはこの場に似つかわしくない涼やかな声だった。
反射的に声の出所へと視線を向ければ、そこに立っていたのは一人の女。
だが、その見た目は礼二の知る一般的な女性像とはかけ離れたものだ。
「…………堕天使、か」
礼二は、自身の頭の中にある情報を確定させるように呟く。
堕天使。堕ちた天使。それはあくまでも、紙面などの二次元的な存在であって、決して現実に存在するようなものではない。
だが、今彼の目の前には堕天使が居る。
服装こそ一般的な女性ものの服装であり、長いストレートの黒髪は烏の濡れ羽色とも言うべき艶やかさを持ち合わせている。
それらすべてを粉砕する、一対の黒い翼が彼女の背には存在していた。
女は、スッとその目を細める。
「私たちを知っているの?…………いいえ、どうでも良いわね」
「ッ、どうでも良い、だと?」
「ええ、どうでも良いわ――――だって、貴方は今ここで死ぬんだもの」
死ぬ。そう告げられて、礼二の心臓が大きく脈を打つ。
「…………何で、兄さんに近づいた」
「はあ?何の話よ」
「答えろ。お前は、兄さんに彼女として近付いたんだろう?理由は何だ」
礼二の問いに、女は不快そうに眉根を寄せる。
「…………まあ、良いわ。私は寛容だから。極東では、冥途の土産というのかしらね?答えてあげる。その馬鹿な人間が、
「神器?」
「聖書の神から人間に与えられる奇跡みたいなものね。不都合そうなものを持ってそうだったから、消した。それだけよ」
「…………つまり、騙したのか」
「当然じゃない。面白くもないのに連れ回されて……ああ、でも。本人が随分必死になってるのは嗤えたわね。矮小な人間風情が無い頭を捻って、結局何も成せない。滑稽だわ」
「…………」
嘲笑う女に対して、礼二は無言で一誠の体を地面に横たえると立ち上がった。
固く握られた拳は彼の内側に燃える怒りに呼応するようにして、軋むほどに握りしめられている。
礼二は知っている。慣れないながらも、初めての彼女に楽しんでほしいと自分なりに考え、調べてデートを計画していた姿を。
それらすべてを踏み躙った女を、彼は赦す事はない。
「それじゃあ、そろそろ死になさい」
言いながら、女の右手に集まるのは光。
本来ならば掴む事など出来ないが、しかし彼女は
圧縮される時間の中で、女は軽い動作で槍を振り被り、踏み込みと共に投擲。その速度は、メジャーリーガー投球の遥か上を行く。
迫る
瞬間、青が弾けた。
「お前が、消えろ…………!!!」
突き出される右手。その手の平には、群青色の炎が揺らめいていた。
炎は、腕の動きに連動して手のひら大の大きさから一気に弾けて大きく燃え上がる。
火炎放射、いや最早火柱をそのまま横倒しにしたような青の一閃は人一人を飲み込んで余りある胴回りとなりながら堕天使の女へと襲い掛かったのだ。
「え…………ッ!!!」
真正面からぶつかり合う形となった投擲された光の槍と、群青の火炎放射はしかし一切の余地なく後者に軍配が上がった。
というか、接触した瞬間
まさかの光景に呆けた彼女は、しかし直後に眼前を染め上げた青からの逃走を図った。
意図しない動きだったせいで、横っ飛びに地面へと飛び込む様な無様な格好にはなったが、それでも直撃は避けた。
「アアアアアアッッッ!!!」
絶叫が、響く。
女の左の翼は無惨なものだった。
中ほどから先が完全に、焼失。骨は愚か、灰の一欠けらさえ残っておらず、原形を残した羽の残りの内焼失した部分に近かった場所は黒い煙を上げて炭化してしまっている。
もだえ苦しむ女に、しかし礼二は一切の容赦もない。
恐怖に歪む女へと右手を向ける。
その掌に灯った青い炎。
女の顔から、血の気が一気に引き抜かれた。
「て、転移!転移よ!は、早く!!」
虚空へとみっともなく叫ぶ。
極限状態にて発狂したのか、或いは別の理由か。少なくとも、礼二にとってはどうでも良い事だった。
ただ、焼き尽すのみ。その姿は、宛ら人間の身でありながら魔王の如し。
かくして業火は放たれる。
「――――チッ」
漏れるのは、舌打ち。
放たれた火炎放射は、しかし標的を捉える前に対象がその場から消えた事で意味を成さなかった。
代わりに残るのは、熔けてガラス質となりながらさらに融解している地面だけ。
取り逃がしてしまった事実を認識し、礼二は肩に籠っていた力を吐き出した息と共に追い出した。
後に残るのは虚無感と、それから後悔。
「兄さん…………」
膝をつき、血に汚れた兄の亡骸を撫でる。
こんな事になるのなら、もっと深く追求するべきだった、という後悔。そして、ド変態であったとしても、それでも兄として慕ってもいた人間の喪失。
叶う事ならば、生き返ってほしい。礼二は無意識のうちに、祈っていた。
例え、
そして、願いは聞き遂げられる。
「貴方たちね、私を喚んだのは」
紅の悪魔は、現れる。