ある看護婦の秘密   作:ディエ

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プロローグ

高級ホテルのロビーに流れる風は、外の初夏の空気を感じさせつつ、明らかに違うものだった。分厚い絨毯は靴音を消し、低くかすかなざわめきさえも上品に感じられる。

このようなホテルには取材で何回か来ているのだが、どうしても緊張してしまう。

腕時計を見ると、約束の時間までにはまだ五分ある。

小心者の私はソファに腰を下ろすこともできず、観葉植物の脇に目立たないように立っていた。

 

今回の取材は、私が推し進めてきた『日本の文化復興を担った女性』というテーマの最後を飾るものだ。

私ももう28。若手とは呼ばれないが、ベテランというのもおこがましいという立ち位置だ。そんな私が手紙を何通も送り、何度も電話をかけて、やっともぎ取った単独取材。記者としても大きな仕事になるだろう。

 

そして・・・ 聞けるところまで全部聞く。

 

そう決意を新たにしていると、エレベーターのドアが音もなく開いた。

降りて来たのは白髪をきれいにまとめ、薄いカーディガンを羽織った上品な老婦人だ。落ち着いた佇まいだが、その真っ直ぐに伸びた背筋からは、未だに活動力が溢れているように感じられた。

 

『この人だ』

 

私は緊張感を隠しながら近づいた。

「石塚ミチヨさん、でしょうか。今日はお時間、ありがとうございます。東方文化社の李 美羽(リー メイユー)と申します」

私が名刺を差し出すと、石塚さんは少し驚いた様子で、両手で受け取った。

「日本語、お上手なんですね。中国語でのインタビューかと思っていました」

石塚さんの方でも我が社について調べたのだろう。東方文化社は中国系の出版社で、在日中国人をメインターゲットにしている。

「祖母が日本人なもので、小さい頃から日本語には興味があったんです」

「そうなんですか。では、よろしくお願いします」

「ご案内します。応接室の準備はできていますので」

そうして二人で並んで廊下を歩く。老年とは思えない、しっかりとした足取りが印象的だった。

 

応接室は初夏の日差しが柔らかく差し込み、レースのカーテンがかすかに揺れていた。梅雨入り前の穏やかな午後。そんな表現がぴったりだった。

「本日は、私共の『日本の文化復興を担った女性』という企画の一環でお話を伺えたらと思いまして。特に医療現場でのご活躍について伺いたいと思います」

私は鞄からノートとペン、カセットレコーダーを取り出した。

向かいに座った老婦人は「お願いします」と会釈する。

 

石塚ミチヨさん、80歳。今年、2001年の春の叙勲で瑞宝中綬章を受賞した一人で、終戦直後から看護師として活躍し、戦地医療・災害時医療の先駆者として、そして看護師教育制度の改革にも尽力した、医療業界では伝説的な人物だという。確かに、静かに座っているだけで、今まで会って来た人物とは存在感が違う。

 

「ご発言の内容は掲載前にきちんとご確認いただけるので、ここでは気楽なお気持ちでお話いただければと思います」

そう断ってから、カセットレコーダーのスイッチを入れる。

「まず、終戦直後の混乱期の中で、復員者の対応や感染症対策で活躍されたということですが、その時の医療現場というのはどのような状況だったのでしょうか」

「それはもう、物資も人手も何もかもが足りず、毎日が綱渡りのようでした。医者も看護婦もどんどん戦地に送り出されましたけど、戦争が終わったからと言って、すぐに帰って来られるわけじゃありませんからね。どこも人手不足でしたね。薬はもちろん、包帯などもありませんから、みんな代用品を工夫して使っていました」

「そうした困難をどのように乗り越えられたのでしょうか」

「結局は人のつながりですね。お互いに物も知恵も出し合って、支え合う。これだけです。戦争で大切なものを失った人が多かったからこそ、残ったものを大事につなげていこうという思いが強かったんだと思います。誰もが、自分一人では生きられないと知っていたのでしょう」

「なるほど・・・ そういう連帯感は、今の日本では薄れているものでしょうね」

「そうですね。当時は生き延びたこと自体が奇跡のようなところがありましたからね」

「そういった医療は、戦後の文化復興の中で、どのような役割を果たしたと考えられますか」

「健康を取り戻せば、人は働けますし、子どもは勉強できるようになります。家財を失っても、自分が元気なら周りを助け、未来を作ることができます。医療は再出発のための土台となっていたと思います」

「戦後の混乱期の後も、さまざまな紛争地域や被災地域への派遣に参加されてきていますが、危険と隣り合わせの現場に向かわれた原動力は何だったのでしょうか」

「命を救うことには、場所も立場も関係ない、ということでしょうか。看護の手を必要としている人たちがいるというだけで、私には十分でした。現場にはきれいごとだけでは済まない現実もありましたが、だからこそ医療の本質がそこにあったと思っています」

「戦後は赤十字の上海支部に長く勤務しておられましたが、どのような方針で活動なされていたのでしょうか」

「基本は『まず人の命を助けること』ですね。物資や人手が限られていても、工夫次第で助けられる命はある。そのことを実践していくために、若い看護師や医療スタッフと共に勉強していきました」

「終戦直後の経験が生きた、ということでしょうか」

「そうですね。環境としてはその時よりも整っていたので、より教育、指導に力を入れることができました。私もそこで多くを学び、その後に生かせたと思っています。大変な時代に生きた者として、それを何かの役に立つかたちで未来に残せたのなら、こんな光栄なことはありません」

 

その後も、私の質問に石塚さんは静かに答えていく。自分を大きく見せるようなことはせずに、簡素な言葉で、過去の功績も淡々として語った。

それはまるで自分自身に何かを課しているかのような、決意と覚悟が伝わってくる。石塚さんにとって、他人の評価などどうでもいいのではないか、と思わせるものだった。

それは使命感か、あるいは贖罪か・・・

やはり、私はあのことを聞かなければならない。

 

「はい、以上になります。ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」

私がお礼を言ってカセットレコーダーを止めると、石塚さんも頭を下げてくれた。

時計を見ると、午後2時過ぎで、終了予定時刻まではまだ時間がある。

「もっと何か喋ればよかったかしら」

石塚さんは笑いながらそう言うが、もともと終了予定時刻は長めに伝えてあったので、インタビュー内容としては十分だ。

むしろ、私としてはこれからが本題だ。

「あの、お時間のほうはまだよろしいですか?」

「ええ、大丈夫ですよ」

「少し長くなるかもしれないのですが・・・」

「今日はもう予定もありませんし、かまいませんよ」

「・・・では、よろしければ満洲でのお話を伺えないでしょうか」

私の要望に、石塚さんの穏やかな表情がすっと凍り付く。

だがそれも一瞬のことで、すぐに石塚さんは穏やかな声で尋ねてくる。

「・・・それも一緒に掲載するのかしら?」

私のいる東方文化社は比較的親日的な出版社であり、これまで中日関係を批判的に扱ったことはない。

石塚さんの緊張は、政治的リスクを考えたわけではなく、そこに個人的な秘密があるためだろう。

「いいえ、どこにも掲載しませんし、一切公表するつもりもありません。私のごく個人的な興味だと思っていただければ・・・」

石塚さんはスイッチの切られたカセットレコーダーを見つめたまま、迷っているようだった。

「もちろん、無理に聞きだすつもりはありません。話せるところだけで結構です。ただ、私には石塚さんの原点がそこにあるように思えて・・・ あ、すみません。勝手にそんなことを・・・」

石塚さんは俯いたまま黙っていた。

私はインタビュアーのマナーとして、相手のプロフィールや著書などには一通り目を通すようにしている。私が調べた限り、石塚さんが満洲に行っていたとする資料は何もないし、プロフィールも終戦直後の活動からしか載っていない。だが、事前に見た中国でのニュース映像や講演会の映像では、石塚さんの流暢な中国語には、満洲で話されていたような、わずかな東北なまりがあった。著書には中国語は上海支部で覚えたと書いてあったが、それ以前に別の地域で中国語を習得していたはずだ。

きっと石塚さんにとって満洲時代のことは隠しておきたいことなのだ。

だが、こちらにも満洲で何があったのか聞いておかなければならない理由があった。

 

私の父方の祖母は不思議な人だった。

日本人で、若い頃の美人の面影は残しているが、その内面は幼い少女そのものだったのだ。

ずっと中国にいるにもかかわらず、中国語は全く理解できず、日本語しか話せなかった。

周りのことをどれだけ理解できているのかは分からなかったが、祖父のことは大好きで、いつも一緒にいた。その様子は夫婦と言うより、幼い少女が祖父に甘えているようではあったが。

最初は若年性の認知症かと思ったが、祖父の話ではそうではなく、結婚直前の事故によるものらしい。それまでは普通に中国語も話せて、満洲で仕事もしていたが、事故のせいで全て忘れてしまったということだった。それでも祖父のことは覚えているのだから、よほど祖父のことが好きだったのだろう。

私はそんな祖母が大好きだった。

日本語を勉強したのも、もっと祖母と話をしたい、祖母のことがよく知りたいという思いからだった。

祖父が亡くなってからは、日本語が話せるようになっていた私が、お世話役として祖母の所に入り浸っていた。祖母は一人でいる分には何の不都合もないのだが、他の人とコミュニケーションが取れないために、通訳が必要だったのだ。

私が行くと祖母は決まって「ミチヨちゃん」の話をした。

「ミチヨちゃんはすごいんだよ。何でもできるんだから」と自慢そうにしていたかと思えば、「ミチヨちゃんにごめんなさいって言わなきゃ」と済まなそうにしている時もあった。

「ミチヨちゃん」について尋ねたこともあったが、幼い少女のような祖母から何か情報を聞き出すのは難しく、かろうじて苗字が「ヌノムラ」ということだけが分かった。ただ、その苗字も次に聞くときには覚えていないことも多く信憑性は低いと思っていた。

あまりに万能の人物のように言うので、後半は祖母の空想上のお友達なのだと思って、話を合わせていた。

そして祖母が亡くなった後、私は東方文化社の中国支局から日本本社へと希望転勤してきた。

そこで偶然、ニュースで石塚ミチヨさんの受賞の話を知ったのだった。

久しぶりに聞く「ミチヨ」という名前。祖母は一度だけ「ミチヨちゃんは看護婦さんなんだよ」と教えてくれたことがあった。

まさかと思い、石塚ミチヨさんのことを調べると、旧姓は布村だった。

それは衝撃的な事実だった。

祖母の想像上のお友達だと思っていた「ミチヨちゃん」が実在する。

祖母はどういう人物で、石塚さんとはどういう関係だったのか。祖母は何を謝りたかったのか。

祖母のことを知るためには、まず石塚さんのことを知らなければならない。その過程で、祖母の本当の姿がきっと浮かび上がってくるだろう。

私は震える手で石塚さんの連絡先を探したのだった。

 

やがて石塚さんはゆっくりと顔を上げた。

「分かりました。どこにも発表しないと約束していただけるのなら、お話しましょう」

「もちろん約束します」

石塚さんはすっかり冷めたお茶を一口飲むと、気持ちを落ち着かせるように、ため息をついた。

「あれは太平洋戦争が始まる前の年だったから・・・」

「昭和15年。西暦1940年ですね」

私はノートに挟んであった、簡易年表を見た。

「そうですね。私は日赤の養成所の3年生になったばかりだったから、19歳の時でしたね」

 

◇◇1 抜擢◇◇

 

「設定は空襲直後の応急救護。時間は5分。班ごとに救護、搬送を完了させること」

日赤養成所の教官の説明に、私たちは一斉に木立の向こうにちらちらと見えている赤い旗を見詰めた。だが、その下の状況は手前に積み上げられた土嚢に遮られて見ることはできない。

私は練習用の包帯や模擬資材を詰めた肩掛けカバンをぎゅっと押さえ、身構える。

教官の笛が鳴ると同時に、30人ほどの作業服の生徒が駆け出していく。私も簡易担架を抱えて、毛布などを抱えた班の三人と走り出す。

土嚢の山は先日の防災実習で私たちが校庭の土を詰めて積み上げたものだ。一見、しっかりと積みあがっているようだが、そこにはやはりムラがある。案の定、足を取られて転ぶ生徒もいる中、私はしっかりと中身の詰まった土嚢だけを使って踏み越えていく。

そして次は疎らな木立の間をすり抜けていく。帰りの担架の搬送のために、木立の幅や足場の状態も確認していく。

その先には負傷者役の生徒が各班、四人ずつ倒れている。少し離れた場所からは別の指導教官の目が光っているが、それは意識してはいけない。

「安全確認! 火災、なし! 崩落、なし! 有毒ガス、なし! 負傷者の状況確認始め!」

私は周囲を見回して、そう宣言してから、身をかがめて、負傷者役の生徒に近づく。

軽く肩を叩き、「目は開けられますか? どこが痛みますか?」と声を掛けながら、全身を観察する。

 

負傷者役の生徒の胸には紙が貼られていて、手順通りの観察を行ったあとに、紙をめくることで、その負傷の状況が分かったという設定だ。

最初にめくった紙には『右大腿骨解放骨折 出血多量 意識清明 呼吸26回/分 脈拍120回/分 皮膚蒼白』とあった。出血性ショックであり、緊急を要する症例だ。

他の班員がめくった症例は以下のものだった。

『頭部外傷 出血軽微 意識なし 呼吸20回/分 脈拍110回/分 皮膚蒼白』

『左前腕擦過傷 出血軽微 意識清明 呼吸18回/分 脈拍86回/分 皮膚・温・乾燥』

『胸部貫通創 出血中等度 意識なし 呼吸なし 脈拍触知不能 皮膚蒼白・冷』

 

「頭部外傷が最優先。恵、担架の準備して。洋子と春香は骨折の応急処置を」

そう指示を出すと、すぐにみんなも動き出す。

頭部外傷者の首が、搬送に備えて毛布を丸めたもので固定される。骨折の方は止血帯を締めて、圧迫止血を並行して行い、両足を一緒に固定したあと、毛布で保温する。「もうすぐ搬送されますからね」との声掛けも忘れない。

「先にこっちを搬送してくるから、擦過傷の人は自力で退避させて。胸部貫通創の人には処置不要の印を」

そうして私は恵と一緒に首を固定したままの患者を担架に乗せると、極力揺らさないように搬送する。その間に洋子は擦過傷の患者に避難経路を説明し、春香は紙にクレヨンで大きくバツ印を書いて、胸部貫通創の患者に乗せる。

頭部外傷の患者を待機所に降ろすと、「恵、危ないからもっと体を低く」と注意をして、すぐに中腰で現場に戻る。

再度、患者の意識状態を確認後、私が先頭に立って周囲の状況を確認しながら、搬送を終わらせる。

 

私はすぐに教官のもとに走り、報告をする。

「優先度1、頭部外傷で意識なし、呼吸安定。優先度2、解放骨折による出血性ショック。以上、二名を収容。優先度3は軽傷、優先度4は呼吸停止、心拍停止で蘇生不能と判断しました」

「・・・よろしい。ミチヨ班は処置完了」

教官にそう言われると、私はまだ搬送訓練中のクラスメイトの邪魔にならないように、端の方を通って、死体役の生徒を呼びに行く。

 

「この訓練、ミチヨのとこの患者役が一番楽だよね。待たされることもないし、担架から落ちることもないし」

「え、担架から落ちたことあるの?」

「その上、踏まれかけたし」

この搬送訓練の教官は実践主義で厳しいことで有名だ。それだけのミスをやらかしてしまった生徒には、どれだけの叱責が飛んだのだろうかと、内心、同情する。

だが叱責だけで済むのは、これが訓練だからだ。もし本番であれば、もっと小さなミスにでさえ、人の命がかかっている。

私たちは担架や毛布を畳み、包帯をきれいに巻き直しながら、他の班の訓練が終わるのを待つ。

 

そして全員分の報告が終わると、教官は今の内容の問題点を挙げ、全員でそれについて考えさせる。その後、それぞれの役割を変えて、再度搬送訓練に入る。

結局その日の搬送訓練では救護役と患者役を2回ずつやった。

だが問題はその後で、実習終了後に、教官の長い総評が入るのだ。10分以上も押すこともよくあり、みんな校舎まで駆け足で戻るが、校舎内は走ってはいけないことになっている。もどかしい気持ちで早歩きをして次の教室に向かうのが常だった。

 

だがその日はいつもの総評の最中に、雑音だらけの放送が流れた。

『3年、布村ミチヨ、至急校長室まで来るように。3年、布村ミチヨ、至急校長室まで来るように』

クラスメイトには「ミチヨ、何したの~?」と小声でクスクス笑われたが、心当たりは全くない。

担任からであれば、クラス委員として自習の監督や、実習機材の準備などで呼ばれたことは何度かあるが、校長室というのは初めてだ。

私が手を挙げると、教官は「布村、行きなさい」と離席を許可してくれる。

 

作業服の土を払ってから更衣室に戻り、軽く汗を拭いてから制服に着替える。担任からの呼び出しだったら作業服のまま行くところだが、校長室ともなれば、きちんとした服装のほうがいいだろう。まだ夏前で、汗がすぐに引くのが救いだった。

ただ、校長室への呼び出しにどのくらい時間を取られるかが、少し不安だった。屋外実習の後はみんなが作業服を洗うので、洗濯場が混雑する。もし洗えずに汚れたままの作業着を使い回していれば、寮婦に見つかった時に、なんと言われるか分からない。

授業中のシンとした校舎を、足音を立てないように校長室へと急ぐ。教員室の前を通り、校長室の立派な扉の前まで来るが、まだ呼び出しの理由は思い当たらない。

息を整え、ノックをして「3年、布村ミチヨです」と告げると、中から「入りなさい」と返事があった。

 

「失礼します」と校長室に入ると、朝礼などで見たことのある校長、教頭のほかに、外部の人間が三人いて、それらの視線が一斉に私に注がれた。

「3年、布村ミチヨです」

改めてそう名乗り、お辞儀をする。

外部の人間は30歳前後と思われる女性が二人と、もう少し年上に見える軍服の男性だった。男性は陸軍の人だろうが、応接用のソファに座っている女性二人に対して、その後ろに立っているのが不思議な感じだった。

広々とした校長室が、その女性二人の迫力だけで、なんとなく手狭に感じられる。

「初めまして、布村さん。私は陸軍衛生部の木内といいます」

女性の一人がそう名乗った。穏やかな表情と優し気な声だが、その迫力は隠しきれていない。

陸軍所属ということは、軍人ということだ。女性の軍人など聞いたことがない。衛生部というと軍医が思い浮かぶが、そもそも女性は陸軍に入れないはずだ。

そう考えている間に、もう一人も名乗る。

「同じく陸軍衛生部の高岡です」

こちらも迫力については木内さんといい勝負だ。そのうえ目つきが鋭く、一見して怖そうな感じがした。

もう一人の人は、と視線を向けると、男性軍人が「あ、吉川っす」と付け加えるように名乗ってくれた。

ずっと女性二人の後ろに立っているし、二人の警護という立場なのだろうか。

まだ相手が何者か全く分かっていなかったが、木内さんたちはこれで自己紹介は終わったという判断らしい。校長にちらりと視線を向ける。

「座ってもらってもいいかしら?」

「あ、はい。布村君、こちらへ」

校長は慌てて私に、用意されていた一人掛けのソファを指示する。

「失礼します」と言って腰を下ろすが、思いのほか体が沈み込み、少し驚いてしまう。

 

上座のソファーに木内さんと高岡さんが座り、その背後に吉川さんが立つ。

その横のソファーには校長と教頭。

そしてその五人から見られる下座に私がちょこんと座る。

あまりの居心地の悪さから助けてほしくて校長や教頭のほうをちらちら見るが、二人も緊張しているのか、それどころではなさそうだ。

「布村さん」

「はい!」

高岡さんに呼びかけられ、私は思わず必要以上に大きな声で返事をしてしまう。

「ペストの種類と症状は?」

いきなりの質問に動揺してしまうが、私は以前、図書室で読んだ医学雑誌の内容を必死で思い出す。

「え、と・・・ ペストで最も多いのは腺ペストで、げっ歯類からノミを介して感染します。そこからペスト菌の増殖によって敗血症型ペスト、肺ペストへと移行することもあります。肺ペストでは飛沫感染を起こすので、患者の隔離が重要となります。腺ペストの主症状はリンパ節の腫脹、発熱、悪寒、頻脈、膿瘍など、敗血症ペストはそれらに加えて紫斑の出現、肺ペストでは鮮紅色泡沫状の喀痰を伴うせきが出ます。無治療での致死率は腺ペストで60%、敗血症型ペストと肺ペストではほぼ100%です」

自分なりにまとめて話したつもりだが、木内さんも高岡さんも無表情で聞いているだけなので、回答に間違いがあったかどうかは分からない。

「熱傷性ショックへの輸液療法の方法と注意点は?」

高岡さんが正解とも不正解とも言わず、続けざまに質問してくる。

「まずはいち早く、できれば6時間以内に輸液を開始することです。最初の8時間でリンゲル液4~5リットルを輸液することを目標としますが、輸液量は熱傷面積で増減します。その後の16時間で同量を輸液します。低体温に注意しながら、尿量、血圧、脈拍を観察します。尿量が1時間当たり30~50ミリリットルあって、低血圧、頻脈が改善されれば、ショックを脱したとして輸液量を減量します。減量せずに大量の輸液を続けることで肺水腫や浮腫が発生する危険性が高まります」

私は二人の視線に晒されながら、頭の中で医学雑誌をめくり続ける。

「穿通性胸部損傷の応急処置は?」

「呼吸抑制に注意しながらモルヒネアンプルの筋注で鎮痛処置を行います。次に創傷部を消毒後、油紙や密着性の高い包帯で塞ぎ、弾性包帯で胸郭を固定しますが、創傷部は完全には密閉せずに、呼気が排出されるような弁状の構造にします。創傷からの空気の流入により緊張性気胸が発生し、肺や心血管への圧迫がみられるときには、太めの注射針を用いた減圧を行います。第二肋間鎖骨中線からの刺入が適切です。移動時の体位は頭部を上げ、患側部を下にすることで呼吸を補助します」

何とか答えると、高岡さんはその鋭い視線をちらりと木内さんに向けた。

 

「では今度は私から」

そう言って木内さんは穏やかな口調で話し始める。

「目の前で死に瀕した助かる見込みのない兵が苦しんでいます。あなたは薬も器材も持っていませんが、安楽死させる毒薬は持っています。あなたは兵にその毒薬を与えますか?」

木内さんの穏やかな口調と裏腹の質問内容に、私は一瞬怯んでしまう。

「・・・その兵隊さん自身は何と言っていますか?」

私は質問で返すことをとても失礼なことと思いつつ、そう聞かざるを得なかった。

校長は慌てた様子で「質問に答えなさい!」と言ってくるが、当の木内さんは少し目を細めたように見えた。

「兵は安楽死させてくれと言っています」

「・・・ではその薬を飲ませてあげると思います」

「直接的にはあなたがその兵を殺すことになってもですか?」

私はその重い言葉にドキリとした。

確かに本人の望む安楽死とはいえ、殺人は殺人だ。しかもその本人の意思すら、熟考を経てのものではなく、現在の苦痛による刹那的なものかもしれないのだ。

だが、条件として『助かる見込みのない』というものがある。その兵隊さんの死は確定的だということだ。

私は兵隊さんを助けることはできないが、苦痛を減らすことならばできる。

「・・・今おっしゃった状況では、それが本人の意思に適うことのように思います」

「その兵の上官がその場にいる場合ではどうですか? 上官に判断を委ね、毒薬を託すこともできますよ」

木内さんはさらに重苦しい問題を投げかけてくる。

「・・・兵隊さんの意思は変わりませんか?」

「変わりません」

「・・・では、同じようにしてあげると思います」

私がなろうとしているのはただの看護婦であって、陸軍の兵隊さんの命を預かるような立場ではない。本来その立場にあるのは、その兵隊さんの上官だ。

だが木内さんが言ったのは、『安楽死させる薬を持っているのは私』という設定だ。上官が持っているわけではない。兵隊さんも、その上官も、私が安楽死させる薬を持つことを認め、使用するという選択肢を認めているということだ。

そんな中で薬を誰かに託すなどというのは、責任の放棄に他ならない。自分の罪悪感を他の誰かになすり付けているようなものだ。

「兵隊さんは助かる見込みのない死を間近にして、苦痛からの解放を望んでいます。その意思は尊重されるべきではないでしょうか。上官には兵隊さんの状況と、兵隊さんの意思を酌んだ処置だと説明します」

私はそう捕捉しながらも、自分の結論に自信を持つことができなかった。

「なるほど。では、この状況の一番の問題点は何だと思いますか?」

それはもう決まっている。

「私のような未熟な人間に、安楽死の薬を持たせたことです」

私が即答すると、木内さんの横で厳しい表情をしていた高岡さんが、フッと小さく笑い声を漏らした。初めて見る笑顔だった。

だがそれも一瞬のことで、高岡さんの視線はまた鋭くなる。

その様子を見て、木内さんも頷いている。

「あなたは優秀な人材ですね」

木内さんはそう褒めてくれたが、わたしはまた何か難問を出されるのではと、心の中で警戒していた。

おそらく、そんな私の緊張を見抜いていたのだろう、木内さんは穏やかな口調で続ける。

「今日、私たちがここに来たのは、ただの定例的な視察でした。その一環でたまたま屋外での救命実習を見ていたのですが、そこでやけに手際のいい生徒が目に付いたのです。こちらの先生に聞いたところ、筆記の成績は校内どころか全国でもトップクラスだとか。確認のためいくつか質問させてもらいましたが、間違いないようですね」

なるほど、と私は内心頷いた。視察の一環の興味本位だったわけだ。それで、優秀生徒として表彰でもされるのかな、と思ったが、そうではなかった。

「あなたのことを陸軍衛生部として採用したいのですが、どうですか?」

木内さんの言葉に、私は『え?』となる。まだ養成所の3年になったばかりで、卒業は来年だ。

「あの、来年の約束、ということでしょうか」

「いいえ。今すぐ採用したいということです」

私はもしかして、という気持ちで尋ねるが、木内さんは即座に否定する。見れば校長と教頭も、どういうことかと困惑している様子だ。二人も木内さんたちの目的は知らなかったらしい。

 

もちろん私は日赤の看護婦になるためにここにいるのだし、看護婦になれば従軍看護婦として戦地に出るのも覚悟の上だ。でもそれは来年のことで、今すぐの話ではないはずだ。それに、衛生部というのも気になる。直属の従軍看護婦ということだろうか。

私が即答できないのを見て、木内さんは校長へと視線を向ける。

「すみませんが少し席を外してもらえますか?」

そう言われ、校長と教頭は困惑しながらも席を立つ。

その後ろには高岡さんが続き、「どこか別の部屋をお願いできますか。今後のお話をさせていただきます」と言っていた。

さっと吉川さんが動き、校長、教頭、高岡さんを送り出して、ドアを閉めると、再び木内さんの後ろに控える。

広い校長室で、私は一人ぼっちだ。

何が始まるのかとドキドキしていると、突然木内さんが「ん~・・・」と伸びをした。

あっけにとられている私の目の前で、自分のハンドバッグをガサガサやったかと思うと、「どうぞ」と私の前にキャラメルを一粒置いた。

そしてそのまま、もう一粒を後ろに立っている吉川さんに渡す。吉川さんは「どうもっす」などと言いながら、すぐに口に放り込む。

見れば、いつの間にか木内さんもキャラメルをほおばっている。

どう反応すればいいか迷っていると、吉川さんが「キャラメル、嫌いっすか?」などと言ってくる。

「あ、いえ、ありがとうございます・・・」

そう言って、私はのろのろと包み紙を開き、キャラメルを口に入れた。

お昼前ということもあって、甘味が身に染みるようだった。これは代用品ではない、本物のキャラメルだ。やっぱりこの人は軍の偉い人なんだなぁ、と漠然と感じた。

それにしても、木内さんにしても吉川さんにしても、さっきまでと態度が違いすぎるような気がする。

 

「布村さんは従軍看護婦になることはどう考えていますか? 内地での病院勤務が希望?」

木内さんが親しげに尋ねてくる。

「いえ、特にそういった希望はありませんが・・・」

今は戦争の影響でどこも看護婦不足だ。看護婦であればどこでも、人手の足りないところへ行かなければならないということくらいは知っている。

「ではまず、こちらのことをお話ししましょう。まず、私たちが陸軍衛生部所属というのは本当です。ですが通常の衛生部とは違って、試験的に作られた第一特務救護小隊というところです」

そういいながら木内さんは自分の軍隊手帳を開いて見せてくれた。確かに第一特務救護小隊隊長とある。

「特務って、何をするところなんでしょうか・・・」

「その部分はまだ気にしないでください。平時は通常の従軍看護婦のリーダーとして動いてもらいます。軍属ではなく、軍人としてです。階級は少尉になります」

軍属とは軍の補助をする民間人のことだ。従軍看護婦はこの軍属のはずだが、軍人の看護婦とはいったい・・・

「あの、少尉というと・・・」

階級のことはよく分からないので、そう尋ねてみた。

「二等兵、一等兵、上等兵、伍長、軍曹、曹長、そして少尉です。新人の指揮官と思ってください。正規の軍人として兵に対する命令権もあります」

「私がそんなに偉い役職に就くんですか?」

「少尉という階級は待遇や命令系統、自分の身を守るためのものであって、仕事内容は従軍看護婦と同じようなものです。まぁ、より厳しいものにはなるでしょうが」

養成所を卒業前の私が、正規の看護婦さんたちのリーダーになる。しかも軍人で、指揮官という階級だ。

不安しかない・・・

 

「この小隊は作られたばかりで、今、優秀な人材を集めているところです。他の候補者はほとんどが日赤病院や陸軍病院の出身で、院長やもっと上の推薦状を持って志願して来ています。そのような優秀な人材が集まる中で研鑽するのもいいのではないですか?」

私の不安感が表情に出ていたのか、木内さんが諭すように言う。その言葉で私の心は決まった。

それを悟ったように、木内さんは頷く。

「布村ミチヨさん。第一特務救護小隊に志願しますね?」

「はい」

私は木内さんの目を見て答えた。

「よろしい」と木内さんもにっこりとほほ笑む。

「ただし、これは例外的な部隊になるので、表向きはただの従軍看護婦、ということにしておいてください。御家族にも、そのようにお願いします」

「はい。あ、でも、校長先生の推薦状は・・・」

私が恐る恐る言うと、木内さんはにっこりと笑った。

「大丈夫です。私が推薦します」

木内さんはハンドバッグから便箋を取り出すと、私の名札を見ながら、さらさらと何かを書きつけていく。

 

「これからの話ですけど、6月20日の午前8時半に新潟港に来てください。新型の病院船がありますからすぐ分かると思います。服装は私服でもその制服でも結構、私物は手荷物用の鞄1つだけ。現金も必要ありません。日用品や着替えなどは全てこちらで準備します」

そう説明しながら、木内さんは書き終わった便箋を渡してくる。

そこには、『日赤看護婦 布村ミチヨ を第一特務救護小隊に推薦す  陸軍少佐 木内香』とあった。

「本当はもっといろいろ必要なんだけど、急なことだから、これで通れるようにしておきますね。何か質問は?」

木内さんは全部説明したような感じでそう言ってくるが、聞きたいことだらけだ。

「私はまだ看護婦になっていませんが・・・」

「問題ありません。あなたは明日にでもこの養成所を卒業です。その後の手続きはこちらで行いますので、後日、御実家のほうに卒業証書と看護婦免状を送らせます」

なるほど、そのあたりの話を今、高岡さんがしているのだろう。

「任地はどこになりますか?」

「満洲です。ですが、これは内密にしておいてください」

やはり満洲か・・・

 

満州国は今から8年前、1932年に『五族協和』『王道楽土』などとうたって建国された国だが、実際には日本の軍隊が守っている国で、国際的には認められていない。中国の軍が正面から攻めてくる気配はないらしいが、『匪賊』や『抗日』と呼ばれる人たちも動いて、日本の軍は治安対策に追われているらしい。

つまり、日本から一番近い戦場だ。

 

「船上での2週間の訓練を受けて、合格した者だけが満洲に渡って、任官されることになります」

「不合格になることもあるんですか?」

また不安になって尋ねると、木内さんはクスリと笑う。

「あなたなら大丈夫。不合格になるような人間を、募集締め切り後に捻じ込んだりはしません」

「えぇ~・・・」

そこまで評価されているのかと思うと、さすがに困惑してしまう。

と、その時、ドアがノックされ、高岡さんが少し顔を出す。

「婦長、少しよろしいですか」

「はいはい」

木内さんは軽く返事をしながら、高岡さんと出て行ってしまう。

 

部屋の中には吉川さんだけがその場から動かずに残っている。

少し気まずいなと思っていると、「お二人の印象はどうっすか?」と吉川さんに尋ねられた。

「え?」

「お二人の下でやっていけそうっすか?」

吉川さんに対する印象は『軍人なのに、やけに砕けた話し方をする人だな』というものだ。行動を見ていると愚直のようでもあるけど、話し方はふざけているとしか思えない。

「木内さんは、婦長さんは優しそうな人だと思いました。高岡さんは、あの、ちょっと怖そうだなと・・・」

「まぁ、初対面じゃそうっすよね。高岡さんも舐められないように、わざとああいう態度取ってるっすからね」

なるほど、軍は完全な男社会だから、舐められないように、というのも大事なのだろう。

「高岡さんが来たら、独り言の体で『布団が吹っ飛んだ』って言ってみるといいっす」

「え?」

「言えばどんな人か分かるっす」

「はぁ・・・」

何のことかさっぱり分からないが、吉川さんが真面目な顔で言うので、頷いておくことにした。

 

しばらくして部屋を出ていた4人が戻ってくる。どうやら向こうのほうも話はまとまったようだ。

『寮の荷物はあとで送るので、今日はもう戻って、ある程度荷物をまとめておくように』『明日は卒業式を開くのでいつも通りに登校するように』といったことが、校長から説明される。

木内さんの言った通り、私はもう養成所を卒業することになったようだ。

高岡さんからは、乗車する汽車の時刻、駅には軍用トラックが待っているので、それで港まで行くこと、汽車の切符は後で実家に届けることなどが説明される。

そうして一通り説明が終わると木内さんたちを見送るため、私たちは一列に並ぶ。

 

私が教頭の横に立っていると、木内さんから「少し話しましょうか」と誘われた。

木内さんたちはもう歩き始めているので、小走りで追い付き、少し後ろを歩いた。

校舎を出ると初夏を感じさせる風が心地よかった。道路沿いには三人が乗ってきたであろう軍用車が見える。

「布村さん、私は鬼のような人間です」

「え?」

突然、何を言い出すのだろう。

「あなたのような優秀な人材を集め、その子たちを戦地に連れて行こうとしています。いつ誰が死んでもおかしくない、危険な所です。もしあなたが死んでも、私は悲しみも泣きもしないでしょう。むしろ自分の役目を分かっていないと言って怒るかもしれません。そういう人間です」

木内さんは私の少し先を歩いているため、その表情は伺うことができない。

だが声色は冷静そのものだ。

「そんな人間に、あなたは付いてくるのですか?」

「はい。もう覚悟はできています」

「そうですか」

振り返った木内さんは優し気な笑みを浮かべていた。

「では6月20日、新潟港で待っていますね」

「はい」

そうして私は、軍用車の前で木内さんと握手を交わした。

 

・・・だけでは終わらなかった。吉川さんが軍用車の運転席に座る前に、私に目配せしてきたのだ。『あれを言え』というふうに。

「えと、布団が吹っ飛んだ・・・」

小声で言うと、私の横にいた高岡さんが、フッと笑いをこらえて横を向く。耳まで真っ赤にして、プルプル震えている。

『あ、かわいいな、この人』と思ってしまう。

高岡さんは振り向きざまに「吉川ぁ!」と怒鳴るが、吉川さんは平然として「知らないっす」などと言っている。

『名前呼んだだけで知らないっす、は知ってる証拠なんだよなぁ』などと思ってしまう。

そして木内さんはそのやりとりをにこにこと見ている。

この人たちと一緒にいるのは居心地がいいだろうなと思ってしまう。

 

そしてその日の放課後から翌朝にかけては、寮は大変な騒ぎだった。

友達や友達の友達、友達の友達の後輩などという知らない人までが、次から次へとやってきた。その日ばかりは寮婦さんも大目に見たのか、あるいは追い返すことを諦めたのか、寮の別棟からも押しかける始末だった。

食事時間にしても、私の寮は厳格な黙食というわけではないが、それでも寮婦さんが顔をしかめるくらいには、食堂は賑やかだった。

 

そして翌朝、寮のクラスメイト達は「先に行ってるね~」「ミチヨはゆっくり来てね」などの言葉を置いて、先に校舎に向かった。

今日は私一人のために、卒業式が開かれるのだ。

私物はもうまとめてあるし、身支度も整えた。最後に空っぽの6人部屋を見渡すと、とりとめもない日常が思い出されてくる。

最後に玄関先で寮婦さんから「気を付けてね」と声をかけられ、私は「はい。ありがとうございました」と頭を下げた。

 

寮から校舎への道のりはシンとしていた。もうみんな講堂で待っているのだろう。そうは分かっても寂しい気持ちになる。

玄関のところで担任に出迎えられ、そのまま校長室に案内される。式の次第が説明され、卒業証書は間に合わないので証書の筒だけを使うと言われた。そして荷物や卒業証書を送るために、実家の住所が確認される。そのあいだにも、「君は我が校の誇りだ」としつこいくらい言っていた。私は「ありがとうございます」とだけ答えておいた。

 

そして担任に先導されて講堂に入ると、全校生徒の拍手で迎えられる。

壁面には紅白幕が張られ、壇上には日章旗と赤十字旗、養成所の校旗が掲げられている。本物の卒業式さながらだ。たった半日でこれを準備したのかと思うと驚かされる。

私は全校生徒の間を通り、壇の前に置かれた、たった一脚だけの椅子に腰を下ろす。

「本日ここに、我が校における看護婦養成課程を、飛び級という異例の形で見事に修了された布村ミチヨさんを、心より讃えたいと存じます。戦時下の厳しい環境においても・・・」

壇上では校長が祝辞を読み上げ始めるが、私はほとんど聞いていなかった。

私はたった一人でここを出て行かなければならないのだ。

戦地は厳しいものだろうが、みんなと一緒ならばなんとかなると思っていたことに、今更ながら気付かされた。私は現状に甘えていたのかもしれない。

「今、祖国がかかえる未曾有の試練に対し、彼女のような若き看護婦が勇気をもって応じる姿こそ、日赤の精神『人道・博愛・奉仕』の具現と申せましょう。中でも・・・」

校長の話はまだ続いている。私はそれを聞き流しながら、友人との日々を思い起こしていた。

 

だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。自分で決断した以上、自分で進まなければならない。

いつの間にか祝辞は終わったようで、「卒業証書授与 布村ミチヨ」と呼名される。

「はい!」と私が立ち上がると、講堂のあちこちから「ミチヨー!」「がんばってねー!」「かっこいいよー!」などと声援が上がる。教師陣もしばらくは黙認していてくれたが、いつまでも終わらないので、ついに「静粛に」という注意が入る。

私は声援が収まってから壇上に上がり、卒業証書の筒を受け取るが、今度は講堂全体からの拍手がなかなか鳴りやまない。

その中で「布村ミチヨ、答辞」と言うと、やっと講堂が静かになる。「一生懸命頑張ってきます」というようなことを読み上げたと思うが、緊張のせいでよく覚えていない。

その後、担任の先導で全生徒、教師陣の間を歩き、紙吹雪まみれになって講堂を出た。

 

壮行会代わりの自由時間では、校門前でクラスメイトたちと握手をしたり、抱き合ったりして別れを惜しんでいた。

やがて校舎の向こうで鐘が鳴り、友人たちは校舎へと戻され、私は養成所を後にした。

 

地元に戻ってからもまた、大変だった。

私の田舎町では、普通の兵隊さんの出征はあっても、従軍看護婦の出征は初めてだったからだ。誰も女が戦場に行くなど考えもしない。そんな中での、女の出征第一号。私の家の周りは、帰った次の日にはもう、お祭りのような賑やかさになった。

 

「布村さんとこの娘が戦場に行くってよ」

「はぁ? 女が戦場で何すんだよ」

「ニュース映画で見たことねぇか? 従軍看護婦ってんだとよ」

「はぁ~、ミチヨちゃんがあれになるんか。すげぇな」

「小さい時から賢い子だったからなぁ」

「日赤の養成所に行ってたっていうだろ? そこなんか飛び級だってよ」

「そりゃ軍からもお呼びがかかるわけだ」

そんな近所の人たちの声が至る所から聞こえてくる。

父は呑み慣れないお酒を飲んで「名誉なことだ、我が家の誇りだ」と上機嫌だし、母は激励に来た近所の人たちにお茶を出したりして大忙しだ。まだ7歳の紀子は状況が分かっていないだろうが「すごいすごい」と言ってくれた。

みんなが喜んで、激励してくれる。私は内心、親孝行ができたと嬉しく思っていた。

 

翌日は家族みんなで写真館に行って、家族写真を2枚撮ってもらった。「ミチヨちゃんだけの写真も撮るかい?」と言われたけど、母は「遺影みたいで縁起が悪い」と言って断っていた。明後日の朝には出発するのだと言うと、明日の午前中には届けてやると言ってくれた。

その帰りに父は『楽器のできる兵は重宝される』と言って、手の平サイズのハーモニカを買ってくれた。小さい頃に練習しただけで得意というわけではなかったが、また少し吹いてみようかという気持ちにはなった。

 

次の日は出征前日ということで、早朝に神社にお参りに行っただけで、家で母の料理を食べて英気を養う。昼前には約束通り、写真屋さんが家族写真を持ってきてくれた。1枚はしわにならないように手荷物用鞄の芯に挟み、もう一枚は神棚に上げた。そしてお昼にはお隣のおばさんがお赤飯を持ってきてくれた。

 

その夜、明日の準備を全て終わらせ、居間に戻ると、父はまだお酒を飲んでいた。こんなに立て続けに飲むのは初めて見る。

「お父さん、また飲んでるの?」

「いいじゃないか。これで最後にするよ。祝い酒だ」

私はそう言う父のそばに座り、コップにお酌をしてあげた。父はそれを半分ほど飲む。

「戦地では何が起こるか分からん。看護婦だって危険な仕事だぞ」

「分かってるよ。私はその危険から助ける方だから、大丈夫」

「少しでも危ないと思ったら逃げ出して来い。日露の時には、自分で足を撃って後方の病院に行った奴だっていたって話だからな」

「看護婦がそんなことできるわけないでしょ」

「はは、冗談だよ。でもお前くらいの器量があれば、片足くらいなくたって嫁の貰い手はいくらでもいる。だから、生きて帰って来い」

「・・・うん、分かった」

すると台所の方から母が顔を見せずに「お父さん、明日は早いんだから・・・」と言ってくる。

「あぁ、分かってる」と言って、父はお酒を飲み干す。

「私も、もう寝るね」と紀子の寝ている部屋にそっと入って行った。

 

そして当日。朝も早いのに、もう家の前に人が詰めかけている。養成所の制服制帽、小さな鞄を下げて家を出ると、周りから歓声が上がる。見知った顔もあるが、知らない人のほうが多い。戦地に行くという女はどんなものなのか見物に来たのだろう。みんなそのまま、駅まで見送りに来てくれた。

私は町の人たちの万歳と拍手のなか、汽車に乗り込んだ。

汽車の中で食べなさいと、母が小さなおにぎりを二つ作ってくれたが、これからのことを考えると、緊張で食欲は湧かなかった。小さな子がおなかが空いたと泣いていたので、一つあげた。そうして1時間もすると、新潟駅に着く。

 

改札を抜けると大きな軍用トラックが止まっていたが、自分の他にもそのトラックを目指す陸軍病院の看護婦が4人いた。彼女たちも第一特務救護小隊の志願者なのだろう。待っていた憲兵に、汽車の切符と一緒にもらっていた乗車許可証を見せて、順番に乗せてもらう。

「五人全員確認!」という号令でトラックが走り出す。舗装されている部分はいいが、それ以外のところでは驚くほど上下に揺れて、背後の鉄柵を握り締めていた。

20分程すると、潮風と共に大きな病院船が見えてくる。船体には「阿賀野丸」とある。地元の病院よりずっと大きかった。

 

トラックを降りて、港にある仮設の営舎で待っていると、次々と志願者がやってきた。私服の人もいるが、日赤や陸軍病院の野外服を着ている人も多い。みんな落ち着いていて、自分だけが新米のような気がした。

やがてある程度集まってきたところで、簡単な健康チェックと手荷物チェックが始まる。それが終わると、別室で書類の提示と名簿登録があった。他の人たちは看護婦証と一緒に召集令状や軍の移転証を出していたが、私は木内さんからもらった便箋1枚だけだ。係の人はいぶかし気にその便箋と私の顔を見比べていた。

 

そして定刻になると、順に名簿が読み上げられ、一人ずつ船に向かう。私は最後だったが、タラップの前で仮の身分手帳を持って待っていたのは高岡さんだった。そしてその後ろには木内さんもいた。二人とも立派な制服を着ていたが、懐かしい感じがした。

「布村ミチヨ!」

名簿を見ずに名前を呼ぶ高岡さんに「はい!」と答え、身分手帳を受け取ると、学生時代の自分に別れを告げるように、一歩一歩タラップを登る。木内さんも小さく頷いていた。

やがて、岸壁で他の将校たちとの話を終えた木内さんと高岡さんがタラップを登ってくる。

「タラップ上げ!」

高岡さんの指示で、大きな鉄製のタラップが軋みながら上がってくる。もう戻ろうと思っても戻れない。進むしかないのだ。

「出港用意! もやい解け!」

今まで静かに浮かんでいた阿賀野丸が一度、大きく揺れる。阿賀野丸の、そして私の出発だ。

 

◇◇◇◇◇

 

「なるほど・・・ そういう経緯で看護師になられたのですね」

「えぇ、木内婦長に見つけていただいてね。当時は国家試験なんてなかったから、養成所の卒業試験が看護婦の資格試験みたいなものでした。でも私はその卒業試験すら受けていないんですよ」

石塚さんは少し恥ずかしそうに笑う。

終戦近くには養成期間が短縮されることはよくあったようだし、試験も形式化していただろう。石塚さんの場合は、高岡副婦長と木内婦長の質問が口頭での試験だと取れなくもない。

「石塚さんのスカウトは視察の途中でたまたま、というお話でしたけど、それは本当だったんでしょうか」

「さぁ、その点については詳しく聞いたことはなかったですね。でも養成所の先生方もみんな驚いていましたし、それまでに軍との接点なんかはなかったんですから、本当に偶然だったんじゃないかと思います。私の人生はあの時、ガラッと変わったように思いますね」

「表向き、従軍看護婦としての出征だったわけですが、反対される方とかはいらっしゃいましたか?」

「いいえ、当時はお国のために出征することが一番の名誉でしたから、反対する人はいませんでした。もし反対でも、口には出せなかったでしょうね。私の両親のように」

「え? 喜んでくれたんじゃないんですか?」

「本当は違ったみたいです。私が出発した日の晩、父は『名誉がなんだ。娘を死地に送り出してしまった。苦しい思いをするのが分かっていながら止めることができなかった』と言って泣いていたそうです。呑み慣れないお酒を飲んでいたのも、お酒の力で自分をごまかそうとしていたのでしょう。後で母からの手紙でそれを知った時には、私も胸が張り裂けそうで、なんという親不孝者なんだと思いました。これは中途半端なことでは帰れないなと、決意を新たにしたものです」

「そのような内容の手紙が検閲を通過できたのですか?」

当時の兵への検閲は厳しく、戦争否定、軍部批判ともとれる内容のものは全て没収、廃棄されたはずだ。

「木内婦長がこっそり渡してくれたんです。家族はあなたが無事でいることを一番に願っている。体を大切にしなさいと言って」

「そうですか・・・ あと、船内で訓練を行うと言われたそうですが、それは戦地での救命訓練のようなものだったのでしょうか」

「えぇ、私もそう思っていたんですがね・・・」

 

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