髪紐論議
リンハルト/エーデルガルト
メリセウス後のどこか
***
薄暗い病室。窓は閉ざされ、薬草の匂いと血の残り香が混じり合っている。
白いシーツに沈み込むように横たわるリンハルトは、顔色も血の気を失っていた。包帯の下から滲む痛みに眉をひそめながら、枕元に腰掛けたエーデルガルトへと、小さな布切れを差し出す。
「これ、カスパルの棺に入れてもらえます?」
掠れた声に、エーデルガルトは目を細めた。
差し出されたのは、擦り切れた一本の髪紐。
「……自分で入れなさい」
「僕、重傷なんですよ。見ればわかりますよね?」
乾いた笑みとともに返すリンハルト。上体を起こすことすら辛そうなのに、なお軽口を忘れない。
「ええ、そうね」
「鬼ですか、貴方は」
短いやり取りの後、エーデルガルトはその紐をじっと見つめる。
「この髪紐は特別なものなのかしら」
「寝てる間にカスパルが僕の髪に勝手に結んだものです」
これだけ使い古したら金銭的な価値とかはほとんどないだろう。そういう意味では特別でもなんでもない。
だけど『これ』は、ずっと使うのをやめる気にならなかったという点で特別なのだろう。
それでいて、もはやリンハルトに必要のないものだとも確信していた。死ねば終わるはずの命に、この紐ひとつが絡みついて離れない。
うつろな目に、一瞬だけ遠い日差しが差す。
「物持ちが良いのね」
「それはどうも」
細く見える指を震わせながら、リンハルトは髪紐を押し出す。だが、エーデルガルトは首を振り、そっとその手を包んだ。
「なら、あなたが渡しなさい。彼にとっても、その方がいいはず」
髪紐は、再びリンハルトの掌に戻ってきた。
それはまるで「生きる方を選びなさい」と突きつけられた重荷のようで――けれど同時に、祈りのように温かかった。
***
棺の前に立つと、足はかろうじて支えてくれた。
「……カスパル」
答えのない呼びかけに、わずかに喉が震える。
「返すね。今までありがとう」
オレに返されても。そんな声が聞こえた気がしたけれど。
「僕はこれ以上持てないから」
握りしめた髪紐を胸元に置いた。指先に冷たさが伝わった瞬間、目尻からひと筋、涙が零れ落ちる。
それ以上は泣かなかった。声も出さなかった。ただ、視界が滲むまま、彼の顔を見つめ続けた。
「約束、したじゃないか」
声は震えていたが、それ以上は崩れなかった。
その独白は、棺の中の彼にだけ届けばよかった。
静けさに包まれた病み上がりの身体は小さく震えていたが、最後まで立ち尽くしたまま別れを告げた。