女神の塔を包む光は金色に揺れて、石壁に映る影までも二人だけの世界に染めていた。
夕焼けに照らされるイングリットの姿はいつもより数段きらきらと輝いていて、視線が吸い込まれてしまう。
俺が違和感に気づいたのはその顔を余すところなく見つめてからで。
「イングリットが化粧してるぅ!?」
思わず口をついて出た言葉に、イングリットがびくりと肩を揺らした。
「えっ……そんなに変?」
「いや、変じゃない。似合ってるよ、すごく。驚いただけ。いつもと少し違うから」
彼女はそっぽを向いて、髪を耳にかける。
「……女神の塔に来るのよ。少しくらい気合を入れたっていいでしょう」
頬の朱が鮮やかだった。化粧の事は詳しくないけど頬に塗るものもあるのだろう。
「まず俺がイングリットに言いたいことは、望まない結婚はしなくていいんだぞ、って事。親が決めたからといって嫌なら嫌って言えばいい」
「女神の塔で話すことがそれ?」
少し眉をひそめたイングリットに、思わずたじろぐ。
え、なんか不機嫌になってる……?
「約束してくれ。なんかここで約束すると叶うんだろ」
「それは誰とも結婚するなということ?」
「誰ともとは言わないよ。イングリットの気持ちが一番大事だ」
「じゃあ私が望んだ相手ならいいのね」
そう言って、イングリットは俺の手を握った。
暖かな感触に心臓が跳ねる。
「……私と結婚してくれる?」
……なんで? 本気で言ってるのか? 俺なんかで?
「どうしても『親が決めた結婚は嫌』というなら諦めるけれど」
「だからイングリットは家の都合通り生きなくていいんだぞ」
「結婚したいの。私が。あなたと」
「それは家同士の都合とか関係なく?」
「関係ないわ」
「俺でいいの?」
「あなたがいいの」
「理想の騎士でも何でもないのに?」
「目の前の誰かを死なせない為に必死に動けるのは、既に立派な騎士よ」
「俺が死にたくないだけだぞ」
「知っているわ」
「……俺はお前が憧れた『グレン』じゃないのに?」
「憧れた人より、今ここにいるあなたを選ぶわ」
イングリットの髪が夕焼けに照らされる。揺るがない輝きに、俺は言葉を失った。
「何度でも言う。私はあなたを愛してる」
「死なない為にと言いながら誰かを惜しみなく守って」
「聖者の再来なんて言われても内心怖くて」
「主君ではなく友人の為に命を懸ける、あなたを」
その声は祈りのように響き、塔の石壁に反響した。
俺の胸の奥に積もっていた暗い影が、少しずつ溶けていくのを感じた。
「ありがとう、イングリット。……結婚しよう」
***
【後日談】
紆余曲折を経ても、イングリットはグレンを掴んで離さなかった。
彼が幾度となく「別れよう」と口にしても、その手を緩めることは決してなかった。
結婚後、イングリットは王に仕える騎士となり、グレンはガラテア領を治めた。
だがイングリットが帰郷するたび、グレンは必ず門まで出迎え、笑顔で妻を迎えたという。