血の使者   作:困るンノス

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新しい試み






異端の男

 

 

 

 

とある村に、父と母と姉と暮らす平凡な少年がいた。

 

父と母は、態度には出さずとも通じあった愛を、いつも食卓に振りまいていた。

姉には想い人がいたし、少年にも片思いの少女がいた。

それを見守る村の大人たちは、まるで皆が少年の親の様な穏やかな目で応援していた。

 

 

少年の一家は敬虔なクリスチャンだった。

 

父は村の中央に教会を持ち、そこで朝早くから己の罪悪感の重圧に押し潰されんとする隣人の吐露を受け止めていた。

 

彼らは神を深く敬い、その教えに従って慎み深く、信心深く生きるだけの……ただの平凡なキリスト教徒だった。

 

 

 

 

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少年が青年と呼べるほどに成長した頃、村は疫病に襲われた。

 

 

その病は村の至る所に広がり、裕福な家も、貧しい家も、分け隔てなく命を奪っていった。

市場の賑わいは消え、礼拝堂の鐘はもはや祝福を告げるためではなく、葬列を知らせるためだけに鳴り響いていた。

 

少年の父は、震える手で聖書を固く握りしめ、かすれる声で章句を読み上げ続けた。

 

「主は我らを見捨て給わぬ……主は、我らに"超えられぬ理不尽な試練"を授け給わぬ……」

 

その言葉は自らを励ますようでもあり、怯える家族を支えようとする必死の祈りでもあった。

 

母は弱りゆく体を押して病に伏す村の隣人を訪ね、祈りを捧げ、冷たい額に濡れ布をあてがった。

やがて自らも咳をこぼすようになっても、祈りをやめることはなかった。

 

「主よ、この小さき者達を、どうか御許へ導き給え」

 

だが祈りもむなしく、人々は次々と倒れていった。

昨日まで一緒に遊んでいた子供の姿が朝には消え、通りの端には黒布に包まれた亡骸が並んでいた。

父母の祈りにはやがて、病に倒れ伏した人が主の御許で安らかに眠れるように、という魂の救いが込められていた。

 

少年の姉もまた、ある夜から咳をこじらせ、熱にうなされて床に伏すようになった。

彼女の細い指は母の手を掴み、苦しい呼吸の合間にかすれた声で詩篇を唱える。

それは幼い頃から父に教え込まれた、心の支えそのものだった。

 

家の中には重苦しい沈黙が広がり、窓の外からは絶え間なく葬列の鐘の音が響いた。

それでも一家は信仰を捨てなかった。

彼らは、すべては神の御手の中にあるのだと信じ続けた。

死でさえ終わりではなく、試練の果てに訪れる救済の始まりにすぎないと。

 

少年は祈る父母の背を見つめながら、胸の奥にわき上がる説明のつかない恐怖を抑え込もうとした。

神は本当に自分たちを見ておられるのか。

この疫病と死の匂いに満ちた町もまた、神の国の一部なのか。

 

答えのない問いが幼い心をかすめても、少年は唇をかたく結び、両手を組んだ。

信じることだけが、残された唯一の拠り所だったから。

 

 

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一週間が経った。

 

 

 

姉の亡骸を埋めた夜、少年もまた高熱に襲われた。

熱にうなされ、全身の血が煮え立つように焼け、喉の奥は砂漠のようにひび割れた。

姉の形見である鉄の十字架を握り締め祈りを続けるが意識は遠のき、見慣れた天井も、祈る母の声も、次第に霞んでいった。

視界の端には赤い靄が広がり、世界そのものが血の色に沈んでいくようだった。

 

──そして、彼は息絶えたと思われた。

 

家族を葬ったのと同じように、村人たちは小さな墓を掘り、少年の亡骸を埋めた。

土の下に眠るはずだったその身は、しかし数日後に異様な力で蠢き始める。

冷たい土を押しのけ、爪で必死に掻き分け、やがて闇夜に晒されたその姿は、もはや生者のそれではなかった。

 

肌は青白く、唇には血の気がなく、胸に手を当てても鼓動はどこにも感じられない。

だが、確かに立っていた。歩いていた。

「生きている」という言葉では到底説明できない存在として、彼は再びこの世に現れたのだった。

 

父母もすでに疫病に倒れ、帰る家も寄り添う者も残っていない。

その姿を見た村人たちは恐怖に駆られ、口々に叫んだ。

 

「神に背いた異端者だ!」

「疫病を招いたのは、あの一家のせいだ!」

「悪魔の子め、地獄へ帰れ!」

 

十字架を突きつけられ、石を投げつけられる。

昨日まで共に祈りを捧げた人々の瞳が、今や冷たい憎悪で彼を射抜いていた。

胸の奥に針のような痛みが突き刺さり、彼は恐怖と混乱のままに闇を駆け出すしかなかった。

 

───己を庇った父母がどうなるかなど考えもせずに。

 

 

 

 

だが──逃げれば逃げるほど、焼けつくような喉の渇きは強まるばかり。

血の匂いが、夜の闇にひどく鮮やかに漂い始める。

遠くの獣の息遣いまでもが、耳に生々しく響き渡った。

 

彼は知った。

これは病ではない。これは飢えだ。

血を求める己の本能が、理性を削ぎ落としていく。

 

神を敬い、神を信じ、神に救いを乞い続けた一家は滅び、残されたかつての隣人からは悪魔と呼ばれた。

そして、夜に目覚めた己の体は、もう人のものではなかった。

 

──その瞬間、少年は悟った。

 

神は父を、母を、姉を……自分をお救いにならなかった。

神に見捨てられ、愛すべき隣人に石を投げられ、かつての教えが容易く崩れ去る音が確かに響いた。

 

自分は、もう人間ではない。

異形として、この世に生き延びるしかないのだ。

 

 

 

 

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森をひとつもふたつも超えた先で獣の血肉を啜り辛うじて生きていると、青年の心に一筋の闇が差した。

 

(僕は何故こんな惨めな思いをして生きなきゃならないんだ?

一体僕が何をしたと言うんだ……何故!何故だ!!

これは……あぁ、"俺"は…………)

 

血涙を流し、顔は憎しみで染まった。

青年はようやくこの感情が何なのか理解わかった。

何故そう感じているのかも納得わかってしまった。

 

それに気付いてからは早かった。

 

青年吸血鬼は密かに故郷へと帰った。

 

自分の過去への決別として、父母に別れを告げようとしたのだ。

 

──当然、そこに家は無かった。

 

教会は燃え尽き、鐘が鳴ることは無かった。

 

青年が村を去った後、パタリと病はなくなったのだ。

病床に倒れていた者は、昨晩までの事が嘘かのように農業に専念していた。

 

それが、青年の一族への不信感を加速させたのだ。

 

 

罪悪感に駆られた吸血鬼は啼いた。

懺悔を聞いてくれる父はもういない。

慰めてくれる母も自分より早くに死んでしまった。

 

 

 

「もう、この村はいらない。この村には何も無い。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一夜にして、その村から人が消えた。

跡地には錆びた鉄の十字架と、ひしゃげたロケットペンダントがあるだけだった。

 

 

 







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