朝の空気はまだ冷たく、博麗神社の境内には焚き火の匂いが漂っていた。
霊夢は縁側に腰を下ろし、湯気の立つ茶を片手にぼんやりと前を見ている。
その視線の先では──“吸血鬼の何でも屋”が、朝日を背に黙々と掃除をしていた。
竹箒を動かす姿は妙に板についていた。
人間でも妖怪でも、掃除をするときの姿勢に“性格”が出る。
几帳面すぎず、かといって雑でもない。
霊夢は頬杖をついて、じっと彼を観察していた。
「ねぇ、アンタほんとに吸血鬼? 灰にならないどころか、朝っぱらから掃除って。」
男は振り返らずに笑う。
「炎を蓄えてるんだ。意外と便利だよ?」
「……珍妙な生き物ね」
「【燃える程度の能力】だからね。エネルギーが必要なのさ。」
霊夢は目を細め、茶をすすった。
もう何度も見てきた光景だ。最初は奇妙だったが、今では日常の一部のように感じる。
気づけば彼は週に一度、神社に顔を出して手伝うようになっていた。
「まったく……朝っぱらから吸血鬼が働いてる神社って、どうなのよ。」
「健全じゃないか。信仰は清潔から始まる。」
「それ、どっかの胡散臭い坊主が言ってたわ。」
「僕だよ。」
「アンタか。」
霊夢の溜め息が、煙と一緒に空へ溶けた。
男はその背中に向かって軽く手を振り、再び竹箒を動かした。
落ち葉がさらさらと音を立て、朝の光の中で小さな影を作る。
「……そういえば」霊夢が口を開く。「今日は依頼の帰り?」
「あぁ。昨夜、村の外れで小鬼が暴れてね。夜明け前に片づけてきた。」
「で、帰る途中に神社寄って掃除? 奇特な吸血鬼ね。」
「いや、単に眠れなかっただけさ。夜明けが綺麗だったから、つい。」
「……日光アレルギーの吸血鬼が何言ってんのよ。」
「燃えるほど美しいって意味さ。」
「うわ、クサい。」
「霊夢が照れた。」
「照れてない!」
霊夢は頬を赤らめながらも、箒を受け取って並び立った。
落ち葉を集める音が境内に響く。
焚き火の炎がちらちらと揺れ、青白い光が二人の影を長く伸ばしていた。
「……太陽、痛くないの?」
「痛いよ。皮膚が焼ける感じ、慣れても嫌なもんだ。」
「だったら帰ればいいのに。」
「でも、ここは好きなんだ。」
「理由は?」
「…ここから見る朝焼けがほんとに綺麗なんだ。」
「……そう?」
「霊夢はきっと慣れてるんだよ、この景色に。」
「十数年も居れば嫌でも目につくから仕方ないわね。」
「この景色を綺麗だと思えないなんてもったいない。」
霊夢は無言で竹箒の先を彼の足元に突き立てた。
「……あんた、ほんと面倒くさい性格してるわね。」
「お互い様だろう?」
その言葉に、霊夢は反論しなかった。
少しだけ、口の端が緩む。
この吸血鬼は、いつも調子のいいことを言うが、どこかに誠実さがある。
それが逆に腹立たしい――けれど、嫌いではなかった。
「ねぇ。」霊夢は落ち葉をまとめながら訊ねた。
「吸血鬼って、人間に戻りたいとか思うの?」
「昔はね。でも今は……燃えながら生きてる方が性に合ってる。」
「バカみたい。」
「そうだね。」
返事があまりにも素直で、霊夢は少しだけ面食らった。
焚き火の火がぱちぱちと弾ける。
青い炎が、彼の横顔を淡く照らしていた。
「ねぇ……」
「ん?」
「アンタ、ほんとに血を吸わないの?」
「吸わないよ。代わりに火を見てると落ち着く。燃えるものを見てると、自分がちゃんと“在る”って感じがするんだ。」
「それ、ちょっと分かるかも。」
「へぇ、巫女も燃えたいタイプか。」
「そういう意味じゃない!」
「燃えるほどに祈る巫女……素敵じゃないか。」
「次言ったらホウキで叩くわよ。」
「暴力は愛情の裏返しだと、誰かが。」
「それ言ったの、たぶん鬼でしょ。」
「うん。飲み会の帰りに説教された。」
「なるほど、納得した。」
霊夢は思わず笑った。
吸血鬼はその横顔を見て、静かに息を吐いた。
穏やかな沈黙が流れる。
竹林の風が、火の粉をさらってゆく。
しばらくして、霊夢がふと口を開いた。
「……ねぇ、アンタ。」
「ん?」
「もしさ、燃え尽きたらどうする?」
「……灰になって、風に混ざって、またどこかで灯るんだろう。炎ってのはそういうものだ。」
「……えらく詩的じゃない。」
「生前のクセさ。」
「詩人だったなんて言わないわよね?」
「意外と天職だったかもしれない。」
霊夢はしばし考えて、肩をすくめた。
「ま、信じたい方を信じればいいじゃない。」
「じゃあ、少しは僕を信じてくれてる?」
「どうかしらね。」
「そっか。じゃあ、信じてもらえるように努力するよ。」
「努力とか言葉にする時点で信用できない。」
「それでもするさ。」
彼の声には迷いがなかった。
霊夢は少しだけ目を伏せた。
焚き火の炎が、赤から橙、そして淡い青へと変わってゆく。
光が二人の間に漂い、言葉を照らす。
「……ま、悪くないわね。こういう朝も。」
「神社の手伝い、また来てもいいかい?」
「気が向いたらね。」
「それ、断る気のない返事だ。」
「よく分かってるじゃない。」
二人の会話は、やがて風に溶けていった。
鈴の音がかすかに鳴り、鳥の声が森の奥から響く。
火の粉が空へと舞い、朝の光の中でゆっくりと消えていく。
霊夢は縁側に腰を下ろし、火の名残を眺めた。
その隣で吸血鬼も静かに座る。
互いに言葉はなく、ただ同じ景色を見ていた。
「……ねぇ。」
「ん?」
「次は、昼じゃなくて夜に来なさい。お茶請けも買ってきて。」
男は目を瞬かせ、それから穏やかに笑った。
「現金な巫女め。」
「妖怪退治のモチベーションに関わるでしょ。」
霊夢はそう言って立ち上がる。
その背を見送りながら、吸血鬼は目を細めた。
朝日が完全に昇り、境内を黄金色に染め上げる。
その光の中でも、彼の影は確かにそこにあった。
燃えて、焦げて、それでも笑っている。
そして霊夢は思う。
(……ほんと、面倒くさい奴。)
焚き火の煙がゆるやかに空へ昇り、二人の間に淡い残光を残していった。