ガチ愉悦部を追放した   作:RH−

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誰の事か、いつの話か。
覆い隠された断片は、全てを定かにさせずに。


断章 HAERESIS
 


 どんな生き物にも命はあって、そしてどうやらそれは等しく尊ばれるモノらしい。

 それが、僕がこの世に生を受けて最初に学んだことだった。

 

 

 ぶちぶちと潰す。

 

 

 一番最初に学んで、一番最初に疑問を抱いて、そして一番最初に絶望した事だった。

 

 畜産農家である両親。僧侶の先生。近所の人たち。

 田舎の、いわゆる小さな寒村だからだろうか。生きる事の難しさを知っているからだろうか。老若男女、立場や知識の差を問わずに、みんながそう思っていた。心の奥底、一番基礎になる部分にそれがあった。

 話してみれば、すぐに分かった。

 

 

 ぶちぶち、ぶちぶちと潰す。

 

 

 生の肯定。

 生きているだけで素晴らしい。

 生きているモノは皆等しく美しい。

 

 みんながそう思っていた。

 

 だから、きっとそうなのだろう。

 それが事実で、真実で、そして人として持つべき感情なのだろう。

 

 生は肯定されるべきで。

 生きているだけで素晴らしく思うべきで。

 生きているモノ全てを等しく美しく感じるべきで。

 

 きっとそれが、生命としての正解なのだろう。

 それは、理解している。

 

 

 理解は……している。

 

 

 でも、どうしてもそこに実感が伴わない。

 村から少し歩いた先の、森の細い道。人気の無いその場所で、独りごちる。

 

 こうして目の前で潰し回っている蟻にも、命はあるらしいのに。それは尊ばれるべきモノであるらしいのに。

 どうしようもなく、その知識に実感が追い付かない。

 

「……帰ろう」

 

 蛙やミミズのような少し大きいものは駄目だった。ならばと試した大量に殺せる蟻も、やっぱり駄目だった。

 

 胸中に生まれた沈み込むような感覚を振り切るよう、小さく呟いて。今日も駄目だったと囁く思考を振り払って。

 僕は立ち上がった。

 

 手も足も、酷く汚れている。

 手で、足で、一匹ずつ、複数まとめて。色々と試して回った結果だが、このまま帰っては怪しまれてしまうだろう。この場の証拠隠滅と共に、綺麗にしなくては。

 

「《Water(水よ)》」

 

 大人たちが使うのを盗み見て覚えた魔法で、水を生成する。

 自分の中の魔力と、周囲にあるらしい魔素とが混ざり合って、丸くお椀を作るようにした両手の中に水が生まれた。

 

 天才だ、なんてほめそやされたりもしたけれど……そんな才能は、別に求めてなかったんだけどな。なんて。

 独りごちる。

 

 そんな瞬間の、事だった。

 

「あら?」

「──っ!?」

 

 背後。声が、響いた。

 鈴を転がすよう、とでも言うのだろうか。高くて、それでいて澄んだ美しい響きだった。

 

 初めて聞くその声に、思わず心を奪われそうになって、そこで気付く。

 

(まずい。まだ、何も証拠隠滅ができていない)

 

 音の方向性からして、今は僕の体で陰になっている。ただ、すぐそこではぶちぶちと潰された蟻の死骸が地面を黒く染めているのだ。

 これを見られたら、まず困ったことになるだろう。

 

 けれども、そんな僕の内心を分かっているのかいないのか、軽やかな足音は段々と近付いてくる。

 

「私よりも幼いのに、そんなキレイに魔法を使える子がいたなんて」

 

 風に乗って、再び可憐な音が耳朶を叩く。

 同時に、砂を踏む微かな音もまた。

 

(とりあえず、話を合わせるなりして時間を稼がないと)

 

「え、えっと──っ!」

 

 意を決して振り返る。

 振り返って──

 

 ──そして、時が止まった。

 

「きれ、い……」

 

 音が消えた。

 風に揺られる木々の音も、僕の内側で鳴っているはずの鼓動も、そして口から零れ出たはずの呟きも。何もかもが、聞こえなくなった。

 

 視界は、世界はただ一人、目の前の少女に焦点を合わせている。

 それ以外の全てが、白色に塗りつぶされた。

 

「……? えっと?」

 

 小首を傾げる姿は、幼い。

 まだまだ少女と呼ぶべき年齢だろう。たぶん、僕の2つか3つ上ぐらい。

 

 腰まで届く長い髪は、少しだけ黒みを帯びた深い紅色。毛先に至るほどきらきらと光を透かすようにするその髪の色は、たしか臙脂色と呼ぶのだったか。

 そして、その鮮やかさとは対照的に、どこまでも真っ白な肌。病人のような、とまで言うほど不健康的ではないけれど、間違いなく健康的ではないその色は、穢れを知らない白雪のようにも。触れなくても壊れてしまいそうな華奢な肢体と合わせて、酷く儚く見える。

 きっとそれは、全身を覆っている同じような白色のワンピースのせいもあるのだろう。

 

 けれども、何よりも鮮烈だったのは。

 何よりも鮮明だったのは。

 

 

 その瞳の、赤い、紅い色。

 

 

 炎と呼ぶほど苛烈ではない。林檎と呼ぶほど毒々しくもない。

 血よりも淡く、本で見た紅玉よりも儚く、しかし陽の光を反射するように紅く輝いている。

 

 はたして、この色はなんと呼べば表現できるのだろうか。

 どこまでも鮮やかで、眩しくて、透き通っていて──生まれて初めて、きれいだと思った。

 

 命は美しく感じられないけれど。世界は美しく見えないけれど。

 小首を傾げるようにしながら、まるで堪えきれないみたいに薄く微笑むその人は、美しいと思った。

 

「どうしたの? 急に固まっちゃって。私の顔に、何か付いてる?」

「あっ、いや、えっと、その……」

 

 再度、ゆるく鈴を揺らしたような声が。淡い桜色の唇から紡がれて。その疑問でハッと我に返って。

 けれども、僕が口にできたのは、数日前に千切って埋めたミミズみたいに切れ切れな言葉だけ。まともな意味をそこから読み取ることなど、できるワケもない。

 

 ああ、顔が……いや、全身が熱い。

 心臓はそのまま弾けてしまうのではないかと言わんばかりにバクバクと音を立てていて、背中には汗が滲んでいる。視線はぐるぐると落ち着きをなくし、口の中は痛いぐらいに渇ききっていた。

 

 手元に生成していた水など、制御を失って流れ落ちて久しい。飛び跳ねた水がズボンの裾に染み込む冷たさだけが、どうしてかハッキリとしていた。

 

「ほら、落ち着いて? お話ししましょ?」

「──っ、あ」

 

 少しだけ俯くようにする僕の顔を、覗き込むみたく。目の前にまで、鮮やかな瞳が近付いてきた。

 そこに映しこまれているのは、紅い色の中でもハッキリと分かるほど顔を赤くした自分の顔。

 

 けれども、その色はすぐに青色に変わることになった。

 

「あら……? それは、蟻の死体……?」

「あ、ぅあ……」

 

 ドクンと、今度は別の原因で跳ねる鼓動。

 急激に下がったように思える体温は、はたして感情の見せた錯覚か、それとも実際の変化なのか。

 

 何も分からないまま、僕は何も言えずに口をハクハクとさせる。どこか他人行儀な思考が、まるで川から釣られた魚のようだな、なんて吐き出した。

 そのまま、永遠にも思える数秒が経過して──

 

「どうして、殺したの?」

 

 少女は、平然と質問を口にした。

 そこに、嫌悪は無い。落胆だとか、恐怖だとか、そういったものも。いっそ平坦なまでの、純粋な疑問としての問いだった。

 

「こんなに潰したっていう事は、理由があるんじゃないの? 蟻に親でも殺された?」

「いや、蟻に人は殺せないでしょ……あっ」

「ふふ、ようやく話してくれたわね。ちなみにだけど、蟻が原因で人が死ぬ事もあり得るそうよ。怖いわねぇ」

 

 思わず零れ出たツッコミに、少女はクスクスと息を漏らす。

 落ち着いた響きを伴った笑い声は、差し込む陽光の快活さではなく、しばらくしたら昇るであろう月の光を想像させた。

 

「それで、どうしてこうも執拗に蟻を潰していたのか、教えてくれないかしら?」

「……別に、関係ないでしょ」

「ええ、そうね。でも、あなたの事が知りたいんだもの。許してちょうだい?」

 

 苦し紛れに吐いた拒絶の言葉には、大して堪えた様子のない返事が。

 その事に焦燥感が湧き上がってきて、けれども同時に安堵するような心地も生まれてきていて、何も分からなくなって。そうして黙り込んだ僕に何を思ったのか、紅色の少女はゆるりと微笑んだまま言葉を紡いだ。

 

「へえ……冗談ではあったけれど、蟻に恨みを抱いているわけではなさそうね」

「それは、どうかな」

「だって、復讐にしては痕跡が淡々としているもの。生々しさが……いえ、熱量が致命的に足りないわ。そういうの、分かっちゃうの」

「……想像力が、豊かなんだね。小説家にでもなった方が、いいんじゃないの?」

「あらあら、それは生き意地汚い犯人(ゴミクズ)が進退窮まった挙句に口にする最低最悪で品性下劣な逃げの言葉だと相場が決まっているらしいわよ?」

「流石にそこまで言うことなくない???」

 

 今度はカラカラと、たしかな声で笑う少女。

 目の端に僅かに涙を滲ませている姿は、心から楽しんでいるようだと読み取れる。柔らかくて、温かな笑みだった。

 

 けれども、彼女はそこで終わらずに、更に踏み込んで話を続ける。

 どこか、様子を探るような空気を身に纏わせながら。

 

「そうねぇ……この感じは、実験って表現の方が正しそうね。そう、実験。我ながら言い得て妙ね」

「…………」

「熱の欠如した淡白さと、色々と試すように種類のある痕跡。まさしく、色々とやった実験結果が片付けられていない、みたいな」

「──っ、うるさいなぁ! ほっといてよ!!」

 

 分からない。何もかもが。何をそんなに苛立っているのかも、さっきからどうして平静でいられないのかも。

 何もかもが分からず、けれども衝動的に声を荒らげて。思わず一歩踏み出して、右腕を振り上げる。

 

 振り上げて、そして。

 

「……っ」

 

 正面から合わせられた瞳に、息を呑むようにして動きが固まる。

 その瞳は、凪いでいた。好奇も、動揺も、ましてや恐怖すらも。何一つとして映していない。

 

 穏やか、とは違う。平坦としか表現できない。

 鮮やかな紅い色とは正反対に、凪いだ湖面みたいな静けさでその瞳は覗き込んできていた。

 

 まるで呑み込まれてしまいそうなその色は、どこまでも歪で、恐ろしくて──だというのに、どうしてか僕はそこに安心感を覚えてしまう。

 そのまま身を委ねて、深くにまで沈み込んでしまいたいと。囚われてしまいたいと。

 

「……」

「……」

 

 深く、深く。本来底として存在するはずの場所が壊れてしまっているのではと思ってしまうほどに、深く。

 けれども、じっと数秒ほど目を合わせて、その先に僅かな感情が見えた気がした。

 

 新月の夜空の端で小さく瞬いている、塵屑のような色のソレは。

 

「あきら、め?」

「──っ!」

 

 ポツリと呟きが響いて、ハッと息を呑んだのは、紅い少女の方。

 大きく見開かれた瞳には、僕の顔が映りこんでいる。それが頼りなく、弱々しく見えてしまうのは……いつの間にか僕自身がそんな表情をしていたのか、それとも彼女の演じているかのような空気が揺らいだからなのか。

 

「……そう。そうなのね。ああ、やっぱりだわ。私には、あなた以外にいない」

 

 ポツリと、弱々しく声が聞こえた気がした。

 けれども、風に容易く流されて、どこか遠くにまで連れ去られていったその中身は。

 

 僕には、何も聞こえなかった。

 

 だけど、それでも。僕は、その姿が見ていられなくて。気付けば、身体が勝手に動いていた。

 目の前の彼女の方へさらに一歩を踏み出して、ギュッとその指先を両手で包みこむ。容易く折れてしまいそうなその手は、けれどもたしかな温かさが宿っていた。

 

「大丈夫……?」

 

 彼女と同じように弱々しくて、けれども彼女とは違って確かに響いた僕の声は、ちゃんと相手にまで届いたらしい。

 紅い少女は、漣を立てるように瞳を潤ませて、小さく『ありがとう』と言った。

 

 とても嬉しそうに、はにかみながら。

 同時に、何かに耐えるように表情を歪めながら。

 

「ごめんなさい。実は、私は知っているの」

「え?」

「あなたが、苦しんでいることを。何にも色を、美しさを見出せないで……ううん、もっと手前。命に価値を見出せないで嘆いていることを」

「──っ」

 

 ドクン、と、再び鼓動の跳ねる感覚。慣れる気配の無いソレは、むしろ今日一番の強さで音を立てる。

 

「どうして、それを」

「視てしまったから。見つけてしまったから」

「何を、言ってるの?」

 

 要領を得ない言葉に、理性が叫ぶ。

 逃げ出せと、コレは危険だと。あるいは、知られてしまっているのなら()()()をしてしまえと。

 

 微かに伝わる震えに、感情が叫ぶ。

 逃げるなと、この少女を捨てるなと。あるいは、この弱々しくも煌めく瞳のそばにいるのだと。

 

 

 ぐるぐると、るらるらと、頭と心が入り乱れる。

 平衡感覚までもが揺らぐ初めての感覚に、それでも全身にグッと力を入れて耐えて……たぶん、時間にすれば数秒ぐらい。

 

 紅い色の少女は、もう一度嬉しそうに口を開いた。

 

「ね、約束しない?」

「約束……?」

「そう。いつか、あなたに色を教えてあげる。命の重さを、そしてその残酷さを」

 

 数秒の、空白。

 一度言葉を切って、続く内容を強調するようにして。

 

 風が、大きく吹き抜けた。

 

 

 

「だから、忘れないで。私の事を、覚えていて。ずっと、ずうっと────」

 

 

 

 差し込む陽光に髪を煌めかせながら、少女はそう言い切った。

 その紅い瞳には、見開かれた僕の金の瞳が映りこんでいる。まるで、彼女が見ているのは僕だけであるかのように。

 

 まるで、僕が見ているのは彼女だけであるかのように。

 

「ふふ。遅れてしまったけれど……あなたの名前を、聞いてもいいかしら」

 

 一枚絵のような光景に、目を奪われる。

 

 暖かな風が、臙脂の髪を靡かせている。

 柔らかく流れるように動く様は、まるで鳥が翼をはためかせるようにも。

 

 陽の光は穏やかに、真っ白な肌を照らしている。

 新雪のようなその白色は、けれどもその奥にたしかな熱を宿している。

 

 漏れるように紡がれるクスクスとした音は、近くの鳥の音よりも軽やかに。

 風に運ばれて香る甘い匂いは、遠くの花畑よりも鮮明に。

 

 そして、緩やかに細められた紅い瞳は、深く覗き込むように。

 僅かな不安と、それ以上の期待を浮かべて、揺らいでいる。

 

「……ラックフル。ラックフル・フォルトゥーナ」

「そう、ラックフル。いい名前ね」

「君は?」

 

 深く頷く少女へ返すように問えば、彼女は少しだけキョトンとした後に、満面の笑みで語った。

 

「私? 私はレイ」

「レイ……?」

「そう、レイ」

 

 繋いだままだった手を緩く解くと、少女は──レイは、さらに一歩分近寄ってきた。

 

 

 至近距離、もはや肌と肌が触れ合うまでの近さ。

 仄かな体温と、強くなった甘い匂いと、耳元をくすぐる柔らかな吐息。

 

 鼓動がまた早まり、身体が硬く強張る。

 そんな僕を抱きしめて、レイは囁いた。

 

 

「──ふふ。いつか、私の名前をあなたにあげるわ。ラック」

 

 

 妖しいまでの声。匂い。温かさ。

 馬鹿みたいに前を見るしかできなくなった僕は──そこにどんな表情が浮かんでいたのか、知らない。

 

 何も知らない。ずっと、ずうっと、知らないままだ。

 

 

 

 

 




そろそろ週一ぐらいの更新になります。
今回はTips.なんてないわよ?
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