ガチ愉悦部を追放した   作:RH−

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突入

 

「まず、いくつか共有しておくべき事がある」

 

 そう、勇者たる金の青年は切り出した。

 視線の向く先は見上げるほどの高い壁。何かを調べるように手を当て、そのまま振り返りもせずに彼は言葉を紡ぐ。彼女──チィファンには、その壁がどうしてかこれまでに見たことのない物であるように思えた。

 

 ドーマントを覆う国家防壁。あるいは、都市防壁か。

 

 ドーマントという国は、小国である。分類するならば都市国家にあたるし、都市国家の中でも極めて小規模な国家と言う他ない。面積で言えば、スルヂェレより一回りか二回りほど大きい程度。

 ともすれば、なぜ国として維持できているのか疑問に思えてしまうほど。それこそ、よっぽどの何かが無ければ外から注目される事がないと断言できるほどに。

 

 実に小規模な国土しか持たないのが、ドーマントだ。

 

「この国は、かなり特殊な場所にある」

「特殊な場所って言うと……ダンジョンがあるとか、魔素が濃いとか、そういう感じですか?」

 

 勇者の言葉に、チィファンは問いを返した。

 

 彼女らの出身国である王国にも、特殊な立地と呼ばれるような場所はいくつかある。

 それこそ、たった今口にされた例もそうであるし、その他にも鉱山みたく資源が採掘できる辺りも同様に扱われる。

 

 が、勇者の返答は肯定ではなかった。

 

「中らずと雖も遠からず、だな。チィファン、漂遺物(ひょういぶつ)は知っているか?」

「ダンジョンから出てくるアレ……ですよね」

「おう」

 

 漂遺物(ひょういぶつ)

 彼女の語った通り、ダンジョンと呼ばれる構造体の中で拾うなどできる物体の総称である。大抵が酷く損傷しており、たまにある状態が良いと思われる物は思われる物でどこかで見たような……いわば凡庸な物ばかり。

 

 研究機関こそあるものの、言ってしまえば一部の物好きだけが求めるようなガラクタだ。小金稼ぎにもできやしない。

 

「そのダンジョンも色々とあるんだが……今は漂遺物についてだけ話す。まず、漂遺物という名の由来についてだ」

「えっと、いずこより漂着せし異物にして、いつかの誰かの遺物。でしたっけ」

「……よく知ってたな。研究者とかしか言わないだろ、それ」

「たまにダンジョン関連の依頼も斡旋されてたので。その関係で」

「へぇ──っと、今はそれはいい。ともかく漂遺物についてだ。その名の由来はチィファンがさっき言った通りだが、実際のところは研究者らも眉唾として扱っている。つまり、漂遺物とはどこぞからダンジョンに流れてきた物であるって部分だ。まーぁ、なんせ転移魔法ですらその効果は限定的なもんだからな。結論がそうもなるってのは納得できる話だわな」

「たしかに、そんな話も聞きましたね。そもそもダンジョン内部では魔力の収束率が著しく低下するというのに、あれらが魔法による結果であるわけがないだろう、とかなんとか」

「おお……魔法が使えないわけじゃなく魔力が練り辛くなる事まで辿り着いてる奴がいたのか。へぇ、そいつは中々に──っと、だからそれはともかく。漂遺物についてはそれが定説なワケだが、しかし事実はその名の由来の通りなんだ」

 

 こてん、と。

 小さな影がその首を傾げる。

 

「えっと、つまり、漂遺物は転移魔法でどこかから飛ばされてきたもの……ってことですか?」

「いんや、そいつは違う。その研究者が言ってたように、転移魔法は関係してないし、それ以外の魔法も関係してない」

 

 首の傾きが、より深くなる。

 右手を顎のあたりの持っていく姿は、あるいは謎かけをされたかのようにも。

 

「ノモクの言っていた話にもちっとばかり関係するがな。漂遺物ってのは、世界の外から流れてきた物なんだよ」

 

 “だからまあ、最初にこの名前を付けた奴は間違いなく天才だったんだろうな”と、言葉は続けられ。

 

「これは、一つの開示だ。オレの目的にも絡む重要な情報の。──この世界は、不安定な状態で開かれつつある匣なんだよ」

「匣、ですか?」

「ああ。管理する者、あるいは蓋を抑える者。それが揺らいだ事で開きつつある匣が、この世界だ。そして、その開いてしまった隙間を通ってどこか別の世界から漂着してきた遺物。それが漂遺物の真実」

「世界の外側に、別世界に……なんというか、急にスケールが大きくなりましたね」

「正確には本来のスケールを測れていなかった、って話なんだがな。オレの目指す先も同じような規模の事だし。……さて、話を戻そう。つまり、この国について」

 

 何かを掴めたのか、壁に当てていた手を離し。一つ頷いて。

 今度は、目を閉じた状態で上を見上げる背中。

 

「まあ、話の流れで察してるかもしれんが、ドーマントもその漂遺物が流れ着く場所でな」

「あれ、でもこの辺りって」

「ああ。ダンジョンとして認定されていない。正確には、されるより先にそれを論じられる段階を飛び越えたってのが真相なんだが。その辺りの歴史だのダンジョン関連の話は置いとかせてくれ」

「分かりました。それで、この国がダンジョンに似た場所だとして……それが、ヴァンさんの共有したかった事なんですか?」

 

 疑問の形をした反語。

 そんな訳がないだろう、という想定を基にした問いは。

 

「それもあるが、そこから更にもう一歩深めるな。……漂遺物の中にある、破損の酷い物たち。あれらはな、なるべくしてああなっているんだ。つまり、この世界の内側においてあれらは元の形であってはならないから、という話。あれらの元の形は法則に反する。存在そのものが世界を歪める。だから、せめてまだ受け入れられる規模にまで砕いて壊して、それでようやく匣の中に入れる。収められる。セーフティみたいなもんだ」

「なる、ほど?」

「例えるなら、水属性と火属性を混ぜて新たな属性の魔法を作ろうとしてもまともに機能しないが、その“熱を発する”って要素だけを部分的に抽出したなら設計できる、みたいな話だ」

「あー、そっちならまだ分かりやすいです。つまり、相反する物を共存させるための操作ってことですよね?」

「そゆこと。ただ、この国にはその例外がいてな。比較的原形を留めていた状態から復元され、遂には再起動まで果たした漂遺物が存在する」

「……それ、ヤバくないですか? さっきの説明からして、相当に危険な気がするんですけど」

「うん、ヤバいよ。普通にちゃんとヤバいよ。ヤバいわよ!! とか言ってる暇ないぐらいにやばやばだよ。それ単体でも十分に厄介なのにマジでなんでルキフ絡んできてるんだよって叫びたいぐらいだよ。なんだよこの魔法陣、てかなんで邪教の連中まで出張ってきてるんだよばーかって喚きたいぐらいだよ」

「淡々と言われるとむしろ狂気的ですね……」

 

 と、そこまで話したタイミングで、勇者が目を開く。

 何かを納得したように──あるいは諦めるように──複数回、首を縦に振り。“ミヴァイの姿は確認できず。ルキフも、と。遮蔽が多すぎるな”、と小さく呟き。

 

 青年が、ようやく振り返る。

 

「んで、今のこの国はその漂遺物が中心になっている。つまり、見た目の時点でオレらに馴染みのある形式からかけ離れてるわけだ。……まあ、とは言いながらオレは別にあれなんだが」

「つまり、その漂遺物が元々あった別世界? の建築様式になってるってことですよね」

「建築様式で留まってるかな……つってもビルって言っても伝わらないだろうし……ま、実物を見た方が早いか。今はその理解でいいよ。んじゃあ次に、この国の中は言ってしまえばダンジョンと似た特性を帯びている。早い話、魔力がめちゃくちゃ動かしにくくなるんだわ。それ前提で組んだ魔法でもなけりゃあ発動もできないと思っといてくれ」

「……あの、じゃあ、この魔法陣は何なんですか?」

「何なんだろうね」

「何なんだろうね、って……」

 

 二人して、今も足元で光を放つ魔法陣へと視線を落として。

 ついでに肩も落とすようにして、言葉が交わされる。

 

「そこの解析はノルンに任せたからな。一旦は後だ」

「は、はーい」

 

 絶妙に嫌そうな返事である。

 ……“そうな”ではなく、実際に嫌である事は確定していたか。

 

「んじゃ、長くなったけど最後だ。今確認したが、この国の中は防衛体制が整えられている。それもミヴァイ……漂遺物のあった世界における、な。ぶっちゃけ対単体の殺傷力に関しては魔法より圧倒的に高いから、用心しておいてくれ」

「あのあの、一つ気になったこと、というか嫌な想像をしちゃったんですけど。このドーマントにも、ノルンちゃんみたいな……ヴァンさんの言うところの布石がいるんですよね」

「おう、そうだな」

「……まさか、ですよ? まさかですけど。その、それってもしかして、さっきから話に出てる漂遺物だったり……しません、よね?」

「全然普通にあってるよ? 布石ってのはつまり存在そのものが世界を歪める者の総称だからな。っつーわけで今回はハードモード確定なワケ。わはは! ルキフが余計な事しでかしたりこの魔法陣が発動したり邪教が暴れだしたりするより先に防衛体制の攻撃凌いでミヴァイのとこまで到達して運命解いてってしないとだからな! さーキッツイぞー!!」

「やけくそじゃないですか!?」

「おう、そうだよ」

「うわぁ! いきなり落ち着かないでくださいよ!」

「んじゃどっちにすりゃいいんだよ!」

「……」

「……」

 

 二人して、目を合わせて。

 どちらからともなく口角を上げる。

 

 いわゆるキレ芸。普段通りのやり取りとも言える。

 ともすれば、差し迫っている状況に対して悠長、舐めているとも取られる振る舞いだ。とはいえ──否、だからこそだろう。

 

 “普段通り”を行う意味も生まれ得る。

 

「んじゃ、行くか」

「了解です。けど、どうやって入るんですか? この壁、相当硬そうですけど」

 

 あまり派手な事をすれば、邪教を刺激する事になる。

 わざわざその死角に回り込みまでしている以上、それは避けたいのだろう……という考えの下の問いは。

 

「え? 普通に壁越えだけど」

「ん?」

「ん?」

 

 と、その小さな手が握られる。

 握られて、引き寄せられて、そして。

 

 抱えられる。抱えられた。

 ちょうど、荷物みたいに。脇の下で。

 

「落とさないようにはするけど、ちゃんと掴まってなな。落ちられるとちょっと危険だから」

「あの、ヴァンさん? あの? まさか脚力でこの壁超えようとしてたりしませんよね? ね???」

 

 だらんと抱えられた状態のまま、顔だけを動かして壁を見上げるチィファン。

 やはり高い。首が若干痛くなるぐらいに見上げなければならないほどに。高い。

 

 数値で表すなら50メートルも超えるのではないだろうか。今の今まで疑問に思わなかったが、よくよく考えたらちょっとこの壁高すぎやしないか。

 彼女はそんな事を思った。

 

「あの、ヴァンさん? どうして、何も答えてくれないんですか?」

 

 ギギギ、と──この喩えは彼女には伝わらないが──錆の入ったロボットみたいな動きで、勇者の顔を見るチィファン。

 視線の先には、実に()()笑顔が。

 

 ヒクヒクと、その頬が引きつる。

 傍目から見れば、見つめ合って笑い合っているようだ。長閑で微笑ましい。

 

「これも巡り合わせだ、ともに壁越えと行こうじゃないか──ってぇね」

「ちょ、ちょおおおおおおお!」

 

 おどけたような、あるいはふざけたような台詞の後。

 強い踏み込みの音が響き、グン、と彼女の視界がブレる。

 

 転瞬。

 コンマ数秒の後、気付けばその身体は空中に。

 

 否、空中ではない。

 

 彼女はともかく、勇者はしっかりとその足で駆けているのだ。壁を地として、進路を斜めに取りながら駆け上がっている。

 身体能力に物を言わせた、重力に真っ向から喧嘩を売る動き。しかしながら、それがずっと続けられるわけではない。いくら魔法の溢れるファンタジー世界でも、そこまでの無法を許されてはいないのだ。

 千年の時を遡った先、神代と呼ばれる頃ならば──あるいは。これはそれぐらいの話なのだ。

 

 故に、その足が離れる。

 

「《Wind()》」

 

 刹那、中空に()()が生成される。

 ただ風を生み出すという魔法。壁の外側であるが故に問題なく発動できるそれを器用にも足裏で起動し、反作用込みで行われるは踏み込み。おおよそ空中で鳴るには不釣り合いな音が響き、再度その身体が壁へと向かう。

 

「っと、来たか」

 

 王国内の都市防壁にもよく似た、石造りに見えた壁。見せかけられた壁。

 それが、()()。奥に覗くは、黒々とした穴を覗かせる細い筒のようなモノ。

 

 何かは分からないが危険であると本能ががなり立てる警告に従い、抱えられた小さな影が口を開こうとし。

 

「口は開くな。少し無茶な動きをする、舌を噛むぞ」

 

 声。跳動。

 音。火花。何かが発射される。小さく尖ったソレ。光を反射する。金属のような質感。が。

 

「《Dark()》 - chain - 《Wind()》 - chain - 《Fire()》 - chain - 《Water()》」

 

 闇に呑まれ、風に減衰され、火に溶かされ、水に阻まれる。

 魔力を過剰に注ぎ込むという非効率極まりない方法で効果を強化された魔法によって、無効化される。

 

 刹那、勇者が壁を蹴った事でその身が空中へと出戻り。

 

「《Wind()》」

 

 またもや、風魔法による足場を使って踏み込まれる。

 向かう先は、壁──ではなく。

 

「《Wind()》」

 

 駆ける。

 

「《Wind()》」

 

 空中を、翼を持たぬ人に自由は許されていないはずの領域を。

 駆ける。駆ける。駆ける。

 

 壁だけでなく、足場を自らの魔法で空に創造して。

 

 飛び交うナニカ、鋭く空気を切り裂くソレを回避して。

 金色の影が。

 

「《Win、d(か、ぜ)》!」

 

 壁を超えた遥か高みにまで、跳び上がった。

 

「第一関門突破、とな」

 

 叩き付けるような風だけが音を響かせる高さ。

 迎撃のための攻撃が止んだそこで、勇者が呟く。

 

「無茶、しますね……酔いそうになりましたよ」

「とはいえアレ以外の手だと時間がかかったからな。すまん」

 

 とはいえ、あくまでも第一関門。

 目を凝らせば、彼女の目にも映るだろう。壁からせり出てきた物よりも多量の筒が、都市の内側で鋒を向けるように角度を整えているのが。

 

「あれも、同じように避け──」

「あ、そうそう。ドーマントだけど、入ったら意識持ってかれると思うから。頑張って戻ってきてな」

「──は?」

 

 ゴクリと生唾を飲み込むようにして問おうとした言葉が、途中で間の抜けた単音に化ける。

 

「そういうのはもっと早くに言うべき事じゃないですか!? 今急に言われても困るんですけど!?」

「いや、言っても対策しようがない事だからな。心構えをしてたとしても、だし。よりかは、直前で言って感情を揺らす方が戻って来やすい。ま、いつも悪いとは思ってるがね。すまん」

「いや軽──」

 

 再度、風魔法。

 落下スピードが上げられ、地表が凄まじい速さで接近する。

 

「見極めた。──《Changeling(置き換え)》」

 

 そうして、入れ替わる。

 それは、言葉にするのならばどう表現されるのだろう。殲滅だろうか。あるいは掃討だろうか。

 

 無数の物が。あらゆる物が。今か今かとその顎を構えていた迎撃機構たちが、座標を変えられ、配置を変えられ、誤作動を起こし。

 一斉に爆ぜた。

 

「──ぁ」

 

 けれども、それを認めるより早く。

 彼女の意識は、薄れて。気絶魔法とは似て非なる何かによって、黒色に呑み込まれた。

 

 

──*──

 

 

 彼女は目を開く。

 瞼を上げる。

 

 眠りから覚めたように。

 あるいはもっと単純に、まばたきをしたかのように。

 

 目を開いた。

 

「“……”」

 

 暗闇。

 まるで未だに目を閉じているかのような、黒色。それだけが、そこに。

 

 ──否。

 前後左右も上方下方も分からなくなるような黒の中に、一つだけ。夜空に舞う星のように、一つの光が。遠く、遠く、彼方に。

 

 その背を見せている。

 

「“ヴァン、さん!”」

 

 何事かを口にする。ああ、彼女は何事かを口にした。手を伸ばして、伸ばして、そうして。

 

 何かを、叫んで。

 

 けれども、音は無い。振動する空気すら存在しないのかもしれない。

 ただ、それでも彼女は何事かを音にしようとして。

 

 刹那、景色が変わる。

 

 全ての色味が反転したように、世界が白色に染まって。

 遠くにあった星の光は消えて。

 

 うすら寒くなるような白一色が、そこに。

 

「“誰ですか!?”」

 

 ──否。

 平衡感覚さえ曖昧にするかのような白一色の中には、けれども別の存在が。振り返った彼女の視線の先には、というか眼前には、別の存在が。

 あり得ないような、それでいて必然的にも。

 

 そこに、人の形をした存在が。

 無表情で、彼女を観察するように至近距離で。

 

「……なんだお前。どうやってここに──って、ああ。そういう事か」

「“!?”」

 

 声は、はっきりと響いて。

 だからこそ、彼女に驚愕を与えた。

 

「ははぁ、なるほど。なるほどナルホド。そうなったか。そうなるのか。私もまた、か。いや、言われれば必然であろうとは分かるが……とはいえ変質も大きくある。つまり、匣を歪めはできたのか」

 

 しきりに頷く姿。

 背は高く、女性どころか成人全体の中でも長身に分類されるだろう。髪と瞳はともに黒色。純色とも表現できよう、墨のような黒色。

 首から頬にかけての大きな傷跡のせいか、纏う雰囲気は鋭い。牙剥く獣、あるいは棘を煌めかせる華か。

 強く、堅い、そんな芯を思わせる。

 

 ──どこか、あるいは彼女とも似たように。

 

 と、不意に。世界が白む。

 真っ白な世界が、白く薄れて行く。

 

「っと、おお。時間か。面白いな」

「“待っ、あなた、は──!”」

「そう焦らんでもいいだろうさ。結ばれた縁はそう消えようもない。ではな、幼子。今はワタシよりお前を大事にしてくれる輩を優先するがよい」

 

 彼女は、手を伸ばす。

 星に手を伸ばしたのとは別の理由で。すぐ近くにいる、古風な言葉を使う女へと。

 

 手を、伸ばして。ああ、だけれども。

 今回も届かない。

 

 それより先に、世界が白んで。

 

「また、と言っておこう。さらばだ、ワタシの同位体よ

 

 

──*──

 

 

「──ぅ、ん」

「起きたか、チィファン」

 

 浮上する意識に、小柄な影が声を漏らす。

 昼寝の後のような、曖昧な酩酊感。かけられた声に、それまでの記憶を辿って。

 

 パチリと、黒色の瞳が開かれる。

 

「そ、そうだ! ドーマントに突入しようとしてて──」

 

 声と共に、周囲を見回して。

 気付く。

 

「あれ? ここ……」

「おう、既に突入した後だ」

 

 見慣れぬ景色。

 見慣れぬ空気。

 

 白の地面は硬く、それでいて表面は僅かながらも風景を反射させるような滑らかさ。雰囲気としての近しさを挙げるならば大理石が例となるかもしれないが、しかし大理石とは手触りも何もかもが異なる。

 硬く、冷たく、それこそ剣や鎧を作る鉄が近しいだろうか。

 

 居並ぶ建物もまた奇妙であり、少なくとも彼女がこれまでに見た事のある形態とはまるで異なる。

 多いものは──言葉にするのなら、白い角柱だろうか。窓らしきガラス部分や入口らしい扉のような構造が見えるおかげで辛うじて建物だと判別できるが、それがなければ本当に柱のようにしか見えない。

 その他にも、一面がガラス張りになった全長の高い建物や地下へと続く階段だけが覗く建物など、彼女にとっては気持ち悪くすら思えるものが無数に。

 

 まさしく、別世界という比喩が当てはまるだろう。あるいは、勇者の内心を借りるならば『科学的な近未来都市』と表現するのが最も正しいか。

 

 しかし、チィファンにとって何よりも印象的であったのは。

 

「なんというか……」

「気味が悪い、だろ? 言葉を選ぼうとせんでもいい。なんせ、都市があるだけなんだからな」

 

 人の気配がない、という事。

 それが、彼女にとって最も印象を残す事実であった。

 

 そう、人の気配がない。

 それはこの近くにいない、という話ではなく、存在感自体がないという事。生活感が漂っていないという事。

 

 何も知らずとも整えられていると分かる、この都市に。街並みに。

 人がいた痕跡を感じられないというのは……いったい。生唾を呑む彼女の音が、不気味に響く。

 

 そんなチィファンの隣で立ち上がると、勇者は手を差し伸べた。

 

「──まあ、とにかく。オレが言うのもおかしいが、オレ以外に言う奴もいないしな」

 

 言葉が紡がれる。

 不可思議な、あるいは彼の異常性を表すような言の葉が。

 

「ようこそ、ここがドーマントだ。あるいは──」

 

 このテアートルムの内側においては、生まれてすらいないはずの概念を。

 

 

「機械の国、と。そう言ってもいいだろう」

 

 

 そんな事を、彼は。

 口にした。

 

 

 

 

 




Tips.匣の内から外に出たもの、外から内に入るものはあるが、基本的に匣は鎖されたままである
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