原作沿いですが、割とカット気味で進みます。
タイトル通り、初回のノール港スタート。
よろしくお願いします。
頭上には、
けれどもこの街の人間は、もう随分と空を仰いでいない。見上げたところで、そこにあるのは心を写したような曇天だ。
「不味い。まっずいなぁ」
一人、街の往来で空を仰ぐ。土砂降りの雨はすぐに衣服を濡らし、靴の中にまで入り込んでくる。
肩がけにした小さな鞄には、長年共にしてきた旅道具が詰め込まれていた。いつでも旅立てる装いだが、先程から左手で逆さに振っている財布からはなんの音もしない。
文字通り、一文無しだ。
「どうしたもんかねぇ」
たった今宿屋を追い出されたジーンは、僅かな希望に縋って鞄を開いた。底に何か、金になるものがあるかもしれない。
あっという間に水を溜め込んだ鞄は、先程よりもずっしりと肩にのしかかっていた。金目の物が残っていたとして、この街には一銭たりとて他者に差し出せる者は居ないだろう。
カプワ・ノールは今日も、雨が降っている。
帝都の下町にて、平和な、悪く言えば代わり映えのしない日々を浪費していた青年が、ひょんな事から街を飛び出し、なし崩し的に旅を始めてどれだけ経っただろう。
最初はただ、下町の生命線である
最終的に、
図らずも、ずっと後を追いかける形になっている幼馴染、フレンの行先とも一致する。
そんな経緯で、ユーリとエステルの旅はこの大陸最大の港町、カプワ・ノールへと及んでいた。
対になる港に渡りたいだけなのに、相変わらず事はそう簡単に進まない。どうやら執政官であるラゴウが相当悪どい奴で、不自然に続く大雨を理由に船の往来を禁止しているという。
再会したフレンも、相手が執政官という立場ともなると手をこまねいている。
ラゴウの屋敷に踏み込む理由を作る為に必要なのは、奴が要求しているリブガロという魔物の角。住民に代わってリブガロの討伐を掲げた一行は、街の出口で早速足止めを食らった。というのも、一風変わった装束に身を包んだ女性が仁王立ちをしているのだ。
厄介事の匂いに、ユーリは人知れず溜息を零した。下町を出てからこんな事の連続だ。
「ユーリ、あの人なんかこっち見てない?」
「気のせいだろ。さっさと先に進もうぜ。あんま、悠長にもしてられねぇだろ」
カロルの不安そうな声に軽い調子で応えるも、確かにその女性はジッと此方を睨みつけている。気にも留めないリタが横をすり抜けても、微動だにせず。
睨まれてるのは、どうやらユーリのようだった。
「ユーリ。あの方、何か言いたいことがあるんじゃないでしょうか」
お人好しのエステルはリタの後ろに続く事は出来ず、オロオロと双方の顔を順繰りに見ながらユーリの服の袖を引いた。こういう時、カロルは役に立たない。
結局こうなるんだよなぁと毒づきながら、ユーリは女性に一歩近付いた。
「……アンタ、何か用か」
歳の頃はユーリと同じか、少し上に思えた。
青みがかった白髪は透き通るようで、下町が雪に覆われた日を思い出す。頭頂で一束に纏めていても、腰程の長さだ。白と淡い水色を基調とした服装は所々に飾り布をあしらっていて、濡れて重たくなっていなければ動くたびに目を楽しませただろう。
実用性を度外視したふわふわとしたイメージとは裏腹に、使い込まれたグローブやブーツがやけに印象的だった。
ユーリの言葉を受け、女性の灰色の瞳が弧を描く。ピクリと反応したカロルがユーリの背中に逃げ込むのを目で追って、女性もまた一歩こちらに踏み出した。
「リブガロ、倒しに行くなら私も連れていってくれない?」
「リブガロ?アンタを、か?」
ユーリがチラリと服装を確認したのを察したのか、女性は軽く腕を上下に動かした。なるほど、動きを阻害する作りにはなっていないらしい。
「ちょっと、何やってんのよ。置いてくわよ?」
「リタ。あの、この方がリブガロ退治に着いて来たい、と」
痺れを切らしたリタへの説明はエステルに任せて、ユーリは「で?」と眉を跳ねあげた。
「一応理由を聞こうか」
「船が出なくて困ってるの。ダングレストに戻りたいのよ」
「ダングレスト?」
知った名前が出たからか、カロルがひょこりと顔を覗かせた。
「カプワ・トリムを経由して向かうつもりだったのにこの雨でしょ。無理に出港すれば執政官が砲撃までしてくる。こんな事今までなかった。となると怪しいのは執政官だ」
「なるほど、考えることは皆同じか」
「リブガロの角さえあれば事態を動かせる。何より、この街はもう限界だ」
あとついでに、と続けて女性は右手に握りしめていた革袋を放り投げた。綺麗な放物線を描いてユーリの手元に届いたそれは、これまた使い込まれているものの上等な財布だろう。
「私も限界」
ぽすんと軽い音を立てた財布には、1ガルドすらも入っていなかった。
「このご恩はいずれ必ず!」
限界、という言葉と共に盛大に鳴り響いた腹の音に、ユーリ達は宿屋へ引き返す羽目になった。
主人は中途半端な時間にも関わらず快く食事の用意を請け負ってくれたが、終始申し訳なさそうな顔で女性を伺っていた。何より、請求された代金は今しがた女性の腹に収まった料理達に見合っていない。
かなり色をつけて貰っている事は明白だった。
「良いんですよ、もうお腹いっぱいになりました?」
「感謝の言葉も無いよ。本当にありがとう。君達は命の恩人だ」
食事を終えた途端床に膝をついて頭を下げ始めた女性と止めようとしたエステルの一悶着を終えて、ユーリは「それで?」と彼女を椅子に座らせた。
「なんでまた、行き倒れなんか」
「昨日で宿代が尽きたんだ。金目のものは売り払った後だし。それに、この街じゃもう買い取る体力のある店なんかなくてね。噂を聞いてか商団も立ち寄らなくなったし」
「そんで最終手段のリブガロ退治か」
黙り込んだ女性に気を遣って、エステルが顔を覗き込む。
「私、エステリーゼって言います。エステルって呼んでください。こっちはユーリ。それから」
「カロルだよ」
「リタよ」
その、と口籠ったエステルに代わって、女性は頷いた。
「ごめん、自己紹介がまだだ……。まだだったわね。私はジーン。旅の軽業師よ。普段は芸で日銭を稼いでいるの」
途中、言い直してからは口調がぐんと柔らかくなった。見た目の雰囲気には沿っているので、先程までは空腹で気を遣える状況ではなかったのだろう。
「ジーン……もしかして、浮雲ジーン?」
ハッと顔を上げたカロルに、女性──ジーンは薄く微笑んだ。
「ええ。そうも呼ばれるわね」
「わあ!本物だ!すごいよユーリ!」
「有名人なのか?」
「ええっ、ユーリ知らないの?」
「すみません、私もよく……」
「あたしも知らないわ。ホントに有名人なの?」
記憶を探ってみても、ジーンという名前に心当たりはない。ありふれた名前だ、何処かで聞いたことくらいはある気がするが、彼女の事ではないだろう。
他二人も首を傾げる中、カロルはひとしきり驚いた仕草をしてから、あ!っと声を上げた。
「ユーリもエステルも帝都にいたんだもんね、そりゃ知らないか。アスピオのリタなんて尚更だよ。浮雲ジーンは帝都にだけは現れないし、アスピオは許可証が無いと入れないもんね。浮雲ジーンといえば神出鬼没、狙って観るのはほぼ不可能なんだけど、興行ギルドがこぞって勧誘する腕前の持ち主なんだよ」
「ふーん」
「ユーリ信じてないでしょ!ホント凄いんだから!……ま、まあボクも見たことない、けど」
「結局、アンタも噂しか知らないじゃない」
リタの鋭い一言に萎れたカロルに代わって、ユーリはジーンに向き直った。
「その大人気旅芸人がなんでまたリブガロ退治に?俺たちが倒して来る、ってんじゃ納得できねぇのか?」
「私が戦えるように見えない?」
「戦えるんなら、とっとと倒しに行ってるだろ。少なくとも文無しになるよりは前に」
「真理ね。でも足は引っ張らないはずよ」
「引く気はないと」
ユーリからしてみれば、ジーンの同行を断る理由はなかった。だが、実力も得体も知れない人間を戦場に連れ歩く趣味はない。
心得たように、ジーンは小さな鞄を開いた。
「
言いながら机の上に細身のダガーを数本並べていく。仕事道具と言った通り、よく手入れされ殺傷力はありそうだ。
「それから、私は治癒術が使えるわ」
これでどうだ、という顔付きのジーンに、四人と一匹は顔を見合わせた。
「治癒術なら、ほら」
「あの、私も使えます」
「エステルの治癒術は凄いんだよ!どんな傷でもあっという間に治しちゃうんだ」
あんぐりと口を開けたジーンは気勢が削がれたようだった。
無理もない。魔術を、ましてや治癒術を扱う人間は希少だ。騎士団なら兎も角、こんな街中で出くわすとは思わないだろう。
「あ、もしかして街の人たちの傷がちゃんと手当してあったのって、ジーン、さんのおかげ?」
「ジーンでいいわ。そうね、私じゃあれが限界だった。でも回復が足りてるなら、攻撃術も使えるわよ」
「それなら、リタが」
「こちらアスピオの誇る天才魔導士、リタ・モルディオ博士だ」
「モルディオ!?」
がしゃんと机上の食器が嫌な音を立てた。当人はリタを凝視して固まっている。
「何よ。私がどうかした?」
「……いや。あなたの論文は読んだわ。本も。あれで私は攻撃術を覚えたの」
「そ。どれの事だか知らないけど」
「擦り切れるまで読んだわよ。こんなに若い子だったなんて……。なるほど、なるほど、私はお呼びじゃないってね」
クゥンと鳴いたラピードは、ジーンを憐れんでいるのだろうか。そういえば彼にしては珍しく、初対面の人間に警戒する素振りがなかった。
歯牙にも掛けない、と思われているのではない事を祈って、ユーリは「他には?」と続きを促した。
「えーっと、補助術は得意よ。仕事でも使うから。たしかに普段は護衛付きの商団に同行してるけど、一人旅だもの、自衛程度には武器も使えるわ」
「なるほどね。ま、いいだろ」
「え!?ジーンも連れてくの?」
皿の上に残ったポテトの素揚げを摘んで、ユーリは肩を回した。カロルの声には適当に頷いておく。
「ここでどれだけ話したって一度の実戦には敵わねぇよ。何より、誰かさんと同じで置いて行ってもこっそり着いて来そうだ」
「実際に戦ってみて試すのね、いいわよ、あたしもその方が分かりやすいわ」
「なるほど、承知したわ」
「ただし。無理だと判断したら帰ってもらうからな」
立ち上がったユーリにリタとカロルが続いた。釘を刺したユーリの言葉に頷いて、ジーンは静かに頭を下げた。
「ジーン、これからよろしくお願いしますね」
「ええ、こちらこそ」
エステルの差し出した手を握り返しながらホッと安堵の吐息を漏らす。その仕草に嘘は無いだろう。言っていない事は、あるだろうが。
「街の近くの魔物で肩慣らしだ。食事代分は働いてくれよな」
「もう、ユーリ!」
「ええ、損はさせないわ」
そう言って微笑む彼女の表情に何か引っかかりを覚えるが、断りきれないのが自分の性分だと一人肩を竦めた。
「ジーン?」
ノール港唯一の宿、『ポルックス・N』を出ればすぐに、重苦しい雨が頭上から降り注いだ。やや乾き始めていた服からすぐに吸いきれなかった水滴が滴り始める。
雨は嫌いじゃないが、こうも続くと嫌な気分だ。
曇天の空を見上げたきり動かなかったからか、疑わしげな視線が突き刺さる。
途方に暮れていたジーンが声をかけた相手は、一風変わった集団だった。黒づくめの青年、所作の美しい治癒術師の少女、大きな鞄を提げた活発そうな少年に、あのモルディオ博士。風格のある犬まで揃っている。
街の外からやってきた一般人ということで声をかけたが、思ったより平均年齢が若い。
「とか、思ってるか?」
ニヒルに笑ってみせた青年は、ユーリと言うらしい。ジーンの頭の中を三割くらい言い当てている。残り七割は、行きずりの相手に明かすものでもない。
「見た目で侮ったように見えた?」
「そこまで穿ってねえよ」
「そう。私、見る目には自信があるのよ。危ういと思ったら声をかけないわ。戦いに年齢は関係ないものね」
首を振って、もう一度雨雲に覆われた空を見上げた。雨は、嫌いじゃないのだ。こうやって
「足を止めてごめんなさい。行きましょ」
街の出口はすぐそこだ。左に向かえば船着場。右奥に進めば外。
雨粒を跳ね返す石畳を踏みしめて、ジーンはすぐにでも引き返したくなる足を叱咤しながら子供たちの後を追った。
子供は、苦手だ。過ぎた歳月に辟易する。かと言って大人が得意かと聞かれると、そうでもない。なんにせよ、選んだのはジーンだ。
"あなたには権利があります"
涼し気な声が、背後に佇んでいた。
こういう時はいつも、耳の奥で昔の残響が木霊する。
"その権利をもって、─────を殺した人間への報酬とします"
言葉の途中は、聞き取れなかった。今日はノイズが多いからだろう。服の下に仕込んだ武器に手を添えて、ジーンはパシャリと水溜まりを踏み越えた。
雨が強い。