バルボスは予想通り、塔の頂上で待ち構えていた。
ㅤダングレストの広場くらいの大きさの円形の床が、それぞれ橋で接続されながら塔の中央を囲むように配置され、そこ以外はほぼ足場がないという、安全性の欠片も無い構造。恐る恐る下を覗いてみたが、下手すると最下層まで一直線だろう。
幸い目的の人物と魔核は目の前だが、バルボスは
「……やっぱダメだ。レイヴン、倒せば良い、で合ってる?」
「出来るんならね!」
限られた足場では逃場がない。その中を後退って、ジーンはレイヴンに小声で問いかけた。喚く様に寄越された言葉に返そうとした口は、不意に姿を見せた、楼閣の頂上の人影に引き結ばれる。
「あれは……」
銀髪の男だ。スラリとした長身に、抜き身の剣を携えている。その視線はジーン達の方──おそらくバルボスへ注がれていた。弾かれた様に身を伏せるユーリ達に従い、ジーンも背を屈める。
男が剣を掲げると、衝撃波の様なものが環状に広がっていった。魔術──ではない。けれど、規則立った力だ。術式、ないし
いや。一旦置いておこう。
三、四度甲高い音が響いたと思うと、閃光を放ったバルボスの大剣は根元からへし折れた。
「自壊した?」
そのように見えた。物理的な攻撃は受けていないはず。手元の
銀髪の男の方は、破壊を確かめてすぐに身を翻して去っていった。残されたのは、鷹揚に剣を抜く傭兵ギルドの長、バルボスだ。
「あーあ、力に酔ってたぶん、今までの方が扱いやすかったのに」
「開き直ったバカほど扱いにくいものはないわね」
首を振ったリタは、斜め後ろにいたジーンを指差した。
「今の見てたわよね?」
「え?」
「さっきの剣よ!アンタに見えたものを後で聞かせなさいね」
コクリと頷いたジーンにガッツポーズをして、リタは魔術の詠唱に入った。
ジーンたちがいる足場の四方から、続々とギルドの構成員であろう者たちが姿を現してくる。酒場にいないと思ったら、こういうことか。
「リタ、ジーン!橋を落としてくれ!ラピード、カロル、雑魚は任せた。いけるな?」
「援護します」
自前の大剣に持ち替えたバルボスに、真っ先にユーリとジュディスが突っ込んでいく。
フレンが詠唱中のリタを庇うように剣を抜いた。
「おっさんは?青年、おっさんはー?」
「おいジーン!そのうるさいの何とかしてくれ!」
「働けレイヴン!」
適当に弓を曲射して構成員を狙っていたレイヴンを蹴飛ばして、ジーンは四方に接続された橋へ駆け出した。
水で編んだ弓矢を左方向に向けて連射して、右手でダガーを引き抜く。
爆裂の魔術は複雑だが、無理に動かす事を想定しなければいい。威力が低いなら、内側に叩き込めばいい。起爆までの時間だって長くてもいい。
「まず一本!」
遅延式で爆発するダガーを橋を降ろしている魔導器に差し込んで、円形に配置された魔導器の向かって左隣の魔導器へ同じ魔術を付与したダガーを飛ばした。
威力や精度は落ちるが、先程水の魔術で攻撃したため、充分だ。
「二本、次!」
「ジーン後ろ!」
「はいよお任せ!」
ナイス、と背後の敵を射かけたレイヴンに手を振って、崩れ落ちた男に治癒術を放った。一見した限り鎧に阻まれて矢は貫通していない。ダメージの大半は衝撃だろう。肋骨にヒビが入っていたとしても、今の治癒術で応急手当は出来た。
大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせて素早く周りを確認する。落としたばかりの橋を渡って来たのがちらほら。小振りのナイフを持った男が二人と大剣の大男が一人。そのうち大剣を構えた方を、警告を飛ばしてくれたカロルのハンマーが迎え撃った。
「おりゃあ!」
「ありがとうカロル!そしてごめんね!」
側頭部に武器を当てて昏倒させたカロルの後ろからジーンが治癒術を放つ、というよく分からない状況に謝罪して、斬りかかって来たギルド員のナイフをダガーで弾く。
半身を寄せて懐に入り込み、手ぶらな左手を握って腹部にねじ込んだ。体を離しながら気絶した男に念のため回復力を高める治癒術をかけ、その場に転がす。
「良いけどジーン、無理してない?此処へ来てから魔術使いっぱなしだし」
「私が無駄に治癒術を使ってるだけだから。自分のことだし、何処まで無理が出来るかは把握してるわ」
「やっぱり無理してるんじゃ……グミいる?」
大丈夫、と見上げてくるカロルの心配そうな顔に首を振り、ジーンはまだ残っている橋に向けて駆け出した。もう残りは一つだ。
「ジーン、ヒマなら合わせなさい!」
「ヒマではないんだけどね」
後方のリタが水の魔術の詠唱を始める。詠唱を聞くによく使っている、範囲攻撃の魔術だろう。なら、と橋を渡って来たギルド員に狙いを定めた。
「そこ!」
がくり、と足が止まる。移動を補助する魔術、その効果が反転した術だ。
ジーンはそのままリタの魔術に巻き込まれた幾人かに駆け寄り、呼気を確かめる。異常はなさそうだ。
序でに装置が完全に停止している事を確認してから、ゆっくりと立ち上がった。
「あんたも難儀ね」
そう声をかけたリタは、孤立無援となったバルボスに向けて魔術の詠唱を始める。
紅の絆傭兵団という強大な傭兵ギルドを築き上げた彼は、ドンと並び称される豪傑だ。ユーリ、ジュディス、カロルの三人がかりに辺りの掃討を終えたラピードが協力しても、実力は拮抗しているように見えた。
「……フレンくん」
「はい、どうされました?」
引き気味で時たまこちらへ飛んでくる攻撃を捌いていたフレンは、ジーンの声に一瞬だけ目線を寄越した。
「バルボスって、捕まったらどうなるの?」
「ジーン、まさかアンタ此の期に及んで馬鹿な事考えてんじゃないでしょうね」
「ごめんなさいね、リタちゃん。でも違うから」
「一介の騎士である僕にはバルボスの処遇を決定する権限はありません。ですが、必ずや帝国法の元、罰を受けてもらいます」
事情を知らぬフレンはジーンの問いの真意も、リタの懸念も理解していないだろうが、声色は力強かった。
どうしようか、と自分に問いかける。
ジーンの基準は単純だ。
『人を殺さない』
判断基準は生きるか死ぬか。生きているか死んでいるか。
幸せかどうかはどうでもいい。自由であるかはどうでもいい。
友人か、知人か、恋人か、他人か。善人か悪人か。
どうでもいい。
ただ少しでも死の可能性の少ない選択をする。
それは、自らが人の死に関わる事を恐れているからだ。
──もっと言うと、怯えているからだ。
ユニオン本部で『死人は出たか』とハリーに聞いた。『出ていない』と彼は答えた。
嘘だ。
街の中まで魔物の侵入を許すという未曾有の事態に、死者が出ていない筈がない。彼は嘘をついた。ジーンの為に──もしくは、廊下で暴れられたらたまったものじゃないと思った自分の為かもしれないが。
そうと知っていて、それでもジーンは指摘しない。聞かなければ、知りさえしなければ、それはジーンの中で真実にはならないからだ。
ジーンは優しくない。ジーンは善人ではない。
治癒術を覚えたのだって自分の為で、エステルが誰に教わらずとも熟す心の治療というやつが、どうしたってジーンには出来なかった。
「死刑?」
「そこまでは……。ただ、戦闘前に自白していた通り罪は認められます。もしかすると二度と青空を拝めないかもしれません」
「そう。でもそっちの方がマシね」
「ジーンさん?」
戦闘前に自白した通り、と言うのはジーンにはよく分からなかったが、フレンの回答で腹は決まった。
いつのまにか背後まで近付いていたレイヴンに右の掌を差し向ける。
「グミない?」
「……あるけど?」
「ちょうだい。オレンジの方」
「やれやれ、一つだけね」
ケチくさい事を言いながら寄越されたグミを口に放り込んで、ジーンは思い切り息を吸い込んだ。
「レイヴン。突っ込むから、フォローして」
「……いーの?」
顎を摩りながらジーンに寄越された翠の瞳には、揶揄いの中にほんの少し、嗜めるような色が滲んでいた。きっとジーンの思考回路は見透かされている。
「いいの」
小声で答えて、ダッと駆け出していくジーンに、焦ったのは残りの二人だ。
「あ、ちょっと!」
「ジーンさん!?え、ちょ僕も行きます!」
「いいのいいの、行かせときなさいな」
「おっさんアンタ何言ってんのよ!というかアンタも追いかけなさいよ!」
噛み付いたリタをまあまあ、と口と手で宥めながらレイヴンは口角を釣り上げた。
「君らが何心配してるかはおっさんも分かってるよ?けどね。そもそも、青年達はジーンちゃんの使い方だいぶ間違えてるよね」
そう言ってジーンの駆けて行った先を指差す。そこには、あんぐりと口を開けるユーリの前でバルボスに膝蹴りを叩き込むジーンの姿があった。
「「ああ、なるほど」」
それを見て、リタとフレンはそれぞれ違う理由から苦笑いで頷いた。
「これは確かに、詠唱してるヒマないわね」
「……生粋の前衛タイプでしたか」
ジーンにとって一つ幸いだったのは、バルボスがドンと並ぶ程の強者だという事だ。ダングレストではジーンの投擲を歯牙にもかけなかったし、今もユーリ達相手に見事に立ち回っている。
お陰で、武器を持つ手に躊躇いが要らなかった。わざわざ威力の低い魔術に頼らなくても、やりやすいように戦える。
重心を下げたまま大剣を掻い潜り、剣戟の隙間に入り込む。
「ジーン!?」
船での一件を思い出したのか、酷く焦ったようなユーリの声が背中を滑り落ちた。一息にバルボスの懐に入ったジーンは、その鳩尾に右拳を叩き込んでから首根をひっ摑む。怯んだ隙に引き寄せて同じ場所に膝を捩じ込んだ。
苦悶の声が溢れる前にバックステップで飛び退けば、突っ込む前にばら撒いていたダガーが爆裂の魔術と共に雨霰と降り注ぐ。
「流石に、しぶといな」
大剣で黒煙が斬り裂かれるや否や、レイヴンの追撃が放たれる。幾らかは傷になったが、膝をつくには及ばなかった。
小さく呟いた声を聞き咎めてか、剣を構えたユーリが眉根を寄せるが、何か言いかけて結局口を挟みはしなかった。代わりに血を流したバルボスに視線と剣先を向ける。
「ほんと、クソ野郎だな」
バルボスの目線は、明らかに乱入してきたジーンへ向いていた。直接の面識はないに等しいが、そのよく動く口元からはジーンへの罵倒か何かが吐き出されているのかもしれない。
ジーンがユニオン本部に出入りすることを好まない連中。彼も、その筆頭だ。ユーリがクソ野郎と顔を顰めるくらい、余程口汚く罵っているのだろう。
けれど、そのどれもがジーンの耳には届いていなかった。
初めからだ。
最初から、ジーンにはバルボスの声が聞こえていない。
或いは、聞こうとしていない。
何が目的か、何をしでかしたのか、どれもジーンは聞いていない。どうでもいい。キインと鳴り響く雑音の如く、声として処理されない。
が、恐らく放置しておけば殺されるので。
せめてダングレストを出るまでは騎士団にでも護送してもらえば良い。死刑は確定していないそうだから、死出に送り出すわけでもない。
その後誰かに始末されるかもしれないが────それは、ジーンには知り得ない事だ。
何も聞こえていないジーンは、どんな暴言にも怯まない。ふらふらと数歩よろめいて、そのまま辺りに散らばっている己の武器に魔術をかけ直した。
これも簡単な追尾の魔術だ。
「ッ!」
斬り込んだユーリと鍔迫り合いをする身体に向けて、無数の刃が突き刺さる。勿論密着しているユーリには掠りさえしてないが、彼はジーンの突然の暴挙に息を飲んだ。
痛みにバルボスの手が緩み、背後からジュディスが叩きつけるように槍をふるった。それで、最後だ。バルボスの意識は刈り取られ、その巨体が地に沈む。
「……ジーン。ま、アンタが良いなら良いけどな。攻めあぐねてたから正直助かったのも事実だ」
くるりと剣を弄び、鞘に仕舞いながらユーリは片目を瞑った。
「
「ん?ああ。そうだな。さっさと下町に届けねぇと」
「この男はどうするのかしら?」
「ジュディも、助かった。バルボスなら心配しなくても」
「僕が責任を持って、帝都まで連行します」
「ってことだな、任せたぜフレン」
駆け寄ったフレンがバルボスの元に跪き、簡単に傷の確認を行っていく。
「あんま気にすんなよ、ジーン。悪党の言葉に耳を貸してもロクなことがねえ」
黙ってその様子を見つめていたのを、バルボスを気にしている、と取ったのかユーリが気遣う言葉をかけてくれた。
少し後方にいたからか、聞こえていなかったらしいエステルが「何かありました?」と首を傾げる。
「いいえ、特に何も。……フレンくん、治療するなら手伝いましょうか?」
「いえ。また暴れられても面倒です。幸い、命にかかわる怪我では無いようですし、部隊に合流するまではこのままで良いでしょう」
「そう。じゃあさっさと塔を降りた方がいいわね」
「確かに、もうここに用はないしな」
「じゃあ、ダングレストに戻るんだね」
疲労に肩を落としたカロルを振り返ってユーリが頷く。
部隊の合流を待つというフレンとは一旦別れる事となり、一行はぞろぞろと来た道を引き返していく。その中で、ジーンはまた最後尾につけて背後を振り返っていた。
数秒間だけ目を瞑り、まるで祈りを捧げるように頭を垂れる。
その胸中は、まるで敬虔さとは真逆であったけれど。
「……ジーンさん」
「なに?」
「僕が言うまでも無い事ですが、ユーリを頼みます」
前方、バルボスの真横に立っていたフレンが振り返らずにそう言った。
ジーンは答えなかった。答えない事を答えとして、その場を離れていく。
「結局はバルボスも誰かの傀儡。だとすると………いえ」
ばちんと電源を落とす様に、ジーンは思考を止めた。その結果どれだけの不都合を被ろうと、構わないと自嘲して。
──口封じに消されるのだろうなあ、と最後に一度だけ倒れ伏す大男を視界に収めて、また目を瞑って見ないふりをした。
さっさとダングレストを出よう。そうすれば、当分は知らないままで居られるだろうから。
木曜辺りから超絶忙しくなることが確定しちゃったので、今のうちにせっせとストックを投稿してます