ダングレストは喧騒の街だ。
帝国に従わずギルドに所属することを選ぶような我の強い荒くれ者が集う、ギルドユニオンの総本山。長くダングレストを見ているが、トラブルのない日など存在しない。
とはいえ、このように立て続けに大騒動が巻き起こるとは、日夜スクープに張り付く報道ギルドだって想像もしていなかっただろう。尤も、黄昏の街ダングレストには夕方と夜しか存在しないわけだが。
「騎士団は?」
「おおよそはもうヘリオードに向かったっぽいよ〜。橋も直ってないのに大変ねえ」
歯車の楼閣、ガスファロストからダングレストに戻った後、ジーンはユーリたちには家で休むと伝えて即座に街を出ていた。と言っても、旅に出たのではない。
ダングレストから少し東に行った、ダングレストと砂嵐の止んだガスファロストが見えなくもない位置にキャンプを張って一夜を明かしていたのだ。そのまま数日同じように過ごそうと思っていたところ、翌日の早朝になって突然頭上を巨大な魔物が通過した。
すわ襲撃か、と
そこにあったのは、崩落した街へと続く大橋と、魔物の襲撃に慌てふためくギルド員、怪我を負った騎士たち。それから、空っぽの豪奢な馬車だ。
これはエステルが乗るはずだったものだろう。エステルもユーリも、目的を果たして帝都に帰る予定だったと聞くが、襲撃のゴタゴタに紛れ、二人共逃げるように街を後にしたという。
出発前に挨拶しよう、と言い合ってはいたが、ドタバタしていたからかジーンの元に知らせは入っていなかった。ジーンが慌ててダングレストに来てしまったから、入れ違いになったかもしれない。
今更気にしても仕方ないので、一先ずはフレンとの早い再会にお互い驚きながら治療に協力し、落ち着いたところでユニオン本部に顔を出したという流れだ。
「ジーンお前、暇なら使いに行ってこい」
「私が?どこまで行くの?」
「ノードポリカだ。ベリウスの奴にこの書状を渡してくれ。急ぎじゃねえし、そこのレイヴンも連れてって構わねえよ」
「ええ!?ガスファロストから帰ってきたばかりよ?じいさん人使い荒いのなんのって」
「それ私の方がおまけでしょ。
「街にいたってやることねえんだ、少しは働け」
それに、とドンが続ける。
「どうせとっととこの街トンズラするつもりだろ。旅のついでだ。行き先はレイヴンに従え」
「……はーい。いくよ、レイヴン」
「ちょっとは休ませてくれないとおっさんもうヘトヘトよ」
「はいはい」
不満そうなレイヴンを引き摺りながらユニオン本部を後にする。立て続く魔物の襲撃に、帝国が持ち出したという巨大な移動要塞。ダングレストの街はいつになく騒がしかった。
とはいえ。
実の所、ジーンはそのダングレストの喧騒というのを実感したことがない。流れる雑音は、意識しなければないと同じ。
靴音を立てずに歩くことが染み付いているジーンと、同じく気配の薄いレイヴンが二人並んで歩く時、そこにあるのは静寂だ。
ジーンが口を開くまでは続くその静寂が、嫌いではなかった。
「ノードポリカに行くなら船を見つけないと。この時期トリム港で商船見つかるかな」
「ジーンちゃん、おっさん他の仕事もあってさ」
「どっちが優先なの?」
「手分けしてくれんの?」
「どっちもあなたの仕事でしょ。だいたいあなた、私の護衛の自覚あるの?」
「護衛〜?ジーンちゃん相手に護衛ねえ」
胡乱気な視線に、「いつものことじゃない」と同じ目線を返した。ジーンがレイヴンを足に使うのは非常によくあることだ。旅の途中だというのにこの男とは頻繁に出くわすし、そうでなくともジーンが呼びつけることもある。
「もう盗賊やらに襲われちゃっても平気なんでしょ?」
「たしかに、殺さずに済ませる覚悟はした。けど、そういう問題じゃないってあなたも分かるでしょ?いいから準備して。グミやボトルの補充は必要?」
「へいへい、おっさんは別にいいかなあ」
「ならもう出ましょう。余計な話は聞きたくないし」
「聞こえないくせに〜」
「うるさい」
崩れた東側の橋の袂に降りて、緊急用の渡し舟に乗り込む。レンガ造りの頑丈な橋は、見事に中程から崩れていた。これは帝国の兵器と謎の魔物が争った余波だという。
「レイヴン」
「ん?」
「襲ってきたっていう魔物は見た?」
「遠目からなら見たよん」
「ならさ、あれって……」
言い淀んだジーンに対し、レイヴンは普段通りののんびりとした表情のまま口を開いた。
「びっくりしたねえ。あんなでっかい魔物なんか初めて見たわ」
「……そう、だよね」
「ジーンちゃんは見たことあんの?」
聞き返されて、ジーンは即座に首を横に振る。
「いいえ。襲われたらひとたまりもなさそうだなって思っただけ」
レイヴンのもう一つの仕事とは、帝国の姫君であるエステルの監視らしい。ユニオンと帝国とが同盟を結ぼうとしている最中にもしものことがあれば面子が立たないと、そういう話だ。
ということは、またユーリたちと同行するということ。ジーンだって旅が続くなら着いていこうと思っていたが、レイヴンに誘導されるとは思っていなかった。
いや、よく考えたら当然なのか。ドンも、こうなると思ってレイヴンに従えと言ったのだろう。
トリム港の手前で追いついた彼らと共に宿へ入り、ユーリ、カロルの二人でギルドを結成した話を聞く。名前は
「今はエステルからの依頼で、コゴール砂漠にダングレストを襲ったフェローって魔物を探しに行こうとしてる。んで、そっちは?」
「コゴール砂漠なら丁度いいわね。仕事は二つともこなせそう」
「ジーンとレイヴンも砂漠に用があるんです?」
「ジーンちゃんはドンのおつかいでノードポリカよん」
「レイヴンはエステルちゃん、あなたの監視というか、護衛というか、そんな感じね」
ギルドと帝国は対等な友好条約を結ぼうとしているらしい。皇帝不在の帝国との条約にどこまで効力があるのかは微妙なところだが、当分の平和には寄与するだろう。
「そうだジーン、ジーンってギルドには入ってなかったよね?レイヴンは一応
「一応ってなによ一応って」
「お、早速勧誘か?」
「ギルドねえ」
考えるフリをしながらも、ジーンの腹の底は決まっている。
「掟はどんな感じなの?」
「掟はね、義をもってことを成せ、不義には罰をっていうのに決めたんだ。一人はギルドのために、ギルドは一人のために。これを破ったらお仕置きだよ」
「掟に反しない限りは個々人の自由は尊重しましょうや、って感じだな」
ギルドというのは、鉄の掟に縛られた共同体だ。帝国法の支配下から抜け出し、己で打ち立てたルールで己を縛る。この強固な縛りにより、同じ掟に従う仲間たちは家族よりも強い絆で団結するのだ。
掟に反した者はどんな事情や立場であろうと例外なく処罰し、時に追放することで秩序を保つ。ギルドの加入とは、そのギルドの掟を己に誓うこと。
「素敵な掟ね。けど、私は誓えないかな」
「そっか、ジーンが入ってくれたら心強かったんだけど、無理なら仕方ないね」
「だな、強制させるもんでもねえし」
あっさりと引き下がった二人はすぐに切り替えて、明日の出発に備えて解散を告げた。
男女で二部屋に分かれているから、ジーンは隣の部屋だ。まだ寝るには早い時間だからと、男部屋を後にしたジーンは街に繰り出した。
トリム港はここトルビキア大陸の南東に位置する有数の貿易港だ。白い塗り壁に赤煉瓦の屋根がよく映える、活気ある街。
港町らしく高台からは一面の海が見渡せて、潮風が心地良かった。移動の拠点となる街のため見慣れた景色ではあるが、寄せ返す波はいつまでも眺めていられる。
日が沈みあたりが暗闇に包まれるまで、ジーンはベンチで海を眺めていた。
「ここにいたのか、ジーン」
「ユーリくん?どうかしたの?」
「散歩だよ、散歩。そういうそっちは?」
「海を見ていただけ。宿にはそのうち戻るわ」
「そうか」
探していたような口振りをしつつも、ユーリは軽く頷いただけで、ジーンが腰掛けているベンチの横で同じように海を向いた。
「ノードポリカまでか」
「え?」
「ドンのお使い、終わったらダングレストに戻るんだろ?俺たちはそっからコゴール砂漠だ」
「ああ、そのこと」
海から視線を逸らさないユーリとは違って、ジーンはその端正な横顔を盗み見る。
「当分ダングレストに戻るつもりないのよね。どうせ放浪の旅だし、迷惑じゃなければその先も暫く同行してもいいかな?」
「戻らない?そういや滅多に帰らないって言ってたっけか。ダングレスト、あんまり好きじゃないとか?」
ユーリがこちらを向く前に、ジーンは視線を前に戻した。
ジーンがダングレストを離れるのは、いつか流れるだろうバルボス死亡の報を聞きたくないからだ。人々の噂にも上がらないくらい時が過ぎるまで、ジーンはダングレストに戻らない。
だが、例え人々が真隣でバルボス死亡の噂話をしていたところで、ジーンがそれを聞くことはない。水の中から地上の音を聞くようにどこか遠い世界のものとして、ダングレストの喧騒はジーンから遠いところにあった。ジーンの耳は人の声を殆ど拾わない。
そうだとしても、ジーンは万が一に備えて街を出る。そこには恐れがあったし、嫌悪すらあった。
それが街に対してのものなのか、そうでないのか、ジーンが意識することはない。
「好きとか嫌いとか、あんまり考えたことなかったわ。知人が多いのは確かだけど、愛着があるかと言われると……どうかしらね」
「そういうもんか。旅してる方が性に合ってるとか?」
「そう言われると違うわね」
「だよな、結界の外が怖い旅好きってのも面白そうだが」
「あはは、その節はどうも……」
カプワ・ノールで路銀が尽き果て、かといって一人では結界の外に出られずに助けを求めたことを思い出す。あれはジーンにしては相当に例外的な行動で、それだけ切羽詰まっていた証左でもある。
普段のジーンなら、子供の混じった集団に声はかけなかっただろう。ジーンは、子供が嫌いだから。
ジーン個人の戦闘の腕としては、魔物が蔓延る結界の外の一人旅だってなんの問題もないほど確かなものだと自負している。けれど、ジーンの心の方はそうじゃない。
盗賊や傭兵崩れなど、敵意を持った人間の集団に囲まれた時、ジーンの両手は震えて使い物にならなくなるのだ。ハリーの協力を得て、峰打ち程度に済ませながら逃走くらいは出来るようになったが、単なる荒療治。依然として対人戦闘への恐怖心は拭えない。
その根幹の原因には充分に自覚があって、けれどジーンは解消するつもりが一切ない。誰かに打ち明けるつもりも、ましてや克服の為に助けを求めるつもりも、ない。
「前にギルドに所属しない理由は大した理由じゃない、って言ってたよな」
「言ったわね」
「旅に出る理由も大した理由じゃないのか?」
「そうねえ……」
それとなくギルドに加わらなかった理由を求められているのだと感じた。ここで答えなければ、きっと二度と聞こうとはしないだろうという信頼感があった。誠実な子だ。ジーンとは大違い。
「私は私で、自分に誓いを立ててるの。だからギルドの掟に従うことは出来ない」
「不殺の誓い、か」
ユーリは、その馬鹿馬鹿しい誓いの名前をポツリと呟いた。
「別に、君たちが人を殺すことになるって疑っているわけじゃない。これは私が私に課した生き方の問題で、何を大事にするのかって話なの」
ジーンは決して善人ではない。
義をもってことを為せ、ひとりはギルドのために。ユーリたちのギルドの掟は、善であろうとする純粋な願いからできている。
ならばジーンは、その対局にいるのだろう。
「殺さずの誓いは、誰かを助けるって意味じゃない。だから、そこに義はない。むしろ不義、かな」
「人を殺さないことが不義だって?」
「ええ」
克服したといっても人に刃を向けるだけで未だに手が震えるような、どう見ても無理をしているとしか思えない女の戯言だ。ユーリがジーンをどう受け止めるか、少し怖くもある。
ジーンはずっと、こういう自分を弟に知られたくなかった。
「私は、誰かを殺さないことによって将来多くの人が苦しむことになったとしても、絶対に人を殺さない。そのせいでより多くの死人が発生することになっても。そういう場面ってよくあるでしょう?」
「ジーンはそういうの、よく見てきたのか?」
「そうね」
短く肯定して、ジーンは空に向けて手を伸ばした。そこに星空が広がっていることを知りながら、ジーンはそれを見上げることはない。
それでも、全てを投げ出して光る星の一部になりたいと思う瞬間が、ジーンにはあった。
「だから、逃げているの。私は、いつでもどこでも人は死ぬっていう事実から目を背けて、逃げるように旅を続けてる」