闘技場が騒がしい。
街の外からでも感じる微かな振動に、ジーンは素早くテントを片付けた。焚き火の跡を踏み消し、万が一に備えてダガーを取り出し握っておく。
こういう騒動の時、どさくさに紛れて逃げ出そうとする人間には大抵の場合やましい事があるものだ。
「変わった変装だな」
「な、な、なにをするんですか……!」
飛び出してきた男の首元にダガーを突きつけて、両腕を背中側で拘束しながら背後を取った。反射的に動こうとする相手も、冷たい刃先を添わせてやればピタリと動かなくなる。
分厚い眼鏡、薄い身体、体に染み付いた土埃の匂い。それから、拭いきれない違和感。
昨日すれ違った時身形を大胆に偽っているだろうことに疑問を覚えたが、その時は放っておいた。レイヴンに告げた通り、ジーンにとってはどうでもいいことだったからだ。
「仔細は知らないが、私の連れの荷物を隠し持っているな。どうせ盗品だろう、彼女らの性格上、誰かに渡すとは思えない」
言いながらダガーを外し、その背中を蹴っ飛ばす。たたらを踏んだ男を横目に、取り返した赤い小箱を小脇に抱えた。
エステルから盗んだもののようだし、流石に見逃すわけにもいかない。
「か、返してください」
「返してもらったのこっちだけど?」
「かくなるう、うえは……!」
随分とスムーズに会話が出来るな、と引っ掛かりを覚えていれば、おどおどとした態度を崩さない男が刹那殺気を覗かせた。
途端、前方に赤眼の暗殺者の姿が現れる。背後から飛びかかってくる凶爪をひらりと躱し、ジーンは「やり合いたいなら止めはしないけど」と言い放つ。
飛び退きざまに放った爆裂の魔術を付与されたダガーが、ラーギィと暗殺者共全員の足元に突き刺さった。小規模な爆発は脅しに過ぎないが、威力を上げればそうも言っていられないだろう。
「そこの下っ端程度、何人揃えても私からこの箱は奪えないよ。君が正体を晒して本気で殺しにかかるんじゃなければ、ね」
「……ミーのリアルなパワーに気付いていましたか。やはり侮れない」
片手を上げたラーギィに従って、暗殺者の一人が煙玉を地面に投げつけた。引いて行く分には追う必要もあるまい。見送って、気配が完全に切れてからダガーを握っていた右手を見下ろす。
「ふーん?」
特段、何の異常もない。ジーンに限っては、異常がないのが異常なのだが。
「やっぱ声、割と聞こえたな。暗殺者か……」
ダガーをケースに仕舞って、浅く息を吐く。
別に、驚くべき話じゃない。ややこしい事になったな、とは思うが、それだけ。過去が過去である以上、どうでもいい話だった。
思考をそこで打ち切って、街に入る道に足を向ける。丁度、ユーリたちが揃ってこちらに向かってきていた。
「ジーン!?良かった、今誰か逃げていかなかった?」
「ラーギィが来たわよ。はい、これ」
赤い小箱をリタに手渡せば、皆揃って大袈裟に驚いてみせる。
「これ!アンタが奪い返したの?」
「地面が荒れているようだけど、もしかして戦闘になったのかしら?」
「まさか。見覚えのある箱を持って後ろめたそうに走ってたから、隙を突いて取り戻したの。暗殺者っぽい手下も出てきて驚いたけれど、ことを構える前に引いていったわ」
あのまま戦闘になっていたらどうしようかと、と溜息を吐きながらジーンを一人にしたレイヴンを取り敢えずポカポカ殴っておく。実際問題はなかったのだけど、それは結果論だ。
「イタタタ、ジーンちゃんが青年たちの様子を見てこいって言ったのよ!?」
「無事で何よりだが、暗殺者っぽい手下ってのが気になるな。どうやら見た目通りの生真面目なギルドじゃないみたいだぜ」
「そうね。あの赤眼、見たことある気はするけど、どこの暗殺ギルドだったか……」
「赤眼!?」
身を乗り出したカロルが、「
「やっぱそこが繋がってたか」
「じゃあ、あいつらが発掘した
話を追い損ねたジーンはレイヴンに助けを求める視線を向け、彼は肩を竦めた後に「
なるほど、思ったより厄介な話になっているらしい。
「そういうことなら、共謀と言うのは正確じゃないかもね」
「どういうことです?」
「ラーギィは変装した姿よ。歩き方が背中の曲がった老人のそれじゃないし、筋肉のつき方もおかしい」
「そうかアンタ、目が良いってのはそういうのにも役立つのね」
「実際はその暗殺ギルドの首領なんだと思うわ。じゃないとわざわざあんな大物に変装する理由もないだろうし……。最後、なーんか変な口調だったのよねえ。ミーのリアルななんとか、とか」
「イエガー!!」
「わっ」
カロルが大きな声で人名を叫んだ。にしても、イエガーとな。スペルは多分yeager、逆から読めばregaey、ラーギィだ。
「
「でも、だとしたら謎が解けたんじゃない?ラーギィが
「行き先までは……」
リタの言葉にジーンは首を振る。すぐにジュディが「ノードポリカを出たなら砂漠地帯との間の山岳地帯に向かうしかないわ」と遠くに見えている山脈を指差した。他の大陸には見られない、切り立った岩山のような独特な形状をしている。
「あそこを超えたら、目的のコゴール砂漠よ」
「どっちにしろ向かう方向は同じ、か」
どうする、とユーリが全員を見渡した。
全員、と言ってもここで真っ先に発言すべきなのはエステルだ。
ジーンとレイヴンだって、順序は違えど似たようなもの。個人的な話をするなら、ジーンはノードポリカから離れられるなら諸手を挙げて賛成だ。昨晩ユーリに話した通り、闘技場やそれに類する施設は視界にも入れたくないので。
「今ベリウスに会えないのなら私は、砂漠を目指したいです」
「他もそれで良いか?」
「ギルドの仕事は元からそうだものね」
「俺様ベリウスに書状届けなきゃならんのだけど」
「次の新月まで時間があるんでしょ。私はコゴール砂漠まで同行するって約束だものね。おまけでレイヴンも付いてくるわ」
「そのおまけ、別にいらないんだけど。ねえエステル、本気で砂漠に行くつもりなの?死ぬかもしれないって分かってる?砂漠を舐めてない?」
リタは終始エステルを心配している。彼女の気遣いは受け止めているだろうが、エステルは頑なだった。お姫様がこんな所まで旅している時点で、当然と言えばそれまでだけど。
「リタの心配は分かってます。けれど、私は知りたいんです。フェローの言った『世界の毒』とはなんなのか、なぜ私が狙われたのか。知ることで、前に進めると思うから」
ジーンが選んだ道がそれで、自分で納得してるなら良い、と言ったユーリの言葉を思い返した。エステルが決めたことなら良い、と同じように肯定するのだろうか。
何か言いたげな表情のまま、ユーリはエステルを見つめていた。
カドスの喉笛という物々しい名前が付けられた入り組んだ洞窟は、コゴール砂漠の山岳部と中央部の間にある街まで続いている、とはジュディの説明だ。まずはその街を目指し、一行は湿った洞窟を足早に進んでいた。
「ジュディちゃんは砂漠に詳しいのね」
「私はコゴール砂漠の北にある街の出身なの。だからコゴール砂漠にも入ってみたことがあるのよ」
「砂漠の北?……そう」
「ジーンはずっと旅をしているのでしょう?デズエール大陸は初めて?」
「いえ……初めてではないわ。あまり、長居した記憶はないけれど」
「そう。たしかに、旅芸人がわざわざ無人の砂漠を行かないわよね」
ついさっき、この先に街があるという話をしたばかりなのだが、ジュディはそれ以上追及しなかった。他のことに気を取られているように見えるが、ジーンにも藪をつつく気はない。
薄暗い洞窟を、ジュディは迷いもなく進んでいく。慣れた道ではないようなので、彼女の性質だろう。反対に、カロルの方はこの洞窟に巣食うという魔物に怯えていた。
リタは何やら考え込んでいるし、エステルは思いつめたような表情のまま。
ジーンは、どのように見えているのだろう。
「ジーン、ちょっと先頭変わってくれっか?」
「構わないけど、どうかした?」
先頭を歩いていたユーリが急に立ち止まり、ジーンを振り向いた。駆け寄れば、隣に控えていたラピードがジーンの足元にやってくる。
「いや何、暴れ足りないだろうと思ってな。魔物討伐記録のホルダーなんだっけか?」
「ちょっと、揶揄ってる?」
「いや?俺はただ、暇そうにしているやつに仕事を振っただけだ」
「もっと暇そうなのが後ろで隠れたけれど」
「おっさんが先頭?冗談はよしてくれ」
「流れるように罵倒しないでくれる!?おっさんだって先頭歩くくらい出来ますけど!?」
「ストレートに信用ないって言われてんのよ」
「酷い!?」
泣き真似をしているレイヴンのことは、皆慣れたもので無視をした。先頭を任されたジーンには好きにやって良いのお墨付きがユーリから下される。
「魔物倒すのは嫌いじゃないんだろ?こんな所、盗賊なんか絶対出ないぜ。戦闘を仕掛けてもいいし、避けてもいい。索敵はラピードがやってくれるからな。もし仮にイエガーが息を潜めてても、ラピードなら絶対気付いてくれる。だろ?」
「ワン!」
「ほらな。さーて、俺は後ろで休憩すっかな」
「ならラピード、一緒に歩きましょうか」
ラピードはこちらに返事をするように短く一声吠えると、ジーンの歩みを待つように腰を落とした。
魔物討伐が好き、と思ったことはないが、得意だとは思う。ジーンは正解のルートに向かって歩き出しながら、殺傷力の低い手加減用のダガーを仕舞い、鋭く研がれたものに持ち替えた。