ダングレスト南の砂浜に船を泊めて、口数少ないまま街を目指す。何が待っているのか理解しているのは、ジーンとレイヴンくらいか。
それでも奇妙な緊張感を感じ取ってか、誰も不用意に口を開かなかった。
街に着いてすぐ、レイヴンはハリーを連れて先にユニオン本部へと向かった。ジーンはユニオンと無関係だから、会議の場には入れない。同じ立場だけれど、カロルはドンに聞きたいことがあると言って着いていった。
パティも、調べたいことがあると言って離脱する。彼女の祖父はあの悪名高い海賊、アイフリードだそうだ。過去の記憶を失った彼女は、祖父の記憶の手がかりを求めて
「ジーンは、どうするんです?」
「そういやアンタ、暫くダングレストには戻らないって言ってなかったか。良いのか?」
「ええ。こうなっちゃったからにはね。少し街を歩いて来るわ。宿に向かうのなら一旦お別れね」
「分かった。なんにせよ、カロルが戻るまで俺らも待機だな」
頷いて、ジーンは街の西に向かって歩き出した。
黄昏の街ダングレストには、その名の通り、夕方と夜しか存在しない。常に西日が射し込んでいるのだ。
住民たちはこの街の中で時刻を判別する能力を、自然と身に付けるという。ジーンにも、似たようなことが出来る。けれどそれは、ただ自分で時間を数えているだけの話で、この街に慣れたとは言えなかった。
静かな街をひたすらに歩いて、誰の視線も浴びずに外へ出た。そこからも西へ。ひたすらに西へ。
黄昏が終わりを告げて夜になるまで、ジーンの足は止まらなかった。
「ジーン!?アンタ、どこ行ってたんだ」
翌朝。街を出たユーリたちは、トルビキア大陸の西側をウロウロと彷徨っていたジーンを発見した。
昨夜別れた時と変わらず、思い詰めたような表情をしている。
「ユーリくん。偶然ね、どうしたの?」
「そりゃこっちの台詞だっつの。昨晩から一人で街の外出てたのか?危ねえだろ」
「こんなところうろつく人間なんて私くらいよ」
「そういう問題じゃねえ」
「なら、どういう問題?」
本気で意味がわからない、と言いたげにジーンは小首を傾げた。
一つにまとめた長い白髪がその動作に従って揺れる。顔や服装と全体的に色素が薄いからか、どこか浮世離れしたような印象を受けるのは相変わらずで、その癖いつも泣き出しそうな憂いを湛えた顔をしている女。
ユーリにとってジーンは、掴み所のない人間だった。こちらに手を伸ばすつもりがまるでないのだ。断片的に自分を語ってみせる癖に、核たるものを明かすつもりがない。
それでもユーリの旅に着いてこようとして、勝手に傷ついている。傷ついた癖に、それをユーリには決して見せようとしない女性だった。
「俺らは
「カロルは衝突を止めるために残ってくれてるんです」
「ジーン、アンタ昨日からこの辺にいたんならドン見かけてないの?」
「いえ……。ドンは本当にそこにいるの?」
「さあな。おっさんが言うにはその可能性が高いらしいぜ」
「レイ、ヴン……」
そこで初めてジーンはレイヴンを見た。レイヴンも初めて隊列の後方から姿を見せた。
ジーンの顔がくしゃりと歪む。なんとなく、見てはならないものの気がした。
ジーンはそれ以上何も続けなかったし、レイヴンもそうだった。この場にユーリたちがいなければ、それは言葉になっただろうか。それもどこか違う気がした。
二人の間に長い付き合いがあることは確かだ。それでも、何か決定的なことをお互い避けているような、奇妙な静寂が二人の間にはあった。
ジーンとレイヴンが言葉を交わしながらも視線を合わせたことは殆どないことを、この短い旅の間彼らを見てきたユーリは知っている。
「背徳の館、ね。行きましょうか」
「良いのか?」
「ええ」
言葉少なに同行を告げて、ジーンは西の丘を振り返った。
彼女について、ユーリは一度レイヴンと話をしたことがある。
「副作用、か」
小さく呟いたユーリは、かつてレイヴンと交わした会話を思い返していた。
あれは確か、幽霊船アーセルム号の中を探索していた時だった。ラピード、レイヴン、ジュディと心臓が強めな面々を連れて乗り込んだ先で、船内をくまなく調査している時にふと手が止まる。
「青年、黙り込んでどうかした?」
レイヴンが声をかけた。
案外周りを見ているもんだと感心して、ユーリは崩れた木箱の蓋を投げ捨てる。
「おっさんか。いや、大した事じゃねぇよ。ただなんか、妙に引っかかることがある気がするんだよな」
「ほほーう?まあ青年の年頃じゃ恋の悩みの一つや二つ、あいやそれ以上!抱えてもおかしくはないけどね?なに、またなんか気になる美女でも見つけた?」
「またって何だ、またって。いや、そーいうんじゃなくてな。こう、喉元まで出かかってはいるんだが、その違和感を何に感じてんのかすらハッキリしねえ」
「そーいうのを恋のお悩みって言うんじゃないの?」
「それしかないのかよ、おっさんには」
わふ、とラピードが同意するように吠えた。ジュディは聞こえている癖に知らんぷりを決め込んでいる。
「まー、お姫様にジュディスちゃん、パティちゃんと魔導士の嬢ちゃんはちょい幼過ぎる気もするけど、美人さんだものね。おっさん、気持ちは分かるよ」
頑なにその話を続けるつもりらしいレイヴンに、ジュディがとうとう「私は席を外した方が良いかしら?」と口を挟んだ。彼女の場合、気まずいからではなく揶揄っているだけだ。
「ならおっさんに席外してもらうか」
「ええ!?おっさんが!?酷い!こんなボロ船で一人にされてたら寂しくておっさん死んじゃうわよ!?」
「はいはい、なら大人しく手動かしてくれよな」
航海日誌か、船の構造が分かるようなものが出てくれば良いのだが、そう上手くは運ばないらしい。倉庫の一つであろう船室の調査に見切りをつけたところで、ユーリは「そういや」とサボって壁際でしゃがみ込んでいたレイヴンを覗き込んだ。
「ジーンは?」
「ジーンちゃんがどうかした?」
「いや、抜いただろさっき。エステル、ジュディ、パティ、リタ。うちの女性陣ならジーンもいるだろ」
珍しく、レイヴンがポカンと口を開けていたのをよく覚えている。
何を言われたのか、理解するのに時間がかかるという顔だ。そうしていると普段の軽薄さが鳴りを潜め、幾分か若返ったようにすら見える。
レイヴンにとっては長い時間。実際は数秒程度の間を置いて、彼はすぐにおちゃらけた表情を顔に貼り付けた。
「え。青年、ジーンちゃんみたいなのがタイプなの?」
「そうは言ってねえけど、ジーンだっておっさんが言うところの『綺麗なねーちゃん』だろ?」
「い、いやあジーンちゃんってそういうカッコしてるだけで素は結構暴力的っていうか横暴っていうか……」
「何言ってんだ?別に性格の話してねーだろ」
ぐ、と言葉に詰まったレイヴンは「ジーンちゃんのこと気になんの?」と小さな声で絞り出した。
どうも忘れていたことに対する反応じゃないな、と思いながらジュディの方に視線を向ければ、彼女もそう思ったのか「ユーリとジーンより、どちらかというとあなたとジーンの方が気になるけど」とド直球に切り込んだ。
「あなたたち、恋人よね?」
どうなんだ、とレイヴンの方を見れば、その顔が面白いように青ざめていく。
「ナイナイナイナイ!なんてこと言うのさジュディスちゃん!」
「あら、そんなに力強く否定されるとは思わなかったわ」
「ジーンちゃんに聞かれたらおっさん細切れにされて海の藻屑になっちゃうでしょ!」
「ジーンはそんなことしないだろ。……いや、するか……?」
レイヴン相手だと途端に思い切りが良くなるのは見てきた通りだ。それは気心知れた相手への甘えだと、第三者から見ればよく分かる。
レイヴンからジーンへはどうだろうか。尻に敷かれているようにも見えるが、それは彼の許容なのか、流されているだけなのか。
他人同士の話なのに、なぜ気になるのだろうと己の野次馬根性に語りかける。ユーリもエステルのように、放っとけない病に蝕まれているのだろうか。そう考えて、この話の発端に思い至った。
「そういや、ジーンのことで何か引っかかってたんだった。さて、なんだったか……」
「丁度いい機会だから聞いておくけれど、彼女一体どういう子なの?戦いながら敵を治療していたところを見たのだけど」
「あーそれもだ。いまいちジーンの地雷が掴みきれてないからな。着いてくんなら何が駄目とか把握しといた方が良いだろ。おっさん、言える範囲でいいから共有してくれねえか」
バルボスの時は前線に突っ込んで来るし、名指しでかなり口汚く罵られても全く堪えていないらしい。これについては罵倒が全く聞こえていなかった可能性が高いが。
反面、そこまでの道中で構成員と戦闘になった時はずっと表情が硬く、攻撃術と治癒術の使用頻度が半々ではないかと思うくらいしつこく傷の治療をしていた。もちろん、敵のだ。
変人奇人の言葉で片付けるには切実で、底抜けの善人という評価は本人が否定する。
「本人が言った通りよ。ジーンちゃんは不殺を誓ってる。人を殺さないこと、目の前で人が死なないよう全力を尽くすこと。それだけ守れてりゃジーンちゃんは満足よ。どっちも、普通のことっしょ?」
「本人はそう思ってないみたいだがな」
「ま、人間生きてると色々あんのよ。青年だってジュディスちゃんだってそうでしょ?」
「隠してることがあんのは構わねえよ。人を殺さないってのも人として……当然の理屈だ。ただ、あれはちょっと異常だろ」
「そうね。生き方として破綻しているように見えるわ。一人旅をしていたんでしょう?よくこれまで生きてこれたわね」
ジュディは相変わらずストレートにモノを言う。
けれど、実際そうだ。
自罰的。もしくは、強迫観念に支配されていると言っていいのかもしれない。
ジーンは人の死を過度に恐れている。誰かに剣を振り上げられるだけで、震えて動けないジーンはそこで死ぬだろう。とても結界の外で生きていける性質じゃない。
いくら護衛つきで移動していたと言っても、これまで危険な目に一切遭わなかったなんて豪運、結界の外を知ったユーリにはあり得ないと断言できる。
それでも尚、逃げるように旅を続けているのがジーンだ。
「そこんとこは本人も充分自覚してるだろうし、青年たちが気にすることじゃないでしょ。危なっかしく見えるけど、ジーンちゃんは見た目よりずっと強い子だ。落ち込む時はそりゃあもう勢いよく落ちてくけど、ちゃんと立ち直り方も知ってるし、いざって時はしっかり動けるからこれまで大丈夫だったのよ」
現に今生きてるしね、と軽い調子で付け足される。なにか煙に巻かれているような感覚があるが、間違ったことを言われている気もしない。この男の話し方が悪いのだろう。
「納得してない、って顔ねえ。ね、青年は病気ってしたことある?」
「いきなりなんだよ。病気って、風邪、とかか?あんまひかねえけど、想像なら出来るぜ」
「あー、まあそういうのとは無縁そうね。おっさんなんか歳とってあちこちガタがきてるけど。病気がないってんなら怪我の痛みとか、そっから来る高熱とか、そういうんでもいいのよ」
耐えられなくなった時、一般人はまず薬に頼る。治癒術師に頼むには金がかかり過ぎるからだ。
「良薬は口に苦し、って言うでしょ?よく効く薬や治療法は、時にデメリットを抱えるものなのよ」
「確かに、聞いたことはあるな」
「それが時に苦〜い!だけじゃ済まなくなる。治すために薬を飲んで、更に悪化した。この場合、どうするのが正解だと思う?」
「薬の副作用って奴か?……それなら、別の薬を試すとか、それでもダメなら金はかかるが治癒術師を雇うしかないだろうな」
「それもダメなら?」
「治癒術が効かない怪我?その辺俺は専門外だぞ」
「まあまあ、例えばの話さ」
「そもそもその話が何に繋がって……あ。そうか」
何か一つを治そうとして、また次の腫瘍が顔を出す。そちらを治そうとすれば次の、それを治そうとすれば元の。
どうにもならないことがこの世にはあることを、ユーリは知っていた。
「結局、何処かが崩れちまったら、そいつはもうずっとどっか崩れたまんまなのよ」
やけに実感のこもった言い方だった。
「けど、ジーンちゃんだって自分の中でちゃんと折り合いつけて生きてんのさ。見てりゃそのうち分かる」
あれは曲者よ、と暗い幽霊船の中だというのに眩しそうに顔を顰めたレイヴンは、それで話を打ち切った。
それ以上何かを聞いて答えが返ってくる気もせず、ユーリも船の探索に戻ったのだ。