明星に誓って   作:テロン

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この世界で最も静かな街

 

 

 

 

 果たして、あの時の会話の答えがこれなのだろうか。

 

 辿り着いた背徳の館は、ギルドのアジトだと言う割に静寂に包まれていた。見張りもおらず、困惑のまま敷地内に足を踏み入れたユーリは、即座に息を飲む羽目になる。

 驚いた為に、後続を制止するのが一歩遅れるほどに。

 

「なにこれ……!どういうことなの?」

「そんな……」

「おっさん!ジーンを……」

 

 止めなければ、と呼びかけた瞬間、最後尾にいたはずの本人が何故かユーリの隣をすり抜けた。使い古したブーツが水溜りをピチャリと踏んで、服の汚れを厭わず膝を着く。

 

 真っ白なスカートの裾に、べっとりと赤色が染み込んでいく様子が、スローモーションのように見えた。

 

「っ、おい!」

 

 そこは水溜りではなく、血溜まりだった。赤眼の暗殺者の体が、うつ伏せに倒れ込んでいる。死んでいるのは、どう見ても明らかだった。

 淡い水色の術式が、何度かその身体で光る。ジーンの治癒術だ。

 

「無駄だ、ジーン。もう死んでる」

「そうね。見ればわかるわ」

 

 淡々とした口調だった。焦りも嘆きも、何の感情も読み取れない。ノードポリカで吐き気を堪えながら崩れ落ちた時と同一人物とはとても思えない。

 ノロノロと顔を上げれば、赤眼の死体が点々と庭に散らばっていた。この分だと、屋敷の中もそうだろう。

 

「ドンがやったのか?」

「…………。さあ、どうだろね。ジーンちゃん、その辺にしときな。早いとこドンを見つけて帰りましょ」

「そうね」

 

 こくりと頷いて、ジーンは何事もなかったかのように立ち上がった。スタスタと館の玄関まで歩き、躊躇なく扉を押し開く。その膝元の真っ赤なシミだけが異様だった。

 

「ユーリくん?どうしたの、行くわよ」

「あ、ああ。そうだな」

 

 開けてはならない箱を開けたような気分だ。一気に、何が真実なのか分からなくなる。

 

 死が怖いんじゃなかったのか。何があっても人の死を避ける、そういう覚悟を決めているんじゃなかったのか。

 

 思わずエステルたちと顔を見合わせているうちに、ラピードがジーンの開けた隙間からスルリと中に入り込んだ。彼らを先行させるわけにもいかないとユーリもすぐに後を追う。

 

「じいさん!」

 

 館の中はもっと血の匂いが噎せ返していた。吹き抜けから覗いた二階部分に、ドンの背中がある。その周囲にも、一階部分にも、外と同じように赤眼の死体が散っていた。

 

 仰向けに転がっているお陰で死因がよく見えた。どれも喉元を正確に一突き。ドンの大剣で果たしてあのような傷になるだろうか。

 

「あ?レイヴンお前、若えもん連れて何してやがる!」

「じいさん呼びに来たのよ。戦士の殿堂(パレストラーレ)との睨み合いが抑えきれなくてね」

「ふん、結局無駄足か」

 

 短く吐き捨てたドンは、「尻尾巻いて逃げやがった」と続けた。

 

「イエガーか」

「あの、ドン。ベリウスがこれをあなたにと」

 

 聖核(アパティア)を手渡したエステルがそれについて尋ねようとした時、ドンとジーンが同時にピクリと顔を上げ、東の方向を向いた。そちらにあるのはダングレストだ。それなりに離れているが、一体何に勘付いたのか。

 

「そうだドン、パティちゃんがあなたに会いたかったそうなの」

「あ?」

「この子よ」

 

 ジーンがパティを促して、ドンの前に歩み出る。その姿を一目見たドンの顔は、段々と驚愕に彩られていった。

 

「……こりゃ驚いた。お前さん、アイフリードにそっくりだ」

「……!」

 

 ドンの言葉を受けてパティは噛み締めるように俯く。アイフリードの孫、というパティの朧げな記憶は正しかったらしい。

 次の話に移る前に、再度ドンとジーンの視線が同じ方を向いた。やはり、ダングレストに何かあるのだ。睨み合いが睨み合いで済まなくなったか。

 

「ジーン手前、しばらく帰ってくんなって言っただろうが」

「言ってない。もうボケたの?」

「こっちの台詞だ、いつまでもフラフラしやがって」

 

 くすりと笑ったジーンは「早く帰れるように補助魔術かけてあげようか」とダングレストの方を指差しながら言った。その動作だけで魔術は完成し、緑の光がドンの足に絡みついて消える。

 

「馬鹿が。手前で選んだ道くらい手前で歩き切れってんだ」

 

 加速の魔術を付与されたドンは、二階の窓を豪快に割ってそこから飛び降りていく。ダングレストに向かったのだろう。

 終始蚊帳の外だったとはいえ、ドンを連れ戻すというユーリたちの目的も達した。後はこちらもダングレストに戻るだけ。

 その前に、エステルが小さく片手を挙げた。

 

「あの、ジーン。戻る前にまだ生きている人がいないかだけでも確かめていきませんか?」

 

 館の状況から見てエステルの提案は無駄にも思えたが、ユーリもリタも止めなかった。ジーンの誓いをこちらの勝手で破らせるわけにはいかない。手分けをすればそこまで時間はかからないだろう。

 

「いいえ、必要ないわ」

「でも、まだ生きている人がいるかもしれません!こちらの命を狙ってきた暗殺者ですけど、彼らも生きていることには変わりないです。あ、カロルのことが心配だったら、ユーリたちに先に戻ってもらいましょう」

「いえ、そういうことじゃないわ。本当に必要ないの」

「ジーン」

 

 咎めるような声でレイヴンが口を挟む。けれど、ジーンはそれを意に介さずユーリたちの方を振り返り、綺麗に笑ってみせた。

 それは彼女がこれまで一度も見せたことのない、至極自然な、嘘偽りのないものだった。

 

 いや、一度見たのだ。マンタイクで。

 キュモールを殺したという消えない罪を背負い、宴に参加する気分でもないユーリはふと宿の外に踏み出して。夜闇の中で手足のように凶器を繰りながら、人々の中心で舞っていた彼女を、見た。

 

 あまりにもそれが眩しくて、ユーリはすぐに目を逸らした。自分とは全く違う、穢れを知らない清廉な人だと思っていた。

 

 

「だってこの館の暗殺者を殺したの、私だもの。生き残りがいるはずないわ」

 

 

 絶対に言いたくなかった、とその顔に書いてあった。

 言わなかった理由を、もう失くしてしまったのだ、と。

 

 やはり、知ってはならなかったのだ。古い古い記憶がゆっくりと頭を擡げる。これは、ユーリが知るべきではなかったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇に、赤い華が咲く。呻き声一つあげられずに倒れていく身体を、ジーンは振り返りもしなかった。ジーンを止められるものは何もなかった。そうして、館の中の殺せるもの全てを殺し尽くした後。

 ジーンは、血の一滴にも濡れぬまま星一つ輝かない空を見上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダングレストの住民、ユニオンの重鎮、レイヴン含む天を射る矢(アルトスク)の幹部たち、そして戦士の殿堂(パレストラーレ)の構成員。

 

 ダングレストの街の広場には、幾重にも重なる人の輪が構成されていた。ユニオンの旗が掲げられ、人だかりの中心には、堂々とした佇まいで正座するドンの姿がある。

 背徳の館から戻ったジーンは、水の魔術で服の汚れを落として、その輪の中に加わった。

 

 自失状態のハリーが喚いてレイヴンに殴り飛ばされるところも、その彼がドンからの言葉を受け狼狽するところも、ジーンは見ていた。

 

「ジーン」

「はい」

 

 呼び出され、人の輪を抜けてドンの正面に立つ。その山のような巨体は、ジーンが初めて会った時と変わらず、誰よりも強い男のそれだった。

 

「は、酷え顔だ。餓鬼ん頃からちっとも良くならねえ」

「あなたのせいでしょう。気紛れに拾っといて、先にオサラバなんて虫が良すぎると思わない?」

 

 ドンは答えなかった。不敵に笑ったまま。

 もう、死ぬつもりで笑っていた。

 

 短剣を取り出して、鞘から抜いて、利き手に持ったままドンはジーンを見上げた。

 腹を割るなら介錯人が要る。

 

「お前が介錯しろ。お前が一番上手い」

「断る。私はその為に強くなったんじゃ無い」

「当たり前だ、俺は首の斬り方なんぞ教えたつもりはねえよ。大体お前、弱くなるばかりでちっとも強くなりやがらねえ。それを、さも自分が成長したかのような物言いするんじゃねえ」

「手厳しいなぁ……」

 

 かつて、ドンはジーンに戦い方を教えた。ジーンはそれまで戦い方を知らなかった。

 

 ────殺し方しか、知らなかったのだ。

 

「力には責任がある。お前には力と才能がある。馬鹿みてえに押し潰されてねえで、そろそろ手前の責任を果たしやがれ」

「随分と重い責任だな。いいの、私を解き放って」

「知るか。飼った覚えもねえ。みんな手前は手前で生きてんだ。俺もそうで、お前もそうだ。それが難しいんなら寄りかかれる柱を作れ。お前がせっせとしてきたことだ。違えか」

 

 ギルドとはそういうものだ。他人同士の共同体。掟で縛り、理想を束ね、支え合って生きていく。

 

 そうなれると思っていた。どうせ無理だろうとも思っていた。

 正直、どちらでも良かった。

 

 不殺の誓いを掲げて八年。それだけの間生きてみた。

 どんどんと自縄自縛に陥っていって、自分で殺した死体に治癒術をかけるくらい錯乱している。できることは少なくなるし、精神は磨り減るばかりで、元の自分がどんなだったかも時折忘れるくらいだ。

 何も上手くいかないし、何の未来もないし、変わるあてもないし、そのつもりもない。

 

 けれど、生きていた。

 

「……そうやってまた、私を生かそうとすんのな。いいよ、やってあげる。あなたの言う柱が折れてなくなるまで。ボロボロの屋台骨がどこまで保つか、あの世で安酒片手に観戦してな」

 

 クツリと笑ったドンの背後に立って、ガタガタと震える手を必死に抑えつけながらダガーを抜く。案の定取り落として、派手な金属音が石畳に木霊した。

 

「ほい」

 

 軽薄な声と共に、隣から弓が差し出される。持ち手を握る手には白く筋が浮いていた。この男もまた、ドンに命を救われた一人だ。そんな人間が、この街には数え切れないほどいる。

 

 今、ジーンは大衆の中の一人だった。初めてこの街に溶け込んでいた。ドンを想って啜り哭く音が、自分のもののように聞こえた。

 

 これを望んでいたはずなのに、全く嬉しくなかった。

 

 これからは自分の手で自分たちの時代を拓いていけと。ドンのいないダングレストを知らない者たちに向けて、最後の言葉が贈られる。

 

 深呼吸をして、弓を握りしめた。

 使い方はよく知っていた。ずっと見てきた。端についたレバーを引けば、変形して剣になる。

 

 どうすれば良いかも、よく知っていた。

 どう持って、どう動かせば命を奪えるか、手に取るように分かるからだ。そういう才能が、ジーンにはあった。

 

「さよなら」

 

 最後の言葉を吐いて、ジーンは軽々とその首を刎ね飛ばした。

 感謝を伝えていなかった、と気付いたのはその直後だ。

 今更気付いても、もう遅い。恩人に礼の言葉一つ言えない。ジーンはそういう、悪人だ。

 

 鳴り止まない叫喚が、ふつと途切れる。

 

 その瞬間、ダングレストはこの世界で最も静かな街だった。

 

 

 

 

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