明星に誓って   作:テロン

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やりたいこと

 

 

 

 

 月も星も身を隠す、漆黒の夜だった。

 黄昏の街にも、夜は平等に訪れる。

 

 ソレは正面から堂々と街に入った。街に繋がる橋を渡り、商店が連なる通りを抜け、広場の中央をも歩いた。

 

 歩みに合わせて、石畳の上をボロボロになった外套の裾が揺れる。

 

 塀を一飛びで乗り越えて、凹凸のない壁をよじ登り、ベランダへ降り立った。

 警備の緩い建物だったと、侵入してから知った。

 ソレは事前に何の調査もしていなかった。仮に百の監視があろうと、ソレにとっては息をするより簡単なことだからだ。

 

 音のする方へ、ソレは気負うことなく足を進めていく。

 

 誰も気付かない。ソレが鈍く光る刃物を携えていることも、館の主のすぐそばにいることも。

 

 音も匂いも、凡そ生きている人間が発するであろう何もかもが、ソレには欠けていた。

 

 何故ならソレは、人間ではなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い夜が明けた。

 

 ドンの死から一夜、ジーンはずっとユニオン本部にいた。普段ジーンが本部を出入りすると白い目を向ける人たちも、今日ばかりはジーンに声をかけてきた。

 

 まともに答えられたのか、覚えがない。誰もが困惑の中にいた。ドンを失ってどうすれば良いか分からなくて、それでも頭の片隅にドンの言葉があった。

 

「ここ、何もないわよ」

 

 話しかけられる前にそう告げて、ジーンは戸口に立つ男を振り返った。ベランダから吹き抜ける風で、黒い長髪が揺れている。

 本部の上階にある、川に面した部屋だった。大きなベランダがあるのは、この部屋くらいだ。

 

「アンタが居るだろ」

「そうね、今は私しかいない」

「二度言わせんなよ、アンタを探してたんだ」

 

 そう言って、ユーリは一度目を伏せる。開き直した時には、何かを決意したような表情だった。

 

「俺たちはもう街を出る。ギルドとしてケジメをつけるためだ。ジュディはギルドの掟を破った。ならケジメはつけなきゃいけねえ。ドンが見せた覚悟ってのはそういうもんだろ。アンタだってそうだ。掟を破った罰は受けなきゃならねえ。違うか?」

 

 自分で決めたルールを守って生きていく。ギルドの人間というのは、そういうものだ。

 右手に視線を落とし、ジーンは纏まらない思考を束ねるようにそっと握り締めた。

 

「失望した?」

「失望?は、何に対してだ?」

「言わせるのね。悪い子」

「同類だろ」

 

 開け放っていたガラス戸を閉め、ジーンは「一人でいたかったのになあ」とユーリに聞こえるように呟いた。

 それでも、追い返すつもりはなかった。

 期待しているのかもしれない。ジーンの中でドンが占めていた場所を、彼が埋めてくれるのではないかと。

 

「アンタと話がしたい。今、いいか」

「ええ。椅子のある部屋でよかった。お茶を淹れた方が良い?」

「ユニオン本部の茶請けは何があるんだ?」

「さあ?そういえば私、ユニオンの人間じゃなかったわ」

「でも、一晩黄昏れてるくらいには思い入れがあるんだろ?この部屋に」

 

 すぐには答えずに、ジーンはユーリに椅子に座るよう促した。

 部屋にあるのはドンが腰掛けると窮屈に思える二人がけの椅子と、その向かいの四人がけのソファだ。ユーリがソファの真ん中に腰掛けたのを見届けて、ジーンはドンの椅子の背もたれに手を置いた。

 

 かつて、ジーンはこの椅子の背を血で濡らしたことがある。その痕跡は拭われて久しい。ジーンと、ドンと、レイヴンしか知らない一夜のことだ。

 ジーンが不殺を誓った日。ジーンが、ドンに陽の下に無理矢理引き出された日。

 

 人を殺さない。人を助ける。普通のことだ。そういう、普通の人間になろうとした。

 

 けれども昨日、ジーンはその誓いを自分で破った。何の感慨もなく、普段なら歯牙にも掛けない暗殺者たちを一人一人、殺していった。

 一人目を殺す時だけ手が震えていた。二回目以降はもう、ただの作業だった。

 ジーンは自分がそういう人間だと知っていた。知っていたから死を恐れていたのだ。もしもう一度人の死を目撃してしまったら。自分の手で人を殺してしまったら、思い出してしまう。

 

 ジーンは作業のように人を殺せる人間だということを。死を前に、どんな感情が湧き出てくる人間なのかを。

 

 生きているものがいなくなり館を去るまで、ジーンは自分が変わっていないことを痛感していた。

 

「誓い、破っちゃったわ」

「それでもアンタは、本気で誓いを守ろうとしていた」

「どうかしら。私が何故不殺を誓ったか分かる?」

 

 囁いたジーンは、ユーリが答えなど出せないことを知っていてそう聞いた。

 

「君には理解出来ないだろうけど、私には殺人衝動がある。普通の人間がまず『人を殺さないように』と考えるところを、最初に『殺すとしたら』と考えて行動する。だから。だから、私はわざわざ誓いで自分を縛らなきゃいけなかった」

「普通の人間は……」

 

 言い出して、ユーリは自分の口を塞いだ。思わず口に出してしまった、というような表情だった。

 

「いいよ、言って」

「普通の、人間は……」

 

 声は震えていた。

 

「人を殺さないように、とは考えねえよ。殺そうなんて、思いもしないからだ」

「あは、そうかもね。きっとそうなんでしょう。だからもう、私は人としてはどこか壊れてるの」

「昨日のは……。ドンの、仇討ちのつもりだったんだろ」

「例えそうだとして、それが何かの言い訳になると思う?」

「さあな。考えんのはジーン、アンタのやることだ」

「その通り、正論ね。でももう少し優しく言った方がモテるわよ?」

「お望みならやり直してやろうか、おねーさん。歳下の男が好みか?」

「おっと、そう返ってくるのは予想外だわ」

 

 茶目っ気たっぷりにウインクなどをするので、ジーンは少したじろいだ。この間はもう少し初心な反応を見せてくれた気がするのだが。

 

「冗談だ、草臥れたおっさんみたいなのが好みだよな?」

「それこそ冗談やめてよ、あの人がどれだけの浮名をダングレストで流してるか知らないの?」

「誰もレイヴンのことだとは言ってないぜ」

「…………。私もレイヴンのことだとは言ってないわ」

 

 ぷは、と吹き出したユーリは目尻に涙まで浮かべていた。

 目を怒らせたジーンの前でひとしきり笑ってから、彼は「そっか」と最後に小さく呟く。それでひとまず、彼の中ではあるべきところに収まったらしい。

 一体何に納得したのか聞きたいような、藪蛇を突きそうな、変な気分だ。

 

「不殺の誓いってやつ、止めるのか?」

「そう、ね。そうなるのかな」

 

 ジーンがこの馬鹿みたいな誓いを守ろうとする理由の一つを、もう失ってしまった。

 失うと知って、ジーンは簡単に己の誓いを投げ捨てた。自分がそういう人間だと知っていた。どんな些細なキッカケであろうと、容易にそちらの道に落ちる可能性があることを、知っていた。

 だから出来る限り遠ざけて、見ないふりをして、逃げに逃げていたのだから。

 

「それでも、ジーンは殺しを望んでるわけじゃない。少なくともここにいる一人にそう見えるんなら、それも一つ真実なんじゃないか」

 

 ユーリの言葉に、ジーンは目を伏せた。ジーンはユーリに肯定して欲しかったのだろうか。それも一つの真実ではある気がした。

 

「聞かないのね。私がどうしてこうなのかとか、人を殺しておいて今はこうやって平然と君と話している理由とか」

「聞かねーよ、知られたくないんだろ。そんなもん知らなくても俺はジーンのことを知ってる」

「例えばどんな?」

「誓いのこともそうだし、それが本当の自分と違いすぎて苦しんでるところとか、実はドンやおっさんくらいしか大事にしてねえところとか、子供が嫌いなところとか」

「そう聞くと私って酷いやつね」

「あと、料理の腕はラピードと同じくらい」

 

 言われた言葉にジーンは飛び退いて頭を抱えた。

 

「何で知ってるの!?」

「いや、当てずっぽう。食材一切触らねえし、おっさんも当番の時ぐちぐち文句行っても絶対にジーンには手伝い求めねえし、何となくそうかなって」

 

 相手が不在だったので、犬ご飯と消し炭のどちらが上かという不毛な論争は勃発せずに終わった。食べられる分、犬のラピードの方がマシな可能性がある。

 

「く、だから食材に近付かないようにしてたのに……!」

「もしかしてジーンがテント張ってた時おっさんが同行したのって、料理か?」

「それも理由の半分ね。あとはほら、安全確認とかその辺よ。野党とか来るとまずいから」

 

 少し疑わしげな視線がジーンに寄越されたが、本当に理由はそのくらいだ。レイヴンは職務として、ジーンの面倒を見ている。そういう約束なのだ。

 それがこの先どこまで有効なのかは、彼次第だけど。

 

「ま、それで納得しとくか。それで、ジーンは、どうなりたかったんだ?」

 

 ぽん、と問いかけられた言葉に、ジーンは続きの言葉を待った。

 

「なりたい自分があるんだろ。前言ってたよな、言動は人を形作るって。アンタはなりたい自分になるために不殺を誓った。そうだよな」

「……ええ。そうよ、人間ってそういうものでしょ」

 

 理想の自分を演じて。演じて、演じて、元の自分との境界が分からなくなるまで演じ続けたら、それが自分になる。ギルドの掟だって、個人の誓いだって、本質的には同じだろう。そう、ジーンは信じてる。

 スポットライトが当たっている側だけが真実で、それ以外は闇に溶けて消えていく。

 

「私、証明しないといけなかったの。演技だって、嘘だって、貫き通せば真実になるって」

「それが、アンタの誓い以上にやらなきゃなんねえことか」

「そうね。やらなきゃいけないって言い方は良くなかったわ。やりたいこと、ね」

 

 どんなに倒錯した自我に飲み込まれそうになったって、止めるつもりも、改善するつもりもなかった。どれだけ無謀でも、ジーンはその通りに生き続けるんだと思っていた。

 そういう、悪夢だった。自分に課した、望んで得た悪夢だ。

 

 人を殺さないという道は、ジーンにとって悪夢だった。

 

 ジーンはそういう、悪人だ。自分が悪人だという自覚のある、倫理観ばかりまともな悪人だった。

 それでも。いや、だからこそ、出来ることがあるはずだった。

 

「証明、ね。ドンと、レイヴンにか」

 

 ジーンは答えなかった。ジーンの心の中にいる人間がたった二人だけであることを、もう彼は知っている。その片方が死した今、ジーンが行動理念にあげるのが彼くらいだと、わざわざ告げずとも分かるだろう。

 

「そっか。俺が余計な世話焼かなくても、アンタは自分で折り合いつけれんのな。おっさんが言ってた通りか」

「レイヴンが?余計なことも言ってなかった?」

「んー、大体ジーンと同じこと言ってたかな」

「はあ?私あんな浮ついた人間じゃないつもりだけど」

「そうじゃねえよ……」

 

 分かってるくせに、とでも言いたげにユーリは首を振った。追及はしないでおく。

 

「あと、曲者だって言ってたぜ、アンタのこと」

「あら、どの辺が?」

「さあな。おっさんからはそう見えるんじゃねえの」

「あれに言われたくはないわね……」

「そりゃあな」

 

 胡散臭さの塊のような男に向けて、ユーリとジーンはしみじみ頷いた。

 

「もう一つだ、ジーン。アンタはまだ成りたいおねーさんにはなれてないのか?」

「え?」

「弟がいるんだろ。おねーさんになりたいからおねーさんの振りをしてる。これだって、そうなりたいからしてるんだろ?」

「ああ……そうねえ。染みついた感じはしないわ」

「ジーンの素は結構暴力的で横暴、だったか」

「それもレイヴン?大体においてあっちが悪いと思うのだけど」

「言えてる」

 

 ユーリがそうだと気付いていなかった時に、弟がいると話したことがあった。余計なことを言わなければ良かったとも思うが、どうせジーンは認めないのだから、彼が気付こうが気付くまいが変わらない。

 

「ならジーンはもう少しおねーさん続けないとな。結構イケてると思うぜ、その人物像。人を助けまくる優しいおねーさん、ただし前衛でボコる方が得意なインファイター」

「本気で言ってる?」

「本気に聞こえないか?」

「聞こえないから言ってるんだけど」

 

 くく、と笑いを堪えながら、ユーリはジーンに向けて片手を差し出した。

 

「その手は?」

「握手だよ。これからよろしくって意味だ」

「意図が分からないわ」

「そのまんまの意味だ。ジーン、アンタの罪が裁かれる日もいつか来るんだろう。それまでの間、『おねーさん』になるための練習台が必要だろ?」

「は、あ?」

「ところでうちのギルド、最近受けた依頼が中途半端に終わっちまって今仕事がないんだよな」

「それこそ本気なの?」

「安くしとくぜ?」

 

 ほら、とユーリは差し出したままの片手を揺らした。

 詭弁だ、と思った。理由なんてどうでも良かったのかもしれない。ユーリにとっても、ジーンにとっても。

 

 これは挑戦状だ。お前を理解してみせるという、宣戦布告。一体ジーンの何が彼の琴線に触れたのか、ユーリはジーンを無理矢理にでも旅に同行させるつもりのようだった。

 

「あのね、もう分かってると思うけど。私、人殺しを何とも思わない悪党よ。突然後ろからブスッといくかもね?」

「そしたらそこまでだ。それに、人殺しを何とも思わない奴が不殺の誓いなんか立てるはずねーだろ」

 

 確かに。それも一つ真実ではあった。何も思っていない、わけではない。

 

「きっと後悔するわ」

「上等」

 

 一度目を瞑ってから、ジーンはユーリの手を取った。お互いグローブ越しの、冷たい握手だ。

 

「よし、決まりだな」

「強引なのね。いつか、ドンの言った言葉の意味が分かるようになるかしら」

「分かってんじゃねえの?俺も、アンタも。分かってっから今この手を取ったんだ」

「……。ええ。そうだといいわね」

「それとジーン、今日からユーリくんじゃなくて、ユーリな」

「え?」

「呼び方」

 

 手を握ったまま、ユーリはゲンナリとした表情を見せた。

 

「くんはねーだろ。フレン相手ならともかく、正直二十歳超えたところにくん付けはさぶいぼが立つ」

「そうだったの?」

「姉は弟のことくん付けて呼ばないだろ。少なくとも下町じゃそうだったぜ。一体何参考にしたんだか」

「じゃ、じゃあ……。ユーリ。そういうの、もう少し早く言って欲しかったわ」

「ま、新鮮だったけどな」

 

 そういうものだろうか。兎角、これでまだ暫く彼らとの旅は続きそうだ。

 手を解いて、ジーンは最後にもう一度西日が差し込み続ける部屋を見渡した。

 

 

 

 

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