明星に誓って   作:テロン

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生かしてみろ

 

 

 

 

 簡単な動作だった。

 いつも通り、変わらない。目の前に立って、喉に真っ直ぐ突き立てて、それで終わりだ。魔物も人も同じこと。

 

 どういうふうに動けば殺せるか、ソレには手に取るように分かる。そういう才能と、経験があった。誰も、ソレには気付かない。命を落とすその瞬間まで。

 

「ぐあ……!」

「じいさん!」

 

 その日、ソレが突き出した刃は、標的の首を逸れて肩に突き刺さった。寸前で身を捩られたのだ。

 

 仕留め損なった。これまでに無かったことだ。分析、結論、支障はない。次で確実に仕留めることが出来る。

 

 隣に立っていた蓬髪の男が素早く短刀を抜き放つのを、ソレは気にも留めなかった。

 

「な!?」

 

 ピチャリ、と元あった血痕の上に重なるように、ソレの血が垂れる。自分にも赤い血が流れているのかと、妙に感心しながらその様を見届けた。

 

 ソレは戦いを知らなかった。ソレが人間を殺すことと、ソレが人間に傷付けられることに、因果関係があるとも思っていなかった。

 

 腹部に突き刺さった短刀をそのままに、ソレは標的を殺そうと一歩踏み出した。標的の方は、肩の刃を抜き去ったところだった。その腹に力が込められるのを察知して、また避けられる前にとソレが間合いを詰める。

 

「ぶわっはっはっはっは!!」

「は?」

 

 繰り出されたのは、反撃ではなく大笑いだった。白髪の老人が、山のような巨体を揺らして笑っている。

 怯んだつもりはなかったが、ソレは動きを止めていたらしい。目にも留まらぬ速度で首元を逆に掴まれ、宙吊りにされる。万力のような力で締め付けられながら、ソレは注意深く標的を観察していた。

 

「じ、じいさん状況分かってんの?」

「お前こそ状況分かってんのか。余計な手え出さないでいりゃ、めでたく俺は死んでたかもしれねえぞ」

「……そうそう死ぬタマじゃないでしょうに」

 

 会話の切れ目に、手首を予備のナイフで掻き切った。

 拘束が緩んだ隙に、腹に刺さった短剣を抜き放って胸に突き立てる。

 

「……随分若えのに良くやる。名前はなんだ、ガキ」

「!?」

 

 それでも、死んでいなかった。ソレは初めて動揺して、短剣の柄から手を離して後退る。

 

「なんだ、答えねえのか。口がきけねえのか、名前がねえのか、それ以外か」

「死なないのか?お前」

「あ?喋れるじゃねえか。俺だって人間だ、死ぬときゃ死ぬ。お前が殺せなかっただけだろうよ」

 

 訝しげに言った老人は、直後目にも留まらぬ速さでソレを殴り飛ばした。派手にガラス戸を割り砕き、ベランダの柵に衝突した身体が崩れ落ちる。

 

「おい、ロクに受け身もとれねーのか。ったく、俺は名前を言えって言ったんだ、質問しろとは言ってねえ」

「そういう教育受けてんでしょ。ったく、どこのギルドが馬鹿やらかしたんだか」

「それを調べんのが手前の仕事だろ」

「はいはい、全く人使い荒いんだから」

 

 足音二つがソレに近付いて、目の前で止まる。老人が膝をつくのを、ソレはなんの感慨もなく横たわったまま眺めていた。

 

 ぐい、と顎を掴まれ、無理な体勢で体を起こされる。胸に刺さった短剣をそのままに、老人はソレの瞳を覗き込んだ。

 

 ソレは。そこで初めて、老人の声を聞いた。

 自分の死を視た。

 心は動かなかった。

 この体勢からでもあと十回は老人の胸にナイフを突き立てることができるだろうが、そうしなかった。

 

 死にたいのだ。ソレは、終わる方法を探していた。けれど、死んではならなかった。死ぬわけにはいかなかった。どっちでも良かった。ただ、選ぶ権利だけを握り締めていた。

 

「馬鹿が馬鹿やった記念と、その腕に免じて手前の一番大事なもんを差し出すだけで許してやる。言ってみろ、何が大事だ?命じゃねえよな。金か、ギルドか、家族か」

 

 ピクリと指が動いた。

 

「なんだ、家族か?」

 

 ソレは家族がいることを思い出しただけで、大事なわけではなかった。けれど否定のために声を上げることもしなかった。取り上げられようと、別段困るものではなかったからだ。

 その考えを見抜いたのかどうか、老人は「はっきりしねえな」とボヤく。

 

「何言っても無駄でしょ。そいつ、生きようって気力がまるでないもの」

「死にてえ人間が生きてるわけねえだろうが。生きてるなら、そいつは死にたくねえんだよ」

「……ま、そうかもね」

「なんで」

 

 ポツリと漏れた言葉に、二人分の視線が集まる。何を問いたかったのか、ソレは自分で理解していなかった。

 

 理解していたのは、老人だけだった。

 

「まだ言ってんのか。俺を殺せなかったのはお前が弱えからだ。それ以外あるかってんだ」

「じいさんが特殊でしょ、それ」

「なら、無駄か。全部、全部…………」

「あ?何が無駄かは知らねえが、どうしてそう極端なんだ」

「…………」

 

 不思議な感覚だった。ソレの無意識と、老人が会話をしている。その様子を、ソレは斜め上から見ていた。

 

「手前、後悔してんのか。なるほど、これまでみんな一突きでくたばっちまったせいで、後悔する隙もなかったのか。難儀なもんだなぁ」

 

 溜息を吐いて、老人が隣の男の背を力強く叩いた。

 

「どうだ、それならコイツ殺してみろ」

「ちょっと!?」

「少し前にお前と同じように忍び込んできやがった馬鹿だ」

 

 ダボっとした服装で紫の羽織を羽織った、服装にそぐわぬ筋肉質な男だった。言われるがままに体を起こし、散らばっているガラス片を掴み上げる。

 殺してみようとその顔を見上げて、次の瞬間にはひき倒し、馬乗りになって喉元に鋭い切っ先を突きつけていた。

 

「っお!?」

 

 あと数ミリ奥に押し込めば殺せる。けれど、ソレはそうしなかった。

 

「は、はは…………」

 

 意味がないと気付いてしまった。

 その男を見て、ソレはとどめを刺された気分だった。もしくは、希望を見た気分だった。

 

 カシャンとガラス片が落ちる。ポタポタと垂れる水滴は、腹から零れ落ちる血液だけではなかった。

 

「アンタを……。いや、アンタらみたいな死なない人間を、私はきっと探していた……」

 

 老人は最も大事なものを差し出せと言った。

 ソレの望みは随分前から決まっていた。それが最も大事なことだった。無理だと思っていた。果たせないと思っていた。

 

「差し出すもんは決まったな」

 

 老人、ドン・ホワイトホースの前で、ソレは己に誓いを立てた。

 

「不殺を。殺さずの誓いを、あなたに」

 

 重苦しい息を吐けば、ソレに音や匂いが帰ってくる。物から、人間になった。或いは、戻ったのか。

 人を殺すために必要な最低限度の音しか取り込んでいなかった耳が、言葉として二人の人間の声を捉え始める。何も見ようとしていなかった目が、呼吸のたびに僅かに上下する肩の線までもを知覚する。

 

「は、ならそのみっともねえ戦い方は何とかしねえとな。最後だ、小娘。名前は」

「名前…………。ジーン。ジーン・ローウェル」

「ちゃんと名前持ってんじゃねえか」

「全く、アンタは……。んで、ジーンさん?いつまで俺様に跨ってんの?」

 

 仰向けになった男が大の字のまま見上げてくるのを、ジーンはずいと顔を寄せて眺めた。慄いた表情を具に観察し、その瞳の奥に横たわる空虚さにほうと息を吐く。

 

「そういえばお前、私のことを刺したよな。刺し返しても文句はないな?」

「あるに決まってんでしょ!?じいさんヘルプ!助けて!この子懲りてないよ!?」

「それくらいで死なないだろ、アンタ」

「痛いのは嫌なの!」

 

 そういうものか。組み伏せていたところから退いて、ジーンは片手を男に差し出した。

 

「なによこの手」

「これからよろしくって意味。こうじゃなかったっけ、違った?」

「分かんない子だなあ、俺とはよろしくしなくていいでしょうに」

「要らないならいいけど、片足折れてるだろ」

「イヤァなんかジンジン痛いと思ったら!」

 

 ひいこら言いながらジーンの手を借りずに立ち上がった男は、レイヴンと言うらしかった。

 

「ねえドン、なんで死んでないのかこっちが聞きたいくらいなんだけど、それは置いといてさ。その状態で外出たらギルドの連中になんでお前は無事なんだってタコ殴りにされる予感がするんだわ」

「知るか。それより手前ら、こっちこい」

「早いとこ治癒術師呼んできた方が良いって……」

 

 ジーンとレイヴンを二人並べて、肩と胸から盛大に血を流したままのドン・ホワイトホースは、心底愉快そうに笑いながら言った。

 

「仕事だ。手段は任せる、生かしてみろ」

 

 抽象的な命令だった。それを静かに、ジーンは聞いていた。肺から心臓へ、血管を巡り身体中に染み込ませるように、聞いていた。

 

「レイヴン、手前にジーンの世話を任せる」

「はあ!?」

 

 驚いたのはレイヴンだけだ。ジーンはじっと二人の人間を眺めている。

 

「こいつを生かしたのは手前だ。お前以外に誰がやるってんだ。馬鹿やって死なねえよう、しっかり面倒見ろよ」

「嘘でしょ〜。あーあ、厄介なことに巻き込まれたわ」

「やっぱり必要だったな」

 

 ジーンはその男の一挙手一投足を観察していた。常ならば百度は殺していたほど、隙だらけの男だった。けれど、ジーンの中にそうした衝動は湧かなかった。

 片手を差し出し、レイヴンが応えるのを待つ。

 

 顔を歪めて、動かないドンの顔色を窺って、退路を探って、たっぷり秒針が回り切るほどの間を置いてから、その浅黒い手が嫌々ながら懐から差し出された。

 

 ジーンが僅かに持っていた社会性でもって、二人は握手をした。血だらけの素手と素手の、生温かいものだった。

 

 

 

 

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