砂丘のそれぞれに花を撒きながら進み、テムザの山とその麓に広がる平野に足を踏み入れた時。ジーンの腕の中の花束は残り数本だった。
何があるかを理解しているジーンはしばしの間立ち止まったが、初めて訪れるユーリたちは細い山道を駆けて平野を一望できる場所で息を呑む。
「なにこれ、山が削れてる」
「ここで一体何が……」
一際目立つ大きなクレーターが、不自然に山の裾野を抉っていた。それ以外にも、大小様々なクレーターが点在している。この山にある街を目指して来たが、無事であるとはとても思えない光景だった。
「十年前には確かにあったんだがなぁ」
「滅んでるわよ、その街」
レイヴンとユーリの会話に口を挟んで、ジーンは先頭に立っていたエステルたちに並んだ。
「知ってんのか?あ、そうか一度来たって言ってたな」
「直接見たわけじゃないけどね。そう聞いたってだけ」
「ここ十年の間に滅んだってことか」
「そういうことになるわね」
「それじゃあジュディスは……」
何かを言いかけたエステルの言葉を遮るように、魔物の鳴き声が響き渡る。ジュディが連れていた小さな竜のものだ。どうやら彼女はここにいるらしい。
奥に進めば、その惨状がよりハッキリと見渡せた。大人の身長よりも深い穴がそこかしこに空いている。中でも一番大きなものは、ユニオン本部がすっぽりと入ってなお余りある大きさをしていた。
「どう見ても自然現象じゃないわね」
「何処までを自然と呼ぶかは、人によるかもしれないわね」
「それは……。魔物の仕業だということですか?」
「こんなことできる魔物がいるの!?」
最も大きなクレーターを前に、ジーンはゆっくりと斜面を降りていく。何年か前にジーンがここを訪れた時から、時が止まったかのように変化がなかった。環境のせいもあるだろう。緑の多いトルビキアかイリキア大陸であれば、草花が覆い尽くすくらいの歳月が経っている。
「その魔物ならとっくに退治されてるよ」
レイヴンの声を背中に、最後に持っていた花束をそっと地面に置いた。白い大振りな花がメインだ。もっと相応しいものがあったかもしれないが、この花を添えたい相手がどういう花が好きか、ジーンは知らなかった。
「どういうことだ?」
「ここが人魔戦争の戦場だった、ってこと」
「え、そうなの?」
「ということは、ここで人と
人魔戦争は、人の勝利に終わったと伝えられている。けれど戦地に赴いた者に生存者は殆どおらず、その詳細は伝わっていない。帝国の公文書にすら残っていないとエステルは言った。
十年前のことだ。ジーンにとってはそれほど昔ではないけれど、子供たちにとっては現実味が薄いだろう。
「ならジーンがやってんのは、戦没者への手向けか」
「そうなるわ。どうしても、テムザへ向かうって聞くとね」
「知り合いでもいたのか」
「いいえ。誰も知らない」
「でも確かにいたのか、ここで戦った人間は」
本来ジーンは見ず知らずの人間の墓に花を手向けるような人ではない。らしくないことをしているが、前に訪れた時手ぶらだったジーンは、次は花を供えようと思ったのだ。だから今、そうしただけ。
上から覗き込んだレイヴンが、「その花好きなの?」と神妙な表情で問いかける。
「この白いやつ?さあ。花は殆どユーリが選んでくれたし」
「供花って聞いてりゃそれ用のを選んだんだがな。綺麗なやつがいいって言われたもんで。ジーンに似てるだろ?」
「そ。まあそうなんだけども。その花大量に買い込んでなんか言われなかった?」
「そういや妙にニコニコしてたが、大口の注文が入ったからじゃねえのか?」
「ラナンキュラス、ですよね。白いものは結婚式でよく使われると聞いたことがあります」
「へえ、縁起が良いじゃねえか」
「いやこれ多分誤解されてるわよ」
結婚式用の花を当日買いに来るなんて早々ないだろうが、似たような目的だと思われてそうだ。ユーリは「だからやけに薔薇を勧められたのか」と苦笑いしていた。
「にしても、ここが戦場だったなんて話、俺は聞いたことなかったぜ」
「帝国側が情報操作したんでしょう。知られたくないのよ、この戦いがどういうものであったのか」
「敵が
「ふーん。魔物と人間が戦争なんておかしいと思ったら、そういうことだったのね」
リタが何事か考え込みながら相槌を打った。
「詳しいのな。ジーンもおっさんも」
「少年少女の倍以上生きてると、色々あんのよ」
「巻き込まないでくれる?私まだ二十代なんだけど」
クレーターを向いたままそう言って、ジーンはテムザの街があるであろう山頂付近を見上げた。
「にしても、これだけのことが出来る
「でも、随分昔に終わった戦争だもん、ボクらには関係ないよね?」
「……戦争当時、カロルくんって何歳?」
「え、十年前だから、二歳かな」
「そう。なら知らなくて当然よね」
「ジーンは……今のカロルの一つ上か?」
ユーリに頷いて、山道まで戻った。最後の段差を前にユーリが支えに差し出してくれた手を取り、先導する様に先を歩く。道は、残された大勢の足跡が示してくれている。
道中の魔物が思ったより少ないのは、噂通り魔狩の剣が来ているからか、それとも騎士団が動いているからか。
ジュディと共にいるはずのバウルが
「そういやジュディ、前にバウルが戦争から救ってくれたって言ってたな。今思うと、あれは人魔戦争のことだったのか」
「もしかして、ジュディスはバウルと一緒に人魔戦争で戦ったのかな」
「ジュディ姐が人間の敵だと、うちは悲しいのじゃ……」
「どうなんだ?ジーン、レイヴン。人魔戦争に参加してたんだろ」
ジーンのすぐ後ろを歩いていたレイヴンが足を止めたのを感じて、ジーンも同じように振り返った。
「色々詳しいのは当事者だからだろ」
「そうなの?でも、生き残った人ほとんどいないんでしょ?」
奇妙な沈黙が降りた。静かにレイヴンが口を開くのを待っていれば、「ああ、流石の俺様も、あの時は死ぬかと思ったね」と首が振られた。
「あーあ、あん時死んでりゃもうちっと楽だったのになあ」
「レイヴン……」
咎めるようなジーンの声に、レイヴンはひょいと肩を上げた。
「それで、戦争中にジュディスを見かけましたか?」
「いやいや、いくら俺様でも十歳にもならない女の子は守備範囲外よ」
「レイヴン……」
今度は頭に手をあてながら呼びかけたジーンは、「ジュディちゃんって当時九歳でしょ。流石に参加してないわよ」と補足した。
「まー、あのバウルってのも見かけなかった気がするし、どっかに逃げてたんじゃない?」
「戦争の相手はやっぱり
「そうなるんだろうなあ。当時はとんでもない魔物としか思ってなかったけども」
ジーンはレイヴンが人魔戦争時代の話をしているところを初めて見た。そうだろうと思っていても、レイヴンは決してジーンにその記憶を語って聞かせることはなかった。
「でも、ホントにレイヴン、戦争に行ってたんだ。すごいね、そんなの騎士団だけかと思ってたよ」
すごい、か。ジーンは思わず笑みを溢していた。そうだ、知らない人間にとってはその程度なのだ。
「色々あんのよ、大人の事情ってやつが。それより、ジーンちゃんが参加してたって話、聞いたことないんだけど?」
「私は、参加してないわよ。ただ当時、滅んだ街の近くにいて……。それで、知る機会があったってだけ」
「滅んだ街って、テムザの街か?」
「いいえ」
首を振る。帝国の情報統制は徹底していて、能動的に調べようとしたところで全ての情報は曖昧にされているのだろう。当時戦場を目撃した人間は殆どおらず、いてもジーンやレイヴンの様に口を噤む。
そして、多くの人間は結界の外の出来事に無関心だ。
「ダングレストで、君たちはフェローが結界の中に入ったところを目撃したんじゃない?」
「そういや、そうだ。他のことが衝撃的すぎてすっかり忘れてたが……。おいおい、まさかとは思うが」
「そういうことね。地平線を埋め尽くすほどの数の魔物が、地上と空を取り囲んでいた。そして、そこに
そういう街が、いくつかあった。いずれ誰の記憶からも消えていくのだろう。
「でもジーンは生き残ったんだよね?」
「生き残ったんじゃないわ。私は当事者じゃなかっただけ。私が見た街に、生き残りはいない」
遠くから、ジーンはその様子を見ていた。今でも忘れない。悠々と海の向こうに飛び去っていった、あの紅い後ろ姿を。
「まあ、私も時々思うことがあるわ。もしあの襲撃があと一日早くて、私が街を出る前に起こっていたら、どうなったんだろうって」
異様な光景だった。
すぐ近くの丘の上に立っていたジーンのことを気にも止めずに、膨大な数の魔物たちが我先にと街へ殺到していた。空を旋回する魔物たちが悪戯に放り投げるものがなんであるのか、ジーンの目は捉えていた。
ゆっくりと蠢く影に呑まれていく街を、ジーンは呆然と見つめていた。
「アンタもその時死んでた方が楽だったって思うのか?」
「どう、かな。そうかもしれないけど。それって、君たちには出会えなかったってことでしょ?」
「そうだな。俺たちもジーンに会えなかったってことだ」
ウインクして、ジーンは「先を進みましょ」と山頂を振り返った。
人の気配がする。ギルドか帝国か。どちらであろうとも、ジーンの掲げる刃は鈍るだろう。だとしても、進まないわけにはいかなかった。
辿り着いた街は、崩れた瓦礫が散らばる見るからに滅んだ街だった。高温に炙られたのか、一部硝子化している部分も見受けられる。
かつて、クリティア族の街がここにあった。人魔戦争の最中、それは失われたという。
ジーンは無言で魔術を編んだ。目的は拘束と圧迫。標的は七時の方向、十二メートル。
「ジーン?」
「……ふう」
どうやら無事発動したらしい。魔術の蔦が絡みついた男が、物陰からパタリと倒れ込んだ。力加減も、間違えてはいない。
「ジュディちゃん、出ていらっしゃい」
「あなたたち……」
槍を構えたままのジュディが、倒れた男の側に姿を現した。ユーリたちを見渡して、諦めたように首を振る。
「来てしまったのね」
「……ああ、ジュディはギルドの掟を破った。ケジメはつけなきゃならねえ。話してもらうぞ、なんであんなことをしたのか」
ユーリの様子は剣呑だが、何も命で償えという話ではないだろう。そう理解して、ジーンは魔術で気絶させた男の傍に膝をついた。
仮面からして、魔狩の剣の構成員だろう。体に異常が無いことを確認して、魔物に襲われないよう崩れた建物の中に移しておく。
殺し方が分かるのであれば、殺さない方法も分かるはずだ。ドンの言葉の意味は違うかもしれないが、そもそもジーンが魔術を覚えたのは出力を抑えやすいという理由からだった。
ジーンが腕につけている
皮肉なことに、不殺の誓いを投げ捨てた今の方が、手加減が上手くなっている。
「ジーン、何か手伝いましょうか?」
「大丈夫よ。そのうち目が覚めちゃうと思うけど、仕方ないわよね」
「ええ、仕方ないですね。大きな怪我がないようで良かったです。その方にも、ジーンにも」
「私?遠くから魔術打っただけよ?」
近寄ってきたエステルを見上げれば、彼女は強張った表情を可能な限り綻ばせながら首を振った。
「それでもです。ジーンの誓いは立派ですけど、それでジーンが傷付いたら私は悲しいですから」
「……そう、ありがとう」
この子のように在れたら、と漠然と思った。傷だけではなく、心も癒そうとする優しい力を持っている。ジーンが不殺の誓いとともに生きていくのなら、この子の在り方が理想形になるだろう。けれど、もうその道は絶えたのだ。
エステルが十年前、ジーンと同じ場所にいたら。我が身を顧みず、一人でも救う為に魔物の群れに突っ込んでいったのかもしれないと思った。