フェローの住処は、ジュディの言った通りコゴール砂漠の中央に聳え立っていた。うら寂しい岩山には、生き物の気配がない。生きとし生けるもの全てが重苦しく息を潜めているような気分だ。
「私、ここで待ってるわね」
「え、どうしたのジーン」
「フェローに会うのが嫌なのか?」
バウルの運ぶ船から降りていく皆に手を振っていれば、案の定怪訝そうな顔を向けられた。
「ジーンあなた、人魔戦争で
「いえ。思うところはあるけど、そうじゃなくて。どうせ何言ってるか分かんないと思うし、多分フェローの方が私に会いたくないと思う」
「どういうこと?」
ジュディの問いに少し言い淀んで、ジーンは結局首を横に振った。
「さあね。でもこの間砂漠で見かけた時、めちゃくちゃ睨まれたのよ」
「この間って、私たちと一緒に来た?」
「そうよ。フェロー、こっちを見ていたわよね?」
「……よく気付いたわね。一応聞いておくけれど、フェローと会ったことはないのよね?」
「うん、全く」
「そう。分かったわ、フェローに聞かなきゃならないことが二つに増えたみたいね」
「目的は見失わないでよ」
一応念押しをして、ジーンはひらりと手を振った。
見送ると言っても、すぐそこの話だ。特に
前回砂漠でフェローを探していた時、ジーンは何度かフェローからの観察するような視線に気付いた。
向こうも、ジーンが気付いていることを悟った筈だ。睨んでいた、とは言ったがそれが正しいのかは分からない。ジリジリと照りつくような暑さがあった。
それでもなお姿を見せず、フェローは一行を幻の街に誘った。あの街は嫌いだ。それだけでジーンはフェローに対し腹立たしい気持ちすらあった。
今思えばあの時、彼は満月の子であるエステルのことを観察していたのだろう。それで、ジーンにも気付いた。
ダングレストをフェローが襲った時、ジュディはエステルが
フェローの方はどうだろうか。
エステルの処遇に、結論を出しているのか。
「んで、一体
「別に、向こう行っても良かったのに」
船から降りて、船体に寄りかかっているレイヴンが声をかけてきた。もうジーンを手放すのかとも思っていたけれど、ついさっきの話は聞かなかったことにしたのか、彼は普段通りにジーンの様子を見る為に残っている。
レイヴンは、ジーンの世話役なのだ。そう、ドンが命令した。
ものを知らず、人に触れず、他者の声を断ち、死を忌避するあまり旅すら覚束なくなっていく。そのように、何故かどんどん退化して人の世に馴染まないジーンの面倒を見ていたのが彼だ。そりゃあもう大変だったろうと自分でも思う。
ドンが居なくなって、その命令は宙に浮いていた。
「……満月の子がどうとか、世界のエアルがどうとか、正直着いていけないわ。ジーンちゃんだってそうでしょ?」
「そうねえ。あと、ちゃんはやめてっていつも言ってるでしょ」
「まあまあ。それより、はぐらかしてないで言ってみなさいよ。俺様そっちの方が興味あるなあ」
「あなたってほんと、そういう見極めだけは上手よね」
「だけって何さ、だけって」
ジーンが言いたくないことがそうじゃないことかの見極めだけ、という意味だ。
そういう意味では、ジーンもその見極めは得意といえる。ジーンとレイヴンは、そうやってお互いの地雷原で踊りながら八年を過ごしてきた。おかげで何も知らないし、大体分かっている。
「まあ……。有り体に言うと、私って
ぽんと放った言葉に、レイヴンはぱたりと押し黙った。腕を組んで空を見上げ、しばらくしてから俯いて、片手で顔を覆う。
「色々言いたいことあるけど……それ、バウルの真下で言って良かったの?」
「さあ。でも
見上げれば、バウルは小さく鳴いた。小さくといっても鯨ほどの巨体なのだから、ジーンからすれば五月蝿いくらいだ。
「なんて言ったのかしら」
「恨み節だったらどうすんのよ。おっさん、流石に
「時間稼ぎくらいしてから逃げなさいよ」
「逃げるのは許してくれるのね……」
「冗談よ。それに、そうはならないわ」
もしフェローが敵討ちに来るとしたらジーンはとっくに世の
「しっかし、
「流石に、正面きっての戦いは無理でしょう。でも殺すだけなら可能だわ。
「……狙ってると思うか?」
しばし考え込んだレイヴンは、数段飛ばしでジーンに疑問をぶつけてきた。今割と大事な話をしていたと思うのだけど。
口を閉じて、船縁に凭れ掛かっていた体を起こす。
一体誰が、何を狙っているというのか。
それはジーンもレイヴンも知らない話だ。知らないことになっている話。考える必要もない話。
「フェローがエステルをって話なら、そうなんじゃないの?」
「ん……。あーそうね。嬢ちゃんも大変よねえ」
「心がこもってない。本人の前で言わない方が良いわね」
「そうねー」
毒にも薬にもならない話で場を流して、ジーンは遠く空に飛んでいくフェローの姿を見上げた。話が終わったらしい。
「結局、フェローはあなたについて何も教えてくれなかったわ」
「へえ。ま、もう会うこともないだろうし、別にいいわ」
思った通り、フェローもバウルもジーンのことを言い触らさなかったらしい。その辺りの
冷たい雨の降る夜だった。その冷たさを、よく覚えている。
「それで、次はどうするの?」
「アスピオよ。そこにいるクリティア族に会うためにね。エステルの力がエアルに悪影響を与えるんだとしたら、過去にも同じことが起きてたっておかしくないでしょ。それを知る人たちを探せって、フェローは言ったわ」
組んだ腕を一定のリズムで叩きながら、リタがそう言った。思考のほとんどを仮説とその検証に割いているのか、すぐに小さな声で何かの理論をブツブツとつぶやき始める。
「ジュディが言うには、どこかにクリティア族の街があるんだと」
「アスピオにいるのは恐らく、その案内人ね」
「クリティア族の街ねえ」
大筋の話しかその場では共有されなかった。酷く気を落としている様子のエステルに気を遣ったのかもしれない。
ジーンとしても今すぐ知りたいような話ではなかったし、その場では頷いた。
ジュディのケジメついても、アスピオに着くまでお預けらしい。そこのところは本当に、ギルド内の話だから、ジーンには関係ない。そもそも、外部の人間が手を出してはならない。
コゴール砂漠からアスピオだと、地図上では遠いように見えてそうでもない。この世界は球体をしていて、地図の左端と右端は繋がっているからだ。
バウルが飛べばあっという間で、岩窟の街アスピオに辿り着いた。
ジーンも、アスピオに足を踏み入れるのは初めてのことだ。陰気な街、というのが第一印象だった。
「そうだジーン、興味があるならその辺の本勝手に読んでって良いわよ。
「なんで私?読んだって分からないわよ」
「そ、ならいいわ。好きにしなさい」
特に食い下がらず、リタは自分の家に戻っていった。エステルとパティもそちらに向かうらしい。
一方、
それぞれがそれぞれにケジメをつけるとカロルは言った。全員に非がある。頼らなかったこと、頼られない人間だったこと、大事なことを話さなかったこと。バラバラだった彼らは、もう一度ギルドとして出発することを決めた。
「んで、ジーンの依頼の話か」
「あれ、ジーンちゃんなんか依頼するようなことあったの?」
「そうだユーリ、いいこと思いついたわ。私は手持ちが少ないけど、レイヴンに出させれば良いんじゃない?」
「ジーンちゃん?おっさん何も聞いてないんだけど?」
「大丈夫よ、レイヴン。あなたはガルドだけ出せば良いから」
何も大丈夫ではない、と全身で主張しているレイヴンは無視しておく。
「ユーリ、何か仕事受けたの?」
「まあ、な。簡単に言やあ、俺らに同行するって依頼だ」
「え?でも、着いてくるだけなら何も依頼って形じゃなくても良いんじゃない?ボクらが何かするってわけじゃないなら報酬は貰えないよ」
「他にしたいことがあるから依頼したんじゃなくて?」
したいことも何も、ユーリの押し売りなのでジーンに依頼など無い。名目上は『ユーリたち相手に立ち振る舞いの練習をすること』らしいが、ユーリはそれをこの場で言わずに誤魔化した。
十中八九ここにレイヴンがいるからで、ジーンはその気遣いに乗るしかない。
「そんな大層な目的じゃないわ。食事は作ってもらうことになるから、迷惑料だとでも思って」
「ジーンちゃん、その迷惑料他人の財布で払おうとしてない?」
「あなたの方が必要でしょう、迷惑料」
「ぐはっ、どういう意味よそれ!?」
「胸に手を当てて考えてみなさい。何か文句がある?」
ジーンがかける迷惑というのはレイヴンがかけたものと同義みたいなものだから、問題ないだろう。
「じゃ、俺らはそのアスピオにいるっていうクリティア族探しだな。アンタらはどうする?」
「リタちゃんの家に置かせてもらおうかな。新生
結局、自分で決めた生き方の通りに生きられるのか、というのが帝国の管理下から抜け出した人間の主題になるのだろう。
「ジーンって無所属だけど、結構ギルドっぽいよね。誓いのこととか。やっぱダングレストに長くいるとみんなそうなるのかな」
「ドンを見ていたら、じゃないかしらね」
「……そっか。そうだよね」
頑張ってね、と最後にまた声をかけて、街の中に入っていく。
無所属。浮雲ジーンは一般的にそう周知されている。
口さがない者はジーンは体でドンに取り入っただとか、レイヴンの愛人だとか、それはもう勝手なことを噂しているらしい。そうした下世話な話はそもそもジーンが環境音の如く遮断しているので、一々顔を真っ赤にして反論しているハリーを見かけた時くらいにしか実感することはないけれど。
ともあれジーンは『ギルドに所属したことのない半端者』で、レイヴンは『ドンの懐刀』なのだ。お互いがお互いをその認識のまま、そうではないと知りながら長い年月を過ごした。
「まだ残ってるのかしら?」
今度はジーンが、数段飛ばしの質問をした。前後の文脈を無視して、ジーンもレイヴンも知るはずのない話をする。レイヴンのものと同じく、答えの分かりきっている質問だった。
「……嬢ちゃんたちの話なら、そりゃ魔導士少女の家にはいるんでないの」
「……そうねえ。きっと家に
同じように、レイヴンは話をすり替えて毒にも薬にもならない返答を寄越した。訂正することなく、ジーンは別れ際に聞いた道を進みながらリタの家に向かう。
このモラトリアムのツケを、ジーンもレイヴンもいずれ手痛く支払わされるのだろうと感じながら。