明星に誓って   作:テロン

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連れてって

 

 

 

 

 ミョルゾの街の空き家。エステルを除いた一同は浮かない顔で体を休めていた。

 

 無理もないだろう。エステルが力を使っても世界に影響が出ないようにする方法を探して辿り着いたのが、かつて満月の子のその命でもって世界の歪みを正したという歴史だったのだ。

 

 何もかも無意味なのではないか。そんな考えが、口に出さずとも全員の頭に過ぎったはずだ。

 それでも、彼らはそこで諦めるような人たちではなかった。だからこそこの旅があって、そうなったからこそ、ジーンは彼らに同行しているのだろう。

 

「リゾマータの公式よ。消費したエアルを還元する方法さえ見つかれば、絶対になんとかできるはず」

 

 確か砂漠で聞いた話だった。話半分で聴きながら、ジーンは奥に備え付けられている大きめの寝台に腰を下ろす。

 

 顔色が悪い、と労わるようにパティとラピードが寄り添うように近付いてきた。周囲に悟られるほどだとは思っていなかった。体調が悪いというより他に気を取られているからだが、向けられる気遣いは素直に受け取っておこう。

 

「んでもそれって、世界中の学者たちが見つけられてない方法なんでしょ?どうやって見つけるつもり?」

「それは、これから考えるのよ」

 

 雲をつかむような話だ。天才と呼ばれるリタならいずれやり遂げるのかもしれないが、それがいつの話になるかは分からない。

 

「ジーン、アンタだって完成図は想像つくでしょう。現物だって実在してる。不可能じゃないのよ、不可能じゃ……」

 

 現物というのは、デュークの持つ剣のことだ。けれど、物があるからといって再現できるかは別の話。手元にあるわけでもないし。

 

「あー、ジーンちゃんは今日疲れてるみたいだし、寝かせてやってよ」

「それは……。まあ、今日は色々あったし、今から手伝えなんて言ってないわよ」

 

 おっさんにはついていけないね、とボヤいてレイヴンは家を出て行った。

 

 ミョルゾは空中の街だ。外に出たって外界とは寸断されている。その漠然とした閉塞感は、現状にも似ていた。

 これからどこへ向かうか、何をするか、具体的な話に入って意見を出し合っていくユーリたちを眺めながら、ジーンは悟られないように息を吐く。

 

 タムリミットだ。そんな予感がする。

 この世に許される停滞は極僅か。足を止めた者から脱落していく。そして、今まさに立ち止まった者は、背後に迫っているものに気付かない。

 

 今一度、目を伏せてジーンは自分の心の中を探った。頭は冴えているし、落ち着いている。そして、腹の底が酷く重かった。最悪なコンディションだ。

 

 外に出てくる、と囁いて、ベッドを降りる。気遣うような視線はあるが、止めるものはいなかった。やはり、タイムリミットだ。

 ジーンが協力的で無かったにせよ、彼らは間に合わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたんですか?レイヴ────」

 

 ン、と続く前に彼女の声は途絶えた。

 始祖の隷長(エンテレケイア)の腹の中、かつては客人を迎えていたであろう玄関口で、ジーンは口元を布で覆われ、ぐったりと気絶したエステルを眺めていた。

 

 下手人は進行方向に突如現れたこちらの姿を認め、僅かに瞠目はしたものの、あくまで冷静に事をなすと、エステルの身体を傍らに横たえる。

 流石に投げ捨てるような真似はしなかったが、十分にこちらを警戒してか、その仕草は乱雑なものだ。

 

 重苦しい石の扉の外。絶海を見下ろすだけのそこに、ジーンは一人息を潜めて立っていた。気分転換だ、と言って部屋を抜けてきたジーンは、レイヴンの元に向かったと思われただろう。それも、嘘ではない。

 そろそろだろうと思った。ここだと思った。だからジーンはユーリに着いてきて、ここにいる。

 

「仕える国の姫に対する扱いじゃないね」

 

 レイヴン、と先程は最後まで呼ばれなかった名前を口に出した。同時に両手を広げて頭の左右に掲げておく。

 敵意はない、とだけは伝わったのか今にも振り抜いてきそうだった短刀に添えられた手は動かぬままだ。もちろん、直ぐにでも抜けるよう臨戦態勢ではあるが。

 

「何のつもりだ」

「何のつもり、ねえ。本来なら私の言葉だよ、それ」

 

 軽く笑って見せても、その男はピクリともしなかった。ただ冷静に、冷酷にこの場をどう処理すべきか考えているのだろう。

 見たことのない表情だった。普段の軽薄さはなりを潜め、冷徹な色だけが残っている。ジーンは、見たことのないはずの表情だった。

 

「昔、凱旋しているところを遠目で見た事があるよ、あなたの事。あなたも、私が見ていたの、気付いてたでしょ」

 

 帝国騎士団隊長首席。騎士団長アレクセイの懐刀。平民出身の騎士。人魔戦争を生き残った英雄。表舞台には滅多に表れず、経歴の一切が謎に包まれた最高の騎士。

 

「シュヴァーン・オルトレイン」

 

 それが五大ギルド天を射る矢(アルトスク)幹部、レイヴンの正体であると、ジーンは知っていた。

 騎士団長の手先としてユニオンに潜り込み、今や皇室の姫であるエステルを主人に献上しようとしている裏切り者。ドンが死んでからは機会を窺うためだけに旅に同行していた大嘘つき。

 

 知っていた。絶対に着いてくるはずだと知っていて、ジーンはユーリの手を取ったのだから。

 

 ジーンが知っていると、彼だって知っていたはずだ。ジーンが口にした真実が、レイヴンの表情を動かすことはない。

 倒れ込んだエステルを一瞥して、ジーンは微笑んだ。

 

「あなたの主人にその子を連れて行くというなら────」

 

 ──許さない?

 ──止めてみせる?

 ──私を倒してからにしろ?

 

 じわじわと男の腕に力が入っていくのを感じる。

 ジーンが何を言おうと、彼はこの胸を一突きで無かったことにできる。両手を掲げたままのジーンはそれを防げないだろうし、万が一なんとか生き延びたとしても、それで見逃すような甘い男じゃないと知っていた。

 

 けれど、ジーンの最期の一言を聞かずに切り捨てるほど非道な男ではないとも知っている。だから、ジーンは生唾を飲み込んで、こう言うのだ。

 

「私も連れて行って」

 

 たっぷりと間があいて、男は怪訝そうに身体を強張らせた。

 

「別に、理由はなんでもいい。手土産でも、肉壁でも、なんならもう、死体としてだっていい。連れてってくれるなら、それまではあなたの仕事がちゃんと熟せるように手助けだってしてもいい」

 

 だからお願い、とジーンは貼り付けたような満面の笑みでそう言った。

 

「連れてって」

 

 思えば、ジーンはいつもこの男に頼みごとをしていた。

 外に行くからついてきて、喉が渇いたから水を取ってきて、足が痛いからおんぶして、謝りに行くからついてきて、術を覚えたから評価して。

 

 その度に面倒くさそうな顔をして、その辺を通りかかった人になんとか押し付けようとして、すげなく断られて、明らかに消沈してジーンを怒らせるのだけど、だけど、最終的にはいつもハイハイと適当な態度で付き合ってくれた。

 

 でも、仕事に行くと言って去って行くこの人を、呼び止めた事はなかった。

 明日には帰ってくる?と聞いた時に、答えてくれたこともなかった。

 

 レイヴンはジーンの世話係だった。それだけだ。腹の内を語らずその関係だけのまま八年が経った。

 

「自分が何を言っているのか、理解しているのか」

「もちろん」

「あの方は、お前に興味などない。邪魔な荷物を持ち歩く趣向もない」

「無茶なのはわかってる」

 

 駄々を捏ねたのは初めてかもしれなかった。

 

「でも、これが最後だから」

 

 多分、彼は何故ジーンがここまで頑ななのか分かっていない。

 ジーンがレイヴンと名乗る男の素性を察していることも、なんなら今夜の逃亡劇に勘付くかもしれないことも、きっと織り込み済みだったろう。けれども、今まで見て見ぬ振りを続けて──あらゆることに目を瞑ってきたジーンが、自分から飛び込んでくるとは夢にも思ってなかったに違いない。

 

 確かにジーンが本気で気配を消せば、彼でも察知するのは難しかっただろう。けれど、待ち構えるジーンを目にした時の驚愕は、微塵もその可能性を想定していなかったと示している。

 

「最後?」

 

 訝しげな声にジーンは頷いて、掲げていた両手を下ろした。反射的に引き抜かれた短刀に自嘲する。

 

「だから嫌だったんだよ。何もかも私ばっかり」

 

 一歩足を引けば、空中に突き出た玄関口から踵の半分が飛び出した。途端に背中を冷えた気流が通り抜ける。

 

「おい」

 

 どこか焦った声に聞こえるのは願望だろうか。この世のどこにも希望はありません、みたいな瞳の男がこちらに一歩踏み出した。

 

「あなたがレイヴンをやめるんなら、私にはもう生きてる理由がないから」

 

 だってあなたたちが言ったんだ、とジーンは心の中で舌を出した。

 

 ドンと、君が。生かすと言ったのだ。だからジーンは生きている。

 

「見られちゃ困るでしょ、シュヴァーン・オルトレイン。連れてくつもりがないならさっさと処分なさい。あなたは知らないかもしれないけれど──私、別に死ぬのはいつでも大歓迎なのよ」

 

 どっちつかず、と吐き捨てて、ジーンは床に残っていた片足を踏み切った。

 エンテレケイアの腹の中へ、遥か上空の雲の中へ、遠く霞む海面に向けて────。

 

 甲高い金属音に、ジーンはゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────ンの馬鹿!!」

 

 ぐん、と身体を引き上げられる。浅黒い男の手だ。誰かなんて、わかりきってるけど。

 

「馬鹿はそっちでしょ」

 

 力強く引き上げられて、床に転がされながらそう言えば、目線スレスレに短刀が突き刺さった。

 

 こういうパターンの説教は久しぶりだ。

 

「別にそのまま刺しても良かったのに。脳天ズブッと。一瞬で死ねる」

 

 初めて会った時とは逆の体勢だった。レイヴンがジーンに馬乗りになって、あの時と同じ短刀を握りしめている。

 

転送魔導器(キネスブラスティア)を作動させろ」

 

 言葉を交わす気は無いようで、レイヴンは短く言うと仰向けのジーンに向かっていくつかの部品をばら撒いた。その辺に転がっていた魔導器(ブラスティア)のものだろう。

 

「何処へ?」

「コゴール砂漠。艦隊が接岸できる……」

「あなたが死んだ場所ね」

 

 今度こそレイヴンが目を見開いた。

 ジーンは、この顔を知っている。八年前、ドンの命を狙ってユニオン本部に忍び込む前から、テムザから伸びる死体の道を、目の前で愛する人を失った男の顔を。そこで死んだ男のことを知っている。

 

「お前、一体……」

 

 答えずに、ジーンは転がされたまま片手で魔導器(ブラスティア)の術式を調整した。簡単な仕事だった。それが人殺しのための動作であれば、ジーンはなんでも上手くやった。

 そういう、クソみたいな人間だからだ。

 

「……武醒魔導器(ボーディブラスティア)と武器を全て捨てろ」

「どうぞ、好きに取り上げればいい。面倒だから殺した方が早いと思うよ」

「口を開くな」

 

 眉間に皺を寄せたまま、レイヴンの手が素早くジーンの腕から武醒魔導器(ボーディブラスティア)を抜き取った。続いて腰回りのポーチを外し、唸るように片手を腹に添える。

 暗器のように、ジーンが身体中にダガーを仕込んでいることを知っているからだ。

 

「脱がせ方を指導した方が良いかな?」

「今、ここで。この街にいる人間を全て殺せと言ったら、出来るか」

 

 ジーンの戯言など何も聞いていないかのようだった。それでも構わない。ジーンの目的に、それは含まれていない。

 

「出来る。それがあなたにとって必要なら、簡単なことだ。一時間も要らない」

「後悔するぞ」

「言ったでしょう。私は受けた依頼を完遂しようとしているだけ。あなたが必要だと思うなら私は生きるし、不要なら死ぬ。必要なら殺すし、そうじゃないなら殺さない。言って、レイヴン。あなたには何が必要?あなたが()()()ためには何をすれば良い?」

 

『仕事だ。生かしてみろ』

 

 ドンから最初に受けた依頼だ。あの時ドンはレイヴンに向けてジーンを生かせといった。そう、彼は受け取った。けれどジーンだけは知っている。ドンはジーンに向けて、この()()()()()()()()と言ったのだ。

 笑っちゃうぐらい難しい依頼だった。ドンですら達成出来ずに死んだ仕事だ。一度死に、死んだままで生き続けている男を生き返らせろというのだ。同じように死んだ身のジーンには、酷く難しいことだった。

 

 だから、まずは普通の人間のように生きていこうとした。ジーンが生きていれば、自分もそうなれると伝えられる気がした。不殺の誓いは決してそれだけのためではなかったけれど、ジーンの生がその為であったのは確かだ。

 

 ジーンはドンに会って変わったんじゃない。ジーンを変えたのはレイヴンだ。ドンはそうなると思って、ジーンにレイヴンを見せたに過ぎない。

 この死んだ目をした男に会って、ジーンは変質した。望んだ自分を演じて生きる羽目になった。地獄のような日々で安寧を()()()

 

 人を殺さずに、生きてきた。

 

「無駄なことを……」

「無駄かどうかは私が決める。私は()()()に救われた。これはその恩返しだよ、レイヴン。もう一度だけ言っておく。あなたはレイヴンだ。そういう自覚があるなら、もうレイヴンなんだよ。嘘だって偽物だっていいじゃない。ここに一人、あなたをレイヴンだと思ってる人間がいるんだから」

 

 瞳の奥の空洞が揺れていた。死んだ人間のそれだ。

 

『だから、人間を好きになることはない……。もしかすると生きた人間を、かもしれぬな』

 

 パティの言葉は本質を突いていた。ジーンが安堵するのは死体の前でだけだ。生きて動いている人間を、ジーンは愛せない。そういうふうに、歪んでいた。

 

 死んだ人間は殺せない。単純な理屈だ。だからジーンは、この男の瞳の奥の空虚さに救われたのだ。この男はジーンには殺せない。ジーンはレイヴンに殺意を抱かない。

 レイヴンの前では、ジーンはただの人だった。

 

 己の命を賭けるには、充分過ぎる理由だ。それが例え死体を生き返らせることであっても、やってみせよう。彼はジーンとは違って、ちゃんと生きていける側の人間なのだから。

 

「……なら、殺してくれるか。それで死ねたら、俺は、生きてたってことだ…………。お前に俺がレイヴンに見えるんなら、その姿のままで」

「…………」

 

 答えないジーンを前に、レイヴンはゆっくりと顔を両手で覆った。そうした弱さを、ジーンは見たことがなかった。見たかった気もするし、そうでなかった気もする。

 

「全く、自分がどれだけ酷いことを言っているのか、自覚あるのかなあ」

 

 笑いながらジーンはレイヴンの顔に向けて手を差し伸べた。何をするつもりだったのか、自覚はない。ただその手が届く前に。

 

「っづ!?」

「ジーン!」

 

 痺れるような痛みが全身を襲った。発生源はすぐに分かった。エステルだ。気絶したままのエステルから、赤く光る稲妻のようなものがジーンを断続的に襲う。

 

「何が……!?」

「伏せてレイヴン!転送魔導器(キネスブラスティア)が!」

 

 発動している、と警告する隙もなく、周囲は光に包み込まれていった。

 

 

 

 

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