明星に誓って   作:テロン

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死ぬに死ねなくなる

 

 

 

 

 アレクセイの去った直後、コゴール砂漠にて。

 

「生きてる」

 

 ポツリと呟いて、ジーンはその場に崩れ落ちた。それを安堵と呼ぶのだと、今度はジーンも知っていた。

 

「そう、ねえ……。ったく、無様に生き返っちまった」

 

 サクリと砂を踏みしめる音とともに、俯いたジーンの体に影が落ちる。嗅ぎ慣れた匂いと、一定の拍動。

 

「おっと」

 

 機械的な。

 落ちていたダガーを拾ってその心臓に叩きつけるまで、レイヴンは動かなかった。叩きつけた後も、へらりと笑っている。

 

「相変わらずねえ、ジーンちゃんは」

 

 ガチリ、と刃先が何か硬いものの表面を撫でて、それ以上は進まない。胸元の服を切り裂けば、秘されていたものが露わになっていく。

 ジーンはずっとこうしたかった。これを見たかった。けれど、それはジーンとレイヴンの関係からは逸脱した行為だった。

 

「ご想像の通りだ。なんでか知らんがお前さんが知ってる通り、自前のは十年前に無くした」

 

 それは魔導器(ブラスティア)だった。心臓の代わりに埋め込まれ、放射状に伸びた足が肉に食い込んで一体化している。

 死んだはずの人間を十年動かし続けてきたもの。

 

「笑ってんじゃねーよ。心臓狙われたら反撃しろ」

「殺せない癖になーに言ってんだか」

 

 剽軽な声を作りながら、表情ばかりが追いついていなかった。ジーンも似たようなものだろうから、その歪な笑みを指摘しない。

 

「試してみるか?ん?」

「煽るな、殺したくなってきた」

「とか言っちゃって、できない癖に〜。あら?でも今俺様生き返っちゃったわけだから、殺せるってことなのか?」

「少し黙って。……最悪だよ、レイヴン」

 

 いくつかの言葉にならなかった切れ端を押し流すように息を吐いて、ジーンは「殺せるわけないでしょう」と呻いた。

 

「あなたが死ぬと、非常に困るんだ、私」

「例えば?」

「死ぬに死ねなくなる」

「……ありゃ、逆じゃなくて?」

「そういうの、自意識過剰っていうんだけど、知ってる?」

「うん今、すっげえ恥ずかしい」

 

 くすりと笑い合って、ジーンはもう一度空を見上げた。砂漠の空だ、かんかん照りで暑苦しい。

 

 この砂漠で、レイヴンは一度死んだ。それを知って、ジーンは以前、砂漠に花を撒き続けた。

 死者を悼む情を持たないジーンは、レイヴンの死だけは悼もうと行動した。

 

「……死なれると困るってのはこっちの台詞なんだわ、ジーン。死ぬのは大歓迎なんて、もう言ってくれるな。俺がジーンちゃん生かすのにどんだけ苦労したと思ってんの」

 

 心労が乗り過ぎた声だった。馬鹿なことを。

 

「あなたがいる限り、私は死ななかったけどね。何もしなくても」

「ちょちょちょい、あれ全部無駄だったってこと!?」

「無駄ってことはない。私は嬉しかったから」

「もー…………」

 

 溜息を吐きながら、レイヴンはジーンの前に腰を下ろした。

 知らないうちに頬を伝っていたものを羽織の端で拭って、「これも褒められたことじゃないんだけどねえ」と呟く。どういう意味かは身に染みている。

 

 生き残る、予定ではなかった。

 

 ジーンが何を考え、何のために、どんな思いでこうしたのか。ようやくレイヴンに伝わったのだと思えた。伝わったことを、彼が隠さなくなったのだ。

 

「ジーンちゃんこそ、まだどうして人魔戦争に詳しいのかとか、魔導器(ブラスティア)なしで術が使える理由とか聞いてないんだけど?」

「おおすごい、本当に私の考えを読めてる。大丈夫か?あんまり共感すると足を踏み外すぞ」

「伊達に八年も保護者やってないって。で?お返事は?」

 

 答えを急かされて、ジーンは気負うことなく頷いた。もう隠すものでもない。

 

始祖の隷長(エンテレケイア)を殺した報酬だ。それか、呪いか。ま、どっちでもいいか。同じことだ」

「どゆこと?」

 

 当然の疑問に、ジーンは長く伸びた自分の髪を一房摘みあげる。白銀に輝くそれは、ジーンの罪の象徴だった。

 

「記憶と、少しの力を受けた。私の髪、元はこんな色じゃなくて、もっとグレーだったんだ。それこそ、ユーリのと混ぜたような」

「へえ、灰色のジーンちゃんねえ……」

「それがこうも真っ白になったのは、一部だけでも始祖の隷長(エンテレケイア)の力を受けきれなかったからだと思ってる。実際、殺した直後はともかくそこから一、二年の記憶がほぼなくて、気付いたらこうなってた。だがその甲斐あって、私の骨肉は一時的に魔導器(ブラスティア)の代わりを果たす」

 

 あくまで一時的なものだ。加えて、副次的な効果でしかない。受けたものの本質は、魔術的素養ではないはずだ。

 

「多分、あなたの魔導器(ブラスティア)と現象は一緒。生命力を消費して術技が放てる」

「だから一時的か。なるほどなあ」

「どっちかというと、魔術とか、エアルについての理解が増した方が大きな恩恵かも。エアルの濃淡とか流れが多少は分かるし、そのおかげで魔術が使いやすい。習得が早いのもこのおかげ、だと思う」

「曖昧ね」

「だって私それまで魔術使ってなかったし。というか魔導器(ブラスティア)も持ってなかったしね」

「そういや、ドンのこと殺しに来た時も魔導器(ブラスティア)無しだったか」

 

 ドンに拾われてから手にした武醒魔導器(ボーディブラスティア)に、初めて刻まれたスキルが『1ダメージ』だったことは言うまでもないだろう。

 それでもジーンは魔導器(ブラスティア)を使うことに恐怖を覚えていた。人を殺すのに凶器も強力な技もいらないとよく知っているからだ。例えチクリとした痛みであっても、当たりどころ、刺さりどころが悪ければ人は簡単に死ぬ。

 

「そんで、記憶ってのはその始祖の隷長(エンテレケイア)の、よね。なんとなく想像がつくんだけど、ジーンちゃんが殺した始祖の隷長(エンテレケイア)って……」

「名前はエルシフル」

 

 それだけ先に告げて、ジーンは目を伏せた。

 

「人魔戦争を終わらせた始祖の隷長(エンテレケイア)。このコゴール砂漠で『暗きもの』を討伐し、後に守ったはずの人間によって暗殺された」

 

 それは帝国がひた隠しにしていた人魔戦争の真実だ。

 一般人が知る由もない話。

 

 人魔戦争は人と始祖の隷長(エンテレケイア)の戦争であり、人側についた始祖の隷長(エンテレケイア)がおり、けれど終戦後その力を恐れた帝国は偉大なる始祖の隷長(エンテレケイア)を謀殺した。

 

「レイヴン、あなたを殺した始祖の隷長(エンテレケイア)が死ぬところを、私は見た。胸に穴の空いた青年騎士の死体を、私は見た。空を飛び、テムザの山から転々と連なる人と魔物の死体を眼下に見下ろした。誰もかれもが、死んでいたよ」

 

 それだけの、一時間にも満たない記憶だった。それを知っていたから、ジーンはレイヴンと会った瞬間に、レイヴンが死人であることに気がついた。

 

 レイヴンの口から、呻き声とも悲鳴ともつかない声が漏れる。顔を覆い、砂漠に膝をつく姿は、十年前にこの砂漠で果てた青年のものだった。

 深すぎる傷があった。そうした心の傷を癒す術を、ジーンは持っていなかった。

 

 血濡れた手では何をすることもできなくて、ただその慟哭を聞き届ける。あれから一度も吐き出すことの出来なかったものだろうから。

 

「あなたに会って、この場所を一度自分の目で見に行った。殆ど砂に覆われていて何も見つけられなかったけれど……。これだけ、渡しておく」

 

 小ぶりな、女性のものだろうコンパクトだった。魔物の巣に紛れていたそれを見つけた時、持ち帰らなければならないと強く感じた。テムザの街の住民のものだったかもしれないし、行商人の落とし物かもしれなかった。レイヴンの知り合いのものかどうか、保障など全くなかった。

 それでもジーンは巣穴の魔物を殺し尽くしてコンパクトを持ち帰り、今の今まで隠し持っていた。死人に渡すものではなかったからだ。

 

 受け取ったレイヴンは目を見開いた後、固く瞑って沈黙した。

 

「あれ、相当強力な始祖の隷長(エンテレケイア)だったでしょ。始祖の隷長(エンテレケイア)に序列があるんなら、かなり高位の。よく、フェローに殺されなかったな」

「ベリウスにもだよ」

 

 数分が経ち、襲った衝動をやり過ごしたレイヴンの問いに静かに同意する。

 

「デュークにも、だ」

「そうだね。彼はエルシフルの親友だった。ふと気が変わって殺される可能性は大いにある」

「あれから庇うのは無理だって……」

「庇ってくれなくて結構。なんでそういう話になるのよ」

 

 だって、と駄々っ子のように続けようとしたレイヴンは、ピタリとその口を閉じた後に静かに笑う。

 

「じゃあ、どっか遠くに逃げる?」

 

 二人で。

 

 咄嗟に言葉が出てこなかった。逡巡したのは一秒か、二秒か。

 考えがまとまる前に、レイヴンはまた普段通りの軽薄な笑みを浮かべた。

 

「嘘嘘、冗談。さーて、青年らにやったことの申し開きはしなきゃねえ。嬢ちゃんも何処に連れてかれたんだか。俺はなーんも知らされてないからなあ」

「……ヒピオニアのどっかでしょ。エゴソーの森で親衛隊が動いてたし」

「あーあれ、結局何してんのかと思ってたら、奴さんら始祖の隷長(エンテレケイア)に喧嘩売るつもりか」

「エステルがいる今、始祖の隷長(エンテレケイア)を殺すのは簡単でしょうね」

 

 どうしようか。レイヴンの言う通りユーリたちの前にノコノコ戻って許しを請うか。その前にエステルを取り戻すか。その為にアレクセイを、殺しておくか。

 

 思案したジーンの手が取られた。もちろん、レイヴンにだ。握手の形ではなかった。掌を開いて眺めるようにしてから、何か大事なものでもあるかのように額に擦り付ける。

 

「なーに、レイヴン」

 

 儀式のようなそれを終えて、レイヴンはジーンの小指に自分のそれを絡み付けた。指切り、というやつだ。

 

「もう、殺してくれるな。ジーン」

 

 あまりにも苦しみの混じった、笑顔だった。

 アレクセイを殺そうとしたジーンを止めた、その矢先に乗っていたものだ。鳥に向かって飛ぶなと言うような、魚に向かって地上に上がれと言うような。言われたのはジーンだというのに、レイヴンの方が耐え難いと雄弁に語っていた。

 

 そこには後悔があった。ジーンがこの砂漠で殺した三十余りの騎士に、アレクセイの手先として動いていた赤眼の暗殺者たち。

 彼らの命を悼むでもなく、ただジーンの為の言葉だと、理解は出来た。

 

 人を殺すな。これ以上罪を重ねるな。

 

 それは、無意味だ。

 

 殺しても殺しても、それで人間が滅びるのではないのなら、蛆の如く人間は沸き続けるのなら、無意味だ。

 

 かつて人を絶滅させんとこの砂漠で猛威を振るった始祖の隷長(エンテレケイア)は倒された。人を滅ぼす意志のある始祖の隷長(エンテレケイア)はもういない。あの人智を超えた力が振るわれることはもう無く──。

 

 全て、無意味だ。

 

「だから不殺の誓いを続けろって?」

「名目なんかなんでもいいさ。ただ、ジーンちゃんには人を生かす道を選んで欲しい。俺にそうしてくれたみたいにね。俺も……手伝うからさ。旅について来いってんならそうするし、代わりに戦えっていうならそうする。これまでみたいに好き放題わがまま言えばいいし、苦しくなったり自罰が過ぎるようでも見といてあげるからさ。そんで、もうどうにも殺すしかないやって時がもし訪れたら、そん時は俺を呼べばいい」

 

 勝手にジーンの小指を揺らしながら、レイヴンは「そういう報酬でどう?」と目を細めた。

 

 レイヴンが、ジーンの目を真っ直ぐに見ている。もう後ろめたいことも、隠しておきたいこともないからだ。こうなって欲しかったのに、彼がもうジーンには届かない星空の一つになったようで気が咎めた。

 今更か。

 元々ジーンは彼に、空を見ていた。

 

「俺はもう、レイヴンでもシュヴァーンでも、ましてやダミュロン・アトマイスなんていう貴族の放蕩息子でもない。けども、面倒なことにどれも全部俺だ。お前さんが俺をレイヴンだと言うなら、それが俺なんだろう。じゃあジーン、お前もちゃんと俺の知ってるジーンとして生きてくれ」

「馬鹿なこと言わないでよ」

「最初に馬鹿なことしたのはそっちでしょ。こんなおっさん捕まえて、生き返らせちまって。あーあ、ただでさえ生きるって大変なのになあ。今更それを俺にやれって言うなら、その責任はジーンちゃんもとってよね」

「ほら、馬鹿なこと言ってる……」

 

 結局。ジーンは、この嘆願を呑むのだろう。

 きっとレイヴンが何を言ったってジーンは頷くと思う。でもそれではあまりに癪だから、「私ギルドの人間じゃないし、依頼は受け付けてないよ」と流してみる。

 

「依頼ィ?ああまあ、そうなるか」

 

 レイヴンは目を剥いてから即座に納得する素振りを見せた。そうじゃなかったらなんなのだ。

 

「でもジーンちゃん、無所属じゃないっしょ。悪魔の囁き(デビルズエンド)……は暗殺ギルドだしドンが潰しちまったから置いといて。ギルド花精(ティターニア)の足跡()()、浮雲ジーン」

 

 微笑んで、ジーンは負けを認める前にたっぷりと時間を使って咀嚼する。

 

 ジーンは確かに、過去二つのギルドに所属していたことがあった。

 一つは言われた通り暗殺ギルド。顛末も知らなかったから、ジーンはアスピオで「まだ残ってると思う?」なんて聞いたのだが、レイヴンが言うにはとっくに潰されていたらしい。

 手当たり次第に殺していたジーンに偶に依頼を投げていただけで、連絡員も殆ど殺してしまったし所属していたと言えるかは微妙だ。

 けれど、もう一つは確実に。

 

 浮雲ジーンはどんなギルドにも所属しない。それはドンとの出逢いを経たジーンの決め事だ。

 ジーンはギルドとはどういうものかをよく知っていて、そうであるが故にギルドから距離を置いていた。

 

 花精(ティターニア)の足跡。ジーンがダングレストに来たばかりの頃に初めて所属したサーカスギルド。ジーンの在り方を決定づけたギルドでもある。

 ジーンはそこで、人としては一度終わった。とうに消滅したギルドだ。

 

「…………。あなたも結構、細かく調べてるわよね……」

「俺様の経歴マルっと全部把握してるジーンちゃんには言われたくないわ〜」

「だとしても私、首領じゃないし。いち構成員だったんだから」

「んでももう一人も残ってないっしょ?なら浮いた名前は好きに使えばいい。ま、気に入らないなら新しく立ち上げたって良いでしょ。どうあれジーン、お前もドンの元でギルドを学んだ人間の一人だ。一度掲げた理想は死ぬまで貫き通さなきゃな。幸か不幸か、俺たちは生きてるんだから」

 

 生きている。ジーンはまだ、死んでいない。

 死んでいないことを生きていると言うのなら、ジーンは生きていた。けれども、生を渇望することを生きていると呼ぶのならジーンは生きていない。

 

 ずっと、死ぬに死ねないのだ。死ねないが、生きてもいない。

 

「……そうやって生きていくなら、私にはまだ果たさなきゃならない責任と権利が残ってる。生きている限り、私につきまとうものだ」

 

"あなたには権利があります"

 

 ジーンがこの手で殺した始祖の隷長(エンテレケイア)の言葉。

 権利、ないし義務。もしくは呪い。

 生きて行く限りのしかかるもの。現実になるとは思っていなかったもの。

 

「それは俺の言葉と矛盾する?」

「……どう、かなあ。その時になってみないとわからない」

「ならいいでしょ。そん時になったら教えてよ」

「いつになるか分からないのに?」

「それが何か問題?」

 

 む、と口を噤んでから、ジーンは溜息混じりに首を振った。

 

「……それじゃ、今できることからか。生かさなきゃならない子たちがいる。そうでしょう?」

 

 指切りを切って、ジーンはその場に立ち上がった。斑に血に染まった服をそのままに、遥か東方、ヒピオニア大陸に向かって息を吸う。

 そこには海があった。青く青く広がる海が、ジーンたちを待ち受けていた。

 

「で、船ないけどどうやって行く?」

 

 

 

 

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