明星に誓って   作:テロン

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SHOW TIME

 

 

 

 

「死んでる人間も死ぬんだね」

 

 呟く。海水に半分浸かったような廊下の途中。

 

 壁に寄りかかったジーンは、飛び交う剣戟の光をぼんやりと眺めていた。

 

 ザウデ不落宮の深部。アレクセイを追いながら侵入者避けの複雑な構造を突破する道中、奴に付き従うイエガーは、足止めとしてその姿を見せた。

 この計画さえ完遂すれば、アレクセイの悲願は達成される。つまり、ここに残されたイエガーは捨て駒だ。本人も、重々承知だろう。

 

 あと数撃だ、と悟ってジーンの指先が空中に簡単な術式を描いていく。

 使い慣れたものだ。わざわざこうして描かなくても、指一つ動かせば発動するレベルの。

 

 小さな傷を癒す治癒術。それだけで命を繋ぐにはあまりにも頼りなく、それでも癒しの術であることには変わりない。

 

 発動準備を終え、薄青く輝く陣に体力が吸い取られていった。

 

「ファーストエイド」

 

 馬鹿なことをしている、との自覚はある。それでも、水を基礎とした魔術がイエガーの頬についた切り傷を瞬時に治した。

 

 それだけだ。

 

 また一人、死んでいく。

 

 露出した胸元から、レイヴンと同じ心臓魔導器(カディスブラスティア)の光が覗いた。明滅し、消えて行くその灯火をジーンはジッと見つめる。その口元が、ジーンの治癒術の分だけ億劫そうに動いた。

 

「───────」

 

 良い眼をしている。

 

「─────」

 

 人殺しの眼だ。

 

 きっと、そんなことを言っていた。

 

 虚ろに宙を見つめたままの瞳を、誰かの手がそっと閉じる。

 

 壁の冷たさを感じた。グローブ越しなのに、氷水に手を差し入れた気分だった。

 ジーンが殺してきた人間たちも、刃をその身に受けた瞬間は同じような冷たさを感じたのだろう。死んでいく瞬間は、とても冷たいものだ。

 

 カツリと硬い足音をわざと響かせて、浅黒い手が差し伸べられる。

 

「ごめん、今何か言った?もう一回、お願い」

「……死んでるやつは死なないから、治さなくたって良いんじゃないの」

 

 多分、そんなようなことを言った。

 

「でも、死んだじゃない」

 

 一つ一つ、己を殺して行く。信じていたものを突き崩して行く。

 

 死ななかった筈のドンは死を選び、不殺を誓った筈の手を血で染め、死んだ目をした男を生き返らせ、少女の生を選んで。

 今、死者の死を見届けた。

 ジーンがこの八年で築いたものを壊していく理由が、きっとこの先に待っている。

 

「行こう」

 

 ジーンがどういう人間であるか。

 

 また移動はレイヴンに任せることにして、ザウデ宮内部の作りを眺めながら揺られていく。

 心なしか、王城の造りと似通う部分がある気がした。海に浸かって一千年は経過しているはずの遺跡が、こうも綺麗な状態を保っているというのは不思議な話だ。古代文明がどれだけ高度な技術を誇っていたのかが伺える。

 人の身の丈を超えた力は、それ故に文明を滅ぼした。

 

 そして今、同じことが起きようとしている。

 

 星喰み。

 星を喰らい尽くす災厄。

 

 どのように訪れるのだろうか。宙に開いた穴のような形なのか、大地を削る嵐の形なのか。そんなものを呼び込んでまでアレクセイが成し遂げたい野望とは何なのだろう。かつて清廉な騎士だった男は如何にして歪んだか。

 

 ジーンはそれを知りたいと思った。歪んだものでも、どこまでも歪み続ければいつか見れる形に為る瞬間が訪れるはずだから。同じようにすれば、ジーンもまた別の形になると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……この扉の向こうか」

「降ろして。歩ける」

 

 歩いた距離からして、ちょうど遺跡の中央部分だった。親衛隊の配置からしても、最も警備が厳重で重要だろう部屋。フレンは部下を親衛隊の対処に配置し、その扉の前で待っていた。

 

 レイヴンの背から降りたジーンは、ふらつく足元のまま気絶した親衛隊の一人から剣を奪った。

 両刃の大剣だ。ジーンの体格では帯刀に苦慮するような大振りな剣を、杖代わりに粗雑に扱いながら扉を潜る。

 

「アレクセイ……」

 

 そこはザウデの心臓部だった。掌握するために解析を続けているのだろう。ぼんやりと光る操作盤の明かりが、薄暗い部屋でやけに目立っていた。

 

 足を止めて、緩く首を傾げる。そうして立っているだけのジーンは見えているだろうに、アレクセイは一度睨みつけただけで視線を外した。

 

 いくつかの問答があった。それからまた、戦闘があった。離れたところで剣を突いたままのジーンは、それをずっと眺めていた。

 

 何を望んでいるのだろうか。不思議だ。

 世界を滅ぼしたいという昏い欲を感じない。ジーンと同質でもない。

 それでも意思はある。実現できる力もある。不思議だ。

 

 ズリ、と剣先が嫌な音を立てた。

 

 光が差し込む天井を見上げる。決死の戦闘の中、そこに空が見えていると気付いているのはジーンくらいかもしれない。さっきから少しずつ足場が上昇して、光に近付いている。

 

 一歩、足を踏み出した。重たい剣を引き摺って、動き続ける足場の上に真っ直ぐな線を描く。

 

「ジーン?」

 

 最初、後衛で治癒術を唱えていたエステルの横を通り抜けた。思わず伸ばされた手が届く前に、ジーンは踊るように空中に術式を描いているリタの横を歩いていた。

 

「ちょ、アンタ!」

 

 弓を構えるレイヴンは、大剣を引き摺るジーンには注意を払わなかった。銃を構えるパティがそっと顔を見上げてくる。

 

 立て直しのために後ろに下がったジュディが、ジーンの様子に目を見開いた。

 

 足を緩めることもしないが、剣を構えることもない。

 ジーンは今、殺すためには歩いていない。戦うためにも、歩いていない。ただずっと、アレクセイを見て、アレクセイに向かって歩いている。

 

 もうすぐだ。カロルの重たい打撃とラピードの鋭い斬撃がアレクセイの体勢を崩し、これだけの人数を相手に大立ち回りを演じていた最強の騎士に隙を生じさせた。

 

 戦場を悠々と歩くジーンの前で、ユーリとフレンによる鏡合わせのような剣撃がその胸を十字に斬り裂き、戦いの幕を引く。

 

 同時に、戦場となっていた足場がアレクセイの望み通りザウデ最上部まで上がりきった。あとは頭上に巨大な魔核(コア)を戴くのみ。

 

 戦闘中もずっと進められていたザウデの解析は、この瞬間に完了した。要は時間稼ぎの戦闘だったわけだ。

 まんまと引っかかったユーリたちは、荒い息を吐いたまま心身ともに消耗して膝をついていた。

 

「なんだ」

 

 呟けば、そこでようやくアレクセイは正面にジーンが立っていることに気付いたようだった。胸や口元から血を流し、歪んだ顔のまま苦々しくジーンを見ている。

 

 アレクセイが紡ごうとしている起動の術式は、この距離ならば割り込んで破棄できる。その前に心臓を一突きにすることもできる。

 反面、力尽きたアレクセイは先にジーンを殺すことができない。

 

 だとして、ジーンはそのために歩いてきたのでもなかった。

 

 だってジーンは、もう選んでしまったから。

 

「お前も本質から変わったわけじゃないのか。観察して損した」

「……死人が」

 

 吐き捨てて、アレクセイは無理矢理ザウデの機能に割り込んだ。その力を呼び起こし、思うがままに振るおうと天高く両手が掲げられる。

 

 ズリ、とまた剣先を引き摺った。

 最後の数歩を行くために、ジーンとて相当な無理を重ねていた。始祖の隷長(エンテレケイア)の血を浴びた右腕が、この男を殺してでも止めろと叫んでいる。

 

 無駄なことだ。

 

 ジーンはもう選んでしまった。

 部下を愛した男は、取り返しのつかない過ちを犯してしまった。

 

 誰もが引き返せない道の上にいる。過去は過去でしかない。

 

 不落の名を冠する巨大な魔導器(ブラスティア)が、眩く発光し始めた。

 

「あの時も。こうやって、騎士の剣を引き摺って歩いた」

 

 誰も知らない話だ。

 

 誰も知らないことだが、ジーンはとある夜の話をしていた。

 

 目の前の男がただの帝国騎士団団長であると認識を改めて、ここまでずっと引き摺ってきた大剣を地面に突き刺した。

 抗うようにその柄を握りしめ、荒く息を吐く。全身が引き裂かれそうな痛みが走っていた。今すぐにザウデの機能を正常化しなければならないと、出来もしないことを必死にジーンに訴えかけている。

 

 それでも所詮、死んだものの遺志だ。

 

「サーカスの舞台上で繰り広げられるのは、いつだって喜劇だけ。私は優秀な興行師だよ。だからお前には、ただ真実だけを見てもらう。……死に方くらいは選ばせてやるよ。エルシフルが、死に方を選べたように」

「……エルシフル、だと?そうか、まさか貴様十年前、騎士団が仕留め損ねた奴を殺した……!」

 

 ばさりと、大きな翼を広げた怪物がアレクセイの首を食い千切らんと首を擡げる。ジーンにしか見えていない幻覚か、それともアレクセイにも見えているのか。幻影は、バクンと嘴を閉じると共に消えていった。

 

 生命を慈しむ始祖の隷長(エンテレケイア)だった。

 帝国を恨む態度は最後まで見せなかった。

 

 ただ一つ、ジーンに呪いをかけた。

 

IT'S SHOW TIME(十年越しだな、エルシフル)

 

 ザウデが発する光が示した先の空が、どろりと溶けるように消えていく。

 孔だ。空に、孔が開いた。

 

 一つの透明な膜が、この世界の空をあまねく包んでいた。その孔の向こうに、無数の影が蠢いている。

 本能が警戒を告げる、不気味な気配。

 ミョルゾの壁画が遺したもの。地上を飲み込むうねり。

 

「なんだ、あれは……!」

RADIES&GENTLEMEN(知ってるだろ。あれが、星喰みだ)

 

 とぷりと、蠢く半透明な何かがその身を覗かせた。

 世界を喰らい尽くし、滅ぼすもの。

 こうやって訪れるのか、と感慨深い気持ちになった。あの孔が広がりきった時が、この世の終わりだ。

 

HAVE A GOOD DREAM!(お前が選んで呼び寄せたものだろう?)

 

 高らかに叫んで、小さく花火を打ち上げる。ショーの幕は既に上がった。これはアレクセイが開いた、アレクセイによる、アレクセイのステージだ。

 だが、彼は道化に過ぎず、自分が立っているステージが喜劇か悲劇かも分かっていない。

 

「なんてね。あーあ。望んでいたのかと思っていたのに、蓋を開けてみたらただの勘違いか……」

 

 それが、ジーンの観察結果だった。ジーンにしては珍しく他人の考えを真剣に考察したのに、成果はこれだ。

 彼はザウデのことを、始祖の隷長(エンテレケイア)を屠る武器か何かだと思っていたらしい。では何故始祖の隷長(エンテレケイア)を殺そうと思ったのかといえば、答えは人魔戦争だろう。

 多くの人間が死んだ。人の力では始祖の隷長(エンテレケイア)に敵わないことを知った。そんなところか。

 

 全くもって、愚かしい。所詮、この男もジーンの同類でしかなかった。

 

「お前の声が聞こえないのが残念だ、アレクセイ。自らの手で滅びを招いた気分はどうだ?こちらはいくらか清々した気分だ。私の勝手な思い込みかもしれないが、生憎思い込みで生きてきた身でな」

 

 思い込み。勘違い。盲信。摩擦。崩落。

 

「これはお前たち帝国に背後から刺された始祖の隷長(エンテレケイア)が遺した、最期の恨み節だよ」

 

"あなたには権利があります"

 

 声を覚えている。当時一笑に付した言葉を、捨てきれなくてここまで歩いてきた。

 

"災厄には必ず契機がある。ある人物を殺せば。または生かせば世界が変わる。その場面に、あなたは必ず立ち会うことになる。あなたの選択次第では災厄を呼ぶことも、遠ざけることも出来るでしょう。その分水嶺で、世界をどちらに転がすか。あなたには選ぶ権利があります。あなた次第で世界は滅び、また生き永らえるでしょう"

 

 それこそを、ジーンという存在がこの時代に生まれ落ちた意義だとした。血の滴る剣を持ち、伏した巨体を見下ろす人間に対して、身の丈に合わぬ力と権利を授けた。

 

"その権利をもって、始祖の隷長(エンテレケイア)を殺した人間への報酬とします"

 

 それだけが、死に際の始祖の隷長(エンテレケイア)が発した僅かばかりの悪意だった。一個人の判断に世界の命運を預けた。

 

 そうしてジーンは、始祖の隷長(エンテレケイア)に世界の滅亡を約束された。生きている限り『その日』が来ると、保証されたのだ。

 

 どちらを選ぶかなど、ずっと昔から決まっていたのに。

 

「私はお前を殺さないことを選んだ」

 

 ジーンは不殺を選んだ。選ばされたものじゃない。自分で選んだのだ。

 

「だから滅びるんだ。私が選択した通りに」

 

 ジーンは選んだ。その分水嶺で、誰も殺さないことを。その結果、世界を滅ぼすことを。

 

「……帝国がエルシフルを殺さなければ、この日は長らく訪れなかっただろうに」

 

 ガン、と何かが壊れる音が頭上から響いた。巨大な魔核(コア)を留めていた部品が耐えられなくなったのだろう。

 大剣から手を離して、ふらつくように一、二歩後ろに下がる。あれも聖核(アパティア)だ。ジーンに染み込んだ血の一部が、壊せと囁く。同時に、壊すなと警鐘を鳴らす。

 

 どうだろう。どちらがジーンの本能で、どちらが始祖の隷長(エンテレケイア)の遺志だろう。或いはそのどちらもが。

 

 そっと落下する魔核(コア)に向けて手を伸ばしたジーンの前で、星喰みを呆然と見上げていたアレクセイが、何事かを呟きながら笑っていた。

 

「ジーン!」

 

 ぐい、と身体を引かれる。

 たたらを踏んだジーンを無理矢理担ぐようにして、誰かがその場を脱した。

 誰か、なんて長く伸びた黒髪で分かりきっている。がむしゃらに駆けて最後は地面に飛び込んだらしい。

 

 投げ出されるのと同時、凄まじい音と共に魔核(コア)が背後に衝突した。

 カランと飛んだのは、ジーンが突き刺した大剣の刃だ。つまり。

 

「アレクセイ……!」

 

 その向こうにいた男は、理想と共に潰れていった。それもまた、アレクセイの選んだ道だったのだろう。

 死を前に、逃げなかった。

 

 僅かな望みにかけてか、ジーンをフレンに預けたユーリが突き刺さった魔核(コア)の方へ駆けていく。彼はまだ、選ぶということの本当の意味を知らないからだ。

 

「ジーンさん。ジーンさん?聞こえますか?」

「どこか怪我をしているのかも。見せてください、治療します」

「ほいほい失礼。多分そうじゃなくて……」

 

 ガヤガヤと一気に騒がしくなった周囲とは裏腹に、ジーンの意識は途切れかかっていた。

 十年間、エルシフルから課せられた宿命がずっと頭の片隅にあった。逃げられなくて、見ないふりをしながら、死ぬに死ねずに生きてきた。その瞬間を、もう通り過ぎたのだ。

 

 星喰みは。発動すれば世界の半分くらい消し飛ぶものかと思っていたけれど、そうではないらしい。

 まだザウデの魔核(コア)が壊されず、機能不全ながら結界を有しているからか。

 

 それなら魔核(コア)を壊して仕舞えば、人は滅ぶのか。今からでもザウデを修復すれば生き永らえるのか。

 いいや、もうその段階は通り過ぎている。

 

 これでいい、これで良かった、このためにここにいた。

 

 ジーンは、人の滅びを願っていた。そういうことだ。

 

 それでも、と。

 

 囁くのをやめられないのだ。それでもまだ、落ちきっていない。ジーンと人を繋ぐか細い糸はまだ残っている。

 

 鎧が立てる金属質な足音が、ガチャガチャと周囲を掻き回していく。誰が立てるものか、飛び交う騒音が何を話しているのか、何も分からない。

 

「ユーリ……」

 

 小さな赤子を思い出す。皺くちゃの顔でジーンに抱かれていた。

 

 その命だけは守ろうと、自然に思えるもの。ジーンに残された数少ないよすが。ジーンを人足らしめるもの。

 純粋で、高潔で、情け深く、義理堅い。ジーンの可愛い弟。

 

「ユー、リ?」

 

 が。

 

 血を流していた。()()から腹部を貫かれ、口から血を吐き、何かを言いかけた表情のままよろめいている。

 

 振り返って縺れたその足が、数歩後退ったと思えば、踏み外して何もない宙に投げ出される。

 

「……………あ」

 

 最後に目が合った気がした。ジーンは離れたところで膝をついていた。

 

 その一瞬で、あらゆるものが脳裏をよぎった。あらゆる記憶、思考、全てがだ。安全地帯で、ジーンは走馬灯を見ていた。生まれてから死ぬまでと、死んでからこれまでの全てを。

 

 死ぬのか。そうか、死ぬのか。

 

 それは────それで、幸せかもしれない。

 

 その瞬間、全霊で繰り出された手刀によってジーンの意識は闇に閉ざされていった。

 

 

 

 

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