明星に誓って   作:テロン

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その願いが、もう叶わないことを知っている

 

 

 

 

 優しい母と、父だった。

 

 一身にその愛情を浴びていた。少し前にそれが半分になったことを知っていたが、それ以上のものを貰っていたのだ。

 

 死は身近にあって、けれどもっと温かなものがたくさんあった。

 

 皇帝のおわす街、帝都は中心部から同心円状に四つの居住区に分かれている。

 中心に城があり、その周りに貴族街。その次が市民街、最後が下町だ。帝都外縁をグルリと囲む形で形成されているため最も面積が広く、最も人口が多く、そうでありながら見捨てられた地域。

 これだけの人間が密集して暮らしているというのに行政や福祉の手は届かず、税の取り立てだけは律儀に各家を回っていた。

 

 勿論そんな実情を当時三つかそこらのジーンが知る由もなく、小さなバケツを片手に毎日水を汲みに歩くことを当然の日課だと思っていた。

 

 加えてジーンは、年の割に手先が器用だったし、力持ちだった。大人たちが魔物を狩ってきたとき、おもちゃの木剣で綺麗に皮を剥いで見せ、褒美にと一抱えもあるふかふかの毛皮を持ち帰ったこともあった。

 

「ジーンは偉いなぁ」

 

 さて、それは誰の声だったか。

 すぐに思い出せないくらいにはよく聞いた言葉だった。

 

 そう言われると、決まってジーンはこう返すのだ。

 

「だってじんちゃんは、おねえちゃんだからね!」

 

 なったのは数ヶ月前だけど、歴の長さなど関係ない。

 ジーンはもう立派なお姉さんで、母が体調を崩しがちな今働きに出ている父の代わりに弟を育てるのはジーンの仕事なのだ。

 

 薄っすらと知っていた。生まれてきた子供が健康なまま大きくなれるとは限らないことを。

 ジーンは偶然に恵まれただけで、弟もそうだとは限らない。

 

 ポツリポツリと見知った人が死んでいく。皆その死を嘆き悲しむが、どこか諦念があった。

 しょうがないのだ。

 

 この間まで元気に声をかけてくれていた人が、食糧を探しに出た森で、税の取り立てに来た騎士に殴られて、病に倒れながらも医者を呼ぶ金がなくて、死んでいく。明日は我が身、その瞬間がいつかは訪れる。

 

「サーカスのひとになりたいなあ」

「サーカス?なんでまた」

「うえのまちでね、みんなたのしそうだったもん。たのしかったらしあわせでしょ?」

 

 けれど、今ではないはずだ。

 

 その時が来るまで精一杯今日を楽しんで、明日のことはまた明日考える。

 それが下町だ。困難でも笑って、俯くよりは上を向いて。

 

 今日が少しでも幸せであるように。良き隣人が、昨日よりも幸せであるように。願い願われる、そんな下町がジーンは好きだった。

 

 はず、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 すえた臭いのする馬車の中だった。下町ですらあまり嗅ぐことのない臭い。

 どうしてここに詰め込まれているのか分からない。

 父親は隣でジーンを抱きしめながらずっと御者台の方を睨みつけている。

 

「おかあさんは?ユーリくんは?」

「すぐに会えるさ」

 

 人攫いだった。そんなものが、下町では横行していた。

 

 父は一人だったら逃げられただろう。ジーンを連れていたから逃げられなかった。

 

 どこかへ運ばれ、檻が並ぶ薄暗い部屋に入れられ、ジーンは父親と離されかけた。父が必死に抵抗したことで数多の打撲痕と引き換えに同じ檻に入ることができたが、商品として捕らわれたことはジーンにも理解できた。

 売られる先はきっと碌でもないところだろう。

 

 そこで何処ぞの好事家にでも売られていたら、また違った人生だった。

 

 果たして、ジーンを買ったのは煌びやかな服と黒い高帽子、モノクルをつけた奇妙な男だった。隣にいるのが父親だと知ると、「それはいい」と微笑む。

 彼は他にも特に衰弱していた子どもを何人か指名し、うず高く積まれた金貨を対価に計10名ほどを買っていった。

 

「アンタは……俺たちに何をさせるんですか」

「何を?ああこれは失礼、ご挨拶がまだでしたね」

 

 良く通る声の持ち主だった。寒さに震えるジーンたちを市場から離れたテントへ案内し、温かなスープと服、湯を与えて、注目を集めるようにハットをクルクルと回す。

 差し出した逆向きの帽子の口を、見せびらかすように胸の前で右から左に移動させ、その上に手を翳した。

 

「それっ!」

 

 パチン、と指を鳴らせばバサバサと鳥が羽ばたく。白い鳩が、さっきまで何もなかった帽子の中から飛び立ったのだ。

 天井の高いテントの中を飛び回り、ジーンの目の前を優雅に舞い、最後に男の肩に降り立って賢そうにキョロキョロと首を傾げている。

 

「サーカスだ!!」

「ん?うーん、正解なんですが今のは手品ですねえ」

 

 目を輝かせたジーンが、身を乗り出して両手を握った。

 一度だけ市民街で見たキラキラしたパフォーマンス。サーカスが来ているぞ、と街の人たちが言っていた。

 

「お嬢さんに見破られてしまいましたが、私はサーカスギルド花精(ティターニア)の足跡で座長を務めております。以後お見知り置きを」

「名前は……?」

「おっと、夢の世界に個人名なんてナンセンス。私共は花精(ティターニア)が走り去った後に残された足跡を追い、彼らの紡ぐ夢現の中に生きる身。その座長であることこそが生涯何よりの誇りでございますから。ね?」

「はあ……」

 

 曖昧に頷いた父へ、座長はパッと表情を悲しみに切り替えた。

 

「とはいえ、先程まで皆さんが捕らわれていた人買いのように、この世には夢も希望も届かない場所が多すぎます。私も花精(ティターニア)が見せる夢に救われた身、興行系ギルドの端くれとしても、資金が貯まれば出来る限り解放するようにしているのですよ。とはいえ全員というわけにはいきません。心苦しいですが、歳若い子供をなんとか買い取るのが精一杯です」

 

 嘆かわしい、と首を振り重苦しい溜息が吐かれる。座長の言う通り、買い集められて所在なさげに周囲を見渡しているのはジーンと同じくらいの子供ばかりだった。大人は父一人。

 

「そうでしたか。あなたは我々の恩人です。かかったお金はなんとかお返ししたいのですが……。金額をお聞きしても?」

「ええ?知りたいならお教えしますが……。夢の住人としてはあまり言いたくない金額ですねえ」

 

 こそり、と父の耳元で囁かれた金額は目玉が飛び出るような金額だったらしい。

 

「ひゃ、そ、そうですか……」

「返してくださるのでしたら……まあ、何も今すぐと言う話じゃありません。勿論払っていただければその分追加で他の方を解放出来るので有難いですが、出世払いで構いませんよ。身寄りのない子も多いですから、そう言う場合はうちのギルドに加入してもらったり、他のギルドを紹介することもありますよ」

「じんちゃんもサーカスなれるの!?」

「ええ。お会いした瞬間にビビッと来ました。娘さんはいい興行師になりますよ!」

「有難い話ですが、帝都に妻と生まれたばかりの子供がいるんです。早く帰ってやらないと」

「帝都?それはまた……」

 

 帝都、と告げた途端に座長の顔が曇った。

 

「お気づきになりませんでした?ここは帝都のあるイリキア大陸からは海を越えた先でしてね。帰るなら些か苦労しますよ」

「船代、ですか……」

「それもですが、道中の魔物も娘さんを連れたままで護衛も雇わず抜けるのは大変です。どうでしょう、暫くうちで働いてみませんか?勿論給料はお支払いしますよ。解放した方にはダングレストという街に住宅を用意してますし、悪い条件ではないと思います」

 

 父は考え込むように目を伏せてから、ジーンを見下ろす。ジーンは既に座長の帽子をしげしげと眺めながら鳥を出現させる方法を考えていた。

 

「そうですね。サーカスに加わるのは娘の夢だったんです。もしかすると、お金が貯まっても帰りたくないと言われるんじゃないかとヒヤヒヤしてるんですが……」

「まさか!お父さんと離れたい娘なんていませんよ」

「そうだといいんですけどねえ、なにぶんお転婆娘でして。では、お世話になります、座長さん」

「ええ!ようこそ花精(ティターニア)の足跡へ!今日この日より我々は血より濃い絆で結ばれた共同体です。苦しい現実から逃れられる夢境の番人として、お二人の参加を歓迎いたします!そうだ、奥方に手紙を書いてはどうですか?幸福の市場(ギルド・ド・マルシェ)辺りに配送を頼めば荷運びくらいはやってくれるでしょう。謝礼は必要ですが、そのくらいであれば立て替えます」

「何から何までありがとうございます。是非」

「承りました」

 

 しかと頷いて、座長はジーンの手から帽子をそっと取り上げると、テントの奥の一段高くなっているところへ駆け寄りまたパチンと指を鳴らした。

 途端、座長を一筋の光が煌々と照らして、一面に色とりどりの花びらが散った。ヒラヒラと舞い散りながら、花弁から大小様々な花火が室内に打ち上がる。

 目を見開いて手を伸ばすも、触れる直前で霞のように消えてしまった。天井を見上げれば、テントの中なのに何故か星空が瞬いている。

 

花精(ティターニア)の足跡の掟はただ一つ!望む相手に、望まれたとびきりの夢を!」

 

 こんなに美しいものをジーンは初めて目の当たりにした。

 そこは確かに、夢のような世界だった。

 

「おかあさんとユーリくんにも見せてあげたいね」

「ああ。ジーンならきっと出来る様になるよ。たくさん働くから、早く帰ろうな」

「うん!」

 

 ジーンは。

 

 幼い日のその願いが、もう叶わないことを知っている。

 

 

 

 

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